2023年前半に観た映画類の記録

何かの評価を上げるために、何かの評価を下げるような文章は、読みたくなぁい〜

尾崎豊の歌声で)

 

書いちゃってるっぽいけど。

陥りやすい罠だわな。


6/25【7】

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダー・バース』(ホアキンドス・サントス&ケンプ・パワーズ&ジャスティン・K・トンプソン監督)を観た。

前作以上の凄まじい映像体験。この臨場感!アクションのカッコよさ!雨の鋭さ!

コミックのコマ割りみたいな表現は前作より減っていて、動きで魅せるシーンが増えていた。キャラ数の増加に合わせて、コミック特有のテクスチャー表現の種類は増やして、世界を描き分けていた。

成長したマイルスが対面する問題は前作より複雑で、向き合う世界の在り方も複雑になっていて、それはそのまま人間の成長をなぞっている、と感じた。

一応の解決に向かうカタルシスも作りつつ、最後にクリフハンガーを持ってくる脚本もよく出来てた。次作もちゃんと気になる。

 

 

5/29【6】

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.3』(ジェームズ・ガン監督)を観た。

泣いた。隣で観てた息子も泣いてた。ロケットの出世の秘密が悲し過ぎる。可哀想過ぎる。

全編通して以前ほど目新しさは無くて、シリーズの終わり時だったのかもしれないが、例えば、有機物を成長させて作った惑星(?)のビジュアルは見たことないヤバさだった。原作通りなのだろうか。『宇宙船レッドドワーフ号』みたいなコメディドラマっぽい設定だった。

ワンカット風で仲間たちがうまく連携しながら共闘するシーンもちゃんとアガる出来だった。こんなにカメラが行ったり来たりするワンカットも珍しいが、最近の特撮戦隊シリーズに似ていた。

一番気になったのは、スター・ロードの顛末だった。血縁関係に囚われない最高の仲間を手に入れたんじゃなかったのか、という疑問が頭から離れなくて、少し辛かった。

息子の要望に合わせて吹替で観たのだけど、山ちゃんの声が山ちゃん過ぎて、最初、話に入れなかった。

 


4/23【5】

『劇場版名探偵コナン 黒鉄の魚雷(サブマリン)』(立川譲監督)を観た。

ずっと笑ってた。今回も、実写じゃないという利点を最大限使って、トム・クルーズを超える方向性でのアクションシーンを目一杯盛り込んでいた。

まず、蘭がホテルの2階 or 3階から飛び降りて、そのままの勢いで黒ずくめの組織のメンバーと殴り合ってたのを見て爆笑。その流れでのカーチェイス、夜の海へのダイブ、潜水艦登場という怒涛の展開はハリウッド超大作並だった。

八丈島観光協会とかとタイアップしてるんだろうか。前にシンガポールともそんなことして作った映画があったはず。しかし、必ず事件が起きることはロケ地にプラスか?

キャラ同士の関係性を楽しむ映画としても最大限の無茶をしていて、そういうのが好きなら灰原とコナンのカップリングの楽しさを堪能できたはずだ。

OPで『BLUE GIANT』の監督だと気づくと、ぐわんぐわん動くカメラと、ちょっと微妙な動きをするCGモブキャラが目を惹いた。避難する人々はもっとバラバラに動くと思うんだ。

 


3/30【4】

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(ダニエルズ監督)を観た。

最高級のB級映画!!!一見わけのわからない最高のアイディア達をまとめ上げ、馬鹿げたジョークや下品さを感動的なシーンに散りばめたりしながら、悲しみも喜びもすべて一度に見せつけてくる凄まじい脚本。そんな複雑になり過ぎてる脚本を、可能な限りわかるように映像化するその編集と演出の手腕。とにかくその情報量に驚く。

マトリックス』からの引用や、『2001年宇宙の旅』のパロディを織り交ぜるセンスにはニヤニヤできたが、引用・パロディ・オマージュの数が多過ぎてパンフレットでようやく確認できたくらいだった。

監督の過去作『スイス・アーミー・マン』はもっとMVっぽいシーンがあったし、よりストレートな下品さだったけれど、今作はそのテイストを残しつつ洗練させていた(このメジャー感の功労者はルッソ兄弟なのかな、と勝手に推測している。憶測に過ぎないが)。

マルチバースが折り重なる表現として、目の位置を合わせた人物の正面カットを、連続でフラッシュライトみたいなスピードで繋ぐ表現に驚いた。その音がメロディを奏でていて、なおかつ、そのメロディが中華風だった。この斬新なアイディアと文脈の確かさが衝撃的だった。

 


3/19〜3/30【3】

『ジャック・リーチャー 〜正義のアウトロー〜』(シーズン1)を Amazon Prime Videoで観た。

『町に現れた流れ者が、時に法を無視して悪を罰する』というところを取り上げると、西部劇や時代劇とかでも見かける典型的なアウトローヒーローだ。

同じ主人公を原作とするトム・クルーズの映画『アウトロー』が好きで観たので、どうしても比較しながら見ることになったのだが、ああ、このドラマの主人公の方が原作に近そう、というのが第一印象だった。

まず、信じられないくらいマッチョな巨漢。その方が設定に無理が無いように感じられた。彼が悪を徹底的に懲らしめる姿が痛快なのだけど、彼が探偵でもあるところがこの作品の最大の特徴であり魅力だろう。

同時に、他者に対して感情を見せないドライで非人間的なキャラクターなのだが、その部分はトム・クルーズ版の方が強い。トム・クルーズのリーチャーのように、相手の話を聞かずに遮る描写は少なかった。もっと落ち着いていた。それに、ロスコーとは明確に恋愛感情を持つし、少年時代の回想や親しい者の死を悼む姿など、だいぶ人間味が増していた。

アクションシーンがド派手かつ細かい動きが多くて、かなりこだわって作られていた。

有害な男性性に陥らないギリギリを綱渡りしているように見えた。

『俺ツエー』『ざまー』みたいな感情をジャンクに楽しむのは、縦読み漫画や異世界転生モノなどだけでなく、こういう作品も源流にあるのか、と途中で気づいた。

そして、なぜ母親から彼だけがファミリーネームで呼ばれていたのか、はずっと不思議だった。続編でわかるのだろうか。

 


2/26【2】

BLUE GIANT』(立川譲監督)を観た。

総じて、原作の持っているアツさをうまく翻案した青春映画になっていた。

それにしても、手描きの部分は良いんだけど、3DCGで動くテクスチャーがツルツルの演奏者はゲーム映像みたいに動いていて、作品にとってめちゃくちゃノイズだった。逆説的に『THE FIRST SLUM DUNK』の達成した偉業を改めて実感した。

音楽がとにかく良かった。良い音響で聴いて正解だった。原作を読んでいたので、これ盛り上がるのか...?と思っていたラストシーンも映画的改変が非常に上手くて、良い脚本になっていた。

最後に演奏する音楽は暗過ぎても明る過ぎてもおかしいよな、と思っていて全く想像できていなかったが、とても真摯に演奏された音楽を聴いて納得した。

演奏の最中に回想が挿入される構成も『THE FIRST SLUM DUNK』を連想させた。

声優も良くて、3人はとても上手かった。

演奏中に観客がちょっとサイケな感覚を得る映像からは、『ミスター味っ子』で味王がご飯を食べた時の過剰なリアクションを連想した。

 


1/25〜2/2【1】

『ONI』リミテッドシリーズ(原作・制作 堤大介)をNetflixで観た。

ヤバいクオリティ!え、ストップモーションじゃないの…?フルCGをストップモーションっぽくコマ落ちさせてるのかな。それによって、CG特有の動きの違和感を無くしてた。

自然の風景の美しさは実写を超えてて凄かった。

全4回だったのだけど、脚本に毎話次が気になるクリフハンガーがあって、とてもNetflixの海外ドラマっぽかった。

単純にキャラクターデザインもかわいらしい。最終話の全ての解決となるシーンは、切なくも楽しくてグッときた。

2023年前半に読んだ本の記録

乱読ここに極まれり。

貴方が興味を持ってくれたら嬉しいが、私は貴方とは関係無くこれからも読み続ける。

 


6/28

『仕事でも、仕事じゃなくても 漫画とよしながふみ』(よしながふみ)を読み始めた。


6/13

『肉体のジェンダーを笑うな』(山崎ナオコーラ)を読み始めた。

 


5/1〜6/26【11】

『あの素晴らしき7年』(作:エトガル・ケレット/訳:秋元孝文)、読了。

戦争が著者の日常生活に溶け込んでいる。読んでいくと、命の危険を感じる(予感する)恐怖に身を強張らせてしまうことも多くて、自分の日常生活との違いに戸惑う。無力感も絶望も感じる。そこには、ルポルタージュやノンフィクションに流れ込みそうなシリアスさはあるが、著者のユーモアがエッセイに引き留めている。いや、読んでいくうちに、ジャンル分けの定義はわからなくなった。笑いたいような、泣きたいような、言いようのない気持ちになることが多かった。映画『ライフ・イズ・ビューティフル』をよりユーモアに引き寄せたような読み心地だった。次は小説も読んでみたい。


5/29〜6/12【10】

『天才による凡人のための短歌教室』(木下龍也)、読了。

最近、気になっている歌人なので書店で手に取ってみたら、装丁もかっこよくて買った。読んでいくと、『埋もれない外観を与えよ』という章があり、手に取らせるために装幀は凝るべきだ、と言うことが書いてあり、なるほど、著者の戦略通りにまんまと買ったのか、と知った。

そんな風に、歌人歌人として今の日本を生きていく方法がリアルに書いてある。その本気さに唸る。

短歌という文化に皆が取り組めるように、皆が歌人になれるように、可能な限り短歌のハードルを下げようとしている。

短歌じゃなくて漫画の創作でも使える本である旨が、とある人物によって帯に慎ましく宣言されていてそれも納得できた。いろんな創作物に転用できそうな素晴らしい実践性があった。

単純に、たくさん載っている木下龍也氏の短歌も楽しめるようにはなっている。私が好きな短歌は

幽霊になりたてだからドアや壁すり抜けるときおめめ閉じちゃう

という勝手に『幽霊あるある』とお題を設定した大喜利のような短歌。その想像力の豊かさと、無駄を削ぎ落とした言葉を使う技術の高さに惹かれた。『おめめ』というキラーフレーズの持つ無条件のかわいさと、「子供の幽霊なの?」という悲劇性に心が引き裂かれて終わる点も素晴らしい。天才だろう。

 

4/12〜5/26【9】

日本語ラップ名盤100』(韻踏み夫)、読了。

田中宗一郎氏が定義する『価値観の再定義』『読み手の能動性を刺激する』(どちらも大意)という批評の役割を十分に果たしていた。知ってる曲も知ってるアーティストも載っていたけど、この韻踏み夫史観の中で紹介されると、全く知らない輝きを放っていた。聴いてみたら、著者の解説文ほど面白く感じないことはあった。彼の批評が優れているのか、自分のラップ曲を受容する能力が低いのか、あるいは、両方が原因か、はわからない。

2015年にPUNPEEに出会う前までは、『日本語ラップは怖い人が聴く』という偏見があったので、「この時代にこんなかっこいい曲があったの?」「この人、昔はこんな曲作ってたの?」「このラッパー達はこんな関係性なんだ?」と歴史を知る面白さもあった。それに、日本語ラップも多様化・複雑化の道を辿っているのだと実感した。

一方で、単純に知らない楽曲もたくさん発見できて、カタログとしても優秀。そういう未知の楽曲には、先に挙げた既知の楽曲を足場として頼りにしながらたどり着くことになる。その行為にはその都度新しい価値観を植え付けられるスリリングさがあった。聴けない曲もたくさんあるけど、ストリーミングサービス全盛時代には、必携の一冊だった。

