2025年後半に観た映画の記録

2025年は16本しか観てないが、敢えて順位をつけるなら、

1位:『ワン・バトル・アフター・アナザー』

2位:『リンダリンダリンダ 4K』

3位:『リアル・ペイン 心の旅』

4位:『スーパーマン』

となる。

 

1位の『ワン・バトル・アフター・アナザー』は観た直後にはめちゃくちゃ興奮したのだけど、いろんな人の評が耳に入ってくる中で、少し揺らいでしまった。簡単に言うと『政治的にリベラルな人が好きそうな内容であり、なおかつ、この姿勢は現在の世界情勢に対して有効ではないのでは』という批判を耳にした。自分は娯楽映画寄りの見方をしていたため、そこまで気にならなかったが、もっと深くまだ感じ入ると、そういう視点もあったのだろうか。それでも、好きだった。

2位の『リンダリンダリンダ 4K』は、子供との鑑賞が個人的にとても感慨深い映画体験だったから。あの頃の私も今の私を見ていた。

3位の『リアル・ペイン 心の旅』は、その丁寧な描写で静かに心を打たれたから。泣かずにいられなかった。

4位の『スーパーマン』は、単純に娯楽作品として好き。やっぱりスーパーマンもジェームズ・ガンも好き。

 

 

12/8

『ブレイキング・バッド』(シーズン1)を今更見始めた。


12/14【16】

『ズートピア2』(バイロン・ハワード監督、ジャレド・ブッシュ監督)を観た。

引き続き最高でアガった。物語の根幹や形式としては1作目をなぞってる部分も多かったが、エンターテインメント性が上がっていた。その分、社会批評的な要素は後景化していた。このバランスの変更によってシリアスさが減ってはいるが、社会問題を考える第一歩として、より多くの人にリーチしているのかもしれない。観てすぐにアクションできなくても、潜在的に問題意識を埋め込まれた気がする。

例えば、ズートピアに爬虫類がいなかった問題は、何かの直接的なメタファーではなくても、とても普遍的な問題を扱っていて、アメリカ先住民の問題やパレスチナ問題を思い起こすことを起こし得る。爬虫類をWASP以外の人種が声優をやっていることからも、それは意図的だと感じた。

そして、そもそも大前提として、映画館で見るべきスペクタクルやアクションが盛り盛りだった。展開に次ぐ展開で、ノンストップでストーリーを進めながらハラハラドキドキさせ続けた。

ニックがジュディに先に心情を吐露するシーンは前作と対になっていた。

『レミーのおいしいレストラン』などのパロディもあったが、やはり『シャイニング』のパロディには笑った。どのパロディも軽やかな扱いで、その点も良かった。隣で見ていた子ども達も大喜びで、ここまで万人受けする作品に仕上げている点にも驚いた。

 


10/12【15】

『ワン・バトル・アフター・アナザー』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)を観た。

こういう映画を観たくて映画を観ているんだ、俺は!ずっと最高だった。ずっと爆笑していた。縦長で観たいシーンが多く、どうしてもIMAXで観られなかったことだけが残念。

常に何が起きるかわからない緊張感があるだけでなく、それだけでサマになる画面の連続で、それが映画の体裁を取っている異常さに慄く。

何と言ってもあのラストのカーチェイスの凄さ!見たこと無さすぎる!

脚本もすごい。原案となったピンチョンも読んでみたいが、ディカプリオが映画内の問題解決に何ら寄与しないのは、凄過ぎる。なんでこんな脚本になるんだ。ディカプリオとショーン・ペンが会うのはほんの一瞬だけ。それでも『家族愛』という普遍的なテーマだけに収斂していくのも面白い。各自が持つ情報は、共有されない部分が多く、その状態を保たせている点にも唸る。

それでも、どんなに変な状況でも、父親が子(人が人)を思う気持ちだけが存在していて、その尊さに胸を打たれた。

音楽は途中レディオヘッド過ぎる不穏な場面もあったが、かなり映像を煽るように鳴り続けていた。若干音楽が多過ぎる気はしたが、考えてみれば、『リコリス・ピザ』もそうだったか。

キャラクターの面白さも凄い。娘役のチェイス・インフィニティはその凜とした存在感が素晴らしいし、センセイ役のベニチオ・デル・トロはずっと変なヤツなのに只者ではない強者感を漂わせていて良かった。ディカプリオはカッコよくなくて活躍しないけど憎めない父親を、綱渡りみたいなバランスで演じていて、とても魅力的なことがすごかった。

 


9/22【14】

『木曜殺人クラブ』(クリス・コロンバス監督)をNetflixで観た。

名匠の仕事!ミステリーをこんなに気楽に見られるコメディに仕上げるのは流石。編集のテンポの良さと、キャラクターのわかりやすさがその秘訣だろうか。随所に『ハリー・ポッター』感や『ホーム・アローン』感があるのは、作家性というやつだろう。いや、音楽もジョン・ウィリアムズ感もあるような。おそらくイギリスらしいウィットやブラックユーモアは原作にあるのだろう。

 


9/22【13】

『劇場版『チェンソーマン』レゼ篇』(吉原達也監督)をIMAXで観た。

原作にある性的な欲望に明け透け過ぎる主人公・デンジの様子は、やはり観る人を選ぶだろうな、とは思うが、怒涛のアクションシーンがとにかく圧倒的で、キメ画もめちゃくちゃカッコいいし、映画館で観るべき迫力があった。レゼやデンジの戦い方のギミックもディテールも、原作にめちゃくちゃ付け足す形で表現されていて、飽きさせないように工夫されていた。『映画らしさ』を最大限伸ばしていた。

しかし、『鬼滅の刃』同様に物語の途中の映画化で、原作であれアニメシリーズであれ、『チェンソーマン』に触れたことがない人は観ないのではないか。映画から観る人がいたであろう『鬼滅の刃』が外れ値と考えるべきなのだろう。

 


9/11【12】

『国宝』(李相日監督)を観た。

これだけ激烈な高評価なのだから…と謎の義務感込みで観たのが良くなかった。事前情報を入れ過ぎたのも良くなかったのかもしれない。歌舞伎に関心が薄く、世襲制を疎ましく思っているのも良くなかったのだろう。それらの複合的な理由で、そこまで熱狂はできなかった。

莫大な制作費と、微に入り細に入りこだわっている美術には目を奪われるし、役者の演技もどれも迫真だった。特に吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、田中泯の演技は鬼気迫るものがあった。子役の二人も10代特有の美しさを湛えていて素晴らしかった。

しかし、彼らの演技に委ねるところが多過ぎるように感じた。歌舞伎の知識が無い私のような観客は吉沢亮の凄さを感じるためには、彼を観る人々のリアクションで判断するしかなかった。彼自身の歌舞伎の所作は「凄そう」なことしかわからなかった。ズームインが多いのはボロが出ないためであり、吉沢亮の顔を映すためなのだろう。

