2020年後半に観た映画の記録

映画46本、ドラマ5シーズンを観たらしい。

毎晩、家族みんなで30分〜1時間くらい映画やドラマを観る習慣ができたのは大きい。その時間で、最初はMCU作品、次にスター・ウォーズ・サーガ(マンダロリアン含む)、最後にハリー・ポッター・シリーズを観た。こうして連続で観ていくと、MCUシリーズの出来の良さが抜きん出ていることがわかる。

スター・ウォーズ』のエピソード1と6も観たし、『ラッシュアワー』の1と2も観たが、あまり熱心に観なかったので、感想は省いた。

久々に沢山観たが、映画館で観た本数は激減していた。そりゃそうなんだけど、残念だ。

この期間に観た作品で特に印象に残ったのは、『THE BOYS』シーズン2と、『マンダロリアン』シーズン2と、『ブックスマート』。こいつら、最高。

以下、ネタバレしながら感想を記録している。


12/30

『ファンスタティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

1作目の最後に感じたガッカリ感は持続してしまっていて、グリンデルバルドの振る舞いが意味不明に感じることが多かった。これは、ミスリードや意外な展開を多用したために、キャラクターの行動や心理状態に齟齬が生じている状態なのでは、と感じた。少なくとも、クリーデンスの出生の秘密はひねり過ぎてて、観客を驚かせたいだけに思えた。その結論にしてしまうと、1作目ではなんで気づかなかったのか?後から気づいたのだとしたら、グリンデルバルドはその程度の能力なのか、という観点で残念だ。ユセフやリタというキャラクターも観客の裏をかくためだけに作られた感じがした。最後にティナのリアクションの映像はあっただろうか。絶対に必要だろうが...。要するに、ご都合主義的な脚本だ。

レストレンジ、ダンブルドアなどの名前を登場させることで、ハリー・ポッターシリーズをへの目配せもバッチリだけど...。

グリンデルバルドはジョニー・デップのビジュアルと演技のおかげで、強烈なカリスマ性を持つことに成功していた。

ニュートのキャラクターも完全にエディ・レッドメインに馴染んだ。地面を舐めるシーンには度肝を抜かれた。

物語は前作よりも途中っぽさが増した。

と、なんだかんだ言っても次作が楽しみではある。


12/28

『ファンスタティック・ビーストと魔法の旅』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

ハリー・ポッターシリーズの殆どの作品よりも面白かった。勝因はJ・K・ローリングが原作ではなくて脚本である点ではないだろうか。原作小説があった前シリーズでは、膨大な情報量の処理や取捨選択によって、説明不足や作品全体にとってアンバランスな展開が生じたりしたが、今回は本人脚本ということでアイディアを無理無く圧縮して映像化できていた。

まず、主役のニュートのキャラクターが魅力的だ。魔法使いというだけではこれまでのキャラと差別化しづらいので、魔法動物との交流を能力や特性として付加していたのだろう。さらに、そこから肉付けしたのであろう『人間とのコミュニケーションが苦手』という性格も新鮮だった。人と目を合わせないエディ・レッドメインの演技が良かった。

その上で、彼をシャーロック・ホームズにして、ジェイコブをワトソンにしていた。

また、とにかく底抜けに人が良いジェイコブや、心が読めてしまうという難儀な能力を持ちながら(あるいは、それゆえに)魅惑的なクイニーなど、面白いキャラクター達が脇を固めていた。そして、何よりも魔法動物が良かった。ニフラー、ピケットというニュートにやたらと親密な小型動物達は愛らしく生き生きと動き回っていたし、その他の大型動物達もダイナミックに躍動していた。メイキングを見ると、J・K・ローリングの素晴らしいアイディアを損なわないように、制作チームの総力を上げて具現化しているのが素晴らしかった。

トランクの中でいろんな動物が入り乱れる映像は圧巻だった。一方で、ラストシーンでのグリンデルバルドの登場は余計だったように感じた。思ったより有能な敵じゃないんだな、と少しガッカリした部分もあった。

 


12/22

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

結構、簡単に人が死ぬ。

まず、ゴイルの焼死に驚いた。ゴイルは本当に愚かで、マルフォイが躊躇する死の呪文もガンガン使ってたので、死んでも仕方ないのかもしれない。しかし、マルフォイでさえ悼む気配すら無い。なかなか登場人物の気持ちが読み取れない。極めつけはロンの母によるベラトリックスの爆砕。本当に驚いた。全体的に、命がどんどん軽くなっていくのは、『戦争状態だから』という説明だけで良いのだろうか。

他にも、スリザリン寮生がスリザリン寮生であるというだけで地下牢に入れられてしまうシーンに驚いた。偏見強過ぎないかな?その経緯を省き過ぎててそう見えるだけかな?しかも、ラストシーンで成長したハリーはスリザリン寮を肯定的に話す。このシーンの思考の流れも不思議だった。

ハリーと戦ったヴォルデモートが吹っ飛んだ理由は?ヴォルデモート迂闊じゃない?死の秘宝をちゃんと集める話でもないのか?ハリーとヴォルデモートの魂は繋がっちゃてたんじゃなかったけ...???と万事がこんな感じで説明不足で雑な印象だったが、映像で説明しづらい内容と多過ぎる情報量の処理に困った結果なのかもしれない。そもそも、原作通りの可能性もあるけれど(読んだけど覚えていない)。

1作目からの積み重ねになっている演出も多くて、続けて観た甲斐はあったのかもしれない。何度も比較してしまったが、この作品群はMCUに影響を与えたりしたのだろうか?

特に、グッときたのはネビルだった。彼の成長と、へっぴり腰になりながら剣を振る姿には感動した。彼の勇気はカッコよく描かれていた。

前作のムードは引きずっていて、全体的にかなり暗い。死や戦争のイメージを強く打ち出しているからだろう。

 


12/21

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

ずっと暗い!希望が微か過ぎる。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』よりも絶望が大きい。原作通りだろうけど。

『姿現しの魔法』を多用するために、ロケ地がかなり増えていて、映像としては新鮮だった。森ばっかりだったけど。

それにしても、よく知らない人が急にストーリーに関連してきて混乱する。ビル・ウィーズリー?フラーと結婚?グリンデルバルド?ルーナのお父さん?っていう感じ。アイテムもそうで、死の秘宝?ニワトコの杖?『吟遊詩人ビードル』?灯消しライター?(これは1作目で少し見たが)という感じ。しかし、本だとそんなに混乱もしなかったような...。映像で説明しづらい内容が多過ぎるのかもしれない。

ロンドンでの西部劇みたいな魔法バトルはカッコよかった。

魔法省に潜入するシーンは、ティーンエイジャーによるおバカ『ミッション・インポッシブル』という感じで楽しかった。

 


11/4〜12/18

『マンダロリアン』(シーズン2)を観た。

最高だった。もう本当にありがとう。奇跡のような8週間で、毎週めちゃくちゃ楽しみにしていた。毎話ちゃんと面白くて、本当に驚いた。

やっぱりデイブ•フィローニとジョン・ファブローがすげえのかな。昔からのファンへの目配せは最小限にして上手くバランスを取って、観たことない映像なのにスター・ウォーズで観たかった映像になっている、という超難易度の高い偉業を成し遂げていた。

シーズン2は1よりも全編通した大きなストーリーを進める性質が強くなっていて、1話完結的な傾向は弱まった。それを沢山の監督が作っているのに、一貫してちゃんと観られるクオリティなのが本当にヤバい(有名監督がガンガン参加してることにも驚愕)。

第1話は冒頭の酒場からヤバイ。西部劇かましてくる感じ!

第2話はとにかくキャラクター達の追い詰め方が異常。え?またトラブル?みたいな。淀みなくピンチを作る脚本もすごいけど、それを無理無くテンポよく映像にした監督もすごい。

第3話も怒涛の展開とアクションに手に汗握った。初登場とは思えないくらい生き生きとマンダロリアンの3人を描いていた。

第4話は怒涛のカーアクション。それもできるのか!

