嗜好試行日記(3/16〜3/22)

316 木曜日

Twitterを眺めてたら『カルテット』最終回について言及してる記事があった(http://realsound.jp/movie/2017/03/post-4401.html)。
家森に謎が残っている、ということだけの内容で、不用意な回答は考察していなかった。この点は妻とも話していたので、最終回が楽しみだ。
 
朝は暖かかった。
久々に息子を自転車に乗せて保育園に向かった。段差を走る時に「ああ!」と声を出してあげると爆笑。左右にハンドルを振ると爆笑。気候も機嫌に影響を及ぼすのだと思う。特に子どもは。
 
駅で妻と合流した。なぜか日経新聞を買っていた。恣意的に自分の好きなネットニュースばかり読んで思想が偏ることに危機感を覚えたらしい。わかる。情報に対して能動的か、受動的か、という点に以前は問題意識があったが、今は好きなものだけ集めて生きていける点に問題意識を持っている。
乗換駅で妻と別れてから『誰が音楽をタダにした?』を少し読み進めた。終わりが近づいてきた。
 
地下鉄降りて地上に出たら陽の光が強くて、影がはっきりしていた。
 
昼は寒かった。
昼食はうどん屋でかけうどんと、コロッケと、紅生姜のかき揚げを食べた。最近、コロッケをうどんに入れて食べるのが好きなんだけど、この行為は何かのアニメで見たから始めたはずだ。それなのに、調べてもなかなか元ネタがわからなかった。
最初は『ジーニアス・パーティ』というオムニバスアニメ短編集映画の中にあったかな、と思ったが違った。次に『カフカの田舎医者』をアニメ化した人だ、と思ったらそれも違った。山村浩二という人だった。
色々調べてどうにか押井守の『立喰師列伝』だとわかった。ケツネコロッケのお銀とかいうキャラがコロッケをうどんに入れて食べてたはずだ!しかし、あの内容で100分以上ある映画を観た気がしない。当時の自分はそんなに忍耐強かったのだろうか。
その後、少し『誰が音楽をタダにした?』を読み進めた。もう少しで【今】に追いつく。
 
夜はもっと寒かった。
少し帰るのが遅くなった。帰りの電車でブログ『青春ゾンビ』による『カルテット』9話レビュー解説(http://hiko1985.hatenablog.com/entry/2017/03/16/143021)を読んだ。相変わらず凄まじい洞察力と、作品・登場人物への愛に溢れていた。
その後、『誰が音楽をタダにした?』も少し読み進めたが、眠過ぎて途中で寝てしまった。
 
帰り道、コンビニに寄ってAmazonから届いた商品を受け取った。昨日注文したものが今日届いたらしい。そこまで早くなくても怒らないけどな。
 
帰ると息子はレゴブロックで遊んでいた。妻が寝かしつけてくれている間に、お風呂に入った。
 
お風呂を出ても寝室から妻は出ておらず、まだ息子と睡眠をめぐる格闘の最中らしかった。
出て来るのを待って2週前の『バイプレイヤーズ』を見ながら洗濯物を畳んだ。
つまらなくはないんだが、他にもっと面白いドラマがあるような気分になる。
途中で妻が息を切らしながら出てきた。壮絶な戦いだったようだ。お疲れ様
晩御飯は鮭のムニエルと浅漬けと新じゃがの煮物とご飯と味噌汁。美味しかった。新じゃがとじゃが芋は少し違う。それはわかる。
 
Amazonから届いたDVD水曜日のダウンタウン7巻を見た。松野明美絡みの企画を集めたDVD。途中でやめるつもりだったのに、面白過ぎて最後まで見てしまった。妻も笑い過ぎて腹筋も背筋も痛いと苦しんでいた。
松野明美はやはり半端ない。『水曜日のダウンタウン』特有の悪意ある(ネタバラシしない)ドッキリ企画の餌食になっているのだが、彼女の突き抜け方が企画に完全勝利していて、被害者の悲壮感が全く無いので遠慮なく笑ってしまう。未来の松野明美から現在の松野明美へのオレオレ電話企画は、何度見ても笑ってしまう。無茶な設定を飲み込む狂ったポジティブさが大好きだ。
 
