2019年前半に観た映画類の記録

息子と一緒に映画を観られるようになってきた。

1〜5月までは、「週末の夜に一緒に映画を観る」ということをしていた。自分は幼い頃に『金曜ロードショー』や『ゴールデン洋画劇場』を楽しみにしていたので、息子にその習慣を作ってみたいと思って始めた。彼に事故的に映画に出会わせたい。そのための映画選びがとても楽しかった。以下の条件を作って考えていった。

  1. 残酷描写や性描写などが無い映画にする。
  2. いろんな年代の映画にする。
  3. いろんな国の映画にする。
  4. なるべく上映時間が短い映画にする。
  5. 息子も自分も妻も楽しめる映画にする。

1の条件を満たそうとすると、自然と子ども向けになりやすくてアニメが多めになる。3の条件を満たそうとすると、有名な作品は大抵がアメリカ産で、なかなか大変だと気づいた。そして、これら全ての条件を満たそうとすると、ディズニー・ピクサーが強い。ジブリはその次に強い。それらをどう避けるか、もなかなか難しい。

最近では、息子と一緒に映画館に行く機会も増えた。

一時期、『アベンジャーズ:エンドゲーム』の影響もあって、MCU作品ばかりを観てる時期もあった。

以下、作品の感想。ネタバレもあるだろうから、注意されたし。

 

6/30

『アラジン』(ガイ・リッチー監督)を観た。

2019年におけるディズニー実写化としてのアップデートがとてもうまくいっていて、ほとんど違和感なく楽しめた。その改変は特にジャスミンに顕著で、あそこまで女性をエンパワーメントする役になるとは思わなかった。吹替で観たので歌声はわからないが、演じるナオミ・スコットも力強さを備えた美しさが素晴らしかった。アニメ版の『アラジン』はシンデレラを男女逆転したようなストーリーだったが、2019年にはそれだけでは足りなくて、知識も経験も豊富なジャスミンが国王になるべき、という最適解を導き出していた。やはり差別は社会のためにも良くない。

その部分を強化したり、国王を少し賢王に変えたりの微調整はしたものの、基本的にはアニメのストーリーに沿って話は進む。冒頭にあるアラジンの街での大立ち回りも同じなのだけど、アクションに躍動感があって、実写にする意味を感じられた。パルクールを取り入れたような動きもイマドキだった。アラジンはダンスも上手くて、運動神経抜群で良かった。

そして、あのウィル・スミスのジーニーの芸達者っぷり!今後、彼を見かけるたびに脳裏にジーニーが浮かびそうで、鑑賞に支障が出そうなレベルのインパクトだった。表情の面白さが半端無かった。

アクションの見せ場も足されていて、ランプを奪い合うシーンなど、観てて飽きない作りになっていた。

一方で、監督ガイ・リッチーの作家性はかなり感じづらかったが、展開のスムーズさやアクションの魅せ方の巧さに集約されていたのかもしれない。1か所だけ『ジャファーがランプを宮殿で使う』→『ランプを奪われたとアラジンが家で気づく』→『ジャファーが王になる』の流れを、何故かワンカットっぽいカメラのパンで繋ぐ独特の編集には、『スナッチ』等で見た作家性を感じた。

www.disney.co.jp
6/23

海獣の子供』(渡辺歩監督)を観た。

映画そのものが詩になっていた。『生命、海、宇宙が相似関係にある』という世界のワンダーを主人公の琉華以外は当然のこととして祝福していて、琉華も徐々にそう考えるようになっていく。その過程を詩としか言えない映像で表現する。登場人物の言葉は日常の中で発せられたと考えると不思議だが、ポエトリーリーディングだと思えば違和感が無かった。

アニメーションは動き方に歓びを感じるものだけど、この映画での動き方の凄まじさと言ったら無い。日常風景も1コマ単位でひたすら繊細な動きをしていて、目が離せない。表情豊かに動く水の面白さも凄い。後半の『ファンタジア』のようなブッとんだアニメーションも、観客に体験として爪痕を残そうとするような気迫を感じた。そのために、音響も相当気を使っていた。アニメーションの映像表現として、『スパイダー・バース』に勝ち得る可能性のある映画だと思った。

宮崎駿の感想も聞いてみたい。

www.kaijunokodomo.com
6/15

ゴジラ キングオブモンスターズ』(マイケル・ドハティ監督)を観た。

まず、監督とハリウッドに感謝。ツッコミどころや怪獣達の愛嬌も含めて、ちゃんとゴジラだった。音楽に顕著だったが、ゴジラシリーズへのリスペクトに溢れていて、びっくりした。ゴジラはともかくモスラの登場曲まであんなに堂々と使うとは…!ハリウッドが作ってて立派な映画だったけど、B級感は健在だったのが面白かった。ゴジラからB級感は消せないらしい。

一番驚いたのだけど、ラドンがこんなにカッコ良かったのは初めて見た。

芹沢博士は最期以外ほとんど傍観者で、なぜ怪獣を保護しておきたいのかわからないのが、平成ゴジラシリーズを思い出させた。MONARCHの無能さや不要さも同様だった。世界的な視点と個人的な視点の混同もそうだと思う。アレってセカイ系の走りだったのかな。

エマのあの意見って他の作品でもよく見かける気がするんだけど、何だっけなあ、とずっと引っかかっていた。エマの通信に挿入された映像には笑った。

怪獣達のバトルはものすごくカッコよく描けてるんだけど、主人公や人間に魅力が無くて観てるのがしんどい(主人公がびしょ濡れのシーンが多いのは面白い)。でも、3分に1回くらいの頻度で怪獣が出て全く飽きないように作ってあって、そこはハリウッドらしかった。キングギドラが十字架と一緒に咆哮するシーンとか、カッコよく描かれてた。

それと、これは仕方ないことだけど、吹替で見た結果、田中圭の声が主人公に合わな過ぎて残念だった。もう少し年配の太い声が良いと思う。単なるミスキャストであって、田中圭は悪くないが。木村佳乃芦田愛菜先生はさすが。

godzilla-movie.jp


6/9

『くすぐり』(デイビッド・ファリアー&ディラン・リーヴ監督)を観た。

以前、松江哲明氏が勧めていた頃から気になっていたが、ラジオ番組『アフター6ジャンクション』でも取り上げていたので、ようやく観てみた。

このドキュメンタリーで監督が戦っていた相手は、一貫して気味が悪い。観終わった今でも、あんな得体の知れない巨悪が存在するのか、と疑いの気持ちを少し持ってしまう。

その疑いの原因はカッコ良すぎる映像にも少しあるだろう。構図がカッコ良すぎる風景の頻繁な挿入が、ドラマ的に見えた。また、イメージ映像や再現映像の多用も同様だった。『フリントタウン』を観た時にも思ったけど、ドキュメンタリーは劇映画に近づいているのが主流なのかな?

映像は全体的に凝っていて、人をくすぐる映像をエロティックに見えるようにする工夫にも驚いた。画角を限定した撮影とスローモーションと音楽を使えば、十分にポルノ的になるのか。

この巨悪が存在している前提での感想を述べるなら、監督二人があらゆる脅しに屈せずに戦い続ける姿が凄く良かった。こういう人達がちゃんといることの頼もしさと、脅しにすぐに屈してしまいそうな情けない自分が、はっきりと認識できた。少しずつでいいから、自分も勇気を得て変わっていきたい。

www.netflix.com
6/1

シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を観た。

ようやく観られた。エンド・ゲームから遡っての復習の一環という感じ。

最大の見せ場はアベンジャーズ内での内輪揉めシーン。あんなに入り乱れてるのに、全員の能力をどれも魅力的に紹介した上で、戦況をわかりやすく描写していて素晴らしかった!何回も観直した。

その中でも、特筆すべきは、アントマンスパイダーマンアントマンのあの戦い方は、やはりアベンジャーズにも通じるんだという嬉しさと、あのホークアイとの協力プレイの面白さ!マスクを脱ぐとタダのおじさんという愛嬌がまた良い。スパイダーマンはあの可愛さ!少し甲高い声でたくさん喋る少年がちゃんと強いというギャップもまた良い。

全体的にアベンジャーズの存在意義を問い直すような重いテーマを物語の軸に置いているのに、展開はテンポよく進む。強大な敵を設定せずに飽きない展開を作っているのも、とても巧い。「アベンジャーズを国連の監視下に置くかどうか」で彼らは内輪揉めしていくわけだが、もう一つの重要な要素として『復讐の連鎖』がある。ソコヴィアで起きた悲劇(『エイジ・オブ・ウルトロン』)の被害者による復讐、父親を殺されたブラックパンサーによる復讐、両親を殺されたトニー・スタークによる復讐。どれも個人的な復讐・報復(revenge)が悲劇を拡大している。社会正義による復讐・報復(avenge)は存在し得るのだろうか。おそらく存在しない。なぜなら、世界に絶対的な正義が無い。MCUもそういう複雑な世界を描いていると決定的に宣言した、勇気ある作品だった。


5/10

『ヤング・ゼネレーション』(ピーター・イェーツ監督)を観た。

素晴らしい青春映画。CUTTERSの白Tの眩しさが忘れられない。

まず、冒頭のダラダラとした会話から、いきなり石切り場のプールに飛び込む一連のシークエンスからして、引き込まれた。石切り場の画の強さも凄いが、それに至る映像が常にバッチリかっこよく決まってる。

主人公のデイブの独特のキャラクターが良い。あの好きなものに打ち込む心の強さと、その心を持ったままの挫折。周りの友達も、みんな辛い目に遭っているそれぞれのエピソードがまたグッとくる。

そして、最後の大決戦。

主人公が最後の勝負に、お金でも恋愛でもなくプライドだけをかけているというのが、観ててたまらない気持ちになる。

あの時代に自転車をあれだけ追えていて、臨場感溢れる映像を作っているのも凄い。最後の長回しの緊張感も最高。『みんな本気でペダルを漕がないといけないけど、ラストシーンは決まっている』と言う難しそうな演技が、とても上手くいっている。

あの後、みんながどうなったのかはわからないけど、あの一瞬に賭けた力強さに心揺さぶられる。

 

5/6

マネーモンスター』(ジョディ・フォスター監督)を観た。

Netflixから奨められなければ観なかっただろう。ジョディ・フォスター監督で、ジョージ・クルーニージュリア・ロバーツが競演、という豪華さに釣られた。

何となくジョディ・フォスター政治的主張や社会への問題意識がしっかりあって、それを映画にするタイプだろうと予想してたけど、意外とエンターテインメント要素が強くてわかりやすく楽しめる映画になっていた。

どんなに世界の情報技術が発展しても、少数の人間が富を独占しようとすれば、世界が良くならないのは自明だろう。金持ちは儲けて、愚民は踊らされるだけなの?という問いかけがある展開を途中から期待していたが、そこまでの問題意識は感じなかった。

最後まで見て「金持ちの蛮行を許してはいけない」という当たり前の結論は見えた気がしたけど、愚民を踊らせる人間は無反省に見えた。これは社会への諦念なんだろうか。民衆が踊らされたがってるというのか。

途中から既視感のある映画に思えて調べたところ、自分が『マッドシティ』という映画を思い出していたとわかった。立てこもり犯とTVが共犯関係を結ぶあたりでの連想だったのかもしれない。最終的に被写体がコンテンツ消費されるような後味からは『トゥルーマン・ショー』も感じた。

このTVショー司会役のジョージ・クルーニーは、めちゃくちゃハマり役でよかった。あの腰の動きの滑稽さ。ジュリア・ロバーツの聡明さも時代に合っているとは思う。

 

5/2

『メッセージ』(ドゥニ・ヴィルヌーブ監督)を観た。

美しい映画だったに違いない。音質も画質も残念な環境で見てしまい、かなり後悔した。Blu-rayとか買っても良いかも(特に場面ごとに盛り上がる音響が凄そうだった)。

最初、主人公の抱えている過去が提示されているのかと思って観ていたが、それは安易過ぎた。俺は謎を謎だとも認識できていなかった。物語の核となる謎の説明と、世界存亡を賭けたスリリングな展開を、完璧に同時に提示するのが凄い。美しい思い出が、そのまま未来に繋がるという映像の作り方には驚愕した。時間芸術と言われる映画への挑戦でもあるだろう。やはり時間が直線的に進むというのは、産業革命以降の西洋思想に過ぎない。

主人公の全てを受け入れて進もうとする強い意志が、とても気高く美しかった。

きっと原作はなかなか映像化が難しい作品なのでは、と想像している。宇宙生命体による影響の描き方は今まで観たことがない斬新なアイディアだった。小説での表現を確認してみたい。

 

5/1

ニンジャバットマン』(水崎純平監督)を観た。

手書きとCGをうまく混ぜて迫力あるアクションを表現する手法から、最近の日本で作られている作品らしい印象を受けた(『進撃の巨人』などを想起した)。アクションは面白いシーンも多かった。

途中のジョーカーとハーレクインが農作業してるシーンはかなり湯浅政明っぽかったけど、クレジットがあるのかどうかはよくわからなかった。

あのいかにも日本的な合体ロボ展開は、突き抜けていてギャグとしても良かった。

ストーリーライン自体は王道だった。突飛過ぎないように、見やすくするための配慮なのだろう。

企画は新しいはずなのに、映像として『スパイダーバース』ほどの斬新さを感じなかったのは、日本のアニメを見慣れてるせいだろうか。


4/29

アベンジャーズ/エンドゲーム』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を観た。

気持ち良く終わらせてくれて、ありがとう!劇場で観て良かった。

いろんな監督がいろんなキャラクターを描いてるのを、よくぞあんな風にまとめ上げた。MCUはこの二人の監督がいなければうまくいかなかったに違いない。

全部観てたら、もっと感慨深かっただろう。もっと追えていたら…と後悔すらした。今までの作品を振り返るような展開の作り方も、見事としか言いようがない。ああ、全部観て確認してたい。

物語として素晴らしいと思ったのは、過ぎてしまった時間を受け入れながら、より良き世界を目指すところだった。もしくは、敗北を受け入れた上で復讐(アベンジ)を目論むところ、というか。ご都合主義的に時空を改変するような流れしか想像出来てなかったので、その点は素直に驚いた。やはり制作者達は人類の力を信じている。

MCU全体としても、円環が閉じるような終わり方をしているところも良かった。

アイアンマンとスパイダーマンの擬似父子的な関係性は、前作からより強調されていて思わず泣きそうになった。

ラストシーンにはちょっとタイムパラドックスを感じたけど、まあ、あそこを清算したかったんなら仕方ないのか。


4/28

アントマン』(ペイトン・リード監督)を観た。

想像してたより凄く良かった。

犯罪者に堕ちてしまいそうなかなり普通の人に近いおじさんが、ヒーローとして人生を再起するまでの成長物語として、わかりやすく面白く描かれていた。

小さくなる能力だけでヒーローが成り立つっていうのが想像できてなかったけど、戦闘シーンを観れば、ちゃんと能力を活かした斬新な戦い方がカッコよく描かれていた。ミクロの戦闘と肉眼での体感をギャグ的に見せるのも上手かった。

ミッション・インポッシブルを意識した潜入シーンもちゃんと緊張感があって面白かった。3バカトリオがシリアスを乱すギャグはかなり重要だった。

父と娘をキーワードにした人間関係の作り方も良くて、それのおかげで物語全体を見通して展開が本筋からズレないようになっていた。


4/27

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を観た。

うおー。アガった!

