2024年前半に観た映像類の記録

時間が無い。

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みんなそうだよな?

じゃあ、どうやって作品に触れてるんでしょうか?

あ、触れてないですか。

そうですね。触れなくても生きられますよね。

でも、私は触れていたい。

本でも漫画でもドラマでも映画でも演劇でも良いんだけど、誰かが作ったものが好きなのかもしれない。

だから、あなたのブログだって読みたい。

なぜなのか、はわからないけど、わからなくても良い。

 


6/19【8】

『マッドマックス:フュリオサ』(ジョージ・ミラー監督)を観た。

血と鉄の世界は、まだまだ続いていた。監督には確固たる世界観が在る。そして、虐げられる者の復讐・反撃を描かずにいられない業のような執念を感じる。どうしても監督の年齢を考えてしまい、その徹底した鋭さに驚く。

そして、描写のインフレっぷりには笑うしかない。人が燃えるくらいは当たり前で、その先を見せる意識を感じた。例えば襲撃されるトラックを、淡々とロングショットで描写したりしていて爆笑した。そんな日常茶飯事なんだ?一方で、いろんな描写に生身を感じて、どこがCGなのかわからなかった。

あのお馴染みのマッド・マックス特有のカーチェイスは各キャラクターの行動が今まで以上に複雑に描かれていたし、空中戦も交えたギミックのアイディアには見応えがあったし、ぐるぐる回るプラントでの戦闘は、そのスケールの大きさで、全く先が読めなかった。前作のストーリーはあまり覚えていなかったが、今作は前作より複雑かつちょっと変なストーリーだった。例えば、圧倒的な悪として前作のボスであるイモータン・ジョーはいるが、ちょっと抜けてる勢いだけの男・ディメンタスは敵として捉えどころが無い。彼は状況に合わせてノリで生きているために、統率力に欠けている。彼に母を殺されたフュリオサは、彼に命も助けられている。このノリで動き、間抜けな行動も取るキャラクターを、観客は首を傾げながら受容せねばならない。そのわかりづらさが可笑しい。

他には、フュリオサと恋愛関係っぽくなるジャックはディメンタスに殺されるが、死ぬ描写も無い。ディメンタスの殺され方も神話のように諸説生じる。この妙な外し方には、ただの娯楽映画で終わらせる気が無い、という意志を感じた。

総じて楽しんだが、アーニャ・テイラー・ジョイが細過ぎてずっと不安だった点だけは気になった。演技は素晴らしかったが。逆説的に、シャーリーズ・セロンは肉体も含めて凄かったのだと実感した。

 


5/1【7】

『悪は存在しない』(濱口竜介監督)を観た。

まず、最初に頭に浮かんだ言葉は『静謐』。美しい自然に静かに胸が躍った。木の複雑な枝降りは画になり過ぎる。オープニングは幾何学模様のアニメのようだった。そこからのゴダール的タイトル!カッコいい!人間の厭な感じの積み重ねが、物語を静かに動かし続ける。カメラワークもすごい。動く車の後部座席から後ろへのショットとか観たこと無さすぎた。パンフレットにあったカメラはカメラである、という考え方には、驚きつつも納得できる。鳥の羽がナイフに見えて、殺し屋のようだ、と言うのは暗示だったのか。その結果、ラストにとてつもなく鮮烈な疑問符。観終わって時間が経ってから腑に落ち始める凄さ。彼のまばたきに、このラストが自然なことのように感じる怖さがあった。途中のセリフも強い言葉が並ぶ。「都会からストレスを投げ捨てに来てる」は耳が痛過ぎる。巧が敬語を使わない演出も効果的かつ印象的だった。悪人に見えかけた人を、憎めない人物に変える脚本の巧さも素晴らしい。テーマ自体からも「自然との共生は手間がかかる」「利便性と相反する」ということまで考えが及んだ。アート性とエンタメ性がこんな風に共存している映画はそう無い。

動物のカットは、シナリオではどうなってるのだろう?シナリオハンティングの賜物だろうか。

このタイトルが思いつければ、その時点で勝っている。

 