そして、長い原作を端折ったために、どうしてそうなったのかわからないシーンも多かったように思う。なぜ仲違いした人が、時間が経っただけで和解しているのか。そういう細かい疑問は多かった。

また、私はコントロールされきっていない映像に惹かれるので、この映画に向いていなかったのかもしれない。

唯一、演出で好きだったのは、吉沢亮と横浜流星が殴り合った後、それを車中で見ていた森菜々が狼狽えるシーンだった。吉沢亮が乗り込んでも車を出せない、という結末は感情を細かく表現していて良い演出だと思った。

 

 

8/24【11】

『リンダリンダリンダ 4K』(山下敦弘監督)を観た。

胸いっぱい。当時は映画館で観てないが、この映画を妻子と映画館で観るとは。そんな未来は想像できなかった。子供もそれなりに楽しんでいて、もう実写の邦画も楽しめるんだ、とちゃんと成長していることがわかった。

青春映画として普遍的な部分があることはわかるが、作品の端々に時代性も感じた。保坂和志が柴崎友香の『きょうのできごと』を『ストレンジャー・ザン・パラダイス』以降の作品として評した空気を思い出した。あの時代にはこういう空気の作品があったが、2025年とは問題意識がだいぶ異なっていて、ある種のファンタジーのようにも見えた。

この歳になって観て、当時の自分が彼女達の所作や会話の(いわゆるオフビートな)雰囲気に呑まれていたことがわかった。色々と演出の意図もわかった。例えば、ソンが一人で舞台に立つシーンが、本番での感じ方とのギャップを顕著に表現している点に驚いた。その一人の舞台のシーンも、単独で名シーンとして成立していた。韓国語の彼女は、皆といる時とはこんなにも別人だったのか。

最後の演奏シーンで校舎内の風景が切り取られているのも、年を取って観ると意味が強まっていた。あれは失われるのがわかっているから美しいシーンだったのか、と。刻一刻と失われていく少年少女の時代が、ドラマチック過ぎない映像に刻印されていた。

20年経つと、私は少女達には移入できず、顧問の先生役の甲本雅裕の立場で彼女達の青春を大事に見守りたい、という意識が強くなっていた。

何かを誰かと一生懸命頑張った、という経験が我が子にもあってほしい、と切に願った。

忘れられないシーンはいっぱいあるけれど、特に部室に映像を閉じ込めたようなレイアウトの中で、彼女たちが演奏する『僕の右手』の一瞬の輝きには、涙が出た。


7/27【10】

『劇場版『鬼滅の刃』無限城編』第一章 猗窩座再来』(外崎春雄監督)を観た。

まずは無限城を観る映画。現実には存在し得ない空間が広大な奥行きを持って描かれている。この世界観を大画面で堪能できるのは、すごい映画体験。『ドラゴンボール』のアニメを思い出し、岩山みたいな背景ばっかりだったな、とか思うと、その発展には隔世の感がある。それを背景にした上で、天地左右がよくわからなくなる凄まじいアクションが展開されて、それもやはり凄い。

しかし、やはり長さは感じる。いくら何でも石田彰の語りが長過ぎる。原作通りだから仕方ないことではある。ここまでファンムービーが人気になっているというのはすごいことだ。


7/18【9】

『スーパーマン』(ジェームズ・ガン監督)を観た。

俺は結構スーパーマンという作品に触れて来たのだ、と気づいた。映画『マン・オブ・スティール』も観てたし、ドラマ『ヤング・スーパーマン』もアニメ『ジャスティス・リーグ』も結構観てたし、アメコミ『スーパーマン:アメリカン・エイリアン』も読んでいた。それらのいろんなユニバースで触れたスーパーマンはみんな繋がっていて、今作は様々な記憶を刺激した。

そして、あらゆるユニバースを凌駕して最もクリティカルだったのは、レックス・ルーサー!この最新のレックス・ルーサーが悪役として最高過ぎた。レックス・ルーサーはスーパーパワーを持ち合わせておらず、最高の頭脳だけを武器にするヴィランで、描き方によっては弱者として同情を買いかねない。『The BOYS』ならBOYS側を、『AKIRA』なら鉄雄ではなく金田を応援したくなるのと同じ道理だろう。そのキャラクター設定の難しさをひっくり返すほど、完全なヴィランとしての魅力に溢れていた。【スーパーマンを倒すこと】を社会的課題のように設定し、スタートアップ企業のカリスマのように振る舞う姿は、新自由主義の成れの果てのバグのメタファーとして、とてもクリティカルな表現だったし、最終的に人間(のようなもの)を格闘ゲームのように扱う姿も端的に彼の稚拙さを表していた。

テリフィックがレックスの基地に乗り込む際の表現は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』っぽくて、ジェームズ・ガン節を感じた。

クリプトの演技凄すぎない?犬は賢ければ駄犬を演じられるもんなの?

SNSに駄文を入力してる奴らが畜生であるという表現は、皮肉でもありつつ、監督の私怨もあるのでは、と疑った。

今回のスーパーマンは、ビジュアルが完璧でありながら、人間らしさを増していて超魅力的。どう見てもイスラエル・パレスチナ問題にしか見えない問題にも踏み込んでいて、監督の気概も感じた。

ヒーローは優しくなくてはいけない、という原則に立ち返っていた。

2025年後半に読んだ本の記録

なるほど、わたしはこの半年、小説を読み切っていないらしい。なぜだ?わたしは今は物語を必要としていないのか?元々、わたしは小説しか読めない人間だったのに。不思議だ。

あの頃のわたしと、今のわたしは違う人なのだな。

まあ、いいんだ。何でも読むんだ。どんどん読むんだ。

 

12/21

『僕らは戦争を知らない』(監修 小泉悠)を読み始めた。

 


2025/12/19

『乳と卵』(川上未映子)を読み始めた。

乳と卵

乳と卵

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11/15〜12/18【15】

 『風雲摩天楼秘帖』(山下洋輔)、読了。

ニューヨークを闊歩し、ジャズクラブで演奏したり、レコーディングしたり、酒を飲んだりしながら、飄々と過ごす日々の記録。読みながら頭に浮かんだ言葉は、『軽妙洒脱』。交友録の趣きもあり、ジャズ界隈の有名人の名前がチラホラ出て来るが、その描写に深刻なものは無い。淡々と渡り歩くだけ。

先日、山下洋輔が今年で演奏を辞めるらしい、という噂を聞いて、とある公演を見ることになった。そのための予習として、人から貰い受けて積読してあった本書を読んだ。想像よりも怖い人じゃなかった。海外進出した日本人ジャズピアニストの先駆者であり、燃えるピアノを演奏したりしたアバンギャルドなミュージシャンだという印象だったが、この本からはそんな要素は感じられない。

例えば、スペインのハモンセラーノという生ハムに狂ったようにハマってしまう話などは、その熱狂ぶりに大いに笑った。その辺りの軽やかなユーモアは、タモリや菊地成孔に継承されているのを感じた。

