2018年前半に読んだ本の記録

2017年の読書履歴を振り返った際に『2018年はいろんな国の小説(文学)を読んでみよう』という目標を立てたが、半年経った時点での達成度は低い。

韓国、中国、トルコ、ロシアなどの文学に興味があって、面白そうな本があるのはわかっているのに、海外文学で多く読んでいるのはアメリカ産らしい。

気づけば何となくアメリカ。思考の癖はなかなか抜けない。

別にいいんだけど。

でも、小説読んだ国を世界地図にマッピングしていく遊び方まで想像しているのになあ。

 

今回、アマゾンへのリンクもつけてみた。その方が見返した時に面白そうだったので。

 

以下、いつも通り、遡る形での記録となる。

少しは配慮して書いたが、ネタバレといわれる事故の危険を感じた際には、流し見をお勧めする。

 

 

5/28~6/30

Self-Reference ENGINE』(円城塔)、読了。

この小説はややこしさが面白い。表現だけを見ると「馬から落馬する」くらい正しくないように見える文章が、筆者の用意したSF的装置を通過することで、可笑しいけど必然性はあるように見える。そして、そんな文章がたくさんある。そのしつこさも面白い。

正直に言って、佐々木敦氏の解説が無ければ、自分の中で総括できない部分は多かった。とにかく何を読んでいたのか思い出せない。多種多様な雰囲気のSF小説群が、多種多様なテーマを描きながら、一つの長編っぽさも持っている、というのがその原因だろう。読みながらぼんやりと単語や世界観に共通性は感じられるのだが、因果関係が無かったり逆転しているように見えたりするので、覚えていられない。

そんな混乱の中でも、超越知性体や巨大知性体と世界の関係が、筆者と小説の関係と相似になっているのは、俺でも漠然とわかった。物語を駆動するためではなく、メタフィクションであるためのメタフィクションなので、読者は読んでいる瞬間に読者であることを何度も意識させられる。この強制的に我に返される瞬間が物語に没入するのと同じように面白い、というのは初めて気づいた。

そして、名久井直子の装丁がクール!

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

4/21~5/26

『バベる!自力でビルを建てる男』(岡啓輔)、読了。

社会や常識という枠にちゃんとぶつかって、遠回りになっても、傷ついても、踠くことになっても、自分が正しいと思える道を進む。そのまっすぐな不屈の精神に、畏敬の念を抱く。

この人が報われない社会はおかしいんじゃないか、この人みたいに生きたいのに生きていない俺はおかしいんじゃないか。要領よく生きるのが良い人生じゃないじゃん。新井英樹の漫画になる理由はよくわかる。

本の内容としては、上記のような『著者の生きる姿勢がわかる今までの活動・今後やっていく活動』パートと、『建築の歴史や現状への言及』パートがあって、それらが混じり合いながら、自力で建てる鉄筋コンクリート製ビルの建築プロジェクト『蟻鱒鳶ル』の話に繋がっていくような構成になっている。

建築を勉強したことがないので、建築の歴史や現状への問題提起をしている部分は知らないことが多かったのだけど、現場での経験に裏打ちされた説得力のある文章は理解しやすかった。

特に、素材としてのコンクリートの話はかなり深刻だとわかった。水を増やしたコンクリートは耐久性に問題があるけど、水分が少ないと扱いづらく量産に向かない。この建築の耐用年数の問題はとても生々しいし、現代の日本では想像に容易い。

そして、結果的に陥りがちな『消費を前提とした建築』というのは、たまたま同時に読んでいる『コンヴィヴィアリティのための道具』で言及している、行き過ぎた産業主義の問題とも共通していた。そのカウンターとしての蟻鱒鳶ルだと理解した。

また、一方で、建築を作品と断言している部分も予想外で面白かった。最初、作品至上主義は消費を促すようにも思えたが、全くそういう意図ではなかった。作る悦びと責任の話だった。建築は希望を表現する芸術である、という言葉はとても力強く、それを意識するだけで、建築の見方は変わった。

