2022年前半に読んだ本の記録

2022年前半は、人生で一番穏やかで幸せな日々だったかもしれない。

ロシアが恐ろしい侵略戦争を始めたり、元首相が撃たれたりして、言いようのない不安にかられたりするけど、負けてはいられない。

明らかに読む冊数が減ってしまっていて残念だが、仕方ない。負けてはならない。


6/30

『猫がこなくなった』(保坂和志)を読み始めた。


6/3

『空気の検閲』(辻田真佐憲)を読み始めた。


6/9〜6/22【8】

『猫の舌に釘を打て』(都筑道夫)を読了。

単行本で読むべき大仕掛けが施されているミステリー。手書き(もしくは手書き風フォント)だったらもっと興奮できただろうな。作品全体が主人公の手記という形を取っていて、一つの視点から全てが語られる。途中からメタ視点も含めて描かれていて、かなり遊び心のある構造になっていた。

一方で、2022年に読むと、失われてしまった古き良き東京の風景が楽しめる作品にもなっていた。古典的名作と最近の小説の間にある、今一番語られない時代の作品だと気づいた。

なぜか登場人物が覚えづらかったのだけど、それはキャラクター付けが薄かったからかもしれない。マンガやアニメか隆盛を誇る以前の小説だからかもしれない。そう考えると、シマ・シンヤ氏のクールな文庫カバーがかけてあるのは、現代的再評価の施策として正しそうだった。


4/26〜6/3【7】

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(作:アンディ・ウィアー/訳:小野田和子)、読了。

久々にずっと先が気になる本だった。夢中で読み終わった。未読だけれど、おそらく『火星の人』の一人語り型小説の発展形なのだろう。

帯がネタバレになってしまっている、と言われていたが、読んでみて言わんとすることはわかった。この小説は、全く内容を知らずに、主人公と同じ「(自分に)何が起きているのかわからない」状態で読み始めるべきだろう。

見事に計算された構成で場面ごとに様々な状況が作られていて、その度に主人公がピンチやトラブルに陥る。しかし、彼はどうにかして前向きに行動して、主に理系分野の広範かつ多彩な知識と、それをうまく生かす知性をフル活用して絶対に諦めない。その不屈の意志の推進力となるのが、ユーモアなのが良い。ユーモアを持って、自分を宥めたり慰めたりしながら問題解決に向かう姿に、心を動かされる。読んだ時期が近いので、何となく『三体』とも比較しながら読んだが、このユーモアの有無が大きな違いだと感じた。

作中では、深刻な問題解決のために、いろんな人物が大胆かつ斬新なアイディアをたくさん出すのだけれど、それでちゃんと読者を驚かせる著者が凄い。


4/8〜4/26【6】

『ニワトリと卵と、息子の思春期』(繁延あずさ)、読了。

ある日、著者の息子が「ニワトリを飼いたい」と主張する。その行動が家族にもたらした変化と日常の記録。著者は写真家でもあるそうで、綺麗かつわかりやすい写真が添えてあるので、非常に読みやすかった。

まず、読み始めてすぐに、ニワトリを飼いたいと訴える長男のパーソナリティに関心を覚えた。自立心が強く、行動力があり、決めたら実行してしまう彼の意志の強さが、本書の展開を左右していく。ここに生じる家族との摩擦の中にある苦悩や学びが、本書の第一の魅力だろう。一人の少年が中心となる点から『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)なども思い出したが、本作の少年の方がより激しく周囲(主に家族)とぶつかっていた。

とある家庭の生活の記録であり、本来的には固有の事象の連続に過ぎないはずなのだが、かすかに『あるある』のような普遍性が脳を掠める感覚があった。買うことに決めた決定打となったのは、冒頭の『ゲームを買いたい長男を止められない』と著者が悟るシーンだった。

考えてみれば、確かに親が反対しようとも、お金さえあれば子どもでもゲームは買えてしまう。(中略)これまで、“お母さんに同意されたい”という子どもの気持ちを、ずっと利用してきたことに気づかされた。そういう気持ちがなくなってしまえば、親の意向など何の効力もない。堂々とそこを突かれたことが、腹立たしくて、悔しくて、不安だった。

まず、この率直さにハッとさせられた。カッコ悪い話も言いづらい話も、ちゃんと語る意志を感じた。そして、親が子に対して優位性を持つ際のズルさの話に、とても深い共感を覚えた。親としても子としてもわかる話だった。

終始、この著者が多くを曝け出す調子で進めるので、ヒヤヒヤさせられた。


3/16〜4/3【5】

『Schoolgirl』(九段理江)、読了。

クールな装丁が良かったし、芥川賞候補作で短めなのでサラッと読めるだろうと考えて購入したが、思ったより読むのに時間がかかった。想定より飲み込むのに時間がかかる描写が多かった。

収録されている2つの短編には共通点があり、その部分に注目するだけでも作家性は十分に読み取れる。

まず、それぞれ立場も状態も異なるが、両作とも親子関係を描いている。

『Schoolgirl』は母の立場から娘との関係を描いているが、先進的な考え方をしている娘の話をちゃんと聞いていない。表面的に取り繕ってはいるが、「自分に難しい話を聴く能力が無い」という卑屈さを持って娘と向き合うので所謂健全な関係性を結ばない。

『悪い音楽』の高名な音楽家の娘である主人公は、父親からの干渉を拒み、明確な意思を持って期待に応えない。

どちらも親子関係に絡め取られない自立心を表現できているのかもしれないが、人権を主張するような健全さを感じないのが独特だ。その奇妙な読み心地を生み出した要因は、特異なパーソナリティを持った主人公を語り手に設定した点だろう。芥川賞受賞作において、この形式の最高峰として思い出すのが、村田沙耶香の『コンビニ人間』だが、今作はそれほど分かりやすくないし、笑えるポップさも無い。

『Schoolgirl』を読み始めた時、『娘の成長に戸惑う母』というありきたりの構図を想定してしまったために、途中で何度も認識をひっくり返された。例えば、『精神科医がおかしなことを言っている』と主人公が感じるシーンでは、最初は読者も主人公と同様に認識できるのだけれど、次第に主人公の受け取り方がおかしいのでは、と不安になる。そういう段階を経るように書いてある。他にも、14歳の女子になりきってセックスをするシーンでは、『そのおぞましさでセックスができなかった』となる展開を想像できそうなのに、ぐるっと思考した末に彼女は性的快楽を得ていて、読者としてはその思考に戸惑う。

『悪い音楽』の主人公も、最初は『無気力な音楽教師』くらいのバランスで読めるのだけど、途中から所謂サイコパス(あるいは、ソシオパス)として描かれているように感じる。サイコパスとして認識される人を語り手にして小説を書き切っている点は凄い。その描き方は、サイコパスという存在が社会によって定義されている、という表現にもなっていた。

また、両作は共通して、ヒップホップという音楽の手法を参照してる部分がある。『Schoolgirl』は太宰治の『女生徒』をヒップホップのようにサンプリングしてると言えるし、『悪い音楽』の主人公が作る音楽はヒップホップだし、韻にこだわる文章もあるし、タイトルでも暗示している。この手法を使う意図はわからないが、外部の文化を取り込んで新しい小説に取り組もうとする姿勢には胸が躍った。


2/8〜3/15【4】

『時代劇入門』(春日太一)、読了。

読者に優しく語りかけるような文体、難しい話の大胆な省略、わかりやすくまとめた説明。この本を読んで、著者が本気で時代劇ファンを増やそうとしている熱意が伝わってきた。観るべき時代劇作品や注目すべき時代劇俳優というまとめ方などは、そのコンセプトを十分に表していた。その結果、ちゃんと時代劇を観てみたくなった。

そして、最後の富野由悠季インタビューは、ガンダムファンからの時代劇ファン獲得のきっかけにもなりそうな内容だった。さらに言えば、これまで言及されていなかった視点での作家批評としての価値も感じた。今見れば、ガンダムの見方も変わるかもしれない。


2021/6/6〜2022/2/16【3】

『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府の作り方』、読了。

この本に書いてあることを参考にしてデジタル庁が動いているなら、未来には希望がいっぱい。マイナンバーがエストニアやインドのようなシステムのために使われるなら、国民にもたらす利益も大きい。役所とのやり取り特有の煩わしさが軽減されて素晴らしいだろう。

この未来を実現するために必須なのが、個人情報の適切な利活用だ。この点については、かなり整理された説明が書いてあって、その部分に一番の希望を感じた。

しかし、政府も企業もいろんな個人情報を漏洩しているのが現状で、どうしてもデータを明け渡すことに抵抗も感じる。早く信頼させてほしい。

本全体の構成がかなり変わっていて、メインは架空のインタビューのような自問自答なのだけど、その途中に挟まれるコラムや資料のページへ飛ぶように指示も入っていて、ページを何度も行き来することになる。まるでゲームブックのようで、楽しく混乱した。


1/19〜2/7【2】

『ガラスの街』(作:ポール・オースター/訳:柴田元幸)、読了。

小説の構造自体で遊んでいて、そのメタ構造や入れ子構造の中に、読者である自分が入っているような感覚に歓びを感じた。想像していたよりも、実験的で不思議な小説だった。古川日出男が妙に入り組んだ文章で勧めていたので読んだ(http://www.waseda.jp/inst/weekly/features/specialissue-review)のだが、読了後に読み返すと、言わんとすることは何となくわかる。

様々な作品を連想する刺激的な作品だった。素人が探偵の真似事をする様子からは夏目漱石の『彼岸過迄』、主人公が自分の行動を俯瞰で点検して分解する描写からは筒井康隆の『虚人たち』。また、作品内に作家自身(と同姓同名の人物)が登場するのは、エラリィ・クイーンなどの探偵小説のマナーに則っているのだろうけれど、作者が自分の作品に侵食されるような点は、チャーリー・カウフマン脚本の傑作映画『アダプテーション』の構造に近い。

ヘンリー・ダークという研究者の話や、作中のポール・オースターによる小説『ドン・キホーテ』研究が暗示するのは、本を書いた著者と書かれた本との関係性で、それによって、『この小説を書いたのは誰』で、『誰の話を書いているのか』と言う構造を強調していた。そこに、実際の著者であるはずのポール・オースターを絡めることで、『誰が読んでいるのか』という読者の意識にも揺さぶりをかける。

それらとは別に、細かい描写にも実験的なところは多い。特に、息子の方のピーター・スティルマンの滔々とした語りは衝撃的だった。言語化能力の欠落の一例をとても巧みに表現していた。

物語の展開にもその実験性は顕著で、父の方のピーター・スティルマンという人物が二人いる(パラレル的に分岐したかの)ような描写があったり、探偵小説のフォーマットを使いながら意図的に謎解きを放棄したりする。

小説内で起きること全てに理由があるわけではない、という姿勢が産む世界は、リアルとは違うけれど、現実の仕組に似ていて奇妙かつ魅力的だった。


2021/12/5〜2022/1/19【1】

『どうやら僕の日常生活はまちがっている』(岩井勇気)、読了。

前作同様、ラジオで話した内容をベースにしたエッセイが中心だが、最後に短編小説が入っている。エッセイの出来は前作とあまり変わらないかもしれない。だからこそ小説を入れたのだろう。常に新たな試みを好む著者らしい選択だった。

この小説はエッセイから生み出した作品という印象で、段階的に創作の度合いが色濃くなる様子を楽しめた。日常生活っぽい描写で進めていって、途中でファンタジーやSFのようなフィクションへの飛躍が強烈に入れ込んである。その部分を読んでようやく小説であることを実感できる。小説を読んで気づいたが、一挙手一投足を細かく描写しつつ、口語体で気持ちの説明を入れていく手法は、前田司郎氏の小説に似ているのかもしれない。設定も含めて、特に『恋愛の解体と北区の滅亡』を思い出した(絶対に影響を受けたわけではないけど)。

このスタイルは、ラジオのトークパートで急に妄想や理想を混入させて、現実に起きたことを過剰演出する手法と同じだ。異なるのは相方・澤部氏のツッコミが無い点か。小説というフォーマットでは嘘を書くのが当たり前なので、違和感が無くて不思議な感覚を得た。この作品は、小説というフォーマットを利用したボケのようにも読める。今後、著者が小説という分野をどう展開していくのか、はとても気になる。

 

 

騒がしい日々の坂道を

深夜にあてどなくNetflixをさまよっていたら、深作欣二監督作『バトル・ロワイヤル』を見かけた。へー、なつかしー…うわ、すご...!いや、でも、そろそろ寝なきゃ…って中断。そんな夜が何度かあった。

 

見るたびに強く喚起された記憶は、この映画を映画館で見ている15歳の私。

あれはイオンだった。いや、当時は違う名前の商業施設だった。中学校を卒業した直後に、同級生5〜6人で行ったはずだ。確かR-15を謳い文句にして相当煽っていて、その制限にまたそそられた。中学生は見れないらしい、ということで、卒業した直後の春休みに行ったはず。僕らは手に入れたばかりの携帯電話で連絡を取り合った。面白い絵文字を見つけては意味もなく送りあった。確か2人くらいが自分と同じauの携帯電話だった。懐かしき言葉シーディーエムエーワン。

自転車で集合して、アップダウンの激しい坂道を、みんなで笑い合いながら立ち漕ぎで走ったあの日。友達だけで映画館に行ったのは初めてだったのかも。

映画館では生徒手帳を見せたような気がする。15歳が大人である証みたいだった。

 

肝心の映画からは何を受け取ったのか?