落語でもジャズでもSF映画でも少女漫画でも良いが、いろんなジャンルでこの本のような試みをしてほしい。この本のように成功する例は少ないかもしれないけれど。

 

5/6〜5/12【8】

『おいしいごはんがたべられますように』(高瀬隼子)、読了。

感覚的に、この面白さには覚えがあった。人間の行動や関係性の厭な部分を取り上げる眼差しに、不謹慎で暗い愉しさを感じた。些細でチグハグなやり取りも、気持ちのYESとNOがはっきりしない居心地の悪さも、行動に感情が伴わない不気味さも、日常生活で感じたことがあるものだった。

二谷が食事を面倒くさく感じたり、食事に時間を取られたくないと考えたり、食事が最上のものとされることに反発を感じたりする感覚にも覚えがあった。可処分時間の取り合いという考え方は、エンターテインメントではよく言われるけれど、いつの間にかその領分に『食事』も入っているのだと気づいた。

しかし、仕事の時間は必ず発生する。減らすように努力するか、誤魔化すか、受け入れて頑張るか。押尾さんは受け入れて自分が満足できるように頑張るが、二谷は態度を決めきれず、消耗していく。芦川さんは助けてもらって仕事の時間を減らす。二谷と押尾さんの考え方も気持ちが同じじゃない点と、社会的に助けてもらいやすい芦川さんが得体の知れない怪物的に描かれてるのが、また意地が悪くて好きだった。

芥川賞受賞作には、社会への『答え』よりも『問い』を提示する作品が多い気がする。そういうジャンルの小説が『文学的』という曖昧かつ高級な言葉で評されるのだろう。そういう意味では、とても芥川賞受賞作らしい作品だった。社会の目指す多様性と弱者のあり方への問いを感じた。


4/26〜5/4【7】

『君のクイズ』(小川哲)、読了。

一つの大きな謎で引っ張ってぐいぐい読ませていく非殺人ミステリー小説(この謎から真っ先に思い出したのは『幽☆遊☆白書』のクイズゲームバトル編)。謎の答えの段階的な開示が上手くて、先が気になり過ぎて一気に読んだ。現実の場面は回想で描くことが多く、それ以外の殆どが主人公の思考の積み重ねで書かれていて、結構変わった小説だった。この形式でわかりやすさを維持しているのは凄いことなのでは。以下のAmazonの紹介文だけでも相当にそそられる。


『Q-1グランプリ』決勝戦。クイズプレーヤー三島玲央は、対戦相手・本庄の不可解な正答をいぶかしむ。彼はなぜ正答できたのか? 真相解明のため彼について調べ決勝を1問ずつ振り返る三島は──。一気読み必至! 鬼才の放つ唯一無二のクイズ小説。

クイズに答えるためには、答えを知らなければいけない。まずは、答えかその周辺の情報に、人生の中で出会っていなければならない。勉強によって出会うこともあるし、意図せず運良く出会うこともある。これらの事実を強く意識できた。

『クイズの答えに人生で出会っている』の部分を強調していた作品として、『スラムドッグ・ミリオネア』は連想した。(原作小説は未見だが)この映画とは大きく違う。今作は『彼が問題を解けるかどうか』ではなく、『彼はなぜあんな風に問題が解けたのか?』を問いにした点が面白い。

このクイズというもの自体について深く考えさせる構成が、独創的で面白い。特に、早押しクイズに関する小説なので、早押しの技術的な話が全く知らない話で興味深かった。答えに辿り着く思考を追う描写も、感覚的にリアリティを感じられて、クイズに詳しくないのに興奮できた。

読みながらクイズというものへの理解が進んでいくと、『問題は決して神が作ったものではなく、誰かが作ったものである』という当たり前の事実に気づく。そこまで思考が至ると、急にクイズが心理戦に変わり、読者の思考もぐるっと転回される快感がある。


3/21〜4/24【6】

『生きるとか死ぬとか父親とか』(ジェーン・スー)、読了。

とても読みやすかった。その理由は、ラジオやポッドキャストで慣れ親しんでいる著者だからか。この本を原作としたドラマを見ていたから、思考や喋り方が想像しやすかったからか。

しかし、それだけではないはずだ。テンポよく読めるように無駄を削ぎ落とした言葉の切れ味と、丁寧に噛み砕いた言葉の生む親しみやすさもその要因だろう。著者の才能と労力が感じられた。

特に著者と父のかけ合いが最高で、解説でも指摘していたが、歯にまつわるやり取りでは思わず噴き出してしまった。この軽妙さは東京出身の江戸っ子的なものや、落語などの影響を感じるが、どうだろうか。

ドラマとの違いを感じるのも面白い。ドラマではどうしても描き切れなかったであろうエピソードもあったし、ドラマでは登場しなかった固有名詞による答え合わせも楽しい。小説とドラマがそれぞれ面白くて、良い関係性にあった。

それにしても、エッセイストというのはこんなに腹の中を見せねばならないのか。著者の覚悟がすごい。


2022/9/21〜2023/4/11【5】

『Xのアーチ』(作:スティーブ・エリクソン/訳:柴田元幸)、読了。

こんなに時間がかかるとは思わなかった。

性描写に感じる嫌悪感で読むのが進まないのだけど、あまりに突飛なイメージ描写に心奪われてしまい、読み始めると結構夢中で読めてしまう。このような読書体験は他に記憶に無い。

性描写の嫌なところは、性的暴行への否定的な感情が足らないところか。暴行された側が状況を受け入れていく描写が多く、後に復讐したりする描写が無い。この辺りは好みの問題なのだろうか。

あらすじを読んだ時には、歴史小説、もしくは、歴史をベースにしたフィクションなのだと思っていたので、途中からSFでもファンタジーでもない奇妙な世界観が合流してきて面食らった。急にリアリティラインが下がり、非現実的な小説になる。ヌルッと変わるので、読んでいてとても混乱した。その後、そのおかしな世界で懸命に生きる人々の話になるが、最後にはなぜか最初の現実の歴史っぽい世界に合流する。この流れに論理は感じない。そう書いてしまったから、そうなる。

読み進めながら、この感触は『ジョジョの奇妙な冒険』を読んでいる感覚に近いと気づいた。登場人物達が覚悟を持って行動するシーンが多い点にも、相似性を感じたのかもしれない。そんな風に右往左往させられて苦労したけれど、激しい感情表現と、鮮やかかつグロテスクな情景描写と、奇想としか言えないアイディアの数々と、妙にロマンチックな言葉選びの乱暴な混濁には、確かに読ませる力があった。


2/23〜3/17【4】

『ずるい仕事術』(佐久間宣行)、読了。

普段の私はビジネス書や自己啓発本を買わない。「カバーや帯に著者の顔写真が入っている本は注意」とTwitterでも学んだ。それでも、相当行き詰まって嫌々買った。

前回買ったのは就職するタイミングで、「企画書とか書くことあるかもしれないよな…」と辛い気持ちで、おちまさと氏の本を買った。その本は結局、全く読んでない。今回も、仕事で企画書を書けるといいな、と思いついて買った。なぜか続けてテレビプロデューサーの著作になってしまったが、一番身近な企画屋なのだろう。前回と違うのは、佐久間Pの番組はいっぱい観てるし、ラジオも時々聴いているので、かなり親近感がある点だ。

その前提の上で読んだわけだが、会社員(組織に所属する人)にとってアツい内容で、なおかつ実用的で、とても読みやすかった。もちろん、文字がデカくて少ないというビジネス書らしい特徴も効果的だった。

私がそんなに興味が無かった会社員としての心構えや過ごし方に紙面を割いていたのは意外だった。その部分を読めば、自然と鼓舞される。

しかし、その自己啓発本的な機能性の高さにはちょっと不安にもなる。それでも、今後も時々読み返して気持ちをアゲることはあると思う。

章終わりに挿入されるコラム的裏話は普通に安心して楽しめる。


2/3〜2/22【3】

『反=恋愛映画論──『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで』(佐々木敦 児玉美月)、読了。

2022年に観た映画で最も好きだった映画『リコリス・ピザ』のカバーに惹かれて買った。恋愛映画を好んで観る習慣が無いので、この本の恋愛映画に懐疑的なスタンスには共感できる。

読んでいて、LGBTQがメインになる映画も恋愛映画である、という当然のはずの事実に無自覚だったと気づいた。恋愛映画は前提としてジェンダー意識のあり方が重要らしい。

ホン・サンスに一章割いていて観たくなる。

日本のキラキラ青春映画について語る章が最もスリリング。批評の対象外であることが多かった作品達を俎上に乗せて、今まであまり語られなかった社会的視点を入れて語ると、急に魅力的に見えてくるのが素晴らしい。キラキラ青春映画にも、俺が楽しく見られそうな映画があるとわかったのも収穫だった。

今泉力哉監督の映画も観なくてはいけないだろう。


1/7〜1/30【2】

『じゃむパンの日』(赤染晶子)、読了。

なんだ、この切れ味。

短い言葉が小気味良いリズムで連なる文章は、とても軽やか。エッセイ集でこんなに笑ったのは多分初めて。

しかし、簡単にエッセイと言って良いのだろうか。確かに実体験をベースにしてるようでもありながら、読んだ感触は創作にしか感じない非現実感。激しい妄想がメインの短編からそう感じるのはわかるが、なぜか淡々と綴っているはずの日常風景にもフィクショナルな飛躍を感じる。さくらももこしまおまほのエッセイもとても笑えるんだけど、こんなに現実から離れない。不思議なことに、言葉自体には現実と地続きな土着性もあるんだけど。京都弁(京言葉?)は強いらしい。

小説家の書くエッセイの最高級の作品かも。


2022/10/27〜2023/1/6【1】

電気グルーヴのメロン牧場 7』、読了。

ちゃんと今回もトイレで読み終わった。瀧氏の逮捕、コロナ禍、石野卓球氏の家族の私的な話、などが詰まってて、今までで一番ドキュメンタリー性が高くて、不覚にも感動しそうになった。言うまでもなく彼らは感動を意図してないけれど、あまりに重大な出来事が多く、自然とセンセーショナルな話題も多かった。2人の関係性が今までで一番良好に出ている気がした(誌面だけの話で、現実には変わってないとしても)。前巻に比べて、瀧氏が積極的に話す回が増えていた点からも、その印象を受けた。

『ギャラはいらない』の話から見るロッキングオンや山崎氏との関係性の話も目新しい視点だった。

また次巻からくだらない話だらけの通常運転に戻っても良いが、この巻が特別だったことは忘れがたい。

 

 

2022年後半に観た映画類の記録

映画もドラマも全然観ていない年だった。

もうこれがベースになっていくのかもしれない。嫌だ。

 

12/25【38】

12/18【37】

『THE FIRST SLAM DUNK』(井上雄彦監督)を2回観た。

1回目は冒頭5分くらい見逃してしまった。絶対もう一回観直さねば、ということで2回観た。

3DCGの使い方が衝撃的だった。キャラクターを3DCGで描いているアニメで、ここまで自然なスピード感がある作品は観たことが無かった。映像のテンポの緩急のつけ方も上手くて、バスケというスポーツの面白さをわかりやすく表現していた。音楽の付け方も重要で、音へのこだわりも感じた。

2回も観るとアニメーションのディテールの凄まじさにも気がつく。自然に流れる汗、均一な線ではなく手書きっぽい太さの強弱を残した輪郭線、メインじゃないシーンでも細かいプレイをするキャラクター(桜木がPGの後ろから忍び寄ってボールを奪う試みをしたりする)。 原作ファンを納得させるように原作通りのエピソードや展開はたくさん入れるけれど、漫画未読の初見でも楽しめるように盛り込み過ぎないバランスにしているのがとても上手い。メイキング本の『リソース』に書いてあったように、宮城を主役にして傷や痛みを乗り越えるストーリーにするという大胆な脚本の調整も、普遍性の獲得には非常に有効だった。

