みんな空に包まれて

 空を見るのが好きだ。誰だって空の下にいて、(監禁でもされてない限り)嫌でも空を見るんだから、空を見るのが嫌いだったらさぞや大変だろう。

 ポルトガルで特急に乗ってポルトからリスボンへ移動している間、暇だったので日本語の小説を読んでいて、とても自分が滑稽に思えた。起きてるんだったら、もっとポルトガルを満喫した方がいいんじゃないか。勿体無いじゃないか。せっかく高い金払ってこんな遠いところまで来たんだし。というわけで、しばらく空を睨んでいた。
 旅行中、何度か思ったことだが、「空が日本とは違う」と改めて感心した。雲が何層にも重なって分厚くなっていて、そこから漏れる太陽光の色に初めて見る彩りがある。入道雲、鰯雲、たなびく雲、と日本の雲も多彩だけれど、日本でああいう重層的な厚みの雲を見た記憶がない。いや、日本の雲で多彩なのは呼び名かも。
 実は空の写真を撮るのも好きで、何枚か撮ってみた。空はコロコロ変わるので見てて飽きなくて好きなんだけど、大っぴらに言うのは繊細さや芸術家肌をアピールしてるような気がして、少し自意識が疲弊する。しかし、外で写真を撮れば自然と空が写り込むし、かなりの割合で『空をどうやって切り取るか』という構図になる気もする。
 だから、仕方なくない?
 結局のところ、空は、世界中どこの空でも面白いだろう。
























 そして、ポルトガルからロンドンに向かう空の上にいた。当初の予定ではパリ経由で日本に帰る予定だったが、エールフランスがオーバーブッキングをやらかしてくれたせいだ。その「せい」というか「おかげ」というか、初めてロンドンに降り立つ。その後に乗るエアチャイナには一抹の不安を覚えていたが、その嫌な予感が的中したとわかるのは数時間後だった。
 それにしても「ユアフライトイズフル」と聞こえた時は、俺の拙い英語力でも異常事態だとわかった。予約ってのは何のためにしてるんだ!
 それで、仕方ないから機内でまた日本語の小説を読んでいた。もう滑稽でも何でも仕方ない。空を見るのもそろそろ飽きていた。
 ふと通路側の席を見ると、西アジア系らしき女性もアラビア語で書いてあるっぽい本を読んでいた。二人してポルトガルにもロンドンにも関係ない本を読んでいて、何だか不思議だった。
 トイレに行くために席を立った。黒人女性が白人女性と一緒に彼女の子供らしき赤ん坊をあやしていた。とてもかわいい赤ん坊で、ずっと笑っていた。韓国人らしき女性がスマートフォンで写真を加工して目を大きくしていた。別の黒人女性の二人はトランプをしていた。トイレと席の往復の中で見た景色の中では、思ったより人種が入り乱れていたけど、皆のやってることは自分とあまり変わらなくて、妙な親近感を持てた。
 トイレに向かう途中で、かなり離れた席に座っていた奥さんにポルトガルで買ったポテトチップスを渡した。急遽席をブッキングしたために、席がバラバラになっていた。
 トイレから帰る途中で、奥さんが丸めたティッシュの塊をくれた。その中には、ポルトガルでおじいさんがくれた生姜やお菓子が入っていた。
 そのおじいさんとはリスボンのレストランで楽しく話した。彼はジョゼフという名前で、ギタリストでボーカリストで、坂本龍一やデレク・ナカモトという人と仲が良かったらしい。あまりに突飛な話だったので嘘みたいに思えたけど、ジョゼフは嘘をつきそうには思えなかった。楽しかったから嘘でもいいんだけど。
 生姜は日本で食べるのと変わらない味に思えたけど、とても美味しかった。やっぱり。

2015年に読んだ本の記録

12/21
『完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯』(作:フランク・ブレイディー/訳:佐藤耕士)を読み始めた。

12/11〜12/18
『さよなら小沢健二』(樋口毅宏)、読了。
やはり小説より直接的に名作カタログとなっている。反復は著者の各作品への愛を証明する。この評論・コラム集を読むと、著者が一つの作品をいろんな媒体で褒めて宣伝しようとしてることがわかる。相変わらず凄い熱量。また、各作品を『面白さ』のリングに対等に放り込んで、異種格闘技戦をさせている。少し納得がいかない点として、一つの作品を褒めちぎるために、他の作品全てを否定するやり方が多い気はする。

12/4
『猫入りチョコレート事件』(藤野恵美)、読了。
一気に読めるめちゃくちゃライトなミステリーだった。老子の言葉だけで事件を解決するという発想は面白いけれど、やはり無理があったか。駄洒落や言葉遊びだけで推理と種明かしすることがあって、説得力に欠ける印象は受けた。ギャグも含めて必要最低限の要素で出来ていた。

11/21〜11/28
『演劇入門』(平田オリザ)、読了。
著者独自の理論なのかもしれないが、「自分にも戯曲を作れるかも、いや、作ってみたい」と思わせるほどに、明快な語り口で 実践的に解説してくれる演劇論は、非常に刺激的だった。そして、演劇論を主軸にしながら、芸術論やコミュニケーション論として読める余地が楽しい。彼の演劇も見なければ。

11/18
赤毛のアン』を読んでいる。
アンはおしゃべりで五月蝿くて、自意識過剰で、わがままだ。アンがリンド小母さんに暴言の謝罪に行くうちにすっかり悲劇のヒロインになる場面や、マシュウがアンに膨らんだ袖の服を買うために苦手な女性と話す場面は笑えた。笑えて印象に残る場面が散りばめられている。多くを事後に語るスタイルも面白い。

11/8
『アース・ダイバー』(中沢新一)を読み始めた。

2/25〜11/7
『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』(高橋昌一郎)、読了。
長くかかったので最初の方の内容を忘れた。本のルールを把握するのに時間がかかったせいだ。いろんな分野で世界を説明する法則の研究結果を報告し合い、横断的に理性の限界を探る入門的な内容で、非常に刺激的だった。知は止まってはならない。皆で進めねばならない。
2/25
『理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性』(高橋昌一郎)を読み始める。
人物の対話が作るのは、すなわち哲学。