簡単な感想は

前田亜季かわいい」「やっぱ安藤政信かっこいい」「たけし全然死なない(笑)」

くらいだった気がする。

どちらかというと、『15歳未満では観られないほどの激しい暴力描写を自分は観ている』という興奮の方が記憶にある。

 

実は、私は小説も買っていた。分厚くて黒い本。凹凸加工のされた赤い文字。映画を見る前に買ったのか、後に買ったのか、は記憶が無い。あの本はまだ実家にあるのだろうか。『面白い』という感想は持っちゃいけないような気がして誰にも言わなかったけど、当時こっそり何度も読み返していた。15年の人生がしっかりと背景に描かれた登場人物が死んでいく姿に、強く心を動かされていた。強調される死の辛さや怖さと、過剰にドラマチックでヒューマニズムに満ちた感動的な描写。それらの刺激をごちゃ混ぜに受け取った15歳の私は、やはり興奮していた。

そして、不謹慎で非道徳的かもしれないけれど、あのゲーム性の巧妙さにも心を奪われていた。武器がランダムで配られる点と、殺し合いを促すために時限的に禁止エリアを増やす点が、本当によくできている。

後に、このゲーム性を抽出して作られたであろうゲームの『PUBG』と『フォートナイト』もやってみた。普通に楽しめた。

 

そんな経験の果てに、今更観直した『バトル・ロワイヤル』もやっぱり楽しめた。

テンポ良く壮絶な映像が襲ってくる。デカい感情で迫ってくる。

でも、没入はできなかった。

やはり、当時は『自分と同い年の人たちの殺し合いを見ている』という当事者感が、スパイスになっていたのだ。

あの映画体験は、中学生と高校生の間に一瞬だけあった、不安と期待でいっぱいの特別な時間だったらしい。

 

ちなみに、映画のエンディングテーマは時代を感じる曲だった。当時は不良が好きな音楽だと思ってた。だから、今もそんなにカッコよさはわからない。


www.youtube.com

2021年後半に観た映画類の記録

やっぱり『邦キチ!映子さん』の池ちゃんはすごいよ。年間85本なんて観れたことないもん。

https://twitter.com/hokichi_eiko/status/1441238710738116608?s=21&t=3jXVZE8_mNK4HPgLM29Tng

というわけで、遡る形で記録。

 

11/7

イカゲーム』をNetflixで観始めた。

が、1話で止まってしまった。自分がデスゲームにあんまり興味が無いことに気づいたが、続きは見られるのだろうか。

 


12/27【45】

『劇場版 呪術廻戰 0』(朴性厚監督)を観た。

ここぞという場面でケレン味たっぷりに動きまくるアクションがたくさんあって、見てるだけで楽しかった。手描きアニメーションによるアクションの最高峰だった。

エンドロールを観て関わってる人数の多さには驚くが、よく考えれば納得。一番良かったのは、やはり最後の乙骨と夏油の一騎打ちで、乙骨が飛びかかるシーンにピッタリ合わせたギターの音とか大爆笑した。

原作をベースにしつつ、めちゃくちゃアクションが足されていて、後のコミックスで出てくる奴らも大活躍していて、サービス精神が旺盛だった。そのサービス精神のせいかもしれないけど、乙骨はちょっと碇シンジ過ぎたのでは...。緒方恵美を起用した時点で寄せてるけど、「逃げちゃダメだ」みたいなセリフもあったのは、やり過ぎだと感じた。

 


11/27〜12/25【44】

ホークアイ』(シーズン1)をディズニー+で観た。

MCUの最古参ヒーローの一人であるホークアイの初単独ドラマシリーズ。今まで地味な扱いを受けていたので意外だったのだが、制作にかなり気合が入っていて、予算もかかっていたし、MCUの展開に関わる非常に多くの要素を詰め込んでいた。

『インフィニティ・ウォー』〜『エンド・ゲーム』間に犯した罪の清算、後継者への継承、ナターシャを助けられなかったという事実からの復讐、という問題を解決しつつ、超能力を持たないヒーローの苦悩や葛藤を、これまでのMCU作品よりもリアルに細かく描く。

クリスマス公開を前提にしたドラマシリーズになっているのも面白くて、クリスマスツリーやパーティーのシーンが作るホリデームードな美術は観てるだけで気分が高揚した。

そして、過去の名作へのオマージュかな、と思わせるシーンも多々あって、トリックアローを作るシーンは『ホーム・アローン』でケビンが悪巧みしてるシーンにも似ていたし、鮮やかなネオンが光る中でクタクタになってる大団円の場面は『ダイ・ハード』を彷彿とさせた。

第3話のカーチェイスのシーンには、ドラマシリーズらしくない映像へのこだわりを感じた。長回しで興奮と集中を持続させながら、ホークアイとケイト・ビショップの出来たてでチグハグなバディ感も表現するアクションはとても楽しかった。

 


11/16【43】

『シャン・チー テン・リングスの伝説』(デスティン・ダニエル・クレットン監督)をまた観た。

家族に付き合って家で観直してみると、終盤は『仮面ライダー ヒーロー大戦』くらいの感じだった。映画館の迫力を削がれるとこんなもんになってしまうのか。残念だった。前半のサンフランシスコのバスアクションとマカオの足場アクションは、やっぱり最高だった。

 


11/14【42】

『エターナルズ』(クロエ・ジャオ監督)を観た。

夜明けと夕暮れ、そして、雄大な自然を背景とする映像が多くて、これが監督の作家性を象徴する映像美なのかな、と感じた(『ノマドランド』を観てないのが残念)。

夜明けの中での戦闘シーンや、大自然の中で神話さながらに戦う姿には、これまでのMCU作品になかった新規性を感じた。そして、とにかくロケーションの場所が多くて、地球の美しさを捉えた映像が飽きさせなかった。

登場人物達も非常に魅力的にキャラ立ちしていた。エターナルズだけでも10人もいるのに、はっきりとした描き分けがあって似た人はいなかったし、映画オリジナルで付加された多様性も面白く作用していた。マッカリの足の速さの表現もカッコよかった。キャラクターの魅力を伝えるために、各コンビのやり取りで魅せるやり方も上手くて、その関係性自体が多様なあり方をしているのも凄かった。彼らの示す親密さの演技がどれも絶妙な空気を作っていて良かった。その中でも、セルシとイカリスのラブシーンには衝撃を受けた。子どもと見に行くので年齢制限等を調べた時、海外の基準でPG13となっていたのだから、もっと警戒すべきだった。日本の劇場での表記にはPG12とか無かったと思うのだが(まあ、『万引き家族』がPG12くらいなら制限は付けないか)。しかし、PG12がついていても、警戒しなかっただろう。ディズニー傘下の作品だし、アメコミ映画だし、主役は地球人じゃないっぽいし、という思い込みがあったからだ。実際には、明らかにセックスとしか思えないシーンがあった。目を疑った。これもMCUでは初めて踏み込んだ描写と言えるだろう。削ればPG13もつかなかったかもしれないので、あのシーンは監督の強いこだわりだったのだろう、と推測した。

マ・ドンソクの華々しいハリウッドデビューにふさわしい作品だった。

他の人の指摘を見かけて納得したが、確かにイカリスのホームランダー感はヤバかった。

7000年前から英語使ってんのは笑った。

poplife the podcastでも言及されていたが、途中で『サイボーグ009』も連想した。

 


11/9【41】

『TENET』(クリストファー・ノーラン監督)をまた観た。

家で観ると、IMAXの魔力が剥がされて愛すべきバカ映画っぽさが増していた。何度も爆笑した。歩きながら様々な説明を処理する映像には、集中力を保てなかった。そのせいでストーリーはさっぱり追えなかった。逆行の映像の原初的な楽しさを家族でツッコミながら観るのは楽しかった。ジョン・デイビッド・ワシントンの華やかさ、彼のスタイリングのキメキメな感じ、ロバート・パティンソンのカッコよさ、エリザベス・デビッキの世界に溶け込まない美しさも再確認できた。

 


11/1【40】

ザ・ロック』(マイケル・ベイ監督)を久々に観た。

20年ぶりくらいだろうか。ニコラス・ケイジにドハマりしたキッカケになった映画の一つ。無駄に周囲を破壊するカーチェイスと無意味な爆発に爆笑。ものすごい揺れとブレとズームインで勢いを表現するカメラに驚愕。

アオリながらぐるーっと回るカメラを見て、「あ、マイケル・ベイっぽい(『バッドボーイズ』の予告編で見かけたような)!」と初めて気づいた。

冷静に見ると結構変な映画で、脚本が変わった作りをしていた。まず、オープニングからして変わっていて、一応の敵役であるフランク准将の視点で始まり、彼がテロを起こすためにVXガスを強奪する場面とアルカトラズを占拠する場面を丁寧に描いている。このシーンは物語の展開と同時に敵キャラクターの説明にもなっているのだけど、まるでフランク准将が主役のような扱いだ。そして、准将と全然関係無さそうなタイミングで、主役らしきニコラス・ケイジ演じるスタンが入ってきて、彼の説明となる事件を描いた後にショーン・コネリー演じるメイソンも登場し、全てがアルカトラズでの決戦に収束していく。こんな風に映像の主役が目まぐるしく移り変わるので、見てて飽きないが、ガチャガチャした印象にはなった。

今回、「なんでニコラス・ケイジが好きになったんだろう?」と改めて観察していてこのキャラクターのおかしさに気づいた。彼は科学の専門家であり、デスクワーカーのはずである。そのため、アルカトラズの命懸けの現場に出ることになると、怯えたり嘔吐したりする。でも、彼は爆弾の解体のようなハードな現場でも働くし、スポーツカーを超高速で乗り回してカーチェイスもできる。この性質の矛盾を、ニコラス・ケイジは理不尽な現場のせいでクレイジーになっている人として振る舞い、とにかくキレ続けるという演技で解決していたのだ!そして、当時の俺はその怒り方に惹かれた。

実は脚本自体には緻密な描写があったことにも気づいた。フランク准将率いる部隊の人間関係は最初から歪なのだが、実はそれが一緒に従軍した経験の有無で別れている。彼らが合流したタイミングでその説明をしていた。また、スタンの恋人がサンフランシスコに来る展開と、メイソンの娘がサンフランシスコにいる展開の意味にも初めて気づいた。このコンビがアルカトラズで戦うための動機を作ってたのか。意外と練られた脚本だけど、マイケル・ベイの大雑把な感じとニコラス・ケイジのやり過ぎな感じでそれを感じさせなかったらしい。

相変わらず最高だった。

 


10/28【39】

『DUNE/デューン 砂の惑星』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)を観た。

池袋のIMAXレーザーGTで観て良かった。ド迫力!同じ池袋のIMAXレーザーGTで他の映画を観たことがあるが、こんなに映画の中に入れているような心地がしたのは初めて。IMAXの特性を充分に理解した映像になっていた。砂とシャラメとゼンデイヤの美しさを堪能した。シャラメの計算され尽くした前髪!ゼンデイヤが出るたびに画面がIMAXサイズになるのも笑った。

莫大な予算を使ってるのがわかるのだが、ギリギリでアート映画の域に存在していた。地球で撮ったとは思えないくらい徹底して砂漠だった。美術もいちいち最高で、城は巨大過ぎて存在感が凄かったし、スティルスーツはカッコ良過ぎた。

そして、おそらく原作には難解な設定がたくさん付与されているんだろう。その世界観に浸っているうちに、映画の外にある沢山の設定にも興味が湧いた。シールドという設定も面白い。GANTZのスーツみたい。戦闘時に銃器が出て来なかった気がするのだけど、それはどういう理由なのだろうか。みんな短剣っぽい武器で戦っていて、見てる分には面白いが、理屈が気になった。

途中からパラレルワールドの『スター・ウォーズ』を観ているような気分になったのだけど、『DUNE』の原作自体が『スター・ウォーズ』に影響を与えているのだろうか。それとも、今作が『スター・ウォーズ』から影響を受けてるのだろうか。砂の惑星という舞台、サンドワーム、精神操作系の超能力の存在、敵が皇帝、仲間がほぼ全滅で王の後継者だけが生き残る点、他の種族の力を借りる点、などに共通点を感じた。

それと、砂漠の舞台やメカニックのアイディアなどは『風の谷のナウシカ』にも影響を与えてそうだった。他にも『自分が選ばれし者なのか』問題も共通していたけど、これはハリー・ポッターなどにも見られる普遍的なテーマだろう。

めちゃくちゃ途中で終わるのは驚いたが、PART2であの体験をもう一回できるのはめちゃくちゃ楽しみ。

 


10/21〜10/28【38】

『イントゥ・ザ・ナイト』(シーズン2)をNetflixで観た。

前シーズンはまだキャラクターとストーリーのバランスが考えられていたが、今シーズンは途中から後先考えずに進め過ぎてる脚本に思えた。約30分に納めるという制約で説明の足りてない部分もあるかも。今更気付いたけど、ところどころ、『LOST』に似た作りだ。今回の脚本はクリフハンガー要素が強くなり過ぎている。最後の数分でどうやって次の話に興味を持たせるか、に全力を注いでいるために、キャラクターの行動が能力や性格を逸脱するシーンが多く感じられた。ホルストはこんなに天才だったっけ?そもそも、こんなに都合良くオールジャンルの科学に詳しいんだっけ?あれ?なんであの人は発砲したの?などと細かく疑問が湧くことがあった。

一方で、シーズン2から活躍したキャラクターは個性豊かだったが、愛すべきキャラクターはいなかった。シーズン1のキャラクターを妨害する目的で配置された人物が殆どだったからだろう。テアもヘラルドもジアも二人をメインとする総体としての兵士も、みんなそんな感じだった。ホルストのエピソードが特にそうだけど、兵士が有害な男性性を表象しているのは印象的だった。世界的に扱うべき問題なのだろう。

他の重要らしいモチーフとして『開かない扉』があった。非常に頻発していて、1話につき1度くらいのペースで『開かない扉』が出てくる。何か意図があるのかもしれないとは思ったが、閉塞感や手詰まりの強調以外の意図は、正確にはわからなかった。

また、回想シーンの挿入などは非常にわかりにくくて、映像的にもっとうまく処理できそうな気はした。とにかくクリフハンガー部分がよく出来てて先が気になるのは間違いないけれど、なかなか辛いことになってきた。

 


9/29〜10/12【37】

『セックス・エデュケーション』(シーズン3)をNetflixで観た。

いやー、相変わらず良かった。今回はこれまで以上に脚本が緻密に練られていた。

まず、問題となる要素の量が尋常じゃない。ジーンの妊娠問題とそれに伴う家庭の在り方、エリックとアダムの関係、アダムの両親の揺れ動く状況、オーティスとルビーの関係、ジャクソンとキャルの関係、エイミーの男性へのPTSD問題、メイヴとアイザックの関係、メイヴの母と妹の状況、メイヴの留学問題、オーラとリリーの関係、新校長ホープが持ち込んだ学校の刷新とその影響、そして、オーティスとメイヴの関係。これらが複雑に絡み合った結果、毎話ミリ単位で人間関係を変えながら、物語を進めていく。