しかし、桜木花道というキャラクターが、どう考えても主役級の設定を盛り込みまくっていることは無視しづらい気もするし、三井が更生した理由がよくわからなくなっていた。ストーリーに細かく齟齬は起きていた。

それにしても、『スラムダンク』は冷静に観ていられる作品ではない。スラムダンクを読んで小学校の中学年からバスケを始めて、中3で挫折して辞めた俺は、明確にこの漫画に俺の人生を変えられたからだ。それだけに、この圧倒的なバスケットボールの表現を見て、自分がやっていたバスケットボールがちゃんと彼らと同じスポーツだったんだ、と繋がっている実感があり、そこに静かな感動があった。

観終わってから、じわじわとこのタイトルの『ファースト』の重みを感じた。誰も見たことがないスラムダンクだったし、山王戦は初めての映像化だったし、また多くの人にとって初めてのスラムダンクになるはずだ。世界にとっての『ファースト』にもなり得る、とドキドキした。

 


11/22【36】

『ブラック・パンサー ワカンダ・フォーエバー』(ライアン・クーグラー監督)を観た。

2度泣いた。

1度目は、ティ・チャラ役のチャドウィック・ポーズマンの不在を強烈に実感したためだった。彼の映像を挿入するタイミングが絶妙で、その映像自体もエモーショナルで編集が上手かった。映画が現実とリンクする演出になっており、必然的に作品内のキャラクターと同じような気持ちで観た。

2度目は、シュリが復讐ではなく平和を求める気持ちに目覚め、真のヒーローになった瞬間だった。この決断の裏にもティ・チャラの記憶が影響していて、感動的だった。同時に、シュリとシュリ役のレティーシャ・ライトが担った重責についても思わずにはいられなかった。

そして、当然のようにアガるアクションシーンもちゃんとあって、特に前作を踏襲したカーチェイスは、今回もテンポの速いヒップホップに合わせていてノリノリで楽しめた。

リリのアイアンハート初披露にもアガった。

ネイモアのビジュアルと独特の戦闘シーンも斬新だった。

水中のシーンが多くて、「これはどうやって撮影したのだろう…?」と首を捻ることが多かった。莫大なお金をかけて、巨大セットを作る?CGで何を補ったのだろう?メイキングが気になる。

また、ネイモアが統治するタロカンという国をとても平和で楽しげに描いたことに驚いた。戦争は大抵が国対国であり、そこに正義と悪という価値観での対立は無い。そのリアルな描写が国際問題の難しさを露わにしていて、マーベルらしい表現だった。

 

10/1【35】

『ドロステのはてで僕ら』(山口淳太監督)を観た。

いかにも低予算の自主映画という感じだ、舞台演劇っぽい作りなのだけど、脚本のアイディアの独自性と、複雑になっていく展開をやり切った労力に不思議な感動を覚えた。メイキングっぽいエンドロールを観ると、その思いは増す。何度も精密に同じ演技をしたに違いないし、何重にも映像を重ねて作るのも大変だったろうな。地味なワンアイディアをここまで躍動させた脚本も凄い。

 


9/19【34】

『フリー・ガイ』(ショーン・レヴィ監督)を観た。

オープンワールドの犯罪シミュレーションオンラインゲームである『フリー・シティ』で、自我に目覚めたNPCモブキャラ(非プレイヤー)のガイがそのゲーム世界に起こす革命的な事象を描いた映画。

まず、ガイ視点で始まり、ゲーム世界を描いていることを言わずに進める構成がうまい。いかに『グランド・セフト・オート』的な世界が異常であるかという批評性を感じた。この『フリー・シティ』という世界と現実世界があると言う設定からは、『マトリックス』と『トゥルーマン・ショー』を連想した。目覚める人物として、ガイはネオでありトゥルーマンだった。ライアン・レイノルズが嘘っぽい笑顔を貼り付けているのも、いかにもNPCキャラっぽくて良かった。

物語の強引さをタイカ・ワイティティのキレキレバカ演技が覆い隠していた。アドリブも多かったのではないだろうか。

20世紀フォックスがディズニー傘下になったからマーベル作品もパロディにしやすかったのだろうか。いろんな作品から引用するシーン自体は『レディ・プレイヤー1』を彷彿とさせた。

 


9/14【33】

『ミラベルと魔法だらけの家』(バイロン・ハワード&ジャレド・ブッシュ監督)をディズニー+で観た。

想像していたより、ずっと歌って踊ってた。主要キャラの殆どが歌って踊るとは思わなかった。『アナと雪の女王』シリーズにあった歌と魔法で感情を表現する手法が多用されていて、より多彩な感情をテンポ良く魅せてくれた。

歌の種類がとにかく多くて、今までミュージカルでこういう種類の曲あったのかな、と驚くことが多かった。全体の物語構造も『アナと雪の女王2』に似てる部分があって、絶対的な悪は設定せず(回想シーンには配置している。ある人物を悪役に見せるミスリードを、従来のディズニー映画のパロディのように機能させているのも良かった)、ある人物の葛藤や悩みの解決が問題の解決に繋がる。

しかし、今作は主人公だけではなく、家族がそれぞれ持つ悩みの解決が、家の崩壊という問題の解決に繋がるようにアップデートしていて、2022年の映画だと感じた。冒頭から魔法が使えない主人公が悩んでいることが提示されて、従来のディズニー映画っぽく進むなら彼女の単純な成長譚や冒険譚になるのだが、魔法を使える家族達もそれぞれ内面に問題を抱えていることがわかり、主人公がその問題を解決していく方向にシフトしていく展開に新しさを感じた。

主人公が冒険者ではなく調整者やカウンセラーのような役割を担っている。というあらすじを抜き出すと、殆ど家庭内の話で地味な内容になりそうだが、そこを歌と踊りと魔法がド派手に彩っていて飽きさせない。キャラクターの表情も繊細かつ微妙な表現をしていて、その要因には、演出だけではなく技術の革新もありそうだった。


7/14〜8/13【32】

『ミズ・マーベル』(シーズン1)をディズニー+で観た。

思いっきりティーンムービー。一番主題となるのはアイデンティティの揺らぎで、そのテーマの扱い方には誰にでも伝わるような普遍性を感じた。主人公のカマラは、パキスタンからの移民2世のアメリカ人であることと、イスラム教徒であることなどの人種的・宗教的アイデンティティについて、少し悩みがちな10代女性だ。その悩みは、過保護で過干渉気味の母の影響によって、より強くなっている。

そこに、実は自分の血縁的ルーツに秘密があることがわかり、彼女のアイデンティティはヒーローや超人という要素の間でも揺らぐようになる。この辺りまでは『私ときどきレッサーパンダ』によく似ている。その戸惑いに真正面から向かい合って成長していく姿は、瑞々しくて眩し過ぎた。

空中に飛石を作ってビルの間を跳び回る姿は、スパイダーマンのスイング以来の新しさで、ティーンらしい元気さが現れていて良かった。

無理なくパキスタンイスラム教の文化をストーリーに組み込んで、教育的要素を満たすのはさすがディズニー傘下のマーベル。

 


2021/11/7〜2022/7/30【31】

イカゲーム』(シーズン1)をNetflixで観た。

何となく観るのに時間がかかってしまった。第一話を観て、全部わかったような気になってしまったからだろう。せっかくだから全部観てみよう、と試聴再開してみたが、全世界的にヒットする理由はよくわからなかった。先が気になるようにできているので、その点が多くの視聴者を引っ張ったのかもしれない。しかし、既視感のある展開を繋いで出来ているので、そこに新しさは感じなかった。

一つ一つどうしてその展開になるのか、という理由がいつも弱い感じがした。各キャラに多くの選択があったのだけど、どの選択もあり得るという状態が続いた。観終わってみると、全体のストーリーのためにキャラクターが行動してしまっている感じが残った。

また、暴力描写や残酷描写も徹底していたし、ストレートな性描写もあって、韓国映画に近い過激さだったのだけど、この点は世界でどう受け止められたのだろう、という疑問は湧いた。

韓国の社会情勢を散りばめている点も『パラサイト』などに似ていた。ゲームの中で一番面白いのはおそらく強化ガラス当てゲームなのだが、この回の演出が凝っていた。各キャラクターの特徴をうまく見せるシーンが多かったし、スローモーションでガラスが飛び散る映像にハイテンポで扇状的な音楽が合わせられていて、MVっぽいシーンがあった。

全体的なビジュアルへのこだわりは良くて、派手な色を使いながらシリアスなトーンの作品にしているのが、奇妙なバランスで印象的だった。

 


7/27【30】

アウトロー』(スティーブン・マッカリー監督)を久々に観た。

ジャック・リーチャーは本当に人の話を聞かない。そう気づくと、コメディのようだった。彼は人の話を遮ってどこかに行ってしまったり、一方的に電話を切ったりする。その唐突さにめちゃくちゃ笑ってしまう。

ストーリーは相変わらずよくできたミステリーをベースにしていて、ずっと先が気になる緊張感を保っている。ジャック・リーチャーは探偵でもある。類稀な記憶力・格闘術・瞬時の判断力を武器に、敵をバタバタと薙ぎ倒しながら事件解決に向かう。

そして、やはりこの映画は唐突さが面白い。ロバート・デュバルの演じる射撃場の店主の爺さんが急に仲間になるところや、なぜか銃を捨てて敵と殴り合うシーンは滑稽でもあるのだけど、その爆発的な唐突さで何度見ても笑ってしまう。

一番好きなのはお風呂場の格闘シーン。敵が入り口でつっかえて仲間割れする展開は、馬鹿過ぎる上に蛇足過ぎて最高!

 


7/13【29】

リコリス・ピザ』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)を観た。

話の筋だけを追うと変な映画なのだけど、スクリーンでずっと何かが起こりそう、あるいは、起こっている感じがして、目が離せなかった。物語の展開には予想外の飛躍があって、そのわからなさにも観続けなければいけない緊張感があった。

パンフレットを読んで、あの展開の飛躍は、本当に実際に起きたことが散りばめられてるからかもしれない、と感じた。映画の中では不可解でも、現実が起こした出来事ゆえに、その不条理さに強度があって説得力があったのだろう。

その舞台設定と虚実入り混じった内容から、時折、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を思い出しながら観たのだけど、根本的には違う。タランティーノは最後に大きな嘘をついて現実に抗う方法を取ったけど、PTAは現実と映画が絡み合って渾然一体となるものを目指していた。どちらも面白い。

一番意味不明で一番凄かったのは、バック走法で坂を降りるシーンだった。

バイクの疾走シーンからの主人公の駆け寄りシーンも不可解でヤバかった。

とにかく主演の二人が走るシーンが多くて、やっぱり青春は走るよな、と納得した。

 


6/5〜7/10【28】

『ザ・ボーイズ』(シーズン3)を観た。

ゴア描写がこれまでのシーズンを超えたレベルに更新されていた。内臓見せ過ぎ!しかし、それがメインの内容でもなく、これまで同様、社会的イシューを取り込んだ上で、ドラマとして楽しめる作りになっている。

ホームランダーは、よりトランプに接近していた。

24時間の時限性Vも、ソルジャー・ボーイも、核兵器やそれに近い戦略兵器のメタファーとなっていて、「力には力で対抗するしかないのか」という問いを提起することで、『力に対峙するために、人間には知恵や知性がある』というザ・ボーイズ本来のコンセプトを改めて確認させるシーズンとなっていた。

