2015年に読んだ本の記録

12/21
『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』(作:フランク・ブレイディー/訳:佐藤耕士)を読み始めた。

12/11〜12/18
『さよなら小沢健二』(樋口毅宏)、読了。
やはり小説より直接的に名作カタログとなっている。反復は著者の各作品への愛を証明する。この評論・コラム集を読むと、著者が一つの作品をいろんな媒体で褒めて宣伝しようとしてることがわかる。相変わらず凄い熱量。また、各作品を『面白さ』のリングに対等に放り込んで、異種格闘技戦をさせている。少し納得がいかない点として、一つの作品を褒めちぎるために、他の作品全てを否定するやり方が多い気はする。

12/4
『猫入りチョコレート事件』(藤野恵美)、読了。
一気に読めるめちゃくちゃライトなミステリーだった。老子の言葉だけで事件を解決するという発想は面白いけれど、やはり無理があったか。駄洒落や言葉遊びだけで推理と種明かしすることがあって、説得力に欠ける印象は受けた。ギャグも含めて必要最低限の要素で出来ていた。

11/21〜11/28
『演劇入門』(平田オリザ)、読了。
著者独自の理論なのかもしれないが、「自分にも戯曲を作れるかも、いや、作ってみたい」と思わせるほどに、明快な語り口で 実践的に解説してくれる演劇論は、非常に刺激的だった。そして、演劇論を主軸にしながら、芸術論やコミュニケーション論として読める余地が楽しい。彼の演劇も見なければ。

11/18
赤毛のアン』を読んでいる。
アンはおしゃべりで五月蝿くて、自意識過剰で、わがままだ。アンがリンド小母さんに暴言の謝罪に行くうちにすっかり悲劇のヒロインになる場面や、マシュウがアンに膨らんだ袖の服を買うために苦手な女性と話す場面は笑えた。笑えて印象に残る場面が散りばめられている。多くを事後に語るスタイルも面白い。

11/8
『アース・ダイバー』(中沢新一)を読み始めた。

2/25〜11/7
『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』(高橋昌一郎)、読了。
長くかかったので最初の方の内容を忘れた。本のルールを把握するのに時間がかかったせいだ。いろんな分野で世界を説明する法則の研究結果を報告し合い、横断的に理性の限界を探る入門的な内容で、非常に刺激的だった。知は止まってはならない。皆で進めねばならない。
2/25
『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』(高橋昌一郎)を読み始める。
人物の対話が作るのは、すなわち哲学。

8/19〜10/28
カフカ式練習帳』(保坂和志)、読了。
物語ともエッセイとも解釈できそうな断片の集合が、途切れ途切れに俺の思考をうねらせる。栞が無くても許せた小説は初めてかもしれない。これが練習で本番があったとしたら、『未明の闘争』だったのではないか。そこに至るまでの助走のように思えた。自分の中で変わった何かに気づけるだろうか。気づけなくても良くて、ただ俺はひたすらにこの後も立ち上がる思考を追うのだろう。
8/19
カフカ式練習帳』(保坂和志)を読み始めた。
読み方のルールに戸惑う。

9/20〜10/1
『あなたを選んでくれるもの』(作:ミランダ・ジュライ/訳:岸本佐知子)、読了。
現実の面白さは尋常じゃない。人生の厚みはそれだけで面白い。怖いけど、消費していいなら、コンテンツになり得るとも感じた。フィクションで現実に負けない作品を作るのはとても大変だ。

9/14〜9/19
『肉体の鎮魂歌』(増田俊也 編)、読了。
スポーツノンフィクションの面白さを初めて体感した。今までスポーツ選手を侮っていたに違いない。『江夏の21球』が最たるものだが、一挙手一投足に複雑にプレイヤーとその周囲の思惑が絡むのが、物凄く面白い。そこには文学性もドラマ性も十分にあった。肉体とそれを懸命に動かす精神への敬意を抱かずにはいられない。個人的には、ますます江川嫌いになった。

9/11〜9/14
『断片的なものの社会学』(岸政彦)、読了。
価値の否定が世界にあるものの存在固有性を肯定していく。無関係に見える思考や経験が緩やかな繋がりを持ち、遠くで響き合う。繋がりは断ち切れない。意味と無意味という言葉を注意深く使って文章が連なる。世界中の全ての人が孤独と無価値に立ち向かっているのだ、と実感する。

