2021年後半に観た映画類の記録

やっぱり『邦キチ!映子さん』の池ちゃんはすごいよ。年間85本なんて観れたことないもん。

https://twitter.com/hokichi_eiko/status/1441238710738116608?s=21&t=3jXVZE8_mNK4HPgLM29Tng

というわけで、遡る形で記録。

 

11/7

イカゲーム』をNetflixで観始めた。

が、1話で止まってしまった。自分がデスゲームにあんまり興味が無いことに気づいたが、続きは見られるのだろうか。

 


12/27【45】

『劇場版 呪術廻戰 0』(朴性厚監督)を観た。

ここぞという場面でケレン味たっぷりに動きまくるアクションがたくさんあって、見てるだけで楽しかった。手描きアニメーションによるアクションの最高峰だった。

エンドロールを観て関わってる人数の多さには驚くが、よく考えれば納得。一番良かったのは、やはり最後の乙骨と夏油の一騎打ちで、乙骨が飛びかかるシーンにピッタリ合わせたギターの音とか大爆笑した。

原作をベースにしつつ、めちゃくちゃアクションが足されていて、後のコミックスで出てくる奴らも大活躍していて、サービス精神が旺盛だった。そのサービス精神のせいかもしれないけど、乙骨はちょっと碇シンジ過ぎたのでは...。緒方恵美を起用した時点で寄せてるけど、「逃げちゃダメだ」みたいなセリフもあったのは、やり過ぎだと感じた。

 


11/27〜12/25【44】

ホークアイ』(シーズン1)をディズニー+で観た。

MCUの最古参ヒーローの一人であるホークアイの初単独ドラマシリーズ。今まで地味な扱いを受けていたので意外だったのだが、制作にかなり気合が入っていて、予算もかかっていたし、MCUの展開に関わる非常に多くの要素を詰め込んでいた。

『インフィニティ・ウォー』〜『エンド・ゲーム』間に犯した罪の清算、後継者への継承、ナターシャを助けられなかったという事実からの復讐、という問題を解決しつつ、超能力を持たないヒーローの苦悩や葛藤を、これまでのMCU作品よりもリアルに細かく描く。

クリスマス公開を前提にしたドラマシリーズになっているのも面白くて、クリスマスツリーやパーティーのシーンが作るホリデームードな美術は観てるだけで気分が高揚した。

そして、過去の名作へのオマージュかな、と思わせるシーンも多々あって、トリックアローを作るシーンは『ホーム・アローン』でケビンが悪巧みしてるシーンにも似ていたし、鮮やかなネオンが光る中でクタクタになってる大団円の場面は『ダイ・ハード』を彷彿とさせた。

第3話のカーチェイスのシーンには、ドラマシリーズらしくない映像へのこだわりを感じた。長回しで興奮と集中を持続させながら、ホークアイとケイト・ビショップの出来たてでチグハグなバディ感も表現するアクションはとても楽しかった。

 


11/16【43】

『シャン・チー テン・リングスの伝説』(デスティン・ダニエル・クレットン監督)をまた観た。

家族に付き合って家で観直してみると、終盤は『仮面ライダー ヒーロー大戦』くらいの感じだった。映画館の迫力を削がれるとこんなもんになってしまうのか。残念だった。前半のサンフランシスコのバスアクションとマカオの足場アクションは、やっぱり最高だった。

 


11/14【42】

『エターナルズ』(クロエ・ジャオ監督)を観た。

夜明けと夕暮れ、そして、雄大な自然を背景とする映像が多くて、これが監督の作家性を象徴する映像美なのかな、と感じた(『ノマドランド』を観てないのが残念)。

夜明けの中での戦闘シーンや、大自然の中で神話さながらに戦う姿には、これまでのMCU作品になかった新規性を感じた。そして、とにかくロケーションの場所が多くて、地球の美しさを捉えた映像が飽きさせなかった。

登場人物達も非常に魅力的にキャラ立ちしていた。エターナルズだけでも10人もいるのに、はっきりとした描き分けがあって似た人はいなかったし、映画オリジナルで付加された多様性も面白く作用していた。マッカリの足の速さの表現もカッコよかった。キャラクターの魅力を伝えるために、各コンビのやり取りで魅せるやり方も上手くて、その関係性自体が多様なあり方をしているのも凄かった。彼らの示す親密さの演技がどれも絶妙な空気を作っていて良かった。その中でも、セルシとイカリスのラブシーンには衝撃を受けた。子どもと見に行くので年齢制限等を調べた時、海外の基準でPG13となっていたのだから、もっと警戒すべきだった。日本の劇場での表記にはPG12とか無かったと思うのだが(まあ、『万引き家族』がPG12くらいなら制限は付けないか)。しかし、PG12がついていても、警戒しなかっただろう。ディズニー傘下の作品だし、アメコミ映画だし、主役は地球人じゃないっぽいし、という思い込みがあったからだ。実際には、明らかにセックスとしか思えないシーンがあった。目を疑った。これもMCUでは初めて踏み込んだ描写と言えるだろう。削ればPG13もつかなかったかもしれないので、あのシーンは監督の強いこだわりだったのだろう、と推測した。

マ・ドンソクの華々しいハリウッドデビューにふさわしい作品だった。

他の人の指摘を見かけて納得したが、確かにイカリスのホームランダー感はヤバかった。

7000年前から英語使ってんのは笑った。

poplife the podcastでも言及されていたが、途中で『サイボーグ009』も連想した。

 


11/9【41】

『TENET』(クリストファー・ノーラン監督)をまた観た。

家で観ると、IMAXの魔力が剥がされて愛すべきバカ映画っぽさが増していた。何度も爆笑した。歩きながら様々な説明を処理する映像には、集中力を保てなかった。そのせいでストーリーはさっぱり追えなかった。逆行の映像の原初的な楽しさを家族でツッコミながら観るのは楽しかった。ジョン・デイビッド・ワシントンの華やかさ、彼のスタイリングのキメキメな感じ、ロバート・パティンソンのカッコよさ、エリザベス・デビッキの世界に溶け込まない美しさも再確認できた。

 


11/1【40】

ザ・ロック』(マイケル・ベイ監督)を久々に観た。

20年ぶりくらいだろうか。ニコラス・ケイジにドハマりしたキッカケになった映画の一つ。無駄に周囲を破壊するカーチェイスと無意味な爆発に爆笑。ものすごい揺れとブレとズームインで勢いを表現するカメラに驚愕。

アオリながらぐるーっと回るカメラを見て、「あ、マイケル・ベイっぽい(『バッドボーイズ』の予告編で見かけたような)!」と初めて気づいた。

冷静に見ると結構変な映画で、脚本が変わった作りをしていた。まず、オープニングからして変わっていて、一応の敵役であるフランク准将の視点で始まり、彼がテロを起こすためにVXガスを強奪する場面とアルカトラズを占拠する場面を丁寧に描いている。このシーンは物語の展開と同時に敵キャラクターの説明にもなっているのだけど、まるでフランク准将が主役のような扱いだ。そして、准将と全然関係無さそうなタイミングで、主役らしきニコラス・ケイジ演じるスタンが入ってきて、彼の説明となる事件を描いた後にショーン・コネリー演じるメイソンも登場し、全てがアルカトラズでの決戦に収束していく。こんな風に映像の主役が目まぐるしく移り変わるので、見てて飽きないが、ガチャガチャした印象にはなった。

今回、「なんでニコラス・ケイジが好きになったんだろう?」と改めて観察していてこのキャラクターのおかしさに気づいた。彼は科学の専門家であり、デスクワーカーのはずである。そのため、アルカトラズの命懸けの現場に出ることになると、怯えたり嘔吐したりする。でも、彼は爆弾の解体のようなハードな現場でも働くし、スポーツカーを超高速で乗り回してカーチェイスもできる。この性質の矛盾を、ニコラス・ケイジは理不尽な現場のせいでクレイジーになっている人として振る舞い、とにかくキレ続けるという演技で解決していたのだ!そして、当時の俺はその怒り方に惹かれた。

実は脚本自体には緻密な描写があったことにも気づいた。フランク准将率いる部隊の人間関係は最初から歪なのだが、実はそれが一緒に従軍した経験の有無で別れている。彼らが合流したタイミングでその説明をしていた。また、スタンの恋人がサンフランシスコに来る展開と、メイソンの娘がサンフランシスコにいる展開の意味にも初めて気づいた。このコンビがアルカトラズで戦うための動機を作ってたのか。意外と練られた脚本だけど、マイケル・ベイの大雑把な感じとニコラス・ケイジのやり過ぎな感じでそれを感じさせなかったらしい。

相変わらず最高だった。

 


10/28【39】

『DUNE/デューン 砂の惑星』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)を観た。

池袋のIMAXレーザーGTで観て良かった。ド迫力!同じ池袋のIMAXレーザーGTで他の映画を観たことがあるが、こんなに映画の中に入れているような心地がしたのは初めて。IMAXの特性を充分に理解した映像になっていた。砂とシャラメとゼンデイヤの美しさを堪能した。シャラメの計算され尽くした前髪!ゼンデイヤが出るたびに画面がIMAXサイズになるのも笑った。

莫大な予算を使ってるのがわかるのだが、ギリギリでアート映画の域に存在していた。地球で撮ったとは思えないくらい徹底して砂漠だった。美術もいちいち最高で、城は巨大過ぎて存在感が凄かったし、スティルスーツはカッコ良過ぎた。

そして、おそらく原作には難解な設定がたくさん付与されているんだろう。その世界観に浸っているうちに、映画の外にある沢山の設定にも興味が湧いた。シールドという設定も面白い。GANTZのスーツみたい。戦闘時に銃器が出て来なかった気がするのだけど、それはどういう理由なのだろうか。みんな短剣っぽい武器で戦っていて、見てる分には面白いが、理屈が気になった。

途中からパラレルワールドの『スター・ウォーズ』を観ているような気分になったのだけど、『DUNE』の原作自体が『スター・ウォーズ』に影響を与えているのだろうか。それとも、今作が『スター・ウォーズ』から影響を受けてるのだろうか。砂の惑星という舞台、サンドワーム、精神操作系の超能力の存在、敵が皇帝、仲間がほぼ全滅で王の後継者だけが生き残る点、他の種族の力を借りる点、などに共通点を感じた。

それと、砂漠の舞台やメカニックのアイディアなどは『風の谷のナウシカ』にも影響を与えてそうだった。他にも『自分が選ばれし者なのか』問題も共通していたけど、これはハリー・ポッターなどにも見られる普遍的なテーマだろう。

めちゃくちゃ途中で終わるのは驚いたが、PART2であの体験をもう一回できるのはめちゃくちゃ楽しみ。

 


10/21〜10/28【38】

『イントゥ・ザ・ナイト』(シーズン2)をNetflixで観た。

前シーズンはまだキャラクターとストーリーのバランスが考えられていたが、今シーズンは途中から後先考えずに進め過ぎてる脚本に思えた。約30分に納めるという制約で説明の足りてない部分もあるかも。今更気付いたけど、ところどころ、『LOST』に似た作りだ。今回の脚本はクリフハンガー要素が強くなり過ぎている。最後の数分でどうやって次の話に興味を持たせるか、に全力を注いでいるために、キャラクターの行動が能力や性格を逸脱するシーンが多く感じられた。ホルストはこんなに天才だったっけ?そもそも、こんなに都合良くオールジャンルの科学に詳しいんだっけ?あれ?なんであの人は発砲したの?などと細かく疑問が湧くことがあった。

一方で、シーズン2から活躍したキャラクターは個性豊かだったが、愛すべきキャラクターはいなかった。シーズン1のキャラクターを妨害する目的で配置された人物が殆どだったからだろう。テアもヘラルドもジアも二人をメインとする総体としての兵士も、みんなそんな感じだった。ホルストのエピソードが特にそうだけど、兵士が有害な男性性を表象しているのは印象的だった。世界的に扱うべき問題なのだろう。

他の重要らしいモチーフとして『開かない扉』があった。非常に頻発していて、1話につき1度くらいのペースで『開かない扉』が出てくる。何か意図があるのかもしれないとは思ったが、閉塞感や手詰まりの強調以外の意図は、正確にはわからなかった。

また、回想シーンの挿入などは非常にわかりにくくて、映像的にもっとうまく処理できそうな気はした。とにかくクリフハンガー部分がよく出来てて先が気になるのは間違いないけれど、なかなか辛いことになってきた。

 


9/29〜10/12【37】

『セックス・エデュケーション』(シーズン3)をNetflixで観た。

いやー、相変わらず良かった。今回はこれまで以上に脚本が緻密に練られていた。

まず、問題となる要素の量が尋常じゃない。ジーンの妊娠問題とそれに伴う家庭の在り方、エリックとアダムの関係、アダムの両親の揺れ動く状況、オーティスとルビーの関係、ジャクソンとキャルの関係、エイミーの男性へのPTSD問題、メイヴとアイザックの関係、メイヴの母と妹の状況、メイヴの留学問題、オーラとリリーの関係、新校長ホープが持ち込んだ学校の刷新とその影響、そして、オーティスとメイヴの関係。これらが複雑に絡み合った結果、毎話ミリ単位で人間関係を変えながら、物語を進めていく。

流石に要素が多過ぎて、前シーズンの話とかはどうなっちゃったんだろう、という気持ちもチラつく。元カノ元カレも多過ぎて、この人は今どう思ってるんだろう、みたいな描写が無いのも少し気になった。この中では、ルビーがとても可愛く描かれていたのが意外だった。シーズン3にして、急に人間味を帯びて魅力的だった。

それでも、シーズン2までの人間関係の積み重ねを感じられた。全体的に、有害な男性性への言及が多かった気がする。オーティスとアイザックが男らしさを競ってしまうシーンとか、アダムの父がその父から植え付けられた男性性の話とか。さらに言えば、対話を見どころにする演出が増えていた。前シーズンまでならクライマックスに持ってくるであろう一般公開日の話を、最終話の一話前に持って来てるのも驚いた。生徒達を無理矢理服従させようとする校長への爽快なこの反抗に、大きな代償が伴ってしまう展開は、これまでに無い後味の悪さだった。

それでも、そろそろ次で終わった方が良さそうな気がした。単純に、キャストが高校生に見えなくなってきた。高校が終わった後の彼らの人生も見守りたいけれど。

エピソード5の修学旅行の話は、これまでのシーズンと合わせてもベストだったかもしれない。くだらな過ぎてめちゃくちゃ笑う出来事の後に挟み込んでくる、強烈なラブロマンス。

 


8/29〜9/12【36】

『ザ・チェア 〜私は学科長〜』をNetflixで観た。

30分×6話というサイズも含めて、2021年らしい作品だった(しかし、このサイズだと2時間の映画にする選択肢もあったのでは)。

キャンセルカルチャーを物語の主軸にしているが、同時に人種差別や性差別の問題をリアルに描いている。主人公は韓国系アメリカ人の50代女性で、彼女がとあるアメリカの大学の英文学科の学科長になったところから話が始まる。数年前だったら、「彼女がいろんな差別の問題に立ち向かいながら学科長になるまで」を描いたかもしれない。もっと前だったら、主人公は黒人で男性だったかもしれない。時代の進歩は目覚ましい。

キャストの中には見覚えのある人が多かった。

アメリカという舞台で韓国やメキシコの文化などに触れる時間もあって、異文化交流もサブテーマになっていた。それらも含めて、沢山の社会問題を扱う部分はどれも薄味に感じられた。登場人物が動くと、背景にある社会問題がグッと前に出てくるのだけど、それらが問題性の提起に留まっていて、どれも解決に向かわない。それはそのまま社会を映しているのかもしれないが、フィクションであることの意味の放棄にも感じられた。

メインとなるキャンセルカルチャーの問題には一応の決着があったが、やはりスッキリはさせない。この問題は、肯定できる部分と否定できる部分が分離できない状態にあって、それがそのまま作品に表出されていた。それで良いのだろうか。

それにしても、デイヴィッド・ドゥカブニーには笑った。また変な役を受けたもんだ。

 


9/9【35】

『シャン・チー テン・リングスの伝説』(デスティン・ダニエル・クレットン監督)を観た。

アクションが最高!特に序盤。カンフーアクションとアメコミ映画の折衷として素晴らしかった。ハリウッド製カンフー映画を参照しつつ発展させたようなシーンもいくつかあった。ビルの外壁に組んである不安定な足場でのアクションは『ラッシュアワー2』を思い出したが、横スクロールのゲームみたいな設定に多彩なアクロバットを足していて見応えがあった。ター・ロー村での群衆戦闘シーンでは、数人の兵士が掲げた盾の上を駆け上るシーンがあって、『レッド・クリフ』を思い出した(他にも『グリーン・ディスティニー』っぽいシーンもあったけど、そちらは未見なのではっきりとはわからなかった)。

しかし、やはり最も素晴らしかったのは、冒頭のバスの内外を自由に使ったアクションだろう。どこがCGなのかわからなかった。見たこと無いほど目まぐるしく面白く動き回るアクションに、スリルと身体性を感じた。

物語の骨子として父子関係を持ってきているのだけど、悪役の父親トニー・レオンにはステレオタイプな悪意が見られず、憂いや色気も手伝って妙に魅力的だった。

後半のター・ロー村のセットや美術と幻獣達のデザインの作り込みは流石のレベルだった。

ラストバトルのアクションがCGを多用していて、身体性が低くなってしまったのは残念だった。しかし、何にせよ、アジア人にとっての『ブラック・パンサー』を目指しているのは明白で、狙い通りにエポックメイキングな一作なのだろう。

 


8/16【34】

『プロミシング・ヤング・ウーマン』(エメラルド・フェネル監督)を観た。

観終わって、とにかく辛かった。軽々しく「面白い」とは言えなかった。観た人は老若男女みんな傷つくような気がする。全方位を突き刺しに来ていて、逃げ場が無い感じ。

古さとダサさをカッコよく見せるような、価値観が反転したオープニングには思わず笑った。タランティーノっぽさも感じた。ホットドッグを持つキャリー・マリガンのカッコ良さで、この映画の凄みが速攻でわかる。最高のはじまりだった。

全編通して、見せるべき映像が何であるかをちゃんと考え抜いていて、意図的に省いて伝える演出が物凄く上手かった。レイプを意図する残虐なシーンを敢えて見せないという判断や、全てのはじまりとなる女性の顔を見せないで語り切る魅せ方に驚いた。この映画のテーマの扱い方に合っているし、新しさを感じられた。パリス・ヒルトンブリトニー・スピアーズの楽曲の使い方には、昨今のアメリカから広がっているフェミニズム的な運動の直接的な影響を感じられた。徹頭徹尾、ホモソーシャルの醜悪さが弾劾されていた。『俺たち』はこんなに醜い行為をしていたのか。思い当たるフシもあって、居心地が悪かったが、それは仕方ない。もう『ハングオーバー』を楽しく観るのは難しいのかもしれない。ラストシーンの展開は意外ではあるけれど、こういう展開にせざるを得なかった点にジェンダー問題の深刻さを感じた。全体的なポップさの背景にある悲痛さに、ずっと打ちのめされていた。

 


8/9【33】

蜜蜂と遠雷』(石川慶監督)を観た。

あの高速かつ精密に動く指の動きを、力強く儚く美しく捉えているだけでも凄い。今までどんな映像でも観たことが無い演奏シーンだった。彼らは本当に弾いているようにしか見えないし、実際のピアニストの凄さも想像させてくれた。

主要な4人が、それぞれ魅力的かつ個性的に描かれている点が、この映画の見どころだった。松岡茉優の異様に繊細な表情と動きの演技にはずっとハラハラするし、森崎ウィンの音楽に真摯な姿は心掴まれるし、松坂桃李の観客の一番近くに寄り添うような天才では無い人の演技もグッとくる。しかし、その上で、宇多丸氏の映画評でも指摘されていたけれど、やはり鈴鹿央士が存在感で示す天才性には相当な強さがあった。物語の起点となる彼の滲み出すイノセンスから、音楽の根源的な楽しさが伝わってきた。

彼らが足を引っ張り合わないのも見ててストレスが無い。スポ根でありがちな貶し合いや駆け引きも無く、全員で至上の音楽を目指す姿が、清々しく爽やかな感動を呼ぶ。

イメージ映像っぽく挿入される水滴や馬はフィクショナルな美しさで捉えられていて、詩的な世界観を作っていた。

松岡茉優が逃げ出して戻ってくる流れは、説明を省略し過ぎてて展開の飛躍についていけなかったけど。

 


7/26【32】

『隔たる世界の2人』(トレイヴォン・フリー&マーティン・デズモンド・ロー監督)をNetflixで観た。

アカデミー短編賞を獲ってたので気になってた。

『朝、目覚めるたびに黒人の主人公が白人警官に理不尽に殺される』という構造のタイムループを、主人公はどうやって抜け出すのか、というのが主題になっている。最初からジョージ・フロイド氏の事件をモチーフにしていて、その痛ましさが現実と強烈にリンクしていたのだが、最後まで見ると、他のパターンの死も実際の事件をベースにしていたとわかって落ち込む。

はっきりと、BLMを受けて人種差別を糾弾する内容なのだが、少し腑に落ちないところもあった。『人種差別は根絶すべき』というのは誰も否定しようがない事実のはずなのだけど、物語的な展開の面白さを優先したために、ラストシーンの直前でそこがブレた気がした。『人種差別は無くならないし、理不尽にそこにあり続ける』というメッセージにさえ感じられた。おそらく『戦い続ける』がポジティブなメッセージなのだろうが…。

また、主人公は当然あり得る選択肢である正当防衛を選ばない。これは、黒人が暴力に訴えて社会から非難されたという共通認識をベースにしているかもしれない。

 


6/10〜7/15【31】

『ロキ』(シーズン1)を観た。

第1話が非常に説明的で冗長で辛くて、多分、たくさんの脱落者を産んでそう。かなりロキの内面を掘り下げる描写が多い。その中でも、彼が人を信じられるようになる瞬間には嬉しくなった。途中のアクロバティックな展開も、ロキとシルヴィの奇妙な関係の描き方も十分に面白いんだけど、最終話がまた非常に説明的で冗長で辛い。

他のMCU作品との関連が薄い点も、見なくて良い動機になるんだな、と気づいた(逆に言うと、つまんない作品でも、MCUの他作品に関係すると見なくちゃいけないということになる。それも辛い)。映像としては、美しく崩壊する惑星で逃げ惑う長回しは印象的だったが、他はそうでもなかった。シーズン2はちゃんと面白くなるんだろうか。

 


7/14【30】

『ブラック・ウィドウ』(ケイト・ショートランド監督)を観た。

アクションがヤバ過ぎた。映画館で観て良かった。スカーレット・ヨハンソンのブラック・ウィドウはトム・クルーズに寄っている。雪崩が迫る中ヘリからロープで吊られながら父を引っ張りあげるナターシャ、屋根や地下鉄のエスカレーターの間にある斜面を滑り降りるナターシャとエレーナ、躊躇なく上空数千メートルの高さから飛び降りて飛び回るナターシャ。アクションの舞台設定は『キャプテン・アメリカ』系や『アベンジャーズ』第1作に似ている部分もあるけれど、そこと差異化するように魅せるアクションの創意工夫が魅力的だった。そして、同時に、アクションがハードかつリアル志向になっている点にも驚いた。骨のぶつかる音が聞こえるようなサウンドにも迫力があった。ディズニーだしな、と油断していたが、息子はナターシャとエレーナのリアルな戦闘シーンでは、耳を塞いでスクリーンを直視しないようにしていた。

