2020年前半に読んだ本の記録

2020年前半に読んだ本を、いろんな視点で大まかに分類してみる。

 

小説4冊、エッセイ3冊、ノンフィクション系1冊、新書1冊、ラジオ本1冊。

 

日本人作家8冊(ラジオのリスナー投稿本1冊を含む)、アメリカ人作家2冊。

 

男性作家5冊、女性作家4冊、男女混合1冊(ラジオ本)。

 

2010年以降出版(発表)の本12冊、2000〜2010年出版(発表)の本2冊、1999年以前出版(発表)の本4冊。

 

他の年の半年間と比べてみても、かなり少ないようだ。新型コロナウィルスの感染拡大の影響はある。通勤が減って読書の時間が減ったのだ。読書の時間が確保しづらくなるのは予想外だった。それに加えて、『虚人たち』は大層読みづらかったし、『「思春期を考える」ことについて』は専門的で難しかったし、『黄金州の殺人鬼』は分厚かった。

 

以下、ネタバレはしている。


6/27〜6/30

『どこにでもあるどこかになる前に。』(藤井聡子)、読了。

痛いところを突かれた。買った時点で、自分から突かれにいってるわけだが。

とても大切な話をしていた。自分の話のように感じる部分が多くて、どうしても冷静には読めなかった。他人事には出来なかった。

『富山から上京して数年働いて富山に戻った女性が、富山と自分を見つめ直してどうなっていくのか』というエッセイ。著者は無理矢理にでも富山の良さを発見していく中で、「富山ではなく自分自身に問題があった」という事実に気づき、自分と向き合いながら成長していく。

著者が、一歩ずつ勇気を出して、外界に踏み出していく姿に胸打たれる。自分も地方から何者かになりたくて東京に出てきた身であるし、筆者が好きなカルチャーにも馴染みがあったので、想定以上に共感しながら読んでしまった。俺が生まれ育った街は、田舎にもなれない地方都市の『どこにでもあるどこか』かもしれない。既になっていたように思う。そのことに気づいたのは、埼玉のロードサイドの風景に既視感を覚えた時だった。そうか、俺の地元は全国にたくさんあるのか、とクラッときた。

それでも、俺の地元にしかない魅力的な何かがあるはずなのだ。俺はそのことに気付けないまま、退屈なのを地元のせいにして上京した。問題があったのは、自分自身かもしれないのに。まだその事実を認められないけど、きっとそうなのだ。

実際、この本で描かれていた富山市もとても魅力的に描かれていて(自分の祖父母の家が近いので言葉にも親近感が湧きやすかった)、行ってみたい場所がいくつもあった。ガイドブックとしても優秀だ。

一方で、地方都市がどうやって魅力を残すのか、というマクロな視点で読んでも面白い。地元の人達が自分達で守るしかない。自治体は残すことを優先してほしい。何かと多様性が叫ばれているが、街も多様であるべきだ。

それと、装丁もとても凝っていて、家に置いておきたい可愛らしさだった。

どこにでもあるどこかになる前に。〜富山見聞逡巡記〜
 


6/25〜6/26

『鈴狐騒動変化城』(田中哲弥)、読了。

落語のような語り口と設定を使いながら、物語を面白おかしく展開していく。児童書だけど、大人も気楽に楽しめる巧さと軽さだった。その目まぐるしさと可愛らしい挿絵で、きっと子どもも飽きずに読めるんじゃないだろうか。

買った理由を覚えていないが、ブックデザインが祖父江慎氏だったからかもしれない。賑やかな絵の整理された配置、手触りが心地良くめくりやすい紙、丸背で手に馴染みやすい重さと大きさの製本。本という物質としても、とても魅力的だった。

鈴狐騒動変化城 (福音館創作童話シリーズ)

鈴狐騒動変化城 (福音館創作童話シリーズ)

  • 作者:田中 哲弥
  • 発売日: 2014/10/09
  • メディア: 単行本
 


6/12〜6/19

『拝啓 元トモ様』、読了。

ラジオのワンコーナーをまとめた本。

ラジオで聞いてた頃から思ってたけど、元トモはかなり普遍的な事象だと思う。誰もが元トモだらけ。サラッと読めてしまったのは、実体験から想像しやすかったからだろう。オチが無いことも多く、突然物語が終わることもあるこの投稿達に、寂しさや懐かしさや後悔や反省みたいな、漠然とした切ない気持ちをズンっと呼び起こされる。

巻末に、リスナーとは別に、池澤春菜氏、しまおまほ氏、宇垣美里氏、矢部太郎氏の執筆した元トモ話が載っていて、元トモとの距離感も切れ味の鋭さも様々なのだけど、やっぱりどうしようもなく切なくなった。

拝啓 元トモ様 (単行本)

拝啓 元トモ様 (単行本)