一方で、筒井康隆との影響関係は興味深かった。ジャズで繋がる部分は想像できたが、途中妙に文体が彼に似てる場面があったり、彼から筒井康隆に文体のアイディアを提供したという話もあって、想像以上に密接だった。当時のジャズ界隈を知るのに良い資料でもあった。

 


11/9〜11/13【14】

『地球と書いて<ほし>って読むな』(上坂あゆ美)、読了。

著者は、短歌集やポッドキャストと矛盾無く、そのまま真っ直ぐ最短で世界の芯を捉えようとする。そして、あとがきでも書いてあるが、その嘘の無い言葉での予告剛腕右ストレートが、恐ろしくも、どうにも面白い。

内容としては、短歌集でも仄めかされていた『パンチが効いてる家族』がテーマの話が多い。著者はその環境の影響を強く受けているのだろう。その経験が培った考え方の話もある。

作家が歌人であるゆえの構成だろうが、『エッセイ』→『それにまつわる短歌』という流れで話を締めるやり方もカッコいい。そして、常に短歌にも文章にもハイレベルな読みやすさとわかりやすさが備わっている。

 


10/25〜11/9【13】

『ありえない仕事術』(上出遼平)、読了。

ポッドキャスト番組『奇奇怪怪』で「この本には、仕掛けがある」と聴いて、気になって購入した。

上出遼平という人物の仕事を見ていて、単純なビジネス書を書くとは思えなかったが、ここまで変わった仕組みの本を出すとは思わず、素直に驚いた。ビジネス書の体裁を取っているのは序盤だけで、途中から上出氏の仕事の事例紹介のような体裁の文章が始まる。ジャンルで言うとノンフィクション小説のような文章なのだが、読んでいくうちに「あれ、これは読むモキュメンタリーかも」と半信半疑になっていく。序盤のビジネス書的リアリティも効果的で、その文章全体が生々しいのだが、徐々にこの文章のジャンルは曖昧になる。途中は感動的なドキュメンタリーの要素が強かったはずなのに、最後にはサスペンスにすり替わっていた、という調子だった。俺は何を読んでいたのか、という驚きと混乱が楽しかった。筆者の感情を伝える技術も巧くて、その変容するジャンルに合わせて適切に言葉を使っていた。

『ビジネス書は筆者自身が正しいと思うことを伝えるのが前提である』という構造を利用していて、どんどん筆者の考えと自分の気持ちが乖離していく体験がありえなくて、初めての奇妙な感覚を体験した。

 

 

9/23

 『マンガ 統計学が最強の学問である』(原作・解説 西内啓 漫画 うめ)を読み始めた。

 

 

9/10〜10/25【12】

『ほんとうのことは誰にも言いたくない』(ヤマシタトモコトモコ)、読了。

ほとんど『違国日記』しか読んだことない状態で楽しめるかな、という懸念は杞憂だった。読んだことのない作品についての解説・語りが、それだけで成立するくらい面白く読めた。インタビュアーの方の知識量と事前準備がちゃんとしてるから、というのと、そのインタビュアーの方はヤマシタトモコ氏がリラックスできる相手らしい、という点がこのインタビューを成立させていた(確認したら、よしながふみ氏の本でも仕事をしていた。なるほど)。

色々と知らない考え方を知った。驚いたのは、二次創作とBLの2点についてだった。

二次創作が創作の練習のためのキットのようなもの、というのは考えたこともなかった。確かに、用意してある設定を使った練習になるのだ、と考えれば、その分野から新人が出てくるのも納得できる話だ。

BLという分野が、現実の社会状況と違って、女性が性的な対象から外れているから読みやすいというのは、何かで言及しているのを読んだことがあったので、BL雑誌が女性を描くのを嫌がるという話は普通に納得した。だから、BLは男性が擬似的に性的に搾取・消費される対象である点が、男性である私にとって読みづらい原因だったのか。また、BLにおける性行為が男性性を崩壊させる行為になる場合もあるという点にも気づきがあった。

それでも、ヤマシタトモコ氏は人と人の感情の交換を描いていることが多く、それはジェンダーに関わらない地平を目指しているようにも思えた。多くの作品に通底する「人と人はわかりあえない、それでも」というテーマには強くうなずいた。平田オリザ氏の『わかりあえないことから』も思い出した。

 

 

9/1〜9/10【11】

『ルポ特殊詐欺』(田崎基)、読了。

なぜこの本を手に取ったのか、と言えば、社会の闇への下世話な好奇心を掻き立てられ、『闇金ウシジマくん』を読む時のような気持ちで買ったのではなかったか。浅はか過ぎた。特殊詐欺は全く他人事では無く、自分の生活と隣り合わせだった。多くの場合が、金欠・貧困をきっかけに巻き込まれていくが、その過程の克明な描写には息を呑む。この本で紹介される人の殆どが、軽はずみに「闇バイト」などと検索しただけなのに、どんどん抜け出せなくなる。ちょっとした軽犯罪を犯すことは意識したのだろうが、いつの間にか強盗などの暴力を行使する犯罪行為にまで発展してしまう。読んでいるとその流れは必然なのだが、その抜け出せなさがどんどん恐ろしくなる。自分の子供が陥らないようにするにはどうすれば良いのか。SNSやアプリを巧妙に駆使して全体像を掴めない手法には、得体の知れない恐ろしさを感じる。結局のところ、ヤクザが絡んでいることが多いという話も含めて、その闇の深さは全貌が見えなかった。

 


6/4〜8/31【10】

『あらゆることは今起こる』(柴崎友香)、読了。

自分のADHD的特性が気になることが増え、作品や作家にその特性があると惹かれる。柴崎友香がADHDだと診断されていて、このタイトルの本(ADHDに着想を得ている映画『エヴリシング・エヴリウェア・オール・アット・ワンス』からの引用に違いないと思ったが、厳密には違うようだった。本の中でこの映画も言及はされている)を出すと知って買わずにはいられなかった。帯に書いてある『ある場所の過去と今。誰かの記憶と経験。出来事をめぐる複数からの視点。ーそれはわたしの小説そのものでもある。』という煽り文句も素晴らしい。私が柴崎友香にいつも惹かれているのはまさにその部分であり、その混濁したような感覚を味わうために読んでいたのだ、と気づいた。

その前提で読み進めると、先に述べた彼女の世界の解釈の種明かしのような部分を楽しみつつ、柴崎友香本人が生活の中で抱える苦しさと可笑しさが、リアルに迫ってくる。今回の文体には、そのADHD的感覚をリアルに反映させていて、あらゆることが今起こったかのように、括弧を駆使しながら話が脱線を繰り返す。『ADHDあるある』みたいな話は、笑いながら読める部分もあるけれど、やはり人によって症状はかなり異なるようで、柴崎友香の挙げる特性は『ないない』ばっかりで、私の特性は軽度で生活に支障を来たす程ではないのかも、と改めて考えた。

 

 