2022年後半に読んだ本の記録

2022年は本を10冊しか読んでいない。

2022年後半に至っては2冊だけだ。

なんてこった。嘘だろ。由々しき事態。

本を読み始めて以降、一番読書量が少ない年なのではないだろうか。

読書の代わりに何に時間を割いたのか。

ドラマか?地上波のテレビドラマを結構見たのかもしれない。好きな脚本家の作品もあったから。

家事か?育児か?それは言い訳にもなるまい。

 

とりあえず、直接的に読書を堰き止めた戦犯は『空気の検閲』と『Xのアーチ』だろう。

前者は、思ったより面白くなくて、読むの止めようかなとも思うのだけど、新書って大体これくらいの面白さかも、とか思い直してずっとトライしている。

後者は、読んでいる間はのめり込める面白さも感じるけれど、総じて何を読んでいるのかわからなくなるほど内容が混迷しているし、性的表現にも嫌悪感があるので、中断する度に読むモチベーションが下がってしまって、続きが読みづらい。

以下、数少ない記録。


2022/10/27

電気グルーヴのメロン牧場 7』を読み始めた。

 


9/29

しまおまほのおしえてこどもNOW』(しまおまほ)を読み始めた。

 


9/21

『Xのアーチ』(作:スティーブ・エリクソン/訳:柴田元幸)を読み始めた。

 


8/26〜9/19【10】

『ストーカーとの七〇〇日戦争』(内澤旬子)、読了。

前から気になっていた本が文庫になっていたので購入した。恥ずかしながら、下世話な好奇心が動機となっていた。タイトル通りの著者とストーカーの攻防に期待していたのだ。

しかし、いざ読み始めると、ノンフィクションならではの生々しいディテールを書き尽くす筆力が凄くて、読んではいけないものを読んでるような、背徳感を伴う面白さを感じた。著者の思考の積み重ねや心の動きを順に読んでいけば、そんなにおかしな行動を取っているように思わないのに、結果的に事態が悪化していく。それは、ストーカーがおかしいだけではなく、日本のストーカー対応が不十分であるのも理由となるだろう。結果的に、この戦いが著者とストーカーとの間だけに留まらず、著者と日本のストーカー対応との戦いに派生していく展開は想定外だった。カフカの『城』みたいに理不尽で不条理なお役所主義が原因で、著者の状況がじわじわ悪化していく様子はホラー小説のような読み心地だった。

そして、「自分がストーカーになる」「自分がストーカー被害に遭う」恐怖を感じずにはいられなかった。他人事ではいられない。まさしく、深淵を覗いた時に深淵がこちらを覗いていた。

最後に加害者の治療が被害者のためになるという視点が提示されていて、この部分がとてもクリティカルで素晴らしかった。


6/30〜8/26【9】

『猫がこなくなった』(保坂和志)、読了。

とにかく保坂和志にしか書けない小説の短編集で、あらすじにまとめられることは拒否しているし、たまたま開いたページのどこからでも読んでも構わないだろうし、意図して文法的におかしな文体を使っているので読みづらい。著者は小説を小説として読んだまま丸ごと受け取ることを望んでいる。テーマとか社会的意義とかアナロジーとかメタファーとかを使った読解を望んでいない。その姿勢は全作に通底している。著者の思考をなぞるように蛇行して脱線する文章には、全く頭に入って来ない文章もあるけれど、同時に頭の中の何かが刺激を受ける瞬間もある。

この短編集は、作品によってかなりテイストが違っていて、形式や視点や人称をかなり意識的に変えていて、実験的な作品群になっていた。

表題作『猫がこなくなった』は、ガルシア・マルケスの血族を描く小説になぞらえるように猫の家族について書いた意欲作だった。最終的に全てが無に帰るような無常感にドキッとした。

『ある講演原稿』は本当に講演で話すような内容でありながら、書き言葉と話し言葉の間を彷徨うような文章で変な読み心地だった。

『胸さわぎ』は尾花氏という三人称で書かれていて、保坂和志の小説では初めて読んだ。

そんな中でも、最も刺激的だったのは『夜明けまでの夜』だった。この作品は、死が起きた世界と死なずに生きている世界を並行世界みたいに受け取る思考法を提示する作品で、その考え方は絵本『チャーちゃん』にあった死生観を拡張したものになっていた。死んでも死ななくても気持ちが生まれて残る、という話にも読めるのだけど、多くの断定を避け、文法的に誤っている(ようにしか見えない)言葉遣いを混ぜ込み、主題を作らずに脱線や転倒を繰り返す文章のドライブっぷりが、ますます酷くなっていて、何を読んでいたのか思い出せない。著者の狙い通り、読んでいる時にしか読めない小説になっている、のだろう。

 

 

2022年前半に観た映画類の記録

映画は映画館で5本観た。

家では17本観た。そのうち旧作は16本だった。

ドラマシリーズは5シーズン観た。

上々の数字だ。

 

6/10【27】

トップガン マーヴェリック』(ジョセフ・コシンスキー監督)をIMAXで観た。

とにかく映画館で観て良かった。轟音と画の迫力に圧倒された。ガンガンアゲてくる。

オープニングから、高らかに作品の方向性を宣言する『デンジャー・ゾーン』に大爆笑。問答無用でワクワクした。どれくらいCGを使ったのだろうか。飛行機が飛んでいる映像は、常にCGとは思えない臨場感。飛ぶ機体の外側はカメラを設置するだけで撮れるのだろうか?メイキング映像見てみたい。Gのかかっているコクピットもド迫力で、表情を見せるためのこだわりも感じた。

前作は観ないで臨んだが、別に観る必要も無さそう。劇中で最低限のことは説明してくれた。その上で、前作にあった(っぽい)パリピなノリも忘れずに入れ込んでて面白かった。政治性を一切漂白している点も興味深くて、相手にしている国も明かさないし、敵の顔もずっとヘルメットに覆われていて見えない。パイロット達が何か奇妙な競技に参加しているようにも見えてくる。2022年らしい表現だった。

『ミッション・インポッシブル』シリーズを作るトム・クルーズらしく、しっかり身体を張っているヤバイ映画だった。

 


6/5【26】

『シン・ウルトラマン』(樋口真嗣監督)を観た。

戦闘シーンは概ね面白かった。怪獣は使徒っぽさを逆輸入したような機械的かつ生物的なデザインと動きでなかなかアガッたし(特にガボラ)、対ザラブ戦の地面と並行に飛びながら戦う姿は斬新で良かった。

しかし、人間ドラマのパートにちょこちょこ違和感があった。まず、長澤まさみがお尻を叩く描写は要るだろうか?『気合を入れる時に自分のお尻を叩く彼女が、いざという時になって、斎藤工のお尻を叩いて送り出す』という流れは理解できるが、別の表現でも良いような...。お尻を叩く時に毎回カメラが寄るので、微妙に違う意図を感じてしまいそうで居心地が悪かった。お尻は性的な領域には含まれないだろうか?不用意に他者が触っていいパーツでも無い気がするが...。

一方で、斎藤工長澤まさみの匂いを嗅ぐシーンなどは、彼の抑制した演技の上手さによって性的に見えないようになっていた、と妻からの指摘で気づいた。あのキャラクターには、寄生獣に寄生されたキャラクターのような可笑しさがあった。

奇抜なアングルのショットは実相寺昭雄などのオマージュなのだろうが、ショットごとの意図があまり感じ取れず、似せているだけに見えた。不必要なものが画面の大半を埋めていたりしている時間は単純に見づらかった。

 


6/4【25】

フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)を観た。

多分、昔見た時には、前半の海兵隊訓練所までしか観てない。鑑賞を断念したことに特に理由も無かったように思うが、ひょっとしたら前半の訓練シーンを冗長に感じたからかもしれない。とにかく性的に嫌な言葉を使って罵倒する教官の姿を見続けるのは単調に感じたが、2022年に観ると、兵隊というのはホモソーシャルの仕組みを最も上手く利用している集団の一つかもしれない、と気づいた。前半の終わりに起こる象徴的な悲劇は、ショッキングだけれど納得できる展開だった。後半はホモソーシャルな集団特有のマウントの取り合いや、性的に悪趣味な言葉でのじゃれ合いをしつつ、悪ふざけのように人を殺していく、というまさに地獄絵図が続く。しかし、この現実逃避に見える彼らの姿勢には、妙な説得力を感じる。実際の戦争もこうだったんじゃないかな、と思えてしまう。それはどう見ても本当に破壊されている街を使ったロケーションや、反動がリアル過ぎるライフルの発砲描写などによって、異常なリアリティを担保していたからだろう。

地獄の黙示録』をどれくらい参照したのかはわからないが、ヘリコプターの飛ぶシーンなどでは連想した。映像としては、全体的に左右で動くシーンが多く感じた。その結果、あまり奥行きは強調していなくて、昔の西洋絵画のようなレイアウトに感じられた。一人ずつ狙撃されていくシーンは、カットを割ってスローモーションにして血飛沫を噴かせたりしてて、その派手な演出に笑ってしまった。最後の行進しながらミッキーマウスマーチを合唱するシーンにも、その強烈な皮肉っぷりで笑った。どちらの演出にも、戦争の馬鹿馬鹿しさや虚しさを強調する意図があったのだろう。

 


2/15〜6/3【24】

『思うままの世界』(シーズン1)をAmazonプライムビデオで観た。

昨今の『伏線を張っておいて後々回収』や『とんでもない展開の連続で先が読めない』みたいなドラマではなくて、淡々と積み上げていく心理描写によって丁寧に物語を展開させていた。それに寄り添うように、映像自体にも凝った編集などはなく、目の前の出来事をなるべくストレートに捉えようとしていた。

そして、『発達障害である』というのはどういうことなのか、をありのままに描写していくと、ほぼ全てコミュニケーションの問題になるようだ。その結果、コミュニケーションの最たる表現であるセックス関係の描写が多くなってテーマの中心になっていて、扇情的ではないが、自然と性的に刺激の強いコンテンツになっていた。この『障害があっても性行為を楽しむのは当たり前だ』という姿勢からは、NHKのテレビ番組『バリバラ』なども思い出すし、至極真っ当だ。その性行為以前のコミュニケーションにおける齟齬は、普遍的なものが少しだけデフォルメされているだけで、所謂『あるあるネタ』っぽくも楽しめる。

しかし、果たしてこのテーマでそのような楽しみ方をして良いのだろうか。特に、ジャックの空気の読まなさで笑ってしまうのだが、そこに嘲りや侮りの感情が無いのか、というのは何度も自省した。ジャックがそのことについて悩む姿も見ているし、自分はそんな感情は持っていないはずだ、と信じたいが…。他には、ヴァイオレットの率直で純粋過ぎるやり取りに冷や冷やしたり、ハリソンの繊細さに居た堪れなくなったりもする。そんな微細な心の動きに一喜一憂する。特に、ジャックとヴァイオレットに頻発していた『普通になりたい』という切実な願いには、やり場の無い悲しみだけが残った。

ヴァンとマンディの間に起こった出来事も、ケアラー同士の『あるある』のように見えた。きっと行き場の無い苦しみを共有できる相手は貴重だ。ヴァンなんて、本当に可哀想だ。自分の人生が奪われるような感覚を味わってしまうのは当然だろう。最後に少し救われて良かった。

 


5/29【23】

『エクストリーム・ジョブ』(イ・ビョンホン監督)を観た。

徹底的なバカ映画で、何も考えずに楽しめた。あらすじだけ読んだ時はウディ・アレンの『おいしい生活』を想起したが、それは導入部分だけで、その後の展開は全く違った。

『生活がうまくいかない人々の逆転劇、あるいはその目論見の失敗』というフォーマットは古典的なのだろうが、この脚本独特のギャグ主体でのツイストが展開をわからなくしていて、よりスリリングになっていた。