8/19〜10/28
カフカ式練習帳』(保坂和志)、読了。
物語ともエッセイとも解釈できそうな断片の集合が、途切れ途切れに俺の思考をうねらせる。栞が無くても許せた小説は初めてかもしれない。これが練習で本番があったとしたら、『未明の闘争』だったのではないか。そこに至るまでの助走のように思えた。自分の中で変わった何かに気づけるだろうか。気づけなくても良くて、ただ俺はひたすらにこの後も立ち上がる思考を追うのだろう。
8/19
カフカ式練習帳』(保坂和志)を読み始めた。
読み方のルールに戸惑う。

9/20〜10/1
『あなたを選んでくれるもの』(作:ミランダ・ジュライ/訳:岸本佐知子)、読了。
現実の面白さは尋常じゃない。人生の厚みはそれだけで面白い。怖いけど、消費していいなら、コンテンツになり得るとも感じた。フィクションで現実に負けない作品を作るのはとても大変だ。

9/14〜9/19
『肉体の鎮魂歌』(増田俊也 編)、読了。
スポーツノンフィクションの面白さを初めて体感した。今までスポーツ選手を侮っていたに違いない。『江夏の21球』が最たるものだが、一挙手一投足に複雑にプレイヤーとその周囲の思惑が絡むのが、物凄く面白い。そこには文学性もドラマ性も十分にあった。肉体とそれを懸命に動かす精神への敬意を抱かずにはいられない。個人的には、ますます江川嫌いになった。

9/11〜9/14
『断片的なものの社会学』(岸政彦)、読了。
価値の否定が世界にあるものの存在固有性を肯定していく。無関係に見える思考や経験が緩やかな繋がりを持ち、遠くで響き合う。繋がりは断ち切れない。意味と無意味という言葉を注意深く使って文章が連なる。世界中の全ての人が孤独と無価値に立ち向かっているのだ、と実感する。

7/5〜9/10
アイヌ学入門』(瀬川拓郎)、読了。
アイヌの文化が全くガラパゴス文化ではなく、いろんな地域と相互に交流があって作られていたことに驚いた。初歩的な事実なのかもしれないが、殆ど想像したことが無かったようだ。文化が作られる過程の面白さにも初めて気づいた。
7/5
アイヌ学入門』(瀬川拓郎)を読み始めた。一つの文化が作られる過程を追体験する。

8/12〜8/18
『真夏の航海』(作:トルーマン・カポーティ/訳:安西水丸)、読了。
青春はやはり反抗心がメイン素材だと改めて感じる。不安定なアイデンティティが源泉?視点切り替えでのモノローグや心理描写の多用が効果的で、気持ちのすれ違いと重なり合う一瞬の両方にある美しさを露わにする。

8/11
『ピンクとグレー』(加藤シゲアキ)、読了。
めちゃくちゃ巧く構成してあって、先が気になるように緻密に計算してある。樋口毅宏っぽさはその辺りにありそう。インタビューからリアリティとリアルの違いにも自覚的だとわかる。『アイドルが書いた小説』という事実を利用して、巻末インタビューまで作品の一部のように収録してフィクションの幅を拡げているのは見事。

5/23〜8/11
『ダブリンの人びと』(作:ジェイムズ・ジョイス/訳:米本義孝)、読了。
面白かった。ドラマや事件無しで小説を成立させた最初期の作品なのだろう。人の思考や行動を描くだけで面白さを成り立たせている点が凄い。人はどうやって人となるのか。民族性、宗教、話し相手、季節、風土…。多様な要素が描く『人間』はそれだけで魅力的にできるのだ、という素晴らしい発見のある短編集だった。

8/8
『フランスの子どもは夜泣きをしない』(作:パメラ・ドラッカーマン/訳:鹿田昌美)を読み始めた。
導入からしてセンセーショナル。

6/22〜7/14
『真実一路』(山本有三)、読了。
むつ子の馬鹿さ加減にイライラさせられた。結局、その場の感情に判断能力を全て奪われているのではないか。むつ子の選択はむつ子にしか正しくない。解説は正しくて、全体的にユーモア不足を感じたが、それでも途中の遺言とラストシーンは忘れられない。皆が救われてほしくて、先へ先へとページをめくった。

7/10
『映画時評 2012-2014』(蓮實重彦)を読み始めた。

6/20
ズッコケ三人組の卒業式』(那須正幹)、読了。
ズッコケ三人組は最期までドタバタと冒険してた。大人になって読み返すと、あの三人はやっぱり普通の子供だったんだなあ、と嬉しくなった。彼らに深い感傷は無く、まだまだ人生が続くという事実も感じられる清々しさがあった。

5/11〜6/6
『サンドウィッチは銀座で』(平松洋子)、読了。
食べ物への愛に溢れていた。いや、著者はその食べる場まで愛していた。場所まで含めて総合的に美味しそうな描写。
5/11
『サンドウィッチは銀座で』(平松洋子/画:谷口ジロー)を読み始めた。
食べることへの形容に感心する。香りと風味の違いなどについても考えさせられた。

5/29〜6/3
『口から入って尻から出るならば、口から出る言葉は』(前田司郎)、読了。
どこまでも伸びるようにフラフラと思考が進み続ける。前田司郎は自分の位置を何度も確認しながら、立ち止まり、ぶつかりながら、言葉を探す。楽しい言葉ばっかりだ。

5/18〜5/20
『ぼくは勉強ができない』(山田詠美)、読了。
主人公・時田秀美は魅力に溢れている。彼は、僕らが幾つになっても、若さを象徴するヒーローであり続けるだろう。子供は大人になる。でも、子供と大人は違う生き物じゃない。世間の作る空気や嘘にはっきりとノーを言える彼はカッコいい。世界のおかしさに真剣に真正面から悩める彼が羨ましい。やられた。完全に負けた気分だ。
教育の物語でもある。子供はどうあるべきか、どう育てるべきか、ではなく、どうなってほしいか、どう向き合うか、まで考えたい。

4/22〜5/18
ガープの世界』(作:ジョン・アーヴィング/訳:筒井正明)、読了。
解説の言うように、テーマ自体は目新しくなかったのかもしれない。しかし、ガープを包んでいた世界のなんと面白いことか。関係性で異なる愛の面白さを改めて感じた。久しぶりに先がずっと気になる小説だった。
5/16
ガープの世界』。
残酷なものを容赦なく描く。創作と作者の関係を描いている。
5/7
ガープの世界(上)』を読み終えた。
下巻に向かう。細かい話の連続で、そのそれぞれに面白さが漲ったエピソードがある。数奇な人生を覗き見ているような感覚がある。ドラマチックな内容ではないのに、取り上げるとドラマチックな感じがする。

