2020年前半に観た映画類の記録

2020年前半に観た映像作品を大まかに分類していく。

 

映画館で観た新作映画4本、旧作映画12本、配信サービスで観た海外ドラマ6シーズン。

 

アメリカ制作の映画10本、オーストラリアとアメリカの合作映画2本、アメリカとスウェーデンの合作映画1本、イギリス制作の映画1本、韓国制作の映画1本、日本制作の映画1本、アメリカ制作のドラマ1シーズン、イギリス制作のドラマ4シーズン、ベルギー制作のドラマ1シーズン。

 

この半年は、多様な作品を見られたかもしれない。

海外ドラマも沢山観ることができたのだが、『セックス・エデュケーション』と『フリーバッグ』は衝撃的だった。どちらもイギリスの制作だが、マジであの国は進んでる。

新型コロナウィルスの感染拡大の影響はあって、映画館での鑑賞は殆どできなかった。映画館が無くなっては困る、と最近痛感している。

家族全員でMCU作品を1作目の『アイアンマン』から見て行くことにしたので、鑑賞した作品数は増えた。また、MCU作品に限って、途中で止めて次の日に観ることも許容したので、本数が増えた。一応、フェイズ3までの全作品観たのでランキングでも作ってみたい。

 

以下、遡る形で記録してある。ネタバレもしている。


6/30

インクレディブル・ハルク』(ルイ・ルテリエ監督)を観た。

アクション映画としては割と楽しめた。

ハルクが凶暴でコントロールできない存在なのがかなり特殊な設定で、追い詰められていたブルースがハルクに変身した瞬間、追う側が追われる側に入れ変わってパニックムービーになる仕掛けはとても面白かった。

一方で、理性的でないキャラクター同士の戦闘は、ムシキングを観てるような気持ちになった。

映像へのこだわりはあって、ベースカラーをハルクの緑にしていた。とにかくしょっちゅう画面に緑色入れていた。

『ジキルとハイド』的な設定だとは思っていたが、途中からはかなり『キングコング』を参照していると感じた。いろんな国でのロケーションも観てて飽きなかった。

これまでのあらすじを消化するオープニングからしてビックリしたけど(誕生の瞬間はリブート前の『ハルク』で語ったからいいでしょ、って感じなのか)、ディテールが急に雑な時があるのが可笑しかった。恋人に見つかりそうになって隠れてたハルクが、見つかった瞬間、躊躇いもせずに抱きしめに走るシーンとか心の動きが全くわからなかったし、変身できるかわからない状態のハルクがヘリから生身で落ちて地上に向かうシーンも意味不明だった。見せ場を作るために繊細な心理描写を無視していて、それは演出の怠慢に思えた。

逃亡し続けるブルースに漂い続ける哀愁にはエドワード・ノートンのビジュアルの力を感じた。彼はなんでやめちゃったんだろ。イメージつき過ぎるの嫌だったのかな。

改めてMCU全体を振り返ると、かなり観なくても良い一本だった。

インクレディブル・ハルク(字幕版)

インクレディブル・ハルク(字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 


6/25

キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』(ジョー・ジョンストン監督)を観た。

インディ・ジョーンズ』や『スター・ウォーズ』のようなジョージ・ルーカス的(スピルバーグ的でもある?)冒険活劇を参照していて、映像にはずっと楽しめるスペクタクルがあった。ナチスを徹底的に悪者とする作風にもそれを感じた。ドクター•ゾラがレンズをのぞきこむ姿は『ミクロ・キッズ』のセルフパロディのように見えた。破茶滅茶過ぎる展開があっても、破綻しないバランスで落ち着きを保つのはベテラン監督の手腕かもしれない。細くて小さいスティーブ・ロジャースはCGを使って作り出したのだろうが、作り方が気になるくらいよくできていた。


6/15

マイティ・ソー』(ケネス・ブラナー監督)を観た。

なんだか雑!アクションも大味!

