2019年後半に観た映画類の記録

前半に比べて観た本数は減ってしまった。家で皆で映画を観る習慣が潰えたからだ。また復活する日は来るのだろうか。

 

2019年後半に観た映像作品を大まかに分類していく。

映画館で観た新作5本、映画館で観た旧作1本、Netflixオリジナルの映画1本、配信サービスで観た旧作1本、配信サービスで観た海外ドラマ2シーズン。

アメリカ制作の映画8本、アメリカ制作のドラマ2本。

 

あまりに偏っている。

アメリカ制作以外の映像作品を見ていない。女性監督の映画だって見ていない。残念だ。

2020年はもう少しバラエティ豊かに鑑賞していきたい。

 

以下、遡る形で記録していく。

ネタバレはしているので、注意。

 

 

12/31

スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(J・J・エイブラムス監督)を観た。

観終わって、新しさが感じられなかったことが衝撃的だったし、悲しい気持ちになった。ファンが作ったファンを喜ばせるためだけの映画に見えた。エピソード7にもその傾向はあった(ラジオ番組の『タマフル』で『過剰接待』というワードが飛び交っていて納得した)が、こんなにクリエイティビティが感じられないのか、と落胆した。

「ファンサービス総決算!」とばかりにエピソード4〜6の人気キャラ総出演だったが、それだけでファンは嬉しいんだろうか。そして、エピソード8が遺した荒地のせいなのかもしれないけれど、脚本が破茶滅茶でご都合主義的だった。フォースの能力設定は万能化とインフレが進んでいて便利過ぎるので、どんな展開になっても驚かなくなり、緊張感が保てない。レイの出自は再び血縁主義に捉われていて、前作の数少ない革新性の否定だと感じた。レイがダークサイドに陥るか否かの葛藤も、ある人物を殺すか否かという問いで作られていたはずなのに、最終的には有耶無耶になって終わって消化不良だった。カイロ・レンはどこまでも中途半端で、仮面を直したり被ったり脱いだりする意味がよくわからないし、レイに比べて大して強さも感じられないし、常に迷い続けている。その様子は、おそらく制作者の演出意図を超えて愛らしい。そこは、アダム・ドライバーの良さが功を奏しているのかもしれない。演出がうまくないと思うけど、彼の迷いにはアナキンのような切実さは無い。フィンは女性キャラクターみんなに思わせぶりで愛せない人物に成り下がっていた(観る前にsaebou氏が『オタサーの姫』と言っていたので、余計に意識してしまった)。スピーダーはまた細い道でチェイスしていたし、見たことが無い気候や文明の星も無かった。荒れる海での戦闘シーンは迫力があったが、他は必然性の無い動きもあって疑問に思うことが多かった。

そういえば、あのフラッシュみたいな映像はJ・J印だったのか。パンフレットを読むと、劇中で語られていない、もしくは、表現が足りていない設定やサイドストーリーがたくさん描いてあって、だから違和感があったのか、と納得した。

一つのコンテンツが役目を終えた。 

 

12/14

ゲーム・オブ・スローンズ』シーズン1を観始めた。

 https://www.amazon.co.jp/dp/B017S14BBW


10/12

ブルーサンダー』(ジョン・バダム監督)を観た。

スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』(三宅隆太)で著者の個人的な思い出と共に取り上げて解説していたので、ずっと気になっていた。本で読んだ際のディテールは覚えていなかったが、脚本はしっかりしてそう、という印象を持っていた。

息子にヘリコプターのすげえアクション見せてやろう、と一緒に見ていたら、思ったよりお色気シーンがあって焦った。大人が見る分には他愛もないレベルだったけど。

留守番電話を聞くシーンや録画されたテープのやりとりは、公開当時の観客なら初見でも直感的にわかったのだろうか。ギミックとして2019年の技術と乖離し過ぎていたせいか、自分にはなかなか理解しづらかった。