4/21【6】

『劇場版名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』(永岡智佳監督)を観た。

コナンの映画は未だに新しい挑戦をしているから、人気を保っているのだろう。今作は刀によるアクションを増やしており、かなり和テイストが入っていた。明朝体縦書きのテロップ挿入もその一環だろう。もちろん、トム・クルーズ超えのアニメ特有の超絶アクションは健在。偶然なのかもしれないが、お宝争奪戦の雰囲気に『ゴールデン・カムイ』の影響も感じた。それは北海道が舞台で土方歳三が出て来るから、という部分もあるだろう。コナンの映画は作品によって、血と殺人の描写があったり無かったりするが、今作は明確にあった。脚本がはちゃめちゃ過ぎるせいか、うまく繋がらない変なシーンもあった。蘭の恋愛至上主義っぷりは20世紀の価値観に見えて、やはり古い出自の作品だな、と再認識した。『まじっく快斗』『YAIBA』のような青山剛昌の別作品をこんなにフィーチャーしてるのも珍しい。ラストで工藤家にまたいいかげんな設定が加わったのは笑った。田中宗一郎氏のレビュー( https://filmarks.com/movies/113674/reviews/173846059 )がクリティカルで、コナンという作品の社会的役割を的確に抉っていた。作品が社会から生まれて、作品が社会に与える影響をちゃんと意識できている人の文章で、ハッとさせられる。安易に楽しんだ自分を恥じたし、子供に観せ続けるのなら、何か説明する言葉が必要だと感じた。

 


4/13【5】

オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督)を観た。

日本人監督ではどうしても被害者意識があり、怒りと悲しみを抑えきれないので、今作のようなバランスでは作れないだろう。

しかし、原爆の被害の恐ろしさばかりを強調しても、これほど多くの人に見てもらえる作品にはならなかったはずだし、リピーターが出る事態は起きなかったはずだ。

原爆は恐ろしいし、その被害の甚大さも史上最悪だ。それを直接伝えることで戦争反対を掲げるのではなく、その原爆が作られる過程と使われる過程を丁寧に描いた結果、人間の愚かさを見せることで戦争反対を示している。

前情報を入れずに見たが、少しは入れた方が良かっただろう。初見推奨の映画ではなかった。歴史的背景を知らずに観るのは、単純に理解が不足して遅れる。

音の演出が凄くて、急な無音は現実と乖離するオッペンハイマーの心情をとても上手く表現していた。

それにしても、お正月映画みたいに豪華キャストがバンバン出てくる。ジョシュ・ハートネットか?ゲイリー・オールドマンじゃね?デイン・デハーンだよね?とか。会話劇メインなのに飽きないように魅せるのは、映像の上手さよりセリフと演技の巧さの賜物だろうか。

しかし、フローレンス・ピューとの妄想性交シーンはやり過ぎじゃないか。思わず笑ってしまった。

 


3/16【4】

デューン 砂の惑星 PART 2』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)を観た。

前作同様、IMAXで観た。前作ほどIMAXらしさを生かしたカットが無いように感じた(宇多丸氏の映画評を聴いているうちに、そうでもなかったな、と思い直しもした)が、ずっとアクションの連続で十分楽しめた。例外的に、誰かがサンドワームに乗るシーンとサンドワームが襲ってくるシーンの迫力は素晴らしかった。

相変わらず美術と衣装は退廃的でクールだったし、シャラメとゼンデイヤのビジュアルも超カッコよかった。たぶん原作はベトナム戦争をモチーフにしてるのだろうが、今回の映画のルックは中東の戦争とゲリラ戦を意識した映像化だと感じた。それが意味する政治性は気になった。

途中、ダイジェストっぽい編集になっていたのは仕方がないのだろうか。

 


2/18【3】

『劇場版ハイキュー‼︎ ゴミ捨て場の決戦』(満仲勧)を観た。

バッチリ原作を予習してから観たが、初見でも大丈夫なくらいよくまとまっていたし、演出も作画もアニメとして素晴らしい出来だった。

映像としても、アニメシリーズ同様の現実にはあり得ないカメラワークを使って、迫力のあるアクションシーンを演出していて凄かった。

その一方で、ベースになるのはキャラクターの緻密な動きだった。原作と比べると、シーンを細かく足し引きして、この作品単体で多くの人が楽しめる映画にしつつ、原作やアニメシリーズへのゲートウェイになるように、絶妙なバランスを取っていた。映像になって、改めてこの試合が特別な試合であるということを強く意識できた。この2チームには事前の深い関係性が有り、ライバル同士で認め合い讃え合う姿が今まで見た事の無い良さで、そこに皆が感動しているのだろう。

原作を読むと、標語的によく言われる『友情・努力・勝利』は生かしつつ、その根幹に『コミュニケーション』を置いて、現代的にアップデートしている点が面白かった。目標に向かうために、皆が緊密かつ繊細なコミュニケーションを取る。バレーボールの特徴である『相手と接することが無い』『味方は必ずボールを繋がなくてはいけない』というルールが、そのまま『過度に相手を傷つけない』『相手を『倒す』のではなく、お互いのベストを尽くして高みを目指そうとする』『チームメイトとコミュニケーションを取らなければならない』という作品の重要なコンセプトを作っている。