流石に要素が多過ぎて、前シーズンの話とかはどうなっちゃったんだろう、という気持ちもチラつく。元カノ元カレも多過ぎて、この人は今どう思ってるんだろう、みたいな描写が無いのも少し気になった。この中では、ルビーがとても可愛く描かれていたのが意外だった。シーズン3にして、急に人間味を帯びて魅力的だった。

それでも、シーズン2までの人間関係の積み重ねを感じられた。全体的に、有害な男性性への言及が多かった気がする。オーティスとアイザックが男らしさを競ってしまうシーンとか、アダムの父がその父から植え付けられた男性性の話とか。さらに言えば、対話を見どころにする演出が増えていた。前シーズンまでならクライマックスに持ってくるであろう一般公開日の話を、最終話の一話前に持って来てるのも驚いた。生徒達を無理矢理服従させようとする校長への爽快なこの反抗に、大きな代償が伴ってしまう展開は、これまでに無い後味の悪さだった。

それでも、そろそろ次で終わった方が良さそうな気がした。単純に、キャストが高校生に見えなくなってきた。高校が終わった後の彼らの人生も見守りたいけれど。

エピソード5の修学旅行の話は、これまでのシーズンと合わせてもベストだったかもしれない。くだらな過ぎてめちゃくちゃ笑う出来事の後に挟み込んでくる、強烈なラブロマンス。

 


8/29〜9/12【36】

『ザ・チェア 〜私は学科長〜』をNetflixで観た。

30分×6話というサイズも含めて、2021年らしい作品だった(しかし、このサイズだと2時間の映画にする選択肢もあったのでは)。

キャンセルカルチャーを物語の主軸にしているが、同時に人種差別や性差別の問題をリアルに描いている。主人公は韓国系アメリカ人の50代女性で、彼女がとあるアメリカの大学の英文学科の学科長になったところから話が始まる。数年前だったら、「彼女がいろんな差別の問題に立ち向かいながら学科長になるまで」を描いたかもしれない。もっと前だったら、主人公は黒人で男性だったかもしれない。時代の進歩は目覚ましい。

キャストの中には見覚えのある人が多かった。

アメリカという舞台で韓国やメキシコの文化などに触れる時間もあって、異文化交流もサブテーマになっていた。それらも含めて、沢山の社会問題を扱う部分はどれも薄味に感じられた。登場人物が動くと、背景にある社会問題がグッと前に出てくるのだけど、それらが問題性の提起に留まっていて、どれも解決に向かわない。それはそのまま社会を映しているのかもしれないが、フィクションであることの意味の放棄にも感じられた。

メインとなるキャンセルカルチャーの問題には一応の決着があったが、やはりスッキリはさせない。この問題は、肯定できる部分と否定できる部分が分離できない状態にあって、それがそのまま作品に表出されていた。それで良いのだろうか。

それにしても、デイヴィッド・ドゥカブニーには笑った。また変な役を受けたもんだ。

 


9/9【35】

『シャン・チー テン・リングスの伝説』(デスティン・ダニエル・クレットン監督)を観た。

アクションが最高!特に序盤。カンフーアクションとアメコミ映画の折衷として素晴らしかった。ハリウッド製カンフー映画を参照しつつ発展させたようなシーンもいくつかあった。ビルの外壁に組んである不安定な足場でのアクションは『ラッシュアワー2』を思い出したが、横スクロールのゲームみたいな設定に多彩なアクロバットを足していて見応えがあった。ター・ロー村での群衆戦闘シーンでは、数人の兵士が掲げた盾の上を駆け上るシーンがあって、『レッド・クリフ』を思い出した(他にも『グリーン・ディスティニー』っぽいシーンもあったけど、そちらは未見なのではっきりとはわからなかった)。

しかし、やはり最も素晴らしかったのは、冒頭のバスの内外を自由に使ったアクションだろう。どこがCGなのかわからなかった。見たこと無いほど目まぐるしく面白く動き回るアクションに、スリルと身体性を感じた。

物語の骨子として父子関係を持ってきているのだけど、悪役の父親トニー・レオンにはステレオタイプな悪意が見られず、憂いや色気も手伝って妙に魅力的だった。

後半のター・ロー村のセットや美術と幻獣達のデザインの作り込みは流石のレベルだった。

ラストバトルのアクションがCGを多用していて、身体性が低くなってしまったのは残念だった。しかし、何にせよ、アジア人にとっての『ブラック・パンサー』を目指しているのは明白で、狙い通りにエポックメイキングな一作なのだろう。

 


8/16【34】

『プロミシング・ヤング・ウーマン』(エメラルド・フェネル監督)を観た。

観終わって、とにかく辛かった。軽々しく「面白い」とは言えなかった。観た人は老若男女みんな傷つくような気がする。全方位を突き刺しに来ていて、逃げ場が無い感じ。

古さとダサさをカッコよく見せるような、価値観が反転したオープニングには思わず笑った。タランティーノっぽさも感じた。ホットドッグを持つキャリー・マリガンのカッコ良さで、この映画の凄みが速攻でわかる。最高のはじまりだった。

全編通して、見せるべき映像が何であるかをちゃんと考え抜いていて、意図的に省いて伝える演出が物凄く上手かった。レイプを意図する残虐なシーンを敢えて見せないという判断や、全てのはじまりとなる女性の顔を見せないで語り切る魅せ方に驚いた。この映画のテーマの扱い方に合っているし、新しさを感じられた。パリス・ヒルトンブリトニー・スピアーズの楽曲の使い方には、昨今のアメリカから広がっているフェミニズム的な運動の直接的な影響を感じられた。徹頭徹尾、ホモソーシャルの醜悪さが弾劾されていた。『俺たち』はこんなに醜い行為をしていたのか。思い当たるフシもあって、居心地が悪かったが、それは仕方ない。もう『ハングオーバー』を楽しく観るのは難しいのかもしれない。ラストシーンの展開は意外ではあるけれど、こういう展開にせざるを得なかった点にジェンダー問題の深刻さを感じた。全体的なポップさの背景にある悲痛さに、ずっと打ちのめされていた。

 


8/9【33】

蜜蜂と遠雷』(石川慶監督)を観た。

あの高速かつ精密に動く指の動きを、力強く儚く美しく捉えているだけでも凄い。今までどんな映像でも観たことが無い演奏シーンだった。彼らは本当に弾いているようにしか見えないし、実際のピアニストの凄さも想像させてくれた。

主要な4人が、それぞれ魅力的かつ個性的に描かれている点が、この映画の見どころだった。松岡茉優の異様に繊細な表情と動きの演技にはずっとハラハラするし、森崎ウィンの音楽に真摯な姿は心掴まれるし、松坂桃李の観客の一番近くに寄り添うような天才では無い人の演技もグッとくる。しかし、その上で、宇多丸氏の映画評でも指摘されていたけれど、やはり鈴鹿央士が存在感で示す天才性には相当な強さがあった。物語の起点となる彼の滲み出すイノセンスから、音楽の根源的な楽しさが伝わってきた。

彼らが足を引っ張り合わないのも見ててストレスが無い。スポ根でありがちな貶し合いや駆け引きも無く、全員で至上の音楽を目指す姿が、清々しく爽やかな感動を呼ぶ。

イメージ映像っぽく挿入される水滴や馬はフィクショナルな美しさで捉えられていて、詩的な世界観を作っていた。

松岡茉優が逃げ出して戻ってくる流れは、説明を省略し過ぎてて展開の飛躍についていけなかったけど。

 


7/26【32】

『隔たる世界の2人』(トレイヴォン・フリー&マーティン・デズモンド・ロー監督)をNetflixで観た。

アカデミー短編賞を獲ってたので気になってた。

『朝、目覚めるたびに黒人の主人公が白人警官に理不尽に殺される』という構造のタイムループを、主人公はどうやって抜け出すのか、というのが主題になっている。最初からジョージ・フロイド氏の事件をモチーフにしていて、その痛ましさが現実と強烈にリンクしていたのだが、最後まで見ると、他のパターンの死も実際の事件をベースにしていたとわかって落ち込む。

はっきりと、BLMを受けて人種差別を糾弾する内容なのだが、少し腑に落ちないところもあった。『人種差別は根絶すべき』というのは誰も否定しようがない事実のはずなのだけど、物語的な展開の面白さを優先したために、ラストシーンの直前でそこがブレた気がした。『人種差別は無くならないし、理不尽にそこにあり続ける』というメッセージにさえ感じられた。おそらく『戦い続ける』がポジティブなメッセージなのだろうが…。

また、主人公は当然あり得る選択肢である正当防衛を選ばない。これは、黒人が暴力に訴えて社会から非難されたという共通認識をベースにしているかもしれない。

 


6/10〜7/15【31】

『ロキ』(シーズン1)を観た。

第1話が非常に説明的で冗長で辛くて、多分、たくさんの脱落者を産んでそう。かなりロキの内面を掘り下げる描写が多い。その中でも、彼が人を信じられるようになる瞬間には嬉しくなった。途中のアクロバティックな展開も、ロキとシルヴィの奇妙な関係の描き方も十分に面白いんだけど、最終話がまた非常に説明的で冗長で辛い。

他のMCU作品との関連が薄い点も、見なくて良い動機になるんだな、と気づいた(逆に言うと、つまんない作品でも、MCUの他作品に関係すると見なくちゃいけないということになる。それも辛い)。映像としては、美しく崩壊する惑星で逃げ惑う長回しは印象的だったが、他はそうでもなかった。シーズン2はちゃんと面白くなるんだろうか。

 


7/14【30】

『ブラック・ウィドウ』(ケイト・ショートランド監督)を観た。

アクションがヤバ過ぎた。映画館で観て良かった。スカーレット・ヨハンソンのブラック・ウィドウはトム・クルーズに寄っている。雪崩が迫る中ヘリからロープで吊られながら父を引っ張りあげるナターシャ、屋根や地下鉄のエスカレーターの間にある斜面を滑り降りるナターシャとエレーナ、躊躇なく上空数千メートルの高さから飛び降りて飛び回るナターシャ。アクションの舞台設定は『キャプテン・アメリカ』系や『アベンジャーズ』第1作に似ている部分もあるけれど、そこと差異化するように魅せるアクションの創意工夫が魅力的だった。そして、同時に、アクションがハードかつリアル志向になっている点にも驚いた。骨のぶつかる音が聞こえるようなサウンドにも迫力があった。ディズニーだしな、と油断していたが、息子はナターシャとエレーナのリアルな戦闘シーンでは、耳を塞いでスクリーンを直視しないようにしていた。

そもそも、思い返せばあのオープニングの絶望感も凄かった。

レッドガーディアンは下ネタっぽいやり取りもしていた。かなり大人向けに調整したのだろう。

そして、エレーナはブラック・ウィドウを継ぐのだろうか。フローレンス・ピューの筋肉質な強さと感情的な性格には、スカーレット・ヨハンソンとは違った魅力がありそうだった。

2021年後半に読んだ本の記録

私生活で色々なことがあって、2021年はあまり冊数を読んでいない、らしい。『三体』のボリュームがもの凄かったのも原因だろう。

とりあえず、2021年に読んだ本をいろんな視点で大まかに分類してみる。

 

小説9冊(短編集含む)、エッセイ4冊、ノンフィクション系1冊、対談本2冊、新書2冊。

 

日本人作家14冊、中国人作家3冊(全部『三体』)、アメリカ人作家1冊。

 

男性作家9冊(『三体』が3冊)、女性作家9冊。

 

全て2010年代以降出版(発表)の本だった。

 

計18冊。

以下、記録を振り返ってみる。


12/5

『どうやら僕の日常生活はまちがっている』(岩井勇気)を読み始めた。


10/23〜12/5【18】

『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く』(北村紗衣)、読了。

実践的に批評の書き方を解説する本で、読めば誰でも書けるようになるだろうし、誰もが書きたくなるだろう。もちろん、質の高い批評が書けるかどうか、は置いておいて。

この本の中で、最もクリティカルで象徴的な言葉は『批評はコミュニケーションである』だ。この視点が入るだけで、批評に対して持つイメージが大きく変わる。批評がクリエイティブなものとして説明される章や、批評を通じてコミュニティが作られていくことついて言及する章も、批評が持つ『作品について評価する』機能を超えて拡張した部分を取り上げていて、批評自体について深く考えたことの無かった自分にとっては、目から鱗が落ちる気がした。

そして、やはり自分がこのブログに記録している文章は自分自身に向けての記録でしかなくて、「批評ではない」ということをはっきりと理解した。一方で、オープンな場に書いている以上、コミュニケーションは発生し得るし、批評になる可能性もある。一度くらい真正面から批評を書いてみたくなった。

著者は世の中に批評が増えることを歓迎しているし、書き手を増やすためには素晴らしく丁寧なガイドになる本だった。


10/4〜10/22【17】

『2010s』(宇野維正 田中宗一郎)、読了。

ずっと前に買ってあったが、読むタイミングを逸してしまって、「特定の時代を切り取ってる内容なので、早く読まないと古びてしまうのでは…」という懸念と、「でも、コロナですっかり変わっちゃったしな…」という諦めの間で葛藤してしまって、なかなか読めなかった。それでも、決心してようやく読むと、まだまだ有効な内容で安心した。

POP LIFE : The Podcastでお馴染みの二人による対話を通して、2010年代のポップカルチャーを総括するような本。これまでに二人の声を何時間(何十時間?)も聞いてきたので、二人のやり取りは容易に音声で脳内再生できるが、やはりテキストになると少し印象は違う。特に、宇野氏が年上への敬意を持った言葉選びをしている気がして、興味深かった。

まずは、とにかく二人の広範な知識を持って多彩な角度から放たれる言葉の強さと量が凄い。飛び交う固有名詞は大まかにはわかるが、詳しくないものも多くて、後で調べてみたい。紹介している作品の中では、特に『ゲーム・オブ・スローンズ』が1話しか観れていなかったけれど、楽しく読めた。ネタバレはあっても問題無さそうだった。ちゃんと興味が湧いた。