第5話はアソーカ・タノ初登場。西部劇と時代劇を同時に描く演出がヤバ過ぎた。このシーズンでこの話が一番好きかも。

第6話は戦争映画。もしくは西部劇における集団戦。観たかったボバの活躍がここにあり。

第7話には「マンダロリアンはアーマー無しでも強いのか?」というテーマを感じた。『ハン・ソロ』でダメだった強奪劇をとてもうまく描いていたし、元帝国軍だったメイフェルドを上手く使ってとてもアツイやり取りを入れ込んでくれた(高橋ヨシキ氏が言ってた通り、フィンでやれたはずなのが悔やまれる)。

第8話はもう集大成だった。アッセンブルした仲間の大活躍とあの人の登場。そして、涙を誘うラスト。

シーズン3はあるのだろうか。無くても良い。本当に素晴らしい時間を過ごせた。

 


12/16

ハリー・ポッターと謎のプリンス』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

冒頭は前作よりも『アベンジャーズ』感を増した映像で、スケールのデカさをかましてきてワクワクしたが、観終わってみると、それ以降は地味だったな、と少し拍子抜けした。原作を思い出すと、確かにこの回は地味で印象が薄かった。妻は全体的によくわからなくて辛そうだった。「いつハリーがジニーに好意を持ったのか」は映画を観てても確かにわからなかったし、唐突に思える展開も多かったし、行動の説明が不足気味に思えるシーンも多かった。謎のプリンスの正体がわかったから何なのだ。ウィーズリー宅は燃やされたが、それだけで済んだのはなぜだ。と改めて考えると、疑問に思う点も多かった。

ハーマイオニーがロンを想う気持ちの切なさがガンガン伝わってくるのは、エマ・ワトソンがうま過ぎるからだ!そこにだけティーン・ムービーっぽさがある。

 


12/10

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

今までで一番無理なくスマートに映像化していた。疑問に思うシーンも殆ど無かった。Wikipediaを見て知ったが、かなりサブストーリーを削って研ぎ澄ました脚本だったようで、納得した。新聞を使った説明の省略を連発するのは笑ったけど。映像の色味やセットのデザインなどは3作目が一番ダークだったけど、物語の内容自体も回を追うにつれてどんどん暗くなっていく。

魔法界のマグル(非魔法使い)界への干渉から始まる辺り、世界観がスケールアップしている面もある。神秘部の映像などは、予算が上がってるのかな、と思うような凄みがあった。初めて描かれた大人の魔法使い同士の決闘のスタイリッシュさにも驚いた。不死鳥の騎士団集結のシーンは『アベンジャーズ』を彷彿とさせた。ハリーがヴォルデモートと繋がって混乱する描写からは、『ファイトクラブ』を思い出した。

魔法大臣やアンブリッジが頑なにヴォルデモートの復活を信じない姿勢は、2020年に観ると新型コロナウィルスの被害を否定していたトランプに重なった。自分に都合が悪い事実や、自分が不快な事実を無かったことにしようとする姿勢のクソな普遍性を感じた。

それにしても、アンブリッジは名演だった。本当に嫌な感じ!

 


12/5

ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(マイク・ニューウェル監督)を観た。

大変に展開が多い原作を、監督が職人的にうまくまとめている印象だった。

マッドアイ・ムーディの姿やエラ昆布の効能など、想像しづらかったビジュアルをちゃんと映像化していたのが凄かった。これまでの3作より監督のはっきりとした作家性がわからなかったけど、思春期にさしかかった人物の揺れる心情描写も良かった。ハリーとロンとハーマイニオニーにとって、ダンスパーティが非常に重要なものとして描かれていて、特にハーマイオニーがロンに感情をぶつけるシーンにはドキドキした。相変わらず、エマ・ワトソンすげえ、という話だが。

ハリーとハーマイオニーの関係性の描き方はとても健全で、グッときた。2020年にロバート・パティンソンを確認すると、感慨深い。

ある人物の死をはっきりとあっさりと描くのは、原作通りではあるが、ディズニーとの違いを感じた。その上で、喪に服さずに、旅立ちや成長を予感させるようなラストには、心情的についていけなかった。エンドロールの歌は何だろう。

 


11/19

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(アルフォンソ・キュアロン監督)を観た。

圧倒的に前2作より良かった。世間の評価を知らないが、全体に漂うちょっとダークな雰囲気とクリーチャーの不気味さが抜群に良かった。そこには監督の作家性を感じた。前2作では本の内容を不足無く映像化することに注力し過ぎていて、映画的な楽しさが少なかったのだ、と今作を観て気づいた。ディメンターのビジュアルと恐怖を煽る演出、学校生活を楽しむハリー達の談笑シーン、ヒッポグリフの背に乗って飛翔を楽しむハリー、ホグワーツの地理関係を明らかにするショットなど、映像としての豊かさがあった。

その代償として、説明不足というところがあるだろう。忍びの地図を作った経緯や、リーマスシリウスとハリーの父親の関係性の説明などを一気に端折っていたので、原作を読んでなければちょっとわかりづらい部分もあっただろう。しかし、原作全てを入れ込むのはやはり無理なので、英断だったのでは、とも思う。ラストの種明かしに向かうシーンも、わかりやすくテンポよく説明していて、とても巧かった。

急に気づいたけど、ハリー・ポッターは気絶するシーンが多い。

エマ・ワトソンはどんどん美しくなる。

 


11/19

ハリー・ポッターと秘密の部屋』(クリス・コロンバス監督)を久々に観た。

1作目に似た感想持った。長過ぎる原作を不足が無いように映像化して詰め込んでいた。そのために、ところどころ説明が足りないところもあった。日記を見つける流れは、原作通りに唐突だったが。ハリーとロンは変声期が来ていて、なかなか演技が難しそうだった。ハーマイオニーは引き続き上手い。ドラコの嫌なヤツ度は自然に増していて面白かった。ギルデロイがケネス・ブラナーだったと知った。その溶け込み具合を観て、とても演技が上手いのだな、と感心した。息子がドビーをけなしているのを見て、彼が相当愛せないビジュアルだと気づいた。冒頭からしばらく続くドビーの妨害行為はハリーへの嫌がらせにしか見えなくてイライラしたが、自傷行為には児童虐待の形跡が見て取れた。

それと、1作目でもそうだったが、ダドリー家がハリーを放置しない(突き放さない)理由がよくわからない。本当に邪魔だったら、閉じ込めたりもしないのでは?映像化されてその疑問が強くなった。「魔法を認めない」→「頑なに魔法界に行かせない」という思考は少し不自然に思えた。

 


10/17〜11/18

コブラ会』(シーズン1)を観た。

観終わって、胸を掻きむしりたくなるような切なさが残った。

始まりは単純な話だった。『ベスト・キッド』のラストで敗れて以来やさぐれてしまったジョニーが再起を図る話。この逆転を目指すストーリーは王道とも言えるし、普通に盛り上がる。しかし、このドラマはそれだけでは終わらせない。初期はジョニーの再起の話で、彼が先生(センセイ)となり、ミゲルという一番弟子を得て、徐々に人生を回復していく話となっている。

一方で、最初から必要以上にメンタルに攻撃性を求めるコブラ会式の空手には、ずっとハラハラしてしまう。いじめられっ子達がコブラ会の空手によって自信をつける過程は良いけど、他者への執拗な攻撃にまで発展すると、問題が起き始める。同時に、ジョニーの息子のロビーが宿敵・ダニエルの一番弟子になる流れも、とてもよく練られた展開だった。

シーズン1の最終話でのダニエルとロビーの最終対決に集約されるのだけど、ジョニーが教えてきたことは写し鏡のようにミゲルに反映されてしまい、ジョニーは初めて戸惑う。相手が大事な相手でも「情け無用(No mercy)」でいるべきなのか?という問いが生まれて初めて、他者への思いやりが生まれるのは、流石に2018年のドラマだな、という感じがした。結果的に『ベスト・キッド』での結果を覆しているのに得られたのが空虚な勝利だけ、という演出もすごく良かった。ジョニーの深い意味での謝罪と、それをしっかり受けるロビーの赦しもめちゃくちゃ感動的だった。この最終話で、このドラマは『父と子』や『先生と教え子』をテーマにしていた、とはっきりわかった。これを機にジョニーは人間的な成長へ向かうんだろう、というところでラストにあの男の登場。

うおー、どうなるんだ、ってわけでシーズン2も早く観よう。全編通して演出もしっかりしている印象で、ジョニー側とダニエル側で、明らかに音楽や映像の雰囲気を変えている点や、空手のアクションをしっかりとカッコよく描いてる点も素晴らしい。始まりから観ていくと、ジョニーとミゲルを応援したくなるが、空手大会の勝利がただの勝利ではなくなってしまった以上、この物語に上手い着地点を作るのは相当難しいだろう。きちんと最後まで見届けたい。

 


