今回は色々読んだ。
こうやって並べると、「ちょっと興味があるな」くらいの本を結構読んでいる。家には積ん読本もたくさんあるけど、それらをスルーして読んだ本も多い。その事実について考え始めると「はて?どれも読みたくて買ったはずだよな?なんでこっちを読まずにそっちを読んだんだ?え?あれ?俺が本当に読みたい本って何だっけ…?」という思考の穴に堕ちていく。
だから、選書について深く考えるのはやめる。
2024/10/16〜2025/5/31【9】
『わかりやすさの罪』(武田砂鉄)、読了。
ポッドキャスト番組『奇奇怪怪』の話し手の一人であるTaiTan氏がしきりに「良いあとがきを書いた」と自負していたので、買ってみた。
本編自体は、回りくどく迂回しつつ、いろんな形で同じような内容を反復しつつ、なるべく断言を避けながら、『わかりやすさ』が隠蔽したり省いたりしてしまうものを見つめ続ける奮闘の記録文の連なりだった。その粘り強い思考の挑戦を存分に楽しんだ。
最も心に響いたのが、『わかりやすさ』と『雑さ』が共犯関係になることがあることが書かれた部分で、その論考には世界を啓かれたような気持ちになった。わざと雑にして、わかりやすさでゴリ推しするやり方は見たことがある。
わかりやすい=良い=スマートである、とは思わないように、と改めて肝に銘じた。
それと、確かにあとがきも結構良かった。
2024/6/6〜2025/5/26【8】
『ショットとは何か?』(蓮實重彦)、読了。
1年ほどかかったが、殆どは寝る前に読み進めた。寝落ちすることはなかったが、ちょっと読むだけで眠くなるので、睡眠導入本としては大変良かった。カッコいい文章が並ぶのだが、言っていることが難しくて眠くなる。
タイトルの通り「ショットとは何か?』が気になって買ったのでその問いへの解説本を期待していたが、主に著者へのインタビュー本(聴き起こし)となっていて面食らった。前半は昔話ばかりで退屈に感じた。流石に古過ぎる話だし、重要な映画監督や作品の名前が出て来ても理由がわからなかった。後半になって、映画のワンシーンを文章で説明する描写が増えて面白くなってきた。その筆力が圧倒的だった。
演出の映画と撮影の映画があるという分析にもたいそう感銘を受けた。
結果的に『ショットとは何か?』の回答らしきものもいくつか拾えた。以下、引用である。
「(トリュフォーの『ピアニストを撃て』で、マリー・デュボアが撃たれたショットについて)ショットとは、この撃たれたばかりの若い女性の遺体の雪原の斜面の滑走という不意の運動感にほかならず、画面のサイズとは無関係なものだ。(中略)この空間の流れるようなフィルムへの同調ぶりが、たまらなかったのです。」(p60)
「映画を見ることとは、スクリーン上に、異なるショットとして展開される視覚的な要素の連鎖を、そのつどそれと認識する作業につきるものではありません。すでに見たことのあるショットに触れることで、そこには描かれていない物語のしかるべき展開を認識するという想像作業が絶対に必要なのです。」(p137)
「映画におけるショットを語る場合、そこに表象されている抽象的な構図だけではなく、それぞれの画面の主題論的な統一が何によって維持されているのかを見てみる必要があります。」(p139)
「ショットとは、何よりもまず「厳密」なものです。それは、たんにその被写体の機械論的な再現にまつわる「厳密」さのみを意味しておりません。」(p223)
「ショットとは、このわたくしのエッセイの題名にふさわしく、その「寡黙な雄弁さ」によって、あるいは「雄弁なる寡黙さ」によって、見る者を動揺させるものだというべき時がきているのかもしれません。」(p269)
まとまっているのだろうか。意見に一貫性はあるような気もする。言い回しは変われど、同じものを捉えようとしているのではないか。
結局、ショットとは何か、はよくわからないままだが、興味深い概念であるという思いは継続している。
5/12〜5/13【7】
『迷宮教室 出口のない悪魔小学校』(作:あいはらしゅう/絵:肘原えるぼ)、読了。
