2022年前半に観た映画類の記録

映画は映画館で5本観た。

家では17本観た。そのうち旧作は16本だった。

ドラマシリーズは5シーズン観た。

上々の数字だ。

 

6/10【27】

トップガン マーヴェリック』(ジョセフ・コシンスキー監督)をIMAXで観た。

とにかく映画館で観て良かった。轟音と画の迫力に圧倒された。ガンガンアゲてくる。

オープニングから、高らかに作品の方向性を宣言する『デンジャー・ゾーン』に大爆笑。問答無用でワクワクした。どれくらいCGを使ったのだろうか。飛行機が飛んでいる映像は、常にCGとは思えない臨場感。飛ぶ機体の外側はカメラを設置するだけで撮れるのだろうか?メイキング映像見てみたい。Gのかかっているコクピットもド迫力で、表情を見せるためのこだわりも感じた。

前作は観ないで臨んだが、別に観る必要も無さそう。劇中で最低限のことは説明してくれた。その上で、前作にあった(っぽい)パリピなノリも忘れずに入れ込んでて面白かった。政治性を一切漂白している点も興味深くて、相手にしている国も明かさないし、敵の顔もずっとヘルメットに覆われていて見えない。パイロット達が何か奇妙な競技に参加しているようにも見えてくる。2022年らしい表現だった。

『ミッション・インポッシブル』シリーズを作るトム・クルーズらしく、しっかり身体を張っているヤバイ映画だった。

 


6/5【26】

『シン・ウルトラマン』(樋口真嗣監督)を観た。

戦闘シーンは概ね面白かった。怪獣は使徒っぽさを逆輸入したような機械的かつ生物的なデザインと動きでなかなかアガッたし(特にガボラ)、対ザラブ戦の地面と並行に飛びながら戦う姿は斬新で良かった。

しかし、人間ドラマのパートにちょこちょこ違和感があった。まず、長澤まさみがお尻を叩く描写は要るだろうか?『気合を入れる時に自分のお尻を叩く彼女が、いざという時になって、斎藤工のお尻を叩いて送り出す』という流れは理解できるが、別の表現でも良いような...。お尻を叩く時に毎回カメラが寄るので、微妙に違う意図を感じてしまいそうで居心地が悪かった。お尻は性的な領域には含まれないだろうか?不用意に他者が触っていいパーツでも無い気がするが...。

一方で、斎藤工長澤まさみの匂いを嗅ぐシーンなどは、彼の抑制した演技の上手さによって性的に見えないようになっていた、と妻からの指摘で気づいた。あのキャラクターには、寄生獣に寄生されたキャラクターのような可笑しさがあった。

奇抜なアングルのショットは実相寺昭雄などのオマージュなのだろうが、ショットごとの意図があまり感じ取れず、似せているだけに見えた。不必要なものが画面の大半を埋めていたりしている時間は単純に見づらかった。

 


6/4【25】

フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)を観た。

多分、昔見た時には、前半の海兵隊訓練所までしか観てない。鑑賞を断念したことに特に理由も無かったように思うが、ひょっとしたら前半の訓練シーンを冗長に感じたからかもしれない。とにかく性的に嫌な言葉を使って罵倒する教官の姿を見続けるのは単調に感じたが、2022年に観ると、兵隊というのはホモソーシャルの仕組みを最も上手く利用している集団の一つかもしれない、と気づいた。前半の終わりに起こる象徴的な悲劇は、ショッキングだけれど納得できる展開だった。後半はホモソーシャルな集団特有のマウントの取り合いや、性的に悪趣味な言葉でのじゃれ合いをしつつ、悪ふざけのように人を殺していく、というまさに地獄絵図が続く。しかし、この現実逃避に見える彼らの姿勢には、妙な説得力を感じる。実際の戦争もこうだったんじゃないかな、と思えてしまう。それはどう見ても本当に破壊されている街を使ったロケーションや、反動がリアル過ぎるライフルの発砲描写などによって、異常なリアリティを担保していたからだろう。

地獄の黙示録』をどれくらい参照したのかはわからないが、ヘリコプターの飛ぶシーンなどでは連想した。映像としては、全体的に左右で動くシーンが多く感じた。その結果、あまり奥行きは強調していなくて、昔の西洋絵画のようなレイアウトに感じられた。一人ずつ狙撃されていくシーンは、カットを割ってスローモーションにして血飛沫を噴かせたりしてて、その派手な演出に笑ってしまった。最後の行進しながらミッキーマウスマーチを合唱するシーンにも、その強烈な皮肉っぷりで笑った。どちらの演出にも、戦争の馬鹿馬鹿しさや虚しさを強調する意図があったのだろう。

 


2/15〜6/3【24】

『思うままの世界』(シーズン1)をAmazonプライムビデオで観た。

昨今の『伏線を張っておいて後々回収』や『とんでもない展開の連続で先が読めない』みたいなドラマではなくて、淡々と積み上げていく心理描写によって丁寧に物語を展開させていた。それに寄り添うように、映像自体にも凝った編集などはなく、目の前の出来事をなるべくストレートに捉えようとしていた。

