2019年後半に読んだ本の記録

2019年後半に読んだ本を、いろんな視点で大まかに分類してみる。

小説8冊、エッセイ2冊、ノンフィクション系4冊、戯曲集1冊、勉強系3冊。

日本人作家15冊、アメリカ人作家2冊、イギリス人作家1冊。

男性作家13冊、女性作家5冊。

2010年以降出版(発表)の本12冊、2000〜2010年出版(発表)の本2冊、1999年以前出版(発表)の本4冊。

ノンフィクション系の本を多く読んだ印象があったが、そうでもなかった。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』『黙示録』『つけびの村』『異なり記念日』には、強烈な印象を持っている(エッセイや日記に近い本もあったが、実話に基づくという大きな意味ではノンフィクション系と言っても良いのだろうか)。このジャンルに傑作と言える本が多く感じた。最近増えているのかもしれない。

もう少し、小説以外の本、海外作家の本、女性作家の本、古い本を読みたい。

 

『多様性』について考えることが多かった。

おそらく、2020年もそのモードは変わらない。

 

以下、例によって遡る形で読んだ本を記録していく。

ネタバレはしているだろう。気をつけてほしい。


12/20

虚人たち』(筒井康隆)を読み始めた。

虚人たち (中公文庫)

虚人たち (中公文庫)

 

 

12/11〜12/19

『黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』(春日太一)、読了。

圧倒的な熱量で、読みながらクラクラする。がむしゃらに読み終わった。

とにかく奥山和由の映画への入れ込み方が凄くて、久々に「自分はこのままでいいのか?」と問われた。焦燥感が心の奥底から湧き上がった。最近じゃこんなことは滅多に無いけど、映画プロデューサーの「才能に奉仕する」仕事に憧れた。誰かの才能にあそこまで心酔してみたい…!

特に初期のエピソードに顕著だけど、一つの映画ができるまでのドタバタがめちゃくちゃあって、そのスリリングなやり取りや調整だけでも死ぬほど読み応えがある。そこには、命がけの熱狂があった。奥山プロデュースの映画は裏側も映画みたいだった。

奥山和由の出来事のディテールをしっかり捉える記憶力と、細かく描写する力にもいたく感心する。それもプロデューサーに必要な資質なのかもしれない。

観てない映画も多いのだけど、こんな風に語られると、当然観てみたくなる。特に『海燕ジョーの奇跡』とショーケンの映画が見てみたくなった。色んな監督の描写も最高だけど、ショーケンの野放図な魅力が一際頭に残った。

春日太一氏の丹念な仕事っぷりは、いつも尊敬に値する。

黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄

黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄

 


12/5〜12/11

『ニューカルマ』(新庄耕)、読了。

茶店で勧誘に出くわしてからネットワークビジネスのことが気になって仕方なかった(闇に堕ちる - ほうる、ほうる、ほうるの最後の話を参照)ので、読んでみた。

そして、読み始めてすぐに、自分はネットワークビジネスの体験ルポやノンフィクションを読みたかったのか、と気づいたが、調べてみてもそんなものは見つからなかった。ということは、現状、読める本の中では、これが俺の欲望を一番満たしてくれるらしい、と再確認してから読み進めた。

結果的には、ネットワークビジネスの手口の一端も知れたし、物語的に予想がつかない展開もあって、かなり満足できた。読むまでは、ネットワークビジネスマルチ商法が食い物にするのは、人の不安や虚栄心だと安易に考えていたが、この小説が途中で提示する『善意』や『社会への接続欲求』を食い物にする仕組が、衝撃的で恐ろしかった。その仕組に、取材した元ネタがあるのかフィクションなのかはわからなかったけど、その衝撃がそのまま予想外の物語を展開させる原動力になる。その構成が、また面白かった。