だから、この目で近いうちに蟻鱒鳶ルを見に行きたい。いや、行かねばならない。

バベる! (単行本)

バベる! (単行本)

 

 

 

5/23

一ヶ月以上、『コンヴィヴィアリティのための道具』を読んでいる。難しい。何度も行ったり来たりして文意を捉え直しながら読み続けている。面白いところも多々あるのだけど、結構辛い。社会主義でも資本主義でも無い方法論って皆がずっと欲している、というのはよくわかる。

そして、小説が読みたくなってきた。小説ばかり読んでると、エッセーとか新書とか読みたくなるのだけど。無い物ねだりか。

合間に『バベる!自力でビルを建てる男』も読んでいて、こちらは読みやすいし、ずっと面白い。たまたま同時に読んでるだけなのに『コンヴィヴィアリティのための道具』と共鳴する部分も感じる。二冊とも効率優先の社会への反発や逸脱のススメを説いている。

そのうち読む予定の『さよなら未来』(若林恵)とも、きっと共鳴するのだろう。

 

4/18

『コンヴィヴィアリティのための道具』(作:イヴァン・イリイチ/訳:渡辺京二 渡辺梨佐)を読み始めた。

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

4/11~4/18

『最も危険なアメリカ映画』(町山智浩)、読了。

アメリカ映画は現実世界とめちゃくちゃ密接で、昔から相互に影響し合ってきた。

この本では、時系列に沿って、古い映画から新しい映画へと話を進めていき、映画とそれを取り巻く社会状況を説明していく。そのため、アメリカがずっと苦しみもがいている問題を中心とした、アメリカ史の教科書としても読める。特に人種問題は、アメリカが出来てから今までずっと深刻に存在し続けているとわかる。そして、全ての論考は繋がっていて、アメリカが抱える問題について、知らなかった事実や抜け落ちていた視点を啓蒙するような、著者らしい内容になっている。

読むと論じられている映画を見たくもなるのだが、今回、紹介している映画はかなり古いものや日本でソフト化していないらしいものも多く、見るためにはかなりの熱意と労力が必要だ。しかし、見なくても十分にわかったような気にもなってしまうし、満足感もある。相変わらずの筆者の力量。

紹介している映画の中では、読者に一番馴染みが深いであろう『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『フォレスト・ガンプ』の章が、最もセンセーショナル。俺はこの2作品を何回見て何回黒人への差別をスルーしてきたのか、とショックを受けた。ロバート・ゼメキス作品を調べてみよう。今後も警戒することになるだろう。

一見素晴らしい映画でありながら誰かに差別的な映画というのは存在し得る。映画はプロパガンダにも利用できる優れた道具なのだ、と改めて肝に銘じることにした。

 

 

4/5~4/10

寝ても覚めても』(柴崎友香)、読了。

そうだよ、夢と小説は似てるんだ。そのことを忘れてた。もしくは、気づいてなかったのかもしれないけど、気づいてしまうともう気づいてなかったのを思い出せないくらい、似ているとしか思えない。どちらも現実をエミュレートした創作であり、無意識のものが夢で、意識的なものが小説とはいえないか。SF小説ファンタジー小説だとしても、五感や感情のあり方は現実をエミュレートした上で現実から離れようとしているのだから、この気づきと矛盾しない。夏目漱石の『夢十夜』とかこの気づきから着想してるのかな。

この作品を読んで、そんな視点を得た。夢のようだと感じる表現が多かったからだ。少なくともどこかのシーンは夢オチが来るんじゃないか、と恐れながら読んだからだ。行間を空けて挿入される風景の一片にいつも「…夢では?」と思わせる力があった。夢は現実にありそうであり得ないことも多いのだ、とも気づいた。

小説は文章の順番で立ち上がる景色が違う、ということは冒頭の展望台の場面で強く意識した。それが小説の本質的な魅力の一つだと直感させられた。グーグルアースと一眼レフを交互に見るような視点ごと切り替わるダイナミックな描写は、めちゃくちゃカッコよくて面白かった。