キャラクターの心情の変化はわかりやすくて、目まぐるしい展開にもあまり無理を感じなかった。ライマングッドの健気さは泣ける。

何はともあれ、最後のビル街でのヘリコプターの戦闘を盛り上げるために、それまでの演出はあった。大都市でビルの間を縫うようにして、ヘリコプターが飛び回る!ヘリVS飛行機とか初めて観た!ヘリコプターをカッコ良く見せるための映像と編集も良かった。スピード感が見事に表現されていた。コクラン大佐の捨て台詞「あとでな!」を使ったやり取りも、ベタだけど面白かった。その台詞や宙返りの伏線回収も含めて、1980年代のハリウッド映画らしい作品だった。

 
10/6

『ジョーカー』(トッド・フィリップス監督)を観た。

重い余韻が身体にずっと残っている。IMAXで観てよかった。

バットマンの宿敵であるジョーカーの誕生譚、というわかりやすい前提があるから、目も当てられないような痛々しさや怖さに意識を奪われても、物語が追える。

前評判で『タクシー・ドライバー』を参照していると聞いてしまっていたが、観ながら脳裏に強く浮かんでいたのは『キング・オブ・コメディ』だった。パンフレットに両方の記述があったので、納得した。映像のルックは前者に近いのだけど、物語構成は後者に近い感じがしていて、うわ、それはやめてくれ…という痛々しい行為を主人公がしてしまうところや、妄想が炸裂するシーンで、特にそう感じていた。

不穏な音楽が鳴り響く世界で、ホアキン・フェニックスが不安と怒りを溜め込んでいく。それにしても、彼のあの身体はただ痩せただけなのだろうか。革靴を柔らかくしているだけらしい所作で、あんなに恐ろしい背中を撮れるものなのか。

発端となる電車内のやり取りの演出も凄まじい。時々暗転する車内が煽る不安と、意識を攻撃へ転じた途端に相手を徹底的に追い詰めるアーサーの恐ろしさ。アーサーが疾走するシーンは繰り返し描かれるが、いつも焦燥感ばかりを煽られる。こんなに見てて不安になるダッシュも珍しい。

アーサーが階段にいるシーンも象徴的に繰り返されるが、ジョーカーが誕生した瞬間の階段のシーンは、後世に語り継がれそうなカッコよさだった。その感想は不謹慎にも思えるし、同時に、不謹慎という感想が起きること自体が作品の完成度を物語っている。

その後、警察から逃げるアーサーは群衆を利用していて、その振る舞いは俺のイメージしていたジョーカーそのものになっていた。群衆に抱き上げられる映像は、さながらキリスト復活の宗教画のようだった。

全編を通して、最悪のネットスラングの『無敵の人』という言葉が思い浮かんでしまう。この言葉はカッコよく聞こえるので、本当に良くない。ジョーカーがカッコよく見え過ぎるのも大丈夫なんだろうか。ラストショットもめちゃくちゃカッコいい。「クローズアップで観ると悲劇で、ロングショットで観ると喜劇」というチャップリンの言葉を端的に表現していると思った。

ホアキン・フェニックスは決して美しい役ではないのに、カメラがクローズアップで捉えると、虚ろなのに透き通った目も髭がうっすら生えてる頬も美しく見えて、それがまた恐ろしかった。彼の精神状態は大丈夫だったのだろうか。ジョーカーを演じることのハードルはどんどん上がっていく。その後、ライムスター宇多丸氏の映画評(宇多丸、『ジョーカー』を語る!【映画評書き起こし2019.10.18放送】)を聴いた。なるほど、そのレベルまで虚実を疑えるのか、といたく感心した。映画の魅力を増やす映画評だった。


9/11

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(クエンティン・タランティーノ監督)を観た。

やっぱり映画って最高、と思える最高の映画。

最近のタランティーノ作品にある、ハイスピードズームのインとアウトを連発するようなハイテンション過ぎるぶっ飛んだ映像は、最後のお楽しみ。

それにしても、ラストのあの徹底っした突き抜けっぷりは凄まじい。歴史を覆すには相当な力が必要ということであり、監督があの悲劇への激しい怒りを表しているということだろう。これに近い手ごたえとして、藤田和日郎のかわいそうな物語(『赤ずきん』など)への怒りとその物語の救済・改変を描こうとする姿勢を思い出した。