これまでMCUの良い客では無かった俺でも、ヒーローたちのファーストコンタクトや協力バトルには、漏れなくグッときた。特にサノスVSアイアンマン他の戦いが良かった。ドクターストレンジのサポートが良い。今まで何本くらい観たのだろう。この映画を観てると、他のもちゃんと観てみようと思えた。みんながどうやってヒーローになったのかに興味が湧いてくる。

いろんなネタバレをうっすら聞いたり、ある場面を少しだけ見たりしてたのは残念だった。純粋にこの衝撃を受けたかった。

今までのアベンジャーでさえスケールが地球規模で大きくなり過ぎてた気がしてたのに、今回は全宇宙規模になっていて、ついていけるのか心配していたが、めちゃくちゃわかりやすくストーリーが進行するので感心した。監督のまとめ力凄い。惑星を行き来するところは、スターウォーズに似ていた。

あのサノスのキャラクターも良い。あの変な孤独感を抱えながら、まっすぐ狂気を推し進める悲壮な姿には魅了された。

そして、葬式のようなあのラスト。いやー、エンドゲーム見たくなるでしょう。逆転してもらいたくなる。


4/12

スパルタンX』(サモ・ハン・キンポー監督)を観た。

素晴らしきカンフーバカ映画。悲哀はゼロで、ずっと笑いとアクションをやってた。

ジャッキー・チェンのアイドル性は凄い。ベビーフェイスなのにムキムキでとんでもない動きをする。表情も豊かだ。サモ・ハン・キンポーのコメディアンとしての能力にも驚く。あの体格であれだけ動けるということ自体がギャグになっている。表情も常に面白い。急カーブで無駄に車から落ちたシーンにはかなり驚いたのだけど、その後、普通に家にいたから、そのシーンの無意味さに爆笑した。そして、監督が彼自身であることにも笑った。作品全体のギャグは吉本新喜劇を連想するようなベタさだった。これなら万国共通で笑えるのかもしれない。

この映画で最初に気づいた面白いことは、スペイン人も含めてみんな広東語を喋ってたことだ。違和感凄すぎ。これで公開したんだろうか。「考えてみりゃ、スターウォーズだってみんな英語話してるの変だもんな」っていう違和感を久々に思い出した。

しかし、何と言っても体張りまくりのカンフーが素晴らしい。まずは、アクションの多彩さとそのキレの良さ。スケボーを使った食事サービス、走るバイクへの飛び蹴り、フェンシングなど、見ててまるで飽きない。危険を省みない命がけのアクションの連発にも驚く。車はとんでもない転がり方をするし、みんな平気でどんどん高所に上っていくし、前方に身体ごと飛び込む動きは最早普通だった。

ストーリーを追うと、わけわかんない場面転換があったり、省略し過ぎな編集があったりするのだけど、それも愛嬌に思える愛らしさがあった。特に、サモハン演じるモビーがトーマスやデビッドと知り合いであるという展開に驚いた。その事実は3人が会うシーンで初めてわかるのだけど、事前にそういう話をしてほしい!

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4/5

『アラジン』(ジョン・マスカー&ロン・クレメンツ監督)を久々に観た。

アラブ世界を舞台にしてはいるが、思った以上にアメリカナイズされた映画だった。

ハリウッド的アクションと、男女逆転したシンデレラストーリーを詰め込んだ当時のディズニーの王道。この恋愛至上主義は、この時期のハリウッドでは頻発してた気がする。アクションでもサスペンスでも恋愛成就をゴールにしていくようなストーリーが多かったかも。現代の日本でもその部分を踏襲した『海猿』とか『コード・ブルー』とかあるけど。

そんな中、スタンダップコメディ的に突入してくるジーニーが、過激に物語にアクセントを加えていた。彼がいなければ観てられなかった。

当時わかっていなかったけど、トラの顔の洞窟とかでCGを多用していたことに改めて驚いた。

魔法のじゅうたんの飛翔シーンは、『ピーターパン』と比べると視点の演出やスピード感の魅せ方などで、かなり進歩していた。

また、魔法のじゅうたんは相当飛ぶのが早いらしいと初めて気がついた。短時間に中国まで行っているのはギャグ的でもあるけど、当時の知識の無さでは気づけなかった。

全体的に、ハリウッドの実写映画の影響を受けていたように感じた。

 

3/30

『スパイダー・バース』(ボブ・ペルシケッティ&ピーター・ラムジー&ロドニー・ロスマン監督)を観た。

まだまだ見たことない映像って作れるんだな、といたく感動した。後世に語り継がれる偉業。手書きとCGを織り交ぜているらしいとは聞いていたが、あの映像の作り方は全くわからなかった。ブルーレイ出たらメイキングを見たい。フルアニメーションにリミテッドアニメーション混ぜてるとか半端ない。

吹替にして良かった。妻に言われて納得したが、字幕に割く情報量が勿体無い。見たことない映像が怒涛の量で迫り来るのに、見づらくないというのも素晴らしい(これも妻が言っていて納得したが、『仮面ライダービルド』の映画のクライマックスシーンと比較してもそれは明らかだった)。アクションシーンは実写映画の動きを参照した上でアニメらしく作り変えている感じがした。

そして、興味を持続できる映像になっているのも凄い。それは映像の作り方だけでなく、脚本の力に依るところも大きい。とっ散らかってしまいそうな何でもありの設定を持ってきているのに、上手にマイルスの成長をメインとしたストーリーに集約しているのが凄い。その上で、ハリウッド的な伏線回収もバッチリやっていく。

キャラクターが魅力的に描かれているのは、監督の演出の力でもあるだろう。コミックで説明するやり方もすごく巧い発明だった。スパイダーマン達のキャラを魅力的に描きつつ被らないようにしているのも気が利いている。スパイダーマン特有のおしゃべりなギャグもちゃんと笑える。

マイルスの黒いスパイダーマンは完全に新しいスパイダーマン像を確立していた。

何度も見返したくなる傑作。 

 

3/15

ミツバチのささやき』(ビクトル・エリセ監督)を観た。

2〜3回目のトライでようやく最後まで観られた。真っ暗な状況作って集中力高めなきゃ観てられなかった。

所謂古き良きヨーロッパの映画という感じだった。想像してたより暗い映画に思えたのは、戦争の影響が見え隠れしていたからだろうか。スペインの農村の雄大な景色は、美しいけれど、『荒涼』という言葉が似合う寂しさだった。時折流れる素朴な音楽には、海外に来たような旅情を感じた。

イサベルの行動も、無垢で無表情なアナも、終始不穏さを醸し出していた。戦争のメタファーやアナロジーが埋め込まれている空気は感じた。

アナは美しい子供だった。フランケンシュタインの怪物でさえも傷つけるのを躊躇うイノセンス。その美しさに説得力があった。

また、観たばかりだからかもしれないけれど、作品の雰囲気が『ROMA』に似ている気がしていた。スペイン語圏だからだろうか?家の作りや子供たちの生活環境も似ていた気がした。

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3/13

アトランタ』(第1シーズン)を観始めた。

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3/8

『SING』(ガース・ジェンニングス監督)を観た。

とにかく力技の脚本で、超テンポよくハッピーエンドに向かうファミリー向け映画。歌の力を信じる(ことで問題が解決する)というテーマから、『天使にラブソングを』シリーズなども思い浮かぶ。そのため、ずっと音楽が鳴っているが、それはちゃんと映像に合っていたし、吹替でも歌はバッチリだった。

バスター・ムーンを一応の主人公には設定しているが、世間一般からは少し外れている沢山の動物達の群像劇になっている。それぞれが全く違う悩みを抱えながら、同じタイミングでピンチに陥って、同じタイミングで復活するようになっている脚本の設計が素晴らしい。しかし、その反動として、バスター・ムーンの人物造形が、反社会的に見えるくらいに好人物から逸脱してしているのは気になった。脚本にキャラクターが従属してしまっている。

映像も面白くて、ディズニーやピクサーやドリームワークスとかのフルCGアニメと違うなと思ったのは、実写で使う映像手法を多用している点だった。具体的に言えば、歌っているキャラクターの口元に寄る映像や、タイムラプス的な映像は、フルCGアニメでは初めて見た気がする。

水の表現なども実写っぽくて、自然現象に関しては、リアル路線のようだ。

同時に、フルCGアニメならではの、実写では不可能なカメラワークもうまく使っていた。冒頭のカメラの高速移動は話のテンポをよくしていたし、カメラでは撮影不可能な位置で動かす映像には迫力があった。

次は字幕で観るのも良いな。

 

2/1〜3/4

『グッド・ワイフ』(第1シーズン)を観終わった。

古き良き海外ドラマの系譜だった。ER以降Netflix以前という時期を感じさせられた。

基本的には1話完結になっているが、検察、判事、刑事、FBI、依頼人などが何回も登場することがあるし、ピーターの裁判というメインストーリーも進めていく。

基本的には登場人物がみんな魅力的に描かれていて、ちゃんとそのキャラクターが動くことで物語が動く。アリシアの強さはずっとカッコイイし、ケイリーの軽薄な小狡さは意外とチャーミングになるし、低い声で笑うダイアンはどんどん人間くさくなっていく。でも、やっぱりダントツ飛び抜けてるのは、カリンダのクールな有能さだろう。もはやギャグ的ですらある。インド系という珍しいルーツも良いし、自分を語らない強さはいつもカッコいい。

多様性や性差別への眼差しはオンエア時には早かったんだろうが、今の時代にはよくフィットしている。

常に先が気になる作り方が大変上手くて、沼に引きずり込まれかけている。

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3/1

シコふんじゃった。』(周防正行監督)を観た。

メインストーリーはベタなのだけど(『柔道部物語』を連想した)、変わった演出をしているシーンが多々あって、不思議な魅力のある映画だと思った。

具体的に言えば、迫力のある撮り方と編集ができそうな相撲のシーンを、盛り上げたり溜めたりせずに終わらせていたり、緊迫した立ち合いのシーンにそぐわないクラシックのような呑気な(もしくは優雅な)楽曲をかけたりする。立ち合い自体は、息遣いなど含めてリアルには描いている。きっとテレビドラマなら、勝敗が決する瞬間はスローモーションと皆の表情を捉えたカットを交えて編集すると思う。よくよく考えれば、それはダサいのだけど。

他には、バストアップの画角で正面から撮って台詞だけ言わせて3〜4人に交互に喋らせるシーンが急にあって、何だこれと思ってたんだけど、あれは小津安二郎的な演出なのかもしれない。

竹中直人は若い頃から竹中直人だった。演技経験の浅そうな人が多くて、正子と春雄の棒読みにはビックリすることがあった。本木雅弘もまだ演技に迫力が無かった。

相撲という旧態依然とした体質の世界で、性別や国籍を問わない多様性を訴えるエピソードが盛り込まれているのは、先見の明と言えるのかもしれない。正子のエピソードは、「これが一番描きたかったのでは…?」と思えるほど丁寧な演出をしていた。ライバルとして用意していた相手を倒した後にもう一試合あって首を傾げたのだけど、この部分を描くためだったのではないだろうか(『SLUM DUNK』の陵南戦終わった後のインターハイを思い出した)。

田中の決断も、主人公の最後の決断も、成長をしっかり描いていて、グッとくる。

 

2/23

『ROMA』(アルフォンソ・キュアロン監督)をNetflixで観た。

贅沢な時間の使い方を予感させるオープニングに始まり、その予感通りに2時間続く豊かな映像は、どのシーンで停止しても、写真として額に入れられそうな美しさだった。

脚本自体は地味というか小さい感じだが、映像の美しさでずっと見ていられた。強く生きる女性の悲しい美しさ。どんな出来事があっても、主人公の感情を抑えた表情がグッとくる。

メキシコの「カラフル」で「明るい」イメージは先入観だったと気づいた。それへのアンチテーゼでもあったのかもしれない。

出来事を綺麗に追う長回し、カメラと被写体の間に重層的に入り込むもの、不穏な予兆や予感を伝える象徴的な映像。撮影と演出が素晴らしい。

また、モノクロ映画は色情報が無い分、集中を強いる気がするのだけど、この超精細なデジタルでのモノクロ映像はとんでもない情報量で、今まで見たことないものだった。

観終わってからメインビジュアル見直して、神話的な絵画のようだ、と気づいた。

この脚本でモノクロ映画のこの企画を映画化させてくれるNetflixはやっぱり凄い。内容も、監督が撮影してるのも含めて、お金のかかったインディーズ映画だった。

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2/22

『センター・オブ・ジ・アース』(エリック・ブレウィグ監督)を観た。

圧倒的なアトラクション感に爆笑。ジェットコースターを体感するような映像や、タイミングよく現れる船などにそれを感じた。

調べてみたら、初めて本格的に3D上映に取り組んだ作品で、監督も『キャプテンE.O.』『ミクロアドベンチャー』を作った人だったと知って、ああ、これはあの3Dアトラクションを長編にしただけだと大変納得した。どおりで画面に向かってくるものが多いと思った。志向しているものが違う。

脚本も大変駆け足で、3人の登場人物に関係性らしきものがあるような前提で、アトラクション映像をご都合主義的な展開で繋いでいくだけの作りだが、まあ、これも90分に収めるには仕方ないのだろう。