神話的世界と現代のアメリカ南部をシームレスに繋ぐのは難しかったのだろうが、その不自然さはケレン味として面白おかしく楽しめるのかもしれない。ソーが地球のアメリカ南部的価値観に翻弄されるコメディー部分だけは、めちゃくちゃ笑える。

それにしても、2011年ってこんなにマッチョで男性優位な意識で映画作れる雰囲気だったっけ?MARVELもだいぶ意識変わったんだな、と感慨深かった。 

マイティ・ソー (字幕版)

マイティ・ソー (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 
6/15

『デッド・ドント・ダイ』(ジム・ジャームッシュ監督)を観た。

変な映画!ゾンビ映画のフォーマットを使って、皆でワイワイ楽しんでる感じなのに、アンバランスなくらい映像がカッコ良い!ずーっとニューカラーの写真みたいに美しい色彩と構図で進む。

WiFiゾンビには笑った。過去作や名作へのオマージュもしくはパロディ的な小ネタにも何度も笑った。奇人過ぎたティルダ・スウィントンや、無表情過ぎるアダム・ドライバーにも笑うしかない。とにかく笑えるけど、いちいち映像がカッコいいのがとても変で最高だった。

それにしても、ジム・ジャームッシュがメタ視点を入れたのは初めてじゃないか(アダム・ドライバービル・マーレイの二人には限定されるけど)。

緊急事態宣言が解除されたとはいえ、映画館にはまだまだ人が少ないし、みんなが一人で来ていた。上映後、皆が無言で映画館を去ったのがゾンビのようで笑った。

俺は映画ゾンビだったのか。

longride.jp


6/14

アイアンマン2』(ジョン・ファブロー監督)を観た。

全体的にアベンジャーズが始まる予感に満ちていた。音楽は昔ながらの雰囲気のロック中心で隔世の感があった。

ストーリーとしては、冷戦時代の社会情勢も盛り込んで創作した敵・イワンをトニー・スタークの合わせ鏡のように配置しつつ、アベンジャーズでも引き続き論争となる「スーパーヒーローを政府の管理下に置くべきか」という問題や、トニーの健康問題などに向き合っていく、というのが大まかな流れだった。

その後のアベンジャーズシリーズを観た後だと、社会問題の組み込み方や敵との戦いを盛り上げるための演出も物足りなく感じた。

イワンはその奇天烈な風貌(プロレスラー・中邑真輔に似ていた)とはギャップのあるスーパーハッカーっぷりが大変魅力的だが、敵としては1からスケールアップした印象も無く、展開も尻すぼみ気味だった。


5/30

ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ』(ニック・パーク監督)を観た。

有名なクレイアニメシリーズの短編。観始めてから、観たことがあったと気づいた。改めて観ると、その映像の豊かさに驚く。

実写をアニメ化していることが実感できる光と陰影の入り方が美しかった。そのリアリティを持った世界の中で自由に動くキャラクター達には、強烈なイマジネーションの力を感じる。

『ミッションインポッシブル』みたいなシーンが多かったのは、たまたまなんだろうか。列車のカーチェイスのシーンでの、驚くべきアイディアにも爆笑。表情豊かなグルミットのかわいさと、無表情なペンギンの不気味さの強いコントラストも印象的だった。

吹き替えで観たが、欽ちゃんの声優はなかなかに斬新だった。

メイキングもチラッと観たが、1秒作るのにあんなに時間がかかるのか、ととんでもない労力のかけ方に驚愕した。そして、それを全く苦に思わずに楽しむ監督達の映像にも。

 
5/14〜5/18

『イントゥ・ザ・ナイト』を観た。

まずは1話だけ見るつもりで、気づけば3話見ていた。凄まじい情報量とそれを引きずり回す展開がテンポ良く40分に詰まっていて、ずっと先が気になる。

ベルギーの作品っていう先入観を持っていたので、アメリカ制作ドラマ顔負けの展開とスケール感には感心した。

また、そのベルギーという土地柄が持つ人種の多様性を、飛行機という舞台にうまく落とし込んで縮図にしている点に、オリジナリティを感じた。その前提の上で、密室で繰り広げられる心理描写が本当にスリリングで面白い。荒唐無稽に思える設定を、科学的根拠などを少しずつ交えながら徐々に説得力を増していくのも見事。専門家の殆どが死んでいて、色々な情報の真偽を確かめられない、という設定のうまさも良い。