途中にある勧誘の細かい描写はリアルで、喫茶店で見たものに似ていて感心した。勧誘する側が窓側に座るのは意味があったし、やっぱりスケッチブックみたいなの使うんだ。

また、一方で、想像していたよりも繊細な風景描写などが多くて、文学的な、というか、美しい言葉での表現が頻出していて内容とギャップがあって、かなり印象深かった。著者は光の入り方や当たり方に関心が強いような気がした。

解説を読んで、そういや、SNSを使った勧誘の描写は無かったな、と気づいた。自分が見かけた時に勧誘されていた二人組は互いに面識が無さそうだったので、「SNSで集められたのでは?」と思い始めた。書かれた時期には、手口として浸透していなかったのだろうか?小説に落とし込むのが難しかったのだろうか?

ネットワークビジネスについては、また調べたくなる気がする。

ニューカルマ (集英社文庫)

ニューカルマ (集英社文庫)

  • 作者:新庄 耕
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/01/18
  • メディア: 文庫
 


12/2〜12/5

きょうのできごと、十年後』(柴崎友香)、読了。

前作から、ちゃんと十年経っている。時間が経過したこと自体が負の感情を喚起するはずはないのに、なぜか寂しさや切なさを感じる。彼らの変化がそう思わせるのかと思ったが、彼らが不変であってもこの感情は滲み出てくるようで、不思議だ。そして、その十年の経過は俺にも起きていて、心情が大まかに登場人物にフィットするせいか、寂しさは増すばかりだ。

けいとは大騒ぎばかりしていられなくなっていたし、真紀と中沢も微妙になってしまった関係に引きづられていたし、みんな仕事とか結婚とか恋愛に振り回されるのもめんどくさくなっている。その心情には強く共感した。でも、相変わらず西山はうるさくてガサツだし、かわちは男前なのに抜けてるし、正道は引いた立ち位置から皆を気遣って眺めてしまっていて、変わっていない部分もあった、のがまた切ない。

登場人物は前作に出てきた人ばかりだが、殆ど全員が映画のキャストで脳内再現された(新キャストの西山の奥さんは高橋メアリージュンで)ので、とても読みやすかった。それほど映画のキャストがそれぞれの役に合っていたということもあるだろうし、あの映画がイメージを喚起しやすい強さを持っていたということでもあるけど、この小説自体があの映画も受け止めた作品だから、ということもあるんじゃないか。直接そんな言及は無いけれど、映画と小説の往復書簡みたいなものに見える。小説のあとがきを行定監督が書いているのも、その直感を確信に変えてくれる。

相変わらず、なぜそんなことやそんな気持ちが書けるのだ…とハッとさせられる言葉も多い。その度に、言いようのなかった気持ちに名前がつけられたように感じて悶える。一番気になったのは、かわちの「ああそうか。今日は、休みの日だった。しかも連休の始まり。ということを、家を出て地下鉄に乗ったときにも思ったのに、気づいたこと自体を忘れてまた同じ経過を辿ってしまった。」という何気ない文章だった。読んだ瞬間に、このかわちの思考を自分も辿ったことがあることに気づき、些末な感覚だと思ってスルーしていた自分の思考が、他人でも経験ある『あるある』だったことに気づかされて動揺した。こういう視界が啓くような体験があるから柴崎友香の小説を読みたくなる。

そして、読み終えて、映画も含めて『きょうのできごと』が自分にとって大事な作品になっていた、と知った、もしくは、思い出した。

きょうのできごと、十年後 (河出文庫)

きょうのできごと、十年後 (河出文庫)

 


11/26〜12/2

ハロルド・ピンターⅠ 温室/背信/家族の声』(作:ハロルド・ピンター/訳:喜志哲雄)、読了。

以前、機会があってピンターの戯曲を使った演劇を見た。その舞台で起きる違和感だらけのやり取りが気になって買った本。6〜7年寝かしていた。

全編、不可解さが漂い続ける。

1本目の戯曲の『温室』は一番不可解だった。舞台設定もよくわからないし、登場人物の言動の殆どが理解できない。姿を見せている人は存在しているということなのだろうが、それ以外の人はその存在すら疑わしい。信用できない語り手達が、お互いを信用せずに、延々と不穏なやり取りし続ける。かろうじてオチはあるが、何も終わった感じがしない。