何度もとんでもない事態に遭うのに悲壮感が無いので、ファミリームービーになっている。しかし、あの飛翔シーンはいくらなんでもやり過ぎでは。めちゃくちゃ爆笑した。

息子がいなければ見なかったと思うと、感慨深くもある。

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2/16

『ブレンダンとケルズの秘密』(トム・ムーア&ノラ・トゥーミー監督)を観た。

久々にTSUTAYAでジャケ借りした作品。

始まってすぐに、『パワーパフガールズ』や『サムライジャック』を思い出した。キャラクターデザインや動き方がよく似ていた。あの独特の輪郭線とデフォルメ。しかし、それと対比するように、背景が有機的とでも言うような、美しく気持ち良い動き方をしていた。詳しく見たことがないが、おそらく『ケルズの書』の世界観をうまく表現していそうだった。それは、ミュシャの描く背景に似ているようだ、とずっと思いながら観た。

途中でかかるギターの音が美しい音楽は、作品の雰囲気にとても合っていた。オーガニックで土着感たっぷり。

バイキングの描き方が徹底して残虐で、人外の不穏さを醸し出していたのも良かった。

ストーリーはちょっとドラマ性が物足りない感じがした。何か元になる史実があったりするのだろうか。クロム・クルアハとの対決で、無理矢理見せ場っぽいシーンを作っていたが、その後のバイキング襲来からは為す術もなく皆がやられるだけで、観ていて辛かった。院長が頑なに砦を作ろうとした理由も、最終的に謝罪した理由も、ケルズの書の必要性も、あまりわからなかった。

ブレンダンとケルズの秘密 【Blu-ray】

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2/10

少林サッカー』(チャウ・シンチー監督)を久々に観た。

CGがうまく使ってあるんだと思うけど、カンフーアクションはどこまでCGかわからないシーンもあった。あれは日本の特撮にも影響与えてそう。海外の人が思うカンフーを理解して、パロディとして批評的に使っていた。ギャグとしての馬鹿げたアクションもかなり笑える。

カメラワークも自由で、スクリューするように右に左に傾けるのも、片目への超ズームインも、大袈裟な表現として作品に合ってて上手い。

メインストーリーがわかりやすいからかもしれないけど、主観の移り方とかで無理をしていて独特だった。監督主観で始まったのが、いつの間にかシンがメインにスイッチするのとかちょっと不思議。普通にシンから始めて監督の話を挿入するのが王道の語り方だと思う。フェイントとかギャグなのかな。

そして、あのダンスシーンは今見てもわけわからな過ぎて爆笑。そこも主観を無駄に変えてて、その躊躇の無さが良い。

でも、やっぱり一番は兄弟弟子が全員覚醒するシーン。『鉄の頭』のあの映像から始めるのが最高!

馬鹿すぎる試合シーン見て『テニスの王子様』思い出してたけど、そうか、あれは『キャプテン翼』だな。ウィキペディア見て納得した。

小ボケがしつこく繰り返されたり、音楽も使った壮大なフリがあったりするのは、この監督特有なんだろうか。そのせいで、少し疲れて長く感じる。

それにしても、あの曲は強い。

 

2/2

『ウォーリー』(アンドリュー・スタントン監督)を観た。

上映されていた頃、無理にでも感動させようとするCMを見て敬遠してたけど、超傑作SFだった!

荒唐無稽に感じられる設定なのに、その設定の細部まで徹底的に突き詰めていて、破綻しないようにうまく作り込まれていた。この脚本は集合知で作ってるんじゃないだろうか。集団で何度もチェックしてる感じがする。伏線の張り方とその回収の仕方もやたらと上手い。

ロボット同士の感情の交感を美しく際立たせるために、最高の舞台としてのディストピア世界を徹底的に作り上げていた。

ディストピアなんだけど、キャラクターやロボット達のデザインがかわいいので、子供も観てられる。

ウォーリーのキャラクターがとにかく愛着が持てるように作ってある。あのとぼけたようなレトロな造形や、プログラムを遂行する健気さ、童貞っぽさすらある純情さ、親しみを持ちやすいmacの起動音。そして、ウォーリーの子孫にあたるであろうロボットのイブのあの洗練されたデザインは、アップル製品が進化の末に作り出した感じが面白い。

メインのストーリーラインは、ウォーリーとイブの恋愛に似た交流にあるんだけど、そのサブプロットとしてウォーリーが周囲に与える影響も観てて楽しい。落ちこぼれ達の奮起、人間達の再起。普遍的なテーマをSFでやっている。

宇宙遊泳ダンスのシーンは信じられないくらい美しい。

「このハッピーエンドはちょっとみんな楽観的過ぎない?」って感じてた不満を解消する映像の魅せ方と、そこから歴史が作られていくエンドロールのスマートさには感服した。

ウォーリーが大奮闘しているシーンで、3歳の息子が「ウォーリーがんばれー!」と叫んだ。字幕で観ていた。殆ど言葉がわからなくても伝わる映像になっているんだ。

 
1/26

紅の豚』(宮崎駿監督)を久々に観た。

初めて観たのは小学生の頃だったと思う。当時は、ナウシカラピュタやトトロと比べてわかりやすい冒険要素がないのが不満で、地味な映画だと切り捨てていたようだ。

しかし、改めて見直してみると、実に無駄無くテンポ良く進むストーリーの中で、大人には楽しめる程度に、言葉にしない微細な感情のやり取りが描かれていた。主に空を飛ぶことへのロマンと男のダンディズムがそこにはあるのだけれど、その表現はマチズモに陥るのを避けている。そのための工夫として、フィオや飛行機を作る女性達の活躍と、ポルコが豚であるということ自体のユーモアとチャーミングさがある。

ポルコはカッコいい。が、カッコよければカッコいいほど可笑しい。そんな二重の評価を同時に持たれるというだけで、豚がモテるのもわかる。

ポルコが豚になった経緯の説明がほぼ無いのも、子どもだった俺には不満だったが、今はこのマジックリアリズム的な手法にも面白さを感じられる。戦争との距離もうまく取っている。

ジブリらしいフルアニメーションの映像も素晴らしい。動いていない部分がない。ずっと動いている。

太陽が明るいイタリアの空と海も、ずっと美しい。夕暮れ時の空と雲も綺麗な色だった。

空を飛ぶシーンも最高だ。どうやって空を飛ぶシーンを創造したのだろう。きっと飛ぶ時に映像を撮ってもあんな風には見えない。資料にはならないと思う。まさにイマジネーションの産物ではないだろうか。

そして、この企画のスポンサーに日本航空が入っているのも面白い。世界恐慌の時期に飛行艇で飛び回っていた豚の物語に。ちゃんと説明したのだろうか。

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1/19

駅馬車』(ジョン・フォード監督)を観た。

こんなに古い白黒映画を久々に観た。最初は集中できなくて、登場人物も展開も全く頭に入って来なかった。しかし、徐々に映像に慣れてくると、めちゃくちゃ面白いとわかってきた。

登場人物がみんな個性豊かで、ちゃんと彼らの言動と関係性がドラマを動かすし、展開も多くて見ていて飽きない。

ロードムービー的要素、アクション要素、ラブロマンス的要素などが、無理なくバッチリ詰まった超娯楽大作だった。

特にインディアンの襲撃シーンは圧巻だった。馬に飛び乗るシーンも馬からずり落ちるシーンも衝撃的だった!映像も凝っていて、馬車から撮った映像や、地面に埋めて撮ってるシーンがあって驚いた。あの時代に、この撮影は斬新だったに違いない。

インディアンの表現や女性を扱うシーン以外は、全く古びていない。むしろ、その後の映画に通じるエッセンスがたくさん詰まっていて、2019年に観ても鑑賞に耐え得る大傑作だった。

駅馬車 HDリマスター[Blu-ray]

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1/15

わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ監督)を観た。

今イギリスに住んでいる人々の辛い状況と、それに対する政府や役所の対応の酷さを、大声で告発している映画だった。そのメッセージの強さは、頭を殴られたような衝撃だった。

物語は終始淡々と進む。この印象は、派手に動かないカメラと、ずっと一定に見えるワンカットの長さから受けるのかもしれない。長回しもテンポの速い編集も無い。最近珍しいこともあって、その誤魔化さない映像の魅せ方は逆に目を惹く。

主役のダニエル・ブレイクの生活がリアルに丁寧に描かれていく。裕福ではないが、慎ましく健やかに生きていたようだった。

政府からの給付が滞るダニエルと、シングルマザーのケイティの生活は極貧に向かっていく。特に、ケイティが気力を失っていく様子はショッキングだ。そんな中で、助け合う人々の姿はその分感動的だけど、この事態は政府が救うべきじゃないのか。

極貧になっても、服装や内装からは日本的な貧相さが感じられない。類似性が指摘される『万引き家族』を思い出すと、それは明らかだった。むしろ、シャツとセーターの合わせ方とかオシャレだ。それは文化の違いで済ませる問題ではなく、彼が人間としての尊厳を大事にしていたからだと最後まで観るとわかる。

寝室税とか本当に驚いた。でも、日本も似たような方向に向かってて、暗澹たる気持ちになる。

途中、ダニエル・ブレイクに皆が喝采を送ったように、見事な告発を遂げた監督に喝采を送りたい。

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1/13

『ピーター・パン』(ウィルフレッド・ジャクソン&ハミルトン・ラスク&クライド・ジェロミニ監督)を観た。

2019年に見ると、インディアンに対する人種差別的表現も、ウェンディに対する男尊女卑的な扱いも、なかなか強烈だった。

ピーター・パンを通して、『少年』という存在の邪悪さが際立っていた。原作のテイストからだいぶ削ぎ落としたのだろうが、これ作った人達は子どもを好きそうに思えなかった。

間抜けなフックが憎たらしいピーター・パンにやられるシーンのあの滑稽な残酷描写は、『ホーム・アローン』に繋がっていると思った。

しかし、全編通して映像に隙間が無い。ずっと何かが起きている。何かが動いている。アクション、会話、ギャグのハイテンポな連打。目が離せなかった。

そして、冒頭の飛翔シーンは、イマジネーションがまっすぐに体現されている最大の見せ場だろう。それは宮崎駿作品に繋がっていそうだった。「You can fly!」と連呼される音楽の中で子供達が飛び回るシーンは圧倒的過ぎて、もう笑うしかなかった。 

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1/12

ミッション:インポッシブル』(ブライアン・デ・パルマ監督)を久々に観た。

こんなにクラシックな映画って感じだったっけ…。冒頭のプラハの場面とか、霧立ち込める街で起きるミステリーっていう感じで驚いた。スローモーションで水が押し寄せるシーンも、妙に幻想的で重厚さがあった。

パソコン系のテクノロジーは2019年に見ると時代を感じてしまう。

シリーズの他の作品に繋がっているのは、不可能に思えるミッションをギリギリでクリアする部分と、無茶なアクションだった。ラストシーンの賭けでしかないアクションには笑った。

スリードの多用と根拠が微妙な犯人推理のシーンは、この脚本でいいのかなー、という感じだった。

一番驚いたのは、昔観た時は重要な役の印象だったジャン・レノが結構ミスをする極めてダメなヤツだったこと。

 

1/2

仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』(山口恭平監督)を観た。

お祭り映画!

一番の見どころは美味しい場面で登場する佐藤健a.k.a 良太郎。俺もオダギリジョー要潤水嶋ヒロ菅田将暉瀬戸康史福士蒼汰竹内涼真がライダーだったこと忘れないよ!出し方もうまかったし、メッセージも良かった。他のライダーは少しずつ特徴を触る感じ。時間の都合だろう。それでも、上映時間長過ぎだと思うけど。

平成ライダーズが暴走族のごとくバイクで走り回る姿には笑ってしまった。

仮面ライダーが虚構として存在するというメタ構造を取り込んだこと自体は面白いが、あんまり上手くやれてない感じはあった。更に、ジオウ自体がかなり無茶なタイムパラドックス抱えてそうな(頭痛くなるのでちゃんと検証はしていない)ところに、電王まで時空を突っついちゃうのでストーリーはぐっちゃぐちゃになってた。そして、CGだけで展開される戦いはゲームムービー見てるのと変わらないので、やっぱり良くない。特撮は身体性にこそ緊張感があると思う。

 

2019年前半に読んだ本の記録

「いろんな国の本を読む」という目標は引き続きあるけれど、「女性作家の本をもっと読む」という目標も新たに追加された。

それは、昨今の世界的な流れに影響されて、というのもあるのかもしれないが、自分に潜んでいるミソジニーやマチズモを恐れているから増えた。それは長い時間をかけて醸成されてしまっていて、自分でも気づけないレベルで存在している。俺が育った地方都市の社会では、女性が専業主婦になるのが一般的で、家事育児の担当は女性、という感じだった。

しかし、その感覚は一般的では無いし、むしろ、一般的であるべきではない。地方都市にあった家を出て、首都圏にある大学に入り、東京で勤めて、結婚して、子どもができた現在、やはりその感覚が正しくないと実感した。女性にだけ生き方の選択権を狭めるような抑圧があるのは、間違っている。おそらく自分が抑圧される立場に無かったので、ある時期まで俺は無関心だった。それまでの俺は間違っていだと思うし、恥じている。

上記のことについてはこれからも悩んでいくだろう。

更に読む本の条件で言うと、今まで無意識に考えていたが「いろんな時代・いろんなジャンルの本を読む」という目標も明確化されつつある。

そんな風に、ルールで自分を縛るのが好きな俺が、2019年の前半に読んだ本は以下の通り。

多分、ネタバレはしている。注意。

 


6/29

『IQ』(作:ジョー・イデ/訳:熊谷千寿)を読み始めた。

まだ読んでる途中だけど、Netflixでドラマ化お願いします。

IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

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6/15〜6/28

『アヘン王国潜入記』(高野秀行)、読了。

ようやく読めた高野秀行を象徴する一冊。『アヘンの種まきから刈り取りまでを体験する』という前代未聞の挑戦の記録。「現代での探検はかくも手探りになるのか…」という四苦八苦が、最近読んだ『謎の独立国家ソマリランド』に比べて多めな気がする。こちらが著者の初期の作品だからだろう。

読み始める前から、「この挑戦って法的にはどうなんだろう」という点が気になっていた。読んでいくと、著者はアヘンを使用もしていたので、余計に疑問を覚えた。どう考えればいいのだろうか?日本の法律に照らして?現地の法律に照らして?国際法に照らして?