二人は、話題に挙げるカルチャーについて、他のカルチャーの例えを使って説明することが多かったのだけど、その現象を見かけるたびに、いろんなカルチャーに相似形を見つけられて嬉しかった。特にポップミュージックを例にすることが多かったかもしれない。二人の対話から関係し合っているカルチャーにも気づけた。

『ファンダム』という言葉が何度も出てきたが、これは2010年代の大きなキーワードとなるのだろう。確かに、SNSの影響力の拡大がファンダムの存在感を強めた実感がある。本編でも指摘があった通り、ファンダムが善く作用する場合もあったし、悪く作用する場合もあった。『ポピュリズム』という言葉への言い換えも可能で、そこが政治や経済と繋がる社会問題とも密接に関わっているのもわかる。

とりあえず、二人の対話自体が面白い。

まず、前半のなかなか同意点に達しないやり取りがスリリングで、お互いにちゃんと自分の考えをぶつけ合うから、全然気持ちの良い瞬間が訪れない。この粘る時間の継続が、本来の対話かもしれない。

二人の作品への向き合い方の違いが鮮明に表れてくるのも、この本ならではだ。宇野氏は文化を含む全体を見つつ、現在の熱狂の中心に関心がある感じだった。俯瞰して見る光景の中に、主体としての彼自身が入ってるイメージができる。それに対し、田中氏は過去から未来まで全て俯瞰して見ながら、自分の関心が持てる構造を探していて、その光景の中に彼自身は置いていない。上記はかなり漠然としたイメージだが、こんなに違う二人が意見を言い合うのだから、そりゃ本にまとめるのは大変だろう。ポッドキャストでこの本の制作秘話を聞いたこともあったが、読めばその大変さがわかる。相手が加筆すると、自分の部分をどうするか、という確認が必要になるだろうな。編集者の方もお疲れ様です。この様子を読むと、これからの時代に重要なのは対話だ、と改めて思う。


9/27

『東京の生活史』(岸政彦 編)を読み始めた。


9/4〜10/2【16】

『百年と一日』(柴崎友香)、読了。

この短編集は、柴崎友香の集大成であり、新境地でもあった。

各短編のタイトルは、あらすじを殆ど説明してしまっている。小説は「あらすじだけでは味わい尽くせない」し、「ネタバレしてても面白い」という宣言にも思える挑発的な手法だった。保坂和志柴崎友香の小説を評して、ちゃんと時間の流れが書かれている、というようなことを言っていたけど、その特徴を最大限に感じた。

新聞記事を彷彿とさせるような、筆者の顔を極力隠したような淡々とした文体で、伸び縮みする時間をダイナミックに描いていた。小説でしか掬えないような普通の人々の生活や一代記が、克明に描かれている。いや、というよりは『記録されている』ように感じる。その感触はたまたま同時に読んでいる『東京の生活史』(岸政彦 編)とも響き合っていた。

本当にどれも面白くて、ホラーっぽい話も好きなんだけど、一番好きな短編は『角のたばこ屋は藤に覆われていて毎年見事な花が咲いたが、よく見るとそれは二本の藤が絡まり合っていて、一つはある日家の前に置かれていたということを、今は誰も知らない』。時間経過の描き方が読んでて心地良いんだけど、最後の一文の切れ味の鋭さが本当にカッコいい。諸行無常のクールさ。自然と『百年の孤独』を連想したのだけど、意識した作品だったのだろうか。


8/26〜9/4【15】

ブックオフ大学 ぶらぶら学部』、読了。

さまざまな人物がブックオフ(やそれに類する新古書店)について書いた本で、みんなのブックオフへの愛憎入り混じった感情を堪能できた。

ブックオフに入り浸る人に感じるボンクラっぽさの原因は何だろう?

その答えはわからないけど、どれもこれも、隣で一緒に棚を見ている同士みたいな人達が書いてくれた文章だった。

武田砂鉄氏は相変わらずガチでわけわかんない本ディグってて笑ったし、佐藤晋氏の文章は全くいろんな芯を食わずに迂回し続けてて妙な面白さがあったし、Z氏の『せどらー』の歴史は民俗学社会学的な観点から価値がありそうだった。

俺は『ブックオフ大学ぶらぶら学部買わずに立ち読みばかりしててごめんなさい学科』所属だ。中学〜大学くらいまでお金が無さ過ぎて、買わずに立ち読みすることが多かった。立ちっぱなしで数時間いることもあるから、出る時には足が疲れ切っていた。ああ、久々にブックオフに行きたい。あの頃よりはお金があるから、少し本が買えるのに。俗っぽい本棚に圧倒されたい。しょうもない本を買うか買わないか迷いたい。


7/2〜8/26【14】

『三体Ⅲ 死神永生』(作:劉慈欣/訳:大森望、立原透耶、上原かおり、泊 功)、読了。

圧巻。どんどん広がりながら進んでいく小説世界に驚き続けているうちに終わった。どこまで描くのか、と終始不安だった。宇宙の終わりとその先にある始まりまで一気に描く想像力は、相変わらず凄まじかった。かつて宇宙の無限の広がり自体を小説で読んだことがあっただろうか。

序盤はⅡに似ているし、Ⅱと地続きなので読みやすかった。ずっと展開に振り回される喜びで満たされていたが、終盤まで行っても、カタルシスに向かっている感じはしないし、物語が拡散し続けていくような印象を受けた。そうなってくると収集がつかなくなりそうなものだが、ギリギリのところで踏み止まって、読者を見たことない世界に連れて行く。

今作の主人公は、非常に優秀で常に政治的に正しく行動するように見える優等生の女性・程心で、その人物造形からは、前作で感じていた女性観の微妙さが軽減された。常に公正・公平であろうとする彼女の選択が、結果的にいつも地球に危機をもたらしてしまうのは、皮肉では無いし、正しさの弱さを強調したいわけでも無いのだろう。

一方で、不思議と魅力的に描かれてしまっていると感じたのが、ウェイドという男だった。彼の冷酷な判断は、短期的には正しく思えない犠牲を伴うことが多いが、人類全体の行く末を見通すと正しかったように見える。その判断力に一定のクールさが備わっていた。彼の過去は描かれず、人柄も本当の気持ちもいまいちわからない。ただひたすら冷酷な判断する人物として機能的に描かれていたのに、なぜか面白い。

その2人の対比を見ていると、筆者がどんなに苦境でも人間が選ぶべき姿として描いているのはウェイドではなく、程心なんだろうな、と感じた。

天明の寓話も面白くて、それ単体で本になりそうな完成度だった。作品内作品がきちんと小説全体に呼応している構造も素晴らしかった。


6/25〜8/17【13】

『さいごのゆうれい』(作:斎藤倫/画:西村ツチカ)、読了。

毎晩、子供が寝る前に読み聞かせた。自分自身が西村ツチカ氏の絵を好きだし、斎藤倫氏の『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』も良かったので、迷わず買った。

予想以上に西村氏に描かせてることに驚いた。え、こんな些細なワンシーンも!?みたいなことが沢山あって、贅沢な本だった。

今作の斎藤倫氏の情景描写はかなり詩的で、ちょっと飛躍した展開も無理なく受け止められるようになっていた。分類としては、ファンタジーになるのだろうか。とある感情が必要かどうかを考えさせたり、様々な喪失のあり方を教えてくれる点は、非常にエデュケーショナルで、子どもが初めて読み通す本としても凄く良さそうだった。息子がもう少し大きくなったら、改めて自力で読んでみてほしい。

 

 

NIKKI(魔法が解ける2021年10月)

【2021.10.3 日曜日】

緊急事態宣言が解除された、というのを強く意識していたわけでもないけど、閉まっていた居酒屋が開いているのが目に入ったので、そこで晩御飯を食べた。その店はとてもチェーン店っぽいけど、他に見たことがあるわけでもない、という微妙な雰囲気で、一度だけランチに入ったことがあった。なかなか繁盛していて入口に近い席は満席だったので、奥に通された。奥では、男子大学生らしき集団が楽しそうに飲んでいた。

久々に生ビールを飲んだ。美味しかったけど、家で飲む缶ビールとの明確な違いはわからなかった。魔法が解けてしまっているような感覚があった。

隣の席を見ると、物心ついて初めて居酒屋に来たらしい息子が、その非日常的な雰囲気に興奮していた。

しばらく経って、店内に聴いたことのある曲がかかった。フジファブリックの『若者のすべて』。あちゃー。大学生の頃から好きな曲。カラオケ行きてー。とか苦笑してたら、今度はアジアンカンフージェネレーションの古い曲が2曲連続でかかった。ああ、これ、選曲してる人、同世代かな…。

男子大学生達や音楽の影響で大学生の頃の気持ちを思い出したけど、隣に自分の子どもがいて混乱した。

情緒がぐちゃぐちゃのまま、テーブルでお会計したら6000円くらいだった。真っ先に「あれ?高いな」と思ったが、よく考えりゃ大人2人+子ども1人で6000円くらいなら別に高くない。ああ、居酒屋が久しぶり過ぎて、「居酒屋高い」と思ってた大学生の頃の感覚も思い出したらしい。

いや、でも、冷静になっちゃうと高い。最近は3人分のテイクアウトで2500円以内くらいだったし。

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【2021.10.4 月曜日】

息子が『鬼滅の刃』にハマっている。テレビで放送された無限列車篇を観て、まんまとハマった。

仕事が終わって、風呂に入ろうと服を脱いでいる最中に、ねえ、と息子に話しかけられた。よくわからないまま返事をすると、

「どうまってわかいじょせいのにくしかたべないってほんと?」

と聞かれた。あまりに唐突な言葉の列挙で最初は意味が取れなかったけど、しばらくして

「童磨って若い女性の中しか食べないってホント?」

だったと気づいて笑った。

保育園に鬼滅の刃に詳しい子がいて、教えてくれたらしい。そうだな、童磨っていう鬼は若い女性の肉ばっかり食べてるクソ野郎だ。

 

【2021.10.5 火曜日】

息子に影響されて、改めて『鬼滅の刃』を読み漁った。あ、これ、こう繋がってんのか…という発見がたくさんあった。リアルタイムでジャンプで読んだ時は、だいぶ読み流してしまっていた。コミックスに収録されている作者の補足も異様にたっぷりあった。

なるほど、どうしてみんながあんなに熱狂するのか、が少しわかった。こんなに設定が作ってあるのか、と腑に落ちた。多くの登場人物について、こちらの感情移入が始まる前に死ぬ印象だったのだけど、熱心な読者はこういうところから気持ちを入れていくのね。

 

【2021.10.11 月曜日】

息子はまだ『鬼滅の刃』にハマっている。

漫画を隅から隅まで眺めている息子は、鬼滅の刃カルトクイズみたいな問題も出すようになった。この日は柱(強い剣士)の持つ刀のツバの形を問題として出された。難問過ぎる。

「じゃあ、恋柱の刀のツバの形は?」と訊かれた。当然知らない。いい加減に「あぁー(そもそもツバあるのか?あのクネクネした刀…。とりあえず、答えないと。じゃあ、恋だから)ハート」と答えたら「正解!」と言われて、「嘘だろ!?」と大きな声を出してしまった。

調べたら本当だった。よく見てるもんだ。

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【2021.10.14 木曜日】

まあ、日記に書くほど何かが起きる日々じゃないんだよなァ〜、このコロナ禍っていうのはよォ〜、と日記を書きながら言い訳したくなる。

そんな中で、雑談の価値が上がってる。

久々に会社に行って雑談があった日は、ちょっとスッキリする。

もちろん、会社に行かない日の妻や子供との雑談も十分楽しい。彼らとしか話さない日もあるけど、問題無い。雑談を楽しめる人たちと暮らせて幸運だよ。

雑談はしたいけど、聞くだけでも良いみたい。だからポッドキャストをたくさん聴いてるのかもしれない。

もっといろんな人の雑談をアーカイブするポッドキャストがあってもいいかもねー、って最近よく思う。自分で作ろうかな、とも思うけど、ためらっている。誰かがいないと雑談にならないけど、誰かとやると一人で好きなようにやれないかも、とか考えるうちに、面倒くさくなる。

それでも、『東京の生活史』(岸政彦 編)を読んでいると、ポッドキャストでこれがやりたかったのでは、という気もしてくる。この本は、誰かが誰かの人生の話を聞いて書き残すもので、ほとんどの内容が社会的に見ると後世に残らなそうな些細な内容になっている。この本が作られなければ消えて無くなりそうな話ばかりで、グッと来る。制作を追ったテレビのドキュメンタリー番組も良かった。小泉今日子の朗読も含めて、生の声にも迫力があって、あれは音声だけでも成立しそうだった。誰かが人生を語らなくてもいいけど、どこかの誰かの雑談が保存されていたら、それだけで価値がある気がする。

まあ、この雑談の価値高騰は今だけかもしれないけど。

 

【2021.10.27 水曜日】

会社に向かう電車の中で、急に諭吉佳作/menの良さに気づいた。

聴いていたポッドキャストで名前が挙がったので、何となく久々に聴いてみて急に気づいた。

今までは忙しなく鳴る音をうるさく感じていた。そこに長谷川白紙っぽさやボカロっぽさを感じていて、自分のためにある曲じゃないと決めつけていたのだけど、突然その音に多彩さを感じて美しさを発見した。

決定的だったのが、『ムーヴ』という曲の途中で唐突に入ってくるトロピカルな高音だった。このテンポの楽曲にそんな音入るのか。その新しさに気分が高揚した。よく聴くと、綺麗な歌声が聴いたことないような譜割で歌っているのも面白い。あ、そこ伸ばすんだ、みたいな。ヘッドホンを意識した作りの音にも初めて気づいた。音がぐいーっと右に左に動いた。これが曲名の由来かな。今までスピーカーで聴いていたから気づかなかったのか。楽しい。

ひょっとしたら、以前より精神状態が良くなったのかも。それで、やっと受け取る準備ができたのかな。今なら長谷川白紙も聴けるのかも。

電車を降りて駅を出ると、雨が降っていた。走る車のタイヤが、濡れて光る道路に逆さまに反射した。そんな光景を美しく感じたのは初めてだった。音楽の影響の可能性もあるけど、やはりとにかく精神状態が良いのだろう。

 