アクションシーンでかかるジャッキー・チェン映画っぽい音楽から、香港映画も参照元にしてる可能性も感じた。緩急つけた編集で映像自体もテンポ良く仕上げていた。

 


5/25【22】

『21ブリッジ』(ブライアン・カーク監督)を観た。

バディムービーのフォーマットを利用しつつ色々と予想を裏切る快作だった。

かなり脚本の力が強い作品だが、同時にアクションを中心とした演出もかなり凝っている。刑事が犯人を追うシーンの狭い空間演出には、迷路に立ち向かうような楽しさがあった。また、電車に乗る・乗らないの決断を動作で見せるシーンや、ラストシーンの壁越しの攻防には息を呑むような緊張感があった。

チャドウィック・ボーズマンの走る姿が『ブラック・パンサー』と違ってとても必死に見えて、胸に迫るものがあるのだけど、その辛そうに見える姿は『闘病中だった』という情報によるバイアスかもしれない。その点が無念でならなかった。

 


5/19【21】

ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネス』(サム・ライミ監督)を観た。

予告で想像していたストーリーとは全く違っていて、ホラー映画のフォーマットを使って、ヴィランをジェイソンのような殺人鬼として描いていた。

俳優を斜めに捉えたままギューンと近寄ったりするカメラワーク、叫ぶ女性、俳優の顔を反射させる映像などは思いっきりサム・ライミ監督っぽかった。ヴィランが最後に少し改心するというのも『スパイダーマン』3部作に似ていて、サム・ライミ監督特有なのかもしれない。

マルチバースという概念は、タイムトラベルよりも脚本に収拾がつかなくなる気がしていたのだが、今作はどうにかギリギリ上手くまとまっていた。サプライズ的に他シリーズのキャラクターをゲストで出しやすい、という利点はあるのかもしれないが。

1作目の細かい人間関係が前提となっている点は、全然覚えていなかったのでちょっと辛いところがあった。ドクター・ストレンジの人間味を強調するという点は、1作目と同じ方向性だった。

 


5/16【20】

『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』(ステファノ・ソッリマ監督)を観た。

前作と全然違う。今回は、傍観者や外部の視点が無く、当事者しかいない。それに合わせてかもしれないが、空から俯瞰する視点が殆ど無く、あくまで地べたの現場からのリアルな視点で描写していた。抗争の残酷さと、抗争が政治に翻弄される様子を淡々と描写していたが、前作のように美しく捉える意図は感じられなかった。特徴的なのは、発砲や爆発みたいな暴力の発露が、極めて突発的に描かれている点ではないだろうか。暴力は突然に人の命奪う、という恐ろしさをカット割らずに描写する。そこに生まれる緊張感が、映画の展開を引っ張っていた。その突発的な暴力に合わせてだろうが、ストーリー自体の意外な展開も今作の方が多い。全てが無意味だったかのように思える不条理なラストにも驚く。前作に引き続き、冷徹に描いた脚本が凄い。

 


5/8【19】

『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)を観た。

美しさと残酷さが共存する映像に宿る凄まじい緊張感で、ずっと画面から目を離せなかった。ドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕なのだろうが、この恐ろしく冷徹な映像が美しくても良いのだろうか、という躊躇いも感じながら観た。

まず、自然を捉える空撮が美しい。その荒涼とした大地の厳しさが感じられる。それらを挿入するタイミングもとても良くて、映画の中に世界の広がりが感じられる。メキシコの警官の日常生活を追う映像はアート映画のようだった。その淡々とした日々にある他愛もない幸せがきちんと描かれていただけに、その後の展開が狙い通りに辛いものになった。この映像を入れ込む脚本も意地が悪くてすごい。

観客と撮影対象の間で何かがちらちらと舞う映像が多くて、これは『DUNE』でもよく見た手法なので、監督の好みであり、作家性の発露なのだろう。

音楽も緊張感を持続させる効果を十分に発揮していて良かった。

エミリー・ブラントの傍観者の視点は、観客へのガイドとしてとても上手かった。

 


2/11〜5/7【18】

『ボバ・フェット/The Book Of Boba Fett』をディズニー+で観た。

最初、ボバ・フェットにあまり興味が湧かなくて困ったが、『マンダロリアン』の続編として観れば普通に楽しめた。

あまりに西部劇色が増してて驚いたが、ナワバリについての話はヤクザ映画的でもあった。二つの時間軸を行き来しながら、ボバ・フェットがやたらと情け深くなった理由を説明してくれるのだが、あまり納得がいかなかった。やはりエピソード5と6に出てた人と同一人物とは思えない。

しかし、途中でマンダロリアンとグローグーが登場して、一気に雰囲気が変わる。その盛り上がりがあった上で、クライマックスであるパイク達との抗争に突入する。この構成は上手い。こちらは戦況が二転三転する仕掛けがあって、なかなか楽しめた。

 


4/3〜5/5【17】

『ムーンナイト』(シーズン1)をディズニー+で観た。

序盤は多重人格を利用したミステリー仕立てで良かったけれど、終盤の虚実入り混じらせて筋を撹乱するような手法と、敵を倒す重要なシーンを知らない人格がやってしまうという見せ場の無さのせいで、何を見せたいのかわからなくなった。また、直接的ではないとはいえ、子供の虐待描写がある点もかなり辛くて、息子には見せられない作品となってしまった。

原作通りの部分もあるのかもしれないが、ムーンナイト自体の能力もはっきりとせず、ただただ乱暴なだけにしか見えなかった。彼を魅力的にプレゼンする機会としては失敗に終わったと言えるだろう。

 


5/3【16】

『ザ・スーサイド・スクワッド 〝極″悪党、集結』(ジェームズ・ガン監督)を観た。

クソヤバかった!こういうタイプのバカ映画をこんな予算のスケールで観たことが無くて、その悪ふざけの強烈さに圧倒された。

監督の過去作『スーパー!』は観ながらリアクションに困ることが多かったのだけど、あの映画で彼がやりたかったのはこういう映画だったのだろう。

死をギャグにしてしまうのは古典的ではあるし、いつの時代でも不謹慎なのだが、その徹底的に無意味化・無価値化された死の扱い方には、思わず笑いが漏れてしまった。その方向性を宣言するかのような、異様に馬鹿馬鹿しい冒頭のシーンから十分に引き込まれた。テンポ良く編集した上で、魅せたい場面はきっちりと魅せる映像も健在。音楽の使い方は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』同様にノリノリで最高だが、有名な曲は少なめなのかもしれない。場面を説明するキャプションを、その場面にある小道具的なもので表現する手法は原作コミックに倣っているのだろうか?

多くのキャラクターがなぜか親と子供の関係性に何らかの問題を抱えているのは、その要素が映画全体に関わる大きなテーマだからだろう。ブラッドスポートもポルカドットマンもピースメイカーも親から虐待めいた仕打ちを受けていて、人格形成に多大な影響を与えてしまっている(ピースメイカーは殆ど描写が無いが、スピンオフドラマで掘り下げるのだろう)。

ラットキャッチャー2も客観的に見れば虐待を受けていたように見えるが、父からの愛情を感じていた点は他のキャラクターと異なる。この相違と、ブラッドスポートが娘のために作戦に参加している事実が相似形を成し、ブラッドスポートとラットキャッチャー2に擬似親子性を生み、それを基盤としてスクワッドを擬似家族とするのはとても巧い。

一方で、アメリカと今回の舞台となる架空の南米の島国の関係性も、親と子供のアナロジーを使っているように受け取った。親であれば子供を理不尽に扱って良いわけではない、子供も親に抗って良い、というメッセージ性があった。

一方で、ハーレイクインは別格扱いで、親と子供のアナロジーからは切り離されているし、彼女にだけ攻撃した部分に花が咲く演出などが付加されていて、マーゴット・ロビーのエキセントリックな演技もとてもかわいく見える。

 


4/30【15】

スパイダーマン3』(サム・ライミ監督)を観た。

初めて最初から通して観たが、ヴィラン3人が無理矢理物語に詰め込まれていて、それぞれのキャラクターを掘り下げて描くための時間は足りていなかった。アクションシーンにはCGが多用されていて、今観ると古びてもいるけれど、独創的なロケーションや条件を付加することで面白く魅せていた。

ピーター・パーカーがヴェノムのせいで調子に乗ってしまうシーンは、独特のダサさがあった。あれは古さだけが原因でも無さそうだった。

MJは捕まり過ぎてるし、現状に文句ばかり言うけれどほとんど努力しているようにも見えなくて、魅力的に見えるはずが無かった。キルスティン・ダンストかわいそう。

 


4/25【14】

孤狼の血 LEVEL2』(白石和彌監督)を観た。

ヤクザ映画は顔面を観る映画、と前作で確認したのだが、今作ではそれよりも圧倒的な存在感を観る映画になっていた。

前作で強烈な存在感を放っていた役所広司の穴を、ヴィランの側から鈴木亮平演じる上林が暴力的に埋めていた。はっきりと彼の映画となっている。『ダークナイト』におけるジョーカーのような、人ならざるものであるヤクザとしての存在感から目が離せない。直接的に本人を狙うだけでなく、周囲の人間に危害を加えるというやり方には、凄まじい怖さがある。

冒頭のシーンから引き込まれるのだけど、松坂桃李演じる日岡の前作からの変貌ぶりには驚かされる。同時に、石上(役所広司)とは少し違うやり方をしている、と明示するのも上手い。

村上虹郎もしっかりと存在感を示していて、悲しい結末になりそうな弟分であることを出た瞬間にわからせてくれる。その行き場の無いどうしようもなさを滲ませる演技力にはグッと惹き込まれる。

そして、やはり主役の松坂桃李も凄い。強さや狡さと同時に儚さがあって、とても危うい繊細さを魅せてくれる。

西野七瀬はスレた雰囲気を出せるのが良かったけれど、喜怒哀楽を表現する表情が乏しい感じがした。

終盤に観客を驚かせるちょっとした仕掛けがあるのだが、その仕掛けの中心人物の演技の上手さと演出の巧みさでまんまと騙された。

一方で、最大の見せ場は上林と日岡のカーチェイスだろう。本当に車が走ってぶつかって壊れる映像の迫力が凄かった。決して派手な映像ではなかったのだけど、飛び散る部品にリアリティがあった。更に、窓から飛び降りるシーンもあるのだけど、明確にハリウッドへの挑戦に見えた。そこからの二人の一騎打ちも凄まじかったが、ラストの日岡の発砲シーンは文句無しの格好良さだった。

総じて、前作と同様かそれ以上の暴力描写があるのだけど、昨今の日本映画界のパワハラや暴行が蔓延る状況を見ていると、作品の撮影中にそのような状況が無かったことを祈るような気持ちになった。

そこには、性描写・暴力描写の必然性をもう一度考えるべきだ、という問題意識も感じた。過激な描写は刺激的かもしれないが、それ自体だけに映画としての魅力を感じるわけではない。

これまでもこれからも白石和彌監督は信じたい。

 


4/18【13】

スパイダーマン2』(サム・ライミ監督)を観た。

細切れにしか観たことが無かったので、最初から通して観てみた。

割れるガラス、何かに反射して映し出される人物、叫ぶ女性、というホラーっぽい演出が想定よりも頻繁に反復されていて、サム・ライミ監督の出自を思い出させた(ドクター・ストレンジの予告編を見る限り、この手法は継続して使われるようだ)。

『POP LIFE:The Podcast』のスパイダーマンについて話してる回を聴いて、ピーター・パーカーというキャラクターの悲劇性を理解してから観ると、もう切なくて仕方ない。ピーター・パーカーは可愛そう過ぎる。彼の正義感の源は例の『大いなる力には大いなる責任が伴う』という叔父の遺言なのだろう。この呪いが強い。『スパイダーマン・ホーム・カミング』ではここを省略したために、その正義感に得体の知れなさを感じたのだと気づいた。

映画としての一番の見せ場は、ドック・オクとの電車での攻防〜電車停止までの一連のシークエンスだろう。悲運のヒーロー・スパイダーマンが救われる数少ないシーンだと思う。

そして、ハッピーエンド!