7/5〜9/10
アイヌ学入門』(瀬川拓郎)、読了。
アイヌの文化が全くガラパゴス文化ではなく、いろんな地域と相互に交流があって作られていたことに驚いた。初歩的な事実なのかもしれないが、殆ど想像したことが無かったようだ。文化が作られる過程の面白さにも初めて気づいた。
7/5
アイヌ学入門』(瀬川拓郎)を読み始めた。一つの文化が作られる過程を追体験する。

8/12〜8/18
『真夏の航海』(作:トルーマン・カポーティ/訳:安西水丸)、読了。
青春はやはり反抗心がメイン素材だと改めて感じる。不安定なアイデンティティが源泉?視点切り替えでのモノローグや心理描写の多用が効果的で、気持ちのすれ違いと重なり合う一瞬の両方にある美しさを露わにする。

8/11
『ピンクとグレー』(加藤シゲアキ)、読了。
めちゃくちゃ巧く構成してあって、先が気になるように緻密に計算してある。樋口毅宏っぽさはその辺りにありそう。インタビューからリアリティとリアルの違いにも自覚的だとわかる。『アイドルが書いた小説』という事実を利用して、巻末インタビューまで作品の一部のように収録してフィクションの幅を拡げているのは見事。

5/23〜8/11
『ダブリンの人びと』(作:ジェイムズ・ジョイス/訳:米本義孝)、読了。
面白かった。ドラマや事件無しで小説を成立させた最初期の作品なのだろう。人の思考や行動を描くだけで面白さを成り立たせている点が凄い。人はどうやって人となるのか。民族性、宗教、話し相手、季節、風土…。多様な要素が描く『人間』はそれだけで魅力的にできるのだ、という素晴らしい発見のある短編集だった。

8/8
『フランスの子どもは夜泣きをしない』(作:パメラ・ドラッカーマン/訳:鹿田昌美)を読み始めた。
導入からしてセンセーショナル。

6/22〜7/14
『真実一路』(山本有三)、読了。
むつ子の馬鹿さ加減にイライラさせられた。結局、その場の感情に判断能力を全て奪われているのではないか。むつ子の選択はむつ子にしか正しくない。解説は正しくて、全体的にユーモア不足を感じたが、それでも途中の遺言とラストシーンは忘れられない。皆が救われてほしくて、先へ先へとページをめくった。

7/10
『映画時評 2012-2014』(蓮實重彦)を読み始めた。

6/20
ズッコケ三人組の卒業式』(那須正幹)、読了。
ズッコケ三人組は最期までドタバタと冒険してた。大人になって読み返すと、あの三人はやっぱり普通の子供だったんだなあ、と嬉しくなった。彼らに深い感傷は無く、まだまだ人生が続くという事実も感じられる清々しさがあった。

5/11〜6/6
『サンドウィッチは銀座で』(平松洋子)、読了。
食べ物への愛に溢れていた。いや、著者はその食べる場まで愛していた。場所まで含めて総合的に美味しそうな描写。
5/11
『サンドウィッチは銀座で』(平松洋子/画:谷口ジロー)を読み始めた。
食べることへの形容に感心する。香りと風味の違いなどについても考えさせられた。

5/29〜6/3
『口から入って尻から出るならば、口から出る言葉は』(前田司郎)、読了。
どこまでも伸びるようにフラフラと思考が進み続ける。前田司郎は自分の位置を何度も確認しながら、立ち止まり、ぶつかりながら、言葉を探す。楽しい言葉ばっかりだ。

5/18〜5/20
『ぼくは勉強ができない』(山田詠美)、読了。
主人公・時田秀美は魅力に溢れている。彼は、僕らが幾つになっても、若さを象徴するヒーローであり続けるだろう。子供は大人になる。でも、子供と大人は違う生き物じゃない。世間の作る空気や嘘にはっきりとノーを言える彼はカッコいい。世界のおかしさに真剣に真正面から悩める彼が羨ましい。やられた。完全に負けた気分だ。
教育の物語でもある。子供はどうあるべきか、どう育てるべきか、ではなく、どうなってほしいか、どう向き合うか、まで考えたい。