皿を洗いながらradikoのタイムフリーでラジオを聞いた。
まず、『ZOO ZOO ZOO』。安部勇磨が奥山由之に「話がつまらない」と始めたのが衝撃的だった。自分の中では言われたくないワードランキングベスト3くらいに入る気がする。逆に、そんなことを言っても大丈夫な関係性が伝わってくるやり取りでもあった。
次に、『前野健太のラジオ100年後』。歌の歌詞を朗読して音楽が無い状態で歌詞を味わう【歌詞のソムリエ】のコーナーが好きで、リスナーからのリクエストも受け付けてるらしいので、何をテイスティングしてほしいか、いつも考える。くるりの曲がいいと考えた。歌ってる時に自分が歌詞を聴き取れる数少ないアーティストだし、単純に昔から好きだから。真っ先に浮かんだのは『宿はなし』。実はこの曲の歌詞は自分には聞き取れないのだけど、前野健太に合う気がした。
この曲を聴くと、くるり主催の音楽フェス『京都音楽博覧会』の2007年第一回を思い出す。アンコールの最後にくるりが歌ったからでもあるし、前日の夜にカラオケで友人か歌ったからでもある。そして、その友人が鴨川のデルタで疲れ切って寝ていたのも思い出す。
思考のままにiTunesで『宿はなし』を聴いた。やはり何を言っているのかわからない。それなのに、土着的なセンチメンタルをいつも感じる。望郷の念かな、と最初思ったが、それよりは、『本来の故郷への郷愁』という有りもしないものへの架空の気持ち、の方がしっくり来る。
 
 

3/17 金曜日

朝の息子は気分屋だった。鼻水ズルズル出しながら、自分の主張を色々と訴えた。
 
自転車で保育園に向かう途中で携帯電話を忘れたことに気づいた。このまま会社に行くシミュレーションをしてみたが、不便そうだった。
仕方なく、息子を保育園に送ってから家に帰って携帯電話を回収してから、駅に向かった。
 
行きの電車は割と人が多かったので、音楽を聴いていた。何を聴いていたかは覚えていない。
 
昼ご飯は豚の角煮定食。
『誰が音楽をタダにした?』を読み進めた。著作権侵害を争う裁判は面白い。著作権法が現実に対応しきれてないのがよくわかる。
しばらく時間が余ったので、古本屋を少し見た。写真集って、一度読むとしばらく読み返さないんだけど、欲しくなる。
 
なぜか仕事がギリギリでうまくいく感じ。
ゾーンに入ってたような感覚では?と考えた。スポーツ選手でもないし、もったいないし、滑稽な気分にもなる。でも、この先どんな仕事に就いても大丈夫にも思える。
 
帰りの電車でも『誰が音楽をタダにした?』を読み進めた。ああ、終わってしまうのが嫌だけど、終わりまで読みたくて、イイ状態だ。
 
帰ると息子がまた「たいぃ~」と言った。
最近、よく言う。おそらく「おかえり~」を聞き間違えて使っているのでは?と妻と二人でよく話す。
 
妻が息子を寝かしつけている間、風呂に入った。一人の風呂はつまらない。風呂から出ても妻は寝室から出ていなかった。
 
しばらく『誰が音楽をタダにした?』を読んで待った。
読み終わってしまった。イントロダクションになっている訳者あとがきを読んで、脳内で内容が整理された(されてしまった?)。時代の移り変わりに埋もれてしまったが、音楽の価値は一度死んだ。どれぐらい復活したのだろう。やはり映画化されるらしい。楽しみだ。
妻が寝室から全然出てこなかった。嫌な予感がして見に行くと妻は息子と一緒に寝ていた。ここまではよくある。問題はこの後起きられるかどうかだった。どうやら体調も良くなかった。最近、時々こういうことがある。夜中に息子が起きるせいで睡眠不足なのと、育児と仕事の二重苦による過労が原因だと思う。お湯を沸かしてくれパスタを茹でてくれと虫の息で指示されたので、妻が用意してくれたトマトソースでパスタを作ったが、久しぶり過ぎて量を間違えてしまい、夜中に一人で大量の麺を啜ることになった。妻は体調が悪過ぎて遂に起き上がれなかった。
 
パスタを啜りながら2週前の『住住』を見た。3人の【素】に見える演技ってなかなか大変だな、と改めて思った。
その後、洗濯物を畳みながら『コードギアス』を2話分見た。あ、そうそう、こういう鬱展開だったわ~。
 
