3/2 木曜日
昨晩家に帰る時に降り始めた雨は、朝には止んでいたので、自転車で息子を保育園に送ることができた。
保育園に着くと、息子は自分の身体には大き過ぎるバッグを引きずりながら、振り返ることなく保育園の奥へと歩いて行った。
駅で合流した妻と別れた後、電車に乗りながら『誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち』(作:スティーブン・ウィット/訳:関美和)を読み進めた。
ずっと面白い!3人の登場人物を主軸にしてMP3という音楽データの隆盛とその周辺の騒動を描く群像ノンフィクション。だと想像しているが、果たしてそうなのか?これからどうなるのだろうか?という物語的な緊張感が途切れない。
昼食は豚の角煮定食。合間に読み進めた。
帰りの電車でも読み進めた。3人の物語は収斂するのだろうか?
いつもより帰るのが遅くなったけどまだ息子は起きていて、バイバイしてハイタッチしてから寝室へと去った。
トイレでは『ダメをみがく "女子"の呪いを解く方法』(津村記久子 深澤真紀)という本を読む。半分くらい読んだろうか。二人はダメな部分を愛して肯定する。全面的に共感できるわけでも無く、共感を求めてくる感じも無く、トイレにはちょうどよい気楽さ。
夕食後、録ってあったテレビ番組を見た。一回前の『フリースタイルダンジョン』。漢さん怖カッコいい。
その次に『山田孝之のカンヌ映画祭』。山下敦弘の演技を繰り返したのは何だったんだろう。久々に見た村上淳は、急に怒ったりしそうな人に見える。狂気が秘められている、ように見える。嫌な緊張感。
高橋幸宏選曲回の『オーディナリーミュージック』。途中まで聴いた。
皿を洗いながら、『断捨離』というものが嫌いだと考え始めた。何度目だろう。
気軽に捨てられるようにするための言葉なんだろうか?捨てるんだったら手に入れなければよい、という思考もこのコンセプトの範疇だろうか?
仕方無く買う場合でも捨てるのを前提で買うようになりそうだ。そんな気持ちでは物は持てない。勿論、何も捨てないように生きるのも難しいけど、手に入れるのも捨てるのも自分は本気で悩む。
あ、断捨離という字面が仏教用語みたいな高尚風の顔をしてるのも気に入らない。
とここに書くことを想定しながら考えたが、それもまた貧しい。何かを記録するために生活するのは本末転倒だろう。
何にせよ、よく知らないのに批判するのは良くないな。しちゃうけど。
ああ、断捨離の逆の言葉も考えた。繋拾付?
本を読む時間は、『行き帰りの電車』と『昼ご飯の時』と『家のトイレ』ぐらいだと書いてて改めて気づいた。少ない。大変だ。
やはり書き過ぎた。思考をそのまま残すのは無理がありそうだ。明日は減らす。
3/3 金曜日
短い乗車時間で『誰が音楽をタダにした?』を読み進めた。ショーン・パーカーという人物は映画『ソーシャル・ネットワーク』でジャスティン・ティンバーレイクが好演してたアイツだ!そうか。やはりこの本は映画向きだな。いや、映画化されそうだ。ブランデンブルクはベネディクト・カンバーバッチかな。ドイツ系じゃないけど。
昼食はメンチカツカレー。少年マガジンを読んだ。『ベイビーステップ』はずっと面白い。『はじめの一歩』『スラムダンク』などの系譜にある主人公が初心者スタート系の王道スポーツ漫画だが、主人公が勉強ができて、頭脳戦に長けているという斬新なキャラクター設定が素晴らしい。後から足された『目も反射神経も良い』という設定は若干気になる部分だが。
帰りの電車でも『誰が音楽をタダにした?』を読み進めた。2000年前後にあったファイルの違法共有ブームは俺にも少しだけわかる。俺の耳に届いたのは2003年くらいだったか。
音楽はデジタル配信への移行の仕方が他の業界と全然違ったようだ。違法性がルールとテクノロジーを押し広げて、今の状況があった。政府と業界との関係性がポイントだったのか。
夜、金ちゃんヌードルを食べた。十数年ぶりじゃないか。東京では売っていないから。無性に食いたくなっていたら友人が買って来てくれたわけだが、相変わらずカップヌードルが駄菓子っぽさを増したような味で、カップヌードルより美味くない!という安定した味で懐かしかった。