時間経過と省略も上手くて、途中であったはずの修羅場や意気消沈しているシーンを細かく描かなかったし、亮平の感情を殆ど描写しなかったので、全体的にドライな印象で終始させるのかな、と思ったら最後に怒涛の感情の嵐が待っていたので、夜明け前に一気に読んで、衝撃を受け過ぎて、読んだ後なかなか眠れなかった(し、寝てもなぜか猛スピードの車にひかれる悪夢を見た)。

鳥居麦もそうだし、最後の森本千花もそうだけど、どこか夢の中の登場人物のように行動に飛躍があったのも、読んでいて笑ってしまった。

柴崎友香超すげー。彼女の本は他にも何冊か読んでて大好きだけど、今まで読んだのとは全然違うし、一番強烈だった。

本に家で待機してもらっている間に映画化が決まってしまったので慌てて読んだのだが、読んでる間、映像化を想定してしまうことが多かった。そして、この作品の映像化は大変だろう、という思いが消えなかった。風景は主人公の心情に従属せず、独立した存在として描いているのだけど、いろんな景色に主人公が勝手に心情を託すシーンが多いのが難しそうだった。解説で豊崎由美も言っていた信用できない語り手問題の描き方も気になる。

それでも、ラスト30Pの映像化には期待せずにはいられない。

史上最悪のパンチドランクラブに。


4/5

少しずつ『寝ても覚めても』を読んでいる。

夜明けごろに読むのが合っている。夢のような感触の風景の挿入は、読むと静謐な気持ちになる。

 

4/1

寝ても覚めても』(柴崎友香)を読み始めた。

寝ても覚めても (河出文庫)

寝ても覚めても (河出文庫)

 

 

 

4/3

『365日のほん』(辻山良雄)を読み始めた。

365日のほん

365日のほん

 

 

 

3/28~3/31

『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象)、読了。

タイトルと新潮新書であることから想像していた内容よりも、ルポ形式の読み物だったので意外だった。勿論、帯にもそんなことが書いてあったのだけど、新書であることにミスリードされていた。読み終わってしまえば、新潮新書の中にあるというズレが面白いのだけど。

筆者が研究対象のはずのフィリピンパブ嬢と付き合ってしまう。このメインストーリーを軸にして、日本におけるフィリピンパブの現状、フィリピンという国の文化とその現状も教えてくれる。

最初は大学生時代~大学院生時代のフィールドワークでの研究として始まり、そこは詳しく知らなかったことも多くて、単純に勉強になった。フィリピンパブ嬢と付き合ってからは日記的な様相が濃くなるが、その波瀾万丈っぷりが読むに値する濃密さだった。皆に反対されてもめげない二人の姿には、思わずグッときた。

そして、統計の数字やフィールドワークだけでは知り得ない、フィリピン人の考え方や生き方には驚いたし、著者がそこに踏み込んでいく姿勢自体にも感心した。

読後感は、テレビ番組『家、ついていってイイですか?』を観た時の気持ちに似ていた。

フィリピンパブ嬢の社会学 (新潮新書)

フィリピンパブ嬢の社会学 (新潮新書)

 

 

 

3/25~3/28

『異常探偵 宇宙船』(前田司郎)、読了。

前田司郎の小説はいつも変で楽しい。そして、作品ごとに小説の書き方を意識的に変えているようだ。毎回模索しているとも言える。

今回は児童向け探偵小説をベースにしていたんだと思う。読んでいる間、この読み心地が何かの作品に似ているとずっと感じていたが、中盤くらいで思い出した。『ズッコケ3人組』シリーズの推理小説系のだ。読者に語りかけてくる感じや、筆者の考えを述べる場面が似ている。

それにしても、前田司郎は、こんなにプロットをしっかり組んで、伏線を張ったり回収したりする小説も書けるのか。ちゃんと探偵小説になっていたし、不覚にも先が気になるように出来ていた。