シーズン1は6エピソードしかなくてあっという間に終わったが、残っている謎もまだまだ気になる。今後もうまく展開できるのだろうか。

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5/3

アトランタ』シーズン2を観始めた。


5/3

『アイアンマン』(ジョン・ファブロー監督)を観た。

断片的には観ていた箇所もあったが、初めて通して観た。

アイアンマンのスーツを開発するシーンをやたらと丁寧に描いていたのが印象的だった。大きく分けて2回にわたって描いていて、このシーンが見せ場なのか、と途中で納得した。何しろメカのギミックの動きが面白く出来ていて観てて飽きない。一番作り込んでいた。

エンドゲームを観た後に観ると、また違った感慨深さがある。この後、いろんなことが起きるんだな、そして、ああ、このころのMCU世界はまだ単純で、牧歌的だったんだな、とか。

そんなはずはないと思うけど、現実世界もそうだったっけ?

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5/1

『ナイスガイズ!』(シェーン・ブラック監督)を観た。

ひょっとしたら映画史上最高のバディムービー!もうマジで最高!ゴールデン洋画劇場とか金曜ロードショーで観ていたヤツが、2010年代に洗練されて帰ってきた!

とにかく、ライアン・ゴズリングの甲高い声を織り混ぜるとぼけた演技に笑いまくった。ダメなヤツ、として観客に嫌悪感を抱かせかねないギリギリの人物設定で、あの魅力は彼の名演ありきだと思う。不意打ちのように展開をクラッシュさせて動かすあの役が、得てしてご都合主義的になり過ぎそうな展開を中和していた。それも含めて、脚本がとても良くできていた!『リーサルウェポン』や『48時間』みたいな最高のバディムービーっぽい脚本に、さりげなくてスマートな形にした伏線の仕掛けを載せた上で、先が読めない展開を作り続けいて圧倒的だった(もっとB級映画っぽいチープさを加えれば『ビッグ・リボウスキ』にも近い)。

その脚本を隙なく映像化しているのも脅威的だった。何気ないシーンだと思っていたら、画面の背景から別の展開が迫ってくる、というような演出が多かった点は特徴的だった。

そのために、コメディパートでも意外と気が抜けなかった。美術やルックから受けた印象で思い出した映画には、『インヒアレント・ヴァイス』『ロング・グッドバイ』『ビバリーヒルズ・コップ』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』などがあった。あの空撮から始まる感じや、豪邸やパーティのシーンがそれを想起したのだろう。

アンゴーリー・ライスの聖人っぽいキャラクターはこの映画には少し浮くような珍しさで、それもスパイスとして良かった。父を尊敬する瞬間の眼差しが良かった。

ラッセル・クロウはいつの間に、あんなにいかつくなったんだ!意外とハリウッドにいないビジュアルになってて迫力があった。続編は超作って欲しい。


4/26

アナと雪の女王』(ジェニファー・リー&クリスバック監督)を観た。

やっぱり「ありの〜ままの〜」のミュージカルシーンが圧巻だった。ドラァグクイーン然としたエルサが、伸び伸びと自分の居場所を作ってる映像が本作で最も魅力的だったし、あのシーンのために作られた映画なのだろう。彼女につけてある演技と氷の幻想的な美しさが良かった。

製作者のステイトメントもあるのかもしれないが、この映画はウーマンリブフェミニズム運動の流れをしっかりと汲んだ上で、はっきりと既存のディズニープリンセス的ストーリーやコンセプトの否定をテーマにしている。