5/7〜5/11
『ルック・バック・イン・アンガー』(樋口毅宏)、読了。
官能小説っぽ過ぎる描写についていけなかった。勢いだけで進むような場面が多くて、端折られていると感じた。
5/7
『ルック・バック・イン・アンガー』(樋口毅宏)を読み始めた。細かい描写を端折ってる感じがする。走ってる、というか。

4/26〜5/1
『生きる歓び』(保坂和志)、読了。
傑作。思考・思索の流れを辿る行為にこんな歓びがあるとは。この清々しさは何だ。
4/26
『生きる歓び』(保坂和志)を読み始めた。
相変わらずの保坂節。これは、超名作では?草の上の朝食、未明の闘争、季節の記憶を超えているのでは? 短編だが、生きることへの躍動感が素晴らしい。『純粋な思考の力なんてたかが知れていてすぐに限界につきあたる。人間の思考力を推し進めるのは、自分が立ち合っている現実の全体から受け止めた感情の力なのだ』には息を飲んだ。

4/15〜4/26
タクシードライバー日誌』(梁石日)、読了。
圧倒的な迫力は実録ものっぽさから現れているのだろうか。その中では異質な川の氾濫の話は妙に幻想的に思えて、今でも心に留まっている。豪雨と水音に囲まれながら、車内で目を閉じてラジオを聴きつつ煙草を吸う姿がありありと目に浮かんだからか。軽やかで笑える話の背景には、肉体労働の重みがある。
4/23
タクシードライバー日誌』が面白い。
タクシー運転手と乗客のエピソード一つ一つが笑える。梁石日は世界のアウトサイドに立っている。

3/27〜4/22
『輝ける闇』(開高健)、読了。
ジャングルの匂い、屋台の匂い、生きてる匂いでむせ返りそうなくらい濃密な小説だった。過剰過ぎて何を言ってるかわからない修辞表現には困った。
3/27
『輝ける闇』(開高健)を読み始めた。
地獄の黙示録の景色が頭に浮かぶ。

4/15
保坂・小島両名の文章を読んでいると、自分の小説観の変容を感じる。ひょっとすると、ものの見方ごと変わっているのかもしれない。同時に読んでいる開高健の小説が読みづらくなってきたのをはっきりと感じる。過剰な修辞表現に耐えられなくなる。三島由紀夫も読めなくなっているのだろうか。
4/6〜4/15
『小説修行』(保坂和志 小島信夫)、読了。
読み終わってみると、保坂和志から小島信夫への気持ちが爽やかさをもたらしてくれた、と思い返せる。保坂和志の言葉はまだ意味を取れるのだが、小島信夫の文章は後半に進むにつれて、形式も内容も次第に混迷を極めて読みづらくなっていく。それでも読みたくなるのが魅力なのだろうか。考えたくなるから読みたくなるのだろうか。
4/13
『小説修行』は難解さを増していく。
小島信夫の言うことが混迷を極めていくのだ。

3/24〜3/26
『もうひとつの季節』(保坂和志)、読了。
ユートピアは続いていた。またも子どもが世界に触れる瞬間に心打たれるのだけれど、やはりこれは保坂和志にしか描けないと確信する。

3/10〜3/23
『木曜の男』(作:G.K.チェスタトン/訳:吉田健一)、読了。
これを推理小説と呼ぶのだろうか?トリックや伏線はあまり技巧的ではなく、わかりきった展開が続いていた。

3/3〜3/10
『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)、読了。
今回はかなりはっきりと話している。希望に満ちている。元気が欲しい時にまた読み返したい。
3/3
『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)を読み始めた。
こんなに前向きにさせてくれる内容だとは思わなかった。他の著作より問題提起で終わっていない。

2/19〜3/3
『あらゆる場所に花束が…』(中原昌也)、読了。
不穏が充満している。突発性に含まれた不快感にまとわりつかれる。解説の熱量に驚く。

1/19〜2/25
『小説の自由』(保坂和志)、読了。
小説の内と外を分ける考え方をしていなかった。スリリングだった。
1/22
引き続き『小説の自由』を読んでいて、この楽しい迂回ともいうべき文章の秘密がようやくわかった。未整理な思考の断片のような文章だな、と思っていたのだが、手書きで作ることによって成し得たようだ。手書きとワープロによって、インプットとアウトプットに違いが生じるというのが非常にわかりやすく書いてあった。
1/20
喫茶店でナポリタンを食べながら『小説の自由』にあった輪郭の話を思い出した。筒井康隆が小説に「笑い」という輪郭を与えたという話だ。喫茶店でドロドロとしたナポリタンにチーズとタバスコをかけながら、その輪郭を思った。全く違う話だけど、イメージが連想を喚起したようだ。
1/19
『小説の自由』(保坂和志)を読む。
小説を語る上での楽しい迂回が続く。小説を読んでいる間に思考がばーっと開く体験について書いていて、すごく腑に落ちた。俺はその体験が忘れられなくて小説を読み続けていたのか!読みながら現実に違和感を覚えるような、あの静かな興奮。

2/17〜2/19
『しろいろの街の、その骨の体温の』(村田沙耶香)、読了。
一気に読めた。飢餓感を煽る強さがある。ニュータウンには憧憬を感じる。カーストではなく、グループでくくるという表現は正しいと思った。主人公の行動は時々、理由がわからなかった。やたらと真っすぐな伊吹は現実にはあり得ない人物で、ファンタジーに近い。街の景色と主人公の感じ方を白色が繋いでいるのが面白い。

2/12〜2/16
『災厄の町』(作:エラリィ・クイーン/訳:越前敏弥)、読了。
久々に本格的な推理小説を読んだ。確固たる物証が無い中で、全て推理で登場人物の謎を暴くラストはやはり痛快でカッコいい。全体を通して、<事件>ではなくて<人>を暴いている。そのための心理描写が精緻。