そのコミュニケーションの妙をしっかりと表現する演出に、心を奪われた。

 


2/16【2】

『ボーはおそれている』(アリ・アスター監督)を観た。

とてつもなく長い悪夢。3時間は全然あっという間ではなく、ちゃんと3時間。酷い目に遭う主人公を観て「かわいそう」と「笑うしかない」がせめぎ合う。観ている時の気持ちが何かに似ている、と思ったらカフカの本を読んでる時の気持ちだ(パンフレットにも参照元として名前が挙がっていた)。

この美術と演出の規模に相当な製作費を感じるが、こんなにポップじゃなくて良いのか。常に周囲の不可解な状況に苛まれ続け、連鎖する不運に右往左往しながら逃げるだけの断片的なエピソードの連続で、主人公が積極的に行動することもほぼ無い。クライマックス間近で殺意を抱くシーンだけだ。

問題解決のカタルシスもほぼ無い。その分、ホラー的な映像演出の上手さで最後まで魅せるのだが。

最後にある妙なネタばらしも「え?そういうエンタメ要素あるんだ?」という感じだった。

メタ過ぎる演劇の悪夢的シーンは本当に眠くなった。

手前に主人公を配置して背後で何か起きている、という絵画的構図が多用されているのも面白かった。やはり長過ぎる。

 


1/26【1】

『哀れなるものたち』(ヨルゴス・ランティモス監督)を観た。

衝撃。余波がずっと頭に残り続けている。他のヨルゴス・ランティモス監督作も観てみたい。

まず、映像の奇妙さに心を奪われた。昔のテレビのようなアスペクト比は何のためなんだろうと思っていたが、あの魚眼レンズみたいなカットの違和感を無くすためだろうか。バックショットの多さも気になる。ズームインとズームアウトがヌルッとしてるのも気になる。自分がホームビデオを撮ってる時の気持ちを思い出した。

音楽にも心を奪われた。一音目から面白かった。ユーモラスにも不穏にも響くあの変な音、映像に合わせ過ぎてるあの合わせ方!

美しくかつグロテスクに細部まで行き届いた衣装と美術。男根が溶け込み過ぎだ。布の質感が伝わってきそうな白黒のシーンは、古典的名作を見ているような美しさ。

即物的なセックスシーンの、あの動物の交尾のようなエロくなさ。男性器をデカいスクリーンで見たのは初めてかもしれない。

実在せず誰も見たことが無い生命体を見事に演じ切る、エマ・ストーンの超絶的な演技。マーク・ラファロの滑稽さ、ウィレム・デフォーの不気味さと不器用さ。

それらを統制する監督の手腕。男達は主人公のベラを縛ろうとし、ベラはまっすぐな眼差しのままその束縛に抗って生きていく。胎児の脳を移植された女性の成長と冒険が、そのまま現実世界で女性が心と体の自由を獲得する話に呼応する。

予告を見て何となく予想はついていたけど、いざ見せられるとそのチグハグで力強いとんでもなさにずっと慣れない。他の人の評を聞いて気づいたが、これはある種のファムファタルの映画にも捉えられるかもしれない。

それらはこの情報過多な映像を観ながら止めどなく溢れた散漫な印象なのだけど、扱ってる題材や問題についてもずっと考えさせられる。

娼館で働く女性達を、自立した女性の具象として肯定的に描いて良いのだろうか?彼女達は性の自由を選び取った存在なのだろうか?社会にある搾取構造を見て見ぬフリはしていないか?「エマ・ストーンもプロデューサーにいるから、わかって意識的にやってるはず」という考え方もしてみたが、そんな決めつけも思考停止かも、とインタビューなどを読み漁った。フェミニズム的にセックスワーカーをどう扱うか、というのは結構意見が分かれる、という話も聞いたことがある。何にせよ、私が勉強不足なのだろう。

そして、あの無防備な主人公ベラは性暴力の被害を受けないだろうか、という点もずっと心配だったが、それは杞憂だった。正確に現実的にシミュレーションするならば、子供の脳を移植された女性には多くの危険があるのでは、と感じてしまう。しかし、この作品はシミュレーション重視ではなく、ファンタジー重視だから大丈夫だった。それでいいのだろうか?その残酷な現実をファンタジーで包み隠して良いのだろうか?という疑問もずっとあった。

映画に映っているものをそのまま受け取るのは、こんなにも難しかっただろうか。