2020年後半に読んだ本の記録

2020年後半に読んだ本を、いろんな視点で大まかに分類してみる。

 

小説6冊(作品批評等が入っている1冊含む)、エッセイ2冊、ノンフィクション系2冊、新書2冊。

 

日本人作家10冊(柴崎友香が2冊、アンソロジー的な本2冊含む)、イギリス人作家1冊、アメリカ人作家1冊。

 

男性作家5冊、女性作家6冊(柴崎友香が2冊)。

 

2000年以降出版(発表)の本11冊、1999年以前出版(発表)の本1冊。

 

計12冊。

何冊読んだかが問題でもないが、実感として読書時間が少なくなった気はしていた。これまでの習慣では、圧倒的に通勤中に読む時間が多かったらしい。ステイホーム推奨になってその時間はどこへ消えてしまったのだろうか。というわけで、最近は意識的に夜寝る前などに読むようになった。

少しずつ自分の興味を広げていきたい。専門書なども読んでみたい。

以下、ネタバレしながら感想を書き散らしている。

 

11/13〜12/23

『公園へ行かないか、火曜日に』(柴崎友香)、読了。

日本とそれ以外の国(特にアメリカ)の間にある価値観や言語の違いに触れた結果だと思うけど、言葉と構成に揺れを感じた。その揺れは不安や失敗を想起させるものでは無くて、何かが起きる期待を感じさせた。

この感触で真っ先に連想したのは、保坂和志の『未明の闘争』だった。あの小説の意図的な脱臼みたいな文章とはさすがに違うけれど、小説の定義を拡張するような挑戦的な姿勢が似ていた。記憶に合わせて時間軸を行き来する構成や、エッセイみたいな小説である点もそうだ。

この作品は筆者がIWP(インターナショナル・ライター・プログラム)に日本の作家として参加してアメリカで過ごした3ヶ月を、いろんな視点から描いた短編小説集だ。アメリカから見た日本、アメリカ以外の国から見た日本、アメリカ以外の国から見たアメリカ、という多様な視点に触れて、著者の感覚やアイデンティティが揺さぶられているのがわかる。読んでいくうちに、著者と一緒に新鮮さに触れる歓びを感じる。読みながら、それは旅で経験したことがある歓びだと気づいた。コロナ禍の渦中にある2020年に読むと、旅というものへの郷愁や憧れを感じずにはいられなかった。

また、この小説が描いてるのが、トランプがアメリカ大統領になった2016年であることも、2020年に読むと感慨深い。当時、トランプが大統領になるなんて思いもしなかった。アメリカという国に起きている分断が自分には全く見えていなかった。格差と差別が作る分断をまざまざと見せつけられた4年間だった。そして、トランプが大統領じゃなくなっても、より強くなった分断は残り続けるんだろうな、と改めて感じている。

IWPに参加していた各国の作家達の交流を見ていると、お互いを尊重しながら理解する姿勢は共通していた。人によって得手不得手もあるけれど、そうやって少しずつ歩み寄れるはずで、それが多様性を認めるということだろう。


10/7〜12/10

ジョコビッチはなぜサーブに時間をかけるのか』(鈴木貴男)、読了。

自分の価値観や世界観が狭まるのを感じているので、あまり興味の無い分野の本を読んでみた。興味ゼロではそもそも手にも取れないが、興味が薄いと読み進めるのに時間がかかると知った。

タイトルが新書らしいキャッチーさだったので、そこに惹かれた部分はある。何度読み返しても、ジョコビッチがなぜサーブに時間をかけるのか、はよくわからなかったのだけど。『打球前の長い予備動作の後に唐突に素早い動きでサーブを打つと打ち返しづらいから』というのが答えなのだろうが、明確な答えとはしていない。

内容をちゃんと説明するタイトルをつけるなら、『テニスの見方入門』くらいの感じだろうか。テニスに全く詳しくない自分にもわかりやすく説明してあって、単純に知見が増えるのを楽しめた。セットごとの点の取り方の意図、フォアハンドとバックハンドの攻防の意味、コートの表面の質、ボールの個体差、などなど…読めば読むほどテニスの駆け引きの多さに驚く。他のスポーツと比べても特に駆け引きが多いのだろうか?こんな風に駆け引きを説明している入門書を読めば、どのスポーツも楽しめるようになるのかもしれない。