5/15

『あさつゆ通信』(保坂和志)を読み始めた。

 

omoide in my Radiohead

1月某日、イヤホンで音を聴き流しながらランニング。耳に流れていたのは、アプリのタイムフリーで聴いていた深夜ラジオ。温暖化のせいか、毎年来ている最強寒波は年々弱体化してる気がするが、この日はちゃんと寒かった。冷たい空気を吸い込むと、胸の奥が刺すように痛む感じがした。その瞬間、ガッと記憶が呼び起こされた。小学生の頃、毎年校外をぐるっと回って走るマラソン大会というものがあり、その頃走っていた時の記憶が、気持ちと一緒に帰ってきた。父親が沿道で私を見ていた年があって、家に帰ってから何かを馬鹿にされた記憶がある。当時は、冷やかしやがって、と多少腹立たしかったが、後に彼が撮っていた私の写真を見ると、それも致し方ないと思うくらい不恰好に走る私の写真が写っていて、残念ながら父の態度に納得するところがあった。しかし、2026年に父である私が思い返すに、あれは照れ隠しだ。あの人は息子との接し方をよくわかっていなかった。私はもっとストレートに子どもに愛情を注いだ方が良い、とわかっている。そして、耳の中のラジオで流れ始めたRadioheadの『Let Down』。うっ、と胸に痛みに似た疼きが起きた。あのギターのイントロが新たな記憶と気持ちを引っ張ってきた。大学生の時によく聴いていたアルバムに入っていた曲。あの頃のとにかく何者でも無かった私。父でも無かった。私は走りながら、もがくように両手を前にぴんと伸ばしたが、その行為に何の意味も無かった。その時の私も、ジタバタと不恰好に走っているだけだ。

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2025年前半に観た映画の記録

振り返ると、この半年、割と話題作は観ていたが、やはり少数精鋭にはなっていた。

その中でも、ベストは『リアル・ペイン』だった。あの繊細な心の動き…!今後、ジェシー・アイゼンバーグ監督作は可能な限り追いたい!

 

5/16

『マーベル/デアデビル』(シーズン1)をディズニー・プラスで観始めたが、途中で止まっている。


6/6【8】

『ミッション・インポッシブル ファイナル・レゴニング』(クリストファー・マッカリー監督)を観た。

トム・クルーズはヤバすぎる。劇場版『名探偵コナン』を観て、なるほど実写でできないアクションをアニメでやってるわけね、とか訳知り顔で思ってた俺は浅はかで、実写でアニメのアクションを超えてくるトム・クルーズはやっぱりクレイジー過ぎる。

もちろん、冒頭で過剰に説明的に前作からの流れをおさらいしたり、途中で『回想映像』に加えて物語上起きる可能性のある『予測映像』を入れ込んだりして、観客を混乱させる演出も多々あったし、過去作の総決算的な演出も多かった。それらが本当に必要だったのかどうかには、多少疑問はあった。

でも、トム・クルーズが身体を張って伝えてくれるスペクタクル映像には、手に汗握らずにはいられない。

映画から伝わる身体性や実在感は、今後も必要な要素であり続けるだろうか?

 


5/18【7】

『マインクラフト・ザ・ムービー』(ジャレッド・ヘス監督)を観た。

想像してたよりハチャメチャで終始爆笑した。特にジャック・ブラックジェイソン・モモアのおじさんコンビのはしゃぎっぷりが、不条理ギャグのごとき激しさで凄まじかった。

先入観もあるだろうが、気まずいやり取りのシーン、愛すべきダメ人間の姿、問題解決シーンで晴れやかに流れる音楽などからは、『ナポレオン・ダイナマイト』を感じた。『ジュマンジ』や『ジュラシック・パーク』的な脚本だが、程よく展開の因果関係に飛躍があり、そのいいかげんさが全体の笑いやすいテイストを規定していた。

吹き替えで見たのだが、子供たちは特定のYouTuberの決め台詞で爆笑していた。ちゃんと子供たちのための映画だった。

 


5/4【6】

名探偵コナン隻眼の残像(フラッシュバック)』(重原克也監督)を観た。

まず、上映に辿り着くまでの日記を記録しておく。

その日、子どもが体調を崩して、一人で見に行くことになった。

そうなってくると、「行くべきなのか」という疑問も湧き上がってきたが、結局、チケット代を少しでも取り返そう、ということで電車で向かった。そして、降りなきゃいけない駅を盛大に寝過ごした。

慌てて別経路で向かいながら、何度も帰宅を検討した。それでも、どうにか本編の上映間際に滑り込んだ。

自分の席は左端にあり、真ん中の通路から何人もの前を通って向かうしかない位置にあった。気づいた時にはゲンナリしたが、幸い席は通路のすぐ前にあったので、背もたれの後ろから席を乗り越えて座ろうと考えた。しかし、その席まではかなりの高低差があり、塀のようになっている手すりを飛び越えなければならない。

一瞬の逡巡の後、プロレスラーがリングロープを飛び越えるように、手すりを飛び越えて席に座った。ドキドキした。コナンの登場人物みたいだった。

 

いざ観始めた本編は、今までで観たコナン劇場版で一番脚本に力が入っていて、謎が増え続けて解決に向かわない時間が長過ぎてドキドキし続けた。途中では、え?ちゃんと終わるの?という心配が勝った。一方で、表情が変では、と思うシーンが多い点は気になった。大和勘助が死んでるかもしれない状況でうっすら笑ってるコナンや、人が死んでるのにのんびりした表情の観測所のおじさんや、自分の正義感振りかざす系の犯人がなぜか途中で犯罪楽しんでる系の表情だったのも、ミスリードなのか?

犯人が犯人タイプじゃない見た目だったのは上手かった。

蘭が故事成語を得意過ぎるのは笑った。そのせいでコウメイの面倒臭さが際立っていた。

それにしても、上映直後、観客がこんなに感想言い合ってる映画を久々に観た。それはやっぱり感動的だった。

さらに余談だが、TOHOシネマズ日比谷で見たら近所にある日比谷公園が出てきてめっちゃアガった。

 


5/1【5】

教皇選挙』(エドワード・ベルガー監督を観た。

おそらくキリスト教の原理原則を揺るがすタブーにも踏み込んでるのだろうが、ピンとこなかった。信心深い人や軽くでもキリスト教信者だと、ショッキングなのかもしれない。総じて、「聖職者も聖人ではない、という内容だろう」という予想が大まかに当たっていて、そこまで驚くことはなかった。

撮影自体は基本を抑えた丁寧な印象で、特筆すべき点も無かったが、美術のディテールが非常に細かく作り込まれていた。そのディテールをどうやって作り上げたのか、という点が一番気になった。本の原作があるらしいが、コンクラーベの詳細は一般人が知り得る情報なのだろうか?どうやってあそこまで細かく調べたのだろう?という背景が一番気になる作品だった。

教皇が亡くなって話題になって動員増したということもあるが、パンフレットが売り切れていたのは、同じように感じた人が多かったからだろう。

音楽は弦楽器が緊張感を表していたが、多用し過ぎていて煩く感じた。

 