3が無ければ。

 


4/15【12】

孤狼の血』(白石和彌監督)を観た。

やっぱりヤクザ映画は顔面を観る映画で、今作もみんなちゃんと凄い顔をしていた。

役所広司はガタイも良くて、スクリーンでの存在感が凄い。松坂桃李の徐々にヤクザの世界に染まっていく感じも良い。中村倫也の最高に鉄砲玉然とした演技もとても良い。江口洋介は渋い。竹野内豊は軽く感じたけど、そういう役なのだろうか。石橋蓮司は何回ヤクザの親分やるんだ。

豚の糞、真珠の摘出、溺死体などグロ描写の接写には執念を感じる。スクリーンで観たかった。

役所広司のキャラクターが映画のポイントになっていて、彼の評価が緩やかに反転するような作りが上手かった。原作通りの展開なのだろうが、脚本にちゃんと寄り添ったテンポでの演出になっていて、違和感無く飲み込めた。

ただし、役所広司が冒頭でMEGUMIに性的暴行をたことを匂わせるシーンは引っかかる。MEGUMIの同意があったようにも見えるが、果たしてどうだろうか。後に彼の評価が反転しても、この行為に正当性は感じられなかったので、普通に犯罪を犯す人間である、と言う描写なのかもしれない。

広島弁であることも原因だが、殆どセリフは聞き取れず、字幕で観た。映画館ではキツかっただろう。『外部から来た人物が、強烈な人物の影響で価値観や倫理観が揺さぶられる』というモチーフは『凶悪』にも共通しており、その揺らぎの描き方に監督の作家性が現れていると感じた。

 


4/4【11】

ザ・ファブル』(江口カン監督)を観た。

速過ぎるアクションは見づらく感じた。岡田君は、バカな顔をする演技でも、やたらとカチャカチャ動くアクションでも、十分に活躍していた。

柳楽優弥のジョーカーみたいな表情は、殆ど笑える方向になってたけど良かった。悪役やってるのを初めてみたが、向井理の顔もクールな悪さが意外と良かった。福士蒼汰の顔は綺麗。

しかし、とにかく脚本がかなり苦しかった。世話になってるヤクザの若頭から下っ端救出を頼まれたファブルが、同じ組の別のヤクザのアジトに行って、どうにかその下っ端を助けるが、その下っ端を若頭が直々に殺す、ってこんなストーリーは全く意味がわからない。若頭が筋を通した風だったので、メンツを重視するヤクザらしい解決だったのかもしれない。しかし、散々ヤバい奴として描かれた下っ端ヤクザのことを、酷い目に遭っているからといって、ファブルの仲間のように観ることはできない。実際の意図はわからないが、演出としてはそのように要求されていて見づらかった。クソ野郎に親近感を持て、と急に言われても観客は困る。

そして、原作を読んでないのでわからない(すごく読みたい)が、映画的見せ場を作るために、原作の三つくらいのエピソードを混ぜたんじゃないか、と想像した。そのために、事件の原因と目的と結果がうまく繋がらなくて、支離滅裂になったような印象を受けた。

 


3/30【10】

ザ・バットマン』(マット・リーヴス監督)を観た。

暗い!黒い!長い!でも、満足!暗過ぎる黒い映像連発だったので、IMAXで観てよかった(昔、家のテレビで観たティム・バートン版『バットマン』はラストシーンで何にも見えなかったなあ、なんて思い出した)。

探偵としてのバットマンというアプローチの映画は初めて観たけれど、全く違和感が無かった。

バットマン定番の闇夜のカーチェイスのシーンは、今までで一番迫力があったかもしれない。細かく挿入された細部に寄った映像と、人をイラつかせるような低音の連なりが緊張感を増幅していた。

全体的にしっかりとした演出意図を含んでいる撮影が凄くて、『見えなさ』や『見えづらさ』を利用した演出は、めちゃくちゃ見えるのに肝心な部分が見えないもどかしさが奇妙で新しかった。

 


3/23【9】

『私ときどきレッサーパンダ』(ドミー・シー監督)をディズニー+で観た。

ラストの怒涛過ぎる展開で、めちゃくちゃ笑っちゃうんだけど、切ない気持ちにもなって、大きく感情を揺さぶられた。あんなアベンジャーズみたいな戦闘シーンが描かれるとは思ってなかったけど、考えてみれば、主人公はハルクのようなキャラクターだ。怪獣VS小さな生き物という構造と、怪獣の腕を駆け上がる描写からは『進撃の巨人』も連想した。

主人公と3人の友人の関係の描き方が最高で、あのワチャワチャした感じからは『ブックスマート』を連想した(ピクサーからディズニーへの抗議を思い出しながら観た結果、プリヤはLGBTQ+として描きたかったのでは、と勘繰った)。

主人公の母が、いろんな文脈の最後の障害として存在するという構図になっている。そこだけを抜き出すと、メンターだった人が最後の敵となる図式で、それはいろんな作品で反復されてきた物語を踏襲していた。しかし、そこに描かれる敵としての母親像が凄くて、彼女は主人公を心底愛している、という描き方がとても現代的だった。娘の周囲で良くないことが起きた時に、母は娘の話も聞かずに、周囲の人間が原因だと決めつけて攻撃する。なぜなら、『娘が良い子で周囲が悪い』と思い込んでいるから。これらの問題は乗り越え得る対象であり、娘も母も成長する対象として成長物語を描いている。この点に、社会に対する明確なメッセージを感じた。

そして、『ミッチェル家とマシンの反乱』の表現でも感じたけれど、3DCGアニメは現実に近づける部分とアニメにしかできない表現をうまく融合する段階に来ているようで、今作では日本の少女向け漫画・アニメ特有の表現を3DCGに落とし込んでいるようだった。具体的に言うと、何かに惹かれる・感動するという感情になると、目がキラキラあるいはウルウルするという表現だった。4TOWNはBTS的なグループを意識してるのかなと思ったけど、楽曲はバックストリートボーイズみたいだった。更に後から観たドキュメンタリーが最高。作品の影響元にやっぱり日本のアニメがあったことがわかったし、プロトタイプの主人公・メイメイを見てトトロのメイから参照していることがわかったりした。それよりも、主要スタッフ4人が女性だけであり、それはピクサースタジオ史上初らしいのだが、彼らの素晴らしい仕事っぷりと仕事のやり方、さらには生活の

 


3/21【8】

マイノリティ・リポート』(スティーブン・スピルバーグ監督)を観た。

やっぱりスピルバーグは映画上手い。ずっと楽しかった。初めて気づいたけど、スピルバーグの映画は止めてもあまりカッコいい画にはなってなくて、あくまで動いた時に魅力的な映像になっていた。

未来が見えるシステムを使って、犯罪者を未然に逮捕する社会になっている、という一見飲み込みづらい設定を、たった一つの事例で説明しきっていた点にも感心した。同時に、主演のトム・クルーズの捜査官としての能力も説明しきっていた。

また、この頃のトム・クルーズ主演という共通点のせいかもしれないけど、『宇宙戦争』と全体的なムードが似ていたし、脚本のラストが微妙に盛り上がらない感じも似ていた。彼が突発的に走ったりする時の勢いが凄くて最高。かつての同僚との戦闘シーンも相手のことを熟知しているという関係性を見事に表すアクションでありつつ、映像的な躍動感が凄くって、めちゃくちゃ興奮した。

彼が腐ったミルクとサンドウィッチを間違えて食べるシーンは無意味かつ異様で笑った。

子どもが連れ去られるシーンは、そのリアルな演出がうま過ぎてトラウマレベルで怖かった。

それと、妙に(珍しく?)性的描写が多かったのだけど、セックスを嫌悪の対象とする描写しかなくて、彼の作家性を表してるような気もした。

 


3/18【7】

コン・エアー』(サイモン・ウェスト監督)を久々に観た。

肉体派アクション俳優として絶頂期のニコラス・ケイジが見られる最高のアクション映画(なぜその路線)。今見ても最高。銃弾が当たっても全く怯まない強さが、めちゃくちゃカッコいい。剥き出しの腕が撃たれるっていう描写は、それまで見たことなかったかも。どうやって撮ってるんだ。髪が薄くなりつつあるのにロングヘアという独特の髪型も印象的。

そして、改めて観ると、脇役にジョン・キューザックジョン・マルコヴィッチスティーブ・ブシェミ、という今となっては豪華な実力派俳優達を配置していて贅沢。特にジョン・マルコヴィッチは作品の功労者で、頭の切れる凶悪犯罪者というありきたりだけど必要な役に、その異様な存在感で説得力を与えていた。

糖尿病の友人ベビー・オーは主人公・ポーを飛行機に留めるための装置として存在していることに気づいた。主人公の情に厚い性格も表現できて一石二鳥だろう。

印象的なシーンが多くて、かなり覚えていた。Wikipediaによると、なるべくCGを使わない主義だったらしいのだけど、確かに「あれ?マジかよ?これ実際に撮ってるっぽい…」と驚愕するシーンが多かった。後ろに車を繋いだ状態で飛行機が飛ぶシーンも実写にしか見えなかったが、あのワンシーンのギャグのためにそこまでやるのが素晴らしい。

レイプ魔の腕が切断されて死んでいることが判明するシーンみたいに、細かく驚かせる描写が多いのも特徴で、その鮮烈さのためにかなり記憶していた。

アクションの見せ場を作るための脚本になっているが、その大迫力のアクションをこんなに見せてくれるなら文句は無い。

 


3/13【6】

鋼の錬金術師』(曽利文彦監督)を観た。

久々に苦笑したり文句を言いながら映画を観た。

原作は大好きで、世界観やキャラクターはかなりうまく寄せてるような気がしたけど、アクションシーンが厳しかった。そもそも、こういう映画にあるはずのアクションシーンが少な過ぎて退屈だった。遠距離でCGで攻撃し合うだけのシーンはアクションシーンではないはず…。

数少ないアクションシーンも辛くて、冒頭の市街地全体を使った錬金術バトルのシーンは一番キツかった。例えば、主人公のエドが隆起する壁を避けながら逃げるシーンでは、魅せたいのはエドが逃げる様子の臨場感なのではないだろうか。それなのに、隆起する壁のCGを強調するように撮られているように感じた。ただカッコ悪く逃げる映像をカッコ悪い演出で撮られても、エド演じる山田涼介が可哀想に見えた。屋根から飛び降りて逃げる敵を捕まえるシーンも、スピード感が無くて鈍臭い映像に見えた。跳んだカットとぶつかるカットが切れていたのが良くなかったのだろう。この映像に似たシーンを『るろうに剣心』で観た記憶があって確認したが、全く違った。アクション監督の力量が違うのだろうか。同じ監督の『ピンポン』は悪くなかった気がするんだけど。

俳優の演出も微妙なことが多かった。主人公・エド役の山田涼介は叫んでばかりだったし、すまし顔の方が美しさが際立つという特徴と相性が悪そうだった。ウィンリィ役の本田翼とのやり取りも無駄に冗長に感じた。本田翼は可愛かったけれど。そういえば、ディーン・フジオカ松雪泰子はやり切っていて良かった。大泉洋も無茶な設定をうまく飲み込んでで良かった。

脚本も微妙だった。原作のエッセンスを無理矢理ぶち込んで、ありがちなドンデン返しを多用して一本の映画にまとめた結果、主人公が対立している相手がはっきりせず、ストーリーが散漫になって楽しみづらかった。