そして、『発達障害である』というのはどういうことなのか、をありのままに描写していくと、ほぼ全てコミュニケーションの問題になるようだ。その結果、コミュニケーションの最たる表現であるセックス関係の描写が多くなってテーマの中心になっていて、扇情的ではないが、自然と性的に刺激の強いコンテンツになっていた。この『障害があっても性行為を楽しむのは当たり前だ』という姿勢からは、NHKのテレビ番組『バリバラ』なども思い出すし、至極真っ当だ。その性行為以前のコミュニケーションにおける齟齬は、普遍的なものが少しだけデフォルメされているだけで、所謂『あるあるネタ』っぽくも楽しめる。

しかし、果たしてこのテーマでそのような楽しみ方をして良いのだろうか。特に、ジャックの空気の読まなさで笑ってしまうのだが、そこに嘲りや侮りの感情が無いのか、というのは何度も自省した。ジャックがそのことについて悩む姿も見ているし、自分はそんな感情は持っていないはずだ、と信じたいが…。他には、ヴァイオレットの率直で純粋過ぎるやり取りに冷や冷やしたり、ハリソンの繊細さに居た堪れなくなったりもする。そんな微細な心の動きに一喜一憂する。特に、ジャックとヴァイオレットに頻発していた『普通になりたい』という切実な願いには、やり場の無い悲しみだけが残った。

ヴァンとマンディの間に起こった出来事も、ケアラー同士の『あるある』のように見えた。きっと行き場の無い苦しみを共有できる相手は貴重だ。ヴァンなんて、本当に可哀想だ。自分の人生が奪われるような感覚を味わってしまうのは当然だろう。最後に少し救われて良かった。

 


5/29【23】

『エクストリーム・ジョブ』(イ・ビョンホン監督)を観た。

徹底的なバカ映画で、何も考えずに楽しめた。あらすじだけ読んだ時はウディ・アレンの『おいしい生活』を想起したが、それは導入部分だけで、その後の展開は全く違った。

『生活がうまくいかない人々の逆転劇、あるいはその目論見の失敗』というフォーマットは古典的なのだろうが、この脚本独特のギャグ主体でのツイストが展開をわからなくしていて、よりスリリングになっていた。

アクションシーンでかかるジャッキー・チェン映画っぽい音楽から、香港映画も参照元にしてる可能性も感じた。緩急つけた編集で映像自体もテンポ良く仕上げていた。

 


5/25【22】

『21ブリッジ』(ブライアン・カーク監督)を観た。

バディムービーのフォーマットを利用しつつ色々と予想を裏切る快作だった。

かなり脚本の力が強い作品だが、同時にアクションを中心とした演出もかなり凝っている。刑事が犯人を追うシーンの狭い空間演出には、迷路に立ち向かうような楽しさがあった。また、電車に乗る・乗らないの決断を動作で見せるシーンや、ラストシーンの壁越しの攻防には息を呑むような緊張感があった。

チャドウィック・ボーズマンの走る姿が『ブラック・パンサー』と違ってとても必死に見えて、胸に迫るものがあるのだけど、その辛そうに見える姿は『闘病中だった』という情報によるバイアスかもしれない。その点が無念でならなかった。

 


5/19【21】

ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネス』(サム・ライミ監督)を観た。

予告で想像していたストーリーとは全く違っていて、ホラー映画のフォーマットを使って、ヴィランをジェイソンのような殺人鬼として描いていた。

俳優を斜めに捉えたままギューンと近寄ったりするカメラワーク、叫ぶ女性、俳優の顔を反射させる映像などは思いっきりサム・ライミ監督っぽかった。ヴィランが最後に少し改心するというのも『スパイダーマン』3部作に似ていて、サム・ライミ監督特有なのかもしれない。

マルチバースという概念は、タイムトラベルよりも脚本に収拾がつかなくなる気がしていたのだが、今作はどうにかギリギリ上手くまとまっていた。サプライズ的に他シリーズのキャラクターをゲストで出しやすい、という利点はあるのかもしれないが。

1作目の細かい人間関係が前提となっている点は、全然覚えていなかったのでちょっと辛いところがあった。ドクター・ストレンジの人間味を強調するという点は、1作目と同じ方向性だった。

 


5/16【20】

『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』(ステファノ・ソッリマ監督)を観た。

前作と全然違う。今回は、傍観者や外部の視点が無く、当事者しかいない。それに合わせてかもしれないが、空から俯瞰する視点が殆ど無く、あくまで地べたの現場からのリアルな視点で描写していた。抗争の残酷さと、抗争が政治に翻弄される様子を淡々と描写していたが、前作のように美しく捉える意図は感じられなかった。特徴的なのは、発砲や爆発みたいな暴力の発露が、極めて突発的に描かれている点ではないだろうか。暴力は突然に人の命奪う、という恐ろしさをカット割らずに描写する。そこに生まれる緊張感が、映画の展開を引っ張っていた。その突発的な暴力に合わせてだろうが、ストーリー自体の意外な展開も今作の方が多い。全てが無意味だったかのように思える不条理なラストにも驚く。前作に引き続き、冷徹に描いた脚本が凄い。