11/18

ハリー・ポッターと賢者の石』(クリス・コロンバス監督)を久々に観た。

とにかく時間が足りない印象を受けた。カットの終わり際がブツッと切れて繋がっていることが多かった。昔観た時も同じような印象を受けた、と思い出した。原作が分厚過ぎる上に、違う巻に続く(伏線になる)話もあるからあんまり削れなかったんだな、と今になって理解できた。

それでも、やはりベテランの監督だけあって、とてもうまく原作を映像化していると感じた。クィディッチや9と3/4番線や組分け帽子など、自分では想像しきれていなかったディテールがこの映像化で決定されていた。監督の過去作『ホーム・アローン』っぽいところも多くて、クリスマスの多幸感溢れる雰囲気作りと、全体的な音楽の使い方にそれを感じた。両方ともジョン・ウィリアムズだから、ということもあるだろう。

今見ると、ハリー・ポッターの『選ばれし者感』がむず痒いくらい伝わって来る。子供達の辛い現実からの逃避を促すための作品かもしれない。パラレルワールド的に、冴えない自分でも活躍出来る世界があるかもしれない、という希望を与えてくれたのかもしれない。

ドラコ・マルフォイはこの作品ではそんなに悪いことをしていないのに、貶められ過ぎている感じがした。ハリー・ポッターとグリフィンドール贔屓過ぎるというか。それは、コブラ会を観ていたために、敗者の人生をより強く想ったからかもしれないが。

そして、エマ・ワトソンの愛くるしさがヤバイ。3人の成長が楽しみになった。

 


11/4

鬼滅の刃 無限列車編』(外崎春雄監督)を観た。

超動いて、超エモーショナル!

まず、ファーストカットからめちゃくちゃ美しくてびっくりした。緑色の淡さや光の当たり方から、坂口恭平パステル画を想起した。あの木漏れ日の動かし方はCGで足しているのだろうか。ラストカットの朝焼けの光も同様に美しかったのだが、それらの技術には日本のアニメの新しい可能性を感じた。アクションシーンも言うまでもなく凄くて、3Dアニメ的なCG空間でキャラクターをうまく魅せながら、決め絵がばっちりカッコいいというのは、TVシリーズの特長のままだが、物語の展開的にも格段にスケールアップしたものが観られた。『スパイダーバース』に肉薄するのはこういう表現手法ではないだろうか。

漫画では全く感じなかったのだけど、この夢をモチーフにした話は『インセプション』にも少し似ていた。動いてくれて初めて気づいた。

それにしても、原作通りとはいえ、本当に途中の話だった。途中から始まって、途中で終わる。長過ぎる気もするし、途中から新たな敵が乱入する展開は、漫画での印象通りに唐突で意味不明なままだった。

この映画がこれだけメガヒットするというのはどういう現象なのだろうか。

 


11/3

スター・ウォーズ エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』(J・J・エイブラムス監督)をまた観た。

自業自得の面も多分にあるが、敗戦処理したJJは大変だったのだろう。問題は色々あるけど、やっぱりエピソード8でスノークが死んだことが痛かったのでは?カイロ・レンは悩んで迷う人だから最後の敵にもできなかったし。だから、死者(パルパティーン)は蘇らねばならなかったのか?それに、エピソード8で言ってたけど、パルパティーンの子どもは名も無き人と言えるのか?レイとフィンとポーの間に絆があるの?3人での活動初めてじゃない?カイロ・レンはなんでまたヘルメットを直したの?そして、また脱ぐの?フォースって死者も使えるの?フォースは命を渡せるの?パルパティーンを殺したらダークサイドに堕ちるんじゃないの?などと疑問点を笑っているうちに終わった。

 


10/30

スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ』(ライアン・ジョンソン監督)を久々に観た。

息子の反応を見ていて気付いたが、映像の中で常に何か刺激的なことが起きていて、飽きさせないように工夫していた。しかし、それは、先を読ませないためのどんでん返し的な要素が強く、その展開のためにこの作品単体でも一貫性が無い行動を取るキャラクターが生まれたし、エピソード7からの流れを分断したりした。そこにはスター・ウォーズの中で新しいことをやりたいという野心もあったのかもしれないが、この手法じゃない方が良かっただろう。

いくつも疑問点があった。フィンとローズの珍道中は、少しも戦況に寄与していないのでは?ストーリーに連動しな過ぎでは?活躍させないの?裏切るにしても、DJはもう少し思い入れさせる必要があったのでは?エピソード7であんなに重要視されていたルークの能力はあんなもんでいいのか?そもそも、ルークに恐れられていたのに、カイロ・レンはルークを恐れ過ぎでは?最後のフィンの特攻を否定するためだけだろうが、こんなに特攻を肯定するような描写が連続していいのだろうか?と展開やキャラクターに起きている歪みに首を傾げ続けた。

塩の惑星の塩が接触で赤くなる描写は良くて、そこでジェットスキーの大群で走るビジュアルは新しかった。

 


10/25

スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督)を久々に観た。

エピソード4〜6から続けて観ると、大半の部分がそこからの引用で出来ていることがわかって、白々しい気分になった。ハン・ソロの「I  know」や「I have a bad feeling about this」みたいなセリフが無理矢理組み込まれてることに気づくと、チェック項目を淡々と満たしてファンに文句を言わせないようにしているようだった。脚本もエピソード4〜6にあった展開を思い切りなぞっていくだけなので、ご都合主義的に感じる場面も相当多かった。「あそこにミレニアム・ファルコンが捨てられてるのは都合良過ぎじゃない?」「フィンは逃げようとしてたのになんで戻ってきたの?戻ってくる動機が足りなくない?エピソード4で一回ルークの期待を裏切っておいて戻ってきたハン・ソロの真似じゃない?」「R2のスリープモード切れるタイミングちょうど良過ぎじゃない?」などという疑問を見ないようにしても、殆どがサンプリングでできたような作品で、本当に新規性を感じづらい作品だった。

それでも、新しかったところを挙げるなら、キャラクターと一部のビジュアルだった。ナウシカのように登場したレイはビジュアルに説得力があって、新しいストーリーを紡ぐに足る存在感だった。フィンというキャラクターも、騒々しさ・出自・レイとの親密さ・ライトセイバーを構えた姿などには新しさがあった。そして、弱さも含めて迷いを表現する悪役としてのカイロ・レンの繊細さが新しかった。映像としては、雪が降る夜の森での戦闘にはフレッシュなカッコよさがあった。それらがもっと緊密に連動すれば良かったのだが、むしろ枷になったエピソード4〜6によって分断されていたのが残念だった。

 


10/18

スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(アーヴィン・カーシュナー監督)をまた観た。

明らかにエピソード4に比べてSF表現の幅が広がっていて、予算のアップと技術の進歩を感じた。続けて観ると、エピソード4から5の間に確かな時間の経過があって、ハン・ソロとレイアやハン・ソロとルークの関係性が明らかに変わっていて面白かった。ジェダイとフォースの本質的な部分はエピソード5で定義づけられたのか、と気づいた。

 


10/17

『メイキング・オブ・モータウン』(ベンジャミン・ターナー&ゲイブ・ターナー監督)を観た。

名曲生産工場モータウンが創業して発展していく姿を、大御所となった関係者達の証言と、貴重な当時の映像や音源を交えながら描く。

中心となるのは、創業者ベリー・ゴーディーの時系列に沿った語りだ。モータウンの創業〜圧倒的な発展〜育った者達の離散(衰退)の流れは、そのまま彼の青春一代記として面白かった。特に、自動車工場のようにシステマティックに音楽の才能を世に送り出すというコンセプトで始めたが、乱れ咲いた才能達がシステムからの逸脱を図った結果、モータウンが役目を終えていくという構図はとても切なかった。途中からは、モータウンの中心的メンバーになったスモーキー・ウィルソンとの語りになっていくのだが、二人の掛け合いは本当に仲が良さそうで笑えた。本当にファミリーだったのだろう。

モータウンに詳しくなかった自分にとっては、非常に興味が湧く内容だったし、勉強になった。スティーヴィー・ワンダーがいたのは何となく知っていた。しかし、こんなにビックリ人間みたいな形で登場したのは知らなかったし、その才能の豊かさには驚いた。マイケル・ジャクソンもマジで恐るべき子どもだった。幼い頃の歌とダンスは衝撃映像だった。マーヴィン・ゲイがいたのは知らなくても『What’s going on?』という曲は知っていた。しかし、その曲が生まれた社会背景と、モータウンの行く末を決める象徴的な曲になったという事実は全く知らなかった。