別に著者を責めたいわけではない。むしろ、尊敬もしているし、応援もしたい。ただ、法的にはアウトのように見えるのに堂々と挑戦してるし、読んでみても、この一連の行為にあまりに躊躇いが無かったので、何かの法には引っかからないのだろうか、と単純に心配になった。ワ州を出てから、ようやくその部分も描写はあるが、やはり法的にも倫理的にも良くないようだった。

しかし、その「社会的に良くない」とされることを平然とやっている人がいる地域があり、そこがワ州で、この逡巡の無さは現地に著者がどっぷり浸かった証拠とも言えそうだった。

本書の見所は沢山あるが、まずは、世界の政治経済的観点から見て、ワ州という地域を学ぶこと自体が面白い。『ビルマと呼ぶか、ミャンマーと呼ぶか』問題や、中国との微妙な関係など、この地域の抱える問題の難しさを自分は全く知らなかった。また、その難しさが、著者がワ州の村に滞在することの難しさに直結する。その様子から、国家やそれに付随する政治経済が社会を形成しているというのを、存分に実感できた。

その理解が進んだ上で始まるワ州の村での生活もめちゃくちゃ面白い。外国から入り込んできた準共産制らしき仕組と、伝統的な文化の融合の中で生きている村人は、完全な異文化の人間だが、全くわからないわけでもない。やはり人間は人間だった。その生活を追っていくと、アヘンの歴史や作り方の理解も進む。

そして、何と言っても面白いのが、著者本人のリアルな重みのある体験談だろう。アヘンという植物、ワ州の人々の穏やかさ、アヘンを使った人の様子を見て描写する言葉に感心し、笑ってしまう。やはりこれは高野秀行にしか書けない本だ。中でも、著者のアヘン体験は凄まじい。『欲望の器が減る』という表現に宿るリアリティには深く感心した。なるほど、成長を求める社会がアヘンを禁止するのは納得できた。

まだまだこれからも高野秀行の探検記を期待している。

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

 

 
6/10〜6/15

『女たちのテロル』(ブレイディみかこ)、読了。

生まれた時代のせいか、あまり読んだことがないが、これはおそらく檄文というヤツだろう。女性たちよ、虐げられている人々よ、蜂起せよ、とアジってる。読めば自然と高揚させられる。前のめりで読み終えた。著者からはイギリス由来の強いパンク精神を感じた。

大逆事件イースター蜂起も、何かの授業で名前だけは知っていたが、恥ずかしながらその意味も詳細もわかっていなかった。だから、当然、金子文子も、エミリー・デイヴィソンも、マーガレット・スキニダーも、全く知らなかった。3人とも戦いの絶えない激しい人生を送っている。3者の生き方をリンクさせて語りながらも、メインは金子文子の人生についてで、彼女の生き方には鬼気迫るものがあり、著者はその凄まじさを存分に描き切っていた。

人を下に見るのが悪だとは子どもの頃から学んでいたが、上に立つ人間がいるから下に人間ができる、という思想は自分には無かった。彼女の壮絶な人生を見てきた後には、『人間は絶対的に一個体で生きるべきだ』という権威も体制も超越した悟りに、重大な説得力が宿っている。最初からずっと思っていたが、歴史上の人物を2019年からの言葉で語り尽くすやり方は、古川日出男を連想させた。文体にも近しいものがあった。

全体を通して放出され続ける、普通の小説ではあまり見ないような、喋り言葉っぽいブロークンな言葉には、地べたから生み出されたような強さがあった。

女たちのテロル

女たちのテロル

 

 
6/1〜6/7

『憂鬱たち』(金原ひとみ)、読了。

読み始めていきなりの官能小説のような場面描写にクラっときた。『クリトリス』という単語を鋭くストレートに使っていて、衝撃的だった。エロい。

憂鬱がもたらす誇大妄想や被害妄想と、過剰に暴走した自意識に苛まれて、狂いそうになりがら、もしくは、狂いながら、どうにか生きてる女性が主人公の短編集。同一人物なのかはわからないけれど、カイズという中年男性とウツイという若い男がいろんな役で毎回現れるし、主人公はいつも精神科の病院に行けない、というのが各短編に共通している。

小説自体が妄想の産物と言われればその通りなのだけど、物語全てが主人公の妄想であると思わせるような小説っていうのは読んだことがあっただろうか?夢だと認識できる夢(明晰夢)のような?

この思考をつらつらと書き連ねるような文体は、保坂和志とか前田司郎でも似た形式を読んだことがあったけど、ここまで砕けた喋り言葉を軽快なリズムに乗せて書いてあるのは記憶に無い。のめり込むようにして読める。1Pの中に大量に『憂鬱』と書いてある場面もなかなか壮観だった。

カイズさんから菊池成孔氏を連想してしまうのは、最後に彼の解説が書いてあるからだろうか。ラジオでやっていたコントもこの小説の世界観に近い気がした。

このエネルギッシュな憂鬱には終始圧倒される。躁と鬱はそんなに違わないみたい。

人の憂鬱は笑っていいのだろうか?

憂鬱たち (文春文庫)

憂鬱たち (文春文庫)

 

 
5/28〜6/1

ジーザス・サン』(作:デニス・ジョンソン/訳:柴田元幸)、読了。

強烈な言葉とイメージが、同時に頭の中に飛び込んでくる。パッと火がついたような興奮が起きては消える。

最初、しっかりとした筋があるのかと思って読み進めていたが、途中で読んでいる内容がわからなくなる時間が訪れる。いつ?どこ?なぜ?だれ?なにこれ?と何らかの疑問で混乱する。

前に読んでいた本で、タイトルは思い出せないけど、記憶や幻覚や夢が混在していて面白いと思った本があったけど、この本はそういう分類すらできないような『イメージ』としか言いようのない場面が並んでいる。

フィリップ・K・ディックSF小説や『裸のランチ』とかも思い浮かべたけど、一番近いのは中原昌也の小説だと思う。

短編集だけど、おそらく主人公は同じ人物で、彼と周りにいた人々がドラッグと酒と他の理由で、何となく人生を台無しにしていくように見える話が連なっている。彼らは何かを選ぼうとする意思に欠けているように見えて、日々をやり過ごすだけで良いと思っているみたいだった。

読んで頭に浮かんだイメージの断片は、鮮やかに脳裏に居座っている。

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

ジーザス・サン (エクス・リブリス)

 

 

5/23〜5/27

『いい親よりも大切なこと』(小竹めぐみ小笠原舞)、読了。

自己啓発本や生き方の指南書みたいな本が苦手だ。自分が影響されやすい自覚もあるので、そのタイプの本に恐怖すら感じている。大雑把に育児書もそれに近い分類で考えているので敬遠していたが、最近、子どもとの接し方で辛いことや疑問に思うことも多く、藁にもすがる思いで手に取った。

育児の呪いからママを解き放つための良い本だった。全てがママ宛の書き方だったので「育児はママのもの」っていう呪いは少し感じたけど。

『「しない」でいい』という提案で呪いを順番に解いていく。その方法はとても実用的で、すぐにでも実践できそうだった。読んでいる最中から、子どもと接する時にこの本の内容を意識するようにした。まだかなり意識しないと、うまく行動できない自分を感じる。

読み終わって、俺は怒り過ぎていると感じた。クセになってしまったのだろうか。もう少し、子どもを『待つ』姿勢を持とうと努力することにした。「子どもが発達途中である」という意識を持つのが、俺には難しいらしいので、それを強く意識している。

実用的な文章があるページには付箋を貼った。読み返しながら頑張ろうと思う。

最後の方は、親を励ましたり親を容認するような内容だったので、自己啓発本っぽさを感じて、熱心に読めなかった。

いい親よりも大切なこと ~子どものために“しなくていいこと

いい親よりも大切なこと ~子どものために“しなくていいこと"こんなにあった! ~

 


5/2〜5/23

田中小実昌ベストエッセイ』(作:田中小実昌/編:大庭萱朗)、読了。

人はみんなどうせいつかどこかで死ぬし、みんなどうせいつかどこかで生まれる。田中小実昌の思想には、そんな死生観が滲み出ていて、どんな話からもそれが感じられた。特にそれは新宿で飲み歩く話に一番色濃く出ていた気がする。その死生観で見れば、どんな人も受け入れられる。一般的にダメな人間がいたとして、それはダメなだけ。そのまま受け入れればいい。これには戦争体験が強く影響を及ぼしているように思えるけど、それはわかりやす過ぎるだろう。

語られていた戦争体験は『ポロポロ』に入っていた小説にも似てるが、相変わらず底抜けの虚しさが描かれていた。

また、戦後まもない頃の狂騒時代の描写は、現代でいう『実話ナックルズ』のようなグレーゾーンの話が生々しく描かれていて、他とは少し題材が違った。それでも、やっぱり筆者の全てをそのまま受け入れる姿勢は変わらないみたいだった。

保坂和志への影響は多大だろう。話の脱線のさせ方も、情景描写の重ね方も、最近の保坂和志の小説が連想された。

どのエッセイも唐突に終わる感じに驚く。途中でやめたようなブツっと切れる終わり方。うろうろと話が脱線するのも面白いのだけど、一応、どの話も本線に戻って来て終わる。そこも、何だか変な生真面目さで面白い。

 
4/25〜5/1

悲しみよこんにちは』(作:フランソワーズ・サガン/訳:朝吹登水子)、読了。

少女の心の揺らぎが繊細に描かれていた。読んでいる間、古いフランス映画を観ている気分になっていた。読みながら古いフランス映画が退屈に見えがちな理由が少しわかってきた。心の動きを物憂げな表情だけの長時間の映像で表現したりするからだ。感情の推測が観客に委ねられているような、あの時間。

小説だと思い悩む様子をずっと独白してくれるので、その部分はわかりやすかった。気分や心情が景色の感じ方に影響を与えてしまう詩的な描写は、やや辛かったけど。

自分の感情がわからなくて点検しているような表現は、あまり読んだことがなくて面白かった。自信過剰になったり、自信を無くしたり、好きになったり、好きじゃなくなったり、大人ぶったり、子どもらしく振舞ったり、というこの不安定さを青春の特権として独白で描いているのは、読んだことが無かった。

この微細過ぎる心の動きをうまく表している翻訳も良いと思う。砕けた口語の混ぜ方も特徴的だった。

策謀をはっきりとした意思では練らず、子どもっぽい反発や、ぼんやりとした不快感が主導してしまうという部分も妙なリアリティがあった。その結果起きた悲劇は、その代償としてはあまりに大きかったが、これで主人公は大人に近づいたのだろうか。

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

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4/12〜4/25

『ライムスター・宇多丸のウィークエンド・シャッフル“神回”傑作選Vol.1』、読了。

確かに、面白くて内容のある神回が収録されていた。あとがきにある出版時点までの放送内容を読むと、ああ、そういうくだらないのあったな、と笑ってしまう回もあった。でも、それもタマフルだったし、それはラジオならではの楽しさだったはずだ。

タマフルを聴き始めたのは開始から5〜6年後くらいで、かなり後の方だったので、収録されている神回はどれも聴いたことが無かった。

時系列に沿って収録されているのが良くて、番組のコアの部分と展開・拡張していった部分がわかりやすい。共通しているのは、『本気で何かを好きになることを肯定する』という姿勢だった(当然だが、犯罪行為は除く)。その結果、人は様々な論を作り上げてしまうものらしい。そして、この番組は、それが暴論でも極論でも面白くエンターテインメントにできる。そういう番組の姿勢に、いろんな論者がどんどん引き寄せられて凄まじさが増していくのが、ドキュメンタリーさながらに収められている。中でも、『アイドルとしての大江戸線特集』はそのぶっ飛び方で一線を超えたのでは、という感じがした。

そして、タマフルをベースにして大幅にアップデートされたのがアトロクがあることがはっきりとわかる。この本と照らし合わせると、アトロクは神回だらけに思える。凄まじい情報量になったもんだ。

新しい視点をもたらされて蒙が啓くように、聴くと(読むと)見えてくる。

 

3/15〜4/22

電気グルーヴのメロン牧場6』、読了。

トイレで読み終えた。

つまらない先入観抜きで、事件前に読みたかった。

それでも、相変わらずのバカな話がたっぷり。時々、真理を突いてるように感じる話もあるが、おそらくその瞬間、自分の常識が揺らいでる。俺もバカだし、世間もバカだし。

以前の『メロン牧場』よりピエール瀧の発言が全体的に少なくなっている印象だったのだけど、石野卓球のバカ話の炸裂っぷりが増幅していたからだろう。その姿勢が本当にブレないし、他の二人も石野卓球をノセていく。

甥っ子をライジングサンに連れて行った話だけは、他の回と全然違う良い話だったけど、それも面白かった。

歳を重ねた結果だと思うけど、二人が仲良いことに照れが無くなってるのが凄く良かった。

あとがき座談会まで読んでからカバーをめくって、爆笑した。あれはズルい。

 

2018/4/3〜2019/4/20

『365日のほん』(辻山良雄)、読了。

一日一ページ読み進めてピッタリ一年で終わるつもりで読んでいたけど、意外と難しかった。

本屋TitleのHPで毎日一冊を紹介している『毎日のほん』をベースにしていて、この本でもちゃんと面白そうな本に何冊も出会った。本のための本。

存在感のある愛しやすい装丁で、手に馴染む。別のタイミングで、また一年かけて読んでもいいかもしれない。 

365日のほん

365日のほん

 


4/9〜11

もものかんづめ』(さくらももこ)、読了。

最高にくだらないものが詰まっていて良かった。個人的な読書遍歴の話だけど、『地球星人』からの落差も功を奏したかもしれない。自虐多めのどうしようもない話を、エンターテインメントに押し上げるサービス精神も感じる。この資質は電気グルーヴにも近い気がするんだけど、静岡にこの資質の温床があるんだろうか(いや、無いだろう)。

巻末の土屋賢二氏との対談まで読むと、著者は世界の在り方に対して徹頭徹尾ドライもしくはクールだ。『ちびまる子ちゃん』の「〜〇〇(まる子やヒロシなどの人名)であった」という感じのナレーションの切れ味を思い出す終わり方をする回も多い。そして、あのナレーションのような俯瞰した視点で、自分も含めた世界を見ている気がした。引いて見てしまえば、全て喜劇か(『ちびまる子ちゃん』の感動的な回の作り方はまた別のロジックだろう)。

その中では、ツイッターでも話題になってた祖父をボロクソに書いてるエッセイが良かった。俺も「家族だから」という理由で自動的に愛情は生まれないと思っている。家族から共同体の範囲を広げても同じだ。ある共同体に属しているからと言って、その共同体自体を盲目的に愛しているのは不気味だと昔から思っている。映画『万引き家族』のパンフレットで中条省平氏が書いていた『家族は自明ではない』とも通じる話だろう。著者はこの件について作品解説でもしっかりと追い討ちをかけてて、かっこいい。