録ってあった『クレイジージャーニー』を半分くらい見て、『住住』を見た。回想の中で回想していくという話で、ゆるくチャーリー・カウフマンっぽい脚本だった。会話からはバカリズムと若林の自意識の強さを軸にしたお笑い観が滲み出ていて面白い。二階堂ふみは女優としてコメディエンヌを全うしていて凄い。
【オムツを替えたり、母乳をあげたりしている時間が、どこへ行くのか、と考える。
どこへも行かない。今、ここで、自分が消費するだけだ。泡のようにパチンと儚く消える。】
という導入からして「その話を書いてくれる人がいたか」という感謝を感じる。
シンプルにやりたいことが多過ぎる、という意見にも深く同意する。子どもと一緒にいると、映画を観る時間や本を読む時間や友だちと遊ぶ時間や旅行のような、あらゆる自分のための時間が削られて物足りない気分になるけど、だからといって子どもと一緒にいたくないわけじゃない。子どもの世話は大変でも一緒にいるのは楽しい。だから、自分のための時間と子どものための時間を比較したり対立させたりする考え方は違う。
そして、今は子どものための時間を優先しようと思っている。自分の幼い頃を思い出して考えてみれば、彼が一緒にいてくれるのは今だけだろうし、そうあってほしい。
映画も本も友達も旅行先も待たせておけばいい。
3/4 土曜日
眠過ぎて寝坊した。
と言っても子どもが生まれてからは、昼まで寝たりはできなくなった。
洗濯してから家を出た。家事や自分の着替えなどの最中、息子にはYouTubeで電車の映像を見せてしまうことがある。食い入るように見ていて、これは教育上良くないのでは、と思う。特に文脈の無さそうな映像を見せる時にその不安は強くなる。
しかし、映像はそこら中に溢れているし、そこを避けるのもおかしいし、んー?好きなものだけを与えるのは避けたい、とも思う。ああ、まとまらない。
自転車で息子を保育園に送った。
走りながら、電子書籍と本・雑誌の関係は音楽配信とCDの関係と相似では無い、と考えた。『誰が音楽をタダにした?』とその前に読んだ『ガケ書房の頃』(山下賢二)を思い出して着想した。それは、出版がWeb媒体などに代替可能かもしれないという点でかなり違うと思えた。出版という文化が無くなることはあり得るのではないか?
飛んで来た鳩が二羽、アンダースローのように弧を描いて目の前を横切った。
整骨院に来た。混んでいる。この前も混んでいた。いつの間に流行ったのだ。デスクワークと息子の重さが俺の腰を蝕んでいる。
『マッサージはプロレスに似ている』。という仮説をいつも考える。受け手が相手の全ての技を受け切るつもりに構えた方が良い、という点でそう考えている。
昼食は近所の店で坦々麺。「辛いのに辛くない!なぜだ!」としか言いようの無い絶妙な味に最近ハマっている。
家でやらなきゃいけないことをやる。
保育園に自転車で息子を迎えに行き、仕事帰りで駅に着く妻と合流してから、珈琲店でカプチーノを買い、パン屋でパンを買ってから広場に寄った。
その広場には敷き詰められたウッドチップとベンチしかない。息子はパンを食べながら、楽しそうに適当な石を拾い集めていた。
妻は買い出しをして帰るので、息子と二人で自転車で帰った。時間があるのでぐるぐる遠回りしながら帰った。何となく妻の実家に寄ったら、帰って来たお義兄さんに会った。奥さんの実家の前にはアパートができる。
基礎だけが作られているのを見て思い出したが、所謂ニュータウン的な新興住宅地で育った自分の家の周りには、こういう状態の家がたくさんあった。迷路として遊んだり、家ごっこみたいに遊んだ記憶がある。意外と特殊な状況だったのかもしれない。
帰って来て、昨日近所の餃子屋でテイクアウトした冷凍餃子を焼いてもらって食べた。相変わらず美味い。貰い物の『農民ドライ』というワインも飲んだ。スッキリした辛口で料理に合う味だった。