そして、この本の中で最も面白いと思ったのは、「テニスは一人で考えて一人で闘うスポーツである」というような記述だった。この表現は何度か見かけた。言われてみればその通りだろうけど、明文化されるまでは気づかなかった。何度も書いていたので、ここにテニスの大きな魅力があるのだろうと感じた。トイレに行く時もコーチなどからアドバイスを受けたりしないように誰かが付き添って見張る、という徹底っぷりも面白く感じた。単なる頭脳戦でもないのに、アドバイスを受けることを禁じる、ということには、何かテニスの歴史や哲学を感じずにはいられなかった。

今度テニスの試合を見かけたら、見え方が違うかもしれなくて、少しワクワクする。


11/9〜11/13

『ステイホームの密室殺人2 コロナ時代のミステリーアンソロジー』、読了。

『ステイホーム(コロナ禍)』と『密室殺人』と『ミステリー』の三題噺で話を作るアンソロジー集の2作目。2作目を買ったのは、こっちの方が興味がある作家が多かったから。ミステリー小説というのは知的遊戯的に感じることが多いのだけど、この三題噺のルールが持ち込まれると、より一層競技性が高まったように感じた。読み始めて、フィギュアスケートを連想した。普通の小説がフリープログラムなら、こちらは規定演技をするショートプログラムみたいだった。

乙一氏の短編は、他の作家の作品と比べると、キャラクターを作り込むのではなくて、ストーリーやトリックを練り上げた印象だった。その王道ミステリーに、著者の初期作を彷彿とさせる青春っぽさと切なさを混ぜ込んでいるのは流石だった。

佐藤友哉氏の短編は講談社ノベルスゼロ年代を思い出させる内容(そこまで詳しくないけど)で、極端な人格の漫画・アニメっぽい探偵キャラクターと突飛な設定を持ち込んで、このお題に応えていた。シリーズ化できそうな出来栄えだった。

柴田勝家氏は「SF作家らしい」くらいの認識で興味津々で読んだので、SF設定が全く出て来なかったのは少し残念だった。佐藤友哉氏に近いが、かなり漫画・アニメっぽいキャラクターが大活躍する作品だった。今度はSF作品を読んでみよう。

法月綸太郎氏の作品は三題噺の制限から少しはみ出していて、実質的には密室殺人が起きていなくて、破格と言える作品だった。2020年の現代社会への問題意識は強く感じた。一番純文学に近づいている作品だった。

日向夏氏の作品は、突飛な設定の謎にインパクトがあった。その衝撃を中心として、ちょっと変わった語り手と、わかりやすく造形されたキャラクターの刑事たちを使って巧みに種明かししいて、とても楽しめた。情報の出し入れが上手かった。後から解説者キャラが唐突に現れる点だけは引っかかった。それでも、コロナ禍の社会的影響をうまく取り込んだ点も凄く巧かった。もう一度読むと、とても巧妙な表現で謎を隠していることがよくわかる。

渡辺浩弐氏の作品は、他の作品とリアリティラインが違うかのように見せる瞬間があって、そこから戻ってきて安心させる流れが面白かった。展開も多くて、グイグイ読ませる作品だった。

全体を通して読むと、実際の『2020年の現実』がいかにもフィクショナルに思えてくるという不思議な現象が、メチャクチャ面白かった。


10/27〜11/5

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(若林正恭)、読了。

不要な嘘をつきたくない人が、すごく自制して誠実に書いた本だった。自分はオードリーを熱心に追っていたわけでもない。ラジオも時々聴いている程度だ。でも、『あちこちオードリー』という番組は第1回から見ている。テレビやお笑いの裏側っぽい話(ラジオでやりそうな話)をテレビでしちゃうのが楽しい。その番組を見たり、その番組プロデューサーの佐久間Pのラジオを聴いたりしているうちに、この本への関心が強くなっていった。その矢先に加筆した文庫版が出たので買った。

ラジオでの佐久間Pとバカリズムとの会話で『若林くんは自分の変わってきたことも話す』と評していたのが印象的だったのだけど、この本でも彼は自分の変化を包み隠さずに曝け出そうとしていた。