1/24〜2/11
『コールド・スナップ』(作:トム・ジョーンズ/訳:舞城王太郎)、読了。
岸本佐知子訳の方が良かった気がする。あまりに装飾が激しかったような。拳に拳をぶつけるような乱暴な文章になっていた。
1/24
『コールド・スナップ』(作:トム・ジョーンズ/訳:舞城王太郎)を読み始めた。
なんっつうドライブ感のある文章だよ。ラップみたいだし。クソアメージング。同価値な傷と救い。

2/7
『きみは赤ちゃん』(川上未映子)、読了。
作家らしい鋭い切り口で、女性が妊娠・出産を迎えるということについて言語化していく。性差のために無意識レベルにまで根深くなっている問題は多く、男性の俺は見逃しているし、女性はうまくやり過ごしていただけなのかもしれない。著者はそれをずるりと読者の眼前に晒す。おおお。がんばれ、あべちゃん。

2/7
『恋愛の解体と北区の滅亡』(前田司郎)を久々に読了。
自意識の流れをそのまま描いているだけのように思っていたが、読み直せば決してそんな事は無く、とても技巧的に難しいことをやっていたのか、と感心した。

1/19〜1/23
『お金を払うから素手で殴らせてくれないか?』(木下古栗)、読了。
唐突さがもの凄い。交通事故みたいな理不尽さを連ねた小説群だった。
1/19
『お金を払うから素手で殴らせてくれないか?』(木下古栗)を読み始める。
徐々にわかってきたが、かなりナンセンスな内容。最近、観ている『怪奇恋愛作戦』を連想したのは、記憶が新しいせいもあるが、ナンセンスな雰囲気が近いからだ。荒唐無稽なことを書き連ねても小説にはならない。話の流れや状況にどれだけ大きな違和感があっても、小説にはなるのだろうか?

2014/12/19〜1/19
彼岸過迄』(夏目漱石)、読了。
語り手(聞き手)は殆ど冒険していない。魅力的な人々がやることなすことを、ただ見聞きしている。語り手唯一の冒険もよく考えれば大した話ではないのだけど、とても面白く語られている。取るに足りない事柄を事件にまで押し上げるのは、やはり漱石の力量なのだろう。『文豪』 という言葉が表すような、堅苦しい話が書かれている訳でも無い。登場人物が現代の人と変わらず、やりたいようにやっているのがとても楽しい。それを普遍性と呼ぶのだろう。須永と千代子のやり取りは痛々しい。恋でもなく愛でもなく名付けがたい情を、とても豊かに描いていた。

2015年に観た映画の記録

2015年に見た映画を、遡る形で記録しておく。
この年はいろんな映画評から良作に誘導された。
宇多丸、k.onodera、蓮見重彦町山智浩菊池成孔…。
こんなに多くの映画評に触れた年は初めてだった。
特に『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』を聴く習慣ができたのは大きかった。


12/31
『自由が丘で』を観た。
この映像から真っ先に感じたNHKの韓国語講座みたいな印象は何が原因だったのだろう。カットが変わった途端に俳優が動くように見えるからだろうか。それと、あのヌルヌルとしたズームは何だったのだろう。と不思議に思う箇所はあったのだが、その映像も慣れると面白く感じて不思議だった。何の注釈も無しで、時系列を入れ替えて「時」の意味を無効化するような編集は特に面白かった。その面白さを支えるのは、加瀬亮の全ての状況を受け入れるあの演技だった。

12/27
ともすれば小品になりそうな題材なのだが、映画世界の大きな作品だった。映画の外側にも広がりが感じられる映像の強さがあった。音楽はカッコいいし、映像に寄り添うように鳴る静かな音の効果はじわじわと感じる。しかし、ピンチョンの原作がやはり複雑過ぎるのはある。非常に頑張ってまとめているけど、元の情報量に無理があった。推理ものと思わずに展開を楽しんだ方が得。原作同様、雨のシーンのセンチメンタルは美しい。ドックはずっとおしゃれでとぼけてて愛らしいし、シャスタはずっと哀しく美しい。スクリーンで見たかった。

12/24
グレムリン』を久々に観た。
ギズモは言うまでもなくかわいいが、変態したストライプ達もかわいく感じる点には、自分の加齢を感じた。昔ほど怖いと思わなかった点も同様の理由だろう。昔見た時は『グロテスク』を大雑把に『怖い』に分類していたようだ。クリーチャーとしての存在感がとにかく生々しいが、人間のように振る舞うのが愛らしい。グレムリンが暴れる点以外の話は悉く忘れていたが、こんなに主人公ビリーに非がある話だったっけ。ビリーの母対グレムリンがスリリングで意外にも一番面白かった。

12/23
スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』を観た。
2015年の新たなスターウォーズとして楽しめた。今までの流れを踏まえた上でシリーズをアップデートする内容になっていたと思う。ズームを多用したりするスピード感のある現代風の映像、カイロ・レンを筆頭に一枚岩ではなく人間味が出てきた敵側に新規性を感じた。レイの登場はナウシカ感たっぷり。大まかに言ってエピソード4をなぞる展開になっていた。第一段階はクリアしたから、次が大事。

12/18
味園ユニバース』を観た。
記憶が戻ってからの渋谷すばるの暴力的な存在感が見もの。しかし、彼の音楽への身の献げ方は足りなかったのでは。ラストはもっと迫力出せたんじゃないか。意図的なんだろうけど、抑え過ぎていると感じた。ラストシーンは現実だったんだろうか?脚本的に破綻が起きてるような気がするが、どうなのか。主人公の妄想なら成り立つ気もする。構図がカッコいいショットは散見したが、この監督はもっと広角で撮ってたイメージがあって、そっちの方が好きだ。

12/9
八つ墓村』(野村芳太郎1977)を観た。
雄大過ぎる景色を捉えた超ロングショットや荘厳過ぎる音楽の大袈裟な雰囲気は、このB級感漂う脚本には相応しくない。推理ドラマ仕立てを捨ててオカルトに走ったのは、偏に市川崑作品との差別化を意識し過ぎた結果だったのでは無かろうか。結果的に、同時期に作られた『犬神家の一族』に比べていかにも古臭い作品になっているようだった。美術やキャストから察するに、巨大過ぎる製作費を持て余しているのだろう。

