2023年前半に読んだ本の記録

乱読ここに極まれり。

貴方が興味を持ってくれたら嬉しいが、私は貴方とは関係無くこれからも読み続ける。

 


6/28

『仕事でも、仕事じゃなくても 漫画とよしながふみ』(よしながふみ)を読み始めた。


6/13

『肉体のジェンダーを笑うな』(山崎ナオコーラ)を読み始めた。

 


5/1〜6/26【11】

『あの素晴らしき7年』(作:エトガル・ケレット/訳:秋元孝文)、読了。

戦争が著者の日常生活に溶け込んでいる。読んでいくと、命の危険を感じる(予感する)恐怖に身を強張らせてしまうことも多くて、自分の日常生活との違いに戸惑う。無力感も絶望も感じる。そこには、ルポルタージュやノンフィクションに流れ込みそうなシリアスさはあるが、著者のユーモアがエッセイに引き留めている。いや、読んでいくうちに、ジャンル分けの定義はわからなくなった。笑いたいような、泣きたいような、言いようのない気持ちになることが多かった。映画『ライフ・イズ・ビューティフル』をよりユーモアに引き寄せたような読み心地だった。次は小説も読んでみたい。


5/29〜6/12【10】

『天才による凡人のための短歌教室』(木下龍也)、読了。

最近、気になっている歌人なので書店で手に取ってみたら、装丁もかっこよくて買った。読んでいくと、『埋もれない外観を与えよ』という章があり、手に取らせるために装幀は凝るべきだ、と言うことが書いてあり、なるほど、著者の戦略通りにまんまと買ったのか、と知った。

そんな風に、歌人歌人として今の日本を生きていく方法がリアルに書いてある。その本気さに唸る。

短歌という文化に皆が取り組めるように、皆が歌人になれるように、可能な限り短歌のハードルを下げようとしている。

短歌じゃなくて漫画の創作でも使える本である旨が、とある人物によって帯に慎ましく宣言されていてそれも納得できた。いろんな創作物に転用できそうな素晴らしい実践性があった。

単純に、たくさん載っている木下龍也氏の短歌も楽しめるようにはなっている。私が好きな短歌は

幽霊になりたてだからドアや壁すり抜けるときおめめ閉じちゃう

という勝手に『幽霊あるある』とお題を設定した大喜利のような短歌。その想像力の豊かさと、無駄を削ぎ落とした言葉を使う技術の高さに惹かれた。『おめめ』というキラーフレーズの持つ無条件のかわいさと、「子供の幽霊なの?」という悲劇性に心が引き裂かれて終わる点も素晴らしい。天才だろう。

 

4/12〜5/26【9】

日本語ラップ名盤100』(韻踏み夫)、読了。

田中宗一郎氏が定義する『価値観の再定義』『読み手の能動性を刺激する』(どちらも大意)という批評の役割を十分に果たしていた。知ってる曲も知ってるアーティストも載っていたけど、この韻踏み夫史観の中で紹介されると、全く知らない輝きを放っていた。聴いてみたら、著者の解説文ほど面白く感じないことはあった。彼の批評が優れているのか、自分のラップ曲を受容する能力が低いのか、あるいは、両方が原因か、はわからない。

2015年にPUNPEEに出会う前までは、『日本語ラップは怖い人が聴く』という偏見があったので、「この時代にこんなかっこいい曲があったの?」「この人、昔はこんな曲作ってたの?」「このラッパー達はこんな関係性なんだ?」と歴史を知る面白さもあった。それに、日本語ラップも多様化・複雑化の道を辿っているのだと実感した。

一方で、単純に知らない楽曲もたくさん発見できて、カタログとしても優秀。そういう未知の楽曲には、先に挙げた既知の楽曲を足場として頼りにしながらたどり着くことになる。その行為にはその都度新しい価値観を植え付けられるスリリングさがあった。聴けない曲もたくさんあるけど、ストリーミングサービス全盛時代には、必携の一冊だった。

落語でもジャズでもSF映画でも少女漫画でも良いが、いろんなジャンルでこの本のような試みをしてほしい。この本のように成功する例は少ないかもしれないけれど。

 

5/6〜5/12【8】

『おいしいごはんがたべられますように』(高瀬隼子)、読了。

感覚的に、この面白さには覚えがあった。人間の行動や関係性の厭な部分を取り上げる眼差しに、不謹慎で暗い愉しさを感じた。些細でチグハグなやり取りも、気持ちのYESとNOがはっきりしない居心地の悪さも、行動に感情が伴わない不気味さも、日常生活で感じたことがあるものだった。

二谷が食事を面倒くさく感じたり、食事に時間を取られたくないと考えたり、食事が最上のものとされることに反発を感じたりする感覚にも覚えがあった。可処分時間の取り合いという考え方は、エンターテインメントではよく言われるけれど、いつの間にかその領分に『食事』も入っているのだと気づいた。