4/17【4】

『ミッキー17』(ポン・ジュノ監督)を観た。

マンガ以上に過剰なデフォルメしたキャラクターと、現代社会への警鐘・皮肉・風刺たっぷりで物語に落とし込む手腕に『スノーピアサー』を感じた。原作があるSFだからそういうことが起きるのか、ソン・ガンホ不在だとリアリティラインが下がるのか。人間がプリンターで複製される姿は、3Dプリンターで作る培養肉などを想起したし、現在の延長線上にあるのを感じた。

ロバート・パティンソンはすごく頑張ってて、キャラクターが微妙に異なるクローンという設定を見事に演じ分けていたし、スタントがいるように見えない転ぶシーンにはめちゃくちゃ驚いた。

 


3/9【3】

『野生の島のロズ』(クリス・サンダース監督)を観た。

3DCGでしか表現できない美しい世界が、この映画で初めて提示されたのでは。リアルでありながら、色彩豊かに微細な表現が施されたその世界に目を奪われ続けた。

アニメーションの歴史に、真正面からしっかり向き合っていた。まず、ロズのデザインには『天空の城ラピュタ』のロボット兵のイメージが入っていたし、『ウォーリー』っぽさもあった。自然と科学の対比にはジブリっぽいテーマ性も感じたし、孤独なロボットのイメージからは『アイアン・ジャイアント』を想起した。動物的でありつつ、面白おかしく振る舞う動物達には、ディズニー的なキャラクター性も注入されてた。

食べる側と食べられる側であるという野生のルールを踏まえた上で協調する姿は、『ライオンキング』が子供騙し的に無視した部分であり、そこに向き合っている時点で、かなり真摯な作品だった。それらの設定を前提とした上で、ちゃんと胸踊るアクションシーンがあり、そのバランスが素晴らしかった。

 


2/10【2】

『リアル・ペイン〜心の旅〜』(ジェシー・アイゼンバーグ監督)を観た。

キーラン・カルキン演じるベンジーの純真無垢な魂が胸を打った。生きることとセットになる罪悪感や居心地の悪さは、誰しも普段は感じないようにしているのでは。私が居心地良く過ごしている間、世界には辛い思いをしている人がたくさんいる。と考え始めると、とにかく辛い。寄付でもして気を紛らわせるしかない。

観客は、デイヴとベンジーのやり取りを眺めつつ、ポーランドでのホロコースト観光ツアーに帯同して体験するようにして、映画を観ることになる。その淡々とした撮影はツアーの説明映像のようだ。ホロコースト観光ツアーという存在自体の気まずさや難しさと、二人を中心としたツアー参加者のぎこちなくも繊細な気持ちの交換を、とても大切なものとして描いていて、何度か涙が出た。

回想は無く、サントラはほぼショパンピアノ曲のみ。堂々とした出来だった。

 


1/26【1】

『機動戦士Gundam GQuuuuuux -Biginning-』(鶴巻和哉監督)を観た。

ほとんど前情報無しで観ることに成功し、始まった瞬間に「え?オリジンかな?再上映?上映館間違えてる?」と心配になったが、途中で「あ、やられた。シン・ガンダムだ」と気づき、後半になって「いや、ちゃんと新しいガンダムだ」となり、アニメーションの楽しさを堪能できて嬉しくなった。

ガンダムシリーズで聴いたことの無いようなビート強めの音楽がアゲてくれる中、ガンダムも主人公も躍動する。

後半に登場するキャラクター達のすっきりした現代的デザインも新しくて、主人公の色鮮やかな瞳は印象的だった。後半と前半でスムーズにキャラデザを移行させていたのも上手かった。『水星の魔女』というジェンダー問題がガッツリ組み込まれた作品の後だから、こういうバランスでも良いのだろう、とも感じた。主人公はたまたま女性であるような感じで、本質的には少年マンガの主人公っぽくて、その感じも面白かった。

ガンダム正史を覆す設定は、ちゃんと説明がされるのか、が心配な作品ではあった。パラレルワールドでも良いが、パラレルワールドである説明は、夢オチ以外にあり得るのか。

2025年前半に読んだ本の記録

今回は色々読んだ。

こうやって並べると、「ちょっと興味があるな」くらいの本を結構読んでいる。家には積ん読本もたくさんあるけど、それらをスルーして読んだ本も多い。その事実について考え始めると「はて?どれも読みたくて買ったはずだよな?なんでこっちを読まずにそっちを読んだんだ?え?あれ?俺が本当に読みたい本って何だっけ…?」という思考の穴に堕ちていく。

だから、選書について深く考えるのはやめる。

 

 

2024/10/16〜2025/5/31【9】

『わかりやすさの罪』(武田砂鉄)、読了。

ポッドキャスト番組『奇奇怪怪』の話し手の一人であるTaiTan氏がしきりに「良いあとがきを書いた」と自負していたので、買ってみた。

本編自体は、回りくどく迂回しつつ、いろんな形で同じような内容を反復しつつ、なるべく断言を避けながら、『わかりやすさ』が隠蔽したり省いたりしてしまうものを見つめ続ける奮闘の記録文の連なりだった。その粘り強い思考の挑戦を存分に楽しんだ。

最も心に響いたのが、『わかりやすさ』と『雑さ』が共犯関係になることがあることが書かれた部分で、その論考には世界を啓かれたような気持ちになった。わざと雑にして、わかりやすさでゴリ推しするやり方は見たことがある。

わかりやすい=良い=スマートである、とは思わないように、と改めて肝に銘じた。

それと、確かにあとがきも結構良かった。

 


2024/6/6〜2025/5/26【8】

『ショットとは何か?』(蓮實重彦)、読了。

1年ほどかかったが、殆どは寝る前に読み進めた。寝落ちすることはなかったが、ちょっと読むだけで眠くなるので、睡眠導入本としては大変良かった。カッコいい文章が並ぶのだが、言っていることが難しくて眠くなる。

タイトルの通り「ショットとは何か?』が気になって買ったのでその問いへの解説本を期待していたが、主に著者へのインタビュー本(聴き起こし)となっていて面食らった。前半は昔話ばかりで退屈に感じた。流石に古過ぎる話だし、重要な映画監督や作品の名前が出て来ても理由がわからなかった。後半になって、映画のワンシーンを文章で説明する描写が増えて面白くなってきた。その筆力が圧倒的だった。

演出の映画と撮影の映画があるという分析にもたいそう感銘を受けた。

結果的に『ショットとは何か?』の回答らしきものもいくつか拾えた。以下、引用である。

「(トリュフォーの『ピアニストを撃て』で、マリー・デュボアが撃たれたショットについて)ショットとは、この撃たれたばかりの若い女性の遺体の雪原の斜面の滑走という不意の運動感にほかならず、画面のサイズとは無関係なものだ。(中略)この空間の流れるようなフィルムへの同調ぶりが、たまらなかったのです。」(p60)

 