その既存のプリンセス像の象徴がアナで、かなりストーリーのために都合良く動いてしまうキャラクターになっていた。それは対になる王子的キャラクターにも言えることで、この二人はストーリーのために設定された人物という感じが強かった。それにしても、彼女が表象する、昔ながらのプリンセスの悪いところを煮詰めたような性格には結構うんざりした。何か努力するでもなく、『運命の恋』というのを信じて生きる恋愛至上主義的な考えは、2020年に観ると相当に古い。その考え自体をあまり変えずに最後まで行くのもどうかな、と思う。

ミュージカルシーンでは、歌でエルサとアナのディスコミュニケーションを表現するシーンが面白かった。互いに戦うように掛け合う姿はその映像の凄まじさも含めて、思わず笑ってしまった。

オラフのコメディリリーフ的な役回りはアラジンのジーニーなどにも通じる上手さで感心した。子どものリアクションから察するに、集中力を切らさずに観てられるのは彼の功績が大きい(前提として、ストーリー自体に無駄が無く、テンポ良く進むから、ということもある)。

肌の質感の表現は繊細かつリアルだった。CGの技術の日進月歩っぷりは作品ごとに思い知る。2作目で理由が明かされるらしいが、エルサが魔法を使える理由が描かれないのは、結構思い切った省略だと思った。

そして、saebou氏の映画評を読んでいたせいもあるだろうが、確かにエルサが急に社交的に振る舞うのは違和感があった。

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4/11

『ベイブ 都会へ行く』(ジョージ・ミラー監督)を久々に観た。

超マッドマックス!めちゃくちゃ笑った。

個性の強過ぎるキャラクター達のおかし過ぎる行動、ハチャメチャに展開のある逃走劇、出産、横転した車の回る車輪、などからジョージ・ミラーを強く感じた。

そして、極め付けのパーティクラッシャーなラストシーンは、物語の展開を破綻させてでも撮りたい映像だったんだろうと感じた。混沌とも恐慌状態とも言える有り得ない映像からは、映画らしい強さを感じた。

1作目と比べるのも面白くて、1作目ではベイブは人間の期待する規範の中で最高のパフォーマンスをして観衆を驚かせたわけだが、2作目では明らかに人間への反抗を踏まえた行動を取っていて思想としてのスケールアップを感じる。

そもそも、1作目で目立っていなかったエズメを主役級に引き上げる脚本も凄まじい。1作目に比べてベイブは使命感みたいなものが強くなっているが、この2作目はベイブでなくても良かったような気もする。監督交代の影響は顕著だった。


4/5

ミクロキッズ』(ジョー・ジョンストン監督)を久々に観た。

25年ぶりくらいに見たが、ワンダーに溢れたこの映画が大好きだったことを、はっきりと思い出した。庭がジャングルになる驚きは今でも新鮮だったし、巨大なクッキーにかじりつくシーンに子どもの夢が詰まっていたし、大きなアリに乗って進むシーンには冒険心をくすぐられた。

あの庭のジャングルはセットなのだろうが、どういう規模で作ったのだろうか。撮り方の上手さもあるだろうが、本当に広大に見えて凄い。

脚本は、一つの大きな出来事(事件)を経て、登場人物達の抱えていた様々な問題が解決していく、という王道のストーリーだった。

しかし、その解決する量が多い。①ご近所トラブル直前のサリンスキー一家とトンプソン一家の不仲、②サリンスキー夫婦間の微妙な心のすれ違い、③サリンスキー父が仕事を優先して子ども(特にニック)を邪険に扱ってしまう件、④トンプソン父がラスに与える重圧による不和、⑤ラスがエミーに抱いたほのかな恋心。これらが全部良い方向に解決しつつ、少年少女の微かな成長も描いていく。その盛り沢山な脚本の巧みさにも驚く。