事前に知った『シャロン・テート殺人事件に関連がある』という情報は、この映画の見方にかなり影響を与えた。シャロン周辺の展開があるたびに、不穏さを感じ取り、心配になり、緊張状態が持続した。

それと、対比するように、ディカプリオとブラピが仲良くしているだけのシーンは、平和で、穏やかで、素晴らしかった。楽しそうに車で過ごす二人、泣くリック(ディカプリオ)を慰めるクリフ(ブラピ)、クリフに仕事をあげようとするリック。これはずっと観てられる。

強く印象に残ったシーンも多々ある。『ロング・グッドバイ』を彷彿とさせるような、クリフの犬へのエサやり。アンテナを半裸で直すムキムキのクリフの、「漢!」って感じのカッコよさ。プッシーキャットのあどけないかわいさと、大胆な脇毛。車を運転するシーンの多さと、乗りたくなってくる気持ち良さ。落ち込んで情けなく泣きじゃくるリック。うまく演技ができなくてヘコみつつ自分を鼓舞するリック。見事に名演技をやり切れた時のリックのあの表情。面白過ぎるブルース・リーのモノマネ。なぜかブルース・リーと戦うクリフ。映画づくりの楽しさへの愛がある監督の眼差し。劇中劇となるドラマや映画の異様な作り込み。スパーン牧場に丁寧に漂わせる不穏な空気。重さがちゃんと伝わってくるクリフのカッコ良いパンチ。クリフの黄色いアロハ欲しい!幸せそうに過ごすシャロン。いろんなifが頭をよぎるパロディ映像。ヒッピー達も普通の人間として描いていて、途中までは好意的に感じられる。

パンフレットで挙げていたように、タランティーノにとっての『ROMA』になっていて、映像から感傷を感じたし、今まで以上に個人的な映画だと思えた。

観てからずっと思い出し続けている。

 
8/12

『ブラック・クランズマン』(スパイク・リー監督)を観た。

観客を煽り、覚醒を促すような攻撃的な映画だった。スパイク・リーの真骨頂。

その日は、観るまでに疲れていたのと、説明の情報量が多かったせいで、序盤でウトウトしてしまった。主題の説明シーンが終わってしまえば、スパイ映画っぽい「潜入がバレるかも」という緊張感と、人種差別をネタにしたギャグの連発で、眠くなる時間は無かった。もっと英語力や英語圏の文化がわかれば、より楽しめただろう。

差別主義者達が差別をする理由には論理性が感じられず、愚鈍あるいは醜悪に描かれていた。ギャグのようにすら見えるのが悪夢だった。

全てが終わって、差別主義者をみんなでやり込めるシーンのリラックスした多幸感が忘れられない。あの瞬間、差別が無くなるような理想の世界が夢見られる。しかし、すぐにそれは脆くも崩れ去る。

実話ベースゆえに、ラストに突きつけられる悲惨な現在の状況が辛い。 

 
8/10

ライオン・キング』(ジョン・ファブロー監督)を観た。

途中から「あのアニメを実写っぽいCGでやり直すという企画自体に無理があったのでは…」という気持ちで観続けた。

まず、動物達の喜怒哀楽の表情が読み取りづらい。怒り以外の表情はかなり同じに見えた。リアル路線での動物擬人化には必ず生じる問題だろう。

次に、キャラクターの描き分けの難しさも感じた。リアル路線ではアニメ的デフォルメも無いので、ライオンは似たり寄ったりに見えた。特に、ナラとシンバの母の違いはよくわからなかったし、暗いシーンではみんな区別がつかなかった。更に言うと、戦いのバリエーションの無さが辛かった。四つ足の動物は前足で抱え合うしかないのだろうか。あれは監督の魅せ方の問題もあったかもしれない。

物語自体について言っても、ハクナ・マタタのシーンが、後にシンバの成長にあまり関わってないような無駄な時間という扱いを受けていて、その物語的な繋がりの無さには違和感を覚えた。