背信』は妻と夫の友人に起きる不倫関係を題材にしていて、展開は一番わかりやすい作品かもしれないが、ここで彼らに起こっている心情の変化を知るのは容易くない。時系列を操作して遡っていく構成は、解説にもあったように、読者が得る情報量と登場人物が持つ情報量の乖離を意識すると、不思議な感じがした。

『家族の声』も信用できない語り手だらけで、謎の多い作品だった。家出したらしい息子が母と往復書簡をやり取りするかのような形式を取っているが、お互いの手紙は相手に出されている様子は無く、お互いに言いたいことを言い合うだけ。そのすれ違うやり取りの中に、どうやら死んでいるらしい父も自分勝手に言葉を投げかけてくる。

と自分で書いててもよくわからなくなる戯曲だが、この形式はふとTwitterに似ていると気づいた。そう考えれば、現代社会では見慣れた景色かもしれない。息子が訴える現状がまた微妙に不可解な状況だが、それも信用しづらいのはこの戯曲の形式が持つ特性だろう。このわからなさによって、思案することを強制される感じもある。

解説を読むと、筆者は『人物の行動の動機や理由を、当人も含めて誰も理解できないのが現実である』として、意図的にわからないまま表現していて、当時はそこに革新性があったらしい。そう知ってから思い出すと、納得しやすい。実際に存在してしまっている役者がこの色々と不確定な戯曲を演じると、彼らの存在感はどうなるのだろう。直接的な表現もせずに、じわじわと実存を揺らがせる作品群だった。


11/20〜11/25

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)、読了。

多様性と分断が混沌を作るこの時代に必読の、希望溢れる学びの書。

日本とアイルランドをルーツに持つ少年が、イギリスのブライトンにある中学校で成長する姿を、ちょっとパンクな母である著者が軽やかに描いていく。

著者と息子との受け答えが特に素晴らしい。「人種差別する人間は馬鹿ではない。無知なだけ」「多様性は楽ではないけど、無知を減らすからいいこと」という言葉が飛び出すやり取りに、胸のすくような痛快さを感じた。自分のぼんやりとした不安が晴れるような、嬉しいやり取りだった。

更に、息子はこの学びを即座に実践していく。その姿には、未来が明るく感じるような、深い感動があった。ブライトンでは、多様性を重んじる情操教育も日本よりしっかりしているようだった。子ども達にエンパシーという概念をきちんと教えているという話は素晴らしかった。シンパシーとエンパシーは『同情』系の意味で自分は混同していたが、全く異なる。シンパシーは『かわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情』のことで、エンパシーは『自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだと思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力』のことだそうだ。現代社会で大切なのは、圧倒的に後者だろう。世界の多様性とうまく関わっていくために、自分も覚えておきたい概念だし、子供にも伝えていきたい。

多様性の尊重とSNSの跋扈がアイデンティティに与える影響で、世界は複雑さを増していくが、少年達は常に大人の想像を超えて立派に成長していく。

引き続き連載中とのことなので、続編が出るならぜひ読みたい。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 


11/15〜11/20

『全ての装備を知恵に置き換えること』(石川直樹)、読了。

素直でまっすぐな実感をそのまま保存したようなエッセイ集で、読んでて気持ちが良かった。著者は世界各国の最高峰や極地を渡り歩いてきた冒険家・探検家・写真家で、エッセイの内容も、世界各地で出会った風景や人との関わりを描いていた。

まず、タイトルが良い。どういうことだろう、と気になるキラータイトルだった。まえがきにある通り、この言葉はアウトドアメーカー『パタゴニア創始者の発言から引用していて、自然と身体一つで向き合いたいという理想を表明している。この理想は本全体に通底している。