続編が作られたことに驚きを隠せないが、舘ひろし新田真剣佑の活躍には期待してしまう。

 


3/5【5】

スネーク・アイズ』(ブライアン・デ・パルマ監督)を久々に観た。

昔観た時の記憶がかなり鮮明に残っていて、展開もほとんど覚えていた。

映画の中盤で事件の黒幕が明かされるのだが、そのタイミングが早過ぎる、と当時は感じていた。それまでに観てきた映画が、ラストにどんでん返しがあるタイプが多かったからだろう。

しかし、観直してみて、途中でジャンルが変わるタイプの映画だったのだと気づいた。序盤はミステリー寄りの映画なのに、中盤で観客にだけ事件の全貌が明かされて主人公VS犯人のサスペンスになり、終盤は犯人を知った主人公の葛藤と苦闘を描く人間ドラマとなっていた。

この終盤のニコラス・ケイジ演じる主人公・リックの葛藤が人間臭くて魅力的だった。だから、忘れられなかった。口汚く周りを罵りながら生活していて、不倫も汚職もしているクズ刑事が、犯人を知って「知りたくなかった...」と率直に後悔する姿が凄い。目を瞑る判断も提示されて迷いながら、半ば流されながら、最終的に主人公が決断をする様子がカッコ良い。ここに、ニコラス・ケイジの良さが出ていて、暴力性と情けなさを悲劇でも喜劇でもあるように魅せる上手さを感じた。

ラストの決闘が偶然に任せ過ぎていて、主人公の活躍が足りないような印象も受けたけど、この主人公はヒーローではないので、このグダグダな解決が似合っているのかもしれない。結局失墜する主人公の最後のセリフはその情けなさ含めてカッコよかった。取ってつけたようなラブシーンは安っぽかったけど。

エンドロールの選曲の意味がよくわからなくて、映画の雰囲気と全然合っていない感じがしたけど、味わい深い映像だった。最後の宝石のカットはどこまで暗示したかったのだろう。

映像は結構変わった撮り方も多くて、ホテルや部屋の上からの俯瞰の位置のカメラを床と並行移動させるやり方が多用されていた。『タクシー・ドライバー』の終盤を連想したが、舞台演劇っぽい演出だったのかもしれない。最初に長回しがあったりするのだけど、このカメラは誰の視点なのだろう。全体的には監督らしいサスペンスっぽい演出が多かった。

 


2021/1/4〜2022/2/7【4】

『クイーンズ・ギャンビット』をNetflixで観た。

第1話を観た後、何となく1年くらい放置してたのを一気に全部観た。少年漫画っぽい筋をメインストーリーにしつつ、現代的な問題意識を多く詰め込みながらエンタメ作品にしていた。特に「女であるだけで侮られる」(厳密には若い点も原因である)状況を上手く使って、主人公を侮る男達がバッタバッタとなぎ倒される姿が痛快だ。

単なる倒すべき存在だった男達が、次第に良きライバルとなり、最後には戦友のようになる、という展開も少年漫画っぽいのだけれど、それが性別を乗り越える点に、metoo以降のフェミニズム的な価値観の更に先の可能性を感じた。不足していたセルフケアを回復させるのがシスターフッドである、という描写も現代的だった。

しかし、ただメッセージやテーマ性が優れているだけでもなく、単純に映像も素晴らしかった。ハリウッド映画みたいなレベルの予算を感じた。

まず、美術セットが異常なクオリティで、世界各国の景色を楽しめるようになっていた。その素晴らしい背景の前に立つ主人公のビジュアルも負けず劣らず良くて、一貫したこだわりを持った素晴らしいファッションとヘアスタイルが、成長と共に変化していく姿を見るのも、とても楽しかった。

映像にもこだわりを感じることが多く、地味になりがちな対局シーンをどう面白く魅せるかにかなり腐心していた。チェスそのものを説明するのではなく、主人公や相手や観客のリアクションで状況を説明するやり方はとても上手かった。このやり方がテンポ良く映像を繋いでいた。チェスボードのように画面を分割して沢山の映像を同時に流したりしているのはかなり挑戦的だった。光の取り入れ方も美しく、陰影が綺麗に入っているシーンが多かった。

 


2/1【3】

バトル・ロワイヤル』(深作欣二監督)を久々に観た。

改めて見直すと、北野武の演技が恐ろしい。静かにしてても常に殺気がある。一方で、前田亜季と河原で語るシーンには北野映画っぽさがあった。北野武が殺気の裏側に持つ寂しさのせいか、監督に意図があったのか。それにしても、やっぱり最期の『死ななさ』は奇妙でもあったけれど。

山本太郎安藤政信は安定した演技力で強烈なキャラクターを表現していた。柴咲コウの殺人鬼っぷりも最高だし、栗山千明の信念のある殺意も良い。

そして、大人になって制作側を感じながら観ると、現場の壮絶さが伝わってくる。一瞬のワンカットのために水浸しで大量に死んでいる生徒達とか、撮るの大変そうだ。でも、説得力を持たせるために必要な労力だったんだとは感じた。原作を端折って2時間程度に納めるには、個別の死をなるべくちゃんと描きたかったんだろう。

 


1/17〜1/29【2】

『調査官ク・ギョンイ』(シーズン1)をNetflixで観た。

最大のネタバレを知った状態で見たが、十分に楽しめた。原作はあるのだろうか。エンディングのコミックっぽい表現から、韓国作品に多いウェブトゥーン原作なのかな、と考えていた。というか、原作が漫画じゃない限り、あのチープなCGを使ったエンディングを作る理由が無い。

脚本がよくできていた。細かい部分でおかしなところはあったが、全12話で一つの作品になるように、第1話から考え抜いた構成になっていた。その毎話引っ張るような展開と、連動するようにうまく色付けされた登場人物の魅力が視聴欲をうまく促していた。特に、主役のク・ギョンイと敵対するソン・イギョンは漫画的とも言えるようなデフォルメされた人物設定をされていて、二人の行動から目が離せなかった。この二人の関係性が毎話変わることで話を展開していく構造になっていて、そこがとても上手くて、見てて飽きない。

キム部長とヨンスクがビジュアルに反して怖いというギャップも上手かった。

オ・ギョンスが受け持っているコメディパートはちょっとノれない部分もあった。

音楽はドラマで見たことないようなシューゲイザーっぽい音楽を多用していて斬新だったが、意外と違和感は無かった。

演出も結構変わっていて、全く異なる場面を演劇の舞台演出を使ってまとめる映像や、ゲーム映像を織り交ぜて物語上の虚実を曖昧にする手法もあって、色々と挑戦的だった。

 


1/13【1】

スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホーム』(ジョン・ワッツ監督)を観た。

苦味のある終わり方を観て、登場人物が不憫でならなくて、ああ、このMCUスパイダーマンが本当に好きだったんだな、と実感した。強くても弱くてもかわいげがあるトム・ホランドのピーター・パーカー、今までに無い内気さを表現しつつも魅力的なゼンデイヤのMJ、コミカルだけど真摯にピーターを支えるネッド、そして、彼らが楽しそうにキャッキャッとしてる感じ。これらの終焉が残念でならない。

アクションもこれまで同様素晴らしくて、特に最終決戦が最高だった。スタート時のチグハグなチームワークを「何が起こってるかわからない」くらいに混乱しているアクションという表現で観客に説明した後に、それが整理された見応えのあるアクションに変わる。そうやってチームワークがバッチリになったことを表現するやり方はとても上手かった。

怖い大人描写と赤青の照明も健在。ウィレム・デフォーはまさに違うユニバースから現れたヴィランという感じで怖過ぎた。アニメで言えば、あの人だけ作画が違う感じだ。社会的なイシューは前作ほど露骨には取り入れていないが、『敵も救う』という姿勢は敵対する相手とどう向き合うか、と言う普遍的な問題への一つの回答であり、この映画で描いている困難さこそが現代社会の難しさを表していると思う。

また、今作に出てくるヴィランが全て事故によって生み出されている点は、この作品が性善説に立つ表明にも感じられた。

ドクター・ストレンジVSスパイダーマンのド派手CGアクションはIMAXで見て良かった。

2022年前半に読んだ本の記録

2022年前半は、人生で一番穏やかで幸せな日々だったかもしれない。

ロシアが恐ろしい侵略戦争を始めたり、元首相が撃たれたりして、言いようのない不安にかられたりするけど、負けてはいられない。

明らかに読む冊数が減ってしまっていて残念だが、仕方ない。負けてはならない。


6/30

『猫がこなくなった』(保坂和志)を読み始めた。


6/3

『空気の検閲』(辻田真佐憲)を読み始めた。


6/9〜6/22【8】

『猫の舌に釘を打て』(都筑道夫)を読了。

単行本で読むべき大仕掛けが施されているミステリー。手書き(もしくは手書き風フォント)だったらもっと興奮できただろうな。作品全体が主人公の手記という形を取っていて、一つの視点から全てが語られる。途中からメタ視点も含めて描かれていて、かなり遊び心のある構造になっていた。

一方で、2022年に読むと、失われてしまった古き良き東京の風景が楽しめる作品にもなっていた。古典的名作と最近の小説の間にある、今一番語られない時代の作品だと気づいた。

なぜか登場人物が覚えづらかったのだけど、それはキャラクター付けが薄かったからかもしれない。マンガやアニメか隆盛を誇る以前の小説だからかもしれない。そう考えると、シマ・シンヤ氏のクールな文庫カバーがかけてあるのは、現代的再評価の施策として正しそうだった。


4/26〜6/3【7】

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(作:アンディ・ウィアー/訳:小野田和子)、読了。

久々にずっと先が気になる本だった。夢中で読み終わった。未読だけれど、おそらく『火星の人』の一人語り型小説の発展形なのだろう。

帯がネタバレになってしまっている、と言われていたが、読んでみて言わんとすることはわかった。この小説は、全く内容を知らずに、主人公と同じ「(自分に)何が起きているのかわからない」状態で読み始めるべきだろう。

見事に計算された構成で場面ごとに様々な状況が作られていて、その度に主人公がピンチやトラブルに陥る。しかし、彼はどうにかして前向きに行動して、主に理系分野の広範かつ多彩な知識と、それをうまく生かす知性をフル活用して絶対に諦めない。その不屈の意志の推進力となるのが、ユーモアなのが良い。ユーモアを持って、自分を宥めたり慰めたりしながら問題解決に向かう姿に、心を動かされる。読んだ時期が近いので、何となく『三体』とも比較しながら読んだが、このユーモアの有無が大きな違いだと感じた。

作中では、深刻な問題解決のために、いろんな人物が大胆かつ斬新なアイディアをたくさん出すのだけれど、それでちゃんと読者を驚かせる著者が凄い。


4/8〜4/26【6】

『ニワトリと卵と、息子の思春期』(繁延あずさ)、読了。

ある日、著者の息子が「ニワトリを飼いたい」と主張する。その行動が家族にもたらした変化と日常の記録。著者は写真家でもあるそうで、綺麗かつわかりやすい写真が添えてあるので、非常に読みやすかった。

まず、読み始めてすぐに、ニワトリを飼いたいと訴える長男のパーソナリティに関心を覚えた。自立心が強く、行動力があり、決めたら実行してしまう彼の意志の強さが、本書の展開を左右していく。ここに生じる家族との摩擦の中にある苦悩や学びが、本書の第一の魅力だろう。一人の少年が中心となる点から『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)なども思い出したが、本作の少年の方がより激しく周囲(主に家族)とぶつかっていた。

とある家庭の生活の記録であり、本来的には固有の事象の連続に過ぎないはずなのだが、かすかに『あるある』のような普遍性が脳を掠める感覚があった。買うことに決めた決定打となったのは、冒頭の『ゲームを買いたい長男を止められない』と著者が悟るシーンだった。