会社から帰る電車でも『ムーヴ』を聴いてみたら、遠くで美しく鳴るピアノの音が聴き取れた。マリンバか木琴みたいな音も聞こえた。

しかし、既に、それらがあの時聞こえたトロピカルな高音だったのかがわからない。早くも何かが失われた感覚があった。

 

【2021.10.28 木曜日】

前から読みたかった手塚治虫の『陽だまりの樹』をようやく読み始めた。傑作じゃん。『ブラック・ジャック』や『きりひと讃歌』などの系譜にある、手塚治虫が得意な医者漫画に、幕末を舞台にした歴史漫画の要素を複雑に絡めてくる。そこで繰り広げられる人間ドラマが大変にシリアスで、かなり大人向けになっている。まだ途中までしか読んでいないが、この心理描写の巧みさや盛り上がる演出の巧さが手塚治虫だったな、と再確認している最中だ。

自分自身を省みて、幕末への興味が増しているのは、大河ドラマ『青天を衝け』とか『風雲児たち』(みなもと太郎)とか『大奥』(よしながふみ)を楽しんでいるからだろう。

歳を重ねると歴史に興味が湧くようになる、という典型かもしれないけど。

 

【2021.10.29 金曜日】

子どもにせがまれて、10/3に行った居酒屋にまた行った。この前行った時の新鮮さはだいぶ薄れていた。前より混んでいた。あの日常が帰って来るのか。

それでも、テンションがおかしくなっていたのだろう。ちょうど良い塩梅がわからず、少し注文し過ぎた。

 

【2021.10.31 日曜日】

小雨降るハロウィン。

息子が通う保育園のクラスのメンバーで、公園に集まってささやかにハロウィン的なことをする予定だったけど、かなり前から息子は「絶対に仮装はしない」と宣言していた。

「せっかくだから仮装したら…」と思う気持ち、でも、息子の意思も尊重したい気持ち、などが湧いたが、一番強い感情は「俺が息子の立場だったら恥ずかしくてできないだろうな…」だったので、放っておいた。

その結果、息子は『ハロウィンなのに仮装しない人』の仮装で参加した。それにしても、俺の幼い頃にハロウィンが浸透してなくて助かった。

2021年前半に観た映画類の記録

グレイテスト・ショーマン』が良かったので、いつになくミュージカル映画を多く観た。子供と観るのにちょうど良い。昔ほど抵抗感が無いことにも気づいた。急に音楽が流れて歌ったり踊ったりする奴は現実にはいないんだけど(あるいは、存在するならそいつは狂人なんだけど)、効果的に感情を表現しつつ飽きさせない場面を作るには有効なんだ、と寛容になった。『イン・ザ・ハイツ』は劇場で見られなかったけど、スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』は楽しみ。

ラジオやポッドキャストで話題だった映画を劇場で観たのも印象的だった。『花束みたいな恋をした』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』だ。こうなってくると、観たい気持ちが観なければという義務感に汚染されたようになって、健全じゃない気もする。これらの作品を面白いと思っている気持ちは本物なのか。

ネタバレはしているはず。注意。


6/1【29】

『ミッチェル家とマシンの反乱』(マイケル・リアンダ監督)を観た。

最高!たくさんの要素が複雑に絡み合う点や、登場人物の成長や人間関係の改善が物語の解決と展開に強くリンクしている点は、『スパイダーバース』に似ていた(製作を手がけたフィル・ロードクリストファー・ミラーの影響だろうか)。

変人に見られる人々の個性の肯定と、父とケイティとの和解が同時に感動的に描かれていて、超グッときた。

物語設定は定番で、『ターミネーター』などが思い浮かぶのだけど、どちらかというと、そちらは副次的な要素だった。全体的にコメディタッチにすることで、無茶な展開や設定を飲み込めるようにしている。

更に、実質的な主役と言えるケイティが映画全体に加工を施したような映像にしているのがヤバイ。より虚実の境界を曖昧にする斬新な演出だった。ケイティが映像クリエイターを目指しているという設定がうまく機能していて、メタ視点にシームレスに移行する。最初は面食らったけど、慣れるとそのバカさ加減が面白かった。そのヌルッとフィクショナルになるハチャメチャ感が面白さを増している。めちゃくちゃ盛って書いた絵日記を読んでいるような語り口だった。見方によっては、ケイティが作った記録映画のようにも見えた。

また、フルCGの映像自体も良くて、光の微妙な表現が上手かった。CGキャラクターに繊細な陰影が入っている点に地味に驚いた。

そして、『恋のマイアヒ』の演出ズルい。あんなん泣きそうになる。

 


5/22【28】

『エノーラ・ホームズの事件簿』(ハリー・ブラッドビア監督)をNetflixで見た。

冒険ありアクションありで、無心で楽しめるエンターテインメント作品だった。推理よりは冒険活劇が多い印象で、劇場版『名探偵コナン』に近いバランスかも。

原作を読んだことは無いが、おそらくここまで現代の世界的なフェミニズム運動に添ってはいないのだろう。表情豊かに暴れ回るミリー・ボビー・ブラウンは、新時代の戦う女性アイコンとして、存分に魅力的に描かれていた。

イギリス出身の俳優ばかりが出ていて、イギリス映画としてのこだわりも感じた。

事件の大詰めのシーンは妙に暗いトーンだったが、あれもイギリス特有かもしれない。ハリー・ポッター・シリーズも連想した。そのシーンで、デュークスペリー子爵が撃たれても大丈夫だった理由は唐突過ぎたと思うけど。その子爵役のルイス・パートリッジという新鋭の美しさには驚いた。


5/13【27】

るろうに剣心 伝説の最期編』(大友啓史監督)を久々に観た。

京都大火編とひと続きの作品で、感想はあまり変わらない。ずっとそうなのだけど、やっぱりロケーションやシチュエーションをうまく使ったアクションが最高。谷垣健治の手腕なのだろう。藤原竜也はあのしゃがれ声を出し続けてるのがすごい。


5/9【26】

るろうに剣心 京都大火編』(大友啓史監督)を久々に観た。

やっぱりみんながやり切ってるのが良い。この前に軽く一作目も観たけど、その徹底っぷりは一貫してる。佐藤健のアクションは世界でも通用しないかな...。走ってるだけでもアガる。大友啓史は何かが舞っていたり降ってきたりするのが好きっぽい。ストーリーとかは変なところもあるけど、大丈夫!


5/8【25】

名探偵コナン 緋色の弾丸』(永岡智佳監督)を観た。

ラストの大立ち回りでは、爆笑しっ放しだった。

最近の劇場版では毎回そうだけど、ハリウッド映画を超えるスケール感が楽しい(ラストのスペクタクル展開は『純黒の悪夢』に似てた)。予算の無い日本では、このスケールの表現をするならアニメが最適解の一つだろう。

一方で、子ども向けアニメの脚本としては少し問題がある気がしてて、2時間の超大作なのに、終盤まで派手な映像が無い点が惜しかった。我が子も、途中、少し飽きていた。そう考えると連続事件はよく出来た仕組みなんだ、と気づいた。連続事件を採用しなかった結果、今回はかなり残酷描写が少ないことにも思い当たった。小さな子どもも見られるような微調整をかけたということだろうか。痛し痒し。

また、ちょっと驚いた描写として、毛利家の団欒風景があった。これまで描かれたことがあったのだろうか。毛利家はちゃぶ台でご飯食べるんだ、という発見には戸惑った。

15年前の事件が今回の事件に関連している、というのが一つのキーポイントなのだけど、当時の事件がなぜ起きたのか、がわからなくてモヤモヤした。事件の被害者達が多くを語らなかった理由は?実は言ってた?見逃した?という細かいところはすっ飛ばした方が楽しいだろうな。

そして、やっぱり映画のコナンはあんまり推理してないな!


4/28【24】

大誘拐 RAINBOW KIDS 』(岡本喜八監督)を観た。

主演の北林谷栄氏の演技がとにかく凄い。怖い・かわいい・面白いを同時に体現する演技は周囲から浮くレベルに見えた。

それに対抗するように恐ろしい演技をしていたのが、樹木希林だった。面白い田舎のおばさんを自然に演じ過ぎてて怖い。どこまで台本通りなのかが分からないくらいに、全ての演技が自然。

緒形拳も都会的じゃない切れ者の演技がカッコよかった。嶋田久作岸部一徳も脇で良い味を出していた。主演らしき風間トオルは、ネイティブっぽくない関西弁のせいでイマイチだった。

本来であれば、誘拐犯と警察は対立構造を持つはずなのだが、この映画での両者の間には大きな空洞がある感じがして、そこに生じるズレや奇妙さが不気味なコメディを作っていた。

編集はやたらとテンポが良くて、飽きさせない映像が続いた。


3/20〜4/23【23】

『ファルコン&ウィンターソルジャー』(シーズン1)を観た。

グローバリズムが引き起こす格差社会の問題や、アメリカを端緒として表出した黒人差別の問題を、単純化せずに複雑なまま描き切っていて、後味は苦い。最終話のファルコンの言葉には、はっきりとした問題提起があって、その勇気を奮う姿が感動的だった。

見応え抜群のアクションシーンもたっぷりあって、『ワンダヴィジョン』以前のこれまでのMCU作品の王道の系譜に入るだろう。ファルコンの戦闘バリエーションを拡張したのも素晴らしかった。第1話と最終話の戦闘シーンは何度も見られるクオリティだった。シャロンの戦闘シーンからはブラック・ウィドウに代わる活躍を連想した。

マドリプールの急に漫画的な描写は笑った。

また、ファルコンもウィンター・ソルジャーも地味で目立たない印象だったけど、これだけ生活パートを掘り下げると、人間味が増して面白い。バディムービーとしても素晴らしい完成度だった。

シャロンをそんなキャラクターにしても良いのか?ジモはあんな状態でいいのか?などと今後の展開も気になる。

それにしても、終始ドラマとは思えない潤沢な予算を感じる。ド迫力のアクションは大きなスクリーンで観たいくらい。6回に分割されたハリウッド映画だと思った方が良い。


4/7【22】

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』(庵野秀明総監督)を観た。

とにかく終わっていた。もうこれ以外もこれ以降もこれ以上も作られないように、完膚なきまでに終わっていた。本当にちゃんと終わるとは思ってなくて動揺した。

TVシリーズまで総括するとは思わなかった(漫画は読んでない)。真っ先に、ジョージ・ルーカスと違ってうまく終わって良かったな、と思った。

ラストシーンの現実を肯定するようなカットにも驚いた。庵野秀明が大人になった印象を受けた。その事実がショッキングだったし、感動的だった。

冒頭から、悪夢のような敵と新しいエヴァの観たことがない戦闘シーンに心を掴まれた。超ロボットアニメでアガッた。エッフェル塔のあの使い方を観たパリのファンは大興奮だったろう。戦闘シーンのテーマ曲のフラメンコみたいなアレンジは目新しかった。そういえば、『破』以降、いつもマリの活躍するシーンから始まっていたと気づいて、そこに意図を感じた。

序盤の展開を観て、俺は昔からトウジが一番好きだった、と思い出した。

襖を開く映像を超低位置の真横から捉えて、シューッという音を強調しながら挿入するのが、超エヴァだった。

綾波がプラグスーツのまま田植えしている映像は、そのドギツイ違和感で笑った。その時に流れていたアコースティックな曲がまた妙に爽やかで、とてもチグハグな印象を受けた。レイの生まれたて感にもずっと笑っていた。あの視点で台詞書き続けられるの凄い。

シンジがアスカからレーションを食べさせられるシーンが、異様に動くアニメーション(モーションキャプチャ?)で、そのグロテスクさが印象に残った。

そして、テレビシリーズのラストを踏まえた最終決戦。あれがエヴァを決定的に終わらせた。

まず、戦艦同士の空中戦で古い特撮みたいな曲が流れた時は、そのやりたい放題感に笑ったし、アガった。

全て思い残しの無いように。

最終的にはテレビのラスト2話や旧劇場版を肯定するように説明を付与してくれて、救われたような気分にもなった。あの下書きみたいな映像も必要なものとして描かれていて、そこにあるメタの視点は、「アニメが作られるから世界が作られる」という構造を見せられた。

また、シンジが決意して、ミサトがシンジを受け入れたシーンも、これまでの全てを踏まえた上での成長の儀式として実感できて、感動的だった。

面白いかどうかはともかく、碇ゲンドウの内面まで描けたことにも驚いた。

胸のデカい云々という台詞は気持ち悪くて、ちょっとどうかな、と思ったけど。

エヴァがやっと終わったのだから、『シン』じゃない庵野秀明オリジナルが観たい。

補足すると、観終わってからシン・エヴァについて語っているアトロクやPOP LIFEなどのポッドキャストやラジオを沢山聴いた。『花束みたいな恋をした』の時にも感じたけれど、聴くために観ているみたいだ。別冊アトロクでのベースボールベアー・小出氏のスタンスが自分に一番近い気がしたし、ドロッセルマイヤーズ・渡辺氏のエヴァへの提案が一番腑に落ちた。

総じて、やっぱりあの作風だと庵野秀明個人と切り離しづらい、と感じた。メタの視点が作家としての視点に見え過ぎる。

『破』でのシンジの挙動を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか、がシン・エヴァの感想にも関わっているとも感じた。


3/31【21】

メン・イン・ブラック』(バリー・ソネンフェルド監督)を久々に観た。

思った以上に脚本がよく出来てて、ギャグを頻繁に交えながらめちゃくちゃテンポよく無駄なく進んでいく。映像の端々からはスピルバーグ的な雰囲気も感じた。

吹替で見たけど、喋ってる雰囲気からウィル・スミスがラッパーだったこともよくわかった。そして、彼の当時のルックスはアイドル性に満ちていた。

バグを演じていた男性もメチャクチャ上手い。どう見ても異形の生物が人間の皮を着てる感じがヤバかった。

そういう描写も含めて、実は残酷描写が容赦無かった。血の量を少なめにして、イメージがマイルドになるようにコントロールしているが。


3/23【20】

『飛べないアヒル』(スティーブン・へレク監督)を久々に観た。

25年ぶりくらいに観た。大枠としては『がんばれ!ベアーズ』(観てないが)『メジャー・リーグ』などに作品群に連なる、弱小チームに新たな指導者やエースが加わって強くなる王道ストーリーで、大変わかりやすい。