エミーに対して「女のくせにやるじゃん」みたいな視点が存在するのは制作された時代を考えれば仕方ないか(吹き替えで観たので、勝手な日本語をつけてる可能性もあるが)。

調べてたら、後の『ジュマンジ』の監督だと知ってとても納得した。まず、脚本が似ている。こういう作品が好きなのだろう。そして、一見ワンダーな世界に潜む怖さの描き方も共通している。俺はどちらの作品にも、楽しくて怖いというトラウマに近い記憶を持っている。


3/27

『ベイブ』(クリス・ヌーナン監督)を久々に観た。

思いのほか、楽しめた!「出自や種族などの生まれつきの属性は人生を縛らない」という普遍的かつ世界を良くするメッセージが、嫌味なくわかりやすく込められていた。古典的とも言えそうだった。SDGsにもフェミニズムにも適応できるような、2020年にも響く映画だった。羊と牧羊犬のやり取りは、黒人と白人でも男女でも置き換えられる優秀なメタファーとして受け取れそうだった。そう考えると、羊と牧羊犬が対話をしているということ自体が、とても感動的に響くし、それらを繋いだベイブのような存在尊く感じられた。

そして、吹き替えで見た効果もあるのかもしれないけど、ベイブがかわい過ぎた...。田中真弓すごい。豚肉食べられなくなるよ。クリスマスが動物にとって恐ろしい日である、というブラックジョークには笑った。あんな不穏にアレンジされたクリスマスソングは初めて聞いた。改めて見ても、本物の動物とアニマトロニクスの区別がつかない。CGもあったのだろうか?よく出来ている。

レックスによる説教シーンを見た時に、自分が『動物農場』を読んで思い浮かべてた映像はこれだったのか、と納得した。

また、やはり強烈な印象で覚えていたのが、ラストの牧羊犬大会でのベイブの活躍シーン。それまで騒いでいた聴衆がピタッと静かになる、あの演出!当時、静寂が見せ場の映画を見たことが無くて、子ども心にめちゃくちゃ感動したのを思い出した。


3/10〜3/17

『セックス・エデュケーション』(シーズン2)を観た。

うおー!面白かった!一気に観てしまった。やっぱりハイクオリティでエデュケーショナルな少女漫画!

総じて、無駄なシーンが無い。無さすぎるくらいかもしれない。誰かの行動が、誰かや何かに必ず影響を与えている。どのシーンも心情の変化や関係の変化に繋がる。前シーズン以上に登場人物が複雑に絡み合う脚本なのだけど、テンポよくスッキリ描ける編集力も前シーズン以上だった。

観ている間、ずっとティーンエイジャー特有の傷つく予感がして、緊張感があった。

エピソード1の冒頭から、オーティスとエリックが自信をつけて社交的になったことがちゃんとわかる。その成長っぷりに驚くけど、シーズン1を思い出すと納得がいく。その成果に安心する。

エピソード5での人間関係の動き方はエグい。とにかくそれぞれの行動が連動してしまう。群像劇の描き方として凄まじい。

エピソード6のオーティスは、自分の大学生くらいの頃の失敗の記憶を刺激されるような、見てられない痛々しさだった。あそこまでじゃなかったけど。

エピソード7の女子だけの時間は、ブレックファストクラブの引用だった。そこで生まれたあの連帯感とその後の展開が、めちゃくちゃ感動的。

そして、あのラストエピソード。俺の望む結末を迎えるには、時間が足りないように感じていたが、やはり足りなかった。『ロミオとジュリエット』をラストのメインに据えたのは、あの結末を暗に示していたのだろう。演劇自体も、作品のテーマとよく連動していて、音楽を含めてとても面白かった。アダムの行動は、シーズン1のエピソード1を反復していた。第2の成長を見た。