全編通して、情報量もとんでもなくて、一つの画面に載っている文字数が膨大だった。見終わった後、音楽史の中でのモータウンが少し具体的にマッピング出来るようになった。プロデューサーの一人がジャズミュージシャンをかき集めたエピソードを知って、ジャズからモータウンへの接続を微かに感じたし、ドクター・ドレが話してる内容でモータウンからヒップホップへの接続を感じた。これから聴く音楽の聞こえ方は変わるだろう。

 


9/9〜10/14

『THE BOYS』(シーズン2)を観た。

毎週配信が楽しみで仕方が無かった。最終的には、広げた大風呂敷も綺麗に畳んでちゃんと終わらせてくれて、とても満足できた。

基本的には、アメコミのDCっぽいヒーローをパロディにした連続ドラマで、社会問題や風刺をうまく取り込みつつ、エログロありブラックジョークありの刺激的な内容にした上で、見事にエンターテインメントにしていた。シーズン2は、その方向性をよりはっきりと発展させていて凄まじかった。

キーパーソンとなるのはストームフロントという新キャラで、彼女が人種差別問題やSNSの持つ問題性をごっそり投入していて、社会(特にアメリカ)の持つ問題を露わにしていた。彼女の徹底的なレイシズムは悪夢のようだけど、同時にアメリカの現状を顕著に表現していて、『アメリカ人はみんな人種差別好き。ナチスが嫌いなだけ』という主張は、BLMの運動などを見ていると、痛烈過ぎるパンチラインだった。そして、彼女がとある人物達からタコ殴りにされるのも、人種差別者への軽蔑が十分に表現されていた。

もう一人の新キャラであるヴォート社長のエドガーも資本主義に飲み込まれているアメリカをよく表している。資本主義はポリティカルコレクトネスもフェミニズムダイバーシティも利用しようとする。

このシーズンでは、出演者やスタッフへのインタビュー番組も同時公開された。そこで彼らが言っていた「アメリカの企業がナチスの技術力を使って繁栄してきた」という話は、真偽はわからないが、全く知らなくて衝撃的だった。このシーズン2は明らかにその説を前提にヴォートという企業を描いていた。更に、その番組でホームランダー役の俳優が明確に「トランプを参考にしている」と言っていたのは、驚くと同時に納得だった。スーパーヴィランとしてアメリカ人以外の人間を徹底的に排除しようとする様子は、大統領が移民を排除しようとする姿に重なった。

人体損壊のようなゴア描写や性的表現の激しさもパワーアップしていたが、その印象だけで終わらないのは、謎や課題とその解決をきちんと描いている脚本がしっかりしていたからだろう。各主要キャラクターの背景を掘り下げるエピソードも充実していて、ドラマ性により深みが出ていた。

ホームランダーの情けない姿が際立つラストカットは、有害な男性性を象徴的に表していて、強烈に印象に残った。

と満足していたが、え?シーズン3あるの?無くてもいいような...。

 


10/12

スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』を久々に観た。

色々観た後に改めて観ると、ああ、スター・ウォーズの始まりなんだなあ、と感慨深い。若さが迸っているルーク、とにかく口が悪いレイア、アウトローぶってるけどいざと言うときに頼れるハン・ソロ、とにかくかわいいR2-D2、ずっとうるさいC-3PO、デカくてかわいいチューバッカ、斬られて消えるオビ=ワン、黒くて怖いダース・ベイダー、リアルに汚れたストーム・トルーパー、まだまだ力の範囲が探り探りのフォース、手作り感がある宇宙世界、特撮とわかる宇宙船の可愛らしさと実在感。まさに不朽の名作だった。この1作で終わっても全く問題無い作りになっているのも、爽快さを増す要因だった。

しかし、これまでの鑑賞歴が新たな感慨をフィードバックしていて、おかしな鑑賞体験になった。「なるほど、これはエピソード1(〜ローグ・ワンまでの全作品)であんなことがあったもんな」とか思うけど、エピソード4を踏まえて他の作品ができているのだから、物語的な因果の逆転に何度も混乱した。

 


10/9

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(ギャレス・エドワーズ監督)を久々に観た。

やっぱりちゃんと重厚感がある。スター・ウォーズの世界で、戦争映画らしい命の重みがちゃんとあるのはこの作品くらいでは(重過ぎる?)。個性的なキャラクター達が、花火のように一瞬で散っていく。短い時間で、魅力的に現れて、魅力的に死んでいく。観客の思い入れが足りているかどうかはともかくとして、とにかくエモーショナルだった。『ハン・ソロ』の後に見ると、宇宙船の飛ぶシーンはちゃんとカッコいい構図でスピード感が表現されているし、実在感のある音がした。

それにしても、ドニー・イェンのチアルートが最高。スター・ウォーズにカンフーアクションを持ち込んだのは、馬鹿げてるけど斬新だった。一人だけ動きがキレ過ぎている。ジェダイじみたセリフと存在感で一番目立っていた。

改めてみると、キャシアンを通して反乱軍の暗部を詳細に描いているのも画期的だった。ちゃんとリアルなSW世界を拡張できている。

ジンとキャシアンがキスしないで終わってホッとした。

 


10/6

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(ロン・ハワード監督)を観た。

とにかく軽かった。キャラクターの明るさやコミカルなタッチでの演出がそう思わせるのは仕方ないが、宇宙での話に見えないことが一番問題だった。違う惑星に思えるロケーションが無かった。ハン・ソロが参加していた戦場は第二次世界大戦のようだった。スター・ウォーズシリーズで観たことない映像ではあったが、必要だったのだろうか、という疑問は湧いた。列車の車両強奪のシーンは『キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』で観たものに似ていた。

そして、何より宇宙船に実在感が無かった。空気の揺れや宇宙船の微動などが足りないのだろうか。あの独特の音も無かったのかもしれない。

L3がドロイドに見えなかったのは、動き方のせいだろうか。ぎこちなさが必要なのかもしれない。フィービー・ウォーラー=ブリッジ過ぎる喋り方には笑った。動きにもその雰囲気を感じ取れたのは先入観のせいかもしれない。

ドナルド・グローヴァーはメチャクチャ良い味出していた。『アトランタ』のイメージが強いから感情的な演技のイメージが無くて、その巧さに驚いた。昔のランドがこんなに遊び人風なのは意外だったが。

L3とランドの関係性がそんなに描かれてなくてよくわからないので、L3の喪失をランドが必要以上に悲しんでいるように見えたのは、脚本のせいだろうか。

一方で、ベケットはカッコいいんだが、仲間や恋人らしき人間の喪失を全く悼まない。

この辺りの関係性の描き方のチグハグさにもモヤモヤする映画だった。

 


10/1

スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(ジョージ・ルーカス監督)を観た。

大変楽しめた。エピソード2で挫折していたのは勿体無かった。絶望的なラストへ向かうのが分かっているので、ストーリーも追いやすかった。今回もカッコいいデザインのメカや宇宙船がたくさん出て来て、大変盛り上がった。グリーバス将軍のビジュアルも性格も最高で、もっと活躍してほしかった。オビ=ワンの乗る謎の龍みたいな生き物と、グリーバスの乗る車輪状の乗り物とのカーチェイスのパートもとても良くて、非現実的でありながら説得力のある映像にしていてカッコ良かった。陰影を効果的に使ってアナキンが半分闇に飲まれようとしている映像なども、演出としてケレン味が強過ぎて笑ってしまうほどだが、カッコ良かった。アナキンの大虐殺は衝撃的だった。エピソード4以降よりも断然恐ろしいことをしていたことに驚いたし、そのアナキンの表情とビジュアルは完璧だった。ヘイデン・クリステンセンはエピソード2よりは演技が上手になったような気もしたが、相変わらず激しい感情の表現がイマイチで、肝心のダークサイドに堕ちるかどうかの葛藤が弱くて説得力不足という弱点はあった。

 


9/30

『テネット』(クリストファー・ノーラン監督)をIMAXで観た。

な、何が何だか!途中、情報を処理し切れずに眠くなる現象が起きた。受験勉強かよ...。

「時間の流れが一定方向である」という事象を物理学的観点から疑える、という点までは飲み込めた。しかし、それらの説明は「逆再生を使った映像で面白いものを作ろう」という目的のための後付けの理論武装だったのではないだろうか。

