2023年後半に読んだ本の記録

作品との出会いに偶然は無く、すべては誰かのレコメンド。そこからは逃れられないのかも。全てが仕組まれている、とまで考えれば陰謀論につながりそう(聴いてください、tofubeatsで『陰謀論』)。

tofubeats - 陰謀論 (CONSPIRACY THEORY) - YouTube

 

もちろん、その推薦力に濃淡はある。

SNSでの誰かの言葉、本の帯にある推薦文、新聞やwebの書評、友人のオススメ。これらの推薦力は強い。

しかし、書店に並んでいるだけの商品だって、その書店か取次が売れ筋=オススメとしてぼんやりとうっすらとセレクトしたものなのだ。

その意識に絶望すれば偶然の不可能さを感じるし、希望を持てば「書店は大事だ、出会いに感謝だ」と思えるだろう。

陰謀論に陥るかもしれないし、ノイローゼかもしれないが、とにかく俺は2023年に18冊だけ本を読んだらしい。

 

8/22

『奇奇怪怪』を読み始めた。

 

 

12/15

『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸)を読み始めた。

 


12/1〜12/10【18】

『そして5人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノート』(作:はやみねかおる/絵:村田四郎)、読了。

いろんな人の読書遍歴を知ると、ミステリーから読書に目覚める人は多い。そのように、ミステリーが読書に夢中になる入り口となっていることを、はっきりと感じたくて手に取った。

児童書に分類されるミステリーだが、普通に本格的で素晴らしい作品だった。大きな謎とその解決を描きながら残酷なシーンが無い、というその難しいラインを綺麗に攻めている。物語の推進力に使う謎に、暴力表現を含まずに緊張感を出していることが凄い。あとがきまで読んで著者が教師だったことを知ったけど、随所に見られる子供達への優しい眼差しは、その背景を知ると納得しやすかった。子供には自由に楽しく過ごしてほしいし、大人は子供の自由を奪ってはいけない、という思想があった。

夢水清志郎と三つ子のキャラクターも生き生きとしていて良い。特に、夢水清志郎が個性的かつ優秀な探偵である点が魅力的だ。この無気力に見える姿勢にはフォロワー達がいる気がする。シリーズ化するのもうなずける。

 


9/13〜12/1【17】

『編集の提案』(作:津野梅太郎/編:宮田文久)、読了。

津野氏が70年代後半から書いてきた本の『編集』に関わる文章をまとめた本で、2023年でも「編集とは何か」を考えるための手がかりとなる。津野氏の常に編集という行為を根本から見直すような姿勢が、現代にも通用し得る要因だろう。

この本はハウツー本ではないし、「編集とは何か」という問いに答えをくれるわけでもない。

あとがき的鼎談でも編者が指摘していたが、『テープ起こし』に編集行為の真髄を感じている、というような話が衝撃的。現代ではこの行為は編集作業の瑣末な部分でしかなく、かなり軽視されているだろう。この指摘は新しい視点をくれた。

また、出版という産業が始まった当初は、写植・デザイン・編集・印刷という工程の境界が曖昧だったという話も、言われてみれば納得できる一方で、あまり考えたことが無い新しさがあった。編集とは何か。情報を見やすく整理する行為?整理することで情報に新たな価値づけをする行為?いや、まだ可能性がある気がする。web全盛の時代に変容する『編集』の意味を感じて生きたい。

編集の提案

編集の提案

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9/10〜10/25【16】

『言葉はなぜ生まれたのか』(岡ノ谷一夫)、読了。

図書館で推されてて面白そうだったので、息子が読むかな、と思って借りたが、読んだのは私だけだった。無念。読み終わるまで1ヶ月以上かかったのは、何度も借り直して読んだから。大事な話が書かれているような予感がしていたから。頑張れば1時間くらいで読み終われる気もする。研究論文を子供向けに咀嚼して書いた内容で、大人も読める射程の広さを感じた。

 


10/14〜10/16【15】

『うどん陣営の受難』(津村記久子)、読了。

一気にさらっと読めた。とある会社での代表選挙をめぐるドタバタ劇という感じで、現実に近い世界が舞台のはずなのだけど、そんなにリアルな印象は無かった。それは悪いことではない。政治的なやりとりをデフォルメした結果なのかな、と感じた。