12/5
犬神家の一族』(市川崑1976)を観た。
斬新な映像も使いつつ、入り組んだ事件をできるだけわかりやすく説明してくれた。皆が同時に喋る演出や、回想シーンの様々なエフェクトを使った魅せ方には驚いた。意外とカットも割っている。金田一のワイルドでセクシーな魅力と、犯人の見せる何とも言えない笑顔など、役者の力も充分に引き出されている。ルパン3世を思い出させる音楽が鳴りっぱなしだった点には驚いた。

12/3
『ラッシュ プライドと友情』を観た。
臨場感たっぷりの映像の連続で、映画館で観るべき映画だった。F1カーの細かいギミックのアップの映像を効果的に多用して、F1のスピード感と恐怖を煽っていた。大変スリリングだった。それと同時に、二人の主人公のキャラクター描写も良かった。はっきりと対比するように描きながら、二人とも魅力的に見えるのは凄い。時間による二人の変化と、レーサーゆえに二人が抱える共通の孤独を繊細に描いていた。

11/28
アンヴィル! 〜夢を諦めきれない男たち〜』を観た。
売れなくても少年のように30年音楽をやり続ける純粋さは、ボーカルのリップスの眼をキラキラと輝かせてた。リップスのポジティブな言葉と、ロブの静かさとの対比がまた素晴らしい。最後のコンサート会場に行くシーンでは、報われることを祈ってしまうほど、感情移入してしまった。やられた。レコーディング中のいざこざのシーンでのリップスの言動には、笑いながら感動してしまって、おかしくなりそうだった。収まりが良過ぎる内容だったので、フェイクドキュメンタリーかなと疑ってしまった。

11/23
スターダスト・メモリー』を観た。
素晴らしく美しい一瞬についてウディ・アレンが語るシーンは、映画を観る歓びに満ちていた。『8 1/2』から大きな影響を受けている(あるいは、下敷きにしている)のは明らかで、記憶と映画内現実と映画内映画の演出が渾然となる作りだった。カメラと被写体の間にフィルター的な何かを置くショットが多かった。彼の神経症的世界観はいつも以上に強調されていた。

11/22
オール・ユー・ニード・イズ・キル』を観た。
スターシップ・トゥルーパーズにタイムループを合わせた内容。ギタイはなかなか面白いデザインだった。ループして死に続けることへの苦悩が少ないように感じた。慣れた後の戦闘シーンはカッコ良く見れた。ループしたことがスピーディにわかる演出は良かった。最後のループは意味がわからなかった。

11/15
『ドライブイン蒲生』を観た。
音声がリアル過ぎて聞き取りづらかったのは至極残念だったが、皆がバラバラに動き、奥行きと重なりを感じさせる豊かな映像は面白かった。黒川芽以の頭の悪そうな演技が良かった。頭が悪いというのは非常に演じづらいのではないかと初めて気づいた。ああいうキャラクターで存在感を持っているのを、映像では見たことが無かったように思う。染谷君は染谷君だった。

11/12
イージー・ライダー』を観た。
荒々しいエネルギーに満ちていた。既存の映画との戦いだったのだろう。多用されるハレーションと美しい逆光で役者を捉える映像からそれを感じた。議論しまくるシーンは眠かったが、小気味よい音楽と共に気楽に走る主人公達の映像を観ていると、嫌でも楽しくなる。間違いなく自由を描いていた。唐突に芸術性が爆発するトリップシーンには驚いたが、それ以上にラストの唐突さはもっと衝撃的だった。

11/7
インランド・エンパイア』を観た。
冒頭、話の筋を追おうとし過ぎて寝まくった。起きてからはボーっと映像をありのまま受け入れてだいぶ面白くなったが、映画のルールは把握できなかった。なぜ英語とそれ以外の言語のシーンがあるのか?時間軸は存在するのか?疑問は放置した。乱暴なくらいに重なる映像。ディゾルブインとアウトの行ったり来たり。鳴り続ける不快な音は音楽とも重なり続ける。なぜか顔のアップが多用されて、情報がそれだけになるのは苦痛だった。色彩設計にこだわりを感じた。最初は緑多め。次に赤が多め。次に青がチラつくようになって、RGBを表してるのでは?とアタリをつけた。テレビの砂嵐はその象徴で、重なる映像はそのヒントだったのでは?否。無意味な推測に思える。この映画世界には三種類の人がいた。世界に疑問と不安を覚えてる人と、世界に順応してる人と、世界を知った風な人。エンドロールはめちゃくちゃかっこいい。

11/3
フロム・ダスク・ティル・ドーン』を観た。
粗筋に書いてあった通りの滅茶苦茶な展開をする映画だった。これ、二つの話一つにしたろ。でも、どちらか一つで延々続いても観てられなかったかも。とんでもないB級感だったけど、多大なる労力を感じた。会話の端々にタランティーノ節は感じた。

10/31
アメリカン・ハッスル』を観た。
ゴージャスな映像で、煌びやかに熾烈な心理乱戦を描いていた。音楽と映像の合わせ方に映画の豊かさが充満していた。どのキャラクターも面白かったが、ロザリンの搔き回しっぷりは強烈だった。不確定要素がガンガン打ち込まれて、登場人物にも観客にも何も予想できない。完璧に全てを支配する登場人物がいなかったのが良かった。観客は騙されているような気分から抜けられず、本筋がどんどん無くなっていくような不安が興奮に変わる。急速なズームは緊張感を煽る。

10/19
『ブレックファスト・クラブ』を観た。
古めかしい音楽とファッションに少しひいてしまうが、まだ普遍性を保てていると感じた。子供と大人の間では悩む。親の影響下で高校生はもがくものだったな。最終的に恋愛に捉われてしまうのは、高校生らしくて仕方ないとは思える。ブライアンのその後が気になる。

10/16
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を観た。
どのキャラにも憎めないかわいさがあった。王道の展開を踏まえた上で面白く脱臼させる展開が上手くて、パロディにし過ぎてスベったりしていなくてバランスが良かった。いろんなSF映画の要素を詰め込んだ上で80年代の音楽で束ねてるのが、またセンスが良かった。ガジェットやメカのデザインが古めかしいのに洗練されてて面白かった。あー、悪を悪として単純化し過ぎていた点はあるのかな。

10/10
アウトロー』を観た。
古典的な探偵小説らしい内容を下敷きにした上で、重みとリアリティのあるアクションと、細かく適切に緊張感を持って伝える演出が最高に面白かった。観たことの無いやり取りが多くてドキドキした。ベタを踏まえた上で少し外してるのが緊張感を煽る煽る。アクションはまだこんな映画が作れたのか!