 


5/8【19】

『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)を観た。

美しさと残酷さが共存する映像に宿る凄まじい緊張感で、ずっと画面から目を離せなかった。ドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕なのだろうが、この恐ろしく冷徹な映像が美しくても良いのだろうか、という躊躇いも感じながら観た。

まず、自然を捉える空撮が美しい。その荒涼とした大地の厳しさが感じられる。それらを挿入するタイミングもとても良くて、映画の中に世界の広がりが感じられる。メキシコの警官の日常生活を追う映像はアート映画のようだった。その淡々とした日々にある他愛もない幸せがきちんと描かれていただけに、その後の展開が狙い通りに辛いものになった。この映像を入れ込む脚本も意地が悪くてすごい。

観客と撮影対象の間で何かがちらちらと舞う映像が多くて、これは『DUNE』でもよく見た手法なので、監督の好みであり、作家性の発露なのだろう。

音楽も緊張感を持続させる効果を十分に発揮していて良かった。

エミリー・ブラントの傍観者の視点は、観客へのガイドとしてとても上手かった。

 


2/11〜5/7【18】

『ボバ・フェット/The Book Of Boba Fett』をディズニー+で観た。

最初、ボバ・フェットにあまり興味が湧かなくて困ったが、『マンダロリアン』の続編として観れば普通に楽しめた。

あまりに西部劇色が増してて驚いたが、ナワバリについての話はヤクザ映画的でもあった。二つの時間軸を行き来しながら、ボバ・フェットがやたらと情け深くなった理由を説明してくれるのだが、あまり納得がいかなかった。やはりエピソード5と6に出てた人と同一人物とは思えない。

しかし、途中でマンダロリアンとグローグーが登場して、一気に雰囲気が変わる。その盛り上がりがあった上で、クライマックスであるパイク達との抗争に突入する。この構成は上手い。こちらは戦況が二転三転する仕掛けがあって、なかなか楽しめた。

 


4/3〜5/5【17】

『ムーンナイト』(シーズン1)をディズニー+で観た。

序盤は多重人格を利用したミステリー仕立てで良かったけれど、終盤の虚実入り混じらせて筋を撹乱するような手法と、敵を倒す重要なシーンを知らない人格がやってしまうという見せ場の無さのせいで、何を見せたいのかわからなくなった。また、直接的ではないとはいえ、子供の虐待描写がある点もかなり辛くて、息子には見せられない作品となってしまった。

原作通りの部分もあるのかもしれないが、ムーンナイト自体の能力もはっきりとせず、ただただ乱暴なだけにしか見えなかった。彼を魅力的にプレゼンする機会としては失敗に終わったと言えるだろう。

 


5/3【16】

『ザ・スーサイド・スクワッド 〝極″悪党、集結』(ジェームズ・ガン監督)を観た。

クソヤバかった!こういうタイプのバカ映画をこんな予算のスケールで観たことが無くて、その悪ふざけの強烈さに圧倒された。

監督の過去作『スーパー!』は観ながらリアクションに困ることが多かったのだけど、あの映画で彼がやりたかったのはこういう映画だったのだろう。

死をギャグにしてしまうのは古典的ではあるし、いつの時代でも不謹慎なのだが、その徹底的に無意味化・無価値化された死の扱い方には、思わず笑いが漏れてしまった。その方向性を宣言するかのような、異様に馬鹿馬鹿しい冒頭のシーンから十分に引き込まれた。テンポ良く編集した上で、魅せたい場面はきっちりと魅せる映像も健在。音楽の使い方は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』同様にノリノリで最高だが、有名な曲は少なめなのかもしれない。場面を説明するキャプションを、その場面にある小道具的なもので表現する手法は原作コミックに倣っているのだろうか?

多くのキャラクターがなぜか親と子供の関係性に何らかの問題を抱えているのは、その要素が映画全体に関わる大きなテーマだからだろう。ブラッドスポートもポルカドットマンもピースメイカーも親から虐待めいた仕打ちを受けていて、人格形成に多大な影響を与えてしまっている(ピースメイカーは殆ど描写が無いが、スピンオフドラマで掘り下げるのだろう)。

ラットキャッチャー2も客観的に見れば虐待を受けていたように見えるが、父からの愛情を感じていた点は他のキャラクターと異なる。この相違と、ブラッドスポートが娘のために作戦に参加している事実が相似形を成し、ブラッドスポートとラットキャッチャー2に擬似親子性を生み、それを基盤としてスクワッドを擬似家族とするのはとても巧い。