4/22〜5/18
ガープの世界』(作:ジョン・アーヴィング/訳:筒井正明)、読了。
解説の言うように、テーマ自体は目新しくなかったのかもしれない。しかし、ガープを包んでいた世界のなんと面白いことか。関係性で異なる愛の面白さを改めて感じた。久しぶりに先がずっと気になる小説だった。
5/16
ガープの世界』。
残酷なものを容赦なく描く。創作と作者の関係を描いている。
5/7
ガープの世界(上)』を読み終えた。
下巻に向かう。細かい話の連続で、そのそれぞれに面白さが漲ったエピソードがある。数奇な人生を覗き見ているような感覚がある。ドラマチックな内容ではないのに、取り上げるとドラマチックな感じがする。

5/7〜5/11
『ルック・バック・イン・アンガー』(樋口毅宏)、読了。
官能小説っぽ過ぎる描写についていけなかった。勢いだけで進むような場面が多くて、端折られていると感じた。
5/7
『ルック・バック・イン・アンガー』(樋口毅宏)を読み始めた。細かい描写を端折ってる感じがする。走ってる、というか。

4/26〜5/1
『生きる歓び』(保坂和志)、読了。
傑作。思考・思索の流れを辿る行為にこんな歓びがあるとは。この清々しさは何だ。
4/26
『生きる歓び』(保坂和志)を読み始めた。
相変わらずの保坂節。これは、超名作では?草の上の朝食、未明の闘争、季節の記憶を超えているのでは? 短編だが、生きることへの躍動感が素晴らしい。『純粋な思考の力なんてたかが知れていてすぐに限界につきあたる。人間の思考力を推し進めるのは、自分が立ち合っている現実の全体から受け止めた感情の力なのだ』には息を飲んだ。

4/15〜4/26
タクシードライバー日誌』(梁石日)、読了。
圧倒的な迫力は実録ものっぽさから現れているのだろうか。その中では異質な川の氾濫の話は妙に幻想的に思えて、今でも心に留まっている。豪雨と水音に囲まれながら、車内で目を閉じてラジオを聴きつつ煙草を吸う姿がありありと目に浮かんだからか。軽やかで笑える話の背景には、肉体労働の重みがある。
4/23
タクシードライバー日誌』が面白い。
タクシー運転手と乗客のエピソード一つ一つが笑える。梁石日は世界のアウトサイドに立っている。

3/27〜4/22
『輝ける闇』(開高健)、読了。
ジャングルの匂い、屋台の匂い、生きてる匂いでむせ返りそうなくらい濃密な小説だった。過剰過ぎて何を言ってるかわからない修辞表現には困った。
3/27
『輝ける闇』(開高健)を読み始めた。
地獄の黙示録の景色が頭に浮かぶ。

4/15
保坂・小島両名の文章を読んでいると、自分の小説観の変容を感じる。ひょっとすると、ものの見方ごと変わっているのかもしれない。同時に読んでいる開高健の小説が読みづらくなってきたのをはっきりと感じる。過剰な修辞表現に耐えられなくなる。三島由紀夫も読めなくなっているのだろうか。
4/6〜4/15
『小説修行』(保坂和志 小島信夫)、読了。
読み終わってみると、保坂和志から小島信夫への気持ちが爽やかさをもたらしてくれた、と思い返せる。保坂和志の言葉はまだ意味を取れるのだが、小島信夫の文章は後半に進むにつれて、形式も内容も次第に混迷を極めて読みづらくなっていく。それでも読みたくなるのが魅力なのだろうか。考えたくなるから読みたくなるのだろうか。
4/13
『小説修行』は難解さを増していく。
小島信夫の言うことが混迷を極めていくのだ。

3/24〜3/26
『もうひとつの季節』(保坂和志)、読了。
ユートピアは続いていた。またも子どもが世界に触れる瞬間に心打たれるのだけれど、やはりこれは保坂和志にしか描けないと確信する。

3/10〜3/23
『木曜の男』(作:G.K.チェスタトン/訳:吉田健一)、読了。
これを推理小説と呼ぶのだろうか?トリックや伏線はあまり技巧的ではなく、わかりきった展開が続いていた。

3/3〜3/10
『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)、読了。
今回はかなりはっきりと話している。希望に満ちている。元気が欲しい時にまた読み返したい。
3/3
『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)を読み始めた。
こんなに前向きにさせてくれる内容だとは思わなかった。他の著作より問題提起で終わっていない。