妻と一緒に息子を寝かしつけているうちに、寝てしまっていた。何度目だ。目が覚めたのは3時。喉が痛い、あるいは、痒い。鼻水が止まらない。乾燥のせいもあるが、花粉症のせいだ。昨年から花粉症だというのを認め始めた。症状はもっと前から出ていた。
スキマスイッチをプロデュースした曲『ゴールデンラバー』はノリノリで素晴らしかった。iTunesで買おうかと迷ったが、「iTunesもAmazonも動物的に我慢なく欲望を満たせてしまうから怖い…」といつものブレーキが一応かかった。「インターネットは衝動買いを増やしたし、人間から我慢を減らした。良い面も悪い面もあるが」と常に考えてしまう。奥田民生プロデュースの『全力少年』も気になっていた。
3/5 日曜日
眠い。睡眠が足りない。予定通りには起きたが、身体がダルかった。
昼食用に弁当を買って池袋に向かった。
池袋はやっぱり埼玉の空気が充満していた。東京芸術劇場に向かったのだが、西口公園でアイドルの小型フェスっぽいイベントが催されていて騒がしかった。
そして、妻と息子と一緒に『なむはむだはむ』を観劇した。子どもたちとのワークショップで集めた物語の断片から着想して、歌って踊って語る演劇。パフォーマンスするのは、ハイバイを主宰する劇作家・俳優の岩井秀人、俳優・ダンサーの森山未來、シンガーソングライターの前野健太の3人。
この日は年齢制限が無かったので、1歳半の息子も一緒に見られた。泣き喚いたらどうしようという心配はしていたが、周りも大騒ぎだったのでそんなに気にする必要は無かった。
子どもの発想の脈絡の無さを3人があの手この手で体現する素晴らしいものだった。脈絡というものは大人が作るものなのかと気づいたのだが、見ていて覚えるのが大変そうだった(即興部分はあるにしても)。舞台セットももの凄かった。夢みたいに現れては消える3人が自由に動けるようになっていた。また、大騒ぎの子どもと戦ったり遊んだりしながら演じる3人を見ていて、役者と観客が舞台でしか隔たれていないという危うさ(そして、面白さ)が強調されていると感じるライブ感だった。岩井秀人の対応力、森山未來の身体表現力、前野健太のブルースとジョーカー的な期待感が入り混じりながら表れていた面白さを堪能した。
個人的には、生まれて初めて演劇を観る息子を特等席で見られて、めちゃくちゃ感激した。おびえたり、不思議そうにしていたり、何かを口走る息子の姿は見ていて飽きなかった。瞳がコロコロと変わった。
小学生くらいまで、母親が定期的に演劇に連れて行ったのを思い出した。あの体験は自分にまだ生きてるのか?チャンスがあれば、また連れて行こう。
終わって外に出ると西口公園ではまだアイドルイベントがやっていて、観劇の興奮冷めやらぬ息子はいかにもアイドルらしい音楽に合わせて妙な動きを披露した。所謂オタ芸に見えたから不思議だった。
CDを探してうろついてたら、インストアイベントをやってたらしい有名じゃなさそうなアイドルに声をかけられた。何か買わせるつもりだ!と察知してそそくさと断って妻と息子の元へ逃げ込んだ。『客観的にアイドルオタクに見える』という事実は嬉しくなかった。
最寄り駅まで帰って来て、ドトールでコーヒーとパンとブラウニーを買って、駅のホームで食べた。息子は電車が通るたび、こちらに振り向いて電車が来た喜びを教えてくれた。息子は電車が大好きだ。
観劇の影響だと結論づけたが、家に帰ってからも息子はずっと興奮していた。いつもと何かが違う興奮の仕方だった。晩御飯はカレーだった。息子は両手を振りかざしてカレーの美味しさを表現していて、岡本太郎を彷彿とさせた。
3/6 月曜日
所用でめちゃくちゃ早起きして家を出た。しばらく家に帰れない。
移動中は小沢健二の『流動体について』を聴いていた。妻に指摘されて以来、伴奏でポコポコ聞こえるの気になる。
菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』酷評っぷりが面白過ぎて夢中で読んだ(http://realsound.jp/movie/2017/03/post-4278.html)。一般公開された途端、賛否両論が起きてたのはこういうことだったのかな。この目で確認しなきゃいけないな。と思ったらちょうど観られる機会を得た。しばらく迷ったが、もう少し寝かせてみることにした。