それでも、やっぱり前田司郎節は健在だった。米平少年の言動のズレっぷりは素晴らしくて笑ったし、仕草と意図の明け透けな表現や、筆者も含めて正常と異常を疑っている文章は、ずっと前田司郎の小説が描いてきたものだった。おかしなキャラクターばかり出てくるが、逆にここまで露骨な変人達は今までいなかった気もするので、そこは探偵小説に対して戦略的な気がする。

このジャンル小説への前田司郎節による介入というのは面白い。SF小説でも歴史小説でも恋愛小説でも読みたい。あ、ドラマとか演劇ではもうやってたな。演劇『宮本武蔵』も、ドラマ『タイムパトロールのOL』も、ドラマ『空想大河ドラマ 小田信夫』も、どれも面白かったもん。

異常探偵 宇宙船 (単行本)

異常探偵 宇宙船 (単行本)

 

 

 

3/9~3/24

『現代の地政学』(佐藤優)、読了。

5回にわたる講義を書籍にまとめていた。

最初の方は、大学の講義のように雑談めいた話も多くて、進め方に不安を覚えたが、最終的には地政学という考え方のエッセンスとそれを使った世界の見方が少しわかるようになった。

地政学という考え方のいかがわしさも含めたイントロダクションからして面白かった。それにしても、すごい知識量と話の上手さ。半信半疑だが、各国が前提条件として、この学問にもなりきれていない考え方を踏まえて外交に臨んでいるというのも、ありそう、かも?「山は攻めづらい」とか「こちらの海から回り込んだ方が早い」くらいの簡単な判断は、学問にはなり得ないとも思えるし。

また、自分の国際情勢の知識が浅薄なので、地政学の周辺情報は単純に勉強になった。沖ノ鳥島ってそんな微妙なんだ、とか。

この本のことを思い出しつつ、中東に注目していきたい。

現代の地政学 (犀の教室)

現代の地政学 (犀の教室)

 

 

 

2/28~3/8

『獣どもの街』(作:ジェイムズ・エルロイ/訳:田村義進)、読了。

暴力とセックスの出血大サービス。軽快に頭韻を踏みつつ、混ぜ込んで煮詰めたエログロを食わされた。

『ホワイト・ジャズ』以来に読んだエルロイ作品で、どうしても比較してしまいながら読むことになった。3編通してのシリアス度は低く、不条理な状況がギャグのように描かれることが多かった。デフォルメされたロス市警が人種差別や性差別しまくった言動を繰り返すのは、どれくらいリアルなんだろう?ハリウッドに住む白人はこんなもんなのか?別に面白くもないので、何だかなあ、と思った。

また、『ハリウッドのファック小屋』ではわからなかったが、他の2編の頭韻の踏み方は異常だった。訳者の苦労が偲ばれる。原文が気になる。こういう文体上のルールが作品に与える影響は気になる。ラップと同様、表現を制限することもあれば、思いもよらない表現にジャンプするようなこともあるのだろう。正直、日本語ではイマイチカッコよく感じなかったが。

少しだけ『ホワイト・ジャズ』の電文体っぽい場面もあったが、そこを読んで動作や場面の省略のやり方がマンガと一緒だと気づいた。

獣どもの街 (文春文庫)

獣どもの街 (文春文庫)

 

 

 

2/22~2/27

『流血の魔術 最強の演技』(ミスター高橋)、読了。

久々に好きになれない著者の本を読んだ。勧められて読んだから起きる事故なので、貴重な読書体験ではある。

日本のプロレス(主に新日本プロレス)の内情暴露本で、プロレスは真剣勝負ではなく最高のショーであり、日本のプロレス業界もそれを世間に認知させた上で、興行としての発展を目指そう、という前向きな読み方ができる。

しかし、一方で、ショービジネスに携わった人特有のサービス精神のつもりかもしれないが、日本のプロレス界で起きた様々な出来事の裏側を暴露する部分が多過ぎるように感じた。この内容で一人が語る形式だと、単なる自慢話のように感じられたり、「昔は良かった」的な懐古主義に陥ってしまうようだ。