一方で、アメリカと今回の舞台となる架空の南米の島国の関係性も、親と子供のアナロジーを使っているように受け取った。親であれば子供を理不尽に扱って良いわけではない、子供も親に抗って良い、というメッセージ性があった。

一方で、ハーレイクインは別格扱いで、親と子供のアナロジーからは切り離されているし、彼女にだけ攻撃した部分に花が咲く演出などが付加されていて、マーゴット・ロビーのエキセントリックな演技もとてもかわいく見える。

 


4/30【15】

スパイダーマン3』(サム・ライミ監督)を観た。

初めて最初から通して観たが、ヴィラン3人が無理矢理物語に詰め込まれていて、それぞれのキャラクターを掘り下げて描くための時間は足りていなかった。アクションシーンにはCGが多用されていて、今観ると古びてもいるけれど、独創的なロケーションや条件を付加することで面白く魅せていた。

ピーター・パーカーがヴェノムのせいで調子に乗ってしまうシーンは、独特のダサさがあった。あれは古さだけが原因でも無さそうだった。

MJは捕まり過ぎてるし、現状に文句ばかり言うけれどほとんど努力しているようにも見えなくて、魅力的に見えるはずが無かった。キルスティン・ダンストかわいそう。

 


4/25【14】

孤狼の血 LEVEL2』(白石和彌監督)を観た。

ヤクザ映画は顔面を観る映画、と前作で確認したのだが、今作ではそれよりも圧倒的な存在感を観る映画になっていた。

前作で強烈な存在感を放っていた役所広司の穴を、ヴィランの側から鈴木亮平演じる上林が暴力的に埋めていた。はっきりと彼の映画となっている。『ダークナイト』におけるジョーカーのような、人ならざるものであるヤクザとしての存在感から目が離せない。直接的に本人を狙うだけでなく、周囲の人間に危害を加えるというやり方には、凄まじい怖さがある。

冒頭のシーンから引き込まれるのだけど、松坂桃李演じる日岡の前作からの変貌ぶりには驚かされる。同時に、石上(役所広司)とは少し違うやり方をしている、と明示するのも上手い。

村上虹郎もしっかりと存在感を示していて、悲しい結末になりそうな弟分であることを出た瞬間にわからせてくれる。その行き場の無いどうしようもなさを滲ませる演技力にはグッと惹き込まれる。

そして、やはり主役の松坂桃李も凄い。強さや狡さと同時に儚さがあって、とても危うい繊細さを魅せてくれる。

西野七瀬はスレた雰囲気を出せるのが良かったけれど、喜怒哀楽を表現する表情が乏しい感じがした。

終盤に観客を驚かせるちょっとした仕掛けがあるのだが、その仕掛けの中心人物の演技の上手さと演出の巧みさでまんまと騙された。

一方で、最大の見せ場は上林と日岡のカーチェイスだろう。本当に車が走ってぶつかって壊れる映像の迫力が凄かった。決して派手な映像ではなかったのだけど、飛び散る部品にリアリティがあった。更に、窓から飛び降りるシーンもあるのだけど、明確にハリウッドへの挑戦に見えた。そこからの二人の一騎打ちも凄まじかったが、ラストの日岡の発砲シーンは文句無しの格好良さだった。

総じて、前作と同様かそれ以上の暴力描写があるのだけど、昨今の日本映画界のパワハラや暴行が蔓延る状況を見ていると、作品の撮影中にそのような状況が無かったことを祈るような気持ちになった。

そこには、性描写・暴力描写の必然性をもう一度考えるべきだ、という問題意識も感じた。過激な描写は刺激的かもしれないが、それ自体だけに映画としての魅力を感じるわけではない。

これまでもこれからも白石和彌監督は信じたい。

 


4/18【13】

スパイダーマン2』(サム・ライミ監督)を観た。

細切れにしか観たことが無かったので、最初から通して観てみた。

割れるガラス、何かに反射して映し出される人物、叫ぶ女性、というホラーっぽい演出が想定よりも頻繁に反復されていて、サム・ライミ監督の出自を思い出させた(ドクター・ストレンジの予告編を見る限り、この手法は継続して使われるようだ)。

『POP LIFE:The Podcast』のスパイダーマンについて話してる回を聴いて、ピーター・パーカーというキャラクターの悲劇性を理解してから観ると、もう切なくて仕方ない。ピーター・パーカーは可愛そう過ぎる。彼の正義感の源は例の『大いなる力には大いなる責任が伴う』という叔父の遺言なのだろう。この呪いが強い。『スパイダーマン・ホーム・カミング』ではここを省略したために、その正義感に得体の知れなさを感じたのだと気づいた。

映画としての一番の見せ場は、ドック・オクとの電車での攻防〜電車停止までの一連のシークエンスだろう。悲運のヒーロー・スパイダーマンが救われる数少ないシーンだと思う。

そして、ハッピーエンド!