小学校のクラスで少し話題になったらしく、急に長男がハマったので読んでみた。他者を陥れることなく、仲間と協力しつつ、強大な敵に立ち向かうタイプの、直接的には死が無いデスゲームだった。メインテーマに友情を据えていて、やはり人が死ぬ(作中ではカゲアクマになる)瞬間に起きる強い感情に、揺さぶられるのだろう。それは『バトル・ロワイヤル』にあった要素と通底していて、『フォートナイト』が人気ゲームであることとも繋がっているように感じた。
漫画のコマ割りみたいに文章と絵を交互に入れてエモさを強調する手法には驚いた。
全国トップレベルのスポーツ選手や有名人っぽい奴らがクラスに集まる中で、主人公は機転が利く賢さがあり、他者に優しいというだけでリーダーとなっていた。そのギリギリ読者が模範として目指せるキャラクターになっている点は、エデュケーショナルに感じた。
4/18〜5/11【6】
『世界最高のチーム グーグル流「最少の人数」で「最大の成果」を生み出す方法』(ピョートル・フェリクス・グジバチ)、読了。
普段は実用書やビジネス書の類を全く読まないのだが、そのことを妻に軽く話したら、想定よりも馬鹿にされて、売り言葉に買い言葉で「ああん…?」と今にも取っ組み合いになるほど揉めた…ということは無いが、じゃあ、読んでやるよ、と妻が例示したこの本を読んだら、なるほど!やる気とか元気は出る!
『マネジメントというのは、チームのメンバーの心理的安全性を確保すること』という絶対的な原則が繰り返し語られる。「月1回1on1でミーティングする」や「こう言われたらこう返答する」みたいに、様々なレベルで具体的な方法が簡潔にわかりやすく説明されていて、俺もこうやろう、とか思える。
しかし、なかなかうちの会社ではハードル高いな、とも思っていたら、あとがきで会社や国に合ったやり方があるので、それに合わせれば良い旨の補足があり、そこでは飲みュニケーションも一例として否定はされていなかった。この心理的安全性の確保のためにはコーチングという概念も重要で、どのようなリーダーになり、どのようにメンバーと接すれば良いのか、の指針となり得る。
初版が2018年なので状況は少し変わってるかもしれないが、普遍的に大事なことも書いてある気がする。
余談だが、この本を見た時、誰が訳したんだろう、と思っていたら著者本人が日本語で書いたらしかった。すごい。
3/30〜4/11【5】
『イルカも泳ぐわい。』(加納愛子)、読了。
エッセイ集なのだけど、最初から小説的な萌芽を感じて不思議な味わいだった。コントのようなフィクションパートにシームレスに入る文章が多いからだろう。そのため、最後に小説が入ってることもすんなり納得できたが、それが標準語で書かれていることには若干違和感が残った。殆どが関西弁で書かれていて、そのリズムからか文体からか町田康を感じることも多々あったからだろう。芸人であることがベースで書かれていて、その不思議さも可笑しさも堪能できた。
ふわちゃんの解説はいつものふわちゃん節ではありつつ、著者の面白さの源泉を紐解くような内容でとても良かった。
3/28〜3/29【4】
『老人ホームで死ぬほどモテたい』(上坂あゆ美)、読了。
ポッドキャスト番組『奇奇怪怪』で著者を知り、その異様に明晰かつファニーな言動に興味を持ち、彼女自身のポッドキャスト番組『私より先にていねいに暮らすな』を聴いた。その番組で、明け透けな言葉と、微細な心の動きや微妙な現象を言語化する力に、すっかり心奪われた。本人が言っていたさくらももこの影響の強さもわかる。それで、この代表作の歌集を手に取り、一つ目の短歌を読んで、購入を決めた。
『ばあちゃんの骨のつまみ方燃やし方YouTuberに教えてもらう』
とにかく身も蓋も無いことをまっすぐ言うことがある。その素直さに笑ってしまう。多くの歌の意味がわかりやすく、理解に迷う短歌も少ない。そして、地方都市特有の閉塞感をパッケージしてる短歌も多くて、ノスタルジーとシンパシーに胸がいっぱいになる。その代表として挙げるなら