2/19〜3/3
『あらゆる場所に花束が…』(中原昌也)、読了。
不穏が充満している。突発性に含まれた不快感にまとわりつかれる。解説の熱量に驚く。

1/19〜2/25
『小説の自由』(保坂和志)、読了。
小説の内と外を分ける考え方をしていなかった。スリリングだった。
1/22
引き続き『小説の自由』を読んでいて、この楽しい迂回ともいうべき文章の秘密がようやくわかった。未整理な思考の断片のような文章だな、と思っていたのだが、手書きで作ることによって成し得たようだ。手書きとワープロによって、インプットとアウトプットに違いが生じるというのが非常にわかりやすく書いてあった。
1/20
喫茶店でナポリタンを食べながら『小説の自由』にあった輪郭の話を思い出した。筒井康隆が小説に「笑い」という輪郭を与えたという話だ。喫茶店でドロドロとしたナポリタンにチーズとタバスコをかけながら、その輪郭を思った。全く違う話だけど、イメージが連想を喚起したようだ。
1/19
『小説の自由』(保坂和志)を読む。
小説を語る上での楽しい迂回が続く。小説を読んでいる間に思考がばーっと開く体験について書いていて、すごく腑に落ちた。俺はその体験が忘れられなくて小説を読み続けていたのか!読みながら現実に違和感を覚えるような、あの静かな興奮。

2/17〜2/19
『しろいろの街の、その骨の体温の』(村田沙耶香)、読了。
一気に読めた。飢餓感を煽る強さがある。ニュータウンには憧憬を感じる。カーストではなく、グループでくくるという表現は正しいと思った。主人公の行動は時々、理由がわからなかった。やたらと真っすぐな伊吹は現実にはあり得ない人物で、ファンタジーに近い。街の景色と主人公の感じ方を白色が繋いでいるのが面白い。

2/12〜2/16
『災厄の町』(作:エラリィ・クイーン/訳:越前敏弥)、読了。
久々に本格的な推理小説を読んだ。確固たる物証が無い中で、全て推理で登場人物の謎を暴くラストはやはり痛快でカッコいい。全体を通して、<事件>ではなくて<人>を暴いている。そのための心理描写が精緻。

1/24〜2/11
『コールド・スナップ』(作:トム・ジョーンズ/訳:舞城王太郎)、読了。
岸本佐知子訳の方が良かった気がする。あまりに装飾が激しかったような。拳に拳をぶつけるような乱暴な文章になっていた。
1/24
『コールド・スナップ』(作:トム・ジョーンズ/訳:舞城王太郎)を読み始めた。
なんっつうドライブ感のある文章だよ。ラップみたいだし。クソアメージング。同価値な傷と救い。

2/7
『きみは赤ちゃん』(川上未映子)、読了。
作家らしい鋭い切り口で、女性が妊娠・出産を迎えるということについて言語化していく。性差のために無意識レベルにまで根深くなっている問題は多く、男性の俺は見逃しているし、女性はうまくやり過ごしていただけなのかもしれない。著者はそれをずるりと読者の眼前に晒す。おおお。がんばれ、あべちゃん。

2/7
『恋愛の解体と北区の滅亡』(前田司郎)を久々に読了。
自意識の流れをそのまま描いているだけのように思っていたが、読み直せば決してそんな事は無く、とても技巧的に難しいことをやっていたのか、と感心した。

1/19〜1/23
『お金を払うから素手で殴らせてくれないか?』(木下古栗)、読了。
唐突さがもの凄い。交通事故みたいな理不尽さを連ねた小説群だった。
1/19
『お金を払うから素手で殴らせてくれないか?』(木下古栗)を読み始める。
徐々にわかってきたが、かなりナンセンスな内容。最近、観ている『怪奇恋愛作戦』を連想したのは、記憶が新しいせいもあるが、ナンセンスな雰囲気が近いからだ。荒唐無稽なことを書き連ねても小説にはならない。話の流れや状況にどれだけ大きな違和感があっても、小説にはなるのだろうか?

2014/12/19〜1/19
彼岸過迄』(夏目漱石)、読了。
語り手(聞き手)は殆ど冒険していない。魅力的な人々がやることなすことを、ただ見聞きしている。語り手唯一の冒険もよく考えれば大した話ではないのだけど、とても面白く語られている。取るに足りない事柄を事件にまで押し上げるのは、やはり漱石の力量なのだろう。『文豪』 という言葉が表すような、堅苦しい話が書かれている訳でも無い。登場人物が現代の人と変わらず、やりたいようにやっているのがとても楽しい。それを普遍性と呼ぶのだろう。須永と千代子のやり取りは痛々しい。恋でもなく愛でもなく名付けがたい情を、とても豊かに描いていた。