やはり、自己肯定から問題が解決に向かう。自己肯定の後に、他者を尊重できるし、理解できる。

それにしても、みんな、個人情報をバラされることに甘いような気がした。この作品内の設定なのか、イギリスの特性なのか、という点は疑問を覚えた。

まだまだシーズン3も楽しみにしてる。またまた問題が山積み。どんどん彼らへの思い入れは強くなっているし、応援したい。


2/29

『ミッドサマー』(アリ・アスター監督)を観た。

どうしても前作『ヘレディタリー/継承』と比べてしまうが、今作はかなり展開がストレートでわかりやすい脚本になっていて、ホラー演出は減っていた。代わりに観てて嫌悪感を覚える表現は増えていた。性交を見守られる・補助されるという体験から想像する嫌な感じに笑ってしまったように、ギャグと紙一重に感じる描写も多かった。

うまく死ねなかった老人の壮絶な末路に顕著だが、暴力描写は前作より残酷かつしつこくなっていた。劇中で頻出する不気味な絵からはヘンリー・ダーガーを連想したが、引用しているのだろうか。鏡やガラスなどの反射ごしに登場人物を映す手法の多用にも不安を煽られた。

一方で、確固とした作家性の発露とも言えるが、前作との共通点も多い。呪術的記号(今回はルーン文字)を伏線的に忍ばせるやり方、三角形の建物、不安を煽るようなカメラワーク、観たくない方向にぬるぬる動くカメラワーク、対称性を多く用いる画面のグラフィカルな美しさ、性的に描かない女性の裸体、祝祭、新たな王の誕生。

Twitterでも似た意見を多く見かけたように、『現代社会から切り離された村落での不可思議な風習に巻き込まれる』というプロットは、仲間由紀恵主演のドラマ『TRICK』や、諸星大二郎の作品に近い。この映画が日本でヒットしていることに驚いているのだけど、そういう前提があったので、日本人に馴染みやすかったのかもしれない。

この村落の打ち出すビジュアルがざっくりと北欧系なのは斬新だった。ひと昔前なら、アフリカ系やアマゾン奥地の未開な野蛮人みたいなイメージを使ったと思う。物語として意外だったのは、主人公の女性とその恋人以外の登場人物が物語の核心に関わることだった。序盤の彼らはモブ感が強くて、そういう受け止め方をしていたので、裏切られて驚いた。特に、ペレが主人公と長時間話す場面は、不意を突いて彼の表情がヤバさを醸し出しててドキドキした。

また、薬物という要素が現実と幻覚の境界を曖昧にするのが効果的だった。よく見ると気持ち悪いことになってる、みたいな場面として、呼吸する花や歪む空気が強く印象に残った。

やはり今作もずっと油断ならない映画だった。次回作も楽しみ。

www.phantom-film.com


2/10〜2/27

『セックス・エデュケーション』(シーズン1)を観た。

胸に迫る回が多かった。近年のフェミニズム的な流れを上手く取り込んだ上で、少年少女の成長と恋愛の物語に落とし込んでるのがめちゃくちゃ上手い。展開には少女漫画っぽさも感じる。主人公のオーティスとメイヴが上手くすれ違うように配置された伏線が、ハイレベルにちゃんと機能している点もそうだ。マイルドにやれば、似たものは作れるだろうが、日本ではうまくやれない気もする。

エピソード5のラストは感動して泣きそうになった。友情の問題をベースにしながら、女性が自分達の性を解放するように見えるシーンの新しさと清々しさに本当にスッキリした。また、誰かの問題を解決している裏側で崩れる友情というバランスも切なかった。犯人探し的なエンターテインメント性を混ぜてるのも上手い。そして、そこで生じた問題が解決に向かうエピソード7も素晴らしい。オーティスの性交へのトラウマ、メイヴの生育環境への劣等感、エリックの性自認、アダムの家族との不和。繊細なやり取りを余すことなく描いている。

考えていくと、まず、どの問題解決にも自己肯定が前提としてあって、セラピーを踏まえたドラマになっている。また、イギリスに人種差別が無いとは言わないが、多様性がある前提で進むのは羨ましく見えた。

性的なシーンが連発なので、その点には驚いた。Netflixはモザイクとか無くて、忘れてると驚く。

オーティスの走り方は少しミスター・ビーンに似ている。シーズン2も観る。

www.netflix.com


2/9

『騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー』(渡辺勝也監督)&『魔進戦隊キラメイジャー エピソードZERO』(山口恭平監督)を観た。