特に猪木への気持ちは愛憎半ばだからか、文章によって正反対のことを書いたりしていた。尊敬しているというスタンスのまま小馬鹿にした表現が散見していて、読み心地が悪かった。

プロレス業界を前向きに考えたいのなら「プロレスが真剣勝負ではない」という点を強調しつつも、試合を面白くするための具体的な努力の部分をより深く掘り下げるべきで、「事件の舞台裏を明かす」というゴシップ的要素が前に出過ぎているのが残念だった。実際、マッチメイクするための段取りや準備の部分は面白かった。

また、アメリカのWWE的(試合はショーであるという)志向を強めていったのがハッスルだったのかと思い当たった。ハッスルがこの本の影響下で生まれたのかどうかは知らないし、現在成功しているイメージは無いが。個人的には、お笑い要素が不真面目さに見えて、緊張感が無いのが苦手だった。

読みながら驚く部分が私には無く、ある程度ショーだと認識していた、と気づいた。プロレスの熱心なファンじゃない私でもそれくらいの認識なので、この本の意図は現在は十分に世間に広まっているかもしれない。この本を踏まえた上で、最近時々目にする棚橋や中邑やオカダカズチカなどの活躍も追ってみたくなった。

読んでて思い始めたが、著者と読者の間にもプロレス技をかける時のような共犯関係がある気がする。好きじゃない相手とそれをやるのは難しいとわかった。

流血の魔術 最強の演技 (講談社+α文庫)

流血の魔術 最強の演技 (講談社+α文庫)

 

 

 

2/18~2/22

『ルポ川崎』(磯部涼)、読了。

とても刺激的な内容で、思わず声を出して驚いたり、ため息をついたりしているうちに、あっという間に読み終わってしまった。俺は川崎について殆ど知らなかったと気づいた。

読み終わって、川崎に行きたくなった。その動機はスラム・ツーリズムだろうか。ここで描かれていることを確認したくなる。こんな場所が本当に日本にあるのか?川崎の人が話すエピソードはどれも本当に日本なのか?と疑ってしまうほど、過酷で壮絶なものばかりだ。それは俺が一面的な日本しか知らなかったということでもある。臆病なので、どこまで踏み込めるのかは自信が無い。

そして、BAD HOPの音楽を聴いてみたくもなる。こんなに本場アメリカと似た条件でヒップホップが発生するとは思いもよらなかった。漢 a.k.a GAMIの『ヒップホップ・ドリーム』は一人語りのリアルによって『ゲットー』での暮らしを描いていて、半信半疑で読んでも刺激的で面白かったけど、このルポの地域全体が迫ってくる『ゲットー』のリアルさには戸惑った。それは、エンターテインメントではない生々しさだった。

カムバックした小沢健二や、彼とセットで話題になる岡崎京子が描いた『リバーズ・エッジ』も、川崎と関連して語れるというのは感心した。(文化も含めた)南北の分断と川を挟んだ両岸の対比は、全く知らなかったけれど、とても面白かった。原因や事例をもっと調べてみたい。

サイゾーでの連載ということで、雑誌企画のシリーズコラムっぽい叙情的な表現が(特に文の最初と最後に)多かったのは意外だった。

ルポ 川崎(かわさき)【通常版】

ルポ 川崎(かわさき)【通常版】

 

 

 

2/8~2/18

『ポロポロ』(田中小実昌)、読了。

著者は何かが語られることで物語になってしまうことへの懐疑、ひいては、物語にまぎれ込むご都合主義の排除を徹底するために孤独に戦っている。

そして、その語り口で、普通に悲惨で、普通に不条理で、普通に無意味な戦争をそのまま描いている。この「そのまま」のレベルが凄い。言葉遣いにも細心の注意を払って、ドラマティックな部分は丁寧に取り除く。

いろんな短編があるが、戦時下での下痢便の話に終始してしまう「寝台の穴」には衝撃を受けた。エクストリーム過ぎる。それを読んだ感触は水木しげるの戦争漫画にも少し似ているが、この装飾の無さは唯一無二だった。