考えてみれば、確かに親が反対しようとも、お金さえあれば子どもでもゲームは買えてしまう。(中略)これまで、“お母さんに同意されたい”という子どもの気持ちを、ずっと利用してきたことに気づかされた。そういう気持ちがなくなってしまえば、親の意向など何の効力もない。堂々とそこを突かれたことが、腹立たしくて、悔しくて、不安だった。

まず、この率直さにハッとさせられた。カッコ悪い話も言いづらい話も、ちゃんと語る意志を感じた。そして、親が子に対して優位性を持つ際のズルさの話に、とても深い共感を覚えた。親としても子としてもわかる話だった。

終始、この著者が多くを曝け出す調子で進めるので、ヒヤヒヤさせられた。


3/16〜4/3【5】

『Schoolgirl』(九段理江)、読了。

クールな装丁が良かったし、芥川賞候補作で短めなのでサラッと読めるだろうと考えて購入したが、思ったより読むのに時間がかかった。想定より飲み込むのに時間がかかる描写が多かった。

収録されている2つの短編には共通点があり、その部分に注目するだけでも作家性は十分に読み取れる。

まず、それぞれ立場も状態も異なるが、両作とも親子関係を描いている。

『Schoolgirl』は母の立場から娘との関係を描いているが、先進的な考え方をしている娘の話をちゃんと聞いていない。表面的に取り繕ってはいるが、「自分に難しい話を聴く能力が無い」という卑屈さを持って娘と向き合うので所謂健全な関係性を結ばない。

『悪い音楽』の高名な音楽家の娘である主人公は、父親からの干渉を拒み、明確な意思を持って期待に応えない。

どちらも親子関係に絡め取られない自立心を表現できているのかもしれないが、人権を主張するような健全さを感じないのが独特だ。その奇妙な読み心地を生み出した要因は、特異なパーソナリティを持った主人公を語り手に設定した点だろう。芥川賞受賞作において、この形式の最高峰として思い出すのが、村田沙耶香の『コンビニ人間』だが、今作はそれほど分かりやすくないし、笑えるポップさも無い。

『Schoolgirl』を読み始めた時、『娘の成長に戸惑う母』というありきたりの構図を想定してしまったために、途中で何度も認識をひっくり返された。例えば、『精神科医がおかしなことを言っている』と主人公が感じるシーンでは、最初は読者も主人公と同様に認識できるのだけれど、次第に主人公の受け取り方がおかしいのでは、と不安になる。そういう段階を経るように書いてある。他にも、14歳の女子になりきってセックスをするシーンでは、『そのおぞましさでセックスができなかった』となる展開を想像できそうなのに、ぐるっと思考した末に彼女は性的快楽を得ていて、読者としてはその思考に戸惑う。

『悪い音楽』の主人公も、最初は『無気力な音楽教師』くらいのバランスで読めるのだけど、途中から所謂サイコパス(あるいは、ソシオパス)として描かれているように感じる。サイコパスとして認識される人を語り手にして小説を書き切っている点は凄い。その描き方は、サイコパスという存在が社会によって定義されている、という表現にもなっていた。

また、両作は共通して、ヒップホップという音楽の手法を参照してる部分がある。『Schoolgirl』は太宰治の『女生徒』をヒップホップのようにサンプリングしてると言えるし、『悪い音楽』の主人公が作る音楽はヒップホップだし、韻にこだわる文章もあるし、タイトルでも暗示している。この手法を使う意図はわからないが、外部の文化を取り込んで新しい小説に取り組もうとする姿勢には胸が躍った。


2/8〜3/15【4】

『時代劇入門』(春日太一)、読了。

読者に優しく語りかけるような文体、難しい話の大胆な省略、わかりやすくまとめた説明。この本を読んで、著者が本気で時代劇ファンを増やそうとしている熱意が伝わってきた。観るべき時代劇作品や注目すべき時代劇俳優というまとめ方などは、そのコンセプトを十分に表していた。その結果、ちゃんと時代劇を観てみたくなった。

そして、最後の富野由悠季インタビューは、ガンダムファンからの時代劇ファン獲得のきっかけにもなりそうな内容だった。さらに言えば、これまで言及されていなかった視点での作家批評としての価値も感じた。今見れば、ガンダムの見方も変わるかもしれない。


2021/6/6〜2022/2/16【3】

『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府の作り方』、読了。

この本に書いてあることを参考にしてデジタル庁が動いているなら、未来には希望がいっぱい。マイナンバーがエストニアやインドのようなシステムのために使われるなら、国民にもたらす利益も大きい。役所とのやり取り特有の煩わしさが軽減されて素晴らしいだろう。

この未来を実現するために必須なのが、個人情報の適切な利活用だ。この点については、かなり整理された説明が書いてあって、その部分に一番の希望を感じた。

しかし、政府も企業もいろんな個人情報を漏洩しているのが現状で、どうしてもデータを明け渡すことに抵抗も感じる。早く信頼させてほしい。

本全体の構成がかなり変わっていて、メインは架空のインタビューのような自問自答なのだけど、その途中に挟まれるコラムや資料のページへ飛ぶように指示も入っていて、ページを何度も行き来することになる。まるでゲームブックのようで、楽しく混乱した。


1/19〜2/7【2】

『ガラスの街』(作:ポール・オースター/訳:柴田元幸)、読了。

小説の構造自体で遊んでいて、そのメタ構造や入れ子構造の中に、読者である自分が入っているような感覚に歓びを感じた。想像していたよりも、実験的で不思議な小説だった。古川日出男が妙に入り組んだ文章で勧めていたので読んだ(http://www.waseda.jp/inst/weekly/features/specialissue-review)のだが、読了後に読み返すと、言わんとすることは何となくわかる。

様々な作品を連想する刺激的な作品だった。素人が探偵の真似事をする様子からは夏目漱石の『彼岸過迄』、主人公が自分の行動を俯瞰で点検して分解する描写からは筒井康隆の『虚人たち』。また、作品内に作家自身(と同姓同名の人物)が登場するのは、エラリィ・クイーンなどの探偵小説のマナーに則っているのだろうけれど、作者が自分の作品に侵食されるような点は、チャーリー・カウフマン脚本の傑作映画『アダプテーション』の構造に近い。

ヘンリー・ダークという研究者の話や、作中のポール・オースターによる小説『ドン・キホーテ』研究が暗示するのは、本を書いた著者と書かれた本との関係性で、それによって、『この小説を書いたのは誰』で、『誰の話を書いているのか』と言う構造を強調していた。そこに、実際の著者であるはずのポール・オースターを絡めることで、『誰が読んでいるのか』という読者の意識にも揺さぶりをかける。

それらとは別に、細かい描写にも実験的なところは多い。特に、息子の方のピーター・スティルマンの滔々とした語りは衝撃的だった。言語化能力の欠落の一例をとても巧みに表現していた。

物語の展開にもその実験性は顕著で、父の方のピーター・スティルマンという人物が二人いる(パラレル的に分岐したかの)ような描写があったり、探偵小説のフォーマットを使いながら意図的に謎解きを放棄したりする。

小説内で起きること全てに理由があるわけではない、という姿勢が産む世界は、リアルとは違うけれど、現実の仕組に似ていて奇妙かつ魅力的だった。


2021/12/5〜2022/1/19【1】

『どうやら僕の日常生活はまちがっている』(岩井勇気)、読了。

前作同様、ラジオで話した内容をベースにしたエッセイが中心だが、最後に短編小説が入っている。エッセイの出来は前作とあまり変わらないかもしれない。だからこそ小説を入れたのだろう。常に新たな試みを好む著者らしい選択だった。

この小説はエッセイから生み出した作品という印象で、段階的に創作の度合いが色濃くなる様子を楽しめた。日常生活っぽい描写で進めていって、途中でファンタジーやSFのようなフィクションへの飛躍が強烈に入れ込んである。その部分を読んでようやく小説であることを実感できる。小説を読んで気づいたが、一挙手一投足を細かく描写しつつ、口語体で気持ちの説明を入れていく手法は、前田司郎氏の小説に似ているのかもしれない。設定も含めて、特に『恋愛の解体と北区の滅亡』を思い出した(絶対に影響を受けたわけではないけど)。

このスタイルは、ラジオのトークパートで急に妄想や理想を混入させて、現実に起きたことを過剰演出する手法と同じだ。異なるのは相方・澤部氏のツッコミが無い点か。小説というフォーマットでは嘘を書くのが当たり前なので、違和感が無くて不思議な感覚を得た。この作品は、小説というフォーマットを利用したボケのようにも読める。今後、著者が小説という分野をどう展開していくのか、はとても気になる。

 

 

騒がしい日々の坂道を

深夜にあてどなくNetflixをさまよっていたら、深作欣二監督作『バトル・ロワイヤル』を見かけた。へー、なつかしー…うわ、すご...!いや、でも、そろそろ寝なきゃ…って中断。そんな夜が何度かあった。

 

見るたびに強く喚起された記憶は、この映画を映画館で見ている15歳の私。

あれはイオンだった。いや、当時は違う名前の商業施設だった。中学校を卒業した直後に、同級生5〜6人で行ったはずだ。確かR-15を謳い文句にして相当煽っていて、その制限にまたそそられた。中学生は見れないらしい、ということで、卒業した直後の春休みに行ったはず。僕らは手に入れたばかりの携帯電話で連絡を取り合った。面白い絵文字を見つけては意味もなく送りあった。確か2人くらいが自分と同じauの携帯電話だった。懐かしき言葉シーディーエムエーワン。

自転車で集合して、アップダウンの激しい坂道を、みんなで笑い合いながら立ち漕ぎで走ったあの日。友達だけで映画館に行ったのは初めてだったのかも。

映画館では生徒手帳を見せたような気がする。15歳が大人である証みたいだった。

 

肝心の映画からは何を受け取ったのか?

簡単な感想は

前田亜季かわいい」「やっぱ安藤政信かっこいい」「たけし全然死なない(笑)」

くらいだった気がする。

どちらかというと、『15歳未満では観られないほどの激しい暴力描写を自分は観ている』という興奮の方が記憶にある。

 

実は、私は原作小説も買っていた。分厚くて黒い本。凹凸加工のされた赤い文字。映画を見る前に買ったのか、後に買ったのか、は記憶が無い。あの本はまだ実家にあるのだろうか。『面白い』という感想は持っちゃいけないような気がして誰にも言わなかったけど、当時こっそり何度も読み返していた。15年の人生がしっかりと背景に描かれた登場人物が死んでいく姿に、強く心を動かされていた。強調される死の辛さや怖さと、過剰にドラマチックでヒューマニズムに満ちた感動的な描写。それらの刺激をごちゃ混ぜに受け取った15歳の私は、やはり興奮していた。

そして、不謹慎で非道徳的かもしれないけれど、あのゲーム性の巧妙さにも心を奪われていた。武器がランダムで配られる点と、殺し合いを促すために時限的に禁止エリアを増やす点が、本当によくできている。

後に、このゲーム性を抽出して作られたであろうゲームの『PUBG』と『フォートナイト』もやってみた。普通に楽しめた。

 

そんな経験の果てに、今更観直した『バトル・ロワイヤル』もやっぱり楽しめた。

テンポ良く壮絶な映像が襲ってくる。デカい感情で迫ってくる。

でも、没入はできなかった。

やはり、当時は『自分と同い年の人たちの殺し合いを見ている』という当事者感が、スパイスになっていたのだ。

あの映画体験は、中学生と高校生の間に一瞬だけあった、不安と期待でいっぱいの特別な時間だったらしい。

 

ちなみに、映画のエンディングテーマは時代を感じる曲だった。当時は不良が好きな音楽だと思ってた。だから、今もそんなにカッコよさはわからない。


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