しかし、途中で変な展開も挟まってくる。特に、敵チームにいたバンクスが仲間になるシーンは不要に思えた。無理に盛り上げる葛藤を作ろうとしてる。

それと、思ってたより低所得者層の世界を描いてたことにも初めて気づいた。ちょこまかとストリートを走り回る子供たちは生き生きとしていて良い。強豪チームに黒人がいない点などに、人種問題が内包されている。

ホッケーという題材の最大の問題点は人物の顔が見えない点だった。子供たちは背格好も似ていて、試合のシーンでは区別がつかなかった。

エミリオ・エステベスのスケーティングが異様に上手かったけど、本人なのだろうか。


3/21【19】

ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督&デクスター・フレッチャー監督)を観た。

最後のライブエイドとその直前のいざこざに物語を集約する構成になっていて、そこまではかなり単調な脚本だった。クイーンというバンドと楽曲の紹介に終始していた。

ポール・ブレンダーが絶対的に悪い奴にしか見えなかったけど、実在するらしい。そのステレオタイプな人物造形も含めて単調な脚本だった。本人の許可は取っているんだろうか。その脚本の単調さを編集で誤魔化している印象も受けた。音楽が良いので飽きずに観れてしまうけど。映画館で爆音で観ればもっと気分が高揚したのかもしれない。

ドラムにビールをかけて叩く映像や、ギターやピアノの速弾きを超接近して撮る映像などは面白かった。

ブライアン・メイは実際にこういう人なのだろうか?非常に理知的にバランス良く全体を見られる人物で、一番面白いキャラクターだった。


3/14【18】

弱虫ペダル』(三木康一郎監督)を観た。

自転車のペダルをぐるぐる漕ぐ映像が面白かった。そこが一番の見せ場だろう。

自転車のスピード感をうまく表現できているシーンや、坂の勾配をキツく表現できているシーンも良かった。

主人公はひとりぼっちの人間で、友だちのために自転車に乗るというエッセンスだけに話を絞ってるのが上手かった。原作もある程度読んでいたので、「永瀬廉があの主人公か〜」と少し不安に思っていたが、永瀬廉なりの小野田坂道になっていて良かった。特に小野田坂道の狂気がうまく表れていた。そして、オタクっぽさを保ちながら不潔感が無いのがジャニーズ力だと感じた。

しかし、いろんな省略や差異が目立つので、原作ファンは満足しないだろうな、とは思った。かと言って、原作を読まずに観ると、先輩陣の行動やキャラクターがよくわからなく見えるのでは、とも感じた。その中途半端さが観客を限定しそうだった。

自転車レースでのチームの『協調』による妨害も、「なぜ抜けられないのか」と「小野田が来たから二人抜けられる」の意味が映像ではわからなかった。漫画っぽい説明台詞にも無理は感じた。


3/12【17】

宇宙戦争』(スティーブン・スピルバーグ監督)を観た。

スピルバーグはやっぱりすげえ!断片的にテレビ放送で見かけていたけど、ちゃんと全部見たのは初めてだった。

まず、映画的に盛り上げる演出がとてつもなく上手い。実体を見せないことで何かが迫ってくる恐怖を増幅させる手法は、きっと『激突』や『ジョーズ』の頃からのトレードマーク的な演出なのだろう(と想像した)。ダコタ・ファニングのパニックを起こす演技もやたらと上手くて不安を煽る。

見えるはずが無いものを見えるようにする演出も凄い。ダコタ・ファニングが恐怖に怯える吐息を魅せるために、口の前に蜘蛛の巣を配置していて驚いた。

そして、それらの演出を駆使しているおかげで、この内容にも関わらず、人間が出血・流血する描写が極端に少なくできていた。レーティングを上げないようにする工夫だろうが、宇宙人に撃たれた人間は灰みたいになるし、墜落した飛行機には怪我人も乗っていなかった。宇宙人が人間の血を散布するシーンはあったけど、あの演出における血はもはや物質化していて、おどろおどろしさだけを残す巧さがあった。

唯一人間が流血するのは、主人公家族の車が民衆に囲まれるシーンで、フロントガラスを手で突き破る人物の手からは血が滴った。あの集団心理の暴走の描き方はめちゃくちゃ恐ろしい上に容赦無かった。

その後の宇宙人に追われて難民になる描写も、実際の戦争での犠牲者を描写してるとしか思えなくて、生々しい辛さがあった。

そして、主人公レイは助かるために人を殺めたとしか思えないシーンがある。最終的に宇宙人達がプランクトンや微生物によって死滅するというオチを見てしまうと、レイはあの行動をどう捉えて生きていくのだろう、と考える。一時的なパニックや極限の心理状態というものの恐ろしさを感じずにはいられない。そんなことを、震災や新型コロナウィルスのパンデミックを受け止めながら2021年に考えた。普遍性を持った古典になりつつあるのだろう。


3/9【16】

『ゴースト・バスターズ』(2016年版/ポール・フェイグ監督)を観た。

めちゃくちゃ笑った。ホルツマンの一挙手一投足と、超抜けてるクリス・ヘムズワースが何かやらかすシーンで沢山笑った。

特に、ホルツマンの独特の喋り方と皮肉やジョークが最高だった。アベンジャーズばりにゴーストを薙ぎ倒すシーンは涙が出るほど笑った。エリンとアビーの掛け合いはアンガールズの漫才みたいだった。

皆の生き生きとした会話がすごい。内容が些末過ぎて台本にできる感じがしなかった。意識的に変な間や妙なやり取りを採用していた。どんな脚本になっているんだろう。展開はメチャクチャなところも多かったけど、何も考えないで見られるコメディ映画としては最上級の作品だった。


1/16〜3/5【15】

『ワンダビジョン』(シーズン1)を観た。

凄かった!超ハイコンテクスト!イースターエッグ詰め込み過ぎ。

唐突に始まる『奥様は魔女』や一連のテレビシリーズを引用した映像でテレビドラマへのリスペクトを感じさせつつ、ちゃんとMCU作品のフェイズ4としても成立させる。その上で、毎話ちゃんと先が気になるように練られている脚本は、マジでエグい。MCU初のドラマシリーズとして最高の出来。一時はX-MENとのクロスオーバーまで示唆していて、もう大変なことになっていた(ただのミスリードだったのだろうか?マルチバースへの布石ではないのか?ファンタスティック・フォーも絡んでくるのか?)!

映像も普通にハリウッド超大作レベルだった。最後のバトルはちょっと単調だったが。

年代が変わる鮮やかな演出も良かった。凄まじい予算も感じた。

ワンダの能力がメチャクチャにパワーアップしているのだが、これでMCUという大きい物語全体のバランスは取れるのだろうか?ワンダの行動はかなりヴィラン寄りで、大量の悲劇を抱え込んだ性格も含めてだいぶ危ういキャラクターになったと感じた。ヴィジョンはどうなるのか?二人の子どもは?モニカ・ランボーは?とまだまだ今後も気になる。

ワンダが出るらしいドクター・ストレンジの続編も楽しみ。


3/3【14】

ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー』(ケニー・オルテガ監督)を観た。

劇場公開しただけあって、予算が上がってる感じはした。

シャーペイのビジュアルが少し変わっていて、よりキュートになった。ガブリエラはやっぱり勉強してる感じがしないし、露出が多くて驚く。

トロイがガブリエラを迎えに行くシーンは、時空が歪んでいるような演出になっていて爆笑した。1600kmの距離を一瞬で移動したかのように見えちゃう編集はまずい。観客にサプライズにしたいのはわかるけど、何が何だかわからなかった。トロイの苦労が伝わるようにガブリエラの移動シーンを事前に入れとくとか、ガブリエラがトロイと会えなくて憂鬱な時間を過ごしたように見せるシーン入れとくとかすべきじゃないか。そもそも、ガブリエラがミュージカルに出なくなる理由も弱いな!


2/23【13】

アポロ13』(ロン・ハワード監督)を久々に観た。

こんなに細かくカット割って、こんなに一つ一つ撮ってたっけ...。一つずつスイッチを入れる動作や読み上げて確認する動作を、その都度丁寧に捉えているのだけど、暗に「これだけやっていても事故が起きてしまうのだ」という説明になっていて、良い演出だと気づいた。

ロケットの発射とか95年にどうやって撮ったんだろう?模型?あり得ないリアルさで興奮した。

社会人10年以上経て観ると、管制官のリーダーのエド・ハリスの頼もしさが凄くて、理想の上司に見えた。部下もちゃんと意見するし、良い職場!そして、ゲーリーシニーズがたまらなくカッコいいのは変わらなかった。

リアル過ぎて、私の子供は「宇宙飛行士になりたいと思わない」と言っていた。


2/19【12】

『花束みたいな恋をした』(土井裕泰監督)を観た。

ガチの恋愛映画を映画館で観たのはいつぶりだろう?(『モテキ』以来?いや、あれは恋愛映画じゃなくて、男の妄想映画だったか)。坂本裕二脚本だったので気になってはいたけど、ラジオやポッドキャストでこんなに話題にされなかったら観てなかっただろう(おかげさまで、観ないと聴けないコンテンツがメチャクチャ溜まってる!)。

そして、何となく危惧していた通り、観終わってからずっと心にもやもやした何かが溜まっている。観ているうちに、脳内に存在しないはずの記憶をインセプションされたような感覚があって(スタンド攻撃?呪術?)混乱した。

「こんなことが俺にもあったような?」

「いや、そんな経験など無かったのでは?」

「でも、ちょっと違うけど、こんな経験ならあったか...」

と封印していた記憶の扉を、不用意にバンバン開かれて消耗した。

まず、序盤は、若者カップルの気恥ずかしいやり取りと、自分にもわかるカルチャー関連の名前の連打に悶絶した。

後半では、『似たようなものが好き』の奇跡だけでは恋愛は続かないし、努力が必要だよな、という苦味に打ちのめされる。その後半の努力の部分で、ジェンダー的な差に思える描き方があって、それも思い当たるフシがあって辛かった。『さよなら、俺たち』を読んだ直後だったせいもあるのだろう。

具体的に言うと、麦が自分勝手にも思えるやり方で就職を決めるシーンや、最初に結婚を仄めかすシーンで、ここにある『相手の話の聞かなさ』が辛い。ここに男性の共通性があるように見えるのが辛い。麦の先輩の思想と、その先輩の死を巡るシーンにもホモソーシャル性を滲ませていて、本当に見てられなかった。

脚本は当然メチャクチャよく出来てて、細かいセリフも超行き届いている。「ワンオクは聴く?」「聴けます」という些細なやり取りや、社会人から言われた警句を内面化した台詞として吐いてしまう麦や、麦が言っていたことを絹がそのまま繰り返す仕掛けには、ただただ感心した。イヤホンを分けて聴く行為の象徴的な扱い方もとても上手い。男女が繋がっていることを描いているし、年齢を重ねた結果それを否定することが恋の終わりも描いていた。

そして、言うまでもなく、最後のファミレスシーンは最高で、最悪の辛さだった。そういえば、京王線サブカルと中央線のサブカルは違うのか?出てくる作品について全然知らないままでもおそらく楽しめるけど、知るともっと楽しめる要素もあるのかもしれない。異常に充実したパンフレットを読んで、すれ違いを示す記号的道具だった『茄子の輝き』の中身に意味があったのか?と思い始めて読んでみたくなっている。

麦が保坂和志作品を読んでいたことには、少し違和感があった。

全体を通して変わった演出はしていないのだけど、繊細な表情をちゃんと捉えている映像は良かった。瑞々しさが伝わってくる映像だった。衣装や部屋のセットのディテールも、とても行き届いていた。

意識していないだろうけど、二人の別れのシーンはあだち去りだった。


2/18【11】

ハイスクール・ミュージカル2』(ケニー・オルテガ監督)を観た。

1と似たような話を夏休みのリゾート施設でやっていた。

妙な暗転は無くなったけど、テレビ映画感はまだある。

ライアンのキャラに急な肉付けが起きたのは驚いたけど、仲間になって面白くなった。ガブリエラの天才(秀才?)設定はだいぶ忘れ去られた気がする。父親の発言に右往左往するトロイが可愛そうだった。

1とロケーションが変わって歌って踊るシーンの種類に幅が出たけど、一時期Twitterなどで話題だったバイトテロを思い出すくらいに職場で騒いでて、苦笑してしまった。去ったガブリエラが戻ってくる展開は、理由が描かれなくてあまりにご都合主義的だった。

全体的に1よりパーティ感が増していて、頭を使わせない感じも増していた。


2/1【10】

ハイスクール・ミュージカル』(ケニー・オルテガ監督)を観た。

ザック・エフロンは昔から歌もダンスも上手かったんだな。テレビ映画っぽいチープさはあった。フェードアウトの暗転も微妙な使い方だった。ストーリーも微妙なところがあって、トロイとガブリエラの友人達が協力して彼らが歌うのを邪魔するシーンは、特に違和感があった。自分達で邪魔しておいて、二人が落ち込んでるの見てすぐ反省するって、無理があるだろう...。

それを見ていて、相当気をつけないと、ミュージカルは歌を優先し過ぎた時にご都合主義的に見えてしまうんだな、と知った。「お?歌うか?」みたいな感じで期待しながら観続けた。

悪役を演じるシャーペイの可愛らしさには笑ってしまう。

ラストの全員でのダンスは多幸感たっぷりで良かった。シャーペイも仲良く一緒に踊っているのが良かった。


2/1【9】

グーニーズ』(リチャード・ドナー監督)を観た。

クラシック感が凄くて、観ながらこの作品が後世に与えた影響を見ているような気分になった。そして、『ストレンジャー・シングス』は、同時多発的に作られた『スタンド・バイ・ミー』や『E.T.』と並べてたっぷり参照しているのだとわかった。

全体を通して、製作総指揮に入っているスピルバーグっぽさも強く感じたが、それは先入観もあるかもしれない。調べたら『E.T.』も『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』も、この作品より先行していたので、普通に影響を受けたのかもしれない、と考え直した。

何だか抜けてて怖くなり過ぎない敵キャラクターの造形は、『ホーム・アローン』を作ったクリス・コロンバスの手腕なのだろう。唐突に『スーパーマン』のパロディが入っていたのは、監督繋がりだろうか。

この作品の魅力は、どこか野蛮で粗削りなエネルギーに満ちている点にあるのではないか。まず、キャラクター達が粗野で口汚い上に、ずっと大騒ぎしていて元気だ。ギャグもしくはギャグ的な展開も下品で大味だ。展開が多い上にめちゃくちゃで、宝の地図通りにアメリカ郊外に残っている海賊船とか、かなり訳がわからない強引さだった。明確に障害を持っているスロースの描き方も乱暴だった。全然現代的じゃないし、洗練してるとは言い難いけれど、その熱量に圧倒される。

また、洞窟のシーンが長くて、想像していたより暗めの映像が続くのは単純に意外だった。なぜ主人公が海賊の片目のウィリーに激しく感情移入(あるいは同化)するのか、がよくわからなくて気になった。喘息持ちで家に篭りがちだったから、洞窟に篭っていた彼に同化したとか?