10/4
ブロークン・フラワーズ』を久々に観た。
ひょっとしたら、探偵小説を下敷きにしてヘロヘロにした映画だったのだろうか。疑ってものを見ると何でもそんな風に見えてしまう。ピンク、サングラス、フレッド・ペリーという風に世界にはミスリードが溢れている。でも、一番表情が物語る。みんな巧い表情を作る。どの女も犯人に見えるという状態を作り出している脚本も凄い。飛行機の飛び立つシーンからはストレンジャー・ザン・パラダイスを思い出す。ビル・マーレイは無尽蔵に哀愁を託せるな。進むほどボロボロになる姿がグッとくる。人生が復讐している。何たる人生の苦味。ご都合主義は無い。人生では完璧な反復は起きない。

9/27
『ミッション・インポッシブル ゴーストプロトコル』を観た。
あのジェットコースターに乗っているかのようなスリル満点の映像と、楽しいガジェット感は気楽に見られる娯楽映画の最高峰だろう。トム・クルーズのサービス精神旺盛なアクションには素直に爆笑。

9/23
イコライザー』を観た。
ギャグに見えるほどデンゼル・ワシントンのアクションが狙ったカッコよさ。アメコミヒーローかよ。服装や技にヒーローっぽさは無く、銃を持ち歩かないところに強いこだわりを感じた。ツッコミどころ満載だけど、カッコイイ。

9/21
『ゴースト・ワールド』を観た。
独特の台詞の応酬と、状況と少しズレている映像が面白かった。間違いなく青春映画だったけど、こんなにストレスを溜めている映画も珍しい。鬱屈したエネルギーは発散することなくジワジワと主人公を苦しめる。旅立ちであり逃避であるラストには少し驚いた。スカーレット・ヨハンソンはこの頃からエロさ全開だった。

9/19
バーン・アフター・リーディング』を久々に観た。
よく見るとスパイ映画を皮肉ったパロディが多く、カメラワークにもこだわりを感じた。同時にCIAの恐怖、離婚率の高さ、運動不足などアメリカ的不安も反映している。皆の表情が素晴らしい。ブラッド・ピットがあんなアホな役をやってることも凄いが、目に知性の無いあの演技が良い。意外と代わりが思いつかない。

9/5
天才マックスの世界』を観た。
既に確かに存在していたウェス・アンダーソン特有の雰囲気。このユーモアたっぷりの映像。真正面から向かい合うカメラ。説明の難しい脚本。それでも、やっぱり誰かがちゃんと成長する物語にはなってる。

8/30
『LUCY/ルーシー』を観た。
観始めてから、「あ、これリュック・ベッソンだ」と気づいた。タイトルもLUCっぽいじゃん。どこにベッソン感があるのか。それは、良過ぎる編集のテンポと編集に散りばめられた独特のユーモアだろう。本筋との関係が微妙な映像をガンガン繋ぐ感じというか。後はアクションのあり方か。AKIRA2001年宇宙の旅などを想起させるラストは、最初の展開からは全く想像できないし、やり過ぎ感もあるかも。もっとアクションでヒロインの魅力引き出したの見たかった。全知全能っぷりを楽しむ映画なので、ハラハラしないのは少し惜しかった。

8/29
シュガーマン 奇跡に愛された男』を観た。
フェイクドキュメンタリーに見えるくらいに、映像が準備万端で撮られていた。ドキュメンタリーも劇的過ぎると疑わしく感じるもんなんだな。ロドリゲスの変わらない強さはカッコイイ。

8/8
『さらば冬のカモメ』を観た。
三人のキャラクターをとても繊細に描いている面白いロードムービーだった。三人の表情も抜群で楽しめる。遠景のショットもカッコいい。何でもない場面を長く丹念に描くのがまた素晴らしい。ホテルの部屋と電車の中のシーンが特に面白かった。オーバーラップを妙に多用していた。

8/5
『マッドマックス サンダードーム』を観た。
やはりこの作品もちゃんと自由への闘争だった。世界観の完成度も高い。もはやお約束のカーチェイスも最高。しかし、最大の問題点は行き当たりばったりに見える脚本だろう。いくら何でもご都合主義的に見える。

8/1
『セインツ ー約束の果てー』を観た。
殆どのシーンで光が綺麗だった。ルースの横顔に微かに風が吹くショットは特にかっこよかった。大筋のストーリーをシンプルにして、人物の細やかな心理描写で魅せてくれた。

7/30
トゥルーマン・ショー』を久々に観た。
久しぶりに見たら、ディレクターのクリストフとアクターのトゥルーマンの関係に、初めて親と子のメタファーを感じた。危険を排除されていても、人生は自分で選べた方がいいんだ。狂気まで孕んでしまうジム・キャリーの演技はやっぱり面白い。あのタイアップCMのドギツさは何回見ても笑う。全編通してテレビ番組への痛烈な批判も感じる。視聴者がトゥルーマンにエールを送るという点は凄い。外に出たら見られないトゥルーマンに外に出るよう言うのだから。

7/29
『ライブテープ』を観た。
日常と非日常が交錯する様子が面白かった。前野健太の歌には生活の音が良く似合う。そして、元旦の風景の音は途中まで前野健太の歌のBGMでしかなかったのに、最後には前野健太の歌が東京の景色のBGMになる。その見事な転換が静かな感動を呼ぶ。

7/23
オンリー・ゴッド』を観た。
暗くてコントラストの強い赤青緑の光に彩られた静止画みたいな世界の中で、人だけがゆっくりと動いたり、カメラだけがゆっくり動いたりする映像の連発で、少し眠かった。ポロシャツのただのおっさんにあそこまで狂気を与えたのは凄い。

7/18
『マイ・マザー』を観た。
映像の緩急の激しさ、鮮やかさ過ぎる映像美、部品への執拗なズーム、背後からのショットの多様さなど、この頃から独特だったようだ。ゲイのセックス描写と繰り返される癇癪描写には驚いた。母親への愛情と憎悪を、葛藤や迷いも含めてこんなにはっきり示した映画は珍しいんじゃないか。ジュテームの言いやすさに気づく。文化が違う。