短いエッセイが地理的なテーマごとに分けて集めてあるのだけど、その場所の違いがざっくりと内容にも違いを与えているようで面白い。

『海』は人類と海との関わり方の歴史を多く扱っていて、割と開放的な印象の文章が多い。

『山』は著者の個人史も含めるような、内省的な印象が強かった。

『極地』は見られる人が限られている景色について教えてくれていて、そこには心地よい孤独感があった。

『都市』は世界各国での様々な人々との繋がりが描かれていた。

『大地』は我々でもどうにか行けそうな場所での記録で、エッセイらしい文章が多かった。

『空』には人間が挑戦する姿が描かれていた。

途中、唐突に入っているトイレの話がとても好きだった。考えたことがなかったけど、極地だろうと美しい場所だろうと、どんな場所に行くにも、人が行く限り、排泄行為からは免れられない。その当たり前の現実を改めて提示されて、著者を等身大の人間として見せてもらった。

元々、著者の撮る写真が好きだった。特に山の写真にある静けさや孤独がカッコよいと思っていた。この本を読んで、このまっすぐに生きている彼が人との繋がりを撮った写真も見たくなった。

全ての装備を知恵に置き換えること (集英社文庫)

全ての装備を知恵に置き換えること (集英社文庫)

 


10/15〜11/15

草枕』(夏目漱石)、読了。

柴崎友香が写経するほど好きだというのを知って以来、ずっと読みたかった。

『坊ちゃん』『こころ』『彼岸過迄』くらいしか読んだことが無いが、一番読みづらかった。

第一の原因は言葉の難しさだった。簡単に意味が取れない熟語が多かった。『◯然』系の熟語が特に多く、その都度、注を読まなければならなかった。

第二の原因は言葉遣いの古さだった。他の作品に比べても、おそらく文章の現代的な改訂も殆どされていないのではないだろうか。というより、言葉遣いを改めると、魅力が薄れる部分が大きそうで、改訂が非常に難しそうだった。

第三の原因は、物語的な展開が停滞したまま続く執拗な情景描写の多さだった。その執拗さと描写の美しさ自体は面白いのだけど、第一・第二の原因と組み合わさると、本当に何が書いてあるかわからなかったりした。

そして、この読みづらさの第三の原因である『執拗で美しい情景描写』が、同時に、この小説の重要な要素となっており、最大の魅力と言える。柴崎友香も挙げていた羊羹を延々と描写し続ける場面は、馬鹿らしくなってくるほどの執拗さが笑える。他にも、椿の花が池にぽとりと落ち続ける描写も印象的だった。多くの場面が、詩や俳句に近い原理の描写で描かれていた。

これらのことからもわかるが、おそらく、この小説は漱石の作品でよく言われる大衆文学というジャンルからは逸脱している。画家の主人公が、山里にある宿で浮世離れした生活をしながら、詩や絵画の芸術論を考えたり、人の様子や情景を見つめていく、というストーリーには、大衆性は感じられない。『則天去私』を思わせる芸術論はそのまま文学論にもなりそうな内容だし、描かれる生活には『高等遊民』特有のゆとりと気取りが色濃く現れていて少し飽きるくらいだった。大衆性を帯びている数少ない要素としては、この小説の中心にいる那美という女性を巡る、スキャンダラスな噂や周囲の人間の反応だろう。それと対比するように、主人公の周りに現れる彼女自体は常に超越者的・怪異的に描かれているのも、アンバランスで面白い。