今回、スパイ映画っぽい内容だったからか、『インセプション』に似た雰囲気のシーンも多かったのだが、『テネット』の方が映画内のルールが理解しづらかった。逆行する弾丸があるとして、それを撃つ人間まで逆行するのはどういうことなのか、という初期段階で引っかかってしまって辛かった。運命決定論的な時間のありように納得しづらかったせいだろう。それらのルールは映画内にだけ適用されるもので、現実には応用できる原理じゃない、と納得しておけば良かった。納得できないまま映像に翻弄され続けた。ノーランがCG嫌いだというイメージがあるので、うーん、これもCG使ってないのかな?単なる逆再生だけでできる映像なのか?と疑いながら観続けた。

時間の順行者と逆行者がめちゃくちゃに入り乱れることが、一番凄いアイディアだし、映像としても壮絶だった。映像に、構図・色彩・陰影で見せる写真的な美しさや、編集やカメラワークで見せる映画特有のダイナミズムなどはないのかもしれないが、やはりこれはこの監督でしか思いつけないし、他の誰も作れないだろう。この実験的な作品に莫大な予算が投入されていることに驚く。音楽は常に緊張感が張り詰めているソリッドな音楽で、ずっとカッコ良かった。鳴り過ぎててだんだんと麻痺してくる感じもあったけど。

エリザベス・デビッキの美しさを初めて知った。あの身長であのバランスは凄い...。

観終わってから頻繁に思い出してしまうし、答えみたいなものを探してしまう。『メメント』からそうなのだが、映画が直線的に進む時間しか描けないことに、強く反発している気がしてきた。

 


9/27

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(ジョージ・ルーカス監督)を久々に観た。

昔観た時よりも楽しめた。以前は政治劇になっている部分に難解さを感じたようなのだが、物語の概要を掴んだ今見直すと、そんなに難しくもなかった。当時はパルパティーンの思惑がわかっておらず、ドゥークー伯爵の立ち位置などが全く飲み込めなかったがために、混乱していたように思う。「ダース・ベイダーが誕生するまで」と同時に「パルパティーンが皇帝になるまで」という認識があると、独裁制が生まれる過程を丹念に描く深みを感じられた。

偶然にも『スターウォーズ 禁断の真実(ダークサイド)』を読んでいるタイミングでの観賞だったので、それが大いに役立った。その本にも書いてあった通り、全体的に子どもも楽しめるように工夫されていると感じた。カッコいい宇宙船が沢山出て来るし、集中力を持続させるためのアクションシーンが何度も配置されている。前半はかなり刑事ドラマっぽくて面白かった。オビ=ワンとアナキンのバディムービー風に始まったが、途中からはオビ=ワン一人で犯人を捜査するタイプの刑事ドラマになっていく。空飛ぶ車や、夜のシーンのイメージから、何となく『ブレードランナー』を想起した。

しかし、アナキン役のヘイデン・クリステンセンの演技がイマイチだった。繊細な感情の表現が無く、喜怒哀楽の表現も拙く見えた。一番問題なのは笑顔で、普通に笑っているだけらしいのに邪悪に見えた。ラジー賞を取っているという先入観も原因かもしれないが、他の俳優の演技とかなりのギャップを感じた。ひょっとしたら、表情の受け取り方については文化の違いもあるかもしれない。

一点気になったのは、場面転換が多くてかなり多くのシーンが細切れの印象な上に、ワイプの種類も多かったような気がする。

 


9/3〜9/19

『マンダロリアン』(シーズン1)を観た。

開始数分でめちゃくちゃ西部劇が始まってて笑った。殆ど観たことないジャンルなのに、『西部劇』だとわかったということは、皆がイメージする『西部劇』として作ったということなのだろう。酒場、賞金稼ぎ、銃撃戦みたいな要素と、マンダロリアンクリント・イーストウッドばりの無表情・無口っぷりがそのイメージを喚起するらしい。同時に『子連れ狼』や『七人の侍』っぽくて、時代劇を想起するシーンもあったが、西部劇と時代劇はお互いに影響し合っていそうなので、どちらの引用なのかをはっきりさせるのは難しいかもしれない。

それにしても、よく出来ている。ちゃんと『スター・ウォーズ』の世界の範疇にありながら、見たことの無い映像を作っている。着陸時に微細な振動が見えるCGの宇宙船、一眼っぽい深度の映像、現代的でリアルな格闘シーン。演出面で細かく現代的なアップデートが為されていた。あれは僕らが見たかったSWだったのでは、と思う。

ドキュメンタリーも少し見たのだが、この成功はデイブ・フィローニとジョン・ファブローの献身が大きいと感じた。SWに関する膨大な知識を持っていて、ジョージ・ルーカスや他の監督からの信頼も厚いデイブ・フィローニは、見るからに温厚な性格で、彼らのムードメーカーになっていた。そして、ジョン・ファブローは、各話の監督達と一定の世界観を共有しつつ、彼らの個性を活かせるような場を作っていたようだった。そこにはMCUシリーズでの経験が活きているのだろう、と感じた。

 


9/2

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(ジョン・ワッツ監督)をまた観た。

相変わらず良かった。世界の危機ほどの規模じゃない話で、プライベートな恋愛に翻弄されたりするのが、やっぱりスパイダーマンらしい。何度見ても、ピーター・パーカーの成長の描き方が上手い。1作目より好き。精神的な成長が、戦闘面での成長に繋がるのも良い感じ。MCUに沿って言えば、「アイアンマンの喪失」と「彼の後継者は誰だ?」という視点をずっと与えられる。アイアンマンの傲慢さが遺した負の遺産としてのベックと、彼が遺した良い影響を受けたスパイダーマンの対立として観ても、かなりアツい。

そして、トム・ホランドもかわいいが、やはりMJがとてもかわいい。1作目の時に封印してた魅力が全開。恋愛映画として見ても、二人の仲はずっと微笑ましい。

 


9/2

『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(オリヴィア・ワイルド監督)を観た。

超最高!学園青春コメディの最新版で決定版。これ以降、このジャンルの映画のハードルが上がってしまった。

まず、主人公二人のキャラクターが、斬新かつ瑞々しくて素晴らしい。この二人だけでお互いの格好を褒め合うシーンは、この映画の新しさを決定づけている。ブルーレイ買って、このシーンの台詞はちゃんと読み返したい。パンフレットでも散々触れられているが、登場人物に多様性があるのが当然という前提での描き方は、「多様性を重んじるべき」という問題設定を軽やかに飛び越えていて、観てて爽快だった。この状態がどれくらい現実に近いのかは別の話で、理想は必要だろう。

最初はスピード感に圧倒された。しかし、高校生はこれくらいの情報量をこのスピードで処理してたような気もした。本当に多くの登場人物を魅力的に描き切っている。好きなシーンはいっぱいある。タナーがスケボーに乗りながら消化器を噴射するシーンは、その若さゆえの無謀さがカッコよくて好き。車の中でトリプルAとモリーが少しだけわかり合うシーンに漂う、真っ当さと気恥ずかしさのバランスも好き。ジャレッドのパーティを出た主人公二人が笑い合うシーンの切り取り方も自然でグッときた。その後に、リフトで呼んだ車に乗って最悪の下ネタが炸裂するのも爆笑したし、オチも最高。そして、一番好きなのは、パーティで主人公二人が同時に成功のような何かを掴んだ無敵の瞬間。直後に、エイミーだけが奈落に急直下する瞬間も美しく撮られていて、これも思わず声を漏らしそうになるくらい切なかった。過去にあったはずが無いのに、どちらの瞬間も自分にもあったような気がして、懐かしさや苦さを感じた。この瞬間から、いつも一緒だった二人が別々の道を歩き始めていて、本当の意味での卒業と成長を描いていく。彼女達の変化を描いた上で、友情は続いていく。そのバランスが最高な脚本だったし、ラストの友情が続くことの表現も最高だった。人生の中で大切な時間があることと、それがこの瞬間であることを深く理解した上で作られた作品だった。

 


8/28

アベンジャーズ:エンド・ゲーム』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

1作目からきちんと積み重ねた結果、『インフィニティ・ウォー』以上に楽しめた。これだけ膨大な量の過去作のネタを入れ込んだマーベル映画は、今後無いのではないか。ルッソ兄弟のまとめ力が素晴らしい。複雑なプロットを出来る限りわかりやすく描いている。戦争さながらの大戦闘シーンも、各キャラクターの特性を生かしつつ上手く描いていた。 それでいて、アクションの新しさや迫力を失っていない。YouTubeのとある動画(https://youtu.be/1_Y3TfzLJS4 ネタバレしているので、注意)でも答え合わせをしてみたけど、かなり拾えていた。各キャラクターへの愛着が強くなっているためだろう。何度観ても、ピーター・パーカーとトニー・スタークの擬似父子関係は泣ける。キャプテン・アメリカがムジョルニアを使えるとわかるシーンと「アッセンブル」の瞬間はアガる。マイティ・ソーがこれまでのどの作品よりも人間的であることに気づいた。PTSDだ、という意見も見かけたことがあるが、確かにそういう風にも見えた。キャプテン・アメリカの最後のタイム・パラドクスはやっぱり気になるけど、些細なことだろう。フェイズ3を見事に清算する大団円だった。