もものかんづめ (集英社文庫)

もものかんづめ (集英社文庫)

 

 

4/3〜4/8

『地球星人』(村田沙耶香)、読了。

現時点での集大成的な作品だ、と途中までは思っていた。『しろいろの街の、その骨の体温の』のニュータウン的要素や幼少期の描き方や、『コンビニ人間』と同様に世界の在り方に馴染めずに違和を感じている主人公がそう思わせたのだが、それらは舞台の初期セッティングに過ぎなかった。最後まで読み終わると、集大成の更に先に行き過ぎてて、言葉を失った。ここまで考え抜くのは相当辛かったんじゃないだろうか。

まず、真っ先に読んでて辛い気持ちになるのが、性的虐待の場面だった。子どもから見た『わからなさ』を踏まえている恐ろしい描写に衝撃を受けた。こんな奴は許せない、と本気で思わされるくらい徹底的に描かれていた。微妙な気持ち悪さの積み重ね方がまたエグい。そして、周囲の理解の無さがまた酷かった。しかし、現実もこんなもんかもな、と悲しくもなる。人を性別と容姿で判断し、常識で縛ることが人をモノのように扱う第一歩となっている。

そして、「地球にやってきた宇宙人が地球に住む日本人を見たらどう思うか」をシミュレートしていく部分が圧巻だった。あのラストは想像がつかない。考え抜いていくと、あんな事態になる場合もあるんだ、と驚く。ラストの描写は地球星人から見るとゴア描写でもあるので、落ち着かない気持ちで読んだ。面白く感じたのは地球星人らしさを捨てると動物に近くなるということだった。やはり、人間は社会性を持って動物を辞めているらしい。

読み始めた時は、人間の多様性などを重んじるならばポハピピンポボビア星人の方が現代の世界の動きに合っているし、自分もそっち寄りかも、と思っていたのだけど、途中で、自分が家庭を持った事実を思うと「ああ、俺もただの地球星人か…」と寂しい気持ちになったりした。

ずーっと自分がどういう人間かを問われているような気がした。俺の中のリベラルっぽい考え方は流行に乗って生まれただけなのかな、偽善かな、でも、弱者が虐げられる世界が嫌だって気持ちに嘘は無いよな、と思考が乱反射して小説から遠ざかったりした。

それでも、どうにか小説に戻ってきて読み進めた。『終わりの始まり』の直前に、どんな星人も他者との繋がりを求めるのかな、と思えるような、とても穏やかな時間がある。その場面は何だかとても切ないのだけど、他者との繋がり方への僅かな希望を感じた。

地球星人

地球星人

 

 

3/18〜4/2

ラテンアメリカ五人集』(作:ホセ・エミリオ・パチェーコ、マリオ・バルガス・リョサ、カルロ・フエンテスオクタビオ・パスミゲル・アンヘル・アストゥリアス/訳:安藤哲行ほか)、読了。

既存の文学を革新したいという野心に満ちている作品が多かった。

その中では、オクタビオ・バスの詩や、ミゲル・アンヘル・アストゥリアスグアテマラに伝わる伝説を描いた短編は、率直に言って俺には難しかった。どちらも強烈なイメージの奔流みたいなものは感じたが、頭の中に入りづらかった。原文との差による問題もあるのかもしれない。

小説は楽しく読めた。とても刺激的だった。

パチェーコが『砂漠の戦い』で描いた少年の繊細な心の動きには、妙に感傷的な気分にさせられた。場所が映画『ROMA』と同じ舞台だったので想像しやすかったこともあるか。フエンテスの『二人のエレーナ』に描かれている生々しい妖艶さにはドキドキした。展開だけ追うと昼ドラみたいな印象も受けたが。オクタビオ・パスの『青い花束』の不気味さは良かった。メキシコの夜の闇は深そう。気候の印象もあるのだろう。冷気を感じさせるような不在の不安による不気味さではなく、高温多湿な中で何かが蠢く不気味さだった。

その中でも、やはり一番印象に残ったのはリョサの『小犬たち』だった。豊崎由美氏の解説的な鑑賞エッセイも素晴らしくて、最初に読みづらかった理由が『誰がしゃべっているかわからないから』だったのかと納得できた。『僕たち』と語る誰かがいるような気がしていたが、そんなことはなかったのか。この『誰が喋っているかわからない』という状態から、保坂和志の『プレーンソング』を思い出した。この作品では、この状態のまま、状況自体が語るかのように、テンポよく進んでいく。小犬みたいにじゃれあってる彼らを取り巻く情景はとても眩しい。そして、やはりその輝きは失われていく。青春が始まった時からそれはわかっていたことだったけど、それは切ない。時の流れの残酷さを容赦なく振り下ろすラストはカッコよかった。ちょっとマルケスの『百年の孤独』のクールなラストも思い出した。それはラテンアメリカ文学という情報に引っ張られているのかもしれない。

そういえば、解説にもあったように、ラテンアメリカ文学についてまわるマジックシュルレアリスム的要素がどの作品にも無かった。これは新鮮な発見だった。

ラテンアメリカの文学 ラテンアメリカ五人集 (集英社文庫)

ラテンアメリカの文学 ラテンアメリカ五人集 (集英社文庫)

 

 

3/13〜3/18

『20億人の未来銀行ニッポンの起業家、電気のないアフリカの村で「電子マネー経済圏」を作る』(合田真)、読了。

プレゼン資料のようなまとめ方をした本で、結論を章題にして各章で内容を説明するという形式になっていた。詳しくないのでわからないけれど、ビジネス本はこういう本が多いのだろうか?内容的にはエッセイにもノンフィクションにもできただろうが、『事業内容』と『その事業をやる理由』が一番言いたいことだったのであれば、これが最適な形だったのだろう。

読み方にも自分の得意な形というのがあるようで、自分は作者の体験したノンフィクションとして読んだ。その過程で、フィンテックや通貨の今後を想像しながら楽しんだ。

かなり刺激を受けた。世界をより良くするための仕事を着実に進めているのが単純に素晴らしい。自分のことを振り返ると、そういう理想らしきものは持っているかもしれないけど、できていない。

また、現状の世界の在り方を、筆者が噛み砕いて解説する部分もとてもわかりやすかった。食糧・エネルギーをうまく皆に回すための『ものがたり』である通貨・金融が、現在の資源に対してうまくフィットしていないのでは?という指摘には、感覚的に頷ける部分があった。資源拡大期と資源制限期があるという時代の流れも、同様に理解しやすい。

少数の企業や人による富の独占・集中が世界を良くするとは、俺にも思えない。その格差をデジタル技術が是正できるはずだったのに、結果的にGAFAのような資本主義王国が誕生しただけになってしまった。それらへのカウンターとしてのフィンテックが、世界を良くする可能性を信じたい。

 

3/4〜3/12

『献灯使』(多和田葉子)、読了。

3.11の震災と原発事故にビビッドに反応していて、もの凄くたじろいだ。頭の後ろの方か、胸の下の方に、何かどんよりと重いものが溜まったような感じがする。吉村萬壱の『ボラード病』を読んだ後味に近いけれど、より複雑に思い悩む種を植えつけられた気がする。

この本について、高橋源一郎が平成をテーマにしたラジオで話してたり、小袋成彬がラジオで不意に話してたりしてた上に、全米図書賞を受賞しているというので、気になって読んでみた。

震災が起きた日本と繋がる世界観を緩やかに共有した作品の短編集だった。『献灯使』が顕著だが、全編に共通して、最後の方がいつの間にかぶわっと拡散するような展開になっていて、曖昧だけど強烈な印象が残る。

表題作『献灯使』は、震災後の日本を極端に戯画化したSF的な物語だった。パラレルワールド的に現実と乖離させながらも、不意に現実と交差させて対照する思考実験のようになっている。

死ねない高齢者・義郎と病的にか弱過ぎる若者・無名の対比は、読んでいて落ち着かない気持ちになってソワソワする。どうしても自分は義郎側に近い感覚があって、単純に震災と原発事故には悲しみや怒りを覚えてしまうし、直接的な被災者の人達に安易な同情をしてしまうが、それらとは無関係に無名は生きている。失われたものが多く、変わり果ててしまった現実を受容して、というより、それしか知らずに無名は普通に生きている。この無名視点が描けるのが凄い。読めば読むほど、日本に生きているのに、自分に足りない当事者意識を自覚させられて辛い。

また、政治も社会全体もギャグみたいな事態が着々と進行してしまうという描写は、実は現実とそんなに変わらない。すぐにそのことに気づいて、思わず苦笑も出るが、悔しくなるし、反省もするし、逃げたくもなる。全編にわたってこのテイストがあって、その鋭さが恐ろしい。

それにしても、全米図書賞を受賞したというが、この漢字を使ったギャグのような部分やダジャレみたいな部分はどう訳されているのだろう?海外では風刺小説として楽しまれているのだろうか?『万引き家族』がカンヌのパルムドールを獲ったのと似たような評価だろう、と想像する。俺も、ここで描かれている日本は、世界中に知られた方がいいと思う。

献灯使 (講談社文庫)

献灯使 (講談社文庫)

 

 

2/8〜3/1

岡潔 数学を志す人に』(岡潔)、読了。

大変読みづらかった。

愛国主義的な考え方や、男女差別的な考え方が描かれる部分は、当時の世相をよく映しているけど、時代を超える普遍性は無いように思う。

教育についての部分も全てが良いとは思えないけど、「まず情緒を養う」「他者に優しくするように育てる」の部分は納得できた。

数学者の文章か…と難しさを覚悟していたが、日本の四季折々を慈しむ老人の穏やかな文章だった。思い返すと、難しさを期待していたところもあったのかもしれない。

納得できるところとできないところが入り乱れていて、他者との会話らしい読書体験となった。

そういえば、戦後の『アメリカが3つのSを流行らせて日本を弱らせようとしている』という噂の話は面白かった。SportsとScreenとSexは、今も見事に流行っている。

岡潔 数学を志す人に (STANDARD BOOKS)

岡潔 数学を志す人に (STANDARD BOOKS)

 

 

1/17〜2/20

『水中翼船炎上中』(穂村弘)、読了。

短歌集も詩集も殆ど読んだ経験が無い。音読がいいのかな、リズムをつけて読むといいのかな、いや、やっぱり黙読の方がいいのかな、とか楽しみ方を試行錯誤しているうちに読み終わってしまった。

穂村弘のことは少し知っていたが、意外と不気味な歌もあるんだな、と思った。「短歌の高尚で堅苦しいイメージを変えるために、ゆるくて軽い感じのアプローチをしてるに違いない」と何となく思い込んでいたようだが、それだけではなかった。表現として新しいものを目指してる感じがした。「こんな言葉を繰り返すの…?」と驚く反復表現や、「わざわざこの言葉に文字数割くの…?」という言葉選びをする歌と同じ並びに、ゆるくて軽いのもある。

全体的にオフビートな映画を観たような気持ちになった。思い浮かぶのは山下敦弘。時々はホラー映画。

名久井直子氏の装丁も良かった。歌集や詩集は、ずっと手元に置いておけるような、時々読み返したくなるような、そんな装丁にしてあることが多そう。

水中翼船炎上中

水中翼船炎上中

 

 

1/23〜2/8

夏への扉』(作:ロバート・A・ハインライン/訳:福島正実)、読了。

タイムトラベルを扱ったSF小説の初期名作なのだろう。時の流れを運命論で捉えて覆せないパターンのようだが、その現象にあまり自覚的でも無く、悲観的でもない(この頃は時間の分岐やパラレルワールドみたいな理論は無かったのだろうか)のは、なかなか見ないパターンかもしれない。

最初ピンチで最後は全て上手くいくので、物語として痛快だった。タイムパラドックスなどが起きそうな事例も多々あるが、少なくともこの小説内では綺麗に完成している。前半の様々な伏線が後半のあるギミックで回収されるのは、若干反則気味には思えたけど。

主人公が、様々なトラブルにも負けずに頑張っている姿が、魅力的に描かれているので、応援するような気持ちで先が気になるようにできている。特に、作家の信条の反映かもしれないが、彼が猫のピートに常に敬意を払っているのが、とぼけてて面白い。家事の面倒くささの描写や、女性を尊重した眼差しは現代的だった。

主人公が、結局、人を信じないと人は生きられない、ということに気づくシーンは唐突だけど、グッとくる。

そして、猫の自由気ままさも楽しく読める。

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)

 

 

1/9〜1/22

スクリプトドクターの脚本教室・初級編』(三宅隆太)、読了。

希望の書だった。これ読めば誰でも脚本が書けると思う。面白いかどうかは別にして。

ラジオの語りのままの文章で、説明が丁寧。あれは大学の先生+カウンセラー的な語りだったんだな、と納得もした。

『脚本と脚本家の関係が密接である』という前提には疑う余地は無さそうだが、ここまでだとは思ってなかった。脚本を救うこと=脚本家を救うことになっているのが面白い。そう考えると、逆に脚本を書くことが一種のアートセラピーにもなり得るのだろう。

脚本を書く方法も救う方法も、順序立てて論理的に説明していて、納得するところが多い。

教育論としても面白い箇所が多くて、相手の言うことを全て「それは関係ない」と切り捨てずに傾聴する姿勢は、生徒に向き合う先生として、子に向き合う親として、必須だと思った。相手が何について『関係ある』と思ったのか、聞いていきたい。

後半のスクリプトドクターとしての実践的な話は、スクリプトドクターを目指していない自分には無関係に見えるが、読んでいけば仕事に対する姿勢を学べるくらいには一般化できる内容だった。やはり「それは関係ない」はあんまり良くない。

作品から逆バコ起こしして、逆バコから課題作って、たくさん練習して、脚本を書いてみたくなった。

スクリプトドクターの脚本教室・初級篇

スクリプトドクターの脚本教室・初級篇

 

 

1/5〜1/12

『cook』(坂口恭平)、読了。

料理を作り始めた日々を記録した本。レシピ集ではないので、これを読めば料理ができるという本ではない。

でも、読めば料理を作る意欲が湧く。その意欲はそのまま生きる気力となる。と坂口恭平は楽しみながら書いている。

料理に初めて接する人だけが感じられる言葉が記録してあるのが面白い。ベーコンエッグはベーコンを焼いた油で卵を焼くのが良い、みたいな言葉にはワンダーが溢れている。

手書きの備忘録や、考えられた盛り付けだけど凝りすぎていない料理の写真には、手作りの気持ち良さも詰まっている。他人の手書きの文章でまとまった量を読んだのは、久しぶりかもしれない。手書きの文字には情報量が多くて読むのに時間がかかる。その気づきは新鮮だった。