1/30【8】

『監視者たち』(チェ・ウィソク&キム・ビョンソ監督)を観た。

監視という一見地味な行為をメインで描いて、ここまでエンターテインメントにしてることが驚異的だった。

『誰が何をしているのかわからないけど、何だか面白い』という異様な状態を維持するオープニングから凄かった。編集と撮影の力もあって、その後もずっとテンポよくスリリング!監視のために、服を着替えたり、人が入れ替わったりするような、よくわからないけどあり得そうな細かいギミックで説得力を持たせているのが上手かった。邦題も悪くなくて、お互いに監視し合う瞬間があるのもサスペンスフルだった。

超能力に近い記憶力を持つ主人公刑事のキャラクター設定も魅力的なのだが、特筆すべきはプロフェッショナルな犯罪者を演じた敵だろう。あの残忍さと冷酷さ。警察に捕まらないように綿密な計画を立てて冷酷に完遂する男は、映画が違えば『ミッション・インポッシブル』のトム・クルーズのように描けるキャラクターでもある。

暴力描写はいわゆる韓国映画らしいリアリティのある重みが凄い。敵側での仲間割れのシーンは、狭い通路での長尺の格闘シーン自体も凄かったけど、縦横無尽に動き回るカメラワークの実験性に驚いた。あそこだけ少しテイストが違う。予算も凄まじくて、車のクラッシュの派手さや美術の作り込み方にも感心しっぱなしだった。


1/25【7】

ラ・ラ・ランド』(デイミアン・チャゼル監督)を観た。

思ったより変な映画だった。ミュージカル的に使う音楽は良くて盛り上がるし、俳優陣の演技とダンスは巧くて楽しいけど、ずっとMVを見てるような感覚があって、ミュージカル映画としては受け止めづらかった。

この印象は動き回るカメラワークのせいかもしれない。正直、予告編の方が面白かった。

口論のシーンのカメラワークはつまんなく見せるためにわざと単調にしてるのかもしんないけど、ちょっと長過ぎないか。ワンカットじゃダメなのかな。台詞もつまらないし、辛かった。

セブが昔の知人のキースと始める音楽がかなり変なのだけど、その扱いもよくわからなくて気になった。「売れてるけど、セブもミアも好きじゃない」という音楽のライブを見てると、「じゃあ、この会場で熱狂してる人達は何なの?」とずっと疑問だった。自分自身もこの音楽を良いとは思えなかったけど、監督も良いと思ってなさそうなのが気になった。そういう嘘はコメディでは面白いけど、こういう作品に入れ込んでくると、不誠実に感じた。「本当に良い音楽で売れるのはわかるけど、自分のやりたい音楽とは違う」というバランスで見たかった。何かを上げるために他を下げるのは、もう古い、ような。

そして、セブのジャズ観もとても古く感じた。現実ではもっとアップデートされてるはずなのに、反映されてない。っつうか、セブは本当にただのダメなヤツじゃねえかな...。容姿以外の魅力がわからなかった。いや、ミアを女優の道に引き戻す見返りとして復縁したりしなかった点だけは良かった。

色鮮やかな衣装とセットの美術は美しかった。ゴダールを思い出した。ラストのあり得たかもしれない世界を想像するシーンは良くて、このシーンの普遍性が観客のエモーションに刺さったし、監督が一番撮りたかったシーンなのでは、と感じた。


1/20【6】

グレイテスト・ショーマン』(マイケル・グリシー監督)を観た。

とにかく超アッパーでびっくりした。歌と音楽が鳴り続ける。絶望も希望も、歌って踊る。

ヒュー・ジャックマンがすげえが、ザック・エフロンゼンデイヤも知らない人もみんなヤバイ。多幸感もヤバイ。曲がずっと頭から離れない。『A Million  Dreams』も『This Is Me』も『Never Enough』もクソ名曲。音楽が展開をグイグイ引っ張っていく。超展開も音楽の力でねじ伏せる。

動き回る演者を不足無く魅力的に捉え続ける撮影も素晴らしいし、無茶な展開や省略をセットの転換やカメラワークで途切れなく繋ぐ演出も良い。

サーカスの起源を描いていく話で、当時は異形の人々を見世物にする価値観の上で成り立っていたのでは、と想像する。しかし、それを個性と多様性の肯定に落とし込んでいるのは、現代的な解釈として大変上手かった。


1/18【5】

『ブックスマート』(オリヴィア・ワイルド監督)をまた観た。

2度目でも最高だった。全部展開がわかってても最高じゃん。何回でもいけるかも。今回は約30分×3日間でじっくり観た。卒業式で、皆が二人を認めて、二人が皆をちゃんと見る瞬間に、泣きそうになった。エイミー役のケイトリン・デヴァーは表情の作り方がマジで素晴らしい。


1/12

『梨泰院クラス』(シーズン1)の第1話を観たが、第2話以降を見ていくのは難しそうだった。


1/10

『あなたの知らない卑語の歴史』(シーズン1)を観始めた。


1/4

『クイーンズ・ギャンビット』を観始めた。


1/1【4】

ジュマンジ』(ジョー・ジョンストン監督)を久々に観た。

昔観た時の不気味な印象は間違ってなかった。ジャングルから流れ込んでくる生物も現象も総じて恐ろしかった。

そこには演出の上手さもあって、予兆として音だけさせたり、振動だけ起こしたり、あるいは暗闇から徐々に現れたり、という助走が効いている。そこからの、超現実的映像の開放がスペクタクルだった。

更に、脚本もよく出来てて、すごろくゆえのその突拍子の無さが驚異だった。うまくトラブルと解決が連鎖していた。駒が止まったマスごとに起きる出来事も、よくぞあんなにバリエーションを考えたものだ。

しかし、この作品で一番凄いのは、ボードゲームを介して年月を飛び越えるというアイディアだろう。26年間もボードゲームのジャングルに閉じ込められるというのは、本当に残酷で恐ろしい罰で、今見ても辛い気持ちになる。少年のまま26年が経ってしまったアランを演じるロビン・ウィリアムズの表情は凄い。少年特有の無垢さをとてもうまく表していた。そこには狂気も感じた。

吹き替えで見た感じでは、『男らしさ』(=立ち向かう強さ。逃げない勇気)の獲得をアランの成長に重ね合わせていて、その部分は2021年には見づらく感じた。


1/8【3】

『ヒーローキッズ』(ロバート・ロドリゲス監督)をNetflixで観た。

おそらく『スパイキッズ』の枠組をアメコミヒーローでやろうとした感じだった。まともに『スパイキッズ』を観たことが無いが、以前チラ見した印象では意図的に安っぽいCGで構築した世界で大活躍する子供たちを描いていた。その手法はそのまま今作にも適用されていた。子供たちの大活躍を強調するために、過剰なまでに大人が無能なのは、どうなんだろう。これを見た子供達は胸がすく思いをするのかもしれないけど、立派な大人もいた方が未来に希望を持てそうな気もする。それにしても、CGが安っぽい。意図的だとしたら必要なのだろうか。アクションシーンは子供達が頑張ってるけど、魅せ方が単調で面白くない。この監督はファミリー向けの時だけこんな作風になるのだろうか。『マンダロリアン』シーズン2を思い出すと、手抜きに見えた。


1/5【2】

『ソウルフル・ワールド』(ピート・ドクター監督)を観た。

めちゃくちゃ凄かった。作品のメインテーマは『生きることの大変さと素晴らしさ』みたいな感じで、人生経験のある大人の方に響きそうな内容なのだけど、ちゃんと噛み砕いて楽しくビジュアル化することで、子供にも飲み込みやすくなっていた。子どもの作品を受け取る力を信じている、と感じた。

ディズニー傘下のピクサーで、ジャズをメインのモチーフにすることも主人公を黒人の成人男性であることも挑戦的だが、この激動の時代に合っている。

ジャズを演奏するシーンは音楽も素晴らしい(ジョン・バティステ良い!)けど、その動きの表現の緻密さにも驚く。指の動きには見入ってしまう。

脚本も凄くて、「魂の世界から現世に戻るまでの話かな」「現世で見事に演奏をやり遂げるまでを描く話かな」というベタなストーリーを想像してたら、見事に裏切られまくった。

魂の世界と現実の描き分けも面白い。白っぽくて明るい魂の世界ではシンセサイザーっぽい機械的な音楽が流れ、雑然としてて影や夜がある現実世界ではジャズが流れる。

特に、22番が初めて現実に触れる時に汚さや雑然さに圧倒される場面には、急に現実を見せられるような厭な驚きがあった。

一方で、現実世界の何でもない事象の美しさに触れる場面にも、目を開かれるよう驚きがあって素直に感動した。俺たちはこんな美しい世界にいたのか。これらのシーンの対比は、世界のことをちゃんと知ることの大事さを表している気もする。

ラストシーンのエピローグを描かない潔さも気持ちよかった。これまでであれば、本編内か、あるいは、オマケみたいにエンドロールでキャラクター達のその後の人生を描いたりしたのではないか。「人生はどうなるかわからない」という不確定な未来に希望を委ねた終わり方は新鮮だった。


1/3【1】

アナと雪の女王2』(ジェニファー・リークリス・バック監督)を観た。

前作より歌が増えた。こんなに歌ってたっけ、というのが第一印象だった。作品全体を引っ張る「アーアアー♪」という特徴的なメロディはどの言語でも共通で使えるのだろう。よく考えられている。

寒そうな銀世界は、前作以上に美しく描かれていた。エルサが海を凍らせながら駆け上るシーンは独創的でカッコよかった(早くアベンジャーズに入って欲しい)。

そして、今回は悪役と言える人物がいないどころか、徹底して嫌な人物もいなかったのが最も印象的だった。代わりに、人種間の衝突や気候変動という社会問題を敵に看做していた。かなり優等生的な設定だが、上手かった。

その問題を解決することと、エルサの出生に関わるアイデンティティの発見を、全て連動させてカタルシスにしている点は、システムとして優れてるのはわかるが、あまり上手く機能していたように思えなかった。エルサが魔法を使える理由が曖昧な印象だったからではないだろうか。中途半端に理由づけするなら、無くても良かったのでは。

一方で、オラフにジョーカー的な狂気を感じるのは、自分のひねくれた受け取り方のせいだろうか?腕が取れても鼻が取れても痛がりもせずに、笑いながら変な蘊蓄を垂れたりする生き物は不気味だろう。吹き替えで観たからかな?ピエール瀧だったらもっとそう思えたんじゃないかな?

2021年前半に読んだ本の記録

長らく積んであった分もまとめて、ようやく『三体』を読んだ。『三体Ⅱ 黒暗森林』を読んでいて、自分が常日頃から『ハンター×ハンター』を渇望していることに気づいた。それに気づいた時、『いつでも捜しているよ どっかに君の姿を』という山崎まさよしの歌が脳裏に浮かんだ。『呪術廻戦』の中にも『ハンター×ハンター』の姿を捜しているのかも、という疑念も浮かんだ。いつでも良いから続きが読めれば嬉しい。あの漫画描くの大変なのはわかるので。あ、『ヒストリエ』もね!

引き続き、フェミニズムに興味はあって、シスターフッド的な物語にも惹かれる。そして、ホモソーシャル的なものが害悪に思えてしまう。コロナ禍でそういう飲み会が無くなったから余計かもしれない。飲み会が復活したら辛いかも。

以下、遡る形で読んだ本の感想を記録する。

ネタバレはしているだろう。


6/25

『さいごのゆうれい』(作:斎藤倫/画:西村ツチカ)を読み始めた。


6/7〜6/29【12】

『家族って』(しまおまほ)、読了。

またも、しっかりと、しまおまほ節。おかしな出来事がさらっと書かれたり、覚えていられないような日常の些細な出来事が執拗に言語化されたりする。感情を入れずに事実を書いているだけの文章も、その出来事の間に飛躍があったりすると、そこに文学っぽさ(って何だ?)を感じたりする。不思議だ。著者がインタビューでも答えていたが、感情の説明を入れずに感情を描写しているようなところがあって、それも文学っぽさに繋がっているのだろうか。

また、出来事の取捨選択と繋ぎ方に感情が込められるということにも気づけた。映画の編集に似ているかもしれない。

著者の家族との話をベースにして語られているが、父方の祖父・島尾敏雄と祖母・島尾ミホの小説家2人に関わる話はやはり異質な感じがした。先入観もあるのだろうが。特に、島尾ミホから漏れ出る、夫への狂気的な執着にはちょっとドキドキした。

奄美加計呂麻島に関わる文章からは、何だか超現実的な空気が漂っていて、異質だった。

 

6/6

『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府の作り方』を読み始めた。


5/27〜6/6【11】

夢で逢えたら』(吉川トリコ)、読了。

『女芸人』と『女子アナ』に分類されてしまう女性2人が、緩やかに連帯しながらテレビの世界と向き合うシスターフッド小説。って、なんか、この説明でいいんだろうか。もっとはっきり言い切った方がわかりやすくて楽しみやすいんだろうけど、そういう風には描かれてない。

主人公2人の男性優位社会に対する意識や、それを容認している世間との接し方は揺れ動いていて、いわゆる『正しさ』だけで割り切れない部分にもがいている。女性蔑視はクソだけど、それがはびこっているテレビ業界で生き抜くにはどうすれば良いのか。その混乱や試行錯誤をそのまま小説にしているような感じ。終盤に一応のカタルシスはあるんだけど、そこまでたどり着くのが結構しんどかった。