しかし、仕事の時間は必ず発生する。減らすように努力するか、誤魔化すか、受け入れて頑張るか。押尾さんは受け入れて自分が満足できるように頑張るが、二谷は態度を決めきれず、消耗していく。芦川さんは助けてもらって仕事の時間を減らす。二谷と押尾さんの考え方も気持ちが同じじゃない点と、社会的に助けてもらいやすい芦川さんが得体の知れない怪物的に描かれてるのが、また意地が悪くて好きだった。

芥川賞受賞作には、社会への『答え』よりも『問い』を提示する作品が多い気がする。そういうジャンルの小説が『文学的』という曖昧かつ高級な言葉で評されるのだろう。そういう意味では、とても芥川賞受賞作らしい作品だった。社会の目指す多様性と弱者のあり方への問いを感じた。


4/26〜5/4【7】

『君のクイズ』(小川哲)、読了。

一つの大きな謎で引っ張ってぐいぐい読ませていく非殺人ミステリー小説(この謎から真っ先に思い出したのは『幽☆遊☆白書』のクイズゲームバトル編)。謎の答えの段階的な開示が上手くて、先が気になり過ぎて一気に読んだ。現実の場面は回想で描くことが多く、それ以外の殆どが主人公の思考の積み重ねで書かれていて、結構変わった小説だった。この形式でわかりやすさを維持しているのは凄いことなのでは。以下のAmazonの紹介文だけでも相当にそそられる。


『Q-1グランプリ』決勝戦。クイズプレーヤー三島玲央は、対戦相手・本庄の不可解な正答をいぶかしむ。彼はなぜ正答できたのか? 真相解明のため彼について調べ決勝を1問ずつ振り返る三島は──。一気読み必至! 鬼才の放つ唯一無二のクイズ小説。

クイズに答えるためには、答えを知らなければいけない。まずは、答えかその周辺の情報に、人生の中で出会っていなければならない。勉強によって出会うこともあるし、意図せず運良く出会うこともある。これらの事実を強く意識できた。

『クイズの答えに人生で出会っている』の部分を強調していた作品として、『スラムドッグ・ミリオネア』は連想した。(原作小説は未見だが)この映画とは大きく違う。今作は『彼が問題を解けるかどうか』ではなく、『彼はなぜあんな風に問題が解けたのか?』を問いにした点が面白い。

このクイズというもの自体について深く考えさせる構成が、独創的で面白い。特に、早押しクイズに関する小説なので、早押しの技術的な話が全く知らない話で興味深かった。答えに辿り着く思考を追う描写も、感覚的にリアリティを感じられて、クイズに詳しくないのに興奮できた。

読みながらクイズというものへの理解が進んでいくと、『問題は決して神が作ったものではなく、誰かが作ったものである』という当たり前の事実に気づく。そこまで思考が至ると、急にクイズが心理戦に変わり、読者の思考もぐるっと転回される快感がある。


3/21〜4/24【6】

『生きるとか死ぬとか父親とか』(ジェーン・スー)、読了。

とても読みやすかった。その理由は、ラジオやポッドキャストで慣れ親しんでいる著者だからか。この本を原作としたドラマを見ていたから、思考や喋り方が想像しやすかったからか。

しかし、それだけではないはずだ。テンポよく読めるように無駄を削ぎ落とした言葉の切れ味と、丁寧に噛み砕いた言葉の生む親しみやすさもその要因だろう。著者の才能と労力が感じられた。

特に著者と父のかけ合いが最高で、解説でも指摘していたが、歯にまつわるやり取りでは思わず噴き出してしまった。この軽妙さは東京出身の江戸っ子的なものや、落語などの影響を感じるが、どうだろうか。

ドラマとの違いを感じるのも面白い。ドラマではどうしても描き切れなかったであろうエピソードもあったし、ドラマでは登場しなかった固有名詞による答え合わせも楽しい。小説とドラマがそれぞれ面白くて、良い関係性にあった。

それにしても、エッセイストというのはこんなに腹の中を見せねばならないのか。著者の覚悟がすごい。


2022/9/21〜2023/4/11【5】

『Xのアーチ』(作:スティーブ・エリクソン/訳:柴田元幸)、読了。

こんなに時間がかかるとは思わなかった。

性描写に感じる嫌悪感で読むのが進まないのだけど、あまりに突飛なイメージ描写に心奪われてしまい、読み始めると結構夢中で読めてしまう。このような読書体験は他に記憶に無い。

性描写の嫌なところは、性的暴行への否定的な感情が足らないところか。暴行された側が状況を受け入れていく描写が多く、後に復讐したりする描写が無い。この辺りは好みの問題なのだろうか。