あとがき的な料理についての文章には、何だか同じところをグルグル回るような感覚があって、面白かった。 

cook

cook

 

 

2018/11/29〜2019/1/8

『島の果て』(島尾敏雄)、読了。

『死の棘』の作家という認識はあったけど、こんなに壮絶な戦争体験をしていたのは知らなかった。1年半もの間、特攻で死ぬための準備をして、ギリギリで終戦になって特攻が中止になる。この体験の異様さは想像を絶する。しかも、その体験が特攻隊長だった人の視点で語られるのも、非常に珍しいだろう。読んだことがない。

この本は、その体験をベースとした半自伝的な短編集だ。

各短編は書かれた時期も違うので、微妙にテイストが違う。

『島の果て』は幻想性が強くてドラマチック。『徳之島航海記』は当時の部隊の様子が克明に記されていて、かなり人間くささを感じる。『出孤島記』『出発は遂に訪れず』『その夏の今は』は特攻の準備をするも終戦で特攻しなかった主人公の極限の精神状態を、執拗に記録している。

全体を通して読むと、奄美大島のエキゾチックで幻想的ですらある自然の中に、無理矢理介入してきた戦争の奇妙さが歪に際立っている。その超現実的な世界の中で、主人公とトエ(名前は様々。後の妻)が重ねた逢瀬の激烈な感情には圧倒される。死の予感がそれを強調していた。

更に、終戦の『発生』(という感じだった。自然現象のようだった)がもたらす様々な影響は、今まで想像したことがなかったと気づいた。終戦を知った上で特攻する人の可能性なんて考えた事もなかった。

終戦を機に、次第に精神状態をむき出しにしていく人々の様子が生々しく描かれていて、じわじわと不安になる。人々が戦争前の人間に戻ろうとする反応も、その反応に戸惑う主人公の気持ちも理解できる。戦争状態にとにかく無理があったとわかる。

想像していたより読むのに時間がかかった。心理描写が風景描写のようであったり、その逆であったりして、それに出くわすたびに何度も読み返すことになった。死を覚悟する心理描写の部分は、凄まじい迫力で一気に読まされた。

島の果て (集英社文庫)

島の果て (集英社文庫)

 

闇に堕ちる

レストランを出て、下に降りるエレベーターに皆で乗った。しばらくすると、窓から入っていた日光が壁に遮られた。暗くなったその瞬間、3歳の息子が言った。

「やみにおちるよ…」

 

 

息子は順調に育っているようだ。

『闇』という言葉は、ウルトラマンで覚えたのだろうか?いや、仮面ライダーか?あ、戦隊シリーズ

『室内が暗いエレベーターが下降する=闇に堕ちる』という連想はそんなに悪くない。大袈裟過ぎる表現に伴う中二病っぽさが面白いわけだが、3歳で中二病ってむしろ成長し過ぎなくらいでは。

息子の語彙力と理解力が上がっていて、面白い発言は増えている。「まいにちまいにち、あさよるあさよるあさよる、いやだ!」と叫んだのも良かった。息子曰く「朝夜交互に来なくてもいいじゃん」ということらしい。言われてみればわからんでもない。

 

 

一方で、妻は順調にジャニーズオタクに育っている。

以前から大晦日ジャニーズカウントダウンコンサートの放送を熱心に見たりしていたので、素養はあった。自分も聞きかじったグループを面白半分でオススメしたりしていたが、こんなに本格的にハマるとは思っていなかった。気づくと、あるグループのファンクラブに入って、地方のコンサートチケットの抽選に応募して、当たる前からホテルを確保していた。その本気度に驚いた。

堕ちるのは一瞬だ。

こちらは闇より沼という表現が合いそうだが。ちなみにチケットの抽選にも一瞬で落ちた。

ここで、俺は自分の感情を確かめてみた。妻がジャニオタになることについて、自分はどう思っているのだろうか、と。

最初、何かモヤっとする感じがしたので、そのアイドルへの嫉妬に近い感情が起きているのか?と推測した。アイドルを追いかける感情が疑似恋愛に近いイメージがあるのかもしれない。究極的には、ファンはアイドルを性的対象として見ているのでは?などと考えた。

しかし、それは男性が女性アイドルのファンになるパターンで多い例なのかもしれない。女性アイドルが恋愛禁止を謳う例は、ファンにアイドルとの疑似恋愛を推奨しているためだろう。勿論、これらの推測自体も偏見に満ちている。

と、一般論について悶々と考えたところで意味が無い。結局のところ、「彼女がどのようにアイドルを愛でているか」が重要なので、彼女の行動を見守ってみた。

なるほど。どうやら母親のような視点で楽しむ要素も強いようだ。美しい少年達がスターになっていくのが嬉しい、らしい。

それにしても、見ているうちに可哀想になってきた。好きなアイドルが出ているという理由だけで、こんなつまらないバラエティ番組やドラマを見なければならないのか。修行か、苦行だ。あ、つまらなくないのかな。いや、彼女もつまらなそうだ。iPhoneをいじりながら流し見している。

しかし、彼女はまだジャニオタであることに照れているので全てポーズの可能性もある。仮に、本当に彼女がつまらないと思っている上で見てているならば、なんでこんな苦行に耐えられるのかがわからない。

しかし、それは自分がアイドルに本気でハマったことが無いからかもしれない。

とも思って対抗して異性のアイドルを好きになれるか検討してみたが、やはりノれなかった。昔、ももクロならイケそうな気もしたのだが。思い返してみれば、特定の人物のオタクになって、この人の作品を全部買おう!となったことが無い気がする。

ああ、きっと他者の目を気にしているんだな、俺は。オタクへの偏見を持っていて、カッコつけてるのね。我を忘れてのめり込むのカッコ悪いと思ってんのかな。ダサいじゃん。落ち込むよ。

何はともあれ、『わからないからと言って、他者の好きなものを否定してはいけない(犯罪行為は除く)』という信条を持っているので、堕ちていく妻を温かい目で見守るしかない。

 

 

堕ちる、と言えば、先日、喫茶店で不思議な集団を見かけた。

その日は、久々に時間があったので、都内の喫茶店で読書をすることにした。

案内された席は2人席で、窓に向かって座った。

隣のテーブルが近いのは気になった。そこには男性が3人いて、窓を背にする男が先輩面して対面の二人に熱心に語っていた。その先輩風の人は 20代前半くらいに見えた。髪型は側面を刈り上げた短髪で、上半身は白シャツの上に茶のベストを着て、下半身はベストとセットアップのスラックスを履いていた。対面の二人は彼より幼い感じで、カジュアルな格好だったので大学生くらいに見えた。そのテーブルを見て読み取った情報から、【大学生の後輩がサークルの先輩(社会人?)に就活の相談をしてる】と推理した。『名探偵コナン』を読んで培った観察眼が役立った。

先輩風の男がノートに色々と書いて見せながら、偉そうに喋っている。

「死ぬまでにどれくらいお金がかかると思う?」

「結婚はしたい?子どもは欲しい?そっか。2人ね。そうなると、こんなにかかるんだよ!」

聞く気が無くても耳に入ってくる。読書に集中できない。それにしても、この『スラムダンク』の赤木みたいな髪型の先輩、偉そうに語ってるなあ。そんなに偉いのかな?

「じゃあ、社会では何が大事だと思う?三つあるよ。まず、『課題解決能力』。じゃあ、それはどうやったら身につくと思う?次に、『カリスマ性』。じゃあ、それはどうやって?最後に、『コミュニケーション力』。じゃあ、それは?」

って感じで延々と諭すような口調で話していて、徐々に違和感を覚えた。

俺の推理が…間違っている…?

先輩風の男が、『お金』と『課題解決能力』と『コミュニケーション力』と『カリスマ性』を得るための方法を教えてあげよう、と言って、一呼吸置いた。

「NBって知ってる?」

…ん?何だろ?わからない。後輩風の2人の男も知らなそうだった。「ニューバランスじゃないよ!ははは」と先輩風が軽口を叩いてから言った。

ネットワークビジネス!」

胸の奥がざわつき始めた。店の入り口にあった『サークル・マルチの方はご遠慮いただきます』の看板を思い出した。NBはマルチだろ!遠慮せずにいるじゃん!

先輩風は2人に話し続けた。

ネットワークビジネスマルチ商法じゃないよ。完全に合法だから。ちなみに、マルチ商法ってどういうイメージがある?」

後輩風の1人がおずおずと答えた。

アムウェイみたいな…。」

先輩風は「あー、『マル』ウェイさんね!はっはっは」と笑い飛ばした後、「全然アムウェイの肩を持つわけじゃないけど、売ってる商品はイイものなんだよね」とまた諭すように話した。先輩風は、何やら「価値」とかそういう単語を混ぜながらひとしきり話した後、ちょっと電話してくる、と外に出て行った。俺は少しホッとした。

しばらくして、隣り合って座っている後輩風2人が話し始めた。

「そのシャツ、カッコいいですね…」

「あ、そうですか?ありがとうございます…」

え?あれ?ここも初対面!?NBの人はどうやって勧誘する相手を連れてくるんだろう。しばらくの間、2人は服の話をしていた。「友達には馬鹿にされるけど、自分は結構アヴェイル好きです」アヴェイルはファッションセンターしまむらの別名義ブランドだ。しまむらは地方都市にあるイメージなので、関東の地方都市に住む若者なのかな?っていうか、その言い回し、グッとくるな…。『2人とも職場には40代や50代のおじさんしかいなくて、飲みに行ったりとかしない』という話をした後、「この話、どうします…?」みたいな相談が始まった。あ、やっぱりちょっと疑問は感じてるのね、がんばれ、騙されるなよ!「やっぱりいきなりは決められないので、資料とかもらいましょう」という結論を2人で出してて、俺は隣で、うんうん、と頷いた。

先輩風が席に戻って来た。第一声は「なんか聞きたいことある?」だった。2人が勇気を出して「資料とかってありますか?」というと、先輩風が「資料か〜、資料ね〜」とか散々勿体ぶった後、「何が聞きたいの?」とまた尋ねた。それを聞いて、耐えられなくなった俺は店を出た。

この勧誘にはマニュアルがありそうだ。

 

  1. 将来の不安を煽る
  2. とにかく質問して、自発的に答えさせる(もしくは、そのように錯覚させる)
  3. 資料を渡さない

 

というテクニックが垣間見えた。

この先輩風も似たような勧誘を受けたのかもしれない。先輩風も単なる加害者とは言いづらい。負の連鎖。後輩風2人に「騙されない方がいいですよ!」とか言った方が良かったのだろうか?いや、赤の他人にそんなことはできないだろう。

NBの闇に堕ちそうな人を見て見ぬフリしてしまって、気持ちが闇に堕ちていくのを感じた。

2018年後半に観た映画の記録

総じて昨年より観た本数は減った。

代わりに、何をしていたのか。

時々料理を作ったりした。

アニメも結構見たかもしれない。

まあ、仕方ない。

 

『ヘレディタリー/継承』を映画館で観られたのは幸運だった。

 

以下、遡る形で振り返る。

きっとネタバレはしている。

 

12/5~12/17

『フリント・タウン』(ザカリー・カネパリ&ドレア・クーパー&ジェシカ・ディモック監督)シーズン1をNetflixで観た。

初めて全部スマートフォンで観た。

第1話の冒頭の映像から『劇映画じゃない』という事実を何度も疑った。ドキュメンタリーとして、こんな映像が撮れるのか?

計算ずくでカッコ良過ぎる構図、全然カメラを意識してるように見えない出演者、ここぞというシーンが生々しくよく撮れている映像。これらの要素がこの作品全体をフィクショナルにしてしまっている。それはいわゆるヤラセっぽさに繋がっている気がする。

ちゃんとドキュメンタリーであるとして、パトカーにカメラが入り込んでるのも、現場に一緒に急行しているのも凄い。犯人、被害者、血。これらが現実のものだと思うと、カメラマン大丈夫かな、という緊張感があった。

事件が解決するわけではないというのが不思議なくらい、ドラマ的だった。

また、かなりストーリーが整理されていて、それもフィクション性が高く見えた原因だろう。

ドキュメンタリータッチのドラマが増えたせいもあるのかもしれないが、ドキュメンタリーもドラマに接近しているのだろうか。ドラマみたいなドキュメンタリーというのは少し微妙だな。その手法は、実際にそこで苦しんでいる人の気持ちをちゃんと汲み取れるのだろうか。

思っていたより、警察主体のドキュメンタリーだった。水質汚染の問題は日本の現在に直結しているので、もっと詳しく見たかった。

www.netflix.com

 

12/15

『ヘレディタリー/継承』(アリ・アスター監督)を観た。

観終わってまず、太ももの裏にべっとり冷や汗をかいていることに気づいた。そのせいで寒気が止まらなかった。観ている間ずっと手に汗握っていたことは気づいていた。まだ映画館にいるのに、家までの帰り道にある暗闇を想定して、嫌で嫌でたまらなかった。想像力が刺激され過ぎてバカになっていた。観ている間も、無いはずの風を感じたりした。

ラジオで三宅隆太氏と宇多丸氏が言ってた通り、既にクラシックと思える大傑作だった。

序盤は批評家気取りの少しひいた目線で観始めた。とにかく構図やカメラワークがカッコよくて、家の中や外観の映像は、ニューカラー的なアメリカの写真集を見てるような美しさだった。友人の言っていた『ウェス・アンダーソン的』という指摘も凄くわかる。ミニチュアみたいに家を撮り、横位置で撮り続けたり、カメラのスムーズなドリーなどがその連想を促す。

しかし、徐々に映像に違和感を覚えていく。そして、少しずつ不穏さが入り込んでくる。

まず、最初に小さな違和感が起きたのは、葬式のシーンに詰め込まれた情報量の多さだった。母・アニーのスピーチ、祖母の遺体、胸にあるネックレス、それに気づくチャーリー、それを見て笑う男、そして、誰かが口で鳴らす音。この音はチャーリーが鳴らしていたのだろうが、誰もリアクションしないから観客は疑問に思いながら見続けなければいけない。短いシーンなのに疑問がいっぱい浮かぶようにできていて、その答えを下品に提示したりはしない。