  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 


6/3〜6/11

『まどろむ夜のUFO 』(角田光代)、読了。

角田光代の本は初めて読んだけど、めちゃくちゃ純文学っぽい小説の短編集で、面食らった。

「純文学っぽい」と感じた点を考えていくと、抽象度が高くて映像化を拒むような描写が多い点と、非論理的に感じるくらい物語の展開に関わる説明が少ない点だろうか。これらの条件を満たしていった結果、展開はかなり突拍子無く感じた。

登場人物は、みんないろんな形で現実に実感を持たずに生きているように見えた。その様子が、逃避行動でも無く、自然に描かれていたのが不気味だった。

解説にも『アパート文学』という言葉があったが、居住空間についての描写はかなり執拗で、著者は『ある空間に人が住む』という事象に、強くワンダーを感じている気がした。

このずっと後にエンタメ系の直木賞(ざっくりした評価だが)を取るという事実を知っているので、作家としての変遷を追ってみたくなった。

まどろむ夜のUFO (講談社文庫)

まどろむ夜のUFO (講談社文庫)

  • 作者:角田 光代
  • 発売日: 2004/01/16
  • メディア: 文庫
 


4/20〜6/2

『黄金州の殺人鬼』(作:ミシェル・マクナマラ/訳:村井理子)、読了。

読んでいる間、ずっとじんわりと恐怖を感じ続けた。夜中、読む前に玄関ドアのロックを入念に確認するようになった。

しつこ過ぎるくらいの細かい描写の反復で、犯人のあまりの不気味さに精神的ダメージを負った。そして、それに対抗するように描かれる犯人を追う著者の執念深さが凄まじい。ありとあらゆる手段や視点を使って、犯人を追いかけ続けていた。

本書は、著者の不慮の死によって途絶したものを、夫が雇ったライター達によって書き上げた本なのだが、これは、著者が生きていても書き上げられなかったのでは、と感じた。とても膨大な情報量で、全くまとめられる気がしない。完成した本もよくわからない章立てになっていて、はっきり言って読みにくい。それでも、最初から最後まで「絶対に悪を追い詰める」という強く気高い意志が伝わってくる。

最終的に、著者の捜査は犯人逮捕に直接結びついていないのかもしれないが、この献身には何らかの成果が残ったはずだ。また、著者の捜査方法を見ると、世界中の誰もが探偵になれる可能性が感じられる。

インターネットは悪用も簡単だけど、ひとまず、希望の書として読みたい。

 
3/10

『USムービー・ホットサンド 2010年代アメリカ映画ガイド』(グッチーズ・フリースクール編)を読み始めた。


2/19

『Jazz The New Chapter 6』を読み始めた。

Jazz The New Chapter 6 (シンコー・ミュージックMOOK)

Jazz The New Chapter 6 (シンコー・ミュージックMOOK)

  • 発売日: 2020/02/17
  • メディア: ムック
 

 
2/26〜4/8

中井久夫コレクション3 「思春期を考える」ことについて』(中井久夫)、読了。

専門的な内容が多くて、読むのにとても長い時間がかかった。

柴崎友香が勧めていたので読んだ。保坂和志もこの人の別の本を勧めていた。

精神科医が、後に続くであろう者達に指導しているような内容が多く、精神科医という仕事の難しさが十分に感じられた。精神科医がいかに手探りで仕事をしているか、あるいは、仕事をすべきか、という真摯な姿勢には静かな感動を覚える。

冒頭の『Ⅰ』の章は主に思春期について書いているが、『Ⅱ』は思春期のその後(労働や熟年)と妄想障害やうつ病を中心とした雑多な話、『Ⅲ』は病跡学という学問について、『Ⅳ』はサリヴァンロールシャッハという先人たちの功績について、書かれていた。

すべる目を何度も往復させながら読み進めると、時々啓かれるような気持ちになる文章に出くわす。特に印象に残ったのは、うつ病からの快復についての言及にあった「治るとは元の生き方に戻ることではない」という言葉だった。強い実感の伴った重みを感じる。漫画『Shrnik』(原作:七海 仁/漫画:月子)にも似た表現があったので、この考え方は定説なのだろう。

他にも全く知らない考え方に何度もぶち当たって驚いた。大学が失業者を市中に放り出さないようにプールする機能を備えているという話、日本の交番が世界的に見ても特異な犯罪予防の機能を担っているという話、歴史上の人物を心理学的観点や精神医学的観点から分析する病跡学、社会的に成果が評価されやすい『昇華』という状態が実は本人の精神状態にとっては良くないという話、統合失調症が対人関係から発生するという話(正直、病跡学の部分は普通に伝記でも読んでるような面白さで、学問として成立しているのかどうかは微妙だと思った)。

ラッセル、サリバンという二人の話も初めて知ったが、精神医学の分野での彼らの活躍ぶりは大変面白く読んだ。


2/14〜2/25

『IQ2』(作:ジョー・イデ/訳:熊谷千寿)、読了。

かなり夢中で読んだ。ハリウッド映画的なド派手展開に引っ張られた感があった。

主人公アイゼイアの探偵としての活躍が、一作目より少なくなったのを感じて残念だった。彼の探偵としての資質は減退しているように感じた。それは彼が恋愛や友情などの感情に惑わされたから、という面もあるので何とも言いがたいが、彼のホームズばりの冷静な立ち振る舞いがもっと見たかった。

