2022年後半に読んだ本の記録

2022年は本を10冊しか読んでいない。

2022年後半に至っては2冊だけだ。

なんてこった。嘘だろ。由々しき事態。

本を読み始めて以降、一番読書量が少ない年なのではないだろうか。

読書の代わりに何に時間を割いたのか。

ドラマか?地上波のテレビドラマを結構見たのかもしれない。好きな脚本家の作品もあったから。

家事か?育児か?それは言い訳にもなるまい。

 

とりあえず、直接的に読書を堰き止めた戦犯は『空気の検閲』と『Xのアーチ』だろう。

前者は、思ったより面白くなくて、読むの止めようかなとも思うのだけど、新書って大体これくらいの面白さかも、とか思い直してずっとトライしている。

後者は、読んでいる間はのめり込める面白さも感じるけれど、総じて何を読んでいるのかわからなくなるほど内容が混迷しているし、性的表現にも嫌悪感があるので、中断する度に読むモチベーションが下がってしまって、続きが読みづらい。

以下、数少ない記録。


2022/10/27

電気グルーヴのメロン牧場 7』を読み始めた。

 


9/29

しまおまほのおしえてこどもNOW』(しまおまほ)を読み始めた。

 


9/21

『Xのアーチ』(作:スティーブ・エリクソン/訳:柴田元幸)を読み始めた。

 


8/26〜9/19【10】

『ストーカーとの七〇〇日戦争』(内澤旬子)、読了。

前から気になっていた本が文庫になっていたので購入した。恥ずかしながら、下世話な好奇心が動機となっていた。タイトル通りの著者とストーカーの攻防に期待していたのだ。

しかし、いざ読み始めると、ノンフィクションならではの生々しいディテールを書き尽くす筆力が凄くて、読んではいけないものを読んでるような、背徳感を伴う面白さを感じた。著者の思考の積み重ねや心の動きを順に読んでいけば、そんなにおかしな行動を取っているように思わないのに、結果的に事態が悪化していく。それは、ストーカーがおかしいだけではなく、日本のストーカー対応が不十分であるのも理由となるだろう。結果的に、この戦いが著者とストーカーとの間だけに留まらず、著者と日本のストーカー対応との戦いに派生していく展開は想定外だった。カフカの『城』みたいに理不尽で不条理なお役所主義が原因で、著者の状況がじわじわ悪化していく様子はホラー小説のような読み心地だった。

そして、「自分がストーカーになる」「自分がストーカー被害に遭う」恐怖を感じずにはいられなかった。他人事ではいられない。まさしく、深淵を覗いた時に深淵がこちらを覗いていた。

最後に加害者の治療が被害者のためになるという視点が提示されていて、この部分がとてもクリティカルで素晴らしかった。


6/30〜8/26【9】

『猫がこなくなった』(保坂和志)、読了。

とにかく保坂和志にしか書けない小説の短編集で、あらすじにまとめられることは拒否しているし、たまたま開いたページのどこからでも読んでも構わないだろうし、意図して文法的におかしな文体を使っているので読みづらい。著者は小説を小説として読んだまま丸ごと受け取ることを望んでいる。テーマとか社会的意義とかアナロジーとかメタファーとかを使った読解を望んでいない。その姿勢は全作に通底している。著者の思考をなぞるように蛇行して脱線する文章には、全く頭に入って来ない文章もあるけれど、同時に頭の中の何かが刺激を受ける瞬間もある。

この短編集は、作品によってかなりテイストが違っていて、形式や視点や人称をかなり意識的に変えていて、実験的な作品群になっていた。

表題作『猫がこなくなった』は、ガルシア・マルケスの血族を描く小説になぞらえるように猫の家族について書いた意欲作だった。最終的に全てが無に帰るような無常感にドキッとした。

『ある講演原稿』は本当に講演で話すような内容でありながら、書き言葉と話し言葉の間を彷徨うような文章で変な読み心地だった。

『胸さわぎ』は尾花氏という三人称で書かれていて、保坂和志の小説では初めて読んだ。

そんな中でも、最も刺激的だったのは『夜明けまでの夜』だった。この作品は、死が起きた世界と死なずに生きている世界を並行世界みたいに受け取る思考法を提示する作品で、その考え方は絵本『チャーちゃん』にあった死生観を拡張したものになっていた。死んでも死ななくても気持ちが生まれて残る、という話にも読めるのだけど、多くの断定を避け、文法的に誤っている(ようにしか見えない)言葉遣いを混ぜ込み、主題を作らずに脱線や転倒を繰り返す文章のドライブっぷりが、ますます酷くなっていて、何を読んでいたのか思い出せない。著者の狙い通り、読んでいる時にしか読めない小説になっている、のだろう。