3が無ければ。

 


4/15【12】

孤狼の血』(白石和彌監督)を観た。

やっぱりヤクザ映画は顔面を観る映画で、今作もみんなちゃんと凄い顔をしていた。

役所広司はガタイも良くて、スクリーンでの存在感が凄い。松坂桃李の徐々にヤクザの世界に染まっていく感じも良い。中村倫也の最高に鉄砲玉然とした演技もとても良い。江口洋介は渋い。竹野内豊は軽く感じたけど、そういう役なのだろうか。石橋蓮司は何回ヤクザの親分やるんだ。

豚の糞、真珠の摘出、溺死体などグロ描写の接写には執念を感じる。スクリーンで観たかった。

役所広司のキャラクターが映画のポイントになっていて、彼の評価が緩やかに反転するような作りが上手かった。原作通りの展開なのだろうが、脚本にちゃんと寄り添ったテンポでの演出になっていて、違和感無く飲み込めた。

ただし、役所広司が冒頭でMEGUMIに性的暴行をたことを匂わせるシーンは引っかかる。MEGUMIの同意があったようにも見えるが、果たしてどうだろうか。後に彼の評価が反転しても、この行為に正当性は感じられなかったので、普通に犯罪を犯す人間である、と言う描写なのかもしれない。

広島弁であることも原因だが、殆どセリフは聞き取れず、字幕で観た。映画館ではキツかっただろう。『外部から来た人物が、強烈な人物の影響で価値観や倫理観が揺さぶられる』というモチーフは『凶悪』にも共通しており、その揺らぎの描き方に監督の作家性が現れていると感じた。

 


4/4【11】

ザ・ファブル』(江口カン監督)を観た。

速過ぎるアクションは見づらく感じた。岡田君は、バカな顔をする演技でも、やたらとカチャカチャ動くアクションでも、十分に活躍していた。

柳楽優弥のジョーカーみたいな表情は、殆ど笑える方向になってたけど良かった。悪役やってるのを初めてみたが、向井理の顔もクールな悪さが意外と良かった。福士蒼汰の顔は綺麗。

しかし、とにかく脚本がかなり苦しかった。世話になってるヤクザの若頭から下っ端救出を頼まれたファブルが、同じ組の別のヤクザのアジトに行って、どうにかその下っ端を助けるが、その下っ端を若頭が直々に殺す、ってこんなストーリーは全く意味がわからない。若頭が筋を通した風だったので、メンツを重視するヤクザらしい解決だったのかもしれない。しかし、散々ヤバい奴として描かれた下っ端ヤクザのことを、酷い目に遭っているからといって、ファブルの仲間のように観ることはできない。実際の意図はわからないが、演出としてはそのように要求されていて見づらかった。クソ野郎に親近感を持て、と急に言われても観客は困る。

そして、原作を読んでないのでわからない(すごく読みたい)が、映画的見せ場を作るために、原作の三つくらいのエピソードを混ぜたんじゃないか、と想像した。そのために、事件の原因と目的と結果がうまく繋がらなくて、支離滅裂になったような印象を受けた。

 


3/30【10】

ザ・バットマン』(マット・リーヴス監督)を観た。

暗い!黒い!長い!でも、満足!暗過ぎる黒い映像連発だったので、IMAXで観てよかった(昔、家のテレビで観たティム・バートン版『バットマン』はラストシーンで何にも見えなかったなあ、なんて思い出した)。

探偵としてのバットマンというアプローチの映画は初めて観たけれど、全く違和感が無かった。

バットマン定番の闇夜のカーチェイスのシーンは、今までで一番迫力があったかもしれない。細かく挿入された細部に寄った映像と、人をイラつかせるような低音の連なりが緊張感を増幅していた。

全体的にしっかりとした演出意図を含んでいる撮影が凄くて、『見えなさ』や『見えづらさ』を利用した演出は、めちゃくちゃ見えるのに肝心な部分が見えないもどかしさが奇妙で新しかった。

 


3/23【9】

『私ときどきレッサーパンダ』(ドミー・シー監督)をディズニー+で観た。

ラストの怒涛過ぎる展開で、めちゃくちゃ笑っちゃうんだけど、切ない気持ちにもなって、大きく感情を揺さぶられた。あんなアベンジャーズみたいな戦闘シーンが描かれるとは思ってなかったけど、考えてみれば、主人公はハルクのようなキャラクターだ。怪獣VS小さな生き物という構造と、怪獣の腕を駆け上がる描写からは『進撃の巨人』も連想した。

主人公と3人の友人の関係の描き方が最高で、あのワチャワチャした感じからは『ブックスマート』を連想した(ピクサーからディズニーへの抗議を思い出しながら観た結果、プリヤはLGBTQ+として描きたかったのでは、と勘繰った)。