また、草食動物と肉食動物がどのように共存しているのかも謎だった。アニメでは気にならなかったのに、リアル路線ゆえに違和感が強調されたようだ。国家が存在するならば、なおさら狩りの様子が知りたかったが、ディズニーアニメでは無理だろう。もしそれを描くのであれば、『動物農場』みたいになりそうだ。


8/2〜8/8

Amazon Primeオリジナル『ザ・ボーイズ』(シーズン1)を観終わった。

とにかく先が気になって一気に見てしまった。『ダークナイト』『アベンジャーズ』を経て、「ヒーローがいるからヴィランがいる」「ヒーローも人間的な一面がある」という流れを産む「ヒーローとは何か」という問いを突き詰めていった強烈な傑作。

普通の人間が超人に立ち向かう姿は定番だけれど、やっぱりめちゃくちゃアガる。『AKIRA』における金田や、ジョジョ4部の川尻早人の戦いを思い出す。

ヒーロー達は超人的な力を持っているが、あくまで力を持っていするだけの人間に過ぎない。その力に人間性を狂わされている様子は多少誇張されているかもしれないが、容易に想像できる。

「現実にヒーローが存在するなら本当はこんなクソ野郎だろう」から第1話が始まるが、そこに徐々に企業や政治の思惑が絡んできて、作品として社会の映し鏡となっていくのは、マーベルシリーズに近い(ヒーロー達のキャラクター造形は『ジャスティス・リーグ』に近いが)。

その過程を飽きさせないような見事な展開の連続でテンポ良く描く。基本的なトーンはコメディ寄りだが、思い切った性描写やゴア描写を効果的に使っていて、あっと驚く展開も多い。漫画のページをめくったら衝撃的な見開きが待っていた、という感じの映像も多い。主人公側の人間よりヒーロー側の方が掘り下げて描かれている場面が多くて、そのバランスも面白い。

主人公は至って普通の人間で、そのチームのメンバーはただのアウトローという感じで、彼ら自身より、彼らの冗談を交えたやり取りが魅力的に描かれている。

その結果、一番気になるキャラクターはホームランダーとなった。まんまとこの先が気になる状態になっていて、次のシーズンが楽しみ。

 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07VBJYC24/ref=atv_dp_b07_det_c_Z0r2A3_1_1


7/16

Netflixオリジナル『FYRE:夢に終わった史上最高のパーティー』(クリス・クロス監督)を観た。

史上空前の大失敗に終わったフェスを始まりから顛末まで描くドキュメンタリー。

邦題にもわざわざ説明を入れているので、おそらく『失敗したフェスの話』という事前情報無しに観る人はほぼいない。その前提の上で見ていくと、ほぼ時系列通りに描かれていくので、開催日までのカウントダウンが怖くて仕方ない。最初からおかしい感じはあるのだけど、小さな違和感が徐々にとてつもないカタストロフィーに向かう様子が、もはやホラーだった。

フェスの主催者の現実無視っぷりはサイコパスの域だった。スマートフォンの画面しか見ていないのだろうか。観ながら、うわー、という声が何度も漏れた。そして、フェイクニュースなどもそうだが、結局、言ったもん勝ちになる仕組が問題だった。『誰とでも繋がれる』技術の進歩の結果、とにかく多くの数にアクセスできるので、数打ちゃ当たるの詐欺が成功しやすいようだ。

また、参加者達がSNSでフェスの情報を得て、SNSに載せるためにフェスに行くという様子の奇妙さが描かれていた。ディストピア的なSNS奴隷のように見えるが、実際に多数の来場者が来てしまったのだから、このSNSマーケティングの有効性は間違い無い。

ITは世界を変えたが、良く変えた部分と悪く変えた部分のどちらが多いのだろうか?