全編通して、答え合わせ的な演出を抑制している。疑問は興味へと変わり、観客はどんどん振り回されていく。

カメラが向く方向に何があるのか?と常に不安になる。

何も無くても、あるように思えてくる。暗闇に何かが映ったような気がしてくる。本当に映っていたのかどうかは、最後までわからなかった。

スリードも多い。チャーリーの存在感は、彼女自身が大暴れする映画になると予想してしまう。ピーターが活躍するとは思えない。少しずつ、観客は予想を裏切られて、あの結末へ向かう。その裏切りの殆どに反則を感じないのと、ちゃんとした展開があるこの脚本は奇跡的だと思う。

演出も見事で、観客を不安にさせるカメラワーク、ピーターの表情だけで時間を持たせるあの悲劇のシーン、位置をくっきり感じさせる鉛筆の描く音や蠅の羽音。

母・アニーは恐怖に怯える顔も相手を恐怖させる顔もやっていて、文句なしの名演。

あまりに多くの情報量だったので、おそらく見逃していることもあるだろう。チャーリーという男っぽい名前、家族と人種が違い過ぎるように見えるピーター、最後の三角形。これらも意図があったように思うのは深読みなのだろうか。

疑問と恐怖を今もずっと反芻している。

hereditary-movie.jp 

 

11/23

ドッグ・イート・ドッグ』(ポール・シュレイダー監督)を観た。

ニコラス・ケイジ主演でウィレム・デフォーとの競演、そして、監督が『タクシー・ドライバー』の脚本のポール・シュレイダー。そりゃ見たい!ってことでようやく見て、なるほど…この布陣なら確かにこんな作品になるよな…でも、俺が観たかったのはこんなんだっけ?えーと…?と微妙な気持ちになった。

ニコラス・ケイジがドラッグ漬けなのを観たのは『バッド・ルーテナント』以来か。相変わらず面白い顔。ぶっ飛んでるウィレム・デフォーもよく見るような…。いや、気持ち悪くて怖くて好きだけど。っていうか、二人はマトモじゃない役ばっかりだな!ああ、この組み合わせ、『ワイルド・アット・ハート』で観たのか。既視感あると思った。

アメリカの貧困層の白人には、儲けている黒人や黒人文化に対して強い憎悪がある。そう描かれていた。かなり白人至上主義が見え隠れしていた、というか。結果的に主人公達は破れるので、そういう思想を馬鹿にしているのかもしれないし、物語的装置として導入しただけなのかもしれないが。

残念ながら、映像にも物語にも新しさは感じなかった。

思慮の浅い男達が、露悪的なまでに強烈な暴力を振るいながら、惨めに情けなく負けていく映画だった。

負け犬達の挽歌。

ドッグ・イート・ドッグ [DVD]

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11/1

アメリカン・スリープオーバー』(デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督)を観た。

子供から大人に変わっていく少年少女の感情の揺れ動く様子が、静かに繊細に描かれていた。

視線のやり取りだけで物語が進められるシーンが多々ある。映画の醍醐味だ。

手や顔や身体のパーツのズームインを、細かいショットで滑らかに挟み込んでいるのに、映像自体が忙しない感じにはなってなくて、とてもうまく抑制して静けさを保っていた。

女の子がかわいく撮れている。最初かわいく見えなかった女の子が、次第にかわいく見えてくるのは、監督の手腕なのだろう。

いくつかの話が同時に展開していく中で、違う話の登場人物を一つのシーンの中で微妙に交錯させる。その映像とその効果が面白い。観客は少しずつ登場人物の人間関係を把握できるようになっていく。

双子の女の子にその同級生の兄が会いに行く話は、なかなか変わった展開をしていて、先が読めなかった。最初は兄の挙動の痛々しさにヒヤヒヤしっぱなしだったが、最終的には気持ちを不器用に確認し合うやり取りに美しさを感じた。

彼氏と同級生の浮気を知った女の子が同級生に仕返しする話では、最後の彼氏との大人っぽいやり取りに、子ども時代の終わりを感じて切なかった。

誰でもいいから性的な体験をしたいように見えたロブは、最後には相手を大事にする気持ちを得ていた。マギーも同様の成長をしていたが、その成長に切なさを感じた。大人になってしまった。

子供は大人になりたがるけど、大人は子供が大人になることを、切なく感じてしまう。

戻れない時間が詰まっていた。

www.americansleepover-jp.com

 

9/30

エウレカセブン ハイエボリューション1』(京田知己総監督)を観た。

このインタビュー

https://www.cinra.net/interview/201802-eurekaseven

を読んだことと、2の副題がANEMONEだから見てみた。

テレビシリーズを見たのは10年以上前で、当時と感じ方が変わった。当時はエヴァの強い影響下にあるフォロワーか、もしくはパクリに見えるけどなんか気になる…って感じだったが、このインタビューを読んだことで、エヴァだけの話ではないし、あれほど露骨に真似しているのは、音楽用語の『サンプリング』に確かに似ていると気づいた。キャラクターの名前は丸ごといろんなところから持ってきていると気づいていたが、キャラクターの境遇や作品の世界観まで、いろんな要素をわかりやすくハメ込んでいた。

戦闘やメカのワクワクする動きとキャラクターデザインが良くて、そこでオリジナリティを作り出している。またインタビューの表現に沿っているが、この映画自体はテレビシリーズのリミックスというのがしっくりくる。テレビシリーズでの色んな要素をうまく繋いで良いとこ取りできるようにしている。

しかし、いくらなんでも時間軸イジり過ぎじゃない?今まで見ていた人は内容の相違に混乱するし、初めて見る人も追い切れないだろう。

物語としては導入でしかなかった。トレインスポッティングの要素を強く感じた。2作目でどこまでテレビシリーズからアレンジしていくのかは気になる。

 

9/19

ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(クリストファー・マッカリー監督)を観た。

映画の原初の機能と言える気がするが、この鑑賞は、ただ観る体験では無く、アトラクション的な体験だった。

ド派手なアクションをやるためにストーリーがあるような場面が多くて、全体的にはハチャメチャな印象だったけど、映画館で見るならこれでいい。特にヘイロージャンプについては、「この作戦要る…?」という疑問を強く感じたけど、いや、これでいいんだ。見ててハラハラしたから。高速で走るバイクでのチェイスも、前代未聞のヘリでヘリを追うヘリチェイスも、手に汗握りながら爆笑し続けた。

でも、これが臨界点かもな…。次はどう見せるんだろう。宇宙空間とか、海底とか…?楽しみではある。

イーサン・ハントのアイデンティティに迫る部分の話はなかなか面白かった。確かに、彼が世界を救う動機は意外と描かれてなかっただけに、見直す良い機会だったかもしれない。

それにしても、最高級のドラッグバカムービーだった。 

paramount.nbcuni.co.jp 

 

9/5

寝ても覚めても』(濱口竜介監督)を観た。

映画館を出た直後のカップルがいたのだが、男が「はぁ〜!?」と言って、女が笑ってた。とても率直な感想で良いと思った。話の展開だけを追えば、こういう感想で然るべきだと思う。

俺も原作小説を読んだ時には、あのシーンで「えー!?」と叫んだ気がする。しかし、小説と映画で感じ方は大きく異なる。小説では朝子主観で心の動きを見た上で驚いたし、その驚きに不思議な感動があったが、映画ではその心の動きを外側から推し量るしかなくて、それが難しいので唐突に行動したように見えた。そのわからなさは恐怖映像のようでもあった。

そんな風に、全体的にホラーのような演出が多々あった。ビルの上から朝子を見た亮平が朝子に見返されるシーン、麦が唐突に家に来るシーン、朝子が亮平を追いかけるシーン。これらはホラー演出のようだった。家に来た時は幽霊のようだった麦が、実体化したように唐突にレストランに来るシーンは鮮烈で、とにかく怖くてカッコよかった。原作との相違の中では、そこが一番面白かった。怖く見えるのは、恋というもの全般の怖さを表しているのかもしれなかった。

全体的に誰かが誰かを追うシーンが多かったような気もする。車に追いすがるようなシーンも面白くて、外と中の断絶がはっきりしているのがコミュニケーションの機能不全を表しているようだった。

マッサージのシーンの丁寧過ぎて何か含みを感じてしまう描写も良かった。どうしても性行為っぽく見えるんだな。

皿を洗いながらプロポーズするシーンの、生活感の混じる恋愛表現も面白かった。

パンフレットを読むと震災の話を盛り込むのは必然に思えたが、観ている間は違和感があった。

渡辺大知の普通のお調子者感がすごく上手かった。朝子は亮平と話す時だけ棒読みっぽいというか演技っぽい喋り方になるのだけど、全体的に感情が読み取りづらくて、それがまたホラー要素を強化しているようだ。

ラストシーンに含まれる、雲と光が動く中で川沿いを走るロングショットは最高。ラストショットの不気味さも良かった。

本当に変な映画で面白かった。

netemosametemo.jp

 

8/25

『カンタ!ティモール』(広田奈津子監督)を観た。

例によって、俺は東ティモールのことを殆ど知らなかった、と観始めて気づいた。相変わらず俺は無知。

冒頭は楽しげな歌と子供たちの笑顔の映像が溢れていて、とても幸福な時間だった。

でも、やはりその幸せの裏には、独立戦争による悲惨で壮絶過ぎる辛い経験が横たわっていて、大人達は皆その過去を噛み締めた上で未来を見ようとしていた。飽くまで忘れてはいない。東ティモールどころか、世界平和を願うような純粋な振る舞いには胸打たれる。

という映像にはなっていた。

しかし、主役級の男のアレックスの怒りや悲しみがわかる映像はほぼ無いし、独立のために戦っていたゲリラ軍が本当に残虐な行為をしなかったのかはわからない。皆があまりに聖人に見えて、その疑念は微かに感じたが、どうなんだろう。あまりに穿った見方かもしれない。

それでも、この映像を見て、日本が経済的なメリットを理由にインドネシアを援助していた、といういかにも日本的な活動には、憤りを覚えた。

自分たちの周りを良くすることが世界平和に繋がる。それは間違いないだろう。

また、余談になるが、今まで見てきた作品がたくさん想起された。

インドネシア側の暴虐ぶりからは『アクト・オブ・キリング』。あれに出てたような人達がやったんだろうなあ。『オンリー・ゴッド』も思い出したが、あれはタイだった。それでも、残酷性で結びついたんだろう。ティモールの皆が信じるルリックという自然信仰からは諸星大二郎の『マッドメン』。あれはパプアニューギニアだけど、見えないものへの信じ方が似ていた。独立戦争の経緯を見ているうちに、高野秀行の『謎の独立国家ソマリランド』も思い出した。国連はただの会員制の高級クラブで、無条件に正しいわけじゃない。日本の経済援助が悪影響を及ぼすこともある。それは肝に銘じる。インドネシア東ティモールの女性に強力な避妊薬を投与しようとしたという話は、『地下鉄道』で白人が黒人女性に不妊手術を促すシーンを思い出させた。どちらも出生率のコントロールを意図している。どこの国でも人を虐げる方法は似ている。

こんな風に頭の中でぐるぐると思考を巡らせながら観終えた。見た後も、やっと目に入った非常にシリアスな問題について、心を痛め続けているし、出来ることを探しながら悩んでいる。

www.canta-timor.com

 

8/23

悪魔のいけにえ 40周年記念版』(トビー・フーパー監督)を観た。

想像より何倍も凄かった。40年経っても耐え得るクオリティってすげえ。

かなり細かくカットを割っているのだけど、固定の映像に自然に手持ちが混ざっていて、その瞬間が来るたびにそのドキュメンタリーっぽさにドキドキした。

カメラの動かし方も面白かった。ローアングルから上方に向けたカメラで後ろから人をゆっくり追うシーンが二回ほどあったが、サリーが館に入る時に、館が異様なほど大きく見える映像は超現実的で感心した。また、サリーがトラックで連れ去られるシーンでは、カメラが前に行ってから後ろに下がってまた前に行くという不思議な動きをしていて、「何かが起こるのか…?」ととても警戒してしまった。恐怖の表情もよく捉えている。サリーの表情は演技に見えない。

音響に関して言えば、金属を引っ掻くような生理的に嫌な音が恐怖心を掻き立てた。

脚本も素晴らしい完成度だった。ホラーやスプラッターは夜の暗闇が舞台というのがセオリーだと思っていたので、真夏の真っ昼間からレザーフェイスが出てきてめちゃくちゃ驚いた。明るい時間でも怖い演出はできるんだな。沈む夕日も怖い。途中で家族らしい振る舞いを始めるシーンの不気味な可笑しさも良かった。レザーフェイスの一家があくまで人間であることが、恐怖を増大させる。追ってくるチェーンソーがうるさいのも面白い。

演出も細部まで行き届いていて凄い。最初に出てくる狂人の演技がうまくて、何をやるかわからない不穏さにドキドキした。鉤爪に生きた人間を引っ掛けるシーンは見るからに痛く感じた。口にボロ雑巾を突っ込まれる行為の生理的な嫌悪感も半端なかった。美術もぬかりがなく、骨と毛皮と羽が気持ち悪い。動かないと思っていたジイ様の醜悪過ぎる動きもヤバかった。ラストのサリーの笑顔と笑い声は目と耳に焼き付いて離れない。狂人が増えてしまった。

どれも真似できないオリジナリティで、一部分でも真似すればすぐにパクリに見えるアイディアばかりだった。

ひっくり返ったアルマジロは不気味だけどかわいかった。叙情的に暑さを感じさせる映画でもあった。

衝撃が反響し続けててまとまらず、ぶつぶつと箇条書きでしか書けない。

 

8/12

『劇場版仮面ライダービルド Be The One』(上堀内佳寿也監督)『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャーen film』(杉原輝昭監督)を観た。

『劇場版仮面ライダー~』は、予算も潤沢そうで、ゲスト俳優も豪華だし、投入されているエキストラの人数も多いし、ショッピングモールをフィールドとして贅沢に使っていた。

エスカレーターで仮面ライダーが戦うのは見たことも無い映像だったし、ゾンビ映画じみたホラー演出も面白かった。

しかし、テレビの本編同様つまらないシーンも多い。ずーっと暗いテイストの映像とやり取りが続く。それだと見づらいとわかっているようで、時折、照れ隠しのような悪ふざけのようなギャグを挟み込むが、それがあまり笑えない。