『ラーメンとユニクロイオンあとバッセン果てない灰色の通学路』
だろうか。読んだ瞬間、「あっやられた」という悔しさもあった。俺が詠むならパチンコと駐車場を入れたい。
また、全体の構成としてダイアリー的に作られているところがあり、おそらく実際に私生活で起きた変化についての歌が、少なくとも途中までは時系列通りに並んでいる。その物語性が本自体の読みやすさを強化していた。一番好きな歌は
『借金をしたまま死ぬと返済の義務が子どもに生じるらしい』
法的な事実を述べただけの文が五七五七七になっているという点がとても良くて、視点を変えただけで世界が変わる驚きを感じるが、結局歌自体にある明け透けな可笑しさにやはり強く惹かれた。
3/17〜3/28【3】
『数は無限の名探偵』、読了。
子供が算数・数学に興味を持つように促すような児童書で、「自分の息子に読ませたいな」という目論見のもと、試しに読んでみた。
算数・数学を題材にしたミステリ小説集を想像していたが、ファンタジー要素が入ってくるものもあり、なかなかバラエティに富んでいた。残酷な描写も無く、子供が楽しめる謎解きくらいの物語だった。かなり個性的なキャラクターの探偵役が出てくる話もあるので、独立したシリーズにしても良さそうだった。
読者の対象年齢については少し疑問に感じた。数学や算数の難しさは中学生レベルだが、書かれている小説部分の物語の易しさは小学校中学年くらいのレベルに感じられいるような気がした。
それもあって、うちの子どもが読むかどうかはわからない。小学校高学年でギリギリ楽しめるかどうか、と言う感じだろうか。
1.7〜3/14【2】
『トム・ゴードンに恋した少女』(作:スティーブン・キング/訳:池田真紀子)、読了。
『少女が森で迷子になり、サバイバルする』というほぼワンシチュエーションのワンアイディアの小説。それなのに、読者を飽きさせないスティーブン・キングの筆力とサービス精神に感動した。
彼は相変わらず少年少女を容赦無く窮地に追い込む。その真骨頂はトリシアがお腹を壊す描写でよく顕れている。胃腸炎の描写をここまで死に近づけて仔細にわたって描く小説を他に知らない。また、緊張感を持続させるための装置としての、現実なのか幻覚なのかわからない得体の知れない存在の入れ方もさすがの上手さだった。
わざわざ90年代を描いているのはキングのこだわりだろう、とか思ってたら、アメリカで出版されたのが99年で、最近日本で改稿したらしい。ジャケットのイラストがキャッチー過ぎて思わず手に取ったので、編集者の手腕にまんまとやられていた。後で気づいたのだが、イラストを描いたサイトウユウスケ氏の作品は前から好きで、彼のマンガも買っていたし、彼が描いた映画のイラストも気に入っていた。
2024.12.15〜2025.1.6【1】
『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』(小原晩)、読了。
居場所の無さを感じる人の、寂しくなるエッセイが多かった。その侘しさを笑ってしまって良いのだろうか。笑うしかないという行き詰まり感もあった。この寄る辺無い感覚は東京特有のものだろうか?時折挟まれる短歌もそうだが、詩的な文章が多く、論理の飛躍を感じることもあった。
あまりにエピソードがバラエティに富んでいて、変わった人物が多々現れるし、筆者の住所も職場も変わるので、途中から「あれ?これって実際の出来事じゃないのかな?」と思うことがあった。考えてみれば、エッセイだからといって、本当の事でなければいけないわけでもない。いや、でも、全てフィクションのエッセイを読む気にはならないかも。原理としてラジオのエピソードトークに似ていて、全て嘘だと読みづらいかも。
あれ?じゃあ、俺はエッセイに何を求めている?美しい言葉?爆笑エピソード?新しい視点?エッセイを読む意味とは?本当のことが知りたいのか?
本当のことを本当のことらしく書くのも、そんなことを気にさせないのも、技術・筆力・腕力だったのか、と知った。