あらすじを読んだ時には、歴史小説、もしくは、歴史をベースにしたフィクションなのだと思っていたので、途中からSFでもファンタジーでもない奇妙な世界観が合流してきて面食らった。急にリアリティラインが下がり、非現実的な小説になる。ヌルッと変わるので、読んでいてとても混乱した。その後、そのおかしな世界で懸命に生きる人々の話になるが、最後にはなぜか最初の現実の歴史っぽい世界に合流する。この流れに論理は感じない。そう書いてしまったから、そうなる。

読み進めながら、この感触は『ジョジョの奇妙な冒険』を読んでいる感覚に近いと気づいた。登場人物達が覚悟を持って行動するシーンが多い点にも、相似性を感じたのかもしれない。そんな風に右往左往させられて苦労したけれど、激しい感情表現と、鮮やかかつグロテスクな情景描写と、奇想としか言えないアイディアの数々と、妙にロマンチックな言葉選びの乱暴な混濁には、確かに読ませる力があった。


2/23〜3/17【4】

『ずるい仕事術』(佐久間宣行)、読了。

普段の私はビジネス書や自己啓発本を買わない。「カバーや帯に著者の顔写真が入っている本は注意」とTwitterでも学んだ。それでも、相当行き詰まって嫌々買った。

前回買ったのは就職するタイミングで、「企画書とか書くことあるかもしれないよな…」と辛い気持ちで、おちまさと氏の本を買った。その本は結局、全く読んでない。今回も、仕事で企画書を書けるといいな、と思いついて買った。なぜか続けてテレビプロデューサーの著作になってしまったが、一番身近な企画屋なのだろう。前回と違うのは、佐久間Pの番組はいっぱい観てるし、ラジオも時々聴いているので、かなり親近感がある点だ。

その前提の上で読んだわけだが、会社員(組織に所属する人)にとってアツい内容で、なおかつ実用的で、とても読みやすかった。もちろん、文字がデカくて少ないというビジネス書らしい特徴も効果的だった。

私がそんなに興味が無かった会社員としての心構えや過ごし方に紙面を割いていたのは意外だった。その部分を読めば、自然と鼓舞される。

しかし、その自己啓発本的な機能性の高さにはちょっと不安にもなる。それでも、今後も時々読み返して気持ちをアゲることはあると思う。

章終わりに挿入されるコラム的裏話は普通に安心して楽しめる。


2/3〜2/22【3】

『反=恋愛映画論──『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで』(佐々木敦 児玉美月)、読了。

2022年に観た映画で最も好きだった映画『リコリス・ピザ』のカバーに惹かれて買った。恋愛映画を好んで観る習慣が無いので、この本の恋愛映画に懐疑的なスタンスには共感できる。

読んでいて、LGBTQがメインになる映画も恋愛映画である、という当然のはずの事実に無自覚だったと気づいた。恋愛映画は前提としてジェンダー意識のあり方が重要らしい。

ホン・サンスに一章割いていて観たくなる。

日本のキラキラ青春映画について語る章が最もスリリング。批評の対象外であることが多かった作品達を俎上に乗せて、今まであまり語られなかった社会的視点を入れて語ると、急に魅力的に見えてくるのが素晴らしい。キラキラ青春映画にも、俺が楽しく見られそうな映画があるとわかったのも収穫だった。

今泉力哉監督の映画も観なくてはいけないだろう。


1/7〜1/30【2】

『じゃむパンの日』(赤染晶子)、読了。

なんだ、この切れ味。

短い言葉が小気味良いリズムで連なる文章は、とても軽やか。エッセイ集でこんなに笑ったのは多分初めて。

しかし、簡単にエッセイと言って良いのだろうか。確かに実体験をベースにしてるようでもありながら、読んだ感触は創作にしか感じない非現実感。激しい妄想がメインの短編からそう感じるのはわかるが、なぜか淡々と綴っているはずの日常風景にもフィクショナルな飛躍を感じる。さくらももこしまおまほのエッセイもとても笑えるんだけど、こんなに現実から離れない。不思議なことに、言葉自体には現実と地続きな土着性もあるんだけど。京都弁(京言葉?)は強いらしい。

小説家の書くエッセイの最高級の作品かも。


2022/10/27〜2023/1/6【1】

電気グルーヴのメロン牧場 7』、読了。

ちゃんと今回もトイレで読み終わった。瀧氏の逮捕、コロナ禍、石野卓球氏の家族の私的な話、などが詰まってて、今までで一番ドキュメンタリー性が高くて、不覚にも感動しそうになった。言うまでもなく彼らは感動を意図してないけれど、あまりに重大な出来事が多く、自然とセンセーショナルな話題も多かった。2人の関係性が今までで一番良好に出ている気がした(誌面だけの話で、現実には変わってないとしても)。前巻に比べて、瀧氏が積極的に話す回が増えていた点からも、その印象を受けた。

『ギャラはいらない』の話から見るロッキングオンや山崎氏との関係性の話も目新しい視点だった。

また次巻からくだらない話だらけの通常運転に戻っても良いが、この巻が特別だったことは忘れがたい。