本の内容としては、キューバ・モンゴル・アイスランドへの一人旅の紀行文がメインになっていて、そこでの出来事と、その出来事がきっかけでふと思い出した内容を行ったり来たりするような本になっている。あとがきに近いスタンスで『コロナ後の東京』という章もある。お笑い芸人としての実力もちゃんと発揮していて笑えるエピソードも多いし、それぞれの場所が魅力的に紹介されていて単純に行きたくなるが(今読むことで「いつ行けるんだろうか」という憧憬の念も感じる)、やはり白眉は父への惜別の思いを忍び込ませたキューバ編だろう。初見だと不意に入ってくるから驚く。この構成には、いかにも筆者らしいシャイネスを感じた。

どの章でも共通しているのだけど、生きづらさの原因を真摯に考えている姿が良くて、はっきりと『新自由主義』を仮想敵として旅を始めたのに、キューバ社会主義に触れて考え方に思い悩むところは、その断言しない点も含めて本当に信用できる書き手だと思った。

著者はまだまだ変わり続けるし、悩み続けるだろう。その姿をずっと追っていきたい。


8/31〜10/27

『幕間』(作:ヴァージニア・ウルフ/訳:片山亜紀)、読了。

スラスラ読めなかったのは、現代から遠い時代の話だったからか。書かれた時代背景を注意深く理解しながら読み進めた。台詞にも風景描写にも、古典から引用している部分が多数あって苦戦した。現時点では、それが当時のイギリス小説の技法として一般的だったのだろうと推測しているが、実際どうなのかは気になっている。

たくさんの注釈も細かく時代背景と舞台設定を説明していた。第二次世界大戦に参戦しかけている頃のイギリスの田舎町で、とあるお屋敷を舞台にして町の住人達が披露する野外演劇の様子と、その演劇を観る人々が織り成す人間模様を描く。この小説の構造自体は、現代に置き換えても問題なく楽しめる普遍性を持っていた。Netflixオリジナルの映画になりそうなくらいだった。

タイトルの原題は『Between the Acts』だそうで、二つの世界大戦の間の時間も示唆している、と解説にあったので、作品への不穏さの入り込み方に納得した。また、人々の日常的な所作自体を演劇的に見る視点も踏まえたタイトルかな、とも考えた。

作中で披露される劇は、最後の方の演出がやたらと前衛的で面白かった。

全体的に際立っているのは、詩的で美しい情景描写や、繊細に心理状態を表現する細かい動作や台詞だった。自然環境が舞台を演出して演劇に混じる瞬間は超カッコよかった。同性愛者に関する描写も、この時代では先進的だったのだろう。

作者への勝手なイメージで『女性の自立』を鼓舞する内容があると思っていたが、それは無くて少し肩透かしを食らった気分になった。女性が社会によって抑圧されている苦痛は伝わってくるので、それだけでも先進的だったのかもしれないけれど。次回はもう少し直接的にフェミニズム運動に影響を与えた作品を読みたい。


9/16〜10/7

スターウォーズ 禁断の真実(ダークサイド)』(高橋ヨシキ)、読了。

実はスター・ウォーズ関連の本はあまり読んだことが無かった、と読み始めて気づいた。物語的な時系列に沿ってスターウォーズ作品を紹介しつつ、作品についてのいろんな視点や考え方を教えてくれる本だった。あとがきで著者本人も弁明しているように、『禁断の真実』的な陰謀論めいた話やゴシップ的要素は無くて、殆どがファンがアクセスできる(かつてアクセスできた)情報の紹介とその情報への考察でできている本なので、そこまでマニアックでも無くて、読者に優しい本だった。

まず、第1章の最初の一文がすごく良くて、何度も読み返した。

子供のための映画とは何か?