特に、侑里香というアナウンサーの方のキャラクターが理解しづらくて混乱した。過剰に家父長制に乗っかった夢を抱きながら、男性の女性差別的な言動に対して苛烈にフェミニズム的反論をする、という多面性に混乱した。芸人である真亜子にも多少この傾向はあるので、そんな矛盾を孕んだまま生きているのが現代女性のリアル、と考えるのが良いのかもしれない。侑里香の同期アナ・佐原しずえが世論に適応しようとする描写もリアルだった。形はどうあれ、ホモソーシャルを打ち砕く動きになり得る、と感じた。

そして、作者は本当にテレビが好きに違いない。膨大な量のテレビネタを投入していて、単純にその量に驚いた。また、名古屋をこんなにフィーチャーしてることにも驚いた。こんなに生き生きとした尾張弁が活字になっているのを初めて読んだ。話し言葉に凄く熱が篭っている気がした。

読み終わっても、侑里香と母の問題は継続中だし、彼女達の今後の生活は不安だし、真亜子と渋谷の関係も手付かずのままで終わっていて、何だかスッキリしない。続編を考えているのかもしれないが、彼らは今も継続して戦っている、と納得するのが良いのかもしれない。


5/20〜5/26【10】

『くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話』(ヤマザキOKコンピュータ)、読了。

お金のことを考えずに生きたい、と昔から思ってしまっている。強迫観念のようなこの思考の出どころはわからないが、かなり根深い。

でも、最近同じように関心が薄かった政治には少し興味が出てきた。子どもも出来て、もう少し社会が良いものになるべきでは、と思い始めたからだろう。政治と経済は繋がっているらしい、と昔『愛と幻想のファシズム』を読んで気づいたんだった。それを思い出したりして、自分と経済の関係に少し興味が湧いたので読んでみた。

本格的な資産運用にはまだ興味が湧かないけど、この本に書いてあるような社会を良くするための投資という考え方には強く惹かれた。ESG投資という考え方だ。聞いたことはあったが、読んではっきりと意識できた。この考え方を軸にして、初めて株を買う意味が見出せた。

また、銀行に預けたお金がクラスター爆弾を作る会社の投資に使われていたという例が衝撃的だった。自分のお金は微々たるものだけど、そんな風に繋がってしまうのは本意じゃなかった。読み終わっても、銀行にそのまま預けておくのは微妙だな、という気持ちが消えなかった。

まだまだいろんな躊躇いや戸惑いもあって、「社会にとって良い」とは何か、という疑問はあるし、この考え方を利用される不安も感じるし、自分のアクションの社会への影響の少なさも感じるし、「株を買えるのは困窮していないからだ」という微妙な気持ちもある。それでも、少しでも世界が悪くなるのを防ぎたい、という気持ちで、生まれて初めて少しだけ株を買ってみた。


4/15〜5/19【9】

『三体Ⅱ 黒暗森林』(作:劉慈欣/訳:大森望、立原透耶、上原かおり、泊 功)、読了。

引き続き、凄まじい大傑作!これを1人で考えられるものなのか?この著者はどこまでシミュレーションできるんだ?とまた唸った。人間の想像力の可能性を思い知らされた。

まず、前作から続く『智子』の設定が効いている。

①智子は地球上のあらゆる場所に遍在可能。

②智子は物理の基礎研究を妨害し続けることによって、科学技術の発展を妨害する。

③智子は地球における万事の情報を得ることができる。

④智子が唯一、読み取り不可能なのが、人間の心理状態や思考。

次に重要な設定は地球人と三体星人のコンタクトについてで、

⑤三体星人が地球に到達するのは400年以上先になる。

上記のルールに則った上で本作は進む。地球人は三体星人の侵略にどう対抗するのか。

この⑤が最も斬新だと感じた。「人間の寿命を超える長大な時間を、どのように使って対策を考えるのか」という難問自体も面白いけれど、その対策や経緯がいろんな角度からシミュレートされていくのが面白い。

そして、三体星人に挑む『面壁者』という設定が最高。これは、智子の唯一の弱点である④を突く方法で、こんな設定を考えられるのが凄い。面壁者の物語が進むに連れて、『ハンター×ハンター』を読んでるような感覚を思い出した。とにかく多くの要素が入り乱れる中での頭脳戦と心理戦がその連想の原因だろう。その要素一つ一つが本当に斬新で、思いもよらないアイディアで出来ているという点もヤバイ。

中国で2008年に書かれた小説のせいか、女性観や家族観の描き方は若干微妙な気もするし(具体的に指摘しづらいくらい薄らと感じる程度だけど。例えば、面壁者が男性だけである点など。イメージする人物がいたのだろうし、当時の社会を映していると言えば、その通りなのだろう)、日本についてのおかしな描写には首を傾げてしまうけど、それらを覆い尽くすような膨大で面白いアイディアの渦に翻弄されているうちに読み終わった。

『黒暗森林』のタイトルの意味が終盤で説明される時なんて、そのシミュレートの深さに感動した。早くドラマで観たい。こんな凄いの映像化できるの…という疑問を感じ続けながら楽しみにしている。


4/2〜4/16【8】

『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(作:斎藤倫/画:高野文子)、読了。

いろんな人の絶賛もあったし、表紙の高野文子の絵も良かったので、買ってあった。買った当時は想定してなかったけど、成り行きで子どもに毎日0.5~1章ずつ読み聞かせた。

子供が詩というものに初めて接する機会として、とても良い本だった。自分自身も、詩というものに苦手意識があるので、一緒に読みながら少しずつ詩の楽しさを知るような心地がした。

年齢的におじさんである「ぼく」と小学生の「きみ」が、詩について話す形式で話は進む。各章では2篇の詩が引用されている。詩を読み聞かせするうちに、この言葉の唐突さは多くの絵本に似ていると気づいた。息子も気づいて、「『の』(junaida氏の絵本)みたいだね」と指摘していた。絵本は詩に触れるための準備をするものかもしれないし、絵本と詩は兄弟みたいなものなのかもしれない。


4/1〜4/15【7】

『夢の猫本屋ができるまで Cat’s Meow Books』(井上理津子/協力 安村正也)、読了。

本屋Titleの『本屋、はじめました』が良かったので、好きな本屋の開業話をもう一冊読んでみた。『猫×本屋』をコンセプトにしている Cat’s Meow Booksの話。基本的には猫関連の本しか置いていない書店で、数匹の猫が居心地良さそうにしている中で、ビールやコーヒーが飲めたりするお店。

まず、店主がパラレルキャリア(いわゆる副業)だとは知らなかった。そんなワークスタイルを全く考えたことが無いし、今後も無さそうだけど、一つの考え方をもらった気分になった。

それと、自分の場合の〇〇×本屋のコンセプトも何度かシミュレーションしてしまった。ちょっと考えるだけでも相当難しくて、安村氏を尊敬してしまう。

一番面白く感じたのは、保護猫コミュニティで色々と繋がっていく点だった。人生や生活の中心に猫がある人がこんなにいるのか。猫の殺処分の問題を考えている人がこんなにいるとは知らず、少し反省した。

この本は、店主じゃなくてライターの方が取材して作っていて、その少し俯瞰した視点からの文章には、ノンフィクションらしい真実味を感じた。それを裏付けするような取材対象と参考資料の多さにも感心した。


3/29〜3/30【6】

『ババヤガの夜』(王谷晶)、読了。

映像を想起するタイプの強烈な描写が多くて、一気に読めた。映像化したら誰がやるかな、コミカライズするなら誰が描くかな、というメディア展開の可能性を期待しつつ読み終えた。

主人公の依子が筋肉質で喧嘩好きの強い女性であるという斬新な設定が1番の魅力で、その強さがグイグイ物語を引っ張っていく。それに呼応するように配置されたケレン味たっぷりのヤクザ達も良い。その男性達を圧倒する姿にフェミニズム的な文脈は自然と見えるけど、その姿は純粋にかっこいい。また、もう一人の主人公と言える尚子との関係性の描き方も、安易に恋愛や友情に堕とさない点が、シスターフッド的な表現として真摯な態度を感じられて凄く良かった。

終盤で展開をひっくり返す大仕掛けにはちょっと驚いた。そこまでのミスリードを含めて、物語の背景となる情報のコントロールが巧みだった。

ジェンダーバイアスの呪いを解く意志が込められた痛快エンターテインメント作品だった。


3/19〜3/28【5】

『なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむアカデミー賞』(メラニー)、読了。

ラジオで喋っていた内容がわかりやすくコンパクトにまとまっていた。『アカデミー賞の各部門の受賞には明確に傾向があり、それを予想するためのメソッドを紹介していく』というのはタマフル(その後アトロク)で語っていた内容の通りで、それに付随して、過去の受賞作や色々なスピーチを細かく振り返っているページが充実してて面白い。資料としてもとても優秀で、こうやって残さなければ消えていく内容だと思う。

2021年は、パラサイトが韓国語映画で作品賞を獲った後だし、大統領がトランプからバイデンに変わったし、映画界がコロナ禍の煽りを受けている最中なので、当時ともだいぶ事情は変わってしまった。今後、アカデミー賞がどうなっていくのかは、めちゃくちゃ気になる。

そして、受賞の予想をしてみたくなってるし、アカデミー賞の受賞式を見てみたくなっている。


2/21〜3/17【4】

『最初の悪い男』(作:ミランダ・ジュライ/訳:岸本佐知子)、読了。

あらすじからこぼれ落ちてしまう面白さに溢れていた。一つ一つの出来事は思い出せるけど、なぜそうなったのかが思い出せないし、説明できない。主人公の妄想が現実を侵食し過ぎていて、かなり信用できない語り手なのだが、それが展開を激しくスイングする。その事故のような唐突さに、爆発的に感情を揺さぶられる瞬間もあった。

妄想癖のせいか、主人公は思い込みが激しくて、展開を予見して読者を誘導する。でも、実際の出来事は違った、という流れが何回もあった。こんな予想の裏切り方があったのか。シェリルとクリーの関係性の激し過ぎる変化は読み取りづらいけど、一番の読みどころだろう。その部分については、役者あとがきがガイドラインとして素晴らしい役割を果たしていた。ラストの意外な爽快さも読後感が良かった。


2/12〜2/19【3】

『さよなら、俺たち』(清田隆之)、読了。

読んでて辛くなる本だった。思い当たるフシがあり過ぎた。とにかく細かく言語化しているのが面白くて夢中で読んだ。冷静に読めていないので読み返した方が良さそう。今は多少気をつけられるようになっているけど、自分はきっとまだまだ危うい。

著者が有害な男性性について書いているエッセーが多くて、彼自身の反省が込められている文もある。そこに織り交ぜる著者の経験や個人的な情報開示の度合いが凄い。説得力を高めるために書いていると思うのだけど、相当な覚悟を感じた。

周囲の人間やTwitterや自分自身を見ていても、やはり生まれた時からホモソーシャル的価値観に親しみ過ぎてしまった男性は、なかなか変わりづらいのかもしれない。いろんなきっかけは考えられるけど、男性は同性からの呼びかけの方が気づきやすいのかもしれなくて、そういう意味でこの本は非常に有効だと感じた。自分の男性としての加害性を意識し過ぎてしまう話は初めて読んだのだけど、言語化されて初めて、自分にも当てはまることがわかった。と同時に、これは「あるある」だったのか、と少し安心できた。

映画『モテキ』をはじめとする大根仁作品を、『男性の幼稚さ』の表現について論じていたのも新鮮で、当時楽しんでしまった自分とどうやって折り合いをつければ良いかわからなかった自分にとって、大いにヒントとなる文章だった。

繰り返し出てくる、『人のdoingではなくbeingを見る』という考え方は、ジェンダー・イクオリティーの実現を目指すために重要な要素として受け取った。

さよなら、俺たち

さよなら、俺たち

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1/11〜2/12【2】

『三体』(作:劉慈欣/訳:大森望、光吉さくら、ワン・チャイ/監修:立原透耶)、読了。

圧倒的傑作だった。読み終わる前に続編を買いに行った。

本格的に理数系っぽい聞き慣れない言葉が飛び交い、異様に複雑な設定も出てくるのだけれど、それでも読みにくいわけではない。リーダビリティは超高いし(訳者の功績は大きいのだろう)、めちゃくちゃ先が気になるのに、読むのに時間がかかる、というもどかしい読書体験となった。

「一人の頭で考えられる本なのか、これは」とずっと思っていた。理数系の情報を中心にたくさん取材をしたのは当然だろうが、それらを知識として使いこなした上で、この設定とストーリーを思いつけるのか?

まず、アイディアがもの凄い。現実をうまく反映させたギミックに、静かに混ぜるSF要素が巧みだ。ストーリーと設定のアイディアが充実してることは他の作品でもあるが、その異常な充実に加えて、ビジュアル的なアイディアにもとてつもないインパクトがあった。個人に降りかかる災難のミクロな表現の緻密さにも驚いたが、とある作戦の恐ろしいアイディアには息を飲んだ。残酷さと美しさを兼ね備えた映像が脳内で立ち上がり、居座り続けている。

Netflixでドラマ化するというが、その映像化には大きな期待を寄せたくなる。そして、かなり中国固有の設定が活かされているのだけど、舞台は中国中心になるのだろうか?何にせよ、そちらも楽しみだ。


2020/12/22〜2021/1/10【1】

『ヨシキ×ホークのファッキン・ムービートーク!』(高橋ヨシキ・てらさわホーク)、読了。

映画が映し出す現実を省みて、二人で自由に語り合う対談形式の本。口調こそ砕けていて皮肉も多いが、前評判通り概ねシリアスな内容だった。どの問題についても、彼らの話には頷けることが多かった。

ディズニーによるアニメ過去作の実写化は必要か、という話題の流れで、「『ジャングル・クルーズ』にドゥエイン・ジョンソンが出るので、アトラクションにも設置されるかも」からの「じゃあ、いいか(笑)」には笑った。俺もアトラクションでロック様は見たい。

今読んでおいてよかった。コロナウィルスの感染拡大や、トランプ退任や、映画興行の衰退は、2021年以降の映画にどんな影響を及ぼすのだろう。また話してほしい。