しかし、やはり彼を探偵として読んではいけないのだろう。前作も少し感じたが、今回は特に推理というにはあまりに証拠が無い『想像』や『推測』で事件を解決していた。

一方で、ドットソンはより魅力的になっており、2人のバディ感もより強くなっていて、その点は読みどころ抜群になっていた。

この2人の関係性とアイゼイア自身の変化も面白くなってきてはいるので、続編が翻訳されれば読んでしまうかもしれない。 

IQ2 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

IQ2 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 


1/30〜2/13

『かなわない』(植本一子)、読了。

ここまで正直に晒し出すのか…という驚愕の文章の連続だった。

2011〜2014年のブログに載せていた文章の転載がベースになっているのだけど、この内容を世界に発信していた、という事実に驚異と恐怖を感じる。自分にはできない。しかし、その文章が本という完結したメディアになると、はっきりと文学作品のパッケージとして感じられるのは面白い。この赤裸々な吐露は、個人的な領域を突破した、立派な『作品』だと感じた。ここまで晒したから成立している。

2011年の文章を読んで、震災がもたらした不安を思い出した。原発問題って解決してないよな、解決してないことも発表しないのかな、とか考え始めると苦しい。

同時に描かれていく育児のストレスと混乱に塗れている文章は壮絶だった。子どもがいる私にとって、その姿は全く他人事ではなかった。子どもに対する「かわいい」「一緒にいよう」「大好き」と「もう嫌だ」「関わりたくない」「辛い」という感情は矛盾せずに存在し得る。子どもに手をあげてしまった描写まで正直に書いていて、読めば読むほど辛い気持ちになる。その一方で、私自身の子どもとの接し方を客観視する感覚も生じた。自分の子育てだって、不安だらけだ。世の中に正しい子育ては無いだろう。

後半では、筆者は結婚しているのに彼氏ができる。読む前から内容を少し知っていて、このスキャンダラスに見える部分がメインだと思っていたが、そうでは無かった。そこから筆者のアイデンティティと精神に抱えている問題に焦点が移っていく怒涛の展開で、夢中で読んだ。

最後に書き下ろしで挿入されている彼氏との辛いやり取りの生々しさも凄まじかった。この後、筆者は変われたのだろうか。読み終わってから、この後の彼らがずっと気になっている。私はECDのその後も少し知っているので、この後、どうなっていくのかも想像してしまう。ECD側からの視点も読みたくなった。私は続編も買うのだろう。


2019/12/20〜2020/1/30

虚人たち』(筒井康隆)、読了。

読み通すのが大変な本だった。あとがきの解説まで読んで、どうにか自分の読んだものの意味が少しわかった。

小説という形式自体を疑って問い直すようなメタフィクションで、この小説自体が小説の形式内で暗黙の了解になっている省略や前提などを露わにしていく。「小説にこの手法は本当に必要なのか?」という大事な問題提起も見えたが、この創作の動機には著者特有の悪戯心や悪趣味のような意思も感じた。

ずっと読み方がわからなかった。主人公の持つ意識をどう捉えればいいのかが難しかった。

最初、映画『トゥルーマン・ショー』のような読み方をしかけたが、そんなレベルのメタではなかった。

筒井康隆らしい実験作だった。

 
1/14〜1/16

『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(塙宣之)、読了。

漫才の技術論を徹底的に解説してて、とても読み応えがあった。読めば読むほど、M-1を見返したくなった(実際に、2007年のオードリーの漫才は見返した)。

佐久間Pの推薦コメント「明快な漫才論なのに、青春期みたいに熱い」はまさにその通りで、ナイツ・塙が漫才に賭けた青春もうっすらと記録されている。タイトルの由来からしてそうだった。

最初はQ&A方式に戸惑ったが、読んでいくうちに慣れた。真剣に観ていない年もあるが、殆どのM-1を見ていたので、スムーズに読めた。

「漫才とはしゃべくり漫才である」の大前提から始めて、しゃべくり漫才コント漫才の違い、関西と関東の漫才の違い、と大まかに体系的に話を広げた上で、漫才を最大限に盛り上げるM-1という競技と、参加者達の漫才についても語っていく。

競技としてのM-1の話では、競技性を批判する意見は見かけたことがあるが、その競技性ゆえに盛り上がる大会になったという話は考えたこともなかったので、感心した。

他にも、M-1は吉本主催の大会なのに吉本以外も優勝させる懐の大きさがあるという話、観客や視聴者が求めるドラマ性が初出場や敗者復活からの活躍を望むという話、キャラ漫才の評価の難しさ、ツッコミに必要な愛の話…。どの話にも深い考察があって驚いた。漫才をやる当事者にしかわからない話があるのは勿論のこと、漫才という笑いを俯瞰で考え抜く視点にも驚いた。そののめり込めなさが枷になっている可能性もあるが…。

とにかく2019年のM-1の考察もぜひ聞きたい。