そもそも、思い返せばあのオープニングの絶望感も凄かった。

レッドガーディアンは下ネタっぽいやり取りもしていた。かなり大人向けに調整したのだろう。

そして、エレーナはブラック・ウィドウを継ぐのだろうか。フローレンス・ピューの筋肉質な強さと感情的な性格には、スカーレット・ヨハンソンとは違った魅力がありそうだった。

2021年後半に読んだ本の記録

私生活で色々なことがあって、2021年はあまり冊数を読んでいない、らしい。『三体』のボリュームがもの凄かったのも原因だろう。

とりあえず、2021年に読んだ本をいろんな視点で大まかに分類してみる。

 

小説9冊(短編集含む)、エッセイ4冊、ノンフィクション系1冊、対談本2冊、新書2冊。

 

日本人作家14冊、中国人作家3冊(全部『三体』)、アメリカ人作家1冊。

 

男性作家9冊(『三体』が3冊)、女性作家9冊。

 

全て2010年代以降出版(発表)の本だった。

 

計18冊。

以下、記録を振り返ってみる。


12/5

『どうやら僕の日常生活はまちがっている』(岩井勇気)を読み始めた。


10/23〜12/5【18】

『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く』(北村紗衣)、読了。

実践的に批評の書き方を解説する本で、読めば誰でも書けるようになるだろうし、誰もが書きたくなるだろう。もちろん、質の高い批評が書けるかどうか、は置いておいて。

この本の中で、最もクリティカルで象徴的な言葉は『批評はコミュニケーションである』だ。この視点が入るだけで、批評に対して持つイメージが大きく変わる。批評がクリエイティブなものとして説明される章や、批評を通じてコミュニティが作られていくことついて言及する章も、批評が持つ『作品について評価する』機能を超えて拡張した部分を取り上げていて、批評自体について深く考えたことの無かった自分にとっては、目から鱗が落ちる気がした。

そして、やはり自分がこのブログに記録している文章は自分自身に向けての記録でしかなくて、「批評ではない」ということをはっきりと理解した。一方で、オープンな場に書いている以上、コミュニケーションは発生し得るし、批評になる可能性もある。一度くらい真正面から批評を書いてみたくなった。

著者は世の中に批評が増えることを歓迎しているし、書き手を増やすためには素晴らしく丁寧なガイドになる本だった。


10/4〜10/22【17】

『2010s』(宇野維正 田中宗一郎)、読了。

ずっと前に買ってあったが、読むタイミングを逸してしまって、「特定の時代を切り取ってる内容なので、早く読まないと古びてしまうのでは…」という懸念と、「でも、コロナですっかり変わっちゃったしな…」という諦めの間で葛藤してしまって、なかなか読めなかった。それでも、決心してようやく読むと、まだまだ有効な内容で安心した。

POP LIFE : The Podcastでお馴染みの二人による対話を通して、2010年代のポップカルチャーを総括するような本。これまでに二人の声を何時間(何十時間?)も聞いてきたので、二人のやり取りは容易に音声で脳内再生できるが、やはりテキストになると少し印象は違う。特に、宇野氏が年上への敬意を持った言葉選びをしている気がして、興味深かった。

まずは、とにかく二人の広範な知識を持って多彩な角度から放たれる言葉の強さと量が凄い。飛び交う固有名詞は大まかにはわかるが、詳しくないものも多くて、後で調べてみたい。紹介している作品の中では、特に『ゲーム・オブ・スローンズ』が1話しか観れていなかったけれど、楽しく読めた。ネタバレはあっても問題無さそうだった。ちゃんと興味が湧いた。

二人は、話題に挙げるカルチャーについて、他のカルチャーの例えを使って説明することが多かったのだけど、その現象を見かけるたびに、いろんなカルチャーに相似形を見つけられて嬉しかった。特にポップミュージックを例にすることが多かったかもしれない。二人の対話から関係し合っているカルチャーにも気づけた。

『ファンダム』という言葉が何度も出てきたが、これは2010年代の大きなキーワードとなるのだろう。確かに、SNSの影響力の拡大がファンダムの存在感を強めた実感がある。本編でも指摘があった通り、ファンダムが善く作用する場合もあったし、悪く作用する場合もあった。『ポピュリズム』という言葉への言い換えも可能で、そこが政治や経済と繋がる社会問題とも密接に関わっているのもわかる。

とりあえず、二人の対話自体が面白い。

まず、前半のなかなか同意点に達しないやり取りがスリリングで、お互いにちゃんと自分の考えをぶつけ合うから、全然気持ちの良い瞬間が訪れない。この粘る時間の継続が、本来の対話かもしれない。

二人の作品への向き合い方の違いが鮮明に表れてくるのも、この本ならではだ。宇野氏は文化を含む全体を見つつ、現在の熱狂の中心に関心がある感じだった。俯瞰して見る光景の中に、主体としての彼自身が入ってるイメージができる。それに対し、田中氏は過去から未来まで全て俯瞰して見ながら、自分の関心が持てる構造を探していて、その光景の中に彼自身は置いていない。上記はかなり漠然としたイメージだが、こんなに違う二人が意見を言い合うのだから、そりゃ本にまとめるのは大変だろう。ポッドキャストでこの本の制作秘話を聞いたこともあったが、読めばその大変さがわかる。相手が加筆すると、自分の部分をどうするか、という確認が必要になるだろうな。編集者の方もお疲れ様です。この様子を読むと、これからの時代に重要なのは対話だ、と改めて思う。


9/27

『東京の生活史』(岸政彦 編)を読み始めた。


9/4〜10/2【16】

『百年と一日』(柴崎友香)、読了。

この短編集は、柴崎友香の集大成であり、新境地でもあった。

各短編のタイトルは、あらすじを殆ど説明してしまっている。小説は「あらすじだけでは味わい尽くせない」し、「ネタバレしてても面白い」という宣言にも思える挑発的な手法だった。保坂和志柴崎友香の小説を評して、ちゃんと時間の流れが書かれている、というようなことを言っていたけど、その特徴を最大限に感じた。

新聞記事を彷彿とさせるような、筆者の顔を極力隠したような淡々とした文体で、伸び縮みする時間をダイナミックに描いていた。小説でしか掬えないような普通の人々の生活や一代記が、克明に描かれている。いや、というよりは『記録されている』ように感じる。その感触はたまたま同時に読んでいる『東京の生活史』(岸政彦 編)とも響き合っていた。

本当にどれも面白くて、ホラーっぽい話も好きなんだけど、一番好きな短編は『角のたばこ屋は藤に覆われていて毎年見事な花が咲いたが、よく見るとそれは二本の藤が絡まり合っていて、一つはある日家の前に置かれていたということを、今は誰も知らない』。時間経過の描き方が読んでて心地良いんだけど、最後の一文の切れ味の鋭さが本当にカッコいい。諸行無常のクールさ。自然と『百年の孤独』を連想したのだけど、意識した作品だったのだろうか。


8/26〜9/4【15】

ブックオフ大学 ぶらぶら学部』、読了。

さまざまな人物がブックオフ(やそれに類する新古書店)について書いた本で、みんなのブックオフへの愛憎入り混じった感情を堪能できた。

ブックオフに入り浸る人に感じるボンクラっぽさの原因は何だろう?

その答えはわからないけど、どれもこれも、隣で一緒に棚を見ている同士みたいな人達が書いてくれた文章だった。

武田砂鉄氏は相変わらずガチでわけわかんない本ディグってて笑ったし、佐藤晋氏の文章は全くいろんな芯を食わずに迂回し続けてて妙な面白さがあったし、Z氏の『せどらー』の歴史は民俗学社会学的な観点から価値がありそうだった。

俺は『ブックオフ大学ぶらぶら学部買わずに立ち読みばかりしててごめんなさい学科』所属だ。中学〜大学くらいまでお金が無さ過ぎて、買わずに立ち読みすることが多かった。立ちっぱなしで数時間いることもあるから、出る時には足が疲れ切っていた。ああ、久々にブックオフに行きたい。あの頃よりはお金があるから、少し本が買えるのに。俗っぽい本棚に圧倒されたい。しょうもない本を買うか買わないか迷いたい。


7/2〜8/26【14】

『三体Ⅲ 死神永生』(作:劉慈欣/訳:大森望、立原透耶、上原かおり、泊 功)、読了。

圧巻。どんどん広がりながら進んでいく小説世界に驚き続けているうちに終わった。どこまで描くのか、と終始不安だった。宇宙の終わりとその先にある始まりまで一気に描く想像力は、相変わらず凄まじかった。かつて宇宙の無限の広がり自体を小説で読んだことがあっただろうか。

序盤はⅡに似ているし、Ⅱと地続きなので読みやすかった。ずっと展開に振り回される喜びで満たされていたが、終盤まで行っても、カタルシスに向かっている感じはしないし、物語が拡散し続けていくような印象を受けた。そうなってくると収集がつかなくなりそうなものだが、ギリギリのところで踏み止まって、読者を見たことない世界に連れて行く。

今作の主人公は、非常に優秀で常に政治的に正しく行動するように見える優等生の女性・程心で、その人物造形からは、前作で感じていた女性観の微妙さが軽減された。常に公正・公平であろうとする彼女の選択が、結果的にいつも地球に危機をもたらしてしまうのは、皮肉では無いし、正しさの弱さを強調したいわけでも無いのだろう。

一方で、不思議と魅力的に描かれてしまっていると感じたのが、ウェイドという男だった。彼の冷酷な判断は、短期的には正しく思えない犠牲を伴うことが多いが、人類全体の行く末を見通すと正しかったように見える。その判断力に一定のクールさが備わっていた。彼の過去は描かれず、人柄も本当の気持ちもいまいちわからない。ただひたすら冷酷な判断する人物として機能的に描かれていたのに、なぜか面白い。

その2人の対比を見ていると、筆者がどんなに苦境でも人間が選ぶべき姿として描いているのはウェイドではなく、程心なんだろうな、と感じた。

天明の寓話も面白くて、それ単体で本になりそうな完成度だった。作品内作品がきちんと小説全体に呼応している構造も素晴らしかった。


6/25〜8/17【13】

『さいごのゆうれい』(作:斎藤倫/画:西村ツチカ)、読了。

毎晩、子供が寝る前に読み聞かせた。自分自身が西村ツチカ氏の絵を好きだし、斎藤倫氏の『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』も良かったので、迷わず買った。

予想以上に西村氏に描かせてることに驚いた。え、こんな些細なワンシーンも!?みたいなことが沢山あって、贅沢な本だった。

今作の斎藤倫氏の情景描写はかなり詩的で、ちょっと飛躍した展開も無理なく受け止められるようになっていた。分類としては、ファンタジーになるのだろうか。とある感情が必要かどうかを考えさせたり、様々な喪失のあり方を教えてくれる点は、非常にエデュケーショナルで、子どもが初めて読み通す本としても凄く良さそうだった。息子がもう少し大きくなったら、改めて自力で読んでみてほしい。

 

 

NIKKI(魔法が解ける2021年10月)

【2021.10.3 日曜日】

緊急事態宣言が解除された、というのを強く意識していたわけでもないけど、閉まっていた居酒屋が開いているのが目に入ったので、そこで晩御飯を食べた。その店はとてもチェーン店っぽいけど、他に見たことがあるわけでもない、という微妙な雰囲気で、一度だけランチに入ったことがあった。なかなか繁盛していて入口に近い席は満席だったので、奥に通された。奥では、男子大学生らしき集団が楽しそうに飲んでいた。

久々に生ビールを飲んだ。美味しかったけど、家で飲む缶ビールとの明確な違いはわからなかった。魔法が解けてしまっているような感覚があった。

隣の席を見ると、物心ついて初めて居酒屋に来たらしい息子が、その非日常的な雰囲気に興奮していた。

しばらく経って、店内に聴いたことのある曲がかかった。フジファブリックの『若者のすべて』。あちゃー。大学生の頃から好きな曲。カラオケ行きてー。とか苦笑してたら、今度はアジアンカンフージェネレーションの古い曲が2曲連続でかかった。ああ、これ、選曲してる人、同世代かな…。

男子大学生達や音楽の影響で大学生の頃の気持ちを思い出したけど、隣に自分の子どもがいて混乱した。

情緒がぐちゃぐちゃのまま、テーブルでお会計したら6000円くらいだった。真っ先に「あれ?高いな」と思ったが、よく考えりゃ大人2人+子ども1人で6000円くらいなら別に高くない。ああ、居酒屋が久しぶり過ぎて、「居酒屋高い」と思ってた大学生の頃の感覚も思い出したらしい。

いや、でも、冷静になっちゃうと高い。最近は3人分のテイクアウトで2500円以内くらいだったし。

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【2021.10.4 月曜日】

息子が『鬼滅の刃』にハマっている。テレビで放送された無限列車篇を観て、まんまとハマった。

仕事が終わって、風呂に入ろうと服を脱いでいる最中に、ねえ、と息子に話しかけられた。よくわからないまま返事をすると、

「どうまってわかいじょせいのにくしかたべないってほんと?」

と聞かれた。あまりに唐突な言葉の列挙で最初は意味が取れなかったけど、しばらくして

「童磨って若い女性の中しか食べないってホント?」

だったと気づいて笑った。

保育園に鬼滅の刃に詳しい子がいて、教えてくれたらしい。そうだな、童磨っていう鬼は若い女性の肉ばっかり食べてるクソ野郎だ。

 

【2021.10.5 火曜日】

息子に影響されて、改めて『鬼滅の刃』を読み漁った。あ、これ、こう繋がってんのか…という発見がたくさんあった。リアルタイムでジャンプで読んだ時は、だいぶ読み流してしまっていた。コミックスに収録されている作者の補足も異様にたっぷりあった。

なるほど、どうしてみんながあんなに熱狂するのか、が少しわかった。こんなに設定が作ってあるのか、と腑に落ちた。多くの登場人物について、こちらの感情移入が始まる前に死ぬ印象だったのだけど、熱心な読者はこういうところから気持ちを入れていくのね。

 

【2021.10.11 月曜日】

息子はまだ『鬼滅の刃』にハマっている。

漫画を隅から隅まで眺めている息子は、鬼滅の刃カルトクイズみたいな問題も出すようになった。この日は柱(強い剣士)の持つ刀のツバの形を問題として出された。難問過ぎる。

「じゃあ、恋柱の刀のツバの形は?」と訊かれた。当然知らない。いい加減に「あぁー(そもそもツバあるのか?あのクネクネした刀…。とりあえず、答えないと。じゃあ、恋だから)ハート」と答えたら「正解!」と言われて、「嘘だろ!?」と大きな声を出してしまった。

調べたら本当だった。よく見てるもんだ。

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【2021.10.14 木曜日】

まあ、日記に書くほど何かが起きる日々じゃないんだよなァ〜、このコロナ禍っていうのはよォ〜、と日記を書きながら言い訳したくなる。

そんな中で、雑談の価値が上がってる。

久々に会社に行って雑談があった日は、ちょっとスッキリする。

もちろん、会社に行かない日の妻や子供との雑談も十分楽しい。彼らとしか話さない日もあるけど、問題無い。雑談を楽しめる人たちと暮らせて幸運だよ。

雑談はしたいけど、聞くだけでも良いみたい。だからポッドキャストをたくさん聴いてるのかもしれない。

もっといろんな人の雑談をアーカイブするポッドキャストがあってもいいかもねー、って最近よく思う。自分で作ろうかな、とも思うけど、ためらっている。誰かがいないと雑談にならないけど、誰かとやると一人で好きなようにやれないかも、とか考えるうちに、面倒くさくなる。

それでも、『東京の生活史』(岸政彦 編)を読んでいると、ポッドキャストでこれがやりたかったのでは、という気もしてくる。この本は、誰かが誰かの人生の話を聞いて書き残すもので、ほとんどの内容が社会的に見ると後世に残らなそうな些細な内容になっている。この本が作られなければ消えて無くなりそうな話ばかりで、グッと来る。制作を追ったテレビのドキュメンタリー番組も良かった。小泉今日子の朗読も含めて、生の声にも迫力があって、あれは音声だけでも成立しそうだった。誰かが人生を語らなくてもいいけど、どこかの誰かの雑談が保存されていたら、それだけで価値がある気がする。

まあ、この雑談の価値高騰は今だけかもしれないけど。

 

【2021.10.27 水曜日】

会社に向かう電車の中で、急に諭吉佳作/menの良さに気づいた。

聴いていたポッドキャストで名前が挙がったので、何となく久々に聴いてみて急に気づいた。

今までは忙しなく鳴る音をうるさく感じていた。そこに長谷川白紙っぽさやボカロっぽさを感じていて、自分のためにある曲じゃないと決めつけていたのだけど、突然その音に多彩さを感じて美しさを発見した。

決定的だったのが、『ムーヴ』という曲の途中で唐突に入ってくるトロピカルな高音だった。このテンポの楽曲にそんな音入るのか。その新しさに気分が高揚した。よく聴くと、綺麗な歌声が聴いたことないような譜割で歌っているのも面白い。あ、そこ伸ばすんだ、みたいな。ヘッドホンを意識した作りの音にも初めて気づいた。音がぐいーっと右に左に動いた。これが曲名の由来かな。今までスピーカーで聴いていたから気づかなかったのか。楽しい。

ひょっとしたら、以前より精神状態が良くなったのかも。それで、やっと受け取る準備ができたのかな。今なら長谷川白紙も聴けるのかも。

電車を降りて駅を出ると、雨が降っていた。走る車のタイヤが、濡れて光る道路に逆さまに反射した。そんな光景を美しく感じたのは初めてだった。音楽の影響の可能性もあるけど、やはりとにかく精神状態が良いのだろう。

 

会社から帰る電車でも『ムーヴ』を聴いてみたら、遠くで美しく鳴るピアノの音が聴き取れた。マリンバか木琴みたいな音も聞こえた。

しかし、既に、それらがあの時聞こえたトロピカルな高音だったのかがわからない。早くも何かが失われた感覚があった。

 

【2021.10.28 木曜日】

前から読みたかった手塚治虫の『陽だまりの樹』をようやく読み始めた。傑作じゃん。『ブラック・ジャック』や『きりひと讃歌』などの系譜にある、手塚治虫が得意な医者漫画に、幕末を舞台にした歴史漫画の要素を複雑に絡めてくる。そこで繰り広げられる人間ドラマが大変にシリアスで、かなり大人向けになっている。まだ途中までしか読んでいないが、この心理描写の巧みさや盛り上がる演出の巧さが手塚治虫だったな、と再確認している最中だ。

自分自身を省みて、幕末への興味が増しているのは、大河ドラマ『青天を衝け』とか『風雲児たち』(みなもと太郎)とか『大奥』(よしながふみ)を楽しんでいるからだろう。

歳を重ねると歴史に興味が湧くようになる、という典型かもしれないけど。

 

【2021.10.29 金曜日】

子どもにせがまれて、10/3に行った居酒屋にまた行った。この前行った時の新鮮さはだいぶ薄れていた。前より混んでいた。あの日常が帰って来るのか。

それでも、テンションがおかしくなっていたのだろう。ちょうど良い塩梅がわからず、少し注文し過ぎた。

 

【2021.10.31 日曜日】

小雨降るハロウィン。

息子が通う保育園のクラスのメンバーで、公園に集まってささやかにハロウィン的なことをする予定だったけど、かなり前から息子は「絶対に仮装はしない」と宣言していた。

「せっかくだから仮装したら…」と思う気持ち、でも、息子の意思も尊重したい気持ち、などが湧いたが、一番強い感情は「俺が息子の立場だったら恥ずかしくてできないだろうな…」だったので、放っておいた。

その結果、息子は『ハロウィンなのに仮装しない人』の仮装で参加した。それにしても、俺の幼い頃にハロウィンが浸透してなくて助かった。

2021年前半に観た映画類の記録

グレイテスト・ショーマン』が良かったので、いつになくミュージカル映画を多く観た。子供と観るのにちょうど良い。昔ほど抵抗感が無いことにも気づいた。急に音楽が流れて歌ったり踊ったりする奴は現実にはいないんだけど(あるいは、存在するならそいつは狂人なんだけど)、効果的に感情を表現しつつ飽きさせない場面を作るには有効なんだ、と寛容になった。『イン・ザ・ハイツ』は劇場で見られなかったけど、スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』は楽しみ。

ラジオやポッドキャストで話題だった映画を劇場で観たのも印象的だった。『花束みたいな恋をした』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』だ。こうなってくると、観たい気持ちが観なければという義務感に汚染されたようになって、健全じゃない気もする。これらの作品を面白いと思っている気持ちは本物なのか。

ネタバレはしているはず。注意。


6/1【29】

『ミッチェル家とマシンの反乱』(マイケル・リアンダ監督)を観た。

最高!たくさんの要素が複雑に絡み合う点や、登場人物の成長や人間関係の改善が物語の解決と展開に強くリンクしている点は、『スパイダーバース』に似ていた(製作を手がけたフィル・ロードクリストファー・ミラーの影響だろうか)。

変人に見られる人々の個性の肯定と、父とケイティとの和解が同時に感動的に描かれていて、超グッときた。

物語設定は定番で、『ターミネーター』などが思い浮かぶのだけど、どちらかというと、そちらは副次的な要素だった。全体的にコメディタッチにすることで、無茶な展開や設定を飲み込めるようにしている。

更に、実質的な主役と言えるケイティが映画全体に加工を施したような映像にしているのがヤバイ。より虚実の境界を曖昧にする斬新な演出だった。ケイティが映像クリエイターを目指しているという設定がうまく機能していて、メタ視点にシームレスに移行する。最初は面食らったけど、慣れるとそのバカさ加減が面白かった。そのヌルッとフィクショナルになるハチャメチャ感が面白さを増している。めちゃくちゃ盛って書いた絵日記を読んでいるような語り口だった。見方によっては、ケイティが作った記録映画のようにも見えた。

また、フルCGの映像自体も良くて、光の微妙な表現が上手かった。CGキャラクターに繊細な陰影が入っている点に地味に驚いた。

そして、『恋のマイアヒ』の演出ズルい。あんなん泣きそうになる。

 


5/22【28】

『エノーラ・ホームズの事件簿』(ハリー・ブラッドビア監督)をNetflixで見た。

冒険ありアクションありで、無心で楽しめるエンターテインメント作品だった。推理よりは冒険活劇が多い印象で、劇場版『名探偵コナン』に近いバランスかも。

原作を読んだことは無いが、おそらくここまで現代の世界的なフェミニズム運動に添ってはいないのだろう。表情豊かに暴れ回るミリー・ボビー・ブラウンは、新時代の戦う女性アイコンとして、存分に魅力的に描かれていた。

イギリス出身の俳優ばかりが出ていて、イギリス映画としてのこだわりも感じた。

事件の大詰めのシーンは妙に暗いトーンだったが、あれもイギリス特有かもしれない。ハリー・ポッター・シリーズも連想した。そのシーンで、デュークスペリー子爵が撃たれても大丈夫だった理由は唐突過ぎたと思うけど。その子爵役のルイス・パートリッジという新鋭の美しさには驚いた。


5/13【27】

るろうに剣心 伝説の最期編』(大友啓史監督)を久々に観た。

京都大火編とひと続きの作品で、感想はあまり変わらない。ずっとそうなのだけど、やっぱりロケーションやシチュエーションをうまく使ったアクションが最高。谷垣健治の手腕なのだろう。藤原竜也はあのしゃがれ声を出し続けてるのがすごい。


5/9【26】

るろうに剣心 京都大火編』(大友啓史監督)を久々に観た。

やっぱりみんながやり切ってるのが良い。この前に軽く一作目も観たけど、その徹底っぷりは一貫してる。佐藤健のアクションは世界でも通用しないかな...。走ってるだけでもアガる。大友啓史は何かが舞っていたり降ってきたりするのが好きっぽい。ストーリーとかは変なところもあるけど、大丈夫!