また、お茶の席で水墨の道具について皆で品評する場面には、他の漱石作品に通じる滑稽さと世俗性を感じた。

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

  • 作者:夏目 漱石
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/09
  • メディア: 文庫
 


10/8〜10/14

『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(高橋ユキ)、読了。

noteの記事が話題になった時、少しだけ読んで衝撃を受けて、書籍化したら買おうと決めていた(その時点で敬意を込めて課金しておくべきだった、と後に反省した)。

まず、2013年に山口県の12人しかいない限界集落で5人の村人が殺された事件の真相に迫る、というわかりやすいストーリーラインで始まる。その「連続殺人事件の裏に報道内容と異なる真実が隠れていそう」という導入が強くて良い。それはまさしくミステリーのイントロであり、気にならないわけが無い。そこに、山奥の村ならではの風習も関係しているかもしれない、という民俗学的スパイスまで放り込まれる。ここまで読むと、金田一耕助でも出て来そうな話だが(著者のインタビューを読んで、諸星大二郎妖怪ハンターシリーズ的だと言うのも納得できた)、これはノンフィクションなので、やはり名探偵は現れない。読み進めてすぐに、調査は想像と全く違う展開にツイストしていく。

犯人と事件の背景に迫るべくアプローチしていく中で著者が気になったのは、この限界集落に異様に溢れている『噂』。人は噂話が好きだ。自分だって好きだけど、人間が噂話をこんなに好きだとは考えたことも無かった。『つけびの村』と違って、自分達にはインターネットがあって、噂話の消費の仕方が違った。それだけだ。今では、いろんなSNSにつけびの村がある。この本を買う際、自分も『この事件の裏に隠された真実』というゴシップに釣られた部分はあるが、はっきり言って、この本ではそんなものはわからない。

でも、そのわからなさが凄く面白い。黒澤明の映画『羅生門』のように、加害者も被害者も、様々な証言によって印象が変わり続ける。証言者の印象でさえ、他の証言者の印象で変わる。この見え方が変わる鮮烈さに頭がクラクラする。不確かなものしかない不安が凄い。この本に登場する人物の中では、魔女の宅急便の人に一番生々しいヤバさを感じた。この当時、この事件に興味を持っていれば、「殺人事件」「限界集落」「村八分」というワードだけで自分の好きなようにゴシップを作っていたことだろう。この本は、そうやってわかった気になってゴシップを消費する姿勢への問題提起にもなっている。

当然だけど、一次情報を得るために現場に行くというのは大変だ。お金も時間もかかる。この本では、その著者の経験した大変さも、ドキュメンタリーのごとく克明に描いていく。山の奥深さの描写は想像を超えていた。いろんな証言を得るための会話で、お互いを探り合っている様子も面白い。その調査の過程では、村の過疎化が進んでいった歴史も描かれている。別に珍しい話でも無さそうだった。

つけびの村は増えていくのかもしれない。

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

 


9/27〜10/12

『僕の人生には事件が起きない』(岩井勇気)、読了。

面白かった。一気に読み終えることもできそうだったが、ゆっくり読み進めた。嘘とわかる嘘や妄想と、独自の強固な理論をフルパワーで使って、タイトル通りの事件とは言えないほど些細な出来事を、面白おかしく語り切るエッセイ。ラジオで話していたエピソードトークも多く入っているので、知っている話もあるのに、文章で読むとやはり印象が違う。オチや展開が変わっているような気さえしたけど、改めて調べてみてもそんな事は無さそうだった。著者曰く「全く本を読まない」とのことだったけれど、喋り言葉にも近い文章はとても読みやすくい。エッセイらしい締め方をしていることも多くて、エッセイという形式が文章を縛ってしまう制約もあるのかもしれない、などとも考えた。

PR誌・『波』の中で、能町みね子氏とテレビ東京の佐久間宣行氏と話していた内容も納得できるので、家ではさくらももこの『もものかんづめ』の隣に並べておきたい。

僕の人生には事件が起きない

僕の人生には事件が起きない

  • 作者:岩井 勇気
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/09/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 


9/23〜10/8

『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(作:ルシア・ベルリン/訳:岸本佐知子)、読了。

どの文をどこから読んでもカッコよくて、ため息が出る。これは本当に不思議なことで、どの短編もそれなりに展開があるのに、途中から読んでも、その後に最初に戻っても、小説になっているような気がする作品ばかりだった。