主人公の母が、いろんな文脈の最後の障害として存在するという構図になっている。そこだけを抜き出すと、メンターだった人が最後の敵となる図式で、それはいろんな作品で反復されてきた物語を踏襲していた。しかし、そこに描かれる敵としての母親像が凄くて、彼女は主人公を心底愛している、という描き方がとても現代的だった。娘の周囲で良くないことが起きた時に、母は娘の話も聞かずに、周囲の人間が原因だと決めつけて攻撃する。なぜなら、『娘が良い子で周囲が悪い』と思い込んでいるから。これらの問題は乗り越え得る対象であり、娘も母も成長する対象として成長物語を描いている。この点に、社会に対する明確なメッセージを感じた。

そして、『ミッチェル家とマシンの反乱』の表現でも感じたけれど、3DCGアニメは現実に近づける部分とアニメにしかできない表現をうまく融合する段階に来ているようで、今作では日本の少女向け漫画・アニメ特有の表現を3DCGに落とし込んでいるようだった。具体的に言うと、何かに惹かれる・感動するという感情になると、目がキラキラあるいはウルウルするという表現だった。4TOWNはBTS的なグループを意識してるのかなと思ったけど、楽曲はバックストリートボーイズみたいだった。更に後から観たドキュメンタリーが最高。作品の影響元にやっぱり日本のアニメがあったことがわかったし、プロトタイプの主人公・メイメイを見てトトロのメイから参照していることがわかったりした。それよりも、主要スタッフ4人が女性だけであり、それはピクサースタジオ史上初らしいのだが、彼らの素晴らしい仕事っぷりと仕事のやり方、さらには生活の

 


3/21【8】

マイノリティ・リポート』(スティーブン・スピルバーグ監督)を観た。

やっぱりスピルバーグは映画上手い。ずっと楽しかった。初めて気づいたけど、スピルバーグの映画は止めてもあまりカッコいい画にはなってなくて、あくまで動いた時に魅力的な映像になっていた。

未来が見えるシステムを使って、犯罪者を未然に逮捕する社会になっている、という一見飲み込みづらい設定を、たった一つの事例で説明しきっていた点にも感心した。同時に、主演のトム・クルーズの捜査官としての能力も説明しきっていた。

また、この頃のトム・クルーズ主演という共通点のせいかもしれないけど、『宇宙戦争』と全体的なムードが似ていたし、脚本のラストが微妙に盛り上がらない感じも似ていた。彼が突発的に走ったりする時の勢いが凄くて最高。かつての同僚との戦闘シーンも相手のことを熟知しているという関係性を見事に表すアクションでありつつ、映像的な躍動感が凄くって、めちゃくちゃ興奮した。

彼が腐ったミルクとサンドウィッチを間違えて食べるシーンは無意味かつ異様で笑った。

子どもが連れ去られるシーンは、そのリアルな演出がうま過ぎてトラウマレベルで怖かった。

それと、妙に(珍しく?)性的描写が多かったのだけど、セックスを嫌悪の対象とする描写しかなくて、彼の作家性を表してるような気もした。

 


3/18【7】

コン・エアー』(サイモン・ウェスト監督)を久々に観た。

肉体派アクション俳優として絶頂期のニコラス・ケイジが見られる最高のアクション映画(なぜその路線)。今見ても最高。銃弾が当たっても全く怯まない強さが、めちゃくちゃカッコいい。剥き出しの腕が撃たれるっていう描写は、それまで見たことなかったかも。どうやって撮ってるんだ。髪が薄くなりつつあるのにロングヘアという独特の髪型も印象的。

そして、改めて観ると、脇役にジョン・キューザックジョン・マルコヴィッチスティーブ・ブシェミ、という今となっては豪華な実力派俳優達を配置していて贅沢。特にジョン・マルコヴィッチは作品の功労者で、頭の切れる凶悪犯罪者というありきたりだけど必要な役に、その異様な存在感で説得力を与えていた。

糖尿病の友人ベビー・オーは主人公・ポーを飛行機に留めるための装置として存在していることに気づいた。主人公の情に厚い性格も表現できて一石二鳥だろう。

印象的なシーンが多くて、かなり覚えていた。Wikipediaによると、なるべくCGを使わない主義だったらしいのだけど、確かに「あれ?マジかよ?これ実際に撮ってるっぽい…」と驚愕するシーンが多かった。後ろに車を繋いだ状態で飛行機が飛ぶシーンも実写にしか見えなかったが、あのワンシーンのギャグのためにそこまでやるのが素晴らしい。

レイプ魔の腕が切断されて死んでいることが判明するシーンみたいに、細かく驚かせる描写が多いのも特徴で、その鮮烈さのためにかなり記憶していた。

アクションの見せ場を作るための脚本になっているが、その大迫力のアクションをこんなに見せてくれるなら文句は無い。

 


3/13【6】

鋼の錬金術師』(曽利文彦監督)を観た。

久々に苦笑したり文句を言いながら映画を観た。

原作は大好きで、世界観やキャラクターはかなりうまく寄せてるような気がしたけど、アクションシーンが厳しかった。そもそも、こういう映画にあるはずのアクションシーンが少な過ぎて退屈だった。遠距離でCGで攻撃し合うだけのシーンはアクションシーンではないはず…。