7/12
『マッドマックス 怒りのデスロード』を観た。
以前の作品と比べて世界観の完成度が上がっていた。完成度上がり過ぎてて現在の世界と繋がらなそうなくらいだった。戦闘シーンがメチャクチャ複雑化しててどうやって脚本書いたのか疑問だった。コマ落ちさせまくった大胆な早送りは映像として大丈夫か、と心配するほどだったが、戦闘が矢継ぎ早で手に汗握る展開ばかりだった。神話的、あるいは、古き良き映画的という論評はよくわかる。フュリオサにマックスもイモータン・ジョーも喰われてた。それでも、トム・ハーディはカッコよかった。

7/11
12モンキーズ』を久々に観た。
情報の提示を抑えた演出によって、危うい脚本を成立させてることに気づけた。伏線の多さにも改めて気づいた。妄想とタイムトラベルの真偽をフラフラする脚本が凄い。永遠のループが成立する快感は何度見ても素晴らしいが、妄想かもしれないオチでも良さそう。ブラッド・ピットのキレた演技が面白い。

7/9
ドッペルゲンガー』を観た。
反復される暴力描写が不思議だった。ユースケがカッコよかった。不思議な脚本で、ヌルヌル進んで先が読めない。皆、真剣に生きておらず、世界の受け入れ方が軽い。ドッペルゲンガーを安易に入れ替えたり統一するようなことをしないのがいい。マルチスクリーンは撮影の事情からか?見たことないものを観れたが。少し『トータル・リコール』を感じた。

7/7
『パンチ・ドランク・ラブ』を観た。
狂った男が恋愛で狂って最強になる映画だった。ハリウッド式『宮本から君へ』か?音楽が場面の殆どの雰囲気を決めていた気もする。おかしな会話が異様なテンポでゲリラ的に繰り広げられる。唐突な音が世界を揺るがす。本当に次の瞬間に何が起こるのかわからなかった。とても贅沢に見えるカメラワークが楽しい。フィリップ・シーモア・ホフマンアダム・サンドラーの口喧嘩が最高。

6/26
あおげば尊し』を観た。
丁寧なカットの積み重ねで出来ていた。時々聞き取れないくらい自然なトーンで誰もが話していた。カメラワークは観客に「見ている」という行為を強調しているように感じた。それは覗き見のようだった。教育にある相補関係を強く感じた。それが生徒と教師の救いになっていた。死の扱い方への答えは出ているともいないとも言える。

6/24
赤ちゃん泥棒』を久々に観た。
こんなにハチャメチャだったっけ…?ハチャメチャさを助長するのがギュイーンと動くカメラ。あーやっぱりアホな映画だった。ニコラス・ケイジはこの頃が一番表情豊かだったかもしれない。情けない顔が最高。

6/20
ミッドナイト・イン・パリ』を観た。
パリの風景がオシャレだった。幻想的かつコミカルな形でSF要素を消化した脚本が面白かった。ユーモアと懐古主義の皮肉の効いた扱い方もいかにもウディ・アレンだった。オーウェン・ウィルソン演じる主人公もいかにもウディ・アレンだった。

6/11
ギルバート・グレイプ』を観た。
とにかくクソ素晴らしかった。昔からディカプリオがいいと思ってたけど、ジョニー・デップも最高だった。遠景のカットがめちゃくちゃカッコいい。音楽とフェードアウトはちょっとダサい。家族への複雑な思いと自分の気持ちに引き裂かれそうなギルバートの気持ちがずっと切ない。家族への複雑な愛情をとてもうまく描いている。セリフのやり取りがとてもうまい。崩壊しそうなギルバートの家、僕らはずっとここにいるというアーニーの歌、さよなら。伏線も綺麗に回収する。

6/7
『サウダーヂ』を観た。
タイ、フィリピン、ブラジルがドロドロと流れ込む山梨で文化と人がジリジリと摩擦を起こす。音楽も言語も入り乱れる。想像していたより激しさは無かった。終わりも始まりも無く日常生活がゆっくりと進行していく感じだった。

5/20
『マンハッタン』を観た。
マンハッタンの優雅な映像に合わせる壮大な音楽が笑えるくらいに贅沢な気分をくれる。ウディ・アレン的な皮肉の効いた空間で、都会的な恋愛が繰り広げられる。神経質でありながら無神経であり得るような、まだらな精神性を持った男女のやることなすこと可笑しい。大人は屁理屈ばかり。インテリ主義の固有名詞漬けには反吐が出る。デートが楽しそう。

5/16
『竜馬暗殺』を観た。
手持ち撮影も多く、ドキュメンタリーの手法を鋭く持ち込んだリアル路線の時代劇。殺陣も剣術っぽくなく喧嘩的で、現代でリアルに見える表現。音楽は大友良英を感じた。夢みたいな感触はどこかフランス映画とかを感じる。猛烈なアングラ感。

5/13
刑務所の中』を観た。
漫画を映像でかなり正確に再現していた。規則正し過ぎると馬鹿馬鹿しくなり、生活を細かく確認すると面白くなる。あのやるせなさを可笑しく映像に保存しているだけで成功だ。

5/12
『ドライヴ』を久々に観た。
吹替版の方が主人公の寡黙なかっこよさが強調されてる、と感じた。ネオンに暴力はよく似合う。

5/9
カフカの『城』』を観た。
アホらしい唐突さと気まずさが面白い。助手に爆笑。フリーダとのラブシーンにも爆笑。恋愛要素がこんなに強かったかな?と思ったけど、映像というものの強さゆえかもしれなかった。端々にアキ・カウリスマキを感じた。地域性だろうか。イメージの固定の方向性から考えても、小説から読むべきだ。

5/6
『スリーパー』を観た。
映画というよりコントのようだった。松本人志を感じた。200年後という設定は荒唐無稽なギャグを連発しやすい下地だった。意味不明な言葉、現代への皮肉を受け入れやすい。社会の変容への痛切な批判もあったのだろう。台詞には含蓄を感じる。セットはトリュフォーの『華氏451』で、音楽に早送りの映像を合わせる編集はチャップリンのようだった。