「映画を見ることとは、スクリーン上に、異なるショットとして展開される視覚的な要素の連鎖を、そのつどそれと認識する作業につきるものではありません。すでに見たことのあるショットに触れることで、そこには描かれていない物語のしかるべき展開を認識するという想像作業が絶対に必要なのです。」(p137)

 

「映画におけるショットを語る場合、そこに表象されている抽象的な構図だけではなく、それぞれの画面の主題論的な統一が何によって維持されているのかを見てみる必要があります。」(p139)

 

「ショットとは、何よりもまず「厳密」なものです。それは、たんにその被写体の機械論的な再現にまつわる「厳密」さのみを意味しておりません。」(p223)

 

「ショットとは、このわたくしのエッセイの題名にふさわしく、その「寡黙な雄弁さ」によって、あるいは「雄弁なる寡黙さ」によって、見る者を動揺させるものだというべき時がきているのかもしれません。」(p269)

まとまっているのだろうか。意見に一貫性はあるような気もする。言い回しは変われど、同じものを捉えようとしているのではないか。

結局、ショットとは何か、はよくわからないままだが、興味深い概念であるという思いは継続している。

 


5/12〜5/13【7】

『迷宮教室 出口のない悪魔小学校』(作:あいはらしゅう/絵:肘原えるぼ)、読了。

小学校のクラスで少し話題になったらしく、急に長男がハマったので読んでみた。他者を陥れることなく、仲間と協力しつつ、強大な敵に立ち向かうタイプの、直接的には死が無いデスゲームだった。メインテーマに友情を据えていて、やはり人が死ぬ(作中ではカゲアクマになる)瞬間に起きる強い感情に、揺さぶられるのだろう。それは『バトル・ロワイヤル』にあった要素と通底していて、『フォートナイト』が人気ゲームであることとも繋がっているように感じた。

漫画のコマ割りみたいに文章と絵を交互に入れてエモさを強調する手法には驚いた。

全国トップレベルのスポーツ選手や有名人っぽい奴らがクラスに集まる中で、主人公は機転が利く賢さがあり、他者に優しいというだけでリーダーとなっていた。そのギリギリ読者が模範として目指せるキャラクターになっている点は、エデュケーショナルに感じた。

 


4/18〜5/11【6】

『世界最高のチーム グーグル流「最少の人数」で「最大の成果」を生み出す方法』(ピョートル・フェリクス・グジバチ)、読了。

普段は実用書やビジネス書の類を全く読まないのだが、そのことを妻に軽く話したら、想定よりも馬鹿にされて、売り言葉に買い言葉で「ああん…?」と今にも取っ組み合いになるほど揉めた…ということは無いが、じゃあ、読んでやるよ、と妻が例示したこの本を読んだら、なるほど!やる気とか元気は出る!

『マネジメントというのは、チームのメンバーの心理的安全性を確保すること』という絶対的な原則が繰り返し語られる。「月1回1on1でミーティングする」や「こう言われたらこう返答する」みたいに、様々なレベルで具体的な方法が簡潔にわかりやすく説明されていて、俺もこうやろう、とか思える。

しかし、なかなかうちの会社ではハードル高いな、とも思っていたら、あとがきで会社や国に合ったやり方があるので、それに合わせれば良い旨の補足があり、そこでは飲みュニケーションも一例として否定はされていなかった。この心理的安全性の確保のためにはコーチングという概念も重要で、どのようなリーダーになり、どのようにメンバーと接すれば良いのか、の指針となり得る。

初版が2018年なので状況は少し変わってるかもしれないが、普遍的に大事なことも書いてある気がする。

余談だが、この本を見た時、誰が訳したんだろう、と思っていたら著者本人が日本語で書いたらしかった。すごい。

 

 

3/30〜4/11【5】

『イルカも泳ぐわい。』(加納愛子)、読了。

エッセイ集なのだけど、最初から小説的な萌芽を感じて不思議な味わいだった。コントのようなフィクションパートにシームレスに入る文章が多いからだろう。そのため、最後に小説が入ってることもすんなり納得できたが、それが標準語で書かれていることには若干違和感が残った。殆どが関西弁で書かれていて、そのリズムからか文体からか町田康を感じることも多々あったからだろう。芸人であることがベースで書かれていて、その不思議さも可笑しさも堪能できた。

ふわちゃんの解説はいつものふわちゃん節ではありつつ、著者の面白さの源泉を紐解くような内容でとても良かった。

 


3/28〜3/29【4】

『老人ホームで死ぬほどモテたい』(上坂あゆ美)、読了。

ポッドキャスト番組『奇奇怪怪』で著者を知り、その異様に明晰かつファニーな言動に興味を持ち、彼女自身のポッドキャスト番組『私より先にていねいに暮らすな』を聴いた。その番組で、明け透けな言葉と、微細な心の動きや微妙な現象を言語化する力に、すっかり心奪われた。本人が言っていたさくらももこの影響の強さもわかる。それで、この代表作の歌集を手に取り、一つ目の短歌を読んで、購入を決めた。

『ばあちゃんの骨のつまみ方燃やし方YouTuberに教えてもらう』

とにかく身も蓋も無いことをまっすぐ言うことがある。その素直さに笑ってしまう。多くの歌の意味がわかりやすく、理解に迷う短歌も少ない。そして、地方都市特有の閉塞感をパッケージしてる短歌も多くて、ノスタルジーとシンパシーに胸がいっぱいになる。その代表として挙げるなら

『ラーメンとユニクロイオンあとバッセン果てない灰色の通学路』

だろうか。読んだ瞬間、「あっやられた」という悔しさもあった。俺が詠むならパチンコと駐車場を入れたい。

また、全体の構成としてダイアリー的に作られているところがあり、おそらく実際に私生活で起きた変化についての歌が、少なくとも途中までは時系列通りに並んでいる。その物語性が本自体の読みやすさを強化していた。一番好きな歌は

『借金をしたまま死ぬと返済の義務が子どもに生じるらしい』

法的な事実を述べただけの文が五七五七七になっているという点がとても良くて、視点を変えただけで世界が変わる驚きを感じるが、結局歌自体にある明け透けな可笑しさにやはり強く惹かれた。

 


3/17〜3/28【3】

『数は無限の名探偵』、読了。

子供が算数・数学に興味を持つように促すような児童書で、「自分の息子に読ませたいな」という目論見のもと、試しに読んでみた。

算数・数学を題材にしたミステリ小説集を想像していたが、ファンタジー要素が入ってくるものもあり、なかなかバラエティに富んでいた。残酷な描写も無く、子供が楽しめる謎解きくらいの物語だった。かなり個性的なキャラクターの探偵役が出てくる話もあるので、独立したシリーズにしても良さそうだった。

読者の対象年齢については少し疑問に感じた。数学や算数の難しさは中学生レベルだが、書かれている小説部分の物語の易しさは小学校中学年くらいのレベルに感じられいるような気がした。

それもあって、うちの子どもが読むかどうかはわからない。小学校高学年でギリギリ楽しめるかどうか、と言う感じだろうか。

 