それは、まず、一文のフレーズの強さに要因がありそうだった。とにかくカラフルに五感を伴ったイメージを喚起する。経験したことの無い情景が、読んだことの無い言葉で作られていて、読んだ瞬間にめちゃくちゃドキドキする。

次に、前後の文との繋がり方が驚きに満ちていることにも要因がありそうだった。一文で情景が変わるような瞬間が多くあった。それぞれの具体的な例は巻末のリディア・デイヴィスの文章や、訳者あとがきで存分に語られていて、納得の内容だった。確かに、トム・ジョーンズとは少し似ているかもしれない。

読んでいくうちに、著者の現実に起きたらしい出来事が散りばめてあるのはわかる。しかし、それらは、全てが過去のことであり、振り返る対象でしかない。いろんな短編で何度も同じモチーフについて語ることがあるが、どんな出来事も振り返る時の視点によって全く印象が違う。同じ出来事を語っているはずなのに、違う物語に当て嵌めて話すと全く別の話になる。映画『ビッグ・フィッシュ』はファンタジー過ぎるが、手法は近い気もする。

人生の、過酷な時期も、幸せな時期も、ルシア・ベルリンは極彩色に塗りたくりながら語っていた。

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

 


9/8〜9/23

『ライムスター宇多丸のラップ史入門』(宇多丸高橋芳朗、DJ YANATAKE、渡辺志保)、読了。

NHK-FMで放送された『今日は一日“RAP”三昧』の内容をベースにして、ラップの歴史を振り返っていく本。

1970年代から10年単位で日本とアメリカのラップミュージックを並行して見ていく試みが非常に面白くて、他の分野でもこういう本があればいいと思った。また、この本を読む際にはスマートフォンが手放せない。紹介される音楽をSpotifyで流しながら読み進めていくと、ラップ(ヒップホップ)ミュージックの進歩がよくわかる。80年代と90年代のヒップホップの流れを全く知らなかったが、トレンドの移り変わりの早さにも驚愕した。通して聴きながら読んでいくと、ここ最近の日本のラップがアメリカのラップにかなり似ていることは感慨深い。これは、YouTubeSpotifyのような情報技術の進歩の影響もあるだろうが、いとうせいこう達から始まる先人達の研究と研鑽の結果なのだと実感できる。

固有名詞を追うだけでも大変な情報量になる。その膨大な情報を整理して伝えてくれたMCの面々にも頭が下がる。

ラップの今後も気になる。昔はマッチョな世界観が主流だったラップが、女性の社会進出や性的マイノリティーをテーマとして扱えるようになったという転換は、音楽としての懐の深さを表しているのだろう。

時代に合わせて、常にマイノリティーを救える音楽であり続けるなら、ラップの繁栄は止まらない。

ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門

ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門

 


8/20〜9/7

『零號琴』(飛浩隆)、読了。

難しい用語や漢字を大量に投入しながら、なぜこのリーダビリティを確保できるのだろうか。ガンガン読み進めてしまった。全く観たことがないし、存在しない世界のはずなのに、想像できる。唐突に現代日本でしか理解できなそうな言い回しがギャグみたいに出て来るのは笑った。でも、この世界ではその言い回しが通じる世界なんだよな、と納得もした。SF小説は読者の想像力をどの程度信頼しながら書き進めるのだろうか?見たことも無いものを描くにしても、既存の言葉を使って創っていくんだな。その想像力と創造力の積み重ねを想像して溜息が出る。

そして、飛浩隆って他者の作品をマッシュアップした感じのSFを書くんだ…?というのが率直な驚きだった。作品名は敢えて書かないが、美少女アニメのコンセプトや手塚治虫を感じさせる漫画のアイディアを使った上で、飛浩隆らしいSF世界を拡張している。あとがきにあったように、軽いSFを志向したから、このような手法を導入したのだろうか。キャラクターは大胆にデフォルメされた人物が多くて、これも漫画的だと感じた。