基本的に自分たちの陣営に人を引き入れるために汚い策謀を巡らせる人々と、それにどうにか抗おうとする人々の話で、主人公はその抗おうとする陣営にいる。その陣営はうどん好きという共通点だけで連帯している中庸的な集団なのだが、とにかくうどんを食べまくる。人間関係のドロドロとした話になりそうな瞬間が、そのうどんを啜る姿で緩和される。うどんをズルズルと啜る様子は、どうしても人間臭く見えて滑稽だ。その混ぜ方が上手い。

ラストに大きなカタルシスも無く、ホッとすると同時に現実で起きている事態にも意識が向き、ため息が出そうになる。

この本は、200P前後の中編が載っていて、100分で読める本というコンセプトになっている。箔押しをしていて目は惹くものの、ペーパーバック的な簡易な体裁になっていて、価格も含めて手に取りやすい。この手軽さを売りにした新たな試みで参入を果たしたU-NEXTには感心した。

 


7/29〜9/12【14】

『三体0 球状閃電』(作:劉慈欣/訳:大森望、光吉さくら、ワンチャイ)、読了。

『三体』のスピンオフ感薄い!前日譚だけど、あんまり関係無いじゃん!騙されたよ!

とは言っても、さすが劉慈欣。読ませる力が強い。球電という現象が現実に存在するのかどうか、を極めて微妙に感じながら読むことになるが、その現実へ侵食する感じは『三体』とも少し違った。『三体』よりも風呂敷の大きさは小さくて、まとまりが良かった。

 


6/28〜8/22【13】

『仕事でも、仕事じゃなくても 漫画とよしながふみ』(よしながふみ)、読了。

インタビュー形式でよしながふみのこれまでの作品を振り返る。読むと、読み逃してる過去作が読みたくなる。読んでいる間に3冊くらい買い足してしまった。

ルーツに『スラムダンク』のBLがあると知って、羽海野チカと一緒じゃん、と思ったら対談してる本があったので、すぐに買った。BLに詳しくないが、彼女の作品が王道ではないという話は理解できた。だから、門外漢の俺にまで届いているのだろう。

よしながふみが自身のルーツと言えそうな生育環境や幼い頃の様子にまで言及しているのだけど、よしながふみは昔からよしながふみであった、という事実は納得できた。作品からそれくらい熟成した思考を感じる。再確認したが、俺は著者が描く心の微細な表現にずっと惹かれているんだな。

 


6/13〜7/27【12】

『肉体のジェンダーを笑うな』(山崎ナオコーラ)、読了。

現実よりも性差が少なくなろうとする世界を、SF的に現出する短編集。総じて、現実で時々見かける残念なジェンダーロールあるあるを炙り出し、我々がどのように乗り越えれば良いか、という問題提起となっている。

一つ目の『父乳の夢』は、『男性も身体的に乳幼児に乳を出せるようになったら』というシミュレーションSF。父乳を出すことになる主人公の男性が全然好きになれなくて、不思議だった。彼はジェンダー平等の意識が高く、積極的に育児をやりたい人間に見えるのだが、それがなぜか妻と競って育児競争をするような意識にすり替わっているところがあった。そこが自分にも思い当たるので居心地が悪かったのかもしれない。その意識はホモソーシャルな社会で育んだものかもしれない、と思い当たった。最後に主人公が気づきを得て、少しだけ変化できた点に希望を感じた。

『笑顔と筋肉ロボット』は強力にジェンダーロールが根づいているために、無かったことにされてしまう女性の忍耐の話だった。その問題の大小に関わらず、誰かが誰かの自由意志を奪う状況はやはり良くない。これもほんの少しだけラストに希望を見せてくれるが、社会が抱える苦しい状況を読者に共有するまでに留めている。

『キラキラPMS(または、波乗り太郎)』は今回の短編集で最も変な作品で、現実からは一番距離があるSFになっていた。この世界でのジェンダーの揺らぎ方も、現実を超越する現象の起こり方も、とても不思議な描写になっていた。この主人公のジェンダー意識がかなり微妙なのだけど、同時に、仕組みとしては日本に根づきそうな予感もあって面白かった。彼は自分の偏っている意識は変えずに、社会が要請するジェンダー規範に合わせていた。社会が良くなるという結果が得られるのなら、この手段も正当化されるべきなのだろうか。奇妙にアンバランスなジェンダー意識の主人公が、PMSになる姿はとても変だった。

『顔が財布』は超短編ルッキズムにNOである前提で、設定を少しだけ未来にして、顔がそれ自体に価値があると考えられるとどうなるか、というシミュレーションをしていた。そうして別の視点から自己肯定感を作るという考え方は、差別に耐えるの一つの術にはなり得るだろう。差別に耐えなければならない社会であることは諦めるしかないのか。