数少ないアクションシーンも辛くて、冒頭の市街地全体を使った錬金術バトルのシーンは一番キツかった。例えば、主人公のエドが隆起する壁を避けながら逃げるシーンでは、魅せたいのはエドが逃げる様子の臨場感なのではないだろうか。それなのに、隆起する壁のCGを強調するように撮られているように感じた。ただカッコ悪く逃げる映像をカッコ悪い演出で撮られても、エド演じる山田涼介が可哀想に見えた。屋根から飛び降りて逃げる敵を捕まえるシーンも、スピード感が無くて鈍臭い映像に見えた。跳んだカットとぶつかるカットが切れていたのが良くなかったのだろう。この映像に似たシーンを『るろうに剣心』で観た記憶があって確認したが、全く違った。アクション監督の力量が違うのだろうか。同じ監督の『ピンポン』は悪くなかった気がするんだけど。

俳優の演出も微妙なことが多かった。主人公・エド役の山田涼介は叫んでばかりだったし、すまし顔の方が美しさが際立つという特徴と相性が悪そうだった。ウィンリィ役の本田翼とのやり取りも無駄に冗長に感じた。本田翼は可愛かったけれど。そういえば、ディーン・フジオカ松雪泰子はやり切っていて良かった。大泉洋も無茶な設定をうまく飲み込んでで良かった。

脚本も微妙だった。原作のエッセンスを無理矢理ぶち込んで、ありがちなドンデン返しを多用して一本の映画にまとめた結果、主人公が対立している相手がはっきりせず、ストーリーが散漫になって楽しみづらかった。

続編が作られたことに驚きを隠せないが、舘ひろし新田真剣佑の活躍には期待してしまう。

 


3/5【5】

スネーク・アイズ』(ブライアン・デ・パルマ監督)を久々に観た。

昔観た時の記憶がかなり鮮明に残っていて、展開もほとんど覚えていた。

映画の中盤で事件の黒幕が明かされるのだが、そのタイミングが早過ぎる、と当時は感じていた。それまでに観てきた映画が、ラストにどんでん返しがあるタイプが多かったからだろう。

しかし、観直してみて、途中でジャンルが変わるタイプの映画だったのだと気づいた。序盤はミステリー寄りの映画なのに、中盤で観客にだけ事件の全貌が明かされて主人公VS犯人のサスペンスになり、終盤は犯人を知った主人公の葛藤と苦闘を描く人間ドラマとなっていた。

この終盤のニコラス・ケイジ演じる主人公・リックの葛藤が人間臭くて魅力的だった。だから、忘れられなかった。口汚く周りを罵りながら生活していて、不倫も汚職もしているクズ刑事が、犯人を知って「知りたくなかった...」と率直に後悔する姿が凄い。目を瞑る判断も提示されて迷いながら、半ば流されながら、最終的に主人公が決断をする様子がカッコ良い。ここに、ニコラス・ケイジの良さが出ていて、暴力性と情けなさを悲劇でも喜劇でもあるように魅せる上手さを感じた。

ラストの決闘が偶然に任せ過ぎていて、主人公の活躍が足りないような印象も受けたけど、この主人公はヒーローではないので、このグダグダな解決が似合っているのかもしれない。結局失墜する主人公の最後のセリフはその情けなさ含めてカッコよかった。取ってつけたようなラブシーンは安っぽかったけど。

エンドロールの選曲の意味がよくわからなくて、映画の雰囲気と全然合っていない感じがしたけど、味わい深い映像だった。最後の宝石のカットはどこまで暗示したかったのだろう。

映像は結構変わった撮り方も多くて、ホテルや部屋の上からの俯瞰の位置のカメラを床と並行移動させるやり方が多用されていた。『タクシー・ドライバー』の終盤を連想したが、舞台演劇っぽい演出だったのかもしれない。最初に長回しがあったりするのだけど、このカメラは誰の視点なのだろう。全体的には監督らしいサスペンスっぽい演出が多かった。

 


2021/1/4〜2022/2/7【4】

『クイーンズ・ギャンビット』をNetflixで観た。

第1話を観た後、何となく1年くらい放置してたのを一気に全部観た。少年漫画っぽい筋をメインストーリーにしつつ、現代的な問題意識を多く詰め込みながらエンタメ作品にしていた。特に「女であるだけで侮られる」(厳密には若い点も原因である)状況を上手く使って、主人公を侮る男達がバッタバッタとなぎ倒される姿が痛快だ。

単なる倒すべき存在だった男達が、次第に良きライバルとなり、最後には戦友のようになる、という展開も少年漫画っぽいのだけれど、それが性別を乗り越える点に、metoo以降のフェミニズム的な価値観の更に先の可能性を感じた。不足していたセルフケアを回復させるのがシスターフッドである、という描写も現代的だった。

