2025年は16本しか観てないが、敢えて順位をつけるなら、
1位:『ワン・バトル・アフター・アナザー』
2位:『リンダリンダリンダ 4K』
3位:『リアル・ペイン 心の旅』
4位:『スーパーマン』
となる。
1位の『ワン・バトル・アフター・アナザー』は観た直後にはめちゃくちゃ興奮したのだけど、いろんな人の評が耳に入ってくる中で、少し揺らいでしまった。簡単に言うと『政治的にリベラルな人が好きそうな内容であり、なおかつ、この姿勢は現在の世界情勢に対して有効ではないのでは』という批判を耳にした。自分は娯楽映画寄りの見方をしていたため、そこまで気にならなかったが、もっと深くまだ感じ入ると、そういう視点もあったのだろうか。それでも、好きだった。
2位の『リンダリンダリンダ 4K』は、子供との鑑賞が個人的にとても感慨深い映画体験だったから。あの頃の私も今の私を見ていた。
3位の『リアル・ペイン 心の旅』は、その丁寧な描写で静かに心を打たれたから。泣かずにいられなかった。
4位の『スーパーマン』は、単純に娯楽作品として好き。やっぱりスーパーマンもジェームズ・ガンも好き。
12/8
『ブレイキング・バッド』(シーズン1)を今更見始めた。
12/14【16】
『ズートピア2』(バイロン・ハワード監督、ジャレド・ブッシュ監督)を観た。
引き続き最高でアガった。物語の根幹や形式としては1作目をなぞってる部分も多かったが、エンターテインメント性が上がっていた。その分、社会批評的な要素は後景化していた。このバランスの変更によってシリアスさが減ってはいるが、社会問題を考える第一歩として、より多くの人にリーチしているのかもしれない。観てすぐにアクションできなくても、潜在的に問題意識を埋め込まれた気がする。
例えば、ズートピアに爬虫類がいなかった問題は、何かの直接的なメタファーではなくても、とても普遍的な問題を扱っていて、アメリカ先住民の問題やパレスチナ問題を思い起こすことを起こし得る。爬虫類をWASP以外の人種が声優をやっていることからも、それは意図的だと感じた。
そして、そもそも大前提として、映画館で見るべきスペクタクルやアクションが盛り盛りだった。展開に次ぐ展開で、ノンストップでストーリーを進めながらハラハラドキドキさせ続けた。
ニックがジュディに先に心情を吐露するシーンは前作と対になっていた。
『レミーのおいしいレストラン』などのパロディもあったが、やはり『シャイニング』のパロディには笑った。どのパロディも軽やかな扱いで、その点も良かった。隣で見ていた子ども達も大喜びで、ここまで万人受けする作品に仕上げている点にも驚いた。
10/12【15】
『ワン・バトル・アフター・アナザー』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)を観た。
こういう映画を観たくて映画を観ているんだ、俺は!ずっと最高だった。ずっと爆笑していた。縦長で観たいシーンが多く、どうしてもIMAXで観られなかったことだけが残念。
常に何が起きるかわからない緊張感があるだけでなく、それだけでサマになる画面の連続で、それが映画の体裁を取っている異常さに慄く。
何と言ってもあのラストのカーチェイスの凄さ!見たこと無さすぎる!