晩御飯は蛙とゴーヤとパイナップルを煮た鍋や、鮫の煮物や、生きた海老を焼き石の上に乗せて紹興酒をかけて蒸し殺して食べる料理を食べた。海老は若干臭みを感じたが、紹興酒の香りだったのかもしれない。他は総じて不味くはなかった。
書いてて、何食ってんだという気分になったが。
家にいない間、妻が独りで息子の世話をする。想像するだけでめちゃくちゃ大変そう。申し訳ない。
3/7 火曜日
全く安眠できず、悪夢を見たが、身体はスッキリしていて元気だった。
昼ごはんに鶏の丸焼きが出た。
と俺が面白く読めて良いのだろうか?コンテンツとして中高生向けを目指してる、と明言していたので、中高生に届いてほしいような。俺『も』楽しめるコンテンツになっているだけなら良いが。
まあ、このちょっとした悪感情は、聡明さや行動力を若くして持っていることへの嫉妬だろう。こういうのが出る杭打つんだよな。良くない。
晩御飯は白菜の漬物を煮た火鍋だった。
寝る前に『誰が音楽をタダにした?』を読み進めた。しばらく空けてしまうと、略語などがわからなくなる。RIAAとかRNSとか何だっけ、とかなる。ノンストップで最後まで行かねば!エミネムの名前が連呼されてて懐かしい。エミネムはドクター・ドレーにフックアップされたのか!
3/8 水曜日
家に帰りながら、何度も小沢健二の『流動体について』を繰り返し聴いた。
言葉の強さがすごい。ミクロもマクロも動く様を美しく混ぜ込む。そして、その強い言葉を音楽に載せて的確にリスナーにぶつけられるのがすごい。
トイレで『ダメをみがく』を読み進めて、初めてハッとさせられた。
津村記久子の母が津村記久子に対して思いついた話題を自分の好きなタイミングで次々と話すのが精神的負担になっていた、という話が、完全に自分が妻にやりがちなことだと気づいた。自分の母もそんな感じだったから、妻にもそうしてしまっていたのかもしれない。中井久夫の『「つながり」の精神病理』という本に詳細が載っているらしい。この話し方は統合失調症の温床にもなる?読んでみたい。
相手の負担になる可能性は高いのに、なぜ今まで考慮しなかったんだろう。気をつけて控えよう。
そして、どうしても言い散らかしたい時のために、このブログがあると思えば良さそうだ。
『龍の歯医者』全2編を見た。前編はかなり『新劇場版ヱヴァンゲリヲン』っぽく面白く動いてた。プラス『もののけ姫』のタタリ神とか『サマーウォーズ』の敵とか…って何でも既存のものに例えるのって恥ずかしいな。
と思いつつも後編は途中が『天空の城ラピュタ』や『紅の豚』のジブリで、最後はやっばり『もののけ姫』っぽかった。全体的に『天元突破グレンラガン』や『キルラキル』っぽさも感じた。詳しくは調べてないけど、スタッフの重複に依る影響なんだろうか。
脚本は龍がいる複雑に入り組んだセカイ設定の中にボーイミーツガールぶち込んだ感じの舞城王太郎だった。舞台設定は面白かったけど、主役二人の魅力の無さが辛かった。おそらく舞城王太郎的な饒舌さで設定やエピソードくっついてるんだろうけど、語られないし、感じ取れなかった(ラストの語りはいかにも舞城節だった)。キャラクターデザインのせいもあるかもしれないが、他の歯医者の方が魅力的だった。
それにしても、この企画どうやって出発してるんだろう。映画からスタートしてるような気がしてならないが、お金の動きが気になる。なぜ続編をやりそうな余白まであったのか。
キャラクターデザインの割に感情の振れ幅が小さいキャラクターでわかりにくいけど、清水富美加(a.k.a. 千眼美子)の声優良かったな。ん?声優が良くなかったからキャラクターの感情の幅が小さく思えたのか?よくわかんなくなってきた。いずれにしろ、残念。
聴き終わってから、電気グルーヴの『TROPICAL LOVE』も少し聴いた。カッコよくてバカな音楽を20年以上やってる素晴らしい人達。前作『動物と人間』よりノリが良い気がする。聴き手への攻撃性が減ったような。