 


8/23

キャプテン・マーベル』(アンナ・ボーデン&ライアン・フレック監督)を観た。

世界的な潮流となったmetoo運動などを汲んで、女性をエンパワーメントする目的が強く出ている映画だった。その目的意識が強過ぎたのかもしれないが、あまりに「社会的な抑圧を受け続けた女性が力を解放する」という結論ありきで作られている感じが腑に落ちなかった。特に回想シーンで挿入される「女だから」と男から馬鹿にされたり抑圧されたりする映像は、意味としてはよくわかるのだけど、現在のキャプテン・マーベルの人格とはズレがあるように見えたし、ストーリー的にも唐突な気がした。もっと自然に見せる方法は無かったのだろうか。人間じゃなくなったことへの葛藤や、抑圧されていたことへの抵抗は、もっと丁寧に描いても良かったのではないだろうか。悩まないヒーロー像というのが新たに描きたかったのかもしれないが。

唯一、自然とマウントを取ってくるジュード・ロウが、『男の世界』みたいな価値観を提示した上で、問答無用にやられてすごすごと帰るシーンには、今までの映画に無い斬新さを感じたし、現代的な価値観の提示を感じた。

しかし、キャプテン・マーベルが無敵過ぎる設定のせいもあるかもしれないが、後半は本当に雑な感じがした。前半の狭い電車の中でのアクションなどはお婆さんに成り済ましたスクラルが超飛び回ったり、騙された乗客達がキャプテン・マーベルの邪魔をしたりする工夫もあって面白かったが、後半はアクションもただただ殴り合ったり撃ち合ったりするような感じで、『マイティ・ソー』(1作目)を思い出した。ジュード・ロウの容姿やスクラルの容貌を利用した展開のミスリードなども面白かったが、後半の展開には活かせていなかった。総じて『見た目で判断してはいけない』というmetoo運動にも繋がるような、重要なテーマも感じただけに惜しかった。

それと、全体的に音楽が合ってない気がした。音楽で90年代を表現してもいいが、かけ方と選曲がしっくりこなかった。

 


8/21

アントマン&ワスプ』(ペイトン・リード監督)を観た。

前作より緊張感が後退していた。絶対的に邪悪なヴィランを設定していない点が原因だろう。一方で、一応のヴィランのゴーストが悪事を働く理由が切実な分、人間ドラマの部分に深みが増した気もする。しかし、全体を通して感じるのは楽しいB級感で、『エンドゲーム』前の小品にふさわしい作品だった(この小規模な小競り合いをしているアントマンが、エンドゲームで世界を救う鍵になるというのも粋な話だと気づいた)。

縮小と巨大化が普通の能力になったので、そこからどう新しいアクションを見せるのか、に注目したが、縮小のタイミングと対象のバリエーションを工夫することで斬新な戦闘シーンが作れていた。さらに、自由に空を飛べるワスプのアクションが新しさに拍車をかけていた。また、アントマンのスーツがポンコツであるということはマイナス要因のはずなのに、そのトラブル要素が脚本も振り回していて先が読めない楽しさがあった。

監督はスコットの悪友3人のキャラがかなり好きなのだろう。彼らがギャグっぽいパートのまま、シームレスにシリアスな展開を作っていくシーンはどれも最高だった。

 


8/20

『新感染ファイナル・エクスプレス』(ヨン・サンホ監督)を観た。

マ・ドンソクの剛腕っぷりを観たくて観た。一発で大好きになった。(アトロク放課後ポッドキャストで聴いた通り)腕にガムテープを巻いただけでゾンビに立ち向かっていて爆笑した。そのマッチョなカッコ良さと言ったらない。マ・ドンソクは弱い者もちゃんと助ける!しかも、見た目通り通り機械に疎かったりして、かわいい。奥さんにもしっかりと優しくて、チャーミング。本当にマ・ドンソクが素晴らしい映画だった!

映画自体はあんまり面白くなかった。主人公があまりにイヤな奴に初期設定されているので、ゾンビが出たくらいで他人を慮れる人間に変わるのは違和感があった。お婆さんが死を選ぶ展開も空気読んだ感じがして、ご都合主義的に感じた。悪い意味でアニメやマンガっぽいキャラクターと展開が多いと思ったら、監督はアニメーション主体で活躍しているらしくて、すごく納得した。大量のゾンビが走り回って暴れる映像や、大量のゾンビが電車に引きずられる映像などの規模には感心したが、「実写でよく撮ったな」という労力に感心してしまって、映像にはあまり魅力は感じなかった。

しかし、電車の破壊っぷりなどを見ると、本当に大予算が感じられた。極限状態でやっと人との絆を思い出すという構造から、『海猿』みたいなゾンビ映画だと思った。

 


8/18

アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

MCU1作目の『アイアンマン』から積み重ねて観ていくと、絶望の重みが違った。

全部観ていると、あいつもこいつもモブじゃなかったじゃん!と後から意味が増えたようなおかしな鑑賞体験になった。それぞれのヒーロー単体の映画では2〜3番手にいるキャラクターが、オールスター戦での2時間半に圧縮されると、モブキャラに近い薄い扱いになる。そういう現象が起きていたことを知った。

しかし、同時に、サブキャラの扱い方から、ルッソ兄弟のバランス感覚の絶妙さもわかった。全作品を網羅している人には、各作品のキャラクターを大事にしていろんな目配せをしていることがわかるし、観てない作品がある人にはモブキャラの一人であるかのように見せてストーリーを邪魔しないようにする、というギリギリの塩梅で調整していた。さらに、監督が本当に各作品と各キャラクターを知り尽くしていて、ちゃんと彼らが単体の最新作から繋がって現れている感じがするのが凄い。特にガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々の楽しげな姿にそれを感じた。プロデューサーのケビン・ファイギの手腕でもあるのだろうが、相当綿密に打ち合わせているとわかる。また、タイタンでのやり取りに顕著なのだが、そのキャラクターを生かした演出はちゃんとアクションにも生きていた。我が強いキャラクター達のうまくいかないやり取りの後に、どうにかこうにかちゃんと作戦を立てて、お互いを生かしながら独創的なアクションを魅せるシーンはとても良かった。

そして、やはりサノスの狂信っぷりと哀愁の出し方が凄い。唯一無二のキャラクターであることを実感した。やっぱり、エンドゲームが早く観たくなった。逆転が観たい。

 


8/13

『ブラック・パンサー』(ライアン・クーグラー監督)を観た。

キルモンガーの映画。マイケル・B・ジョーダンってこんなに華があるのか!『クリード』はやっぱり観なければ。

観ている途中で、宇多丸氏がティ・チャラをキング牧師に見立て、キルモンガーをマルコムXに見立てて映画評をしていたような...?とぼんやりと思い出した。

ワカンダの技術力の全貌はこの映画で明かされたわけだが、様々なガジェットのアイディアが超魅力的でワクワクした!リモート運転・操縦機器、ブラックパンサーのスーツの機能、マントでシールドを作る機械。どのガジェットにもアフリカンな民族的意匠を合わせていて、それは見たことも無いアフロ・フューチャーを提示していて、凄くカッコ良かった!ワカンダがアフリカの伝統とヴィブラニウムで生み出した最新技術をどちらも大事にしていて、そこに矛盾を起こしていない文化として自然に描いているのは、巧い描写だと思った。地域によって音楽を明確に分ける魅せ方も面白かった(どこまでがケンドリック・ラマーなのだろう)。観ていて気付けなかったが、アフリカ音楽とアメリカのヒップホップミュージックが溶け合う瞬間もあったのだろうか。

キルモンガーがいろんな感情を魅力的に表現していて目立っていたが、シュリもオコエも表情豊かにカッコよく描かれていて良かった。主人公のティ・チャラは常にオシャレだったが、それだけだったような...。いや、品はあったのだけど…!