大人になってなお、子供の視点を持ち続けることは至難の技だ。

成長するにつれて、人は多くのことを真に理解しようと努力することを諦め、大雑把な概念あるいはクリシェとして把握するようになる。その方が効率は良いし、個人のキャパシティには限界があるからだ。時間も常に足りない。だが子供は違う。キャパシティや能力は大人より不足しているかもしれないが、彼らには見かけ上、無限に思える時間があり、また概念として物事をとらえる作業に慣れていないため、「驚異に満ちた目」で世界を見ることができる。

子どもという存在に対しての優しさと敬意の溢れる眼差しに感動した。その普遍的なメッセージは、あらゆる作品に通じるのではないか。『驚異に満ちた目』を思い出しながら作品に接していきたい。

ラジオ番組でも時々聴いていた、著者のスターウォーズへの愛憎入り混じった強い思いは全編通して感じ取れるが、感情はかなり抑えて冷静に作品を分析した内容になっている。

知らないことも多く、今回、スターウォーズをエピソード1から見直す際の大きな手助けとなった。特に、プリクエルでの共和国から帝国が生まれる部分は、この本を読んでいるおかげで理解しやすかった。

 


9/2〜9/12

『女と仕事 「仕事文脈」セレクション』(仕事文脈編集部)、読了。

執筆陣に好きな人が多い(トミヤマユキコ氏、雨宮まみ氏、真魚八重子氏、haru.氏、惣田紗希氏など)ので買ったのだが、知らなかった人たちの知らない仕事に関わる話も、めちゃくちゃ面白かった。林さやか氏、いのまたせいこ氏、綿野かおり氏、太田明日香氏、中島とう子氏、丹野未雪氏、ゴロゥ氏など、この本で知った面白い人も多かった。

途中で、ああ、クリエイターっぽい人の文章が多めなんだな、と気づいたけど、文章を書く人はクリエイターっぽい人が多くなりやすいのか。でも、クリエイターっぽい人がクリエイターっぽくない仕事をしている文章もちゃんと載っていて、それも良かった。

『仕事文脈』は読んだこと無いけれど、仕事は生活にも人生にも関わる、という点でとても多くの範囲をカバーできると気づいた。読み終わると、赤の他人の人生を覗き見して下世話な欲望を満たしてしまったような気分になって、少し罪悪感もあった。

女性という括りは必要だったのだろうか?男性のこういう文章も読みたい。しかし、男性優位な社会であるがために、男性ではこういう文章にはならないのかもしれない。その状況自体は、誰にとっても、社会にとっても、決して良くないけれど。

真魚八重子氏の文章は、文章自体は面白いけど、この本のコンセプトには合ってるのかな、と少し疑問に思った。

 


8/22〜8/29

『本屋、はじめました 増補版』(辻山良雄)、読了。

大好きな本屋Titleの店主が「本屋を開業するまで」と、文庫版の増補として「本屋をはじめた結果、どうなったか」を語っていた。

まず、本屋を開業するまでの人生の簡単な説明に、心を掴まれた。著者が学生時代までの本との関わり方の話も面白いのだけど、リブロ書店員時代の簡単な通史は、会社員として刺激を受ける部分があった。その結果、自分は会社で成し遂げたことをこんな風に纏められるだろうか、と少し考え込んでしまった。どうだろう、と首を傾げつつ年表を作り始めたが、やはり大した内容は無い。俺の働き方は間違っているのだろうか。

その後も、本屋開業までの思考の流れや、試行錯誤の過程がとても丁寧に書かれていた。あとがき以外はですます調で、徹底的に後進の人へのアドバイスの書として作っていて、著者の本気が伝わってくる内容だった。

読んでいく中で、『個人経営のお店を作る』ということは、『自分にしかできない価値を作る』ということなのか、と気づいて、静かに衝撃を受けた。これは自分の考える会社員のあり方と真逆だった。自分は誰でも自分の仕事を代替できるように心がけていた。自分にしかできない仕事を作らないようにしていた。交代でうまく休みを取ったりするためには必要な考え方だが、別にこれは社会のスタンダードでは無かった。いつの間にこんなに内面化していたのだろう。

仕事の価値と自分の価値を、初めて考え始めている。

 


8/18〜8/21

『スーベニア』(しまおまほ)、読了。

読みやすくて面白いので、一気に読んだ。ラジオを聴いていて、しまおまほのことをある程度知っているので、主人公のシオがだいぶしまおまほに重ねて見えたのも読みやすかった要因だろう。しまおまほらしく、ダメな人やちゃんとしていないことを否定しない点も良かった。