その後、radikoのタイムフリーで『菊地成孔の粋な夜電波』を聴きながら皿を洗った。韓流最高会議。韓国のラップは日本よりアメリカっぽい印象だった。文化の差は大きいが、言語的な差も感じる。菊地成孔が前から推してる『嫉妬の化身』はずっと気になっている。
途中で妻が起きた。辛そうだった。早く寝た方がいい、と睡眠を促した。
 
ここに書いている文章についてまた考えた。最近、よく考える。何のために書いているのか?誰のために?
全て自分のための気がする。後で読み返すと面白いから。未来の自分のために。しかし、そうだとしたら、なぜネット上に公開する必要があるのだろうか?他人の視線が必要な意味は何だろうか?
ましてや、ここの文章はあまり推敲しないと決めている。そんなものを他人に晒す意味はあるのだろうか?
結論は出せず、またダラダラと記録するのだろう。
 
 

3/18 土曜日

少し寝坊した。
妻が昨日のパスタから自分の分と息子の分を分けて朝ごはんにした。息子は妻にベッタリで、ずっとついて回ったり、手を引いたりした。
 
妻が仕事に出かけてからは二人きりだった。洗濯物を干したり着替えたりしている間、息子の要望を無視したり誤魔化したりすることが多かった。そういうのは割と得意だが、「外に出たい!」と滅茶苦茶に大泣きされたのは流石に参った。
 
昼はオーガニックな感じの食品を使っている定食屋で、大盛りのオムライスと切り干し大根を二人で分けた。オムライスは半分ずつくらいで分け合った。息子はよく食べる
隣のおばさん4人組がビール飲みながらコレステロールの話をしてた。その流れで一人が「小太りぐらいが健康に良いらしいわよ」と言ったら、相手が「あんたは大太りだからダメよ!」と返して、みんなガハハと笑った。台本でもあるのかと思った。
 
その後、駅のホームで通り過ぎる電車を眺めながら、俺はドトールで買ったカプチーノとベリーのブラウニーを食べて、息子はトーストを食べた。
穏やかな日差しと少し冷たい風が気持ち良かった。息子はあらゆる電車に反応して、俺に日本語未満の言葉で報告した。
 
その後、所用で六本木に行き、息子と公園で遊んだ。
携帯で調べて行ったのだが、そこは通称【ロボロボ園】と呼ばれる公園らしい。至る所にロボットの意匠がある。たくさんの滑り台を合体させた遊具が目玉で、子どもの成長度合いに合わせて段階的に高い滑り台を滑られるようになっている。息子は真っ先に一番高い滑り台を滑りたがって驚いた。付き添って滑ってみたら、楽しかったらしく、その後何度も何度も滑り台を滑った。一度、一番高い滑り台に行列が出来た時、息子はクルッと振り向いたかと思ったら逆走して、さっさと他の滑り台を滑った。諦めが早いとも言えるが、冷静な状況判断だとも思えた。面白いヤツだ。
 
疲れるくらい遊んでから、家に帰ることした。
最寄り駅から家までの間、またウッドチップが散りばめられた広場で息子と遊んだ。息子は水遊びをしたがるが、濡れると面倒だから拒否した。なかなか大変な攻防だった。
仕事帰りの妻が合流してから、家に帰った。
 
息子は妻に大いに甘えた。
そのために、晩御飯の準備は何度も阻害された。俺も気を引こうと頑張ったのだが、息子の意思は固かった。その過程で息子にピコ太郎の『PPAP』を見せると、息子は「アッポーペーン」とか言うし、踊った。PPAPすげえ。
何とか妻が晩御飯を作ってくれた。ハンバーグ、菜の花と新じゃがのサラダ、スープ。息子が先に食べて、お風呂に入れて、寝かしつけてから二人も食べた。
 
その後、2週前の『フリースタイルダンジョン』を見た。NAIKA MCFORKのバトルがとんでもなかった。よく一瞬であんなに言葉が出てくるな。ちゃんと会話になってるし。特にFORKの韻すげえ。スタイルウォーズ面白い。
次に、『山田孝之のカンヌ映画祭』。Twitter上でも散々話題になっていたが、やっぱりとんでもねえ映像だった!!!今まで山田孝之がこの映画のために積み上げてきたチグハグな要素が大炎上していた。蛇が人に噛み付く映像、さちこのオブジェ、芦田愛菜の一刀両断っぷりなど、見どころはたくさんあるが、山下敦弘山田孝之のやり取りが一番恐ろしかった。山田孝之山下敦弘にぶつけた言葉は殺傷能力が高過ぎた。最後まで、映画とは?監督とは?という問いかけのある番組になりそう。
 