テレビシリーズありきの映画ではある。DVDでも良かったな…とは思うが、息子にせがまれて買ったパンフの撮影日誌などを読むと、作り手のアツイ気持ちは受け取ってしまう。

ノエルの素の演技に混ぜるアクロバットには感嘆した。テレビシリーズを踏まえたギャグには笑ってしまう。子供たちも誰かが吹っ飛ぶようなコミカルな演出には大笑いしていた。

一方で、キラメイジャーのぶっ飛んだコンセプトには笑った。キメポーズのバレリーナ感やフィギュアスケート感には、テレビシリーズも期待してしまう。 

super-sentai-vs-2020.jp


1/26〜2/4

『フリーバッグ』シーズン2を観終わった。

第1話からトバしてて最高。緻密に構成された会話とやり取り。その後もガンガンいくのだけど、シーズン2は1と違って、とても良い話に落ち着いていて、最後は驚くほど感動した。露悪的なセックスシーンもかなり減っていたが、ファックという言葉が飛び交う数は増えていたかもしれない。

明確に『愛』についての物語になっていた。途中から、「主人公は視聴者ではなくてブーに向かって話してるのでは?」「ジェイクは父とクレアを別れさせたいから奇行を繰り返したのでは?」などと深読みしたが、それらはその問いのまま終わった。シーズン1で起きた問いもそのまま。俺が深読みし過ぎただけだったのだろう。

シーズン1と比べればわかるけど、やはり仕事が上手くいくと人生のトラブルは減る。シーズン1では本人が混乱していて『信用できない語り手』に見えたが、シーズン2では大事な本音を言わないことで、人間らしさを取り戻しているように見えた。

主人公が視聴者に話してくる演出は、SNSの裏アカウントの可視化みたいだった、と思い返して気づいた。時代を映していたのか。 

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1/29

『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督)を観た。

クソ素晴らしい。超ド級エンターテインメントで、コメディでもあるし、サスペンスでもあるし、ホラーでもあるのに、世界的な問題を鋭く扱う社会派ドラマにもなっている。そのバランス感が凄い。逆に言えばどのジャンルでもなくて、ジャンルを決められるのを周到に避けようとしているかのようだった。

ここまではっきりと『経済格差』を糾弾している作品はあったのだろうか。カンヌのパルムドールには最近似た傾向の作品が選ばれているようで、『わたしは、ダニエル・ブレイク』はイギリスの貧困を描きながら政府のやり方を糾弾していたし、『万引き家族』は家族のあり方を問いつつ日本に存在する貧困を世界に暴露したけど、本作は韓国にも存在する貧困を暴露しながら『経済格差』という世界全体にはびこる構造の悪を糾弾している点で、とても射程の長い作品になっていた。

ここにエンタメ性を取り入れるのは不真面目さとも捉えられそうだが、この問題意識をより多くの観客に植え付ける戦略としては、正しいのではないだろうか。

その経済格差を見せつけるための演出が凄い。映像の中でも徹底的に金持ちは上で貧乏人は下という配置を強調する。それは、あの命がけのかくれんぼから、激甚災害になだれ込むあのシークエンスでもはっきりとわかる。あのシーンで初めて金持ちの家との高低差がわかる演出には息を呑んだ。それまでは、貧乏の描写でも富豪の描写でも笑っていたが、あのシーンを境にそれまでの笑いが不謹慎なものになってしまうような決定的な描写だった。その後の金持ちの奥さんの発言を見ていても、貧乏人の境遇を想像する余地は無い。金があることも無いことも罪では無いはずだが、無関心は罪深い。

演技も悉く良い。特にギジョンに感じるスレた魅力は、あまり見たことない種類のものだった。金持ちの奥さんの無邪気で馴染んでない英語も印象深い。途中までソン・ガンホは小狡いけど気の良いおじさん、って感じだったけど、途中からいつも通りの恐ろしい眼光の男だった。あれ以来、高い商品を見かける機会があると、彼の視線を感じて緊張する。