 


8/11

マイティ・ソー:バトルロイヤル」(タイカ・ワイティティ監督)を観た。

マイティ・ソー・シリーズの中では屈指の出来!今までの悲劇めいたファンタジー神話調をだいぶ減らして、ちょっと古めのディスコ調の電子音楽鳴らしまくりながらカラフルに進めていて、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのSF世界に近接していた。コメディ要素もめちゃくちゃ足しまくってて、とにかく楽しい感じ。ソーの小ボケも多いし、ロキとの共闘にも楽しさがあって、今までで1番キャラクターが魅力的に見えた。ケイト・ブランシェットのヘラも超ハマり役で、あの喋り方と佇まいはマジでカッコ良かった。ハルクは緑の時のキャラクターが幼児そのものになっていて驚いた。哀愁も感じるが、魅力は増したように感じた。全体的にアクションの魅せ方もだいぶ変わっていて、惑星サカールでのアクションはどれもド派手で最高だった。

 


7/24〜8/11

『アップロード』(シーズン1)をAmazonプライムビデオで観た。

「現代のデジタル化と強く結びついた資本主義社会が発展していくとどうなるか」というテーマで、精緻なシミュレーションをしていく近未来SFブラックコメディ。

『アップロード』は、デジタルデータ化した生前の意識を死後もサーバー上の天国で生かし続けるアプリケーションで、このドラマの核となっている。ネットゲームのようにアバターを使ってプレイする文化に慣れ親しんでいれば、このアイディアは意外と飲み込みやすいし、ドラマの中で現実にすんなり溶け込んでいる様子を見ても違和感が無かった。彼らの様子を見ていると、「デジタル化というものは、数値化やモノ化とほぼ同義らしい」と思えてくる。アップロードされたデジタル幽霊の人権がたやすく矮小化されて誰かに所有されていく様子からもそれを感じけど、最もそれを感じたのはセックスを目的としたマッチングアプリの『ナイトリー』だった。このアプリによって、現実の若者達は性的な所作を互いに評価し合い、性行為自体をモノ化しているのだが、このアプリはあまりに現実と地続きだったのでかなりゾッとした。

こんな風に、そのうち現実に生まれそうなほどリアルなアイディアの数々や、アップロード世界の表現などは創造性に満ちていて、見ていて飽きない。そして、そのままそれらの描写が更に広がった格差社会を映し出すのもよく出来ている。3Dプリンタの延長線上にある技術で出来た料理が貧困層のベーシックになっている、という描写もエゲツない。

そんな風に、映像的には面白い部分も多いのだが、ストーリーにはちょっと疑問点もあって、「あれ?1話飛ばしたかな?」と思うことがちょくちょくあった。特に主人公とジェイミーのやり取りがそうで、音信不通だったはずなのに、急に進展したりするのがよくわからなかった。大きな謎でストーリーを引っ張っておきながら、シーズン1の中で終わらせない脚本もどうかと思った。更に、ラストで主要な登場人物について後先考えてなさそうな展開も一個あって、驚かされた。人気が無かったら打ち切りだろうから、視聴者は悶々とさせられてしまうだろう(シーズン2は決まったらしいが)。とはいえ、全体的には、目まぐるしく登場する近未来のガジェットやアイディアを存分楽しんだし、ノラもキュートだったので、シーズン2にも期待したい。

 


8/7

スパイダーマン:ホームカミング』(ジョン・ワッツ監督)をまた観た。

トム・ホランドがかわいい。『シビル・ウォー』から順番に見ると、彼が子どもであることがより強調されて見える。怖い大人達と出会って、彼が成長していく物語であり、そのために逆算して最初はものすごく子どもになっていた。しかし、成長物語だと決めつけて観れば成立してるのだろうが、やはりどうして成長できたのかが、よくわからなかった。なぜ窮地になってトニー・スタークの言葉を思い出したのか、しかも、なぜそれだけで力が湧いたのか、という疑問は残ったままだった。私生活より社会のため正義を優先する点も、持って生まれた性格と捉えるべきなのだろうか。それでも、ピーターをはじめとして、どのキャラクターも生き生きとしていて魅力的だから見ていられる。逆に言えば、かなりキャラクターとして説得力があるのに、ストーリーのために動いているように見えるシーンがあったので、気になったのだろう。

改めて観ると、マイケル・キートンのドスの効いた演技は本当に恐ろしくて素晴らしい。また、塔も船も飛行機も、アクションシーンが実はかなり派手で革新的だったと改めて気づいた。そして、ゼンデイヤ演じるMJは、意識的にしかめっ面や皮肉屋な表情をすることで、美しさを封印していたことに気づいた。続編への布石だったのかもしれない。

 


8/2

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』(ジェームズ・ガン監督)を観た。

相変わらず最高のノリで、終始ゴキゲンだった。オープニングからやっぱり最高で、あのMr.Blue Skyの使い方は曲にも新たなイメージをつけた。ベビー・グルートはこのOPから最後までずーっとかわいかった。今回のメインテーマは家族で、エゴとピーターとの父子関係で始まる問題を軸にしながら、ヨンドゥーとピーターとの擬似父子関係や、ガモーラとネビュラの擬似姉妹関係にある愛憎入り混じった絆を描きつつ、ガーディアンズが家族同然の仲間関係になっているのを楽しく魅せてくれた。

前作に比べて、各キャラクターの掘り下げもより深まった。ドラックスは、前作で主要な感情だった怒りの矛先が無くなって、とにかくよく笑うおじさんになった。根底に悲しみを秘めているのも良い。ロケットの『素直になれなさ』は、ロケットというキャラクターをより魅力的にしつつ、今回の映画のかなり重要なファクターになっている。ロケットがヨンドゥーと写し鏡のようになるシーンにはかなり動揺した。ピーターが覚醒するシーンで挿入される家族の絆を強調する回想シーンにもしっかりとやられた。ヨンドゥーが良過ぎた...。全体的にガーディアンズの仲の良さがめちゃくちゃパワーアップしていて、観ていて本当に楽しかった。アベンジャーズの中では、こういうチーム感を出してる唯一の存在だと気づいた。妻が指摘していて面白かったのは、この映画全体がスターウォーズサーガの否定になっているのでは、ということだった。主人公による血縁関係ではない関係性の選択と、強大な力の遺伝の拒絶は、確かに明確にスターウォーズの裏返しになっているかもしれない。

 


7/31

ドクター・ストレンジ』(スコット・デリクソン監督)を観た。

まず、凄まじい映像体験だった。ドラッグムービーとかトリップムービーというジャンルじゃないだろうか。ぐるんぐるん動く映像で、久々に映像で酔いそうになった。特にミラージュワールドでビルが徐々に現実離れした動きをしていく映像は、『インセプション』を想起させつつ、それをもっと過激にして現実のルールを壊していた。あの映像をどうやってイメージして、どうやって映像にうまく落とし込んだのかは気になる。

主人公のキャスティングは絶妙で、『シャーロック』の高慢・皮肉屋・頭脳明晰というイメージを借用したベネディクト・カンバーバッチに見えた。しかし、主人公が世界を救おうとする心の動きはよくわからなかった。表現として不足している気がした。「元々、医者で、人を救うことを目標としていた」とか「誰かを大切に思う気持ちを思い出した」くらいの感じなのだろうか。魔法を学んでいる序盤で敵との戦いが始まってしまう、というのは、急展開過ぎてなかなか飲み込めない部分もあったが、未熟でも工夫して戦うという魅せ方はとても巧かった。敵との最終決戦の終わらせ方も、見たことない解決策を取っていてかなり斬新だった。マントの空飛ぶ絨毯っぽさはかわいかった。

 


7/28

キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

いつ見ても壮大な内輪揉め。復讐の連鎖が争いを起こして戦争や内戦が生まれる社会の構図を、そのままトレースしている。アントマンの戦い方がアベンジャーズに通用するのは、やはり嬉しい。ただのおじさんに見える点も含めて。スパイダーマンの幼さは、やはりとてもかわいらしい。ソーとハルクを入れなかったのは脚本が巧い。前作に続いて、カーアクションも引き続き凄まじい。どうやって撮っているのか、どうCG入れているのかわからないシーンが多い。世紀の大乱戦は何度観ても楽しいし、まとめる魅せ方がめちゃくちゃ巧い。その上で、アクションがどれもちゃんとカッコいいのが凄い。改めて1作目から見て行ったおかげで、キャプテン・アメリカとウィンター・ソルジャーは本当に親友なのね、と初めて感慨深かった。ファルコンのメカの性能アップっぷりも良くて、かなりカッコよくなっていた。ファルコンとウィンター・ソルジャーが良いコンビになっているのも今後の展開への布石になっていた。