5/8【25】

名探偵コナン 緋色の弾丸』(永岡智佳監督)を観た。

ラストの大立ち回りでは、爆笑しっ放しだった。

最近の劇場版では毎回そうだけど、ハリウッド映画を超えるスケール感が楽しい(ラストのスペクタクル展開は『純黒の悪夢』に似てた)。予算の無い日本では、このスケールの表現をするならアニメが最適解の一つだろう。

一方で、子ども向けアニメの脚本としては少し問題がある気がしてて、2時間の超大作なのに、終盤まで派手な映像が無い点が惜しかった。我が子も、途中、少し飽きていた。そう考えると連続事件はよく出来た仕組みなんだ、と気づいた。連続事件を採用しなかった結果、今回はかなり残酷描写が少ないことにも思い当たった。小さな子どもも見られるような微調整をかけたということだろうか。痛し痒し。

また、ちょっと驚いた描写として、毛利家の団欒風景があった。これまで描かれたことがあったのだろうか。毛利家はちゃぶ台でご飯食べるんだ、という発見には戸惑った。

15年前の事件が今回の事件に関連している、というのが一つのキーポイントなのだけど、当時の事件がなぜ起きたのか、がわからなくてモヤモヤした。事件の被害者達が多くを語らなかった理由は?実は言ってた?見逃した?という細かいところはすっ飛ばした方が楽しいだろうな。

そして、やっぱり映画のコナンはあんまり推理してないな!


4/28【24】

大誘拐 RAINBOW KIDS 』(岡本喜八監督)を観た。

主演の北林谷栄氏の演技がとにかく凄い。怖い・かわいい・面白いを同時に体現する演技は周囲から浮くレベルに見えた。

それに対抗するように恐ろしい演技をしていたのが、樹木希林だった。面白い田舎のおばさんを自然に演じ過ぎてて怖い。どこまで台本通りなのかが分からないくらいに、全ての演技が自然。

緒形拳も都会的じゃない切れ者の演技がカッコよかった。嶋田久作岸部一徳も脇で良い味を出していた。主演らしき風間トオルは、ネイティブっぽくない関西弁のせいでイマイチだった。

本来であれば、誘拐犯と警察は対立構造を持つはずなのだが、この映画での両者の間には大きな空洞がある感じがして、そこに生じるズレや奇妙さが不気味なコメディを作っていた。

編集はやたらとテンポが良くて、飽きさせない映像が続いた。


3/20〜4/23【23】

『ファルコン&ウィンターソルジャー』(シーズン1)を観た。

グローバリズムが引き起こす格差社会の問題や、アメリカを端緒として表出した黒人差別の問題を、単純化せずに複雑なまま描き切っていて、後味は苦い。最終話のファルコンの言葉には、はっきりとした問題提起があって、その勇気を奮う姿が感動的だった。

見応え抜群のアクションシーンもたっぷりあって、『ワンダヴィジョン』以前のこれまでのMCU作品の王道の系譜に入るだろう。ファルコンの戦闘バリエーションを拡張したのも素晴らしかった。第1話と最終話の戦闘シーンは何度も見られるクオリティだった。シャロンの戦闘シーンからはブラック・ウィドウに代わる活躍を連想した。

マドリプールの急に漫画的な描写は笑った。

また、ファルコンもウィンター・ソルジャーも地味で目立たない印象だったけど、これだけ生活パートを掘り下げると、人間味が増して面白い。バディムービーとしても素晴らしい完成度だった。

シャロンをそんなキャラクターにしても良いのか?ジモはあんな状態でいいのか?などと今後の展開も気になる。

それにしても、終始ドラマとは思えない潤沢な予算を感じる。ド迫力のアクションは大きなスクリーンで観たいくらい。6回に分割されたハリウッド映画だと思った方が良い。


4/7【22】

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』(庵野秀明総監督)を観た。

とにかく終わっていた。もうこれ以外もこれ以降もこれ以上も作られないように、完膚なきまでに終わっていた。本当にちゃんと終わるとは思ってなくて動揺した。

TVシリーズまで総括するとは思わなかった(漫画は読んでない)。真っ先に、ジョージ・ルーカスと違ってうまく終わって良かったな、と思った。

ラストシーンの現実を肯定するようなカットにも驚いた。庵野秀明が大人になった印象を受けた。その事実がショッキングだったし、感動的だった。

冒頭から、悪夢のような敵と新しいエヴァの観たことがない戦闘シーンに心を掴まれた。超ロボットアニメでアガッた。エッフェル塔のあの使い方を観たパリのファンは大興奮だったろう。戦闘シーンのテーマ曲のフラメンコみたいなアレンジは目新しかった。そういえば、『破』以降、いつもマリの活躍するシーンから始まっていたと気づいて、そこに意図を感じた。

序盤の展開を観て、俺は昔からトウジが一番好きだった、と思い出した。

襖を開く映像を超低位置の真横から捉えて、シューッという音を強調しながら挿入するのが、超エヴァだった。

綾波がプラグスーツのまま田植えしている映像は、そのドギツイ違和感で笑った。その時に流れていたアコースティックな曲がまた妙に爽やかで、とてもチグハグな印象を受けた。レイの生まれたて感にもずっと笑っていた。あの視点で台詞書き続けられるの凄い。

シンジがアスカからレーションを食べさせられるシーンが、異様に動くアニメーション(モーションキャプチャ?)で、そのグロテスクさが印象に残った。

そして、テレビシリーズのラストを踏まえた最終決戦。あれがエヴァを決定的に終わらせた。

まず、戦艦同士の空中戦で古い特撮みたいな曲が流れた時は、そのやりたい放題感に笑ったし、アガった。

全て思い残しの無いように。

最終的にはテレビのラスト2話や旧劇場版を肯定するように説明を付与してくれて、救われたような気分にもなった。あの下書きみたいな映像も必要なものとして描かれていて、そこにあるメタの視点は、「アニメが作られるから世界が作られる」という構造を見せられた。

また、シンジが決意して、ミサトがシンジを受け入れたシーンも、これまでの全てを踏まえた上での成長の儀式として実感できて、感動的だった。

面白いかどうかはともかく、碇ゲンドウの内面まで描けたことにも驚いた。

胸のデカい云々という台詞は気持ち悪くて、ちょっとどうかな、と思ったけど。

エヴァがやっと終わったのだから、『シン』じゃない庵野秀明オリジナルが観たい。

補足すると、観終わってからシン・エヴァについて語っているアトロクやPOP LIFEなどのポッドキャストやラジオを沢山聴いた。『花束みたいな恋をした』の時にも感じたけれど、聴くために観ているみたいだ。別冊アトロクでのベースボールベアー・小出氏のスタンスが自分に一番近い気がしたし、ドロッセルマイヤーズ・渡辺氏のエヴァへの提案が一番腑に落ちた。

総じて、やっぱりあの作風だと庵野秀明個人と切り離しづらい、と感じた。メタの視点が作家としての視点に見え過ぎる。

『破』でのシンジの挙動を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるか、がシン・エヴァの感想にも関わっているとも感じた。


3/31【21】

メン・イン・ブラック』(バリー・ソネンフェルド監督)を久々に観た。

思った以上に脚本がよく出来てて、ギャグを頻繁に交えながらめちゃくちゃテンポよく無駄なく進んでいく。映像の端々からはスピルバーグ的な雰囲気も感じた。

吹替で見たけど、喋ってる雰囲気からウィル・スミスがラッパーだったこともよくわかった。そして、彼の当時のルックスはアイドル性に満ちていた。

バグを演じていた男性もメチャクチャ上手い。どう見ても異形の生物が人間の皮を着てる感じがヤバかった。

そういう描写も含めて、実は残酷描写が容赦無かった。血の量を少なめにして、イメージがマイルドになるようにコントロールしているが。


3/23【20】

『飛べないアヒル』(スティーブン・へレク監督)を久々に観た。

25年ぶりくらいに観た。大枠としては『がんばれ!ベアーズ』(観てないが)『メジャー・リーグ』などに作品群に連なる、弱小チームに新たな指導者やエースが加わって強くなる王道ストーリーで、大変わかりやすい。

しかし、途中で変な展開も挟まってくる。特に、敵チームにいたバンクスが仲間になるシーンは不要に思えた。無理に盛り上げる葛藤を作ろうとしてる。

それと、思ってたより低所得者層の世界を描いてたことにも初めて気づいた。ちょこまかとストリートを走り回る子供たちは生き生きとしていて良い。強豪チームに黒人がいない点などに、人種問題が内包されている。

ホッケーという題材の最大の問題点は人物の顔が見えない点だった。子供たちは背格好も似ていて、試合のシーンでは区別がつかなかった。

エミリオ・エステベスのスケーティングが異様に上手かったけど、本人なのだろうか。


3/21【19】

ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督&デクスター・フレッチャー監督)を観た。

最後のライブエイドとその直前のいざこざに物語を集約する構成になっていて、そこまではかなり単調な脚本だった。クイーンというバンドと楽曲の紹介に終始していた。

ポール・ブレンダーが絶対的に悪い奴にしか見えなかったけど、実在するらしい。そのステレオタイプな人物造形も含めて単調な脚本だった。本人の許可は取っているんだろうか。その脚本の単調さを編集で誤魔化している印象も受けた。音楽が良いので飽きずに観れてしまうけど。映画館で爆音で観ればもっと気分が高揚したのかもしれない。

ドラムにビールをかけて叩く映像や、ギターやピアノの速弾きを超接近して撮る映像などは面白かった。

ブライアン・メイは実際にこういう人なのだろうか?非常に理知的にバランス良く全体を見られる人物で、一番面白いキャラクターだった。


3/14【18】

弱虫ペダル』(三木康一郎監督)を観た。

自転車のペダルをぐるぐる漕ぐ映像が面白かった。そこが一番の見せ場だろう。

自転車のスピード感をうまく表現できているシーンや、坂の勾配をキツく表現できているシーンも良かった。

主人公はひとりぼっちの人間で、友だちのために自転車に乗るというエッセンスだけに話を絞ってるのが上手かった。原作もある程度読んでいたので、「永瀬廉があの主人公か〜」と少し不安に思っていたが、永瀬廉なりの小野田坂道になっていて良かった。特に小野田坂道の狂気がうまく表れていた。そして、オタクっぽさを保ちながら不潔感が無いのがジャニーズ力だと感じた。

しかし、いろんな省略や差異が目立つので、原作ファンは満足しないだろうな、とは思った。かと言って、原作を読まずに観ると、先輩陣の行動やキャラクターがよくわからなく見えるのでは、とも感じた。その中途半端さが観客を限定しそうだった。

自転車レースでのチームの『協調』による妨害も、「なぜ抜けられないのか」と「小野田が来たから二人抜けられる」の意味が映像ではわからなかった。漫画っぽい説明台詞にも無理は感じた。


3/12【17】

宇宙戦争』(スティーブン・スピルバーグ監督)を観た。

スピルバーグはやっぱりすげえ!断片的にテレビ放送で見かけていたけど、ちゃんと全部見たのは初めてだった。

まず、映画的に盛り上げる演出がとてつもなく上手い。実体を見せないことで何かが迫ってくる恐怖を増幅させる手法は、きっと『激突』や『ジョーズ』の頃からのトレードマーク的な演出なのだろう(と想像した)。ダコタ・ファニングのパニックを起こす演技もやたらと上手くて不安を煽る。

見えるはずが無いものを見えるようにする演出も凄い。ダコタ・ファニングが恐怖に怯える吐息を魅せるために、口の前に蜘蛛の巣を配置していて驚いた。

そして、それらの演出を駆使しているおかげで、この内容にも関わらず、人間が出血・流血する描写が極端に少なくできていた。レーティングを上げないようにする工夫だろうが、宇宙人に撃たれた人間は灰みたいになるし、墜落した飛行機には怪我人も乗っていなかった。宇宙人が人間の血を散布するシーンはあったけど、あの演出における血はもはや物質化していて、おどろおどろしさだけを残す巧さがあった。

唯一人間が流血するのは、主人公家族の車が民衆に囲まれるシーンで、フロントガラスを手で突き破る人物の手からは血が滴った。あの集団心理の暴走の描き方はめちゃくちゃ恐ろしい上に容赦無かった。

その後の宇宙人に追われて難民になる描写も、実際の戦争での犠牲者を描写してるとしか思えなくて、生々しい辛さがあった。

そして、主人公レイは助かるために人を殺めたとしか思えないシーンがある。最終的に宇宙人達がプランクトンや微生物によって死滅するというオチを見てしまうと、レイはあの行動をどう捉えて生きていくのだろう、と考える。一時的なパニックや極限の心理状態というものの恐ろしさを感じずにはいられない。そんなことを、震災や新型コロナウィルスのパンデミックを受け止めながら2021年に考えた。普遍性を持った古典になりつつあるのだろう。


3/9【16】

『ゴースト・バスターズ』(2016年版/ポール・フェイグ監督)を観た。

めちゃくちゃ笑った。ホルツマンの一挙手一投足と、超抜けてるクリス・ヘムズワースが何かやらかすシーンで沢山笑った。

特に、ホルツマンの独特の喋り方と皮肉やジョークが最高だった。アベンジャーズばりにゴーストを薙ぎ倒すシーンは涙が出るほど笑った。エリンとアビーの掛け合いはアンガールズの漫才みたいだった。

皆の生き生きとした会話がすごい。内容が些末過ぎて台本にできる感じがしなかった。意識的に変な間や妙なやり取りを採用していた。どんな脚本になっているんだろう。展開はメチャクチャなところも多かったけど、何も考えないで見られるコメディ映画としては最上級の作品だった。


1/16〜3/5【15】

『ワンダビジョン』(シーズン1)を観た。

凄かった!超ハイコンテクスト!イースターエッグ詰め込み過ぎ。

唐突に始まる『奥様は魔女』や一連のテレビシリーズを引用した映像でテレビドラマへのリスペクトを感じさせつつ、ちゃんとMCU作品のフェイズ4としても成立させる。その上で、毎話ちゃんと先が気になるように練られている脚本は、マジでエグい。MCU初のドラマシリーズとして最高の出来。一時はX-MENとのクロスオーバーまで示唆していて、もう大変なことになっていた(ただのミスリードだったのだろうか?マルチバースへの布石ではないのか?ファンタスティック・フォーも絡んでくるのか?)!

映像も普通にハリウッド超大作レベルだった。最後のバトルはちょっと単調だったが。

年代が変わる鮮やかな演出も良かった。凄まじい予算も感じた。

ワンダの能力がメチャクチャにパワーアップしているのだが、これでMCUという大きい物語全体のバランスは取れるのだろうか?ワンダの行動はかなりヴィラン寄りで、大量の悲劇を抱え込んだ性格も含めてだいぶ危ういキャラクターになったと感じた。ヴィジョンはどうなるのか?二人の子どもは?モニカ・ランボーは?とまだまだ今後も気になる。

ワンダが出るらしいドクター・ストレンジの続編も楽しみ。


3/3【14】

ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー』(ケニー・オルテガ監督)を観た。

劇場公開しただけあって、予算が上がってる感じはした。

シャーペイのビジュアルが少し変わっていて、よりキュートになった。ガブリエラはやっぱり勉強してる感じがしないし、露出が多くて驚く。

トロイがガブリエラを迎えに行くシーンは、時空が歪んでいるような演出になっていて爆笑した。1600kmの距離を一瞬で移動したかのように見えちゃう編集はまずい。観客にサプライズにしたいのはわかるけど、何が何だかわからなかった。トロイの苦労が伝わるようにガブリエラの移動シーンを事前に入れとくとか、ガブリエラがトロイと会えなくて憂鬱な時間を過ごしたように見せるシーン入れとくとかすべきじゃないか。そもそも、ガブリエラがミュージカルに出なくなる理由も弱いな!


2/23【13】

アポロ13』(ロン・ハワード監督)を久々に観た。

こんなに細かくカット割って、こんなに一つ一つ撮ってたっけ...。一つずつスイッチを入れる動作や読み上げて確認する動作を、その都度丁寧に捉えているのだけど、暗に「これだけやっていても事故が起きてしまうのだ」という説明になっていて、良い演出だと気づいた。

ロケットの発射とか95年にどうやって撮ったんだろう?模型?あり得ないリアルさで興奮した。

社会人10年以上経て観ると、管制官のリーダーのエド・ハリスの頼もしさが凄くて、理想の上司に見えた。部下もちゃんと意見するし、良い職場!そして、ゲーリーシニーズがたまらなくカッコいいのは変わらなかった。

リアル過ぎて、私の子供は「宇宙飛行士になりたいと思わない」と言っていた。


2/19【12】

『花束みたいな恋をした』(土井裕泰監督)を観た。

ガチの恋愛映画を映画館で観たのはいつぶりだろう?(『モテキ』以来?いや、あれは恋愛映画じゃなくて、男の妄想映画だったか)。坂本裕二脚本だったので気になってはいたけど、ラジオやポッドキャストでこんなに話題にされなかったら観てなかっただろう(おかげさまで、観ないと聴けないコンテンツがメチャクチャ溜まってる!)。

そして、何となく危惧していた通り、観終わってからずっと心にもやもやした何かが溜まっている。観ているうちに、脳内に存在しないはずの記憶をインセプションされたような感覚があって(スタンド攻撃?呪術?)混乱した。

「こんなことが俺にもあったような?」

「いや、そんな経験など無かったのでは?」

「でも、ちょっと違うけど、こんな経験ならあったか...」

と封印していた記憶の扉を、不用意にバンバン開かれて消耗した。

まず、序盤は、若者カップルの気恥ずかしいやり取りと、自分にもわかるカルチャー関連の名前の連打に悶絶した。

後半では、『似たようなものが好き』の奇跡だけでは恋愛は続かないし、努力が必要だよな、という苦味に打ちのめされる。その後半の努力の部分で、ジェンダー的な差に思える描き方があって、それも思い当たるフシがあって辛かった。『さよなら、俺たち』を読んだ直後だったせいもあるのだろう。

具体的に言うと、麦が自分勝手にも思えるやり方で就職を決めるシーンや、最初に結婚を仄めかすシーンで、ここにある『相手の話の聞かなさ』が辛い。ここに男性の共通性があるように見えるのが辛い。麦の先輩の思想と、その先輩の死を巡るシーンにもホモソーシャル性を滲ませていて、本当に見てられなかった。

脚本は当然メチャクチャよく出来てて、細かいセリフも超行き届いている。「ワンオクは聴く?」「聴けます」という些細なやり取りや、社会人から言われた警句を内面化した台詞として吐いてしまう麦や、麦が言っていたことを絹がそのまま繰り返す仕掛けには、ただただ感心した。イヤホンを分けて聴く行為の象徴的な扱い方もとても上手い。男女が繋がっていることを描いているし、年齢を重ねた結果それを否定することが恋の終わりも描いていた。

そして、言うまでもなく、最後のファミレスシーンは最高で、最悪の辛さだった。そういえば、京王線サブカルと中央線のサブカルは違うのか?出てくる作品について全然知らないままでもおそらく楽しめるけど、知るともっと楽しめる要素もあるのかもしれない。異常に充実したパンフレットを読んで、すれ違いを示す記号的道具だった『茄子の輝き』の中身に意味があったのか?と思い始めて読んでみたくなっている。

麦が保坂和志作品を読んでいたことには、少し違和感があった。

全体を通して変わった演出はしていないのだけど、繊細な表情をちゃんと捉えている映像は良かった。瑞々しさが伝わってくる映像だった。衣装や部屋のセットのディテールも、とても行き届いていた。

意識していないだろうけど、二人の別れのシーンはあだち去りだった。


2/18【11】

ハイスクール・ミュージカル2』(ケニー・オルテガ監督)を観た。

1と似たような話を夏休みのリゾート施設でやっていた。

妙な暗転は無くなったけど、テレビ映画感はまだある。

ライアンのキャラに急な肉付けが起きたのは驚いたけど、仲間になって面白くなった。ガブリエラの天才(秀才?)設定はだいぶ忘れ去られた気がする。父親の発言に右往左往するトロイが可愛そうだった。

1とロケーションが変わって歌って踊るシーンの種類に幅が出たけど、一時期Twitterなどで話題だったバイトテロを思い出すくらいに職場で騒いでて、苦笑してしまった。去ったガブリエラが戻ってくる展開は、理由が描かれなくてあまりにご都合主義的だった。

全体的に1よりパーティ感が増していて、頭を使わせない感じも増していた。


2/1【10】

ハイスクール・ミュージカル』(ケニー・オルテガ監督)を観た。

ザック・エフロンは昔から歌もダンスも上手かったんだな。テレビ映画っぽいチープさはあった。フェードアウトの暗転も微妙な使い方だった。ストーリーも微妙なところがあって、トロイとガブリエラの友人達が協力して彼らが歌うのを邪魔するシーンは、特に違和感があった。自分達で邪魔しておいて、二人が落ち込んでるの見てすぐ反省するって、無理があるだろう...。

それを見ていて、相当気をつけないと、ミュージカルは歌を優先し過ぎた時にご都合主義的に見えてしまうんだな、と知った。「お?歌うか?」みたいな感じで期待しながら観続けた。

悪役を演じるシャーペイの可愛らしさには笑ってしまう。

ラストの全員でのダンスは多幸感たっぷりで良かった。シャーペイも仲良く一緒に踊っているのが良かった。


2/1【9】

グーニーズ』(リチャード・ドナー監督)を観た。

クラシック感が凄くて、観ながらこの作品が後世に与えた影響を見ているような気分になった。そして、『ストレンジャー・シングス』は、同時多発的に作られた『スタンド・バイ・ミー』や『E.T.』と並べてたっぷり参照しているのだとわかった。

全体を通して、製作総指揮に入っているスピルバーグっぽさも強く感じたが、それは先入観もあるかもしれない。調べたら『E.T.』も『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』も、この作品より先行していたので、普通に影響を受けたのかもしれない、と考え直した。

何だか抜けてて怖くなり過ぎない敵キャラクターの造形は、『ホーム・アローン』を作ったクリス・コロンバスの手腕なのだろう。唐突に『スーパーマン』のパロディが入っていたのは、監督繋がりだろうか。

この作品の魅力は、どこか野蛮で粗削りなエネルギーに満ちている点にあるのではないか。まず、キャラクター達が粗野で口汚い上に、ずっと大騒ぎしていて元気だ。ギャグもしくはギャグ的な展開も下品で大味だ。展開が多い上にめちゃくちゃで、宝の地図通りにアメリカ郊外に残っている海賊船とか、かなり訳がわからない強引さだった。明確に障害を持っているスロースの描き方も乱暴だった。全然現代的じゃないし、洗練してるとは言い難いけれど、その熱量に圧倒される。

また、洞窟のシーンが長くて、想像していたより暗めの映像が続くのは単純に意外だった。なぜ主人公が海賊の片目のウィリーに激しく感情移入(あるいは同化)するのか、がよくわからなくて気になった。喘息持ちで家に篭りがちだったから、洞窟に篭っていた彼に同化したとか?