その後、皿を洗いながらradikoのタイムフリーで『能町みね子TOO MUCH LOVER』を聴いた。
そごうはバブルと寝たのだ、という印象を得た。声で聴く能町みね子はリアクションが薄く感じるけど、本当はどれくらいこの話に反応してるんだろう?と妙に想像させられた。ラジオらしくて良い聴き方かもしれない。
それから、何となく『オードリーのオールナイトニッポン』を初めて聴いた。あ~こういう感じか。ラジオの時はテレビとかと違うパターンかあ。若林のアクセル全開の卑屈さやこじれた自意識に対して、春日は殆どブレーキをかけてあげない感じだった。構造としては電気グルーヴトークとかを思い出した。若林の笑い方は音で聴くとすげえ。
春日とパラダイスとの生々しいエピソードトークを聴いて寝た。
 
 

3/18 日曜日

カーテンを開けたら快晴。
気分が良かった。
朝から息子は妻に執拗について回った。そのために予定の全てが遅れていった。
仕方が無いので何とか息子を外に連れ出すことで妻から引き剥がし、近くの公園で何度も何度もすべり台を滑らせた。出かける前から土まみれになった。
 
ようやく準備できた妻と公園で合流して、借りた車で西荻窪に向かった。
クイーンズ伊勢丹に車を止めて、昼ごはんの弁当とビールを一本買って、『西荻ラバーズフェス』というイベントを見に行った。今年2回目の開催で、俺たちは去年も見に来た。音楽ライブやら古本屋やら屋台やらとにかく西荻にまつわるものが集まるお祭り型無料野外イベントで、桃井原っぱ公園というだだっ広い広場での開かれた。
遠目に会場を見て砂埃が嵐のように舞っていて、妻は明らかに入るのを躊躇した。砂埃を避けながらご飯を食べたが、その後も酷くなる一方に見えたので、妻の判断で離脱した。結局、ベーコン串を二本食べて、イースタンユースの吉野が歌うのを少し見ることしか出来なかった。仕方ない。息子は砂埃で目を擦っていたらしい。そういうことに鈍感な自分は駄目だ。
次回は開場前に水でも撒いたらいい。
 
帰る前に、俺が大好きな書店『Title』に寄った。
外観も内装も置いてある本も店の姿勢も相変わらず最高。息子に暴れる気配があったので、妻が気を遣って外に出てくれた。あまり待たせたくないので、買うと決めてた『ランバーロール』0号という本(雑誌?同人誌?)だけ買って、すぐに妻と合流した。表紙を描いた漫画家の森泉岳土も好きだし、他に掲載されてる作家も今まで読んだことないけど気になってる人ばかりだった。
 
車を返してから、少し3人で歩いて、好きな珈琲屋でカプチーノ二つ買って、最寄り駅にある書店を通り抜けたりして、また話しながら歩いて、図書館に寄ってから、家に帰った。
 
いろんな荷物を整理してから、まず、砂だらけの息子をお風呂に入れることにした。
お風呂に入れるまで息子と遊んだが、本当に言葉っぽいことを言うようになってきたのを実感した。
その後、3人で晩御飯を食べた。ハンバーグと、目玉焼きと、菜の花とトマトのサラダと、味噌汁。美味かった。俺はよく菜の花と春菊を間違える。春菊の方が苦い、と最近覚えた。
 
息子を妻と一緒に寝かしつけた。
俺一人では無理だった。息子はずっとゴロゴロしていたけど、興奮し過ぎたのだろうか。
 
息子が壊した玩具(ミニカーを走らせる駐車ターミナルっぽいもの)を直しながら(あんなに遊ぶのになぜ壊すんだ?)、録ってあった『フリースタイルダンジョン』を見た。
TK da 黒ぶちとR-指定の対決は滅茶苦茶ホットだった。いやー、よく言葉が出てくるな、二人とも。さて、NAIKA MCと般若はバトルスタイルが近い気がする。勢いと迫力で威圧する感じ。どうなるのか楽しみ。
次に、洗濯物をたたみながら、久々に『クレイジージャーニー』を見た。アドベンチャーレース、ヤバすぎる!今までの出演者のクレイジージャーニー総結集って感じだった。自然の過酷さとの対決なんだけど、最終的に人間ドラマになりそうな予感。来週が楽しみ。
 