それにしても、この小説の構造が凄まじい。世界観と密接に絡んでいる主人公達の物語、小説の舞台が内包する神話的サーガ、小説世界に流布しているコンテンツという3種の物語を絶え間なく各視点から語り続け、独創的なアイディアがうまく連動するように組み上げて一つの小説としていることに驚嘆する。明かされていない謎もたくさんあるが、話が進むにつれて、うまく情報が開示されていって、次の展開への興味が刺激され続けていく。この情報を出すタイミングと量が絶妙だった。

トロムボノクとシェリュバンの異能っぷりと、その異能とちゃんと繋がっているキャラクターはとても魅力的だった。続編が書かれるなら、このバディは続いていてほしい。

零號琴

零號琴

 


2018/9/19〜2019/9/6

『さよなら未来』(若林恵)、読了。

じっくり読み進めた結果、読み終わるまでに約1年かかっていた。『WIRED』という最先端テクノロジーを紹介する雑誌の編集長だった著者が、その雑誌を中心に書いてきた文章を集めた本。

話題はテクノロジー関連を中心にしながらも、多岐に渡っている。今まで自分があまり読んで来なかった内容なので、海外の最先端テクノロジーは紹介されてるだけでも新鮮な気持ちで読めた。

個人的なブログからの転載だというディスクレビューも含めて、著者の一貫した思想は感じられる。著者は人間の持つ自立心を信じている。実は、彼はテクノロジーや技術全般が好きじゃなくて、使う人間の方に興味があるようだ。人間は技術という道具に振り回されるべきではなく、技術を適切に扱うべきだし、扱えるはずだと彼は信じている。勿論、全人類にそれが可能だと思ってるわけではないし、物事に批判的なスタンスを取ることも多いが。

そんな著者が放つ文章は切れ味鋭く、カッコいい。一番シビれた文章は『「ニーズ」に死を』だった。心の底から納得できるところも多く、webで見つけたテキストはブックマークして、時々読み返している( https://wired.jp/2017/01/03/needs-dont-matter/ )。読むたびに何か意欲のカケラみたいなものが得られる。特に、「(ちなみに言っておくと「イノヴェイションは勇気から生まれる」というのがぼくらの見解だ)」と括弧付きで書かれている控えめな一文が、僕は一番好きだ。著者の活動は今後も追っていきたい。

さよなら未来――エディターズ・クロニクル 2010-2017

さよなら未来――エディターズ・クロニクル 2010-2017

 


8/5〜8/14

『異なり記念日』(斎藤陽道)、読了。

聴覚の有無を、ただ単に『扱う言葉が違う』『情報の受け取り方が違う』として、ちゃんと認めて生きていく。その理念を、生活の中で実践して積み重ねた記録。

聴こえない生活を殆ど想像したことが無かった。例えば、iPhoneFaceTimeがろう者にもたらした幸福をわかっていなかった、というように、自分のろう者への無知・無理解が一つ一つ解きほぐされていくような優しい本だった。手話に種類があるのは知っていたが、日本手話を母語とする人のことを、自分はよくわかっていなかった。生まれた時から皆が日本手話で話す家があるというのは、全く想像の外だった。言葉が身について記憶が生まれた、という著者の実感の伴った話にも静かな感動を覚えたけど、保坂和志も似たようなことを言っていた気がした。

映画、音楽、漫画、小説、会話…というあらゆる情報の受け取り方が聴者とは違うんだろうな。だけど、別に聴者同士だって、それは全然違う。当たり前じゃないか。自分と他者の当たり前の『異なり』を、また一つ肯定的に受け入れられて、少しホッとしたような気分になった。多様性を認める社会を作るための大事な一冊だった。

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

 


7/21〜8/2

『スウィングしなけりゃ意味がない』(佐藤亜紀)、読了。

自由より大切なものは無い、と信じさせてくれる小説だった。

解説にも書いてあったが、全くわからない単語があってもスラスラ読めてしまう。その体験はSFやファンタジーでも読んでいるかのようだが、ちゃんと史実に準拠しているらしいのだろう。相当な取材と資料収集があったのは想像に難くないけど、その労力を割くだけでは作品にはならない。