1/30【8】

『監視者たち』(チェ・ウィソク&キム・ビョンソ監督)を観た。

監視という一見地味な行為をメインで描いて、ここまでエンターテインメントにしてることが驚異的だった。

『誰が何をしているのかわからないけど、何だか面白い』という異様な状態を維持するオープニングから凄かった。編集と撮影の力もあって、その後もずっとテンポよくスリリング!監視のために、服を着替えたり、人が入れ替わったりするような、よくわからないけどあり得そうな細かいギミックで説得力を持たせているのが上手かった。邦題も悪くなくて、お互いに監視し合う瞬間があるのもサスペンスフルだった。

超能力に近い記憶力を持つ主人公刑事のキャラクター設定も魅力的なのだが、特筆すべきはプロフェッショナルな犯罪者を演じた敵だろう。あの残忍さと冷酷さ。警察に捕まらないように綿密な計画を立てて冷酷に完遂する男は、映画が違えば『ミッション・インポッシブル』のトム・クルーズのように描けるキャラクターでもある。

暴力描写はいわゆる韓国映画らしいリアリティのある重みが凄い。敵側での仲間割れのシーンは、狭い通路での長尺の格闘シーン自体も凄かったけど、縦横無尽に動き回るカメラワークの実験性に驚いた。あそこだけ少しテイストが違う。予算も凄まじくて、車のクラッシュの派手さや美術の作り込み方にも感心しっぱなしだった。


1/25【7】

ラ・ラ・ランド』(デイミアン・チャゼル監督)を観た。

思ったより変な映画だった。ミュージカル的に使う音楽は良くて盛り上がるし、俳優陣の演技とダンスは巧くて楽しいけど、ずっとMVを見てるような感覚があって、ミュージカル映画としては受け止めづらかった。

この印象は動き回るカメラワークのせいかもしれない。正直、予告編の方が面白かった。

口論のシーンのカメラワークはつまんなく見せるためにわざと単調にしてるのかもしんないけど、ちょっと長過ぎないか。ワンカットじゃダメなのかな。台詞もつまらないし、辛かった。

セブが昔の知人のキースと始める音楽がかなり変なのだけど、その扱いもよくわからなくて気になった。「売れてるけど、セブもミアも好きじゃない」という音楽のライブを見てると、「じゃあ、この会場で熱狂してる人達は何なの?」とずっと疑問だった。自分自身もこの音楽を良いとは思えなかったけど、監督も良いと思ってなさそうなのが気になった。そういう嘘はコメディでは面白いけど、こういう作品に入れ込んでくると、不誠実に感じた。「本当に良い音楽で売れるのはわかるけど、自分のやりたい音楽とは違う」というバランスで見たかった。何かを上げるために他を下げるのは、もう古い、ような。

そして、セブのジャズ観もとても古く感じた。現実ではもっとアップデートされてるはずなのに、反映されてない。っつうか、セブは本当にただのダメなヤツじゃねえかな...。容姿以外の魅力がわからなかった。いや、ミアを女優の道に引き戻す見返りとして復縁したりしなかった点だけは良かった。

色鮮やかな衣装とセットの美術は美しかった。ゴダールを思い出した。ラストのあり得たかもしれない世界を想像するシーンは良くて、このシーンの普遍性が観客のエモーションに刺さったし、監督が一番撮りたかったシーンなのでは、と感じた。


1/20【6】

グレイテスト・ショーマン』(マイケル・グリシー監督)を観た。

とにかく超アッパーでびっくりした。歌と音楽が鳴り続ける。絶望も希望も、歌って踊る。

ヒュー・ジャックマンがすげえが、ザック・エフロンゼンデイヤも知らない人もみんなヤバイ。多幸感もヤバイ。曲がずっと頭から離れない。『A Million  Dreams』も『This Is Me』も『Never Enough』もクソ名曲。音楽が展開をグイグイ引っ張っていく。超展開も音楽の力でねじ伏せる。

動き回る演者を不足無く魅力的に捉え続ける撮影も素晴らしいし、無茶な展開や省略をセットの転換やカメラワークで途切れなく繋ぐ演出も良い。

サーカスの起源を描いていく話で、当時は異形の人々を見世物にする価値観の上で成り立っていたのでは、と想像する。しかし、それを個性と多様性の肯定に落とし込んでいるのは、現代的な解釈として大変上手かった。


1/18【5】

『ブックスマート』(オリヴィア・ワイルド監督)をまた観た。

2度目でも最高だった。全部展開がわかってても最高じゃん。何回でもいけるかも。今回は約30分×3日間でじっくり観た。卒業式で、皆が二人を認めて、二人が皆をちゃんと見る瞬間に、泣きそうになった。エイミー役のケイトリン・デヴァーは表情の作り方がマジで素晴らしい。


1/12

『梨泰院クラス』(シーズン1)の第1話を観たが、第2話以降を見ていくのは難しそうだった。


1/10

『あなたの知らない卑語の歴史』(シーズン1)を観始めた。


1/4

『クイーンズ・ギャンビット』を観始めた。


1/1【4】

ジュマンジ』(ジョー・ジョンストン監督)を久々に観た。

昔観た時の不気味な印象は間違ってなかった。ジャングルから流れ込んでくる生物も現象も総じて恐ろしかった。

そこには演出の上手さもあって、予兆として音だけさせたり、振動だけ起こしたり、あるいは暗闇から徐々に現れたり、という助走が効いている。そこからの、超現実的映像の開放がスペクタクルだった。

更に、脚本もよく出来てて、すごろくゆえのその突拍子の無さが驚異だった。うまくトラブルと解決が連鎖していた。駒が止まったマスごとに起きる出来事も、よくぞあんなにバリエーションを考えたものだ。

しかし、この作品で一番凄いのは、ボードゲームを介して年月を飛び越えるというアイディアだろう。26年間もボードゲームのジャングルに閉じ込められるというのは、本当に残酷で恐ろしい罰で、今見ても辛い気持ちになる。少年のまま26年が経ってしまったアランを演じるロビン・ウィリアムズの表情は凄い。少年特有の無垢さをとてもうまく表していた。そこには狂気も感じた。

吹き替えで見た感じでは、『男らしさ』(=立ち向かう強さ。逃げない勇気)の獲得をアランの成長に重ね合わせていて、その部分は2021年には見づらく感じた。


1/8【3】

『ヒーローキッズ』(ロバート・ロドリゲス監督)をNetflixで観た。

おそらく『スパイキッズ』の枠組をアメコミヒーローでやろうとした感じだった。まともに『スパイキッズ』を観たことが無いが、以前チラ見した印象では意図的に安っぽいCGで構築した世界で大活躍する子供たちを描いていた。その手法はそのまま今作にも適用されていた。子供たちの大活躍を強調するために、過剰なまでに大人が無能なのは、どうなんだろう。これを見た子供達は胸がすく思いをするのかもしれないけど、立派な大人もいた方が未来に希望を持てそうな気もする。それにしても、CGが安っぽい。意図的だとしたら必要なのだろうか。アクションシーンは子供達が頑張ってるけど、魅せ方が単調で面白くない。この監督はファミリー向けの時だけこんな作風になるのだろうか。『マンダロリアン』シーズン2を思い出すと、手抜きに見えた。


1/5【2】

『ソウルフル・ワールド』(ピート・ドクター監督)を観た。

めちゃくちゃ凄かった。作品のメインテーマは『生きることの大変さと素晴らしさ』みたいな感じで、人生経験のある大人の方に響きそうな内容なのだけど、ちゃんと噛み砕いて楽しくビジュアル化することで、子供にも飲み込みやすくなっていた。子どもの作品を受け取る力を信じている、と感じた。

ディズニー傘下のピクサーで、ジャズをメインのモチーフにすることも主人公を黒人の成人男性であることも挑戦的だが、この激動の時代に合っている。

ジャズを演奏するシーンは音楽も素晴らしい(ジョン・バティステ良い!)けど、その動きの表現の緻密さにも驚く。指の動きには見入ってしまう。

脚本も凄くて、「魂の世界から現世に戻るまでの話かな」「現世で見事に演奏をやり遂げるまでを描く話かな」というベタなストーリーを想像してたら、見事に裏切られまくった。

魂の世界と現実の描き分けも面白い。白っぽくて明るい魂の世界ではシンセサイザーっぽい機械的な音楽が流れ、雑然としてて影や夜がある現実世界ではジャズが流れる。

特に、22番が初めて現実に触れる時に汚さや雑然さに圧倒される場面には、急に現実を見せられるような厭な驚きがあった。

一方で、現実世界の何でもない事象の美しさに触れる場面にも、目を開かれるよう驚きがあって素直に感動した。俺たちはこんな美しい世界にいたのか。これらのシーンの対比は、世界のことをちゃんと知ることの大事さを表している気もする。

ラストシーンのエピローグを描かない潔さも気持ちよかった。これまでであれば、本編内か、あるいは、オマケみたいにエンドロールでキャラクター達のその後の人生を描いたりしたのではないか。「人生はどうなるかわからない」という不確定な未来に希望を委ねた終わり方は新鮮だった。


1/3【1】

アナと雪の女王2』(ジェニファー・リークリス・バック監督)を観た。

前作より歌が増えた。こんなに歌ってたっけ、というのが第一印象だった。作品全体を引っ張る「アーアアー♪」という特徴的なメロディはどの言語でも共通で使えるのだろう。よく考えられている。

寒そうな銀世界は、前作以上に美しく描かれていた。エルサが海を凍らせながら駆け上るシーンは独創的でカッコよかった(早くアベンジャーズに入って欲しい)。

そして、今回は悪役と言える人物がいないどころか、徹底して嫌な人物もいなかったのが最も印象的だった。代わりに、人種間の衝突や気候変動という社会問題を敵に看做していた。かなり優等生的な設定だが、上手かった。

その問題を解決することと、エルサの出生に関わるアイデンティティの発見を、全て連動させてカタルシスにしている点は、システムとして優れてるのはわかるが、あまり上手く機能していたように思えなかった。エルサが魔法を使える理由が曖昧な印象だったからではないだろうか。中途半端に理由づけするなら、無くても良かったのでは。

一方で、オラフにジョーカー的な狂気を感じるのは、自分のひねくれた受け取り方のせいだろうか?腕が取れても鼻が取れても痛がりもせずに、笑いながら変な蘊蓄を垂れたりする生き物は不気味だろう。吹き替えで観たからかな?ピエール瀧だったらもっとそう思えたんじゃないかな?

2021年前半に読んだ本の記録

長らく積んであった分もまとめて、ようやく『三体』を読んだ。『三体Ⅱ 黒暗森林』を読んでいて、自分が常日頃から『ハンター×ハンター』を渇望していることに気づいた。それに気づいた時、『いつでも捜しているよ どっかに君の姿を』という山崎まさよしの歌が脳裏に浮かんだ。『呪術廻戦』の中にも『ハンター×ハンター』の姿を捜しているのかも、という疑念も浮かんだ。いつでも良いから続きが読めれば嬉しい。あの漫画描くの大変なのはわかるので。あ、『ヒストリエ』もね!

引き続き、フェミニズムに興味はあって、シスターフッド的な物語にも惹かれる。そして、ホモソーシャル的なものが害悪に思えてしまう。コロナ禍でそういう飲み会が無くなったから余計かもしれない。飲み会が復活したら辛いかも。

以下、遡る形で読んだ本の感想を記録する。

ネタバレはしているだろう。


6/25

『さいごのゆうれい』(作:斎藤倫/画:西村ツチカ)を読み始めた。


6/7〜6/29【12】

『家族って』(しまおまほ)、読了。

またも、しっかりと、しまおまほ節。おかしな出来事がさらっと書かれたり、覚えていられないような日常の些細な出来事が執拗に言語化されたりする。感情を入れずに事実を書いているだけの文章も、その出来事の間に飛躍があったりすると、そこに文学っぽさ(って何だ?)を感じたりする。不思議だ。著者がインタビューでも答えていたが、感情の説明を入れずに感情を描写しているようなところがあって、それも文学っぽさに繋がっているのだろうか。

また、出来事の取捨選択と繋ぎ方に感情が込められるということにも気づけた。映画の編集に似ているかもしれない。

著者の家族との話をベースにして語られているが、父方の祖父・島尾敏雄と祖母・島尾ミホの小説家2人に関わる話はやはり異質な感じがした。先入観もあるのだろうが。特に、島尾ミホから漏れ出る、夫への狂気的な執着にはちょっとドキドキした。

奄美加計呂麻島に関わる文章からは、何だか超現実的な空気が漂っていて、異質だった。

 

6/6

『NEXT GENERATION GOVERNMENT 次世代ガバメント 小さくて大きい政府の作り方』を読み始めた。


5/27〜6/6【11】

夢で逢えたら』(吉川トリコ)、読了。

『女芸人』と『女子アナ』に分類されてしまう女性2人が、緩やかに連帯しながらテレビの世界と向き合うシスターフッド小説。って、なんか、この説明でいいんだろうか。もっとはっきり言い切った方がわかりやすくて楽しみやすいんだろうけど、そういう風には描かれてない。

主人公2人の男性優位社会に対する意識や、それを容認している世間との接し方は揺れ動いていて、いわゆる『正しさ』だけで割り切れない部分にもがいている。女性蔑視はクソだけど、それがはびこっているテレビ業界で生き抜くにはどうすれば良いのか。その混乱や試行錯誤をそのまま小説にしているような感じ。終盤に一応のカタルシスはあるんだけど、そこまでたどり着くのが結構しんどかった。

特に、侑里香というアナウンサーの方のキャラクターが理解しづらくて混乱した。過剰に家父長制に乗っかった夢を抱きながら、男性の女性差別的な言動に対して苛烈にフェミニズム的反論をする、という多面性に混乱した。芸人である真亜子にも多少この傾向はあるので、そんな矛盾を孕んだまま生きているのが現代女性のリアル、と考えるのが良いのかもしれない。侑里香の同期アナ・佐原しずえが世論に適応しようとする描写もリアルだった。形はどうあれ、ホモソーシャルを打ち砕く動きになり得る、と感じた。

そして、作者は本当にテレビが好きに違いない。膨大な量のテレビネタを投入していて、単純にその量に驚いた。また、名古屋をこんなにフィーチャーしてることにも驚いた。こんなに生き生きとした尾張弁が活字になっているのを初めて読んだ。話し言葉に凄く熱が篭っている気がした。

読み終わっても、侑里香と母の問題は継続中だし、彼女達の今後の生活は不安だし、真亜子と渋谷の関係も手付かずのままで終わっていて、何だかスッキリしない。続編を考えているのかもしれないが、彼らは今も継続して戦っている、と納得するのが良いのかもしれない。


5/20〜5/26【10】

『くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話』(ヤマザキOKコンピュータ)、読了。

お金のことを考えずに生きたい、と昔から思ってしまっている。強迫観念のようなこの思考の出どころはわからないが、かなり根深い。

でも、最近同じように関心が薄かった政治には少し興味が出てきた。子どもも出来て、もう少し社会が良いものになるべきでは、と思い始めたからだろう。政治と経済は繋がっているらしい、と昔『愛と幻想のファシズム』を読んで気づいたんだった。それを思い出したりして、自分と経済の関係に少し興味が湧いたので読んでみた。

本格的な資産運用にはまだ興味が湧かないけど、この本に書いてあるような社会を良くするための投資という考え方には強く惹かれた。ESG投資という考え方だ。聞いたことはあったが、読んではっきりと意識できた。この考え方を軸にして、初めて株を買う意味が見出せた。

また、銀行に預けたお金がクラスター爆弾を作る会社の投資に使われていたという例が衝撃的だった。自分のお金は微々たるものだけど、そんな風に繋がってしまうのは本意じゃなかった。読み終わっても、銀行にそのまま預けておくのは微妙だな、という気持ちが消えなかった。

まだまだいろんな躊躇いや戸惑いもあって、「社会にとって良い」とは何か、という疑問はあるし、この考え方を利用される不安も感じるし、自分のアクションの社会への影響の少なさも感じるし、「株を買えるのは困窮していないからだ」という微妙な気持ちもある。それでも、少しでも世界が悪くなるのを防ぎたい、という気持ちで、生まれて初めて少しだけ株を買ってみた。


4/15〜5/19【9】

『三体Ⅱ 黒暗森林』(作:劉慈欣/訳:大森望、立原透耶、上原かおり、泊 功)、読了。

引き続き、凄まじい大傑作!これを1人で考えられるものなのか?この著者はどこまでシミュレーションできるんだ?とまた唸った。人間の想像力の可能性を思い知らされた。

まず、前作から続く『智子』の設定が効いている。

①智子は地球上のあらゆる場所に遍在可能。

②智子は物理の基礎研究を妨害し続けることによって、科学技術の発展を妨害する。

③智子は地球における万事の情報を得ることができる。

④智子が唯一、読み取り不可能なのが、人間の心理状態や思考。

次に重要な設定は地球人と三体星人のコンタクトについてで、

⑤三体星人が地球に到達するのは400年以上先になる。

上記のルールに則った上で本作は進む。地球人は三体星人の侵略にどう対抗するのか。

この⑤が最も斬新だと感じた。「人間の寿命を超える長大な時間を、どのように使って対策を考えるのか」という難問自体も面白いけれど、その対策や経緯がいろんな角度からシミュレートされていくのが面白い。

そして、三体星人に挑む『面壁者』という設定が最高。これは、智子の唯一の弱点である④を突く方法で、こんな設定を考えられるのが凄い。面壁者の物語が進むに連れて、『ハンター×ハンター』を読んでるような感覚を思い出した。とにかく多くの要素が入り乱れる中での頭脳戦と心理戦がその連想の原因だろう。その要素一つ一つが本当に斬新で、思いもよらないアイディアで出来ているという点もヤバイ。

中国で2008年に書かれた小説のせいか、女性観や家族観の描き方は若干微妙な気もするし(具体的に指摘しづらいくらい薄らと感じる程度だけど。例えば、面壁者が男性だけである点など。イメージする人物がいたのだろうし、当時の社会を映していると言えば、その通りなのだろう)、日本についてのおかしな描写には首を傾げてしまうけど、それらを覆い尽くすような膨大で面白いアイディアの渦に翻弄されているうちに読み終わった。

『黒暗森林』のタイトルの意味が終盤で説明される時なんて、そのシミュレートの深さに感動した。早くドラマで観たい。こんな凄いの映像化できるの…という疑問を感じ続けながら楽しみにしている。


4/2〜4/16【8】

『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(作:斎藤倫/画:高野文子)、読了。

いろんな人の絶賛もあったし、表紙の高野文子の絵も良かったので、買ってあった。買った当時は想定してなかったけど、成り行きで子どもに毎日0.5~1章ずつ読み聞かせた。

子供が詩というものに初めて接する機会として、とても良い本だった。自分自身も、詩というものに苦手意識があるので、一緒に読みながら少しずつ詩の楽しさを知るような心地がした。

年齢的におじさんである「ぼく」と小学生の「きみ」が、詩について話す形式で話は進む。各章では2篇の詩が引用されている。詩を読み聞かせするうちに、この言葉の唐突さは多くの絵本に似ていると気づいた。息子も気づいて、「『の』(junaida氏の絵本)みたいだね」と指摘していた。絵本は詩に触れるための準備をするものかもしれないし、絵本と詩は兄弟みたいなものなのかもしれない。


4/1〜4/15【7】

『夢の猫本屋ができるまで Cat’s Meow Books』(井上理津子/協力 安村正也)、読了。

本屋Titleの『本屋、はじめました』が良かったので、好きな本屋の開業話をもう一冊読んでみた。『猫×本屋』をコンセプトにしている Cat’s Meow Booksの話。基本的には猫関連の本しか置いていない書店で、数匹の猫が居心地良さそうにしている中で、ビールやコーヒーが飲めたりするお店。

まず、店主がパラレルキャリア(いわゆる副業)だとは知らなかった。そんなワークスタイルを全く考えたことが無いし、今後も無さそうだけど、一つの考え方をもらった気分になった。

それと、自分の場合の〇〇×本屋のコンセプトも何度かシミュレーションしてしまった。ちょっと考えるだけでも相当難しくて、安村氏を尊敬してしまう。

一番面白く感じたのは、保護猫コミュニティで色々と繋がっていく点だった。人生や生活の中心に猫がある人がこんなにいるのか。猫の殺処分の問題を考えている人がこんなにいるとは知らず、少し反省した。

この本は、店主じゃなくてライターの方が取材して作っていて、その少し俯瞰した視点からの文章には、ノンフィクションらしい真実味を感じた。それを裏付けするような取材対象と参考資料の多さにも感心した。


3/29〜3/30【6】

『ババヤガの夜』(王谷晶)、読了。

映像を想起するタイプの強烈な描写が多くて、一気に読めた。映像化したら誰がやるかな、コミカライズするなら誰が描くかな、というメディア展開の可能性を期待しつつ読み終えた。

主人公の依子が筋肉質で喧嘩好きの強い女性であるという斬新な設定が1番の魅力で、その強さがグイグイ物語を引っ張っていく。それに呼応するように配置されたケレン味たっぷりのヤクザ達も良い。その男性達を圧倒する姿にフェミニズム的な文脈は自然と見えるけど、その姿は純粋にかっこいい。また、もう一人の主人公と言える尚子との関係性の描き方も、安易に恋愛や友情に堕とさない点が、シスターフッド的な表現として真摯な態度を感じられて凄く良かった。

終盤で展開をひっくり返す大仕掛けにはちょっと驚いた。そこまでのミスリードを含めて、物語の背景となる情報のコントロールが巧みだった。

ジェンダーバイアスの呪いを解く意志が込められた痛快エンターテインメント作品だった。


3/19〜3/28【5】

『なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむアカデミー賞』(メラニー)、読了。

ラジオで喋っていた内容がわかりやすくコンパクトにまとまっていた。『アカデミー賞の各部門の受賞には明確に傾向があり、それを予想するためのメソッドを紹介していく』というのはタマフル(その後アトロク)で語っていた内容の通りで、それに付随して、過去の受賞作や色々なスピーチを細かく振り返っているページが充実してて面白い。資料としてもとても優秀で、こうやって残さなければ消えていく内容だと思う。