戦争の話にありがちな感情的な文章は無く、身もふたもない描写の連続なのに、読み終わると戦争は本当に厭なものだと心から思う。不思議だ。

そして、著者は自分が語る言葉の表現にまで、疑問の投げかけと検証をずっと繰り返していた。この変に真面目で特異な文体は、確かに保坂和志に大きな影響を与えている。

ポロポロ (河出文庫)

ポロポロ (河出文庫)

 

 

 

2/1~2/8

『捨てられないTシャツ』(都築響一 編)、読了。

俺も捨てられないTシャツを持っている。むしろ、多い。触ると大したストーリーも無いのに記憶が刺激されて(cf.サイコメトラーEIJI 的に)愛着を感じてしまう。他の服に比べて、Tシャツには愛着が湧きやすいのではないか?

それぞれのTシャツについて、それにまつわる話が載っているんだと思い込んで買ったが、実際には各自がそれまでの人生を語り、その付属品としてTシャツのストーリーが挿入されるような構成だった。

波乱万丈な人生を語る方も多く、時代を感じさせる固有名詞も多く登場するので、途中まで読んで「あれ…?この人、どんな人だっけ…?」と性別・年齢・職業とTシャツを繰り返し確認することもよくあった。そのため、語り手のデータとの答え合わせとして物語を楽しむことも多かった。

それぞれの物語自体も、単体でも面白いものが多く、驚愕したり、じんわり感動したりした。サラリーマンやいわゆる普通の人が少ないのは少し気になったが、そういう人達はTシャツが物語を語れるということに気づきづらいのかもしれない。

捨てられないTシャツ (単行本)

捨てられないTシャツ (単行本)

 

 

 

1/9~2/1

ヴァリス』(作:フィリップ・K・ディック/訳:山形浩生)、読了。

前半は読むのがめちゃくちゃ苦痛だった。聖書とかを読み慣れていれば感じ方も違ったのかもしれないが、謎のオリジナル宗教論が延々ぶちまけられていて、その部分がかなりちんぷんかんぷんだったし、妄想なのか幻覚なのか現実なのかわからない状況の描写は、読めば読むほど理解不能に陥る。

しかし、その語りの最中にも絶え間無く語り手の意識や人称が混乱しているような文体になっていて、作者がどこまでコントロールできているのかわからないという様子も含めて、その異様さは面白かった。読むの辛いけど。

そして、後半は前半の非現実的な状況が現実に成り代わっていくような、まるで先が読めない展開でガンガン読まされた。最後まで読んでもスカッとしないのは想定内。

天才的なアイディアを生み出せる超博識な狂人が描く世界はいつも突き抜けていて、ブラックユーモアとは違う方向性で、暗いのに笑える。

 

 

2017/12/6~2018/1/9

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子)、読了。

この本も高校生の時に出会いたかった一冊。『現在の状況把握や未来への指標のために、過去から学ぶ』というのは、よく聞く表現のせいか、少し見くびっていたかもしれない。でも、その言葉は全くその通りで、やはり歴史は受験勉強のためにあるわけではなく、現在と当時を比較すると、(局所的にでも、全体的にでも)歴史を繰り返している(ように見える)ことがよくわかる。

また、なぜ、授業で聞いていた時よりも深い理解を覚えたのかを考えたのだが、おそらく人物(もしくは、それを国家)の思考や気持ちを微細に解き明かしていくやり方に、その秘訣がある。松岡圭祐ロイド・ジョージ胡適など、彼らの立ち振る舞いはめちゃくちゃスリリングで面白い。パリ講和会議はそれだけで映画になるのではないか。また、歴史のある期間を違う視点から2度続けて読み解く構成は、まるで推理小説のようで、グッときた。

過ちを繰り返さないために、ずっと自分達で考えて生きていくために、誰もが何度も読まねばならない本だと思うし、何度でも読める読み物としての面白さを秘めた本だった。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)