脚本もすごい。原案となったピンチョンも読んでみたいが、ディカプリオが映画内の問題解決に何ら寄与しないのは、凄過ぎる。なんでこんな脚本になるんだ。ディカプリオとショーン・ペンが会うのはほんの一瞬だけ。それでも『家族愛』という普遍的なテーマだけに収斂していくのも面白い。各自が持つ情報は、共有されない部分が多く、その状態を保たせている点にも唸る。
それでも、どんなに変な状況でも、父親が子(人が人)を思う気持ちだけが存在していて、その尊さに胸を打たれた。
音楽は途中レディオヘッド過ぎる不穏な場面もあったが、かなり映像を煽るように鳴り続けていた。若干音楽が多過ぎる気はしたが、考えてみれば、『リコリス・ピザ』もそうだったか。
キャラクターの面白さも凄い。娘役のチェイス・インフィニティはその凜とした存在感が素晴らしいし、センセイ役のベニチオ・デル・トロはずっと変なヤツなのに只者ではない強者感を漂わせていて良かった。ディカプリオはカッコよくなくて活躍しないけど憎めない父親を、綱渡りみたいなバランスで演じていて、とても魅力的なことがすごかった。
9/22【14】
『木曜殺人クラブ』(クリス・コロンバス監督)をNetflixで観た。
名匠の仕事!ミステリーをこんなに気楽に見られるコメディに仕上げるのは流石。編集のテンポの良さと、キャラクターのわかりやすさがその秘訣だろうか。随所に『ハリー・ポッター』感や『ホーム・アローン』感があるのは、作家性というやつだろう。いや、音楽もジョン・ウィリアムズ感もあるような。おそらくイギリスらしいウィットやブラックユーモアは原作にあるのだろう。
9/22【13】
『劇場版『チェンソーマン』レゼ篇』(吉原達也監督)をIMAXで観た。
原作にある性的な欲望に明け透け過ぎる主人公・デンジの様子は、やはり観る人を選ぶだろうな、とは思うが、怒涛のアクションシーンがとにかく圧倒的で、キメ画もめちゃくちゃカッコいいし、映画館で観るべき迫力があった。レゼやデンジの戦い方のギミックもディテールも、原作にめちゃくちゃ付け足す形で表現されていて、飽きさせないように工夫されていた。『映画らしさ』を最大限伸ばしていた。
しかし、『鬼滅の刃』同様に物語の途中の映画化で、原作であれアニメシリーズであれ、『チェンソーマン』に触れたことがない人は観ないのではないか。映画から観る人がいたであろう『鬼滅の刃』が外れ値と考えるべきなのだろう。
9/11【12】
『国宝』(李相日監督)を観た。
これだけ激烈な高評価なのだから…と謎の義務感込みで観たのが良くなかった。事前情報を入れ過ぎたのも良くなかったのかもしれない。歌舞伎に関心が薄く、世襲制を疎ましく思っているのも良くなかったのだろう。それらの複合的な理由で、そこまで熱狂はできなかった。
莫大な制作費と、微に入り細に入りこだわっている美術には目を奪われるし、役者の演技もどれも迫真だった。特に吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、田中泯の演技は鬼気迫るものがあった。子役の二人も10代特有の美しさを湛えていて素晴らしかった。
しかし、彼らの演技に委ねるところが多過ぎるように感じた。歌舞伎の知識が無い私のような観客は吉沢亮の凄さを感じるためには、彼を観る人々のリアクションで判断するしかなかった。彼自身の歌舞伎の所作は「凄そう」なことしかわからなかった。ズームインが多いのはボロが出ないためであり、吉沢亮の顔を映すためなのだろう。
そして、長い原作を端折ったために、どうしてそうなったのかわからないシーンも多かったように思う。なぜ仲違いした人が、時間が経っただけで和解しているのか。そういう細かい疑問は多かった。
また、私はコントロールされきっていない映像に惹かれるので、この映画に向いていなかったのかもしれない。
唯一、演出で好きだったのは、吉沢亮と横浜流星が殴り合った後、それを車中で見ていた森菜々が狼狽えるシーンだった。吉沢亮が乗り込んでも車を出せない、という結末は感情を細かく表現していて良い演出だと思った。
8/24【11】
『リンダリンダリンダ 4K』(山下敦弘監督)を観た。
胸いっぱい。当時は映画館で観てないが、この映画を妻子と映画館で観るとは。そんな未来は想像できなかった。子供もそれなりに楽しんでいて、もう実写の邦画も楽しめるんだ、とちゃんと成長していることがわかった。