2021年は、パラサイトが韓国語映画で作品賞を獲った後だし、大統領がトランプからバイデンに変わったし、映画界がコロナ禍の煽りを受けている最中なので、当時ともだいぶ事情は変わってしまった。今後、アカデミー賞がどうなっていくのかは、めちゃくちゃ気になる。

そして、受賞の予想をしてみたくなってるし、アカデミー賞の受賞式を見てみたくなっている。


2/21〜3/17【4】

『最初の悪い男』(作:ミランダ・ジュライ/訳:岸本佐知子)、読了。

あらすじからこぼれ落ちてしまう面白さに溢れていた。一つ一つの出来事は思い出せるけど、なぜそうなったのかが思い出せないし、説明できない。主人公の妄想が現実を侵食し過ぎていて、かなり信用できない語り手なのだが、それが展開を激しくスイングする。その事故のような唐突さに、爆発的に感情を揺さぶられる瞬間もあった。

妄想癖のせいか、主人公は思い込みが激しくて、展開を予見して読者を誘導する。でも、実際の出来事は違った、という流れが何回もあった。こんな予想の裏切り方があったのか。シェリルとクリーの関係性の激し過ぎる変化は読み取りづらいけど、一番の読みどころだろう。その部分については、役者あとがきがガイドラインとして素晴らしい役割を果たしていた。ラストの意外な爽快さも読後感が良かった。


2/12〜2/19【3】

『さよなら、俺たち』(清田隆之)、読了。

読んでて辛くなる本だった。思い当たるフシがあり過ぎた。とにかく細かく言語化しているのが面白くて夢中で読んだ。冷静に読めていないので読み返した方が良さそう。今は多少気をつけられるようになっているけど、自分はきっとまだまだ危うい。

著者が有害な男性性について書いているエッセーが多くて、彼自身の反省が込められている文もある。そこに織り交ぜる著者の経験や個人的な情報開示の度合いが凄い。説得力を高めるために書いていると思うのだけど、相当な覚悟を感じた。

周囲の人間やTwitterや自分自身を見ていても、やはり生まれた時からホモソーシャル的価値観に親しみ過ぎてしまった男性は、なかなか変わりづらいのかもしれない。いろんなきっかけは考えられるけど、男性は同性からの呼びかけの方が気づきやすいのかもしれなくて、そういう意味でこの本は非常に有効だと感じた。自分の男性としての加害性を意識し過ぎてしまう話は初めて読んだのだけど、言語化されて初めて、自分にも当てはまることがわかった。と同時に、これは「あるある」だったのか、と少し安心できた。

映画『モテキ』をはじめとする大根仁作品を、『男性の幼稚さ』の表現について論じていたのも新鮮で、当時楽しんでしまった自分とどうやって折り合いをつければ良いかわからなかった自分にとって、大いにヒントとなる文章だった。

繰り返し出てくる、『人のdoingではなくbeingを見る』という考え方は、ジェンダー・イクオリティーの実現を目指すために重要な要素として受け取った。

さよなら、俺たち

さよなら、俺たち

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1/11〜2/12【2】

『三体』(作:劉慈欣/訳:大森望、光吉さくら、ワン・チャイ/監修:立原透耶)、読了。

圧倒的傑作だった。読み終わる前に続編を買いに行った。

本格的に理数系っぽい聞き慣れない言葉が飛び交い、異様に複雑な設定も出てくるのだけれど、それでも読みにくいわけではない。リーダビリティは超高いし(訳者の功績は大きいのだろう)、めちゃくちゃ先が気になるのに、読むのに時間がかかる、というもどかしい読書体験となった。

「一人の頭で考えられる本なのか、これは」とずっと思っていた。理数系の情報を中心にたくさん取材をしたのは当然だろうが、それらを知識として使いこなした上で、この設定とストーリーを思いつけるのか?

まず、アイディアがもの凄い。現実をうまく反映させたギミックに、静かに混ぜるSF要素が巧みだ。ストーリーと設定のアイディアが充実してることは他の作品でもあるが、その異常な充実に加えて、ビジュアル的なアイディアにもとてつもないインパクトがあった。個人に降りかかる災難のミクロな表現の緻密さにも驚いたが、とある作戦の恐ろしいアイディアには息を飲んだ。残酷さと美しさを兼ね備えた映像が脳内で立ち上がり、居座り続けている。

Netflixでドラマ化するというが、その映像化には大きな期待を寄せたくなる。そして、かなり中国固有の設定が活かされているのだけど、舞台は中国中心になるのだろうか?何にせよ、そちらも楽しみだ。


2020/12/22〜2021/1/10【1】

『ヨシキ×ホークのファッキン・ムービートーク!』(高橋ヨシキ・てらさわホーク)、読了。

映画が映し出す現実を省みて、二人で自由に語り合う対談形式の本。口調こそ砕けていて皮肉も多いが、前評判通り概ねシリアスな内容だった。どの問題についても、彼らの話には頷けることが多かった。

ディズニーによるアニメ過去作の実写化は必要か、という話題の流れで、「『ジャングル・クルーズ』にドゥエイン・ジョンソンが出るので、アトラクションにも設置されるかも」からの「じゃあ、いいか(笑)」には笑った。俺もアトラクションでロック様は見たい。

今読んでおいてよかった。コロナウィルスの感染拡大や、トランプ退任や、映画興行の衰退は、2021年以降の映画にどんな影響を及ぼすのだろう。また話してほしい。

 

 

2020年後半に観た映画の記録

映画46本、ドラマ5シーズンを観たらしい。

毎晩、家族みんなで30分〜1時間くらい映画やドラマを観る習慣ができたのは大きい。その時間で、最初はMCU作品、次にスター・ウォーズ・サーガ(マンダロリアン含む)、最後にハリー・ポッター・シリーズを観た。こうして連続で観ていくと、MCUシリーズの出来の良さが抜きん出ていることがわかる。

スター・ウォーズ』のエピソード1と6も観たし、『ラッシュアワー』の1と2も観たが、あまり熱心に観なかったので、感想は省いた。

久々に沢山観たが、映画館で観た本数は激減していた。そりゃそうなんだけど、残念だ。

この期間に観た作品で特に印象に残ったのは、『THE BOYS』シーズン2と、『マンダロリアン』シーズン2と、『ブックスマート』。こいつら、最高。

以下、ネタバレしながら感想を記録している。


12/30

『ファンスタティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

1作目の最後に感じたガッカリ感は持続してしまっていて、グリンデルバルドの振る舞いが意味不明に感じることが多かった。これは、ミスリードや意外な展開を多用したために、キャラクターの行動や心理状態に齟齬が生じている状態なのでは、と感じた。少なくとも、クリーデンスの出生の秘密はひねり過ぎてて、観客を驚かせたいだけに思えた。その結論にしてしまうと、1作目ではなんで気づかなかったのか?後から気づいたのだとしたら、グリンデルバルドはその程度の能力なのか、という観点で残念だ。ユセフやリタというキャラクターも観客の裏をかくためだけに作られた感じがした。最後にティナのリアクションの映像はあっただろうか。絶対に必要だろうが...。要するに、ご都合主義的な脚本だ。

レストレンジ、ダンブルドアなどの名前を登場させることで、ハリー・ポッターシリーズをへの目配せもバッチリだけど...。

グリンデルバルドはジョニー・デップのビジュアルと演技のおかげで、強烈なカリスマ性を持つことに成功していた。

ニュートのキャラクターも完全にエディ・レッドメインに馴染んだ。地面を舐めるシーンには度肝を抜かれた。

物語は前作よりも途中っぽさが増した。

と、なんだかんだ言っても次作が楽しみではある。


12/28

『ファンスタティック・ビーストと魔法の旅』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

ハリー・ポッターシリーズの殆どの作品よりも面白かった。勝因はJ・K・ローリングが原作ではなくて脚本である点ではないだろうか。原作小説があった前シリーズでは、膨大な情報量の処理や取捨選択によって、説明不足や作品全体にとってアンバランスな展開が生じたりしたが、今回は本人脚本ということでアイディアを無理無く圧縮して映像化できていた。

まず、主役のニュートのキャラクターが魅力的だ。魔法使いというだけではこれまでのキャラと差別化しづらいので、魔法動物との交流を能力や特性として付加していたのだろう。さらに、そこから肉付けしたのであろう『人間とのコミュニケーションが苦手』という性格も新鮮だった。人と目を合わせないエディ・レッドメインの演技が良かった。

その上で、彼をシャーロック・ホームズにして、ジェイコブをワトソンにしていた。

また、とにかく底抜けに人が良いジェイコブや、心が読めてしまうという難儀な能力を持ちながら(あるいは、それゆえに)魅惑的なクイニーなど、面白いキャラクター達が脇を固めていた。そして、何よりも魔法動物が良かった。ニフラー、ピケットというニュートにやたらと親密な小型動物達は愛らしく生き生きと動き回っていたし、その他の大型動物達もダイナミックに躍動していた。メイキングを見ると、J・K・ローリングの素晴らしいアイディアを損なわないように、制作チームの総力を上げて具現化しているのが素晴らしかった。

トランクの中でいろんな動物が入り乱れる映像は圧巻だった。一方で、ラストシーンでのグリンデルバルドの登場は余計だったように感じた。思ったより有能な敵じゃないんだな、と少しガッカリした部分もあった。

 


12/22

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

結構、簡単に人が死ぬ。

まず、ゴイルの焼死に驚いた。ゴイルは本当に愚かで、マルフォイが躊躇する死の呪文もガンガン使ってたので、死んでも仕方ないのかもしれない。しかし、マルフォイでさえ悼む気配すら無い。なかなか登場人物の気持ちが読み取れない。極めつけはロンの母によるベラトリックスの爆砕。本当に驚いた。全体的に、命がどんどん軽くなっていくのは、『戦争状態だから』という説明だけで良いのだろうか。

他にも、スリザリン寮生がスリザリン寮生であるというだけで地下牢に入れられてしまうシーンに驚いた。偏見強過ぎないかな?その経緯を省き過ぎててそう見えるだけかな?しかも、ラストシーンで成長したハリーはスリザリン寮を肯定的に話す。このシーンの思考の流れも不思議だった。

ハリーと戦ったヴォルデモートが吹っ飛んだ理由は?ヴォルデモート迂闊じゃない?死の秘宝をちゃんと集める話でもないのか?ハリーとヴォルデモートの魂は繋がっちゃてたんじゃなかったけ...???と万事がこんな感じで説明不足で雑な印象だったが、映像で説明しづらい内容と多過ぎる情報量の処理に困った結果なのかもしれない。そもそも、原作通りの可能性もあるけれど(読んだけど覚えていない)。

1作目からの積み重ねになっている演出も多くて、続けて観た甲斐はあったのかもしれない。何度も比較してしまったが、この作品群はMCUに影響を与えたりしたのだろうか?

特に、グッときたのはネビルだった。彼の成長と、へっぴり腰になりながら剣を振る姿には感動した。彼の勇気はカッコよく描かれていた。

前作のムードは引きずっていて、全体的にかなり暗い。死や戦争のイメージを強く打ち出しているからだろう。

 


12/21

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

ずっと暗い!希望が微か過ぎる。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』よりも絶望が大きい。原作通りだろうけど。

『姿現しの魔法』を多用するために、ロケ地がかなり増えていて、映像としては新鮮だった。森ばっかりだったけど。

それにしても、よく知らない人が急にストーリーに関連してきて混乱する。ビル・ウィーズリー?フラーと結婚?グリンデルバルド?ルーナのお父さん?っていう感じ。アイテムもそうで、死の秘宝?ニワトコの杖?『吟遊詩人ビードル』?灯消しライター?(これは1作目で少し見たが)という感じ。しかし、本だとそんなに混乱もしなかったような...。映像で説明しづらい内容が多過ぎるのかもしれない。

ロンドンでの西部劇みたいな魔法バトルはカッコよかった。

魔法省に潜入するシーンは、ティーンエイジャーによるおバカ『ミッション・インポッシブル』という感じで楽しかった。

 


11/4〜12/18

『マンダロリアン』(シーズン2)を観た。

最高だった。もう本当にありがとう。奇跡のような8週間で、毎週めちゃくちゃ楽しみにしていた。毎話ちゃんと面白くて、本当に驚いた。

やっぱりデイブ•フィローニとジョン・ファブローがすげえのかな。昔からのファンへの目配せは最小限にして上手くバランスを取って、観たことない映像なのにスター・ウォーズで観たかった映像になっている、という超難易度の高い偉業を成し遂げていた。

シーズン2は1よりも全編通した大きなストーリーを進める性質が強くなっていて、1話完結的な傾向は弱まった。それを沢山の監督が作っているのに、一貫してちゃんと観られるクオリティなのが本当にヤバい(有名監督がガンガン参加してることにも驚愕)。

第1話は冒頭の酒場からヤバイ。西部劇かましてくる感じ!

第2話はとにかくキャラクター達の追い詰め方が異常。え?またトラブル?みたいな。淀みなくピンチを作る脚本もすごいけど、それを無理無くテンポよく映像にした監督もすごい。

第3話も怒涛の展開とアクションに手に汗握った。初登場とは思えないくらい生き生きとマンダロリアンの3人を描いていた。

第4話は怒涛のカーアクション。それもできるのか!

第5話はアソーカ・タノ初登場。西部劇と時代劇を同時に描く演出がヤバ過ぎた。このシーズンでこの話が一番好きかも。

第6話は戦争映画。もしくは西部劇における集団戦。観たかったボバの活躍がここにあり。

第7話には「マンダロリアンはアーマー無しでも強いのか?」というテーマを感じた。『ハン・ソロ』でダメだった強奪劇をとてもうまく描いていたし、元帝国軍だったメイフェルドを上手く使ってとてもアツイやり取りを入れ込んでくれた(高橋ヨシキ氏が言ってた通り、フィンでやれたはずなのが悔やまれる)。

第8話はもう集大成だった。アッセンブルした仲間の大活躍とあの人の登場。そして、涙を誘うラスト。

シーズン3はあるのだろうか。無くても良い。本当に素晴らしい時間を過ごせた。

 


12/16

ハリー・ポッターと謎のプリンス』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

冒頭は前作よりも『アベンジャーズ』感を増した映像で、スケールのデカさをかましてきてワクワクしたが、観終わってみると、それ以降は地味だったな、と少し拍子抜けした。原作を思い出すと、確かにこの回は地味で印象が薄かった。妻は全体的によくわからなくて辛そうだった。「いつハリーがジニーに好意を持ったのか」は映画を観てても確かにわからなかったし、唐突に思える展開も多かったし、行動の説明が不足気味に思えるシーンも多かった。謎のプリンスの正体がわかったから何なのだ。ウィーズリー宅は燃やされたが、それだけで済んだのはなぜだ。と改めて考えると、疑問に思う点も多かった。

ハーマイオニーがロンを想う気持ちの切なさがガンガン伝わってくるのは、エマ・ワトソンがうま過ぎるからだ!そこにだけティーン・ムービーっぽさがある。

 


12/10

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

今までで一番無理なくスマートに映像化していた。疑問に思うシーンも殆ど無かった。Wikipediaを見て知ったが、かなりサブストーリーを削って研ぎ澄ました脚本だったようで、納得した。新聞を使った説明の省略を連発するのは笑ったけど。映像の色味やセットのデザインなどは3作目が一番ダークだったけど、物語の内容自体も回を追うにつれてどんどん暗くなっていく。

魔法界のマグル(非魔法使い)界への干渉から始まる辺り、世界観がスケールアップしている面もある。神秘部の映像などは、予算が上がってるのかな、と思うような凄みがあった。初めて描かれた大人の魔法使い同士の決闘のスタイリッシュさにも驚いた。不死鳥の騎士団集結のシーンは『アベンジャーズ』を彷彿とさせた。ハリーがヴォルデモートと繋がって混乱する描写からは、『ファイトクラブ』を思い出した。

魔法大臣やアンブリッジが頑なにヴォルデモートの復活を信じない姿勢は、2020年に観ると新型コロナウィルスの被害を否定していたトランプに重なった。自分に都合が悪い事実や、自分が不快な事実を無かったことにしようとする姿勢のクソな普遍性を感じた。

それにしても、アンブリッジは名演だった。本当に嫌な感じ!

 


12/5

ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(マイク・ニューウェル監督)を観た。

大変に展開が多い原作を、監督が職人的にうまくまとめている印象だった。

マッドアイ・ムーディの姿やエラ昆布の効能など、想像しづらかったビジュアルをちゃんと映像化していたのが凄かった。これまでの3作より監督のはっきりとした作家性がわからなかったけど、思春期にさしかかった人物の揺れる心情描写も良かった。ハリーとロンとハーマイニオニーにとって、ダンスパーティが非常に重要なものとして描かれていて、特にハーマイオニーがロンに感情をぶつけるシーンにはドキドキした。相変わらず、エマ・ワトソンすげえ、という話だが。

ハリーとハーマイオニーの関係性の描き方はとても健全で、グッときた。2020年にロバート・パティンソンを確認すると、感慨深い。

ある人物の死をはっきりとあっさりと描くのは、原作通りではあるが、ディズニーとの違いを感じた。その上で、喪に服さずに、旅立ちや成長を予感させるようなラストには、心情的についていけなかった。エンドロールの歌は何だろう。

 


11/19

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(アルフォンソ・キュアロン監督)を観た。

圧倒的に前2作より良かった。世間の評価を知らないが、全体に漂うちょっとダークな雰囲気とクリーチャーの不気味さが抜群に良かった。そこには監督の作家性を感じた。前2作では本の内容を不足無く映像化することに注力し過ぎていて、映画的な楽しさが少なかったのだ、と今作を観て気づいた。ディメンターのビジュアルと恐怖を煽る演出、学校生活を楽しむハリー達の談笑シーン、ヒッポグリフの背に乗って飛翔を楽しむハリー、ホグワーツの地理関係を明らかにするショットなど、映像としての豊かさがあった。

その代償として、説明不足というところがあるだろう。忍びの地図を作った経緯や、リーマスシリウスとハリーの父親の関係性の説明などを一気に端折っていたので、原作を読んでなければちょっとわかりづらい部分もあっただろう。しかし、原作全てを入れ込むのはやはり無理なので、英断だったのでは、とも思う。ラストの種明かしに向かうシーンも、わかりやすくテンポよく説明していて、とても巧かった。

急に気づいたけど、ハリー・ポッターは気絶するシーンが多い。

エマ・ワトソンはどんどん美しくなる。

 


11/19

ハリー・ポッターと秘密の部屋』(クリス・コロンバス監督)を久々に観た。

1作目に似た感想持った。長過ぎる原作を不足が無いように映像化して詰め込んでいた。そのために、ところどころ説明が足りないところもあった。日記を見つける流れは、原作通りに唐突だったが。ハリーとロンは変声期が来ていて、なかなか演技が難しそうだった。ハーマイオニーは引き続き上手い。ドラコの嫌なヤツ度は自然に増していて面白かった。ギルデロイがケネス・ブラナーだったと知った。その溶け込み具合を観て、とても演技が上手いのだな、と感心した。息子がドビーをけなしているのを見て、彼が相当愛せないビジュアルだと気づいた。冒頭からしばらく続くドビーの妨害行為はハリーへの嫌がらせにしか見えなくてイライラしたが、自傷行為には児童虐待の形跡が見て取れた。

それと、1作目でもそうだったが、ダドリー家がハリーを放置しない(突き放さない)理由がよくわからない。本当に邪魔だったら、閉じ込めたりもしないのでは?映像化されてその疑問が強くなった。「魔法を認めない」→「頑なに魔法界に行かせない」という思考は少し不自然に思えた。

 


10/17〜11/18

コブラ会』(シーズン1)を観た。

観終わって、胸を掻きむしりたくなるような切なさが残った。

始まりは単純な話だった。『ベスト・キッド』のラストで敗れて以来やさぐれてしまったジョニーが再起を図る話。この逆転を目指すストーリーは王道とも言えるし、普通に盛り上がる。しかし、このドラマはそれだけでは終わらせない。初期はジョニーの再起の話で、彼が先生(センセイ)となり、ミゲルという一番弟子を得て、徐々に人生を回復していく話となっている。

一方で、最初から必要以上にメンタルに攻撃性を求めるコブラ会式の空手には、ずっとハラハラしてしまう。いじめられっ子達がコブラ会の空手によって自信をつける過程は良いけど、他者への執拗な攻撃にまで発展すると、問題が起き始める。同時に、ジョニーの息子のロビーが宿敵・ダニエルの一番弟子になる流れも、とてもよく練られた展開だった。

シーズン1の最終話でのダニエルとロビーの最終対決に集約されるのだけど、ジョニーが教えてきたことは写し鏡のようにミゲルに反映されてしまい、ジョニーは初めて戸惑う。相手が大事な相手でも「情け無用(No mercy)」でいるべきなのか?という問いが生まれて初めて、他者への思いやりが生まれるのは、流石に2018年のドラマだな、という感じがした。結果的に『ベスト・キッド』での結果を覆しているのに得られたのが空虚な勝利だけ、という演出もすごく良かった。ジョニーの深い意味での謝罪と、それをしっかり受けるロビーの赦しもめちゃくちゃ感動的だった。この最終話で、このドラマは『父と子』や『先生と教え子』をテーマにしていた、とはっきりわかった。これを機にジョニーは人間的な成長へ向かうんだろう、というところでラストにあの男の登場。

うおー、どうなるんだ、ってわけでシーズン2も早く観よう。全編通して演出もしっかりしている印象で、ジョニー側とダニエル側で、明らかに音楽や映像の雰囲気を変えている点や、空手のアクションをしっかりとカッコよく描いてる点も素晴らしい。始まりから観ていくと、ジョニーとミゲルを応援したくなるが、空手大会の勝利がただの勝利ではなくなってしまった以上、この物語に上手い着地点を作るのは相当難しいだろう。きちんと最後まで見届けたい。

 


11/18

ハリー・ポッターと賢者の石』(クリス・コロンバス監督)を久々に観た。

とにかく時間が足りない印象を受けた。カットの終わり際がブツッと切れて繋がっていることが多かった。昔観た時も同じような印象を受けた、と思い出した。原作が分厚過ぎる上に、違う巻に続く(伏線になる)話もあるからあんまり削れなかったんだな、と今になって理解できた。

それでも、やはりベテランの監督だけあって、とてもうまく原作を映像化していると感じた。クィディッチや9と3/4番線や組分け帽子など、自分では想像しきれていなかったディテールがこの映像化で決定されていた。監督の過去作『ホーム・アローン』っぽいところも多くて、クリスマスの多幸感溢れる雰囲気作りと、全体的な音楽の使い方にそれを感じた。両方ともジョン・ウィリアムズだから、ということもあるだろう。

今見ると、ハリー・ポッターの『選ばれし者感』がむず痒いくらい伝わって来る。子供達の辛い現実からの逃避を促すための作品かもしれない。パラレルワールド的に、冴えない自分でも活躍出来る世界があるかもしれない、という希望を与えてくれたのかもしれない。

ドラコ・マルフォイはこの作品ではそんなに悪いことをしていないのに、貶められ過ぎている感じがした。ハリー・ポッターとグリフィンドール贔屓過ぎるというか。それは、コブラ会を観ていたために、敗者の人生をより強く想ったからかもしれないが。

そして、エマ・ワトソンの愛くるしさがヤバイ。3人の成長が楽しみになった。

 


11/4

鬼滅の刃 無限列車編』(外崎春雄監督)を観た。

超動いて、超エモーショナル!