 


7/25

アントマン』(ペイトン・リード監督)を久々に観た。

『小さくなれる』という一見地味な能力を生かして、クリエイティビティ溢れる多彩なアクションを描いている点が、やはり最大の魅力だった。なるほど、『小さくなれる』とこんな戦い方が可能なのか、という驚きに満ちている。アントマンと蟻との連携を見ているうちに、『ミクロキッズ』を参照しているのでは、と初めて気づいた。軍事利用のためにテクノロジーが使われる、というのは、MCU作品全体を通じて一貫したテーマになっている。ルイスはいかにも抜けたキャラクターなのだけど、最初の方で息巻いてた自慢してた腕っぷしの強さが本当だったことに気づいた。ちゃんと前フリしてたのか、と。主人公の冴えないおじさんっぷりはやっぱり面白い。

 


7/22

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(ジョス・ウェドン監督)を久々に観た。

やはり拭い去れない自業自得感はある。トニー・スタークが悪いじゃん。クイックシルバーの可愛さに初めて気づいたので、あのラストは悲しかった。トニー・スタークとウルトロンの写し鏡的・親子的な関係の強調には初めて気づいた。ウルトロンの思想はかなりトニーをトレースしていたのか。ラストバトルのグルグル回るカメラワークの中でのチームプレイは、『アベンジャーズ』で成功した映像をパワーアップさせて魅せていた。ワンカットの中で、スムーズにそれぞれの特性を活かしたアクション映像で繋ぐ手腕はさすがだった。

 


7/20

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(ジェームズ・ガン監督)を久々に観た。

やっぱりどうしてもアガってしまうシーンが確かにあった。オープニングのダンスシーン、音楽に合わせて皆が集結する何かのオマージュらしき映像、グルートの献身、ラストのダンスシーン、ピーター・クイルがお母さんとガモーラを重ねて人との繋がりを感じるシーン、ロケットの邪悪なのに可愛らしい笑顔。

久々に見ると、「どうやってこのメンバーが仲間になったんだっけ...」という感じで、展開を全く覚えていなかったのだけど、それも仕方ないだろう。ジェットコースターのように目まぐるしい展開が、異様にテンポ良く進んでいくので、振り落とされないようにするので必死だった。覚えている暇なんてなかった。それでいて、見やすい映像になっているのは、うまくメリハリをつけた監督の手腕なのだろう。

グルートの能力の全貌を明かさないことで若干ご都合主義的な展開もあったが、そんなのどうでもよくなるほどキャラクターが魅力的だった。ヨンドゥの父性やかわいさには初めて気づいた。彼は、どんな形でもスター・ロードとの関係性が続くのが嬉しそうだ。スター・ロードのアクションやオールディーズな音楽に合わせる煌びやかなSF感など、多くの新鮮さを持った映画だった、と改めて思った。

 


7/13

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を観た。

想像していたよりも骨太なスパイアクション映画だった。会話も含みのあるものが多くて、一聴して何を言ってるのかわからないことがあった。『ミッション・インポッシブル』を参照しているのかもしれないが、カーアクションのド派手さと斬新さは、それ以上だった。特にウィンター・ソルジャーが爆破して飛んできた車をギリギリで避けるシーンは、最高過ぎてめちゃくちゃ笑った。普通の戦闘アクションも相当洗練されていて、『ボーン・アイデンティティー』や『アウトロー』以降のアクションの歴史を踏まえた上で、アップデートしている。ブラック・ウィドウが関節技を極めながら投げたり殴ったりする動作は、何度見ても楽しい。

それにしても、ニック・フューリーの見せ場があんなにあるとは思いもよらなかった。こんな事態なのにアベンジャーズの他の面々はどうしてるのかな...って時々気になったけど、息もつかせぬ展開の連続で、あまり深く考える隙が無かった。

一方で、キャプテン・アメリカの功績を讃える博物館を上手く使って、彼の苦悩を描きつつ、バッキーが現れる準備をしていたりして、随所で演出の丁寧さも感じられた。これ以降の作品も少し観ているけど、ブラック・ウィドウがキャプテン・アメリカに好意を寄せているっぽい描写はこの作品にしか無かったような。どうなったんだろう。

 


7/11

マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(アラン・テイラー監督)を観た。

描く世界(惑星)の数が前作を超える多さで破茶滅茶になりそうな内容だが、全体的な色味を落ち着いたトーンで合わせたりして、うまくまとめていた。違う世界を描き始める度に、ゆっくり遠景を見せるのもそのための工夫だったかもしれない。

単純なCG技術の向上もあるのだろうが、アスガルドは以前とは比べ物にならないくらい説得力のある世界になっていた。全体的に前作より丁寧だった。更に、今回は北欧神話的ファンタジー世界からスターウォーズ的宇宙SF世界へ、なめらかに表現スライドさせていて、その奇妙さもとても面白かった。こんな風に世界観を同居させた作品は、これまでにあったのだろうか。

ラストの瞬間移動バトルの目まぐるしさは見応えがあったが、何か既視感を覚えた。その原因は『マルコヴィッチの穴』か、『エターナル・サンシャイン』か、あるいは、チラ見した『ジャンパー』だったか。何か明確な参照元はあるのだろうか。ジェーンが最後に急に科学的な実力を発揮するのも、少し唐突な気がした。世界規模の災害が起こりそうなのに、アベンジャーズの面々が全く出ないのもおかしい気がした。時系列だけを『アベンジャーズ』後として扱うのは、MCUという世界観との矛盾が大きそうだった。

 


7/8

アイアンマン3』(シェーン・ブラック監督)を観た。

MCUシリーズではトップレベルの面白さではないだろうか。『リーサルウェポン』『ナイスガイズ!』の監督だけあって、バディムービーとしても最高の出来だった。トニーとローディがわかりやすいバディ感だったけど、トニーと少年・ハーレーのバディ感も良かった。アクションの多彩さやド派手さと、そのアクションが転がす超展開は、監督の持ち味を最大限生かす内容だった。

今回は明確にトニー・スタークの人間性を掘り下げる内容だった。『アベンジャーズ』で負った精神的ダメージに、真正面から立ち向かっている人間くさいトニーは新鮮だったし、アイアンマンスーツ無しでの身体性のあるアクションも増えていて見応えがあった。

一転して、ラストバトルのスーツ取っ替え引っ替えでの目まぐるしいアクションも素晴らしかった。そして、メイキングも見て感動を増幅させたのだが、飛行機から落下する人々をアイアンマンが順番に助けていくアクションが最高だった。ダイナミックな映像にするためにスカイダイビングで撮るというアイディアを実現させる行動力・労力・製作費と、さらに、そこにうまくCGを当て込む技術を惜しみなく注ぎ込んで映画を作っている。その姿勢を知れただけでも感動できた。また、そのシーンは、「人は人を助けるために、命の危険があっても手を伸ばして繋げられる」という描写でもあって、人間の善性を信じる製作者の信念も感じられて、胸を打たれた。

 


7/2

アベンジャーズ』(ジョス・ウェドン監督)を久々に観た。

ここまでの作品をほぼ公開順に観てきたのに、登場人物達の会話からはまだ俺が知らない映画があるように感じられた。皆がお互いのことを知ってる前提で出会っているから起きた違和感らしい。お互いに『学習済み』もしくは『噂で知っている』というような状態は、なかなかうまいやり方だと感心したが、観客は彼らのお互いの理解度がわからないので、自然と話を補完しながら観ることになった。それはこの映画の欠点のようでもあるし、映画の残した余白にも見えた。

とりあえず、ロキの行動はよくわからなかった。明確な行動をするわけでもないのに、アベンジャーズに敢えて捕まった理由がわからなかった。我々をバラバラにするためだろう、我々を脅威に思っているのだろう、というアベンジャーズ側の解釈も変じゃないか。このロキの行動原理の不可解さのために展開を全く覚えていなかったし、今後も覚えられない。

しかし、監督はこの破茶滅茶な要素が多い構成をうまくまとめ上げてた。それにしても、アベンジャーズは最初からこんなに空気悪いシーン多かったのか。それも忘れていたが、しっかりとこの後の展開の予兆になっていた。

周りをぐるーっとカメラがドリーする中で皆が見得を切るシーンや、ワンカット風に皆のチームワーク感あるアクションを魅せるシーンは、やっぱり超アガる!これぞアベンジャーズ!そして、ハルクは役者だけじゃなくてキャラが変わり過ぎてた。今回、ホークアイのいぶし銀なカッコよさに気づいた。