1.7〜3/14【2】

『トム・ゴードンに恋した少女』(作:スティーブン・キング/訳:池田真紀子)、読了。

『少女が森で迷子になり、サバイバルする』というほぼワンシチュエーションのワンアイディアの小説。それなのに、読者を飽きさせないスティーブン・キングの筆力とサービス精神に感動した。

彼は相変わらず少年少女を容赦無く窮地に追い込む。その真骨頂はトリシアがお腹を壊す描写でよく顕れている。胃腸炎の描写をここまで死に近づけて仔細にわたって描く小説を他に知らない。また、緊張感を持続させるための装置としての、現実なのか幻覚なのかわからない得体の知れない存在の入れ方もさすがの上手さだった。

わざわざ90年代を描いているのはキングのこだわりだろう、とか思ってたら、アメリカで出版されたのが99年で、最近日本で改稿したらしい。ジャケットのイラストがキャッチー過ぎて思わず手に取ったので、編集者の手腕にまんまとやられていた。後で気づいたのだが、イラストを描いたサイトウユウスケ氏の作品は前から好きで、彼のマンガも買っていたし、彼が描いた映画のイラストも気に入っていた。

 


2024.12.15〜2025.1.6【1】

『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』(小原晩)、読了。

居場所の無さを感じる人の、寂しくなるエッセイが多かった。その侘しさを笑ってしまって良いのだろうか。笑うしかないという行き詰まり感もあった。この寄る辺無い感覚は東京特有のものだろうか?時折挟まれる短歌もそうだが、詩的な文章が多く、論理の飛躍を感じることもあった。

あまりにエピソードがバラエティに富んでいて、変わった人物が多々現れるし、筆者の住所も職場も変わるので、途中から「あれ?これって実際の出来事じゃないのかな?」と思うことがあった。考えてみれば、エッセイだからといって、本当の事でなければいけないわけでもない。いや、でも、全てフィクションのエッセイを読む気にはならないかも。原理としてラジオのエピソードトークに似ていて、全て嘘だと読みづらいかも。

あれ?じゃあ、俺はエッセイに何を求めている?美しい言葉?爆笑エピソード?新しい視点?エッセイを読む意味とは?本当のことが知りたいのか?

本当のことを本当のことらしく書くのも、そんなことを気にさせないのも、技術・筆力・腕力だったのか、と知った。

 



 

2024年後半に観た映画の記録

今年も全然観てない! 半年で4本!ひょえー!

いや、仕方ないのだ。

なんか忙しかったのだろう。

 


10/29【12】

『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(アレックス・ガーランド監督)を観た。

凄まじかった。架空の(まだ現実で起きていない)戦争の描写に、異様な説得力を与えている。戦争状態では人が人を簡単に殺すようになってしまう。その事実がはっきりと刻印されている、戦争映画の新たな名作なのでは。『地獄の黙示録』を思い出したし、『フルメタル・ジャケット』も連想できる。

凄惨すぎる映像の中で、美しい自然を捉えた写真のような映像は逆説的に人間の愚かさを照射し、報道写真のようにクリティカルな映像は戦争の凄惨さを力強く直接世界に糾弾している。

この圧倒的な映像に負けない俳優達も素晴らしい。キルステン・ダンストは言うまでもなく、他のメンバーも渾身の演技だった。その根底には、アメリカの各都市を丸ごと内線状態に作り変えたように見せる大規模な予算と、それを適切に使っている演出の上手さがある。あそこまでやれるのは、アメリカの外から監督(と多くのスタッフ)のイギリス特有の精神性なのかも、とも感じた。外側からの客観的な視点で、彼らの持つブラックジョークや皮肉や風刺を表現する力を使って、アメリカに起きかねない悪夢を顕現していた。ロードムービーの体裁を取っているのは、見やすくするための工夫なのだろう。

内戦を見ないフリしてる街が出てくるが、アレは戦争を見ないフリして過ごしてしまっている我々のメタファーにもなっていた。アメリカが舞台だが、全世界に置き換えた見立ても可能なはずだ。そう見ると、あの街は日本なのだろうか。

音楽の合わせ方は笑えそうなぐらいに狙い過ぎていると思える場面もあったが、「この映像にこの音楽が合わせるのか」という編集・選曲の妙はあった。

 


9/11【11】

『chime』(黒沢清)を観た。

ホラー演出だけを集めたホラーあるある映画のようになっていて、映像の不気味さに声が出そうになるシーンもあるが、総じて笑ってしまった。

やはり緊張の前の緩和が必要なのではないか。ずっと緊張し続けることはできず、どうしても弛緩してしまったのだと思う。怖い現象が起きた際にその理由がよくわからない場合も多く、その謎が不気味さを生む場面もあるが、納得のできなさが引っかかることもあった。なんであの家にはあんなにいっぱい空き缶があるのだろう、なんでこのタイミングで潰すのだろう、とか思い始めると可笑しくてダメだった。

自主映画然とした作りから、監督がやりたい放題やれてるようには見えた。

 


8/11【10】

僕のヒーローアカデミアTHE MOVIE ユア ネクスト』(岡村天斎監督)を観た。

初出の敵キャラクターがたくさん出てきて、当然彼らの能力も初見なので、凄まじい情報量なのだが、そのために長大になりかねない内容を、「彼らの能力を殆ど説明しない」という荒技で解決していて凄かった。味方のレギュラーメンバーの能力は、冒頭のマーベル映画のような導入バトルでうまく説明するように魅せていた。能力者バトルの条件やルールを雰囲気だけで伝えるような演出には疑問を覚えることも多いが、アクション演出の勢いと速い展開のテンポ感で乗り切れていた。

最後のバトルは、もはや何が起きてるかわからないくらい観念的な演出で爆笑した。そういえば、呪術廻戦シーズン2の宿儺戦もこんな感じだった。アニメーションは新しい段階に向かっているのか。

 


7/20【9】

『ルックバック』(押山清高監督)を観た。

感動した、という噂を聞き過ぎて、過剰な期待を持って観てしまった。良くも悪くも原作通りの内容で、そこにアニメならではの脚色で応えている、というバランスだった。

冒頭から中盤までは、ストレートに感動的。珍しく原作者のパーソナルな領域を色濃く感じる。創作に打ち込んで経過する時間そのものを描く表現は映像ならではで、アニメ化の意義を感じた。ところどころ異様過ぎる動きをしたり、変わった画角での映像が挟まったりするのは、気鋭のアニメーターが集まっているからだろう(井上俊之氏は確認した)。その映像だけでも、映画館で観る価値がある。

後半の展開は必要だったのだろうか、と原作同様に感じてしまった。前半に比べて、展開ありきでキャラクターが動いているように見える。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のような、創作による歴史改変がやりたかったようにも見えるけど、展開を全部知るとそういう話でもない。何があっても描き続けるという決意を新たにする装置としての喪失、と考えると、結構ベタな物語だ。