まず、ファーストカットからめちゃくちゃ美しくてびっくりした。緑色の淡さや光の当たり方から、坂口恭平パステル画を想起した。あの木漏れ日の動かし方はCGで足しているのだろうか。ラストカットの朝焼けの光も同様に美しかったのだが、それらの技術には日本のアニメの新しい可能性を感じた。アクションシーンも言うまでもなく凄くて、3Dアニメ的なCG空間でキャラクターをうまく魅せながら、決め絵がばっちりカッコいいというのは、TVシリーズの特長のままだが、物語の展開的にも格段にスケールアップしたものが観られた。『スパイダーバース』に肉薄するのはこういう表現手法ではないだろうか。

漫画では全く感じなかったのだけど、この夢をモチーフにした話は『インセプション』にも少し似ていた。動いてくれて初めて気づいた。

それにしても、原作通りとはいえ、本当に途中の話だった。途中から始まって、途中で終わる。長過ぎる気もするし、途中から新たな敵が乱入する展開は、漫画での印象通りに唐突で意味不明なままだった。

この映画がこれだけメガヒットするというのはどういう現象なのだろうか。

 


11/3

スター・ウォーズ エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』(J・J・エイブラムス監督)をまた観た。

自業自得の面も多分にあるが、敗戦処理したJJは大変だったのだろう。問題は色々あるけど、やっぱりエピソード8でスノークが死んだことが痛かったのでは?カイロ・レンは悩んで迷う人だから最後の敵にもできなかったし。だから、死者(パルパティーン)は蘇らねばならなかったのか?それに、エピソード8で言ってたけど、パルパティーンの子どもは名も無き人と言えるのか?レイとフィンとポーの間に絆があるの?3人での活動初めてじゃない?カイロ・レンはなんでまたヘルメットを直したの?そして、また脱ぐの?フォースって死者も使えるの?フォースは命を渡せるの?パルパティーンを殺したらダークサイドに堕ちるんじゃないの?などと疑問点を笑っているうちに終わった。

 


10/30

スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ』(ライアン・ジョンソン監督)を久々に観た。

息子の反応を見ていて気付いたが、映像の中で常に何か刺激的なことが起きていて、飽きさせないように工夫していた。しかし、それは、先を読ませないためのどんでん返し的な要素が強く、その展開のためにこの作品単体でも一貫性が無い行動を取るキャラクターが生まれたし、エピソード7からの流れを分断したりした。そこにはスター・ウォーズの中で新しいことをやりたいという野心もあったのかもしれないが、この手法じゃない方が良かっただろう。

いくつも疑問点があった。フィンとローズの珍道中は、少しも戦況に寄与していないのでは?ストーリーに連動しな過ぎでは?活躍させないの?裏切るにしても、DJはもう少し思い入れさせる必要があったのでは?エピソード7であんなに重要視されていたルークの能力はあんなもんでいいのか?そもそも、ルークに恐れられていたのに、カイロ・レンはルークを恐れ過ぎでは?最後のフィンの特攻を否定するためだけだろうが、こんなに特攻を肯定するような描写が連続していいのだろうか?と展開やキャラクターに起きている歪みに首を傾げ続けた。

塩の惑星の塩が接触で赤くなる描写は良くて、そこでジェットスキーの大群で走るビジュアルは新しかった。

 


10/25

スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督)を久々に観た。

エピソード4〜6から続けて観ると、大半の部分がそこからの引用で出来ていることがわかって、白々しい気分になった。ハン・ソロの「I  know」や「I have a bad feeling about this」みたいなセリフが無理矢理組み込まれてることに気づくと、チェック項目を淡々と満たしてファンに文句を言わせないようにしているようだった。脚本もエピソード4〜6にあった展開を思い切りなぞっていくだけなので、ご都合主義的に感じる場面も相当多かった。「あそこにミレニアム・ファルコンが捨てられてるのは都合良過ぎじゃない?」「フィンは逃げようとしてたのになんで戻ってきたの?戻ってくる動機が足りなくない?エピソード4で一回ルークの期待を裏切っておいて戻ってきたハン・ソロの真似じゃない?」「R2のスリープモード切れるタイミングちょうど良過ぎじゃない?」などという疑問を見ないようにしても、殆どがサンプリングでできたような作品で、本当に新規性を感じづらい作品だった。

それでも、新しかったところを挙げるなら、キャラクターと一部のビジュアルだった。ナウシカのように登場したレイはビジュアルに説得力があって、新しいストーリーを紡ぐに足る存在感だった。フィンというキャラクターも、騒々しさ・出自・レイとの親密さ・ライトセイバーを構えた姿などには新しさがあった。そして、弱さも含めて迷いを表現する悪役としてのカイロ・レンの繊細さが新しかった。映像としては、雪が降る夜の森での戦闘にはフレッシュなカッコよさがあった。それらがもっと緊密に連動すれば良かったのだが、むしろ枷になったエピソード4〜6によって分断されていたのが残念だった。

 


10/18

スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(アーヴィン・カーシュナー監督)をまた観た。

明らかにエピソード4に比べてSF表現の幅が広がっていて、予算のアップと技術の進歩を感じた。続けて観ると、エピソード4から5の間に確かな時間の経過があって、ハン・ソロとレイアやハン・ソロとルークの関係性が明らかに変わっていて面白かった。ジェダイとフォースの本質的な部分はエピソード5で定義づけられたのか、と気づいた。

 


10/17

『メイキング・オブ・モータウン』(ベンジャミン・ターナー&ゲイブ・ターナー監督)を観た。

名曲生産工場モータウンが創業して発展していく姿を、大御所となった関係者達の証言と、貴重な当時の映像や音源を交えながら描く。

中心となるのは、創業者ベリー・ゴーディーの時系列に沿った語りだ。モータウンの創業〜圧倒的な発展〜育った者達の離散(衰退)の流れは、そのまま彼の青春一代記として面白かった。特に、自動車工場のようにシステマティックに音楽の才能を世に送り出すというコンセプトで始めたが、乱れ咲いた才能達がシステムからの逸脱を図った結果、モータウンが役目を終えていくという構図はとても切なかった。途中からは、モータウンの中心的メンバーになったスモーキー・ウィルソンとの語りになっていくのだが、二人の掛け合いは本当に仲が良さそうで笑えた。本当にファミリーだったのだろう。

モータウンに詳しくなかった自分にとっては、非常に興味が湧く内容だったし、勉強になった。スティーヴィー・ワンダーがいたのは何となく知っていた。しかし、こんなにビックリ人間みたいな形で登場したのは知らなかったし、その才能の豊かさには驚いた。マイケル・ジャクソンもマジで恐るべき子どもだった。幼い頃の歌とダンスは衝撃映像だった。マーヴィン・ゲイがいたのは知らなくても『What’s going on?』という曲は知っていた。しかし、その曲が生まれた社会背景と、モータウンの行く末を決める象徴的な曲になったという事実は全く知らなかった。

全編通して、情報量もとんでもなくて、一つの画面に載っている文字数が膨大だった。見終わった後、音楽史の中でのモータウンが少し具体的にマッピング出来るようになった。プロデューサーの一人がジャズミュージシャンをかき集めたエピソードを知って、ジャズからモータウンへの接続を微かに感じたし、ドクター・ドレが話してる内容でモータウンからヒップホップへの接続を感じた。これから聴く音楽の聞こえ方は変わるだろう。

 


9/9〜10/14

『THE BOYS』(シーズン2)を観た。

毎週配信が楽しみで仕方が無かった。最終的には、広げた大風呂敷も綺麗に畳んでちゃんと終わらせてくれて、とても満足できた。

基本的には、アメコミのDCっぽいヒーローをパロディにした連続ドラマで、社会問題や風刺をうまく取り込みつつ、エログロありブラックジョークありの刺激的な内容にした上で、見事にエンターテインメントにしていた。シーズン2は、その方向性をよりはっきりと発展させていて凄まじかった。

キーパーソンとなるのはストームフロントという新キャラで、彼女が人種差別問題やSNSの持つ問題性をごっそり投入していて、社会(特にアメリカ)の持つ問題を露わにしていた。彼女の徹底的なレイシズムは悪夢のようだけど、同時にアメリカの現状を顕著に表現していて、『アメリカ人はみんな人種差別好き。ナチスが嫌いなだけ』という主張は、BLMの運動などを見ていると、痛烈過ぎるパンチラインだった。そして、彼女がとある人物達からタコ殴りにされるのも、人種差別者への軽蔑が十分に表現されていた。

もう一人の新キャラであるヴォート社長のエドガーも資本主義に飲み込まれているアメリカをよく表している。資本主義はポリティカルコレクトネスもフェミニズムダイバーシティも利用しようとする。

このシーズンでは、出演者やスタッフへのインタビュー番組も同時公開された。そこで彼らが言っていた「アメリカの企業がナチスの技術力を使って繁栄してきた」という話は、真偽はわからないが、全く知らなくて衝撃的だった。このシーズン2は明らかにその説を前提にヴォートという企業を描いていた。更に、その番組でホームランダー役の俳優が明確に「トランプを参考にしている」と言っていたのは、驚くと同時に納得だった。スーパーヴィランとしてアメリカ人以外の人間を徹底的に排除しようとする様子は、大統領が移民を排除しようとする姿に重なった。

人体損壊のようなゴア描写や性的表現の激しさもパワーアップしていたが、その印象だけで終わらないのは、謎や課題とその解決をきちんと描いている脚本がしっかりしていたからだろう。各主要キャラクターの背景を掘り下げるエピソードも充実していて、ドラマ性により深みが出ていた。

ホームランダーの情けない姿が際立つラストカットは、有害な男性性を象徴的に表していて、強烈に印象に残った。

と満足していたが、え?シーズン3あるの?無くてもいいような...。

 


10/12

スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』を久々に観た。

色々観た後に改めて観ると、ああ、スター・ウォーズの始まりなんだなあ、と感慨深い。若さが迸っているルーク、とにかく口が悪いレイア、アウトローぶってるけどいざと言うときに頼れるハン・ソロ、とにかくかわいいR2-D2、ずっとうるさいC-3PO、デカくてかわいいチューバッカ、斬られて消えるオビ=ワン、黒くて怖いダース・ベイダー、リアルに汚れたストーム・トルーパー、まだまだ力の範囲が探り探りのフォース、手作り感がある宇宙世界、特撮とわかる宇宙船の可愛らしさと実在感。まさに不朽の名作だった。この1作で終わっても全く問題無い作りになっているのも、爽快さを増す要因だった。

しかし、これまでの鑑賞歴が新たな感慨をフィードバックしていて、おかしな鑑賞体験になった。「なるほど、これはエピソード1(〜ローグ・ワンまでの全作品)であんなことがあったもんな」とか思うけど、エピソード4を踏まえて他の作品ができているのだから、物語的な因果の逆転に何度も混乱した。

 


10/9

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(ギャレス・エドワーズ監督)を久々に観た。

やっぱりちゃんと重厚感がある。スター・ウォーズの世界で、戦争映画らしい命の重みがちゃんとあるのはこの作品くらいでは(重過ぎる?)。個性的なキャラクター達が、花火のように一瞬で散っていく。短い時間で、魅力的に現れて、魅力的に死んでいく。観客の思い入れが足りているかどうかはともかくとして、とにかくエモーショナルだった。『ハン・ソロ』の後に見ると、宇宙船の飛ぶシーンはちゃんとカッコいい構図でスピード感が表現されているし、実在感のある音がした。

それにしても、ドニー・イェンのチアルートが最高。スター・ウォーズにカンフーアクションを持ち込んだのは、馬鹿げてるけど斬新だった。一人だけ動きがキレ過ぎている。ジェダイじみたセリフと存在感で一番目立っていた。

改めてみると、キャシアンを通して反乱軍の暗部を詳細に描いているのも画期的だった。ちゃんとリアルなSW世界を拡張できている。

ジンとキャシアンがキスしないで終わってホッとした。

 


10/6

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(ロン・ハワード監督)を観た。

とにかく軽かった。キャラクターの明るさやコミカルなタッチでの演出がそう思わせるのは仕方ないが、宇宙での話に見えないことが一番問題だった。違う惑星に思えるロケーションが無かった。ハン・ソロが参加していた戦場は第二次世界大戦のようだった。スター・ウォーズシリーズで観たことない映像ではあったが、必要だったのだろうか、という疑問は湧いた。列車の車両強奪のシーンは『キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』で観たものに似ていた。

そして、何より宇宙船に実在感が無かった。空気の揺れや宇宙船の微動などが足りないのだろうか。あの独特の音も無かったのかもしれない。

L3がドロイドに見えなかったのは、動き方のせいだろうか。ぎこちなさが必要なのかもしれない。フィービー・ウォーラー=ブリッジ過ぎる喋り方には笑った。動きにもその雰囲気を感じ取れたのは先入観のせいかもしれない。

ドナルド・グローヴァーはメチャクチャ良い味出していた。『アトランタ』のイメージが強いから感情的な演技のイメージが無くて、その巧さに驚いた。昔のランドがこんなに遊び人風なのは意外だったが。

L3とランドの関係性がそんなに描かれてなくてよくわからないので、L3の喪失をランドが必要以上に悲しんでいるように見えたのは、脚本のせいだろうか。

一方で、ベケットはカッコいいんだが、仲間や恋人らしき人間の喪失を全く悼まない。

この辺りの関係性の描き方のチグハグさにもモヤモヤする映画だった。

 


10/1

スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(ジョージ・ルーカス監督)を観た。

大変楽しめた。エピソード2で挫折していたのは勿体無かった。絶望的なラストへ向かうのが分かっているので、ストーリーも追いやすかった。今回もカッコいいデザインのメカや宇宙船がたくさん出て来て、大変盛り上がった。グリーバス将軍のビジュアルも性格も最高で、もっと活躍してほしかった。オビ=ワンの乗る謎の龍みたいな生き物と、グリーバスの乗る車輪状の乗り物とのカーチェイスのパートもとても良くて、非現実的でありながら説得力のある映像にしていてカッコ良かった。陰影を効果的に使ってアナキンが半分闇に飲まれようとしている映像なども、演出としてケレン味が強過ぎて笑ってしまうほどだが、カッコ良かった。アナキンの大虐殺は衝撃的だった。エピソード4以降よりも断然恐ろしいことをしていたことに驚いたし、そのアナキンの表情とビジュアルは完璧だった。ヘイデン・クリステンセンはエピソード2よりは演技が上手になったような気もしたが、相変わらず激しい感情の表現がイマイチで、肝心のダークサイドに堕ちるかどうかの葛藤が弱くて説得力不足という弱点はあった。

 


9/30

『テネット』(クリストファー・ノーラン監督)をIMAXで観た。

な、何が何だか!途中、情報を処理し切れずに眠くなる現象が起きた。受験勉強かよ...。

「時間の流れが一定方向である」という事象を物理学的観点から疑える、という点までは飲み込めた。しかし、それらの説明は「逆再生を使った映像で面白いものを作ろう」という目的のための後付けの理論武装だったのではないだろうか。

今回、スパイ映画っぽい内容だったからか、『インセプション』に似た雰囲気のシーンも多かったのだが、『テネット』の方が映画内のルールが理解しづらかった。逆行する弾丸があるとして、それを撃つ人間まで逆行するのはどういうことなのか、という初期段階で引っかかってしまって辛かった。運命決定論的な時間のありように納得しづらかったせいだろう。それらのルールは映画内にだけ適用されるもので、現実には応用できる原理じゃない、と納得しておけば良かった。納得できないまま映像に翻弄され続けた。ノーランがCG嫌いだというイメージがあるので、うーん、これもCG使ってないのかな?単なる逆再生だけでできる映像なのか?と疑いながら観続けた。

時間の順行者と逆行者がめちゃくちゃに入り乱れることが、一番凄いアイディアだし、映像としても壮絶だった。映像に、構図・色彩・陰影で見せる写真的な美しさや、編集やカメラワークで見せる映画特有のダイナミズムなどはないのかもしれないが、やはりこれはこの監督でしか思いつけないし、他の誰も作れないだろう。この実験的な作品に莫大な予算が投入されていることに驚く。音楽は常に緊張感が張り詰めているソリッドな音楽で、ずっとカッコ良かった。鳴り過ぎててだんだんと麻痺してくる感じもあったけど。

エリザベス・デビッキの美しさを初めて知った。あの身長であのバランスは凄い...。

観終わってから頻繁に思い出してしまうし、答えみたいなものを探してしまう。『メメント』からそうなのだが、映画が直線的に進む時間しか描けないことに、強く反発している気がしてきた。

 


9/27

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(ジョージ・ルーカス監督)を久々に観た。

昔観た時よりも楽しめた。以前は政治劇になっている部分に難解さを感じたようなのだが、物語の概要を掴んだ今見直すと、そんなに難しくもなかった。当時はパルパティーンの思惑がわかっておらず、ドゥークー伯爵の立ち位置などが全く飲み込めなかったがために、混乱していたように思う。「ダース・ベイダーが誕生するまで」と同時に「パルパティーンが皇帝になるまで」という認識があると、独裁制が生まれる過程を丹念に描く深みを感じられた。

偶然にも『スターウォーズ 禁断の真実(ダークサイド)』を読んでいるタイミングでの観賞だったので、それが大いに役立った。その本にも書いてあった通り、全体的に子どもも楽しめるように工夫されていると感じた。カッコいい宇宙船が沢山出て来るし、集中力を持続させるためのアクションシーンが何度も配置されている。前半はかなり刑事ドラマっぽくて面白かった。オビ=ワンとアナキンのバディムービー風に始まったが、途中からはオビ=ワン一人で犯人を捜査するタイプの刑事ドラマになっていく。空飛ぶ車や、夜のシーンのイメージから、何となく『ブレードランナー』を想起した。

しかし、アナキン役のヘイデン・クリステンセンの演技がイマイチだった。繊細な感情の表現が無く、喜怒哀楽の表現も拙く見えた。一番問題なのは笑顔で、普通に笑っているだけらしいのに邪悪に見えた。ラジー賞を取っているという先入観も原因かもしれないが、他の俳優の演技とかなりのギャップを感じた。ひょっとしたら、表情の受け取り方については文化の違いもあるかもしれない。

一点気になったのは、場面転換が多くてかなり多くのシーンが細切れの印象な上に、ワイプの種類も多かったような気がする。

 


9/3〜9/19

『マンダロリアン』(シーズン1)を観た。

開始数分でめちゃくちゃ西部劇が始まってて笑った。殆ど観たことないジャンルなのに、『西部劇』だとわかったということは、皆がイメージする『西部劇』として作ったということなのだろう。酒場、賞金稼ぎ、銃撃戦みたいな要素と、マンダロリアンクリント・イーストウッドばりの無表情・無口っぷりがそのイメージを喚起するらしい。同時に『子連れ狼』や『七人の侍』っぽくて、時代劇を想起するシーンもあったが、西部劇と時代劇はお互いに影響し合っていそうなので、どちらの引用なのかをはっきりさせるのは難しいかもしれない。

それにしても、よく出来ている。ちゃんと『スター・ウォーズ』の世界の範疇にありながら、見たことの無い映像を作っている。着陸時に微細な振動が見えるCGの宇宙船、一眼っぽい深度の映像、現代的でリアルな格闘シーン。演出面で細かく現代的なアップデートが為されていた。あれは僕らが見たかったSWだったのでは、と思う。

ドキュメンタリーも少し見たのだが、この成功はデイブ・フィローニとジョン・ファブローの献身が大きいと感じた。SWに関する膨大な知識を持っていて、ジョージ・ルーカスや他の監督からの信頼も厚いデイブ・フィローニは、見るからに温厚な性格で、彼らのムードメーカーになっていた。そして、ジョン・ファブローは、各話の監督達と一定の世界観を共有しつつ、彼らの個性を活かせるような場を作っていたようだった。そこにはMCUシリーズでの経験が活きているのだろう、と感じた。

 


9/2

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(ジョン・ワッツ監督)をまた観た。

相変わらず良かった。世界の危機ほどの規模じゃない話で、プライベートな恋愛に翻弄されたりするのが、やっぱりスパイダーマンらしい。何度見ても、ピーター・パーカーの成長の描き方が上手い。1作目より好き。精神的な成長が、戦闘面での成長に繋がるのも良い感じ。MCUに沿って言えば、「アイアンマンの喪失」と「彼の後継者は誰だ?」という視点をずっと与えられる。アイアンマンの傲慢さが遺した負の遺産としてのベックと、彼が遺した良い影響を受けたスパイダーマンの対立として観ても、かなりアツい。

そして、トム・ホランドもかわいいが、やはりMJがとてもかわいい。1作目の時に封印してた魅力が全開。恋愛映画として見ても、二人の仲はずっと微笑ましい。

 


9/2

『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(オリヴィア・ワイルド監督)を観た。

超最高!学園青春コメディの最新版で決定版。これ以降、このジャンルの映画のハードルが上がってしまった。

まず、主人公二人のキャラクターが、斬新かつ瑞々しくて素晴らしい。この二人だけでお互いの格好を褒め合うシーンは、この映画の新しさを決定づけている。ブルーレイ買って、このシーンの台詞はちゃんと読み返したい。パンフレットでも散々触れられているが、登場人物に多様性があるのが当然という前提での描き方は、「多様性を重んじるべき」という問題設定を軽やかに飛び越えていて、観てて爽快だった。この状態がどれくらい現実に近いのかは別の話で、理想は必要だろう。

最初はスピード感に圧倒された。しかし、高校生はこれくらいの情報量をこのスピードで処理してたような気もした。本当に多くの登場人物を魅力的に描き切っている。好きなシーンはいっぱいある。タナーがスケボーに乗りながら消化器を噴射するシーンは、その若さゆえの無謀さがカッコよくて好き。車の中でトリプルAとモリーが少しだけわかり合うシーンに漂う、真っ当さと気恥ずかしさのバランスも好き。ジャレッドのパーティを出た主人公二人が笑い合うシーンの切り取り方も自然でグッときた。その後に、リフトで呼んだ車に乗って最悪の下ネタが炸裂するのも爆笑したし、オチも最高。そして、一番好きなのは、パーティで主人公二人が同時に成功のような何かを掴んだ無敵の瞬間。直後に、エイミーだけが奈落に急直下する瞬間も美しく撮られていて、これも思わず声を漏らしそうになるくらい切なかった。過去にあったはずが無いのに、どちらの瞬間も自分にもあったような気がして、懐かしさや苦さを感じた。この瞬間から、いつも一緒だった二人が別々の道を歩き始めていて、本当の意味での卒業と成長を描いていく。彼女達の変化を描いた上で、友情は続いていく。そのバランスが最高な脚本だったし、ラストの友情が続くことの表現も最高だった。人生の中で大切な時間があることと、それがこの瞬間であることを深く理解した上で作られた作品だった。

 