意外だったけど、物語の展開自体もちゃんと気になる。震災の使い方がしっかりと一般市民の目線で生々しかった。

一番の魅力は、実在感の強いキャラクター達のリアルな登場人物達の会話・やり取りだろう。文雄と意味不明な会話をして変な空気になる時間をわざわざ小説に入れてるのも面白かったけど、角田という人物のズレたイヤな感じが巧くて凄かった。途中から、角田から目が離せなくなって、彼が次に何を言うか、彼が何をするかを楽しみにしていた。書いていくうちに、自然とあの文体になったのだろうか。最後にさくらももこのような一言が入っている文章や、家族への書き置きメモみたいな簡潔で親しみが湧く文章や、間延びした「〜」が似合う文章には鮮烈な印象を受けた。新しい言葉を小説に持ち込んだのだと感じた。急に純文学っぽい描写が紛れ込んでいるのもドキッとする。

一挙手一投足に記憶が呼び起こされながら生きる感じは、とても共感できた。自分にもこういう思考の流れはある。しかし、その描写が極端に多い。こういう思考の流れがあるから、ラジオでも爆発的な脱線ができるんだろうな。

 


7/31〜8/18

『ポリフォニック・イリュージョン』(飛浩隆)、読了。

少し変わった構成の本で、冒頭には著者の初期短編を入れて、それ以降には著者がいろんな場で発表した創作論やSF観を紐解く内容がまとめてある。『自生の夢』までの著作について、著者本人による解題や種明かしも多く含まれている。その各作品のバラし方の度合いが凄くて、著作が偉大な先人達の名作から影響を受けてることがしっかりと語られている。やはりオリジナリティというのは過去作を消化して生み出せるものなのだ。そんな気持ちになるのは、序文にもあったように、後進の若者達を勇気づけるという狙い通りだろう。食事のシーンに関する創作上の技術的な話や、読者が悲劇の進展に確実に加担しているという話は、とても印象残っていて、何かを作ることになれば思い出すかもしれない。

また、SF好きのサークルで過ごした青春の日々、伊藤計劃氏とのやり取り、『トイ・ストーリー2』に関する感想などを読んでいくと、著者本人の人間味が少しずつ肉付けされていくような面白さもあった。

そして、『グラン・ヴァカンス』を読み返したくなった。

 


7/6〜7/31

『真実の終わり』(作:ミチコ・カクタニ/訳;岡崎玲子)、読了。

トランプの放言を中心として、ポスト・トゥルースオルタナティブ・ファクトという言葉と共に、嘘・不信感が世界に拡散された。その惨状は意識していたが、その現象が及ぼす作用や、生まれた経緯の考察は初めて読んだので、大変興味深かった。

思想系の言葉としてのポストモダン主義が、政治経済に流入して事実を無効化するために悪用されている。この現象を考えたこともなかったが、順を追って説明されていくと確かに思い当たった。

更に、嘘や誤報みたいなゴミ情報の集積が、事実を知ろうとする気力を疲弊させる戦法になっている、という記述には強く納得できた。その現状をGoogleなどが採用しているアルゴリズムが助長しているという分析も、改めて言われると、その通りだった。意識していたはずなのに、いつの間にか自分の周りにあるフィルターバブルに無自覚になっていたと気づいて、ぞっとした。意図的にも自分の好きなものを集めてしまうし、アルゴリズムも知らないうちに自分の好きなものばかりを集めてしまう。そうなると、扇情的な言葉や自分にとって耳障りの良い言葉ばかりが取り上げられて、真実は負けてしまう。これが人の思考を固定化し、先鋭化させてしまうメカニズムなのだろう。とても恐ろしい。

同時に、『それでは、この本の内容が真実である』というのはどうやって確認すれば良いのだろうか、と読みながら時折考えた。調べて考えるしかないんだろう。地味で地道で面倒だ。意図的な嘘に抗うのは相当大変だ、と痛感した。

 


7/26

『宇宙の日』(柴崎友香)、読了。

昔、HPに公開してあったのを読んだ記憶があった。日比谷野外音楽堂でのROVOのライブ体験を記録した、小説でもエッセイでもある短編。

柴崎友香らしく、身体が音を味わう様子を丹念に描いている。ライブで音を浴びる経験があれば直感的にわかる文章だった。

身体で浴びる音楽は、見える景色を変える。見えるものがミュージックビデオのようになるような、あるいは、その音楽のために自分と世界があるような、そんな感覚を得てしまう特別な時間。あの感じを自然に文章で表しているのが凄い。