1/10〜1/22

『フリーバッグ』シーズン1(フィービー・ウォーラー・ブリッジ製作/脚本/主演)をAmazon prime videoで観終わった。

とにかく主人公のキャラクターが一筋縄ではいかない複雑さを持っていて、性欲強め(というよりセックスに付随する欲求が高め?)、皮肉屋(相手に嫌なことばかり言う)、嘘つき、自分勝手、という強烈で嫌われそうなキャラクターなのに、不思議と魅力的に見える。

好きなように生きてるように見えるからだろうか?自由さが魅力?

そして、このキャラクターが『デッドプール』や『アニー・ホール』のウディ・アレン以上に視聴者に話しかけてくる。しかも、その内容が、最初は彼女の本心らしく見えるのだが、次第に信用できなくなる。彼女自身が本心すらコントロールできない混乱状態で、『信用できない語り手』に見え始める。カフェを共同経営していた親友に何が起きて、主人公がどう傷ついているのか、が物語を引っ張る大きな謎となる。

そこに、家族との関係が複雑に絡んでいき、主人公の周囲は問題だらけになる。特に、アーティストの代母の強烈さと嫌らしさは、主人公を更に超えていて、見応えがある。

最後まで見ても、主人公が抱えている心の傷は癒されていない。主人公は父親から性的虐待があったのでは?と疑っている。シーズン2で少しは解決するのだろうか。

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2019/3/13〜2020/1/12

アトランタ』シーズン1を観終わった。

鳴り続けるビートに乗らねばならない業界を舞台にしたオフビートコメディ(と言って良いのだろうか?正直に言って、オフビートの定義に自信が無い)。

アトランタの黒人ラッパーの生活を淡々と面白おかしく描いているが、貧困や人種問題や薬物の話はリアルでもある。黒人が抱える社会的な問題を笑いに包んで見やすくしてくれている、という構成はコメディとしてはオーソドックス。しかし、日本に住む黄色人種の自分が見ても、本当に笑える話が多い。昔話や神話みたいな寓話的エピソードも多いのでわかりやすいのだろう。おそらく黒人をステレオタイプから解き放つ意義がある作品なのでは無いだろうか。いつもパーティーでノリノリの黒人ばかりのわけがない、という呆れ気味のメッセージは感じた。

ラストショットで主人公が見せるリアリティと満足感はカッコ良かった。ドナルド・グローヴァーの常に静かな目はずっと良かった。

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1/6

『パターソン』(ジム・ジャームッシュ監督)を観た。

日常生活の豊かさを静かに讃えている映画だった。

毎日真面目に仕事をしているだけの日々でも、単純で退屈な反復になるとは限らない。毎朝のベッドでの二人の状態はいつも少し違う。日々の繰り返しに見える動作も、違う角度からのショットだと、毎日少しずつ違う表情に見える。

そして、まなざし一つで人生が豊かになる、とパターソンを演じるアダム・ドライバーも教えてくれる。丁寧かつチャーミングな名演だった。あの不意に見せる屈託の無い笑顔。

同時に、いつも不満ばかり言っている人も、実は人生を楽しんでいる、と描いているような気もした。

創作が日常生活に与える歓びも取り上げていた。ぽつんぽつんと、生活を区切るように反復して挿入される詩には、静かな感動を覚えた。俳優っぽい動作をする黒人が出て来るシーンは、いかにもジム・ジャームッシュらしいオフビートな笑いを作っていて、何度も噴いてしまった。永瀬正敏もそんな感じの扱いだった。

それと、ジム・ジャームッシュは人の歩く映像が好きな気がする。否定するものを殆ど描かないで生活の多くを美しく肯定していく映像は、ずっと続いたら良いのにな、と思える気持ち良さだった。

 

パターソン(字幕版)

パターソン(字幕版)

  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: Prime Video