この凄まじいリアリティの世界観を描き切った創造力に驚く。一番その力を感じたのは、ナチスに属する奴ら自身も自分達の行為を馬鹿げたものとして扱うという描写だった。だから、戦争は怖い。馬鹿げてるとわかってるのにやる。やるしかなくなる。自由と尊厳が踏みにじられても。

そして、強制労働は効率も悪い。嬉々として働く奴なんているわけなくて、サボり方ばかりが上手くなる。やっぱり差別も人権侵害も全然世界を良くしない。 主人公のエディはクールだ。どんな困難も軽やかに超えて楽しんで生きて欲しいが、戦争はそれを簡単には許さない。自由を得るために生きねばならず、周りの皆も生かさねばならず、ナチスに迎合する、という耐えがたい不自由に苛まれる描写は、読むのが辛かった。

ハンブルク爆撃で、人が人じゃなくなってく様子も悲惨だ。これはどの戦争でも共通だろう。戦争はクソ。

世界中の人が読めばいい。ドイツ語訳はされているのだろうか?ドイツ人にはどう読まれるのだろうか?

マックスもクーもデュークも最高。戦後、みんながどうなったのかはわからないし、青春時代と戦争が重なるのはとてつもなく不幸だけど、あの時の彼らの輝きは永遠に戦争に負けない。

スウィングしなけりゃ意味がない (角川文庫)

スウィングしなけりゃ意味がない (角川文庫)

 


7/5〜19

『知の編集術』(松岡正剛)、読了。

世の中は情報で出来ていて、意識的にも無意識的にも、それを編集しながら人間は生きている。その編集術に意識的に生きるススメの本。

自分は何を期待して読み始めたのだろうか?情報を整理する力の向上?そういう実用性を求めていたのだろうか?

あれもこれもどれもこれも『編集』という言葉で説明できるのはわかった。練習すれば編集術は身につくのだろうか。『編集稽古』という練習のページをもっと熱心に読み込んでみればよかったかな。一つの事象について、視点を変える方法のヒントは少し得た、ような、気がしないでもない。

要約法と連想法という編集の分け方はわかりやすくて感心したが、どうも実用書っぽい本が苦手で、やはり著者のエッセイっぽい箇所や蘊蓄ばかりが気になった。次は普通にエッセイ読んでみようかな。

知の編集術 (講談社現代新書)

知の編集術 (講談社現代新書)

 


6/29〜7/4

『IQ』(作:ジョー・イデ/訳:熊谷千寿)、読了。

主人公の冷静さがカッコイイ!まさにクール。久々に実写化が見えるエンタメ小説を読んだ。解説を読むと、著者は脚本家だったみたいなので、映像的に感じやすい表現が多かったのかもしれない。

キャラクター描写がいちいち気が利いていて、シャーロック・ホームズを彷彿とさせる主人公アイゼイアの、鋭い観察眼と冷静に事実だけを追って真相を推理する姿勢は、ヒーローに相応しい。小説の構成として、同時に彼が探偵になるまでのオリジンも追うので、彼の未熟だった頃の描写と合わせて見ると成長が見て取れて面白い。

そして、そんなアイゼイアの魅力を最も引き立てるのがドッドソン!彼がワトソンのような立場でありながら、全く異なる動き方をするのも最高に面白い。アイゼイアに愛憎入り乱れた感情を抱いて隣にいて、粗を探そうとすることで結果的にアイゼイアを助ける、という構図は独創的だった。

2000年代後半〜2010年代という時代を黒人文化多めできっちり描いていく。実在する固有名詞を混ぜながらストーリーを進める手法は、まるでラップのようだった。

主人公の魅力でガンガン突き進む展開はずっと先が気になる感じなので、勢い2作目も買ってしまった。

IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)