それと空から俯瞰する映像も多用しまくっていたが、不要じゃないか。単純に飽きる。

とにかく主人公は一人で悩む。それも見るのに堪えない。

何より戦闘が単調で面白くない。力に対して新たな力で対抗するのを、敵味方で交互にやってインフレしていくというストーリーのせいだろう。CGを多用しているせいでアクション的な限界も感じられず、どうでもよくなってくる。制約は大事なのだと改めて思う。ラストシーンでは敵と味方のビジュアルが似過ぎていて、結末に全く興味が持てなかった。

『快盗戦隊ルパンレンジャー~』の映画は予想外に良くて、アイディアに満ちているアクションが映画の出来を端的に表していた。

このアクションの面白さにはテレビ本編でも時々驚くのだけど、今回はいつもにも増して『アベンジャーズ』以後の作品だというのがよくわかった。アクションがそのまま快盗と警察の関係性を示している冒頭のシーンだけでも、映画館で観る価値があった。

アクションパートは大きく分けて3部あり、どれも面白いのだけど、最初と最後を比べるとアクションが大きく変わっていて、その関係性の変化も示している。いかにも映画的で良い。

同時に、全体的にポップな色彩設計(敵の世界のおどろおどろしい表現でさえもその設計に準じていた)とテンションは、子供向けとしてもちゃんと見やすかったように思う。 

www.build-lupin-vs-pato.jp


8/8

カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督)を観た。

この大ヒットの理由は「ネタバレを知らずに見た方がいい」という気になるクチコミが拡散したのと、もう一度見たくなる内容なのでリピーターが多いから、と推測した。

観終わって、いたく感心した。前評判通り脚本がとても良くできている。三谷幸喜を思い浮かべる人が多いと聞いてたけど、俺が思い浮かべたのは宮藤官九郎だった(内田けんじという人も思い浮かんだけど、クドカンの方が近い)。特に『木更津キャッツアイ』だった。こっちの方が資質は近い気がするが、どうだろう。

しかし、脚本が良く出来てるだけでなく、その演出に、映像の現場での叩き上げ感があって、それがとても泥臭い感じがして良かった。全ての映像制作の大変さと楽しさを高らかに宣言している内容で、感心だけでは終われず、感動せずにはいられなかった。

まず、何もわからずに最初のAパートを見ていると、変な間や微妙なカットが連発で頭の中にたくさん疑問符がつく。しかし、その悪手が謎解き編のBパートでいつの間にか見事な好手に変わっている(『ヒカルの碁』みたいな表現にしてみた)。それが、とてもスッキリする快感。それはAパートとBパートでギャップがあればあるほど気持ちよくて、演技している役者とその役者の素顔の落差や、意図していた演出と事故との差異など、観るべきところはたくさんある。

そして、その演出は細部にまで行き届いていて、何度も観たくなる。あの一発撮り・生中継というルール設定は、この映像に事件が起きるために相当考えられていて上手い。プロデューサーがプロジェクトTシャツを着ないで部外者っぽいという設定は、最後に皆が力を合わせるシーンへの布石になっている。という具合に、終始とにかく細かい伏線が張り巡らされている。

そして、この映画は『映画に起きる魔法』を信じている。当初の意図とは変わっていても、不運や事故があったとしても、結果良いものができるということは、きっと多々ある。映画はカメラが捉えたものが全てだけど、その舞台裏にはいつもこんな汗と涙が滲んでいるんだと思うと、全ての映画が愛おしくなる。そう思わせてくれる。

予算が増えたらどんな映画を作るのだろうか。次回作は気になる。

後から聞いたライムスター宇多丸氏の映画評にあった「フィクションとメイキングがシームレスに折り重なっている」という表現にはとても納得した。メイキングにも作品と言えるほど面白いものはある。その面白さまでぶっ込んでいたのか。 

kametome.net

 

8/8

Netflixで『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』(ジェンジ・コーハン監督)シーズン1を観始めた。

www.netflix.com

 

7/25

万引き家族』(是枝裕和監督)を観た。

真面目。観終わってから言葉が出てこなくてなんだかモヤモヤしていたんだけど、やっとこの言葉が思いついた。監督は敬意に値するほど超真面目。真摯に日本の現代社会に向き合ってこの映画を撮っていた。

社会への問題提起を孕んだ枠組みだけ作り込んで、その中で役者がバチバチと演技に見えないレベルの演技をして、それを映像に捉えた結果、映画になっていた。という作り方もそうだし、一貫している切実さも『誰も知らない』に似ていて、精神的な兄弟みたいな作品だと思った。この社会性の映し方が、最近のカンヌ映画祭で好まれる傾向なのだろう。

一つ一つのショットは、込められた意図を受け取りやすいと思う。難しく考えなくてもよい、というか。全体的には猥雑で美しい生命力に満ちている。それを充分に体現していた『家』が主役と言ってもいいのかもしれない。

安藤サクラが魅せる濃厚過ぎる人間味にはドキドキするし、樹木希林の妖怪じみた異形っぽさはゾッとする。松岡茉優の育ちが良さそうな雰囲気は上手い。城桧吏は美しい。

また、チョイ役で出る人達も上手くて豪華。所謂世間で言われる正論を背負う高良健吾池脇千鶴の非人間的な感じも巧かった。

gaga.ne.jp

 

7/15

『ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション』(クリストファー・マッカリー監督)を観た。

冒頭のシーンからワクワクしまくるバカ映像!ここだけでも映画館で見たかった。トム・クルーズがプロデューサーなだけあって、そのスター的サービス精神が強く反映されている。

見せ場がほぼ間断なく詰め込まれていて飽きない上に、話の流れをちゃんと思い出せるほどおかしな展開が無い。

それは、「この窮地をどう脱するんだ?」「コイツは裏切り者なのか?」「これも敵の作戦のうちなのでは?」等の様々なスペクタクル要素を上手く使って、必ず予想外の展開を魅せながらも、なるべく物語に矛盾を持ち込まないようにしてるからだろう。よくあるダメな映画のように、裏の裏の裏の裏の…と予想を裏切ろうとした結果生まれる矛盾を作らないようにしている。それは、映像的に「見たことのないもの」を作る場面を作ることで回避できているのかもしれない。

『正義は勝つ』というお約束の期待は裏切らず、勝ち方では予想を裏切る。気持ちの良い最高のエンターテインメントだった。

前作『ゴースト・プロトコル』に比べると急激に話がスケールダウンした気もするが、これはこれで大人も楽しめるリアリティを作ったということかもしれない。また、対007も意識しているのではないだろうか。

そして、イーサンがベンジーを好き過ぎだろ。

2018年後半に読んだ本の記録

結局、いろんな国の本を読むという年間目標はあまり達成されなかった。『コンヴィヴィアリティのための道具』『動物農場』『ペンギンの憂鬱』以外は、アメリカ産か日本産だった(出身国と活躍した国の相違なども起きているので、この括りもあまり意味が無い、と途中で気づいた)。まあ、仕方ない。

 

読みたい本を読むことが思想の偏り(ならびにその強化)に繋がる懸念 VS 読みたくない本を読む苦痛・時間の勿体無さ。そんな葛藤を抱えても、一貫して、「多種多様な本に触れたい」とは思っている。

今は何が好きなんだろう?

純文学?SF?ミステリ?ノンフィクション?エッセイ?新書?

ああ、それらは全部好きだ。

と考えていくと、ハウツー本やビジネス本が苦手に思える。読まず嫌いも良くないので、少しかじってみるか。

また、2019年は意識的に男女両方の作家を満遍なく読んでいこうと思っている。

以下、ネタバレありの感想群。

 

 

11/29

『島の果て』(島尾敏雄)を読み始めた。 

島の果て (集英社文庫)

島の果て (集英社文庫)

 

  

11/14~11/28

『100年のジャズを聴く』(村井康司×後藤雅洋×柳樂光隆)、読了。

最近のジャズは、昔からのファンじゃない俺にもわかるくらいに、百花繚乱だ。

でも、実は昔からジャズは面白かった。では、どのように面白かったか?どのように今のジャズになったのか?それを、世代と職業の異なる3人が、お互いのジャズ観をすり合わせたりぶつけたりしながら、解き明かそうとする試みだった。

一番上の世代の後藤氏は老舗ジャズ喫茶の店主で、一番下の世代の柳樂氏はDJ経験もあるジャズ評論家・インタビュアー。この二人は世代の違いと職業の違いが顕著なので、ジャズの捉え方もかなり違った。前者の古参然とした徹底的な消費者視点と、後者のジャズの外側にも目を向けつつ楽曲制作者に寄り添う視点では、衝突が起きるのは当然のようにも思える。そこで、ジャズ史の評論も書いている村井氏が、調整者的にうまく働いているような場面が多く見られた。少なくとも本には生産的な議論だけが残っていた。世代的に柳樂氏がかなり離れているせいもあるだろうが、2対1になる場面も多かった。

90年代くらいのジャズの受け取り方についての議論が面白かった。柳樂氏の言う「助走期間だった」という説明に大いに納得した。

いろんなジャンルでこういう本があればいい。文学でも映画でも。いろんなジャンルの歴史から現在を繋いで語るのに、3世代での鼎談は有効だと思う。既にあるのかもしれないけど。

それにしても、3人の知識量には単純に驚く。

もちろん、ディスクガイドとしてもめちゃくちゃ優秀だった。

耳も時間も足りない。

100年のジャズを聴く

100年のジャズを聴く

 

 

11/5~11/14

『ペンギンの憂鬱』(作:アンドレイ・クルコフ/訳:沼野恭子)、読了。

「ロシアの話」くらいの認識で読み始めたが、読んでいくうちに「ソ連解体直後のウクライナの話」だとわかって、じんわりと物語の背景が見えてくるという体験をした。

それがわかるまでは、この小説がどのくらい現実に即して書いてあるのかわからなくて、

「結構物騒な地域だな。治安悪いな」

「ペンギンを飼っていることはそんなに一般的なのか?」

と湧き上がる疑問を保留しながら、慎重に設定を飲み込みながら読むことになった。SFを読んだ時のようなこの体験は、海外の小説を読む歓びの一つだろう。

憂鬱なペンギンのミーシャに感じるこのかわいさは何だろう。全編通してかわいさがずっと炸裂していた。動物園とかで見たペンギンの目を思い出すと、何を考えているかわからない動物特有の目をしていたはずだ。実際の心情はわからないが、そこに憂鬱さを見出すのは簡単なように思える。

ミーシャのこの不思議なかわいさが無ければ、この小説は不穏さ・不気味さ・不安を与える薄暗さが強くなり過ぎる。解説にもあったが、それはおそらく当時のウクライナの社会情勢を色濃く反映しているのだろう。

主人公は好きでもない仕事を仕方なく受けただけのつもりだったのに、いつの間にか人間関係が増えていき、疑似家族まで持つことになり、おかしな謀略めいたものの端っこに巻き込まれている。末端にいるからだろうが、組織らしきものの実体の見えなさが恐ろしいし、同時に滑稽だった。疑似家族への感情移入の無さも面白い。

そして、とにかくコーヒーにコニャックを入れる描写が連発するので、あの地域では本当に暖を取るためにコニャックを飲むし、本当にみんなお酒強いんだなあ、と改めて感心した。

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

 


10/22~11/2

『アンソロジー カレーライス‼︎』、読了。

「カレーは他の食べ物とはちょっと違うなー」くらいに軽薄に考えていたが、この本を読んで認識を改めた。カレーは他の食べ物とは全然違う!らしい。

カレーは、作る方も食べる方もやたらとこだわりたくなるし、麻薬的に強烈な食欲を喚起する恐ろしい食べ物みたいだ。だから皆がカレーにまつわる思い出も持ちやすいようだ。

この本は、カレーについて、いろんな人がいろんな角度から言っている短編を集めたアンソロジーで、今まで読んだこと無い人の文章も多々あった。知ってはいたけど読んだことなかった、という人も多かった。そういう人たちへの入り口としての『カレー』は十分に懐が大きい。どんな語りも大抵許せる。

そういえば、多くの人がカレーライスとライスカレーの違いに苦慮しているのも面白かった。

池波正太郎のカレーライスの作り方は真似してみたくなるし、寺山修司の「カレーライス好きは保守的な人間が多い」という偏見たっぷりの決めつけには大いに笑ったし、内田百閒は相変わらず偏屈ジジイだし、藤原新也の紹介してた10時間玉ねぎ炒めるカレーは素直に食べてみたい。阿川親子や吉本親子を載せているのも面白い。カレー観は家庭で共有するもんでもないらしい。

また、カレーの匂いまでしてきそうなほど凝った装丁がまた良い。カレー色した紙の上に載った文字を読み進めていくと、佐内正史が撮ったカレーの写真が時折挟まっている。腹が減る。

 

10/4~10/22

『燃焼のための習作』(堀江敏幸)、読了。

誰かとの会話が豊かな時間になることがある。この本を読むまで、その嬉しさを忘れていたかもしれない。人との会話が時折生み出す楽しいグルーヴが、この小説にはしっかりとパッケージングされていた。

探偵と助手と依頼人が主な登場人物だけど、派手な事件は起きないし、はっきりとした謎は無いし、だから解決するものも無い。嵐の夜の探偵事務所で、探偵と助手が、初めて会った依頼人と、お茶を飲んだり軽食を食べたりしながら、いろんな記憶を手繰ってぼんやりとした話をする。

そんな小説だった。そこに、形の無い実りを感じるような、心地よい時間が流れている。

脱線したり、本筋らしきものに戻ったり、脱線に見えたものが本筋らしくなったりしながら、フラフラと会話は進んでいく。会話というのは言葉だけではない。同時に描写される、登場人物達のちょっとした思惑、何気無い動作、表情の変化。その細かさが会話の中に生まれる世界を肯定するような空気を作り出している。

この会話は緻密に計算して書いているのだろう。いろんな情報の出てくるタイミングがとても巧い。

ずーっと読んでいられる。 

燃焼のための習作 (講談社文庫)

燃焼のための習作 (講談社文庫)

 

 

9/26~10/3

『オブジェクタム』(高山羽根子)、読了。

「小説よるインスタレーション」というようなフレーズはどこで見かけたのだろう?そんな感じのフレーズを見て気になって手を伸ばしたはずだけど、ソースは思い出せなかった。このフレーズが全てを表すわけではないけど、言いたいことがよくわかる表現だった。

3編とも『すこし不思議』的SF要素の気配だけが感じられる