8/28

アベンジャーズ:エンド・ゲーム』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

1作目からきちんと積み重ねた結果、『インフィニティ・ウォー』以上に楽しめた。これだけ膨大な量の過去作のネタを入れ込んだマーベル映画は、今後無いのではないか。ルッソ兄弟のまとめ力が素晴らしい。複雑なプロットを出来る限りわかりやすく描いている。戦争さながらの大戦闘シーンも、各キャラクターの特性を生かしつつ上手く描いていた。 それでいて、アクションの新しさや迫力を失っていない。YouTubeのとある動画(https://youtu.be/1_Y3TfzLJS4 ネタバレしているので、注意)でも答え合わせをしてみたけど、かなり拾えていた。各キャラクターへの愛着が強くなっているためだろう。何度観ても、ピーター・パーカーとトニー・スタークの擬似父子関係は泣ける。キャプテン・アメリカがムジョルニアを使えるとわかるシーンと「アッセンブル」の瞬間はアガる。マイティ・ソーがこれまでのどの作品よりも人間的であることに気づいた。PTSDだ、という意見も見かけたことがあるが、確かにそういう風にも見えた。キャプテン・アメリカの最後のタイム・パラドクスはやっぱり気になるけど、些細なことだろう。フェイズ3を見事に清算する大団円だった。

 


8/23

キャプテン・マーベル』(アンナ・ボーデン&ライアン・フレック監督)を観た。

世界的な潮流となったmetoo運動などを汲んで、女性をエンパワーメントする目的が強く出ている映画だった。その目的意識が強過ぎたのかもしれないが、あまりに「社会的な抑圧を受け続けた女性が力を解放する」という結論ありきで作られている感じが腑に落ちなかった。特に回想シーンで挿入される「女だから」と男から馬鹿にされたり抑圧されたりする映像は、意味としてはよくわかるのだけど、現在のキャプテン・マーベルの人格とはズレがあるように見えたし、ストーリー的にも唐突な気がした。もっと自然に見せる方法は無かったのだろうか。人間じゃなくなったことへの葛藤や、抑圧されていたことへの抵抗は、もっと丁寧に描いても良かったのではないだろうか。悩まないヒーロー像というのが新たに描きたかったのかもしれないが。

唯一、自然とマウントを取ってくるジュード・ロウが、『男の世界』みたいな価値観を提示した上で、問答無用にやられてすごすごと帰るシーンには、今までの映画に無い斬新さを感じたし、現代的な価値観の提示を感じた。

しかし、キャプテン・マーベルが無敵過ぎる設定のせいもあるかもしれないが、後半は本当に雑な感じがした。前半の狭い電車の中でのアクションなどはお婆さんに成り済ましたスクラルが超飛び回ったり、騙された乗客達がキャプテン・マーベルの邪魔をしたりする工夫もあって面白かったが、後半はアクションもただただ殴り合ったり撃ち合ったりするような感じで、『マイティ・ソー』(1作目)を思い出した。ジュード・ロウの容姿やスクラルの容貌を利用した展開のミスリードなども面白かったが、後半の展開には活かせていなかった。総じて『見た目で判断してはいけない』というmetoo運動にも繋がるような、重要なテーマも感じただけに惜しかった。

それと、全体的に音楽が合ってない気がした。音楽で90年代を表現してもいいが、かけ方と選曲がしっくりこなかった。

 


8/21

アントマン&ワスプ』(ペイトン・リード監督)を観た。

前作より緊張感が後退していた。絶対的に邪悪なヴィランを設定していない点が原因だろう。一方で、一応のヴィランのゴーストが悪事を働く理由が切実な分、人間ドラマの部分に深みが増した気もする。しかし、全体を通して感じるのは楽しいB級感で、『エンドゲーム』前の小品にふさわしい作品だった(この小規模な小競り合いをしているアントマンが、エンドゲームで世界を救う鍵になるというのも粋な話だと気づいた)。

縮小と巨大化が普通の能力になったので、そこからどう新しいアクションを見せるのか、に注目したが、縮小のタイミングと対象のバリエーションを工夫することで斬新な戦闘シーンが作れていた。さらに、自由に空を飛べるワスプのアクションが新しさに拍車をかけていた。また、アントマンのスーツがポンコツであるということはマイナス要因のはずなのに、そのトラブル要素が脚本も振り回していて先が読めない楽しさがあった。

監督はスコットの悪友3人のキャラがかなり好きなのだろう。彼らがギャグっぽいパートのまま、シームレスにシリアスな展開を作っていくシーンはどれも最高だった。

 


8/20

『新感染ファイナル・エクスプレス』(ヨン・サンホ監督)を観た。

マ・ドンソクの剛腕っぷりを観たくて観た。一発で大好きになった。(アトロク放課後ポッドキャストで聴いた通り)腕にガムテープを巻いただけでゾンビに立ち向かっていて爆笑した。そのマッチョなカッコ良さと言ったらない。マ・ドンソクは弱い者もちゃんと助ける!しかも、見た目通り通り機械に疎かったりして、かわいい。奥さんにもしっかりと優しくて、チャーミング。本当にマ・ドンソクが素晴らしい映画だった!

映画自体はあんまり面白くなかった。主人公があまりにイヤな奴に初期設定されているので、ゾンビが出たくらいで他人を慮れる人間に変わるのは違和感があった。お婆さんが死を選ぶ展開も空気読んだ感じがして、ご都合主義的に感じた。悪い意味でアニメやマンガっぽいキャラクターと展開が多いと思ったら、監督はアニメーション主体で活躍しているらしくて、すごく納得した。大量のゾンビが走り回って暴れる映像や、大量のゾンビが電車に引きずられる映像などの規模には感心したが、「実写でよく撮ったな」という労力に感心してしまって、映像にはあまり魅力は感じなかった。

しかし、電車の破壊っぷりなどを見ると、本当に大予算が感じられた。極限状態でやっと人との絆を思い出すという構造から、『海猿』みたいなゾンビ映画だと思った。

 


8/18

アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

MCU1作目の『アイアンマン』から積み重ねて観ていくと、絶望の重みが違った。

全部観ていると、あいつもこいつもモブじゃなかったじゃん!と後から意味が増えたようなおかしな鑑賞体験になった。それぞれのヒーロー単体の映画では2〜3番手にいるキャラクターが、オールスター戦での2時間半に圧縮されると、モブキャラに近い薄い扱いになる。そういう現象が起きていたことを知った。

しかし、同時に、サブキャラの扱い方から、ルッソ兄弟のバランス感覚の絶妙さもわかった。全作品を網羅している人には、各作品のキャラクターを大事にしていろんな目配せをしていることがわかるし、観てない作品がある人にはモブキャラの一人であるかのように見せてストーリーを邪魔しないようにする、というギリギリの塩梅で調整していた。さらに、監督が本当に各作品と各キャラクターを知り尽くしていて、ちゃんと彼らが単体の最新作から繋がって現れている感じがするのが凄い。特にガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々の楽しげな姿にそれを感じた。プロデューサーのケビン・ファイギの手腕でもあるのだろうが、相当綿密に打ち合わせているとわかる。また、タイタンでのやり取りに顕著なのだが、そのキャラクターを生かした演出はちゃんとアクションにも生きていた。我が強いキャラクター達のうまくいかないやり取りの後に、どうにかこうにかちゃんと作戦を立てて、お互いを生かしながら独創的なアクションを魅せるシーンはとても良かった。

そして、やはりサノスの狂信っぷりと哀愁の出し方が凄い。唯一無二のキャラクターであることを実感した。やっぱり、エンドゲームが早く観たくなった。逆転が観たい。

 


8/13

『ブラック・パンサー』(ライアン・クーグラー監督)を観た。

キルモンガーの映画。マイケル・B・ジョーダンってこんなに華があるのか!『クリード』はやっぱり観なければ。

観ている途中で、宇多丸氏がティ・チャラをキング牧師に見立て、キルモンガーをマルコムXに見立てて映画評をしていたような...?とぼんやりと思い出した。

ワカンダの技術力の全貌はこの映画で明かされたわけだが、様々なガジェットのアイディアが超魅力的でワクワクした!リモート運転・操縦機器、ブラックパンサーのスーツの機能、マントでシールドを作る機械。どのガジェットにもアフリカンな民族的意匠を合わせていて、それは見たことも無いアフロ・フューチャーを提示していて、凄くカッコ良かった!ワカンダがアフリカの伝統とヴィブラニウムで生み出した最新技術をどちらも大事にしていて、そこに矛盾を起こしていない文化として自然に描いているのは、巧い描写だと思った。地域によって音楽を明確に分ける魅せ方も面白かった(どこまでがケンドリック・ラマーなのだろう)。観ていて気付けなかったが、アフリカ音楽とアメリカのヒップホップミュージックが溶け合う瞬間もあったのだろうか。

キルモンガーがいろんな感情を魅力的に表現していて目立っていたが、シュリもオコエも表情豊かにカッコよく描かれていて良かった。主人公のティ・チャラは常にオシャレだったが、それだけだったような...。いや、品はあったのだけど…!

 


8/11

マイティ・ソー:バトルロイヤル」(タイカ・ワイティティ監督)を観た。

マイティ・ソー・シリーズの中では屈指の出来!今までの悲劇めいたファンタジー神話調をだいぶ減らして、ちょっと古めのディスコ調の電子音楽鳴らしまくりながらカラフルに進めていて、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのSF世界に近接していた。コメディ要素もめちゃくちゃ足しまくってて、とにかく楽しい感じ。ソーの小ボケも多いし、ロキとの共闘にも楽しさがあって、今までで1番キャラクターが魅力的に見えた。ケイト・ブランシェットのヘラも超ハマり役で、あの喋り方と佇まいはマジでカッコ良かった。ハルクは緑の時のキャラクターが幼児そのものになっていて驚いた。哀愁も感じるが、魅力は増したように感じた。全体的にアクションの魅せ方もだいぶ変わっていて、惑星サカールでのアクションはどれもド派手で最高だった。

 


7/24〜8/11

『アップロード』(シーズン1)をAmazonプライムビデオで観た。

「現代のデジタル化と強く結びついた資本主義社会が発展していくとどうなるか」というテーマで、精緻なシミュレーションをしていく近未来SFブラックコメディ。

『アップロード』は、デジタルデータ化した生前の意識を死後もサーバー上の天国で生かし続けるアプリケーションで、このドラマの核となっている。ネットゲームのようにアバターを使ってプレイする文化に慣れ親しんでいれば、このアイディアは意外と飲み込みやすいし、ドラマの中で現実にすんなり溶け込んでいる様子を見ても違和感が無かった。彼らの様子を見ていると、「デジタル化というものは、数値化やモノ化とほぼ同義らしい」と思えてくる。アップロードされたデジタル幽霊の人権がたやすく矮小化されて誰かに所有されていく様子からもそれを感じけど、最もそれを感じたのはセックスを目的としたマッチングアプリの『ナイトリー』だった。このアプリによって、現実の若者達は性的な所作を互いに評価し合い、性行為自体をモノ化しているのだが、このアプリはあまりに現実と地続きだったのでかなりゾッとした。

こんな風に、そのうち現実に生まれそうなほどリアルなアイディアの数々や、アップロード世界の表現などは創造性に満ちていて、見ていて飽きない。そして、そのままそれらの描写が更に広がった格差社会を映し出すのもよく出来ている。3Dプリンタの延長線上にある技術で出来た料理が貧困層のベーシックになっている、という描写もエゲツない。

そんな風に、映像的には面白い部分も多いのだが、ストーリーにはちょっと疑問点もあって、「あれ?1話飛ばしたかな?」と思うことがちょくちょくあった。特に主人公とジェイミーのやり取りがそうで、音信不通だったはずなのに、急に進展したりするのがよくわからなかった。大きな謎でストーリーを引っ張っておきながら、シーズン1の中で終わらせない脚本もどうかと思った。更に、ラストで主要な登場人物について後先考えてなさそうな展開も一個あって、驚かされた。人気が無かったら打ち切りだろうから、視聴者は悶々とさせられてしまうだろう(シーズン2は決まったらしいが)。とはいえ、全体的には、目まぐるしく登場する近未来のガジェットやアイディアを存分楽しんだし、ノラもキュートだったので、シーズン2にも期待したい。

 


8/7

スパイダーマン:ホームカミング』(ジョン・ワッツ監督)をまた観た。

トム・ホランドがかわいい。『シビル・ウォー』から順番に見ると、彼が子どもであることがより強調されて見える。怖い大人達と出会って、彼が成長していく物語であり、そのために逆算して最初はものすごく子どもになっていた。しかし、成長物語だと決めつけて観れば成立してるのだろうが、やはりどうして成長できたのかが、よくわからなかった。なぜ窮地になってトニー・スタークの言葉を思い出したのか、しかも、なぜそれだけで力が湧いたのか、という疑問は残ったままだった。私生活より社会のため正義を優先する点も、持って生まれた性格と捉えるべきなのだろうか。それでも、ピーターをはじめとして、どのキャラクターも生き生きとしていて魅力的だから見ていられる。逆に言えば、かなりキャラクターとして説得力があるのに、ストーリーのために動いているように見えるシーンがあったので、気になったのだろう。

改めて観ると、マイケル・キートンのドスの効いた演技は本当に恐ろしくて素晴らしい。また、塔も船も飛行機も、アクションシーンが実はかなり派手で革新的だったと改めて気づいた。そして、ゼンデイヤ演じるMJは、意識的にしかめっ面や皮肉屋な表情をすることで、美しさを封印していたことに気づいた。続編への布石だったのかもしれない。

 


8/2

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』(ジェームズ・ガン監督)を観た。

相変わらず最高のノリで、終始ゴキゲンだった。オープニングからやっぱり最高で、あのMr.Blue Skyの使い方は曲にも新たなイメージをつけた。ベビー・グルートはこのOPから最後までずーっとかわいかった。今回のメインテーマは家族で、エゴとピーターとの父子関係で始まる問題を軸にしながら、ヨンドゥーとピーターとの擬似父子関係や、ガモーラとネビュラの擬似姉妹関係にある愛憎入り混じった絆を描きつつ、ガーディアンズが家族同然の仲間関係になっているのを楽しく魅せてくれた。

前作に比べて、各キャラクターの掘り下げもより深まった。ドラックスは、前作で主要な感情だった怒りの矛先が無くなって、とにかくよく笑うおじさんになった。根底に悲しみを秘めているのも良い。ロケットの『素直になれなさ』は、ロケットというキャラクターをより魅力的にしつつ、今回の映画のかなり重要なファクターになっている。ロケットがヨンドゥーと写し鏡のようになるシーンにはかなり動揺した。ピーターが覚醒するシーンで挿入される家族の絆を強調する回想シーンにもしっかりとやられた。ヨンドゥーが良過ぎた...。全体的にガーディアンズの仲の良さがめちゃくちゃパワーアップしていて、観ていて本当に楽しかった。アベンジャーズの中では、こういうチーム感を出してる唯一の存在だと気づいた。妻が指摘していて面白かったのは、この映画全体がスターウォーズサーガの否定になっているのでは、ということだった。主人公による血縁関係ではない関係性の選択と、強大な力の遺伝の拒絶は、確かに明確にスターウォーズの裏返しになっているかもしれない。

 


7/31

ドクター・ストレンジ』(スコット・デリクソン監督)を観た。

まず、凄まじい映像体験だった。ドラッグムービーとかトリップムービーというジャンルじゃないだろうか。ぐるんぐるん動く映像で、久々に映像で酔いそうになった。特にミラージュワールドでビルが徐々に現実離れした動きをしていく映像は、『インセプション』を想起させつつ、それをもっと過激にして現実のルールを壊していた。あの映像をどうやってイメージして、どうやって映像にうまく落とし込んだのかは気になる。

主人公のキャスティングは絶妙で、『シャーロック』の高慢・皮肉屋・頭脳明晰というイメージを借用したベネディクト・カンバーバッチに見えた。しかし、主人公が世界を救おうとする心の動きはよくわからなかった。表現として不足している気がした。「元々、医者で、人を救うことを目標としていた」とか「誰かを大切に思う気持ちを思い出した」くらいの感じなのだろうか。魔法を学んでいる序盤で敵との戦いが始まってしまう、というのは、急展開過ぎてなかなか飲み込めない部分もあったが、未熟でも工夫して戦うという魅せ方はとても巧かった。敵との最終決戦の終わらせ方も、見たことない解決策を取っていてかなり斬新だった。マントの空飛ぶ絨毯っぽさはかわいかった。

 


7/28

キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

いつ見ても壮大な内輪揉め。復讐の連鎖が争いを起こして戦争や内戦が生まれる社会の構図を、そのままトレースしている。アントマンの戦い方がアベンジャーズに通用するのは、やはり嬉しい。ただのおじさんに見える点も含めて。スパイダーマンの幼さは、やはりとてもかわいらしい。ソーとハルクを入れなかったのは脚本が巧い。前作に続いて、カーアクションも引き続き凄まじい。どうやって撮っているのか、どうCG入れているのかわからないシーンが多い。世紀の大乱戦は何度観ても楽しいし、まとめる魅せ方がめちゃくちゃ巧い。その上で、アクションがどれもちゃんとカッコいいのが凄い。改めて1作目から見て行ったおかげで、キャプテン・アメリカとウィンター・ソルジャーは本当に親友なのね、と初めて感慨深かった。ファルコンのメカの性能アップっぷりも良くて、かなりカッコよくなっていた。ファルコンとウィンター・ソルジャーが良いコンビになっているのも今後の展開への布石になっていた。

 


7/25

アントマン』(ペイトン・リード監督)を久々に観た。

『小さくなれる』という一見地味な能力を生かして、クリエイティビティ溢れる多彩なアクションを描いている点が、やはり最大の魅力だった。なるほど、『小さくなれる』とこんな戦い方が可能なのか、という驚きに満ちている。アントマンと蟻との連携を見ているうちに、『ミクロキッズ』を参照しているのでは、と初めて気づいた。軍事利用のためにテクノロジーが使われる、というのは、MCU作品全体を通じて一貫したテーマになっている。ルイスはいかにも抜けたキャラクターなのだけど、最初の方で息巻いてた自慢してた腕っぷしの強さが本当だったことに気づいた。ちゃんと前フリしてたのか、と。主人公の冴えないおじさんっぷりはやっぱり面白い。

 


7/22

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(ジョス・ウェドン監督)を久々に観た。

やはり拭い去れない自業自得感はある。トニー・スタークが悪いじゃん。クイックシルバーの可愛さに初めて気づいたので、あのラストは悲しかった。トニー・スタークとウルトロンの写し鏡的・親子的な関係の強調には初めて気づいた。ウルトロンの思想はかなりトニーをトレースしていたのか。ラストバトルのグルグル回るカメラワークの中でのチームプレイは、『アベンジャーズ』で成功した映像をパワーアップさせて魅せていた。ワンカットの中で、スムーズにそれぞれの特性を活かしたアクション映像で繋ぐ手腕はさすがだった。

 


7/20

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(ジェームズ・ガン監督)を久々に観た。

やっぱりどうしてもアガってしまうシーンが確かにあった。オープニングのダンスシーン、音楽に合わせて皆が集結する何かのオマージュらしき映像、グルートの献身、ラストのダンスシーン、ピーター・クイルがお母さんとガモーラを重ねて人との繋がりを感じるシーン、ロケットの邪悪なのに可愛らしい笑顔。

久々に見ると、「どうやってこのメンバーが仲間になったんだっけ...」という感じで、展開を全く覚えていなかったのだけど、それも仕方ないだろう。ジェットコースターのように目まぐるしい展開が、異様にテンポ良く進んでいくので、振り落とされないようにするので必死だった。覚えている暇なんてなかった。それでいて、見やすい映像になっているのは、うまくメリハリをつけた監督の手腕なのだろう。

グルートの能力の全貌を明かさないことで若干ご都合主義的な展開もあったが、そんなのどうでもよくなるほどキャラクターが魅力的だった。ヨンドゥの父性やかわいさには初めて気づいた。彼は、どんな形でもスター・ロードとの関係性が続くのが嬉しそうだ。スター・ロードのアクションやオールディーズな音楽に合わせる煌びやかなSF感など、多くの新鮮さを持った映画だった、と改めて思った。

 


7/13

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を観た。

想像していたよりも骨太なスパイアクション映画だった。会話も含みのあるものが多くて、一聴して何を言ってるのかわからないことがあった。『ミッション・インポッシブル』を参照しているのかもしれないが、カーアクションのド派手さと斬新さは、それ以上だった。特にウィンター・ソルジャーが爆破して飛んできた車をギリギリで避けるシーンは、最高過ぎてめちゃくちゃ笑った。普通の戦闘アクションも相当洗練されていて、『ボーン・アイデンティティー』や『アウトロー』以降のアクションの歴史を踏まえた上で、アップデートしている。ブラック・ウィドウが関節技を極めながら投げたり殴ったりする動作は、何度見ても楽しい。

それにしても、ニック・フューリーの見せ場があんなにあるとは思いもよらなかった。こんな事態なのにアベンジャーズの他の面々はどうしてるのかな...って時々気になったけど、息もつかせぬ展開の連続で、あまり深く考える隙が無かった。

一方で、キャプテン・アメリカの功績を讃える博物館を上手く使って、彼の苦悩を描きつつ、バッキーが現れる準備をしていたりして、随所で演出の丁寧さも感じられた。これ以降の作品も少し観ているけど、ブラック・ウィドウがキャプテン・アメリカに好意を寄せているっぽい描写はこの作品にしか無かったような。どうなったんだろう。

 


7/11

マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(アラン・テイラー監督)を観た。

描く世界(惑星)の数が前作を超える多さで破茶滅茶になりそうな内容だが、全体的な色味を落ち着いたトーンで合わせたりして、うまくまとめていた。違う世界を描き始める度に、ゆっくり遠景を見せるのもそのための工夫だったかもしれない。

単純なCG技術の向上もあるのだろうが、アスガルドは以前とは比べ物にならないくらい説得力のある世界になっていた。全体的に前作より丁寧だった。更に、今回は北欧神話的ファンタジー世界からスターウォーズ的宇宙SF世界へ、なめらかに表現スライドさせていて、その奇妙さもとても面白かった。こんな風に世界観を同居させた作品は、これまでにあったのだろうか。

ラストの瞬間移動バトルの目まぐるしさは見応えがあったが、何か既視感を覚えた。その原因は『マルコヴィッチの穴』か、『エターナル・サンシャイン』か、あるいは、チラ見した『ジャンパー』だったか。何か明確な参照元はあるのだろうか。ジェーンが最後に急に科学的な実力を発揮するのも、少し唐突な気がした。世界規模の災害が起こりそうなのに、アベンジャーズの面々が全く出ないのもおかしい気がした。時系列だけを『アベンジャーズ』後として扱うのは、MCUという世界観との矛盾が大きそうだった。

 


7/8

アイアンマン3』(シェーン・ブラック監督)を観た。

MCUシリーズではトップレベルの面白さではないだろうか。『リーサルウェポン』『ナイスガイズ!』の監督だけあって、バディムービーとしても最高の出来だった。トニーとローディがわかりやすいバディ感だったけど、トニーと少年・ハーレーのバディ感も良かった。アクションの多彩さやド派手さと、そのアクションが転がす超展開は、監督の持ち味を最大限生かす内容だった。