このドキュメンタリーは、ITが虚業の爆発的成長をもたらしてしまうという一例を告発している。『この情報がどう見えるのか』と『この情報をどう受け取るのか』が争う変な時代だ。

このフェスが炎上を意味してそうなFYREというタイトルだったことも含めて、全てがフェイクドキュメンタリーである可能性を、完全には否定できない。

全ての情報に半信半疑な状態でしかいられないのは、健全とも思えないが、果たして。

https://www.netflix.com/jp/title/81035279


2017/11/6〜2019/7/11

Netflixオリジナル『ストレンジャー・シングス』(ダファー兄弟製作総指揮/シーズン2)を観終わった。

途中、間が空いてしまったが、どうにか最後まで見られた。まだまだ最高。

シーズン1も多くの名作映画を参照している感じがあったけど、シーズン2は特定の作品というよりはより広範囲のジャンル映画を参照している気がした。話数が進むにつれて、全体の基礎的なテイストが、『スタンド・バイ・ミー』や『E.T.』っぽいギャング集団的な少年期の映画から、登場人物達の成長に合わせて『アメリカン・グラフィティ』や『フットルース』的な、恋愛要素も交えた青春映画にシフトチェンジしていくのが面白かった。シーズン2では、そのベースの上に『エイリアン』的なホラー演出やパニック演出を足していく場面が多かった気がする。

そして、相変わらず脚本が素晴らしい。ちょっと伏線が読める展開もあったが、わかっていてもグッとくる演出が多かった。最も素晴らしいと感じたのは、各キャラクターに主演映画がありそうなくらいに物語を感じさせる演出だった。いろんな映画がユニバースで繋がって、このドラマで合流した、と見える瞬間があった。スティーブを応援したくなる日が来るとは思いもよらなかった。話のスケールが大きくなり過ぎそうで心配だけど、シーズン3も観ると思う。

https://www.netflix.com/jp/title/80057281


7/7

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(ジョン・ワッツ監督)を観た。

スパイダーマンの実写化の中で一番良かった。

しかし、それはスパイダーマンの物語がMCUの中にガッチリ組み込まれて、ドラマ性がメチャクチャ増幅されていたからでは、とも思う。『アベンジャーズ/エンドゲーム』以後のアイアンマンの喪失とどう向き合うのか、という主題は、これまでのアイアンマンの出ていた作品を知っていれば、より感情的に鑑賞できるという仕組になっている。

アイアンマンへの感傷を抜きにすると、今作ははっきりとスパイダーマンことピーター・パーカーの成長物語として描いていて、その巧さと感動を呼び起こす強さは前作『スパイダーマン:ホームカミング』の比じゃない。

恋愛にオクテで、スパイダーマンじゃなければ、普通の傷つきやすいティーンエイジャーのピーター・パーカー。それをトム・ホランドは甲高い声で、チャーミングにコミカルに、時にシリアスに演じ切っていて最高だった。特に、シリアスな場面の表情に現れる苦みのある哀愁は、大人への成長を予感させる。脚本自体がピーター・パーカーの様々な表情を多面的に引き出すように作られていた。

一方で、MJも前作に比べて格段に魅力的に描かれていた。前作ではリズというキャラクターを引き立たせるために、暗いことばかり言う陰気なキャラクターの部分だけを見せていたが、今回はそのキャラクターの本質的な部分は変わっていないのに、周りからの評価が上がって魅力的に見える、という不思議な描き方になっていた。また、前作から仄めかしていたピーター・パーカーを想う様子が大胆になっていたので、より可愛らしく見えたのかもしれない。それは、ゼンデイヤが本来の魅力を少し開放したのかもしれない。

その上で、ピーターとMJの恋愛模様もちゃんと描いていたのが良かった。

エンドゲーム以降の作品で、悪役をどう設定するのだろう、と言う問題は感じていたのだが、スパイダーマンらしいところに落とし込んで、スケールアップさせ過ぎずに楽しめるアクション盛りだくさんに出来たのは、ジョン・ワッツ監督の手腕なのだろう。

観たことがないほど立体的に躍動するスパイダーマンには驚愕した。

途中の幻想地獄のシーンも衝撃的だった。日本のマンガや『パプリカ』などでしか見たことがなかったような、超先鋭的な映像表現で、現実と仮想現実の区別がつかないという恐ろしさを存分に実感できて、凄かった。

そして、嘘が現実を歪めるという構図は、ポストトゥルースフェイクニュースのような現実の問題をエミュレートしているのが、脚本的にもやはり素晴らしかった。監督特有の『怖い大人』表現も健在だった。