青春映画として普遍的な部分があることはわかるが、作品の端々に時代性も感じた。保坂和志が柴崎友香の『きょうのできごと』を『ストレンジャー・ザン・パラダイス』以降の作品として評した空気を思い出した。あの時代にはこういう空気の作品があったが、2025年とは問題意識がだいぶ異なっていて、ある種のファンタジーのようにも見えた。
この歳になって観て、当時の自分が彼女達の所作や会話の(いわゆるオフビートな)雰囲気に呑まれていたことがわかった。色々と演出の意図もわかった。例えば、ソンが一人で舞台に立つシーンが、本番での感じ方とのギャップを顕著に表現している点に驚いた。その一人の舞台のシーンも、単独で名シーンとして成立していた。韓国語の彼女は、皆といる時とはこんなにも別人だったのか。
最後の演奏シーンで校舎内の風景が切り取られているのも、年を取って観ると意味が強まっていた。あれは失われるのがわかっているから美しいシーンだったのか、と。刻一刻と失われていく少年少女の時代が、ドラマチック過ぎない映像に刻印されていた。
20年経つと、私は少女達には移入できず、顧問の先生役の甲本雅裕の立場で彼女達の青春を大事に見守りたい、という意識が強くなっていた。
何かを誰かと一生懸命頑張った、という経験が我が子にもあってほしい、と切に願った。
忘れられないシーンはいっぱいあるけれど、特に部室に映像を閉じ込めたようなレイアウトの中で、彼女たちが演奏する『僕の右手』の一瞬の輝きには、涙が出た。
7/27【10】
『『劇場版『鬼滅の刃』無限城編』第一章 猗窩座再来』(外崎春雄監督)を観た。
まずは無限城を観る映画。現実には存在し得ない空間が広大な奥行きを持って描かれている。この世界観を大画面で堪能できるのは、すごい映画体験。『ドラゴンボール』のアニメを思い出し、岩山みたいな背景ばっかりだったな、とか思うと、その発展には隔世の感がある。それを背景にした上で、天地左右がよくわからなくなる凄まじいアクションが展開されて、それもやはり凄い。
しかし、やはり長さは感じる。いくら何でも石田彰の語りが長過ぎる。原作通りだから仕方ないことではある。ここまでファンムービーが人気になっているというのはすごいことだ。
7/18【9】
『スーパーマン』(ジェームズ・ガン監督)を観た。
俺は結構スーパーマンという作品に触れて来たのだ、と気づいた。映画『マン・オブ・スティール』も観てたし、ドラマ『ヤング・スーパーマン』もアニメ『ジャスティス・リーグ』も結構観てたし、アメコミ『スーパーマン:アメリカン・エイリアン』も読んでいた。それらのいろんなユニバースで触れたスーパーマンはみんな繋がっていて、今作は様々な記憶を刺激した。
そして、あらゆるユニバースを凌駕して最もクリティカルだったのは、レックス・ルーサー!この最新のレックス・ルーサーが悪役として最高過ぎた。レックス・ルーサーはスーパーパワーを持ち合わせておらず、最高の頭脳だけを武器にするヴィランで、描き方によっては弱者として同情を買いかねない。『The BOYS』ならBOYS側を、『AKIRA』なら鉄雄ではなく金田を応援したくなるのと同じ道理だろう。そのキャラクター設定の難しさをひっくり返すほど、完全なヴィランとしての魅力に溢れていた。【スーパーマンを倒すこと】を社会的課題のように設定し、スタートアップ企業のカリスマのように振る舞う姿は、新自由主義の成れの果てのバグのメタファーとして、とてもクリティカルな表現だったし、最終的に人間(のようなもの)を格闘ゲームのように扱う姿も端的に彼の稚拙さを表していた。
テリフィックがレックスの基地に乗り込む際の表現は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』っぽくて、ジェームズ・ガン節を感じた。
クリプトの演技凄すぎない?犬は賢ければ駄犬を演じられるもんなの?
SNSに駄文を入力してる奴らが畜生であるという表現は、皮肉でもありつつ、監督の私怨もあるのでは、と疑った。
今回のスーパーマンは、ビジュアルが完璧でありながら、人間らしさを増していて超魅力的。どう見てもイスラエル・パレスチナ問題にしか見えない問題にも踏み込んでいて、監督の気概も感じた。
ヒーローは優しくなくてはいけない、という原則に立ち返っていた。