しかし、ただメッセージやテーマ性が優れているだけでもなく、単純に映像も素晴らしかった。ハリウッド映画みたいなレベルの予算を感じた。

まず、美術セットが異常なクオリティで、世界各国の景色を楽しめるようになっていた。その素晴らしい背景の前に立つ主人公のビジュアルも負けず劣らず良くて、一貫したこだわりを持った素晴らしいファッションとヘアスタイルが、成長と共に変化していく姿を見るのも、とても楽しかった。

映像にもこだわりを感じることが多く、地味になりがちな対局シーンをどう面白く魅せるかにかなり腐心していた。チェスそのものを説明するのではなく、主人公や相手や観客のリアクションで状況を説明するやり方はとても上手かった。このやり方がテンポ良く映像を繋いでいた。チェスボードのように画面を分割して沢山の映像を同時に流したりしているのはかなり挑戦的だった。光の取り入れ方も美しく、陰影が綺麗に入っているシーンが多かった。

 


2/1【3】

バトル・ロワイヤル』(深作欣二監督)を久々に観た。

改めて見直すと、北野武の演技が恐ろしい。静かにしてても常に殺気がある。一方で、前田亜季と河原で語るシーンには北野映画っぽさがあった。北野武が殺気の裏側に持つ寂しさのせいか、監督に意図があったのか。それにしても、やっぱり最期の『死ななさ』は奇妙でもあったけれど。

山本太郎安藤政信は安定した演技力で強烈なキャラクターを表現していた。柴咲コウの殺人鬼っぷりも最高だし、栗山千明の信念のある殺意も良い。

そして、大人になって制作側を感じながら観ると、現場の壮絶さが伝わってくる。一瞬のワンカットのために水浸しで大量に死んでいる生徒達とか、撮るの大変そうだ。でも、説得力を持たせるために必要な労力だったんだとは感じた。原作を端折って2時間程度に納めるには、個別の死をなるべくちゃんと描きたかったんだろう。

 


1/17〜1/29【2】

『調査官ク・ギョンイ』(シーズン1)をNetflixで観た。

最大のネタバレを知った状態で見たが、十分に楽しめた。原作はあるのだろうか。エンディングのコミックっぽい表現から、韓国作品に多いウェブトゥーン原作なのかな、と考えていた。というか、原作が漫画じゃない限り、あのチープなCGを使ったエンディングを作る理由が無い。

脚本がよくできていた。細かい部分でおかしなところはあったが、全12話で一つの作品になるように、第1話から考え抜いた構成になっていた。その毎話引っ張るような展開と、連動するようにうまく色付けされた登場人物の魅力が視聴欲をうまく促していた。特に、主役のク・ギョンイと敵対するソン・イギョンは漫画的とも言えるようなデフォルメされた人物設定をされていて、二人の行動から目が離せなかった。この二人の関係性が毎話変わることで話を展開していく構造になっていて、そこがとても上手くて、見てて飽きない。

キム部長とヨンスクがビジュアルに反して怖いというギャップも上手かった。

オ・ギョンスが受け持っているコメディパートはちょっとノれない部分もあった。

音楽はドラマで見たことないようなシューゲイザーっぽい音楽を多用していて斬新だったが、意外と違和感は無かった。

演出も結構変わっていて、全く異なる場面を演劇の舞台演出を使ってまとめる映像や、ゲーム映像を織り交ぜて物語上の虚実を曖昧にする手法もあって、色々と挑戦的だった。

 


1/13【1】

スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホーム』(ジョン・ワッツ監督)を観た。

苦味のある終わり方を観て、登場人物が不憫でならなくて、ああ、このMCUスパイダーマンが本当に好きだったんだな、と実感した。強くても弱くてもかわいげがあるトム・ホランドのピーター・パーカー、今までに無い内気さを表現しつつも魅力的なゼンデイヤのMJ、コミカルだけど真摯にピーターを支えるネッド、そして、彼らが楽しそうにキャッキャッとしてる感じ。これらの終焉が残念でならない。

アクションもこれまで同様素晴らしくて、特に最終決戦が最高だった。スタート時のチグハグなチームワークを「何が起こってるかわからない」くらいに混乱しているアクションという表現で観客に説明した後に、それが整理された見応えのあるアクションに変わる。そうやってチームワークがバッチリになったことを表現するやり方はとても上手かった。

怖い大人描写と赤青の照明も健在。ウィレム・デフォーはまさに違うユニバースから現れたヴィランという感じで怖過ぎた。アニメで言えば、あの人だけ作画が違う感じだ。社会的なイシューは前作ほど露骨には取り入れていないが、『敵も救う』という姿勢は敵対する相手とどう向き合うか、と言う普遍的な問題への一つの回答であり、この映画で描いている困難さこそが現代社会の難しさを表していると思う。

また、今作に出てくるヴィランが全て事故によって生み出されている点は、この作品が性善説に立つ表明にも感じられた。

ドクター・ストレンジVSスパイダーマンのド派手CGアクションはIMAXで見て良かった。