今回は明確にトニー・スタークの人間性を掘り下げる内容だった。『アベンジャーズ』で負った精神的ダメージに、真正面から立ち向かっている人間くさいトニーは新鮮だったし、アイアンマンスーツ無しでの身体性のあるアクションも増えていて見応えがあった。

一転して、ラストバトルのスーツ取っ替え引っ替えでの目まぐるしいアクションも素晴らしかった。そして、メイキングも見て感動を増幅させたのだが、飛行機から落下する人々をアイアンマンが順番に助けていくアクションが最高だった。ダイナミックな映像にするためにスカイダイビングで撮るというアイディアを実現させる行動力・労力・製作費と、さらに、そこにうまくCGを当て込む技術を惜しみなく注ぎ込んで映画を作っている。その姿勢を知れただけでも感動できた。また、そのシーンは、「人は人を助けるために、命の危険があっても手を伸ばして繋げられる」という描写でもあって、人間の善性を信じる製作者の信念も感じられて、胸を打たれた。

 


7/2

アベンジャーズ』(ジョス・ウェドン監督)を久々に観た。

ここまでの作品をほぼ公開順に観てきたのに、登場人物達の会話からはまだ俺が知らない映画があるように感じられた。皆がお互いのことを知ってる前提で出会っているから起きた違和感らしい。お互いに『学習済み』もしくは『噂で知っている』というような状態は、なかなかうまいやり方だと感心したが、観客は彼らのお互いの理解度がわからないので、自然と話を補完しながら観ることになった。それはこの映画の欠点のようでもあるし、映画の残した余白にも見えた。

とりあえず、ロキの行動はよくわからなかった。明確な行動をするわけでもないのに、アベンジャーズに敢えて捕まった理由がわからなかった。我々をバラバラにするためだろう、我々を脅威に思っているのだろう、というアベンジャーズ側の解釈も変じゃないか。このロキの行動原理の不可解さのために展開を全く覚えていなかったし、今後も覚えられない。

しかし、監督はこの破茶滅茶な要素が多い構成をうまくまとめ上げてた。それにしても、アベンジャーズは最初からこんなに空気悪いシーン多かったのか。それも忘れていたが、しっかりとこの後の展開の予兆になっていた。

周りをぐるーっとカメラがドリーする中で皆が見得を切るシーンや、ワンカット風に皆のチームワーク感あるアクションを魅せるシーンは、やっぱり超アガる!これぞアベンジャーズ!そして、ハルクは役者だけじゃなくてキャラが変わり過ぎてた。今回、ホークアイのいぶし銀なカッコよさに気づいた。

2020年後半に読んだ本の記録

2020年後半に読んだ本を、いろんな視点で大まかに分類してみる。

 

小説6冊(作品批評等が入っている1冊含む)、エッセイ2冊、ノンフィクション系2冊、新書2冊。

 

日本人作家10冊(柴崎友香が2冊、アンソロジー的な本2冊含む)、イギリス人作家1冊、アメリカ人作家1冊。

 

男性作家5冊、女性作家6冊(柴崎友香が2冊)。

 

2000年以降出版(発表)の本11冊、1999年以前出版(発表)の本1冊。

 

計12冊。

何冊読んだかが問題でもないが、実感として読書時間が少なくなった気はしていた。これまでの習慣では、圧倒的に通勤中に読む時間が多かったらしい。ステイホーム推奨になってその時間はどこへ消えてしまったのだろうか。というわけで、最近は意識的に夜寝る前などに読むようになった。

少しずつ自分の興味を広げていきたい。専門書なども読んでみたい。

以下、ネタバレしながら感想を書き散らしている。

 

11/13〜12/23

『公園へ行かないか、火曜日に』(柴崎友香)、読了。

日本とそれ以外の国(特にアメリカ)の間にある価値観や言語の違いに触れた結果だと思うけど、言葉と構成に揺れを感じた。その揺れは不安や失敗を想起させるものでは無くて、何かが起きる期待を感じさせた。

この感触で真っ先に連想したのは、保坂和志の『未明の闘争』だった。あの小説の意図的な脱臼みたいな文章とはさすがに違うけれど、小説の定義を拡張するような挑戦的な姿勢が似ていた。記憶に合わせて時間軸を行き来する構成や、エッセイみたいな小説である点もそうだ。

この作品は筆者がIWP(インターナショナル・ライター・プログラム)に日本の作家として参加してアメリカで過ごした3ヶ月を、いろんな視点から描いた短編小説集だ。アメリカから見た日本、アメリカ以外の国から見た日本、アメリカ以外の国から見たアメリカ、という多様な視点に触れて、著者の感覚やアイデンティティが揺さぶられているのがわかる。読んでいくうちに、著者と一緒に新鮮さに触れる歓びを感じる。読みながら、それは旅で経験したことがある歓びだと気づいた。コロナ禍の渦中にある2020年に読むと、旅というものへの郷愁や憧れを感じずにはいられなかった。

また、この小説が描いてるのが、トランプがアメリカ大統領になった2016年であることも、2020年に読むと感慨深い。当時、トランプが大統領になるなんて思いもしなかった。アメリカという国に起きている分断が自分には全く見えていなかった。格差と差別が作る分断をまざまざと見せつけられた4年間だった。そして、トランプが大統領じゃなくなっても、より強くなった分断は残り続けるんだろうな、と改めて感じている。

IWPに参加していた各国の作家達の交流を見ていると、お互いを尊重しながら理解する姿勢は共通していた。人によって得手不得手もあるけれど、そうやって少しずつ歩み寄れるはずで、それが多様性を認めるということだろう。


10/7〜12/10

ジョコビッチはなぜサーブに時間をかけるのか』(鈴木貴男)、読了。

自分の価値観や世界観が狭まるのを感じているので、あまり興味の無い分野の本を読んでみた。興味ゼロではそもそも手にも取れないが、興味が薄いと読み進めるのに時間がかかると知った。

タイトルが新書らしいキャッチーさだったので、そこに惹かれた部分はある。何度読み返しても、ジョコビッチがなぜサーブに時間をかけるのか、はよくわからなかったのだけど。『打球前の長い予備動作の後に唐突に素早い動きでサーブを打つと打ち返しづらいから』というのが答えなのだろうが、明確な答えとはしていない。

内容をちゃんと説明するタイトルをつけるなら、『テニスの見方入門』くらいの感じだろうか。テニスに全く詳しくない自分にもわかりやすく説明してあって、単純に知見が増えるのを楽しめた。セットごとの点の取り方の意図、フォアハンドとバックハンドの攻防の意味、コートの表面の質、ボールの個体差、などなど…読めば読むほどテニスの駆け引きの多さに驚く。他のスポーツと比べても特に駆け引きが多いのだろうか?こんな風に駆け引きを説明している入門書を読めば、どのスポーツも楽しめるようになるのかもしれない。

そして、この本の中で最も面白いと思ったのは、「テニスは一人で考えて一人で闘うスポーツである」というような記述だった。この表現は何度か見かけた。言われてみればその通りだろうけど、明文化されるまでは気づかなかった。何度も書いていたので、ここにテニスの大きな魅力があるのだろうと感じた。トイレに行く時もコーチなどからアドバイスを受けたりしないように誰かが付き添って見張る、という徹底っぷりも面白く感じた。単なる頭脳戦でもないのに、アドバイスを受けることを禁じる、ということには、何かテニスの歴史や哲学を感じずにはいられなかった。

今度テニスの試合を見かけたら、見え方が違うかもしれなくて、少しワクワクする。


11/9〜11/13

『ステイホームの密室殺人2 コロナ時代のミステリーアンソロジー』、読了。

『ステイホーム(コロナ禍)』と『密室殺人』と『ミステリー』の三題噺で話を作るアンソロジー集の2作目。2作目を買ったのは、こっちの方が興味がある作家が多かったから。ミステリー小説というのは知的遊戯的に感じることが多いのだけど、この三題噺のルールが持ち込まれると、より一層競技性が高まったように感じた。読み始めて、フィギュアスケートを連想した。普通の小説がフリープログラムなら、こちらは規定演技をするショートプログラムみたいだった。

乙一氏の短編は、他の作家の作品と比べると、キャラクターを作り込むのではなくて、ストーリーやトリックを練り上げた印象だった。その王道ミステリーに、著者の初期作を彷彿とさせる青春っぽさと切なさを混ぜ込んでいるのは流石だった。

佐藤友哉氏の短編は講談社ノベルスゼロ年代を思い出させる内容(そこまで詳しくないけど)で、極端な人格の漫画・アニメっぽい探偵キャラクターと突飛な設定を持ち込んで、このお題に応えていた。シリーズ化できそうな出来栄えだった。

柴田勝家氏は「SF作家らしい」くらいの認識で興味津々で読んだので、SF設定が全く出て来なかったのは少し残念だった。佐藤友哉氏に近いが、かなり漫画・アニメっぽいキャラクターが大活躍する作品だった。今度はSF作品を読んでみよう。

法月綸太郎氏の作品は三題噺の制限から少しはみ出していて、実質的には密室殺人が起きていなくて、破格と言える作品だった。2020年の現代社会への問題意識は強く感じた。一番純文学に近づいている作品だった。

日向夏氏の作品は、突飛な設定の謎にインパクトがあった。その衝撃を中心として、ちょっと変わった語り手と、わかりやすく造形されたキャラクターの刑事たちを使って巧みに種明かししいて、とても楽しめた。情報の出し入れが上手かった。後から解説者キャラが唐突に現れる点だけは引っかかった。それでも、コロナ禍の社会的影響をうまく取り込んだ点も凄く巧かった。もう一度読むと、とても巧妙な表現で謎を隠していることがよくわかる。

渡辺浩弐氏の作品は、他の作品とリアリティラインが違うかのように見せる瞬間があって、そこから戻ってきて安心させる流れが面白かった。展開も多くて、グイグイ読ませる作品だった。

全体を通して読むと、実際の『2020年の現実』がいかにもフィクショナルに思えてくるという不思議な現象が、メチャクチャ面白かった。


10/27〜11/5

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(若林正恭)、読了。

不要な嘘をつきたくない人が、すごく自制して誠実に書いた本だった。自分はオードリーを熱心に追っていたわけでもない。ラジオも時々聴いている程度だ。でも、『あちこちオードリー』という番組は第1回から見ている。テレビやお笑いの裏側っぽい話(ラジオでやりそうな話)をテレビでしちゃうのが楽しい。その番組を見たり、その番組プロデューサーの佐久間Pのラジオを聴いたりしているうちに、この本への関心が強くなっていった。その矢先に加筆した文庫版が出たので買った。

ラジオでの佐久間Pとバカリズムとの会話で『若林くんは自分の変わってきたことも話す』と評していたのが印象的だったのだけど、この本でも彼は自分の変化を包み隠さずに曝け出そうとしていた。

本の内容としては、キューバ・モンゴル・アイスランドへの一人旅の紀行文がメインになっていて、そこでの出来事と、その出来事がきっかけでふと思い出した内容を行ったり来たりするような本になっている。あとがきに近いスタンスで『コロナ後の東京』という章もある。お笑い芸人としての実力もちゃんと発揮していて笑えるエピソードも多いし、それぞれの場所が魅力的に紹介されていて単純に行きたくなるが(今読むことで「いつ行けるんだろうか」という憧憬の念も感じる)、やはり白眉は父への惜別の思いを忍び込ませたキューバ編だろう。初見だと不意に入ってくるから驚く。この構成には、いかにも筆者らしいシャイネスを感じた。

どの章でも共通しているのだけど、生きづらさの原因を真摯に考えている姿が良くて、はっきりと『新自由主義』を仮想敵として旅を始めたのに、キューバ社会主義に触れて考え方に思い悩むところは、その断言しない点も含めて本当に信用できる書き手だと思った。

著者はまだまだ変わり続けるし、悩み続けるだろう。その姿をずっと追っていきたい。


8/31〜10/27

『幕間』(作:ヴァージニア・ウルフ/訳:片山亜紀)、読了。

スラスラ読めなかったのは、現代から遠い時代の話だったからか。書かれた時代背景を注意深く理解しながら読み進めた。台詞にも風景描写にも、古典から引用している部分が多数あって苦戦した。現時点では、それが当時のイギリス小説の技法として一般的だったのだろうと推測しているが、実際どうなのかは気になっている。

たくさんの注釈も細かく時代背景と舞台設定を説明していた。第二次世界大戦に参戦しかけている頃のイギリスの田舎町で、とあるお屋敷を舞台にして町の住人達が披露する野外演劇の様子と、その演劇を観る人々が織り成す人間模様を描く。この小説の構造自体は、現代に置き換えても問題なく楽しめる普遍性を持っていた。Netflixオリジナルの映画になりそうなくらいだった。

タイトルの原題は『Between the Acts』だそうで、二つの世界大戦の間の時間も示唆している、と解説にあったので、作品への不穏さの入り込み方に納得した。また、人々の日常的な所作自体を演劇的に見る視点も踏まえたタイトルかな、とも考えた。

作中で披露される劇は、最後の方の演出がやたらと前衛的で面白かった。

全体的に際立っているのは、詩的で美しい情景描写や、繊細に心理状態を表現する細かい動作や台詞だった。自然環境が舞台を演出して演劇に混じる瞬間は超カッコよかった。同性愛者に関する描写も、この時代では先進的だったのだろう。

作者への勝手なイメージで『女性の自立』を鼓舞する内容があると思っていたが、それは無くて少し肩透かしを食らった気分になった。女性が社会によって抑圧されている苦痛は伝わってくるので、それだけでも先進的だったのかもしれないけれど。次回はもう少し直接的にフェミニズム運動に影響を与えた作品を読みたい。


9/16〜10/7

スターウォーズ 禁断の真実(ダークサイド)』(高橋ヨシキ)、読了。

実はスター・ウォーズ関連の本はあまり読んだことが無かった、と読み始めて気づいた。物語的な時系列に沿ってスターウォーズ作品を紹介しつつ、作品についてのいろんな視点や考え方を教えてくれる本だった。あとがきで著者本人も弁明しているように、『禁断の真実』的な陰謀論めいた話やゴシップ的要素は無くて、殆どがファンがアクセスできる(かつてアクセスできた)情報の紹介とその情報への考察でできている本なので、そこまでマニアックでも無くて、読者に優しい本だった。

まず、第1章の最初の一文がすごく良くて、何度も読み返した。

子供のための映画とは何か?

大人になってなお、子供の視点を持ち続けることは至難の技だ。

成長するにつれて、人は多くのことを真に理解しようと努力することを諦め、大雑把な概念あるいはクリシェとして把握するようになる。その方が効率は良いし、個人のキャパシティには限界があるからだ。時間も常に足りない。だが子供は違う。キャパシティや能力は大人より不足しているかもしれないが、彼らには見かけ上、無限に思える時間があり、また概念として物事をとらえる作業に慣れていないため、「驚異に満ちた目」で世界を見ることができる。

子どもという存在に対しての優しさと敬意の溢れる眼差しに感動した。その普遍的なメッセージは、あらゆる作品に通じるのではないか。『驚異に満ちた目』を思い出しながら作品に接していきたい。

ラジオ番組でも時々聴いていた、著者のスターウォーズへの愛憎入り混じった強い思いは全編通して感じ取れるが、感情はかなり抑えて冷静に作品を分析した内容になっている。

知らないことも多く、今回、スターウォーズをエピソード1から見直す際の大きな手助けとなった。特に、プリクエルでの共和国から帝国が生まれる部分は、この本を読んでいるおかげで理解しやすかった。

 


9/2〜9/12

『女と仕事 「仕事文脈」セレクション』(仕事文脈編集部)、読了。

執筆陣に好きな人が多い(トミヤマユキコ氏、雨宮まみ氏、真魚八重子氏、haru.氏、惣田紗希氏など)ので買ったのだが、知らなかった人たちの知らない仕事に関わる話も、めちゃくちゃ面白かった。林さやか氏、いのまたせいこ氏、綿野かおり氏、太田明日香氏、中島とう子氏、丹野未雪氏、ゴロゥ氏など、この本で知った面白い人も多かった。

途中で、ああ、クリエイターっぽい人の文章が多めなんだな、と気づいたけど、文章を書く人はクリエイターっぽい人が多くなりやすいのか。でも、クリエイターっぽい人がクリエイターっぽくない仕事をしている文章もちゃんと載っていて、それも良かった。

『仕事文脈』は読んだこと無いけれど、仕事は生活にも人生にも関わる、という点でとても多くの範囲をカバーできると気づいた。読み終わると、赤の他人の人生を覗き見して下世話な欲望を満たしてしまったような気分になって、少し罪悪感もあった。

女性という括りは必要だったのだろうか?男性のこういう文章も読みたい。しかし、男性優位な社会であるがために、男性ではこういう文章にはならないのかもしれない。その状況自体は、誰にとっても、社会にとっても、決して良くないけれど。

真魚八重子氏の文章は、文章自体は面白いけど、この本のコンセプトには合ってるのかな、と少し疑問に思った。

 


8/22〜8/29

『本屋、はじめました 増補版』(辻山良雄)、読了。

大好きな本屋Titleの店主が「本屋を開業するまで」と、文庫版の増補として「本屋をはじめた結果、どうなったか」を語っていた。

まず、本屋を開業するまでの人生の簡単な説明に、心を掴まれた。著者が学生時代までの本との関わり方の話も面白いのだけど、リブロ書店員時代の簡単な通史は、会社員として刺激を受ける部分があった。その結果、自分は会社で成し遂げたことをこんな風に纏められるだろうか、と少し考え込んでしまった。どうだろう、と首を傾げつつ年表を作り始めたが、やはり大した内容は無い。俺の働き方は間違っているのだろうか。

その後も、本屋開業までの思考の流れや、試行錯誤の過程がとても丁寧に書かれていた。あとがき以外はですます調で、徹底的に後進の人へのアドバイスの書として作っていて、著者の本気が伝わってくる内容だった。

読んでいく中で、『個人経営のお店を作る』ということは、『自分にしかできない価値を作る』ということなのか、と気づいて、静かに衝撃を受けた。これは自分の考える会社員のあり方と真逆だった。自分は誰でも自分の仕事を代替できるように心がけていた。自分にしかできない仕事を作らないようにしていた。交代でうまく休みを取ったりするためには必要な考え方だが、別にこれは社会のスタンダードでは無かった。いつの間にこんなに内面化していたのだろう。

仕事の価値と自分の価値を、初めて考え始めている。

 


8/18〜8/21

『スーベニア』(しまおまほ)、読了。

読みやすくて面白いので、一気に読んだ。ラジオを聴いていて、しまおまほのことをある程度知っているので、主人公のシオがだいぶしまおまほに重ねて見えたのも読みやすかった要因だろう。しまおまほらしく、ダメな人やちゃんとしていないことを否定しない点も良かった。

意外だったけど、物語の展開自体もちゃんと気になる。震災の使い方がしっかりと一般市民の目線で生々しかった。

一番の魅力は、実在感の強いキャラクター達のリアルな登場人物達の会話・やり取りだろう。文雄と意味不明な会話をして変な空気になる時間をわざわざ小説に入れてるのも面白かったけど、角田という人物のズレたイヤな感じが巧くて凄かった。途中から、角田から目が離せなくなって、彼が次に何を言うか、彼が何をするかを楽しみにしていた。書いていくうちに、自然とあの文体になったのだろうか。最後にさくらももこのような一言が入っている文章や、家族への書き置きメモみたいな簡潔で親しみが湧く文章や、間延びした「〜」が似合う文章には鮮烈な印象を受けた。新しい言葉を小説に持ち込んだのだと感じた。急に純文学っぽい描写が紛れ込んでいるのもドキッとする。

一挙手一投足に記憶が呼び起こされながら生きる感じは、とても共感できた。自分にもこういう思考の流れはある。しかし、その描写が極端に多い。こういう思考の流れがあるから、ラジオでも爆発的な脱線ができるんだろうな。

 


7/31〜8/18

『ポリフォニック・イリュージョン』(飛浩隆)、読了。

少し変わった構成の本で、冒頭には著者の初期短編を入れて、それ以降には著者がいろんな場で発表した創作論やSF観を紐解く内容がまとめてある。『自生の夢』までの著作について、著者本人による解題や種明かしも多く含まれている。その各作品のバラし方の度合いが凄くて、著作が偉大な先人達の名作から影響を受けてることがしっかりと語られている。やはりオリジナリティというのは過去作を消化して生み出せるものなのだ。そんな気持ちになるのは、序文にもあったように、後進の若者達を勇気づけるという狙い通りだろう。食事のシーンに関する創作上の技術的な話や、読者が悲劇の進展に確実に加担しているという話は、とても印象残っていて、何かを作ることになれば思い出すかもしれない。

また、SF好きのサークルで過ごした青春の日々、伊藤計劃氏とのやり取り、『トイ・ストーリー2』に関する感想などを読んでいくと、著者本人の人間味が少しずつ肉付けされていくような面白さもあった。

そして、『グラン・ヴァカンス』を読み返したくなった。

 


7/6〜7/31

『真実の終わり』(作:ミチコ・カクタニ/訳;岡崎玲子)、読了。

トランプの放言を中心として、ポスト・トゥルースオルタナティブ・ファクトという言葉と共に、嘘・不信感が世界に拡散された。その惨状は意識していたが、その現象が及ぼす作用や、生まれた経緯の考察は初めて読んだので、大変興味深かった。

思想系の言葉としてのポストモダン主義が、政治経済に流入して事実を無効化するために悪用されている。この現象を考えたこともなかったが、順を追って説明されていくと確かに思い当たった。

更に、嘘や誤報みたいなゴミ情報の集積が、事実を知ろうとする気力を疲弊させる戦法になっている、という記述には強く納得できた。その現状をGoogleなどが採用しているアルゴリズムが助長しているという分析も、改めて言われると、その通りだった。意識していたはずなのに、いつの間にか自分の周りにあるフィルターバブルに無自覚になっていたと気づいて、ぞっとした。意図的にも自分の好きなものを集めてしまうし、アルゴリズムも知らないうちに自分の好きなものばかりを集めてしまう。そうなると、扇情的な言葉や自分にとって耳障りの良い言葉ばかりが取り上げられて、真実は負けてしまう。これが人の思考を固定化し、先鋭化させてしまうメカニズムなのだろう。とても恐ろしい。

同時に、『それでは、この本の内容が真実である』というのはどうやって確認すれば良いのだろうか、と読みながら時折考えた。調べて考えるしかないんだろう。地味で地道で面倒だ。意図的な嘘に抗うのは相当大変だ、と痛感した。

 


7/26

『宇宙の日』(柴崎友香)、読了。

昔、HPに公開してあったのを読んだ記憶があった。日比谷野外音楽堂でのROVOのライブ体験を記録した、小説でもエッセイでもある短編。

柴崎友香らしく、身体が音を味わう様子を丹念に描いている。ライブで音を浴びる経験があれば直感的にわかる文章だった。

身体で浴びる音楽は、見える景色を変える。見えるものがミュージックビデオのようになるような、あるいは、その音楽のために自分と世界があるような、そんな感覚を得てしまう特別な時間。あの感じを自然に文章で表しているのが凄い。