5/4
『バードマン(あるいは、無知がもたらした予期せぬ奇跡)』を観た。
ドラムの音が場面の雰囲気をすごくうまく表現していた。最後の方までワンカットに見えるような編集には驚いた。あそこに断絶があるのは面白いかもしれない。映画内の舞台の失敗か成功かを軸にしたメタ構造で、ハリウッド批判や演技の意味について言及していくが、最後にはそれらも乗り越えていく。超現実的な能力というギミックの使い方も面白い。とても凝った脚本で、伏線の回収の仕方も素晴らしい。端的に言って語りたくなる映画。演技・芝居の良し悪しなんてわかるのか、と問われているのかもしれない。芸術表現にまとわりつく亡霊のような商業性、という表現は言い得て妙。

5/2
麻雀放浪記』を観た。
ところどころ笑ってしまうのは時代性の表れの部分かもしれない。あの皆の必死さがかっこいい。真田広之よりも鹿賀丈史の格好良さと、大竹しのぶの可愛さが見どころか。

5/2
『ヒート』を観た。
アルパチーノとデニーロが恐ろしくカッコいい!三時間、手に汗握りっぱなし!渋すぎる!子どもの頃にゃわかんなかったわ!孤独VS孤独!ダークナイトに影響与えてそう。

4/29
『ザ・マスター』を観た。
想像より難解だった。長回しがカッコよかった。映像と音楽がゴージャス。ホアキン・フェニックスの演技は狂ってて、姿勢も歩き方も表情も別人。最高。

4/25
マジック・イン・ムーンライト』を観た。
想像以上にロマンチックコメディだった。ウディ・アレン節の皮肉屋はガッツリとコリン・ファースに注入されてた。セリフが笑えるほど鋭い。それを跳ね返すエマ・ストーンの愛らしさ。史上最高に楽しげなデートシーンだった。

4/19
『セッション』を観た。
手に汗握る緊張感。部分ズームがテンポ良く挿入される。先が読めない脚本だった。ドラムって速ければいいのかよ?という疑問はあった。菊地・町山批評論争を合わせて読むと、どちらの言うこともわかった。自分がラストシーンに感じた違和感は、カタルシスが唐突で作為的に見え過ぎた点ではないかと思った。あのシーンに至るまでの段階的な準備ができていなかった。受け攻めの心理的緊張は見応えがあった。

4/8
『ヤノマミ』を観た。
よくぞこんな映像を撮った。危険が溢れている。衝撃的な映像の連発だった。虚構みたいに異様に美しい森の中で、生・性・聖が鮮やかに混沌と入り乱れる。文化が違い過ぎる。それでも、やはり人間だった。

4/1
ザ・コミットメンツ』を観た。
とてつもない魔法の起きている映画。歌うま過ぎ。生々しさがある。ロケーションと人物に宿る雰囲気がどうしても露わになる。アイルランドの背景はとにかく画になる。

3/14
レニングラードカウボーイズ、モーゼに会う』を観た。
一作目よりわけのわからないシーンが多かったが、元ネタになる文化的背景がわかっていなかったからかも。相変わらずアホな映像が続くが、一作目より更にシュールで、一部ついていけなかった。一作目のタイトルは冷戦を皮肉っていたのでは、と今更気付いた。ギニギニギニギニワッチワッチワッチワッチケイオンテケアナの演奏シーンが一番笑った。

3/10
レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』を観た。
全てがチグハグに進む。ツッコミ不在でボケ倒していく。人には使命があって、いるべき場所がある。求めてなくてもそこに辿り着くことはある。彼らはどこか人間離れした聖性を持っている。動く写真、といった様相の風景が流れていく。音楽が旅と共に変わる。ちゃんとロードムービー

2/27
アメリカン・スナイパー』を観た。
想像よりも真っ直ぐなストーリーだった。もっと戦争で人格が歪んだりする映像を期待してしまっていた。思ったより戦闘は見やすかった。反戦映画だと思ってみればそうなんだと思うけど、カッコ良過ぎる演出は戦争を肯定することにはならないだろうか。

2/15
ミュータント・タートルズ』を観た。
昔のアニメや映画に倣ってコミカルさを忘れていない内容だった。アクションシーンはコミカルかつカッコいいという難しいバランスを保ってた。隣に座ってた人が自分と同じくらいタートルズに詳しそうで驚いた。そんな人初めて見た。

2/12
ゴースト・オブ・マーズ』を観た。
ゴリゴリにヘビーロックなBGMの中で殺しまくる死にまくる!登場人物の呆気なさ過ぎる死に様は、死の無意味さを殊更に強調していた。主人公はやたらとエロかった。

2/1
インターステラー』を観た。
映画館で観るべき壮大さを持った作品だった。よくわからない都合の良さはこの際置いておこう。この映像世界は圧倒的過ぎる。

1/28
『ファイナル・ディステネーション』を観た。
死のピタゴラスイッチ。運命、あるいは、不運が敵という漠然としてスリリングにしづらい内容だが、具体的で細かい芸が面白さをわかりやすくしてくれる。『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦氏が好きなモチーフだとは思った。

1/17
ゴーン・ガール』を観た。
調べたらゴーンには色んな意味があるらしい。去った、妊娠した、優れている。音楽が多いのはとんでもない質量の内容をテンポ良く進めるためだろう。登場人物の印象の誘導・操作が非常に上手く演出してあった。最初は物語の中の世論と映画の観客は一致した意見を持つようにされるが、視点が切り替わった瞬間に僕らは彼女と共犯にさせられる。そして、何度も印象は操作される。サイコパスサイコパスに見えた。冴えないベン・アフレック

1/2
大人は判ってくれない』を観た。
子ども時代への憧憬はたっぷり詰まっていた。監督の個人的な記憶の再構成に見えたが、真偽はどうなんだろうか。冒頭では父親に愛されてるように見えたのに、話が進むにつれて、そうではなくなった。あるいは、そうではなかったのが表出したのだろうか。

放る、全てを、穴に。

『放る』

言葉を宙に放るようなイメージで書く。
だから、会話のキャッチボールにはできないかもしれない。遠投大会になるかもしれない。角度が悪いと自分に返ってくるかもしれない。

『whole』

全てを言葉で表せれば嬉しい。
時々思うこと、出来事、映画・小説・漫画・音楽の感想。あらゆるものを言葉にしたい。

『hole』

言っちゃいけないことほど言いたい。
言わなくてもいいことほど言いたい。
わかってしまったら、「王様の耳はロバの耳」と言わずにいられないから、この穴に吐き出す。

そんな感じで使う。
読まれることより書くことを目的にしたい。