皿を洗うためにradikoを起動したら、『THE BEATLES 10』という番組が放送していることに気づいた。
毎週、ビートルズの全楽曲からリスナーがトップ10を選んで紹介する番組らしい。色々疑問を感じたが、とりあえず残り15分聴いてみた。
何だ!この研ぎ澄まされた狂気は!
ラジオDJビートルズが今現在も活躍している人かのように紹介するし、リスナーもリアルタイムで聴いた感じで応答している。しかも、こんな感じでもう600回以上放送したらしい。
なぜ誰もこの番組を教えてくれなかったんだ!ラジオ日本って局自体を初めて聴いたや。ラジオはまだこういう番組があるから面白い。開拓せねば。
 
その後、更に皿を洗いながらラジオクラウドで『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』を聴いた。『アシュラ』面白そう!韓国映画、やはり押さえねば!
最後にラジオクラウドで『安住紳一郎の日曜天国』のみうらじゅん出演回を聴いた。去年も聴いたはずだが、今年もくだらな過ぎて爆笑。安住アナのみうらじゅんからとりとめもない話を引き出す技術は、職人芸の域。みうらじゅんの造語は駄洒落が多いと気づいた。しかし、強いパンチライン持ってる。前にテレビで宮藤官九郎と一緒に話してるの見て、みうらじゅんはどんな話題でも真面目な表情と真面目なトーンを崩さずに話せるという芸を持ってると気づいた。このラジオでのトークは、少し砕けてて、安住アナとの親密さがうかがえた。
 

3/20 月曜日

大快晴!行楽日和!
子どもが外で遊びやすくて嬉しい。
息子と二人で過ごす祝日だ。
 
妻が仕事に出発した後、洗濯してから、息子と二人で家を出た。
晴れていたが、空気はひんやりしてて、気持ち良かった。息子がグズる前に、と思ってたら早く出過ぎた。やることが無さ過ぎて、何をしようか迷ったまま電車に乗った。とりあえず、息子のグズり具合を見てこれ以上乗るのはヤバイと判断して、隣の駅で降りた。
 
少し早かったが、混む前に昼ごはんを食べようと思って、駅前の複合商業施設に入った。
最上階のレストランに向かうと、その屋外フロアには見慣れないものがあった。巨大でカラフルなそれは、スライダーハウスという名前だった。硬い浮き輪で出来た建物みたいな、子ども達が飛んだり跳ねたりして楽しむアレだ。スライダーハウスというだけあって、大きな滑り台もついていた。
 
とりあえず、スライダーハウスの詳細は後で確認することにして、それを横目にイタリアンっぽいレストランに入った。俺は鮮魚のジェノベーゼのパスタセットというのを食べて、息子はお子様ランチのデミグラオムライスを食べた。高かったので、美味しかったけど、少し落ち込んだ。
 
お店を出て、スライダーハウスをまじまじと見た。商業施設の集客用のものらしく、施設内で500円以上買い物したレシートが必要だった。ああ、ちょうどいいや、と思ってレストランのレシートを提示して息子と入ることにした。制限時間は5分間。
久しぶりにこのタイプの遊具に入ったが、歩くのもままならない、というのが面白かった。そういう面白さだったのか。息子はゴロゴロとローリングすることが多かった。彼はずっと爆笑していた。滑り台が大好きな息子を抱えて、フワフワした階段を登り、滑った。息子はすぐにまた階段のところへ駆け出した。仕方なく、時間いっぱい滑り続けた。制限時間が来ても、それは息子には関係無いことだったので滑り続けたがった。何とかスライダーハウスから引き剥がすと、興奮冷めやらぬ息子はそこら中を走り回り、その施設の一階まで続く階段を降り始めた。4階から1階まで、だ。
なんとか往復は避けたが、滅茶苦茶汗をかいた。
 