途中、感動させよう、という意思を感じるほど音楽が大きくなるシーンがあり、そこだけは明確に醒めてしまった。

 

 

2024年後半に読んだ本の記録

仕事(っぽいこと)が忙し過ぎて、全然本を読んでない。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆)がタイムリー過ぎて気になったが、それすら読めてない。『花束みたいな恋をした』後半の菅田将暉の気持ちわかってきた。

 

読み終わらないまま読みたい本が出てきたりして、同時に5冊くらい読んでる途中のタイミングもあった。この状態は全然良くなくて混乱した。2冊くらいまでか。

 

2024年のベストは『フリアとシナリオライター』。15冊という少数候補のうちのナンバー1だけど。

 

以下、遡っていく。

 

 

12/15

『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』(小原晩)を読み始めた。


10/16

『わかりやすさの罪』(武田砂鉄)を読み始めた。


6/6

『ショットとは何か?』(蓮實重彦)を読み始めた。


12/9〜12/15【15】

『漫才過剰考察』(髙比良くるま)、読了。

言語化の鬼。そんな風に言語化できるのか、そこまで考えるか、という驚愕の連続。

M-1に間に合ったのは幸運。

寄席漫才の特徴、M-1の出番順の影響、海外進出に必要な能力など、とにかくちゃんと考えたことが無いことばかりが細かく言及されていく。ゲスト出演していたTBSラジオ『脳盗』で言ってた通り、文字が太くなったり大きくなったりしてるのがハリー・ポッターシリーズへのオマージュというのは、体験してみるとバカらしくて笑えた。漫才同様にめちゃくちゃ固有名詞入れてくるんだけど、やっぱり意味を知ってればリーダブル。その固有名詞も含めて2024年の今を捉えている。

粗品が令和ロマンのことをどう考えてるか知るために買ったところもあるが、二人の対談は思った以上にちゃんと話してて、お互いにリスペクトしてることがよくわかる。本筋とはズレるが、粗品の自信とプライドは圧倒的で、その気高さにも驚く。そんな粗品がボケずスカさずちゃんと答えてるのは、相手が高比良くるまだからだろう。

総じて、とにかく、高比良くるまは、たくさん見て、たくさん考えている。

 


9/6〜12/8【14】

『全校生徒ラジオ』(有沢佳映)、読了。

長嶋有がインスタでオススメしてたので手に取った。ポッドキャストを題材にしている点と、文字が横組である点を目新しく感じて読んだ。カバーの紙も凝っていて、作品世界を適切に説明する装丁も大変可愛らしかった。

過疎地域の村に住む女子中学生4人が始めたポッドキャストの文字起こしと、その文字起こしをしている不登校の男子中学生が書いた文章を、交互に読む構成になっている。この内容なので、webで読まれる文章という演出のために横組になっているのだろう。

まず、前提として、この作品は中高生向けの児童文学だ。そのせいか、ポッドキャストが作り出すコミュニティが、とても平和でユートピア的に描かれていて、性善説に依拠し過ぎている有り得なさも感じる。しかし、「こういう世界もあり得る」と提示する意義はあるかもしれない。読みながら、自分はやはり雑談が聴きたくてポッドキャストを聴いているのだと気づいた。彼女達のキャラクターが少しずつ立ち上がり、雑談がカラフルに感じられるようになっていく。

物語の最初と最後で、ポッドキャストを通じて明らかな変化をするキャラクターがいて、作者がポッドキャスト文化に託した希望を感じた。

 


6/5〜12/1【13】

『4』(青松輝)、読了。

いろんな夜に少しずつ読んだ。面白い言葉選びや、気になる言葉の組み合わせはあったが、覚えたいほど好きな歌は無かった。五七五七七の最初の五とそれ以降が無関係に見える歌や、最後の七とそれ以前が無関係に見える歌の意図が汲みきれなかった。なぜそれらの言葉が必要なのかがわからなかった。五七五七七の切れ方がよくわからなくて読めない歌も多かった。上級者向けだったのかもしれない。相対的に、木下龍也の歌の『分からせ力』の強さを知った。

英語をそのまま入れて短歌の一部にする手法は新しく感じた。

思わず手に取りたくなる豪華な装丁も良かった。

4

Amazon

 


4/30〜9/2【12】

『フリアとシナリオライター』(作:マリオ・バルガス・リョサ/訳:野谷文昭)、読了。

最高過ぎる!読んでる間、何度も興奮して、居ても立っても居られなくなった!

ポップなジャケットに惹かれて買った。

主人公とフリアの間に起きるドタバタ青春ラブロマンスって感じのメインのストーリーラインと、その作中に登場する怪人作家ペドロ・カマーチョ執筆のラジオドラマ短編が、交互に綴られていく。あとがきによると、メインストーリーは著者の自伝的要素の入ったものらしく、ペドロ・カマーチョにもモデルがいたようだ。このメインストーリーとラジオ脚本が相互に緩やかに影響し合う。

メインストーリーには、色濃くペルーの風土的な要素が詰め込まれていて、主人公がどうにか結婚しようと奮闘する場面には、カフカ的な不条理コメディ要素も感じた。ペドロのラジオ脚本は常にかなり派手な展開を含んでいて、相当ドラマチックな内容になっている。読みながら、喜怒哀楽の色んな感情を引き摺り出されることが多かった。その上で、最後には『どうなるのだろうか』で妙な余韻を残す。メインストーリー上のペドロの変化に合わせて、この脚本に登場人物が変に入り乱れてしまい、天変地異のオンパレードになり、破綻していく。このシニカルな可笑しさも魅力的だった。

しかし、メインストーリーで出会った人々とのやり取りやプライベートな内容が、直接的(あるいは下世話に)入ったりしない点には、ペドロの作家としての品位と矜持を感じた。

全てが青春の1ページとして相対化していくラストには、過ぎ去りし日々へのビターな味わいがあった。

 


2023/8/22〜2024/8/25【11】

『奇奇怪怪』、読了。

人気ポッドキャスト番組の書籍化2冊目。スキマ時間にのんびり読んでたら、気づけば1年かかっていた。

まず、『漫画雑誌』というコンセプトがすごく好き。そのコンセプトをうまく現実に落とし込んだブックデザインにやられた。書籍が持ちがちな権威性の剥奪に成功している。

最初はこのB5サイズで全ページ文字を読むのキツいのでは、と思ってたけど、イラストやデザインされたタイトルと各種広告を上手く入れ込んで、飽きさせない作りになっていた。広告がポジティブに働いてる例は久々に見た。そのパロディ性というか、読者を撹乱してやろう、という姿勢も含めて楽しく受け取った。

原則としてはポッドキャストの傑作選の文字起こしみたいな感じで、考えたこともなかった斬新な視点も、マジで些細で馬鹿馬鹿しいやり取りも、大事にしたい考え方のヒントも、たっぷり詰まっている。活字化されている悪ふざけみたいなやり取りには、『電気グルーヴのメロン牧場』を思い出したこともあった。