息子を無理矢理に施設から連れ出して、カフェに行ってカフェラテとレーズンサンドをテイクアウトした。駅のホームで二人で電車を眺めながら、それらを食べた。
 
その後、一駅電車に乗って自分の家の最寄り駅に戻って来て、クリーニング屋で服を引き取って、ベビーカーの中の息子を見たら、寝ていた。
 
家に向かう途中で、息子が寝てる間に映画を観るか本を読むかを考えて、映画を観ることにした。
何とか息子を寝室に運び入れて、早速Netflixで『その男ヴァン・ダム』を観始めた。前から何となく知ってはいたけど、タマフルでヴァン・ダム特集を聴いて以来、観たかった作品だ。
あらすじを読んでコメディタッチを想像してたから、思ったよりシリアスなトーンで面喰らった。ベルギーで作った作品だから、というのもあるな。真面目にボケてる感じ。ハリウッドで作ったらもっと変なことになってたろうな。
1時間ほど観たところで、ドアの方からドンドン音がして、ドキッとしてそちらを向くとドアの向こうに小さな影がへばりついていた。普通に怖かった。息子は泣いていた。起きたら一人で、息子も怖かったろう。ごめん。
 
映画の視聴は中断して、息子を連れて少し家から離れたところにある大きな公園に向かった。とにかく息子を遊ばせて疲れさせてやる魂胆だった。
片手で持てるくらいの柔らかいボールを持って行ったところ、最初はそれを投げたり蹴ったりしていろんな方向に走るというのをやっていたが、途中で飽きたようで、常設の遊具を見つけてはそれに飛びつき、最後にはやっぱり滑り台にたどり着いた。
またも何度も滑り続けた。息子が自分で登れるサイズだったのがせめてもの救いだったが、俺の体力は十分に削られた。
遊んでる最中から土だらけで、どうしようかなー、という感じだったのだけど、決心して無理矢理抱っこして公園から退散した。
 
とりあえず、妻と合流できるまで駅近くのウッドチップが敷き詰められた広場で過ごすことにした。なだめながら何とかたどり着いた。お腹が空く頃だったので、パンをあげたら延々要求された。落としたパンを食べるのだけはやめさせた。息子はパン片手に「ポッポー」とか「ピーポーピーポー」とか汽車や救急車みたいな音を出しながら歩き続けた。息子をちゃんと見なくてはいけないのだが、その広場のベンチではカップルがずーっと濃厚なキスをしてて、どうしても気になった。高校生くらいかと思ったが、中学生だったのかもしれない。単純に気持ち悪かった。
 
妻と合流すると、息子は妻に飛びついた。
家に帰って、妻が晩御飯の準備を始めようとしたが、また息子の妨害に遭っていた。俺は洗濯しつつ風呂の準備を進めた。
何とか3人とも風呂に入ってから3人でご飯を食べた。焼いたホッケ、ひじきの煮物、煮たかぼちゃ、味噌汁、ご飯。美味しかった。息子が食べられることが優先された献立だったことに気づいて面白かった。今後もこういうことは増えるだろう。俺は貰い物のシャンパンも少し飲んだ。
 
それから、妻と一緒に息子を寝かしつけているうちに、みんな寝てしまったらしい。
ハッと気づいたら015分だった。
しばらくボーッとしてしまった。だいぶ目が覚めてきて、どうせなら、と『その男ヴァン・ダム』の続きを観た。
この残り30分にとても重要なワンシーンがあった。劇映画とドキュメンタリー映画の間にぐっと踏み込むような内容で、なるほど確かにこのワンシーンだけでも見応えはあった。そこもふくめて、ヴァン・ダムについて映画の外で語られている内容も包括するような映画になっている。所謂エンターテインメントとアートの両方を混ぜ込んだような映画で、展開もハリウッド的ではない。ゴダール映画みたいなフランス語らしき言葉の挿入もそうだった。ベルギー映画はかなりフランス映画に似ているのだろう。
観終わった頃に妻も起きた。
 
かなりモチベーションが低かったが意を決して皿を洗い始めた。
そして、radikoのタイムフリーで楽しみにしていた『山下達郎星野源のラジオ放談 WE LOVE RADIO!』を聴いた。
ハイライトは星野源のかけたオマリーの『六甲おろし』の迷曲っぷりになってしまったが、全編通してラジオの楽しさや面白さが伝わってくる内容で、自分がラジオを聴き始めた頃を思い出した。なんで聴き始めたんだっけ。
そして、今後のラジオはどうなるんだろう?インターネット社会にうまく適応できたのかな?旧メディアとインターネット技術がうまく結びついた好例になるのだろうか。出版やテレビもradikoみたいに追随できるのかな。
そして、マンボウやしろが思いのほか良い仕事してた。素直なコメントとスムーズな進行が良かった。松尾貴史に声が似てた。マンボウやしろのラジオもチェックしてみよう。
その後、引き続きタイムフリーで『ZOO ZOO ZOO』を聴いた。二人とも自分に厳しい。クリエイティブな仕事でも、確認作業が多くて、それが大事という話は面白かった。俺はクリエイティブな仕事じゃないけど、殆どの仕事が確認作業だ。
 
聴き終わってしばらくしてから、テレビはradikoに似たアプリケーションとしてTVerがあるんだった、既にラジオに追随してた、と気づいた。
うまくいってるのかは知らない。
 
 

3/21 火曜日

三連休が終わった。
と朝起きた憂鬱さで実感した。雨が降っていたせいもある。
 
さて、ベビーカーで息子を保育園に送ろうという段階で、ベビーカー用のレインカバーが無いことが判明した。どこに行ったか全くわからない。仕方なく、レインカバーが付けてある自転車で送ることにした。一瞬考えたが、濡れるのは嫌だと思ったので、四苦八苦しながら100円均一で買ったレインコートを上下身に付けて、息子を保育園に送った。雨への恨みを募らせながら、何とか駅にたどり着いた。
 
行きの電車はかなり満員で何もできなくてぼんやりした。
乗り換え駅で妻と会えたが、別の路線に乗るのでまた別れた。
短い乗車時間で『ヒットの崩壊』(柴那典)を読み始めた。国内の音楽事業の過去現在未来について語ってくれるはずだ。cakesで著者とダイノジ大谷が連載している対談も、毎回新しい音楽やポップカルチャーの話をしてて好きだ。
この前まで『誰が音楽をタダにした?』を読んでたので、自分は今音楽のビジネスモデルとかが気になるモードなのかな、と思う。
収入源がCDからライブへ移行したという話は体感としてわかるからすんなり読めた。
 
昼ごはんは親子丼。ニンニクとかがたっぷり入った『食べるラー油』みたいなのを、いつも親子丼にたっぷりかける。
というか、親子丼よりもこれが食べたくて来てるような気もする。
すぐ料理が来たので『ヒットの崩壊』は殆ど読めなかった。
 
帰りの電車でも途中から『ヒットの崩壊』を読み進めた。
現場の声や数字から分析していて、ああ、そうか、ちゃんとした新書だったっけ、と思った。なぜか少し侮っていたみたいだ。
 
家に帰り、息子と妻と3人で晩御飯。
ドライカレー、ひじきの煮物、ミネストローネ。美味しかった。最近、毎日妻はちゃんと作ってしまうが、もっと手を抜いてくれても構わない、とは思う。まあ、自分で作ったものを食べる方が体調が良いというのなら、いいんだけど。
 
息子を風呂に入れて寝かしつけてから、『カルテット』最終話を追っかけ再生で見た。もうどんでん返しなどは無く、彼らが四人で生きていけるかどうかの人間ドラマに落ち着いていた。ラストは『問題のあるレストラン』みたいだった。
思い出しながら書いてて思ったが、あのコンサートシーンはサスペンス的な要素(どんでん返しなど?)を期待して見に来た視聴者が振り落とされる描写だったのかな。
否定の否定による肯定】ではなく、【否定を寄せ付けない強い肯定】がある素晴らしいドラマだった。
 
見終わった後、皿を洗いながら、『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』で聴き残していた部分を聴いた。
ヤングハッスルの曲、普通にカッコよかった。歌詞の内容のどうしようもなく身もふたもない感じも面白かった。

3/22 木曜日

晴れた。
息子も機嫌が良かった。天気との相関を感じる。
 
行きの電車では『ヒットの崩壊』を読み進めた。第1章が終わった。人々の【共通体験】に介入するやり方の言及に衝撃を受けた。何となく感じてたことが明文化されていた。趣味嗜好の細分化で散り散りになってしまったリスナーにも存在する、共通の人生のイベントを狙い撃つ。ここを読んで真っ先に思い出したのは西野カナだった。『トリセツ』は結婚式のための曲だと感じていたが、間違ってなかった。彼女は歌詞作りにも周囲の人間の意見を聞く、つまり、マーケティングをする、と言っていたし。
 
昼ごはんはカレー、野菜スープ、コーヒー。週刊少年マガジンを読んだ。ベイビーステップの主人公はいきなり覚醒したっぽい。この展開で試合面白くできるのか。雷句誠の『VECTOR BALL』が突如連載終了した。編集と揉めたりしたんだろうか。ギャグ要素がシリアス展開を侵食し過ぎてて収拾がつかないことにはなってたが、まさか終わるとは
 
昼食後、「やるべきこと多過ぎてやる気が出ない」という妻に【やる気 池谷裕二】で検索して引っかかった対談記事を送った。
糸井重里池谷裕二の対談(http://www.1101.com/ikegaya2010/)。後で読んだらすげえ良かった。俺は『海馬 -脳は疲れない』という本を読んで以来、池谷裕二が好きだ。妻には「やる気はやり始めれば出る」ということが言いたかったんだけど、「幸せが過去への評価でしかなく、後づけである」というのも、考えれば当たり前だけど、新鮮な考え方だった。
このブログも意味を後づけするために書いてる気がする。ほぼ日手帳と一緒だったのか。
 
他には、松岡正剛の『千夜千冊』で『それでも、読書をやめない理由』(デヴィッド・L・ユーリン)についての文章(http://1000ya.isis.ne.jp/1632.html)を読んで、最終回みたいな内容にいたく感動した。
『読書』という文化はどうなるのだろう?無くなる(もしくは、大幅に機会が減る)可能性も感じているが、そのことによって何が起きるのだろうか?思考は変質するだろう。Webサイトを回遊するような細切れの思考が一般的になるのだろうか?人間はそこまで愚かだろうか?それはインターネット文化への偏見に過ぎないかもしれない。俺がスマートフォンで情報を得る時に集中力の散逸を感じているという実感はあるのだけれど。
 
その文章に呼応して、小説は漫画やアニメやドラマや映画の下位メディアでも上位メディアでも無く全く別のメディアだ、というのをまた思った。よく思うことだ。別に小説は偉くないし、もっと身近でいいのに。
文化として需要が減っているのは、供給の方法がうまくいってないからだろうか。
 
帰り道、唐揚げと手羽先を買った。
家に帰ると、息子はダラダラと晩御飯を食べてた。妻は目に見えて疲れてた。息子をお風呂に入れて妻と二人で寝かしつけた。
 
そして、目が覚めたら午前2時だった。また寝てしまっていた。妻はまだ寝ていた。
唐揚げを食べる気にならなかった。食欲が無い。でも、やるべきことはある。
やらなければやる気は出ない。だから、簡単にやれることから始めて騙し騙しやる気を出すことにした。
 
息子がまた壊したミニカーを走らせる駐車場みたいな玩具を組み立て直しながら(賽の河原かよ)、2週前の『住住』を見た。バカリズムとオードリー若林の卑屈な攻めに論破されない二階堂ふみ強い。非リアVSリア充と言ったら、わかりやす過ぎるか。
バカリズム発信の「知らない男が作った料理食いたくない」のやり取りはちょっとよくわかんなかった。その話題になるまでは食ってたし、「女の作った料理の方が食いたい」っていう主張だったんだろうか。俺は男でも女でも知らない人が作った料理は平等に躊躇しちゃう。でも、買ったものは別かな。んー、買ったものだと思ってたってことかな?素の雑談の体裁だから、こういう意見が出てきてもおかしくない気もする。俺も汚いおっさんが作ってるのを想像して言うかもしれない。ってとこまで考えて面白かった。
その後、洗濯物をたたみながら、Nスペの『避難指示“一斉解除”~福島でいま何が~』を見始めたが、10分ほどで断念した。本気で見ないとダメなヤツだった。避難指示“一斉解除”するから村民に戻ってくるように仕向けたい村長と、放射線量が下がってないから戻りたくない村民が対立するのって、根本的な解決策無いんじゃないか。地獄だろ。国が悪いっていう意見もあるだろうけど、その国には俺たち日本人全員も含まれてるし。これ、何もしなければ、福島の原発周辺が切り捨てられちゃうよな。前から思ってたことなんだけど。そんなのおかしい、とは言えるけど
 
Nスペの余韻でモヤモヤしたが、とりあえずやる気の助走をつけたので、皿洗いに入った。
radikoのリアルタイムでやっている番組で面白そうなのを探したら、『ON THE PLANET』という番組が面白そうだった。カラオケで歌われる小泉今日子の曲ランキングをやっていて、一位が『木枯らしに抱かれて』だった。知らない。有名な曲いっぱいあるけど、なんでこの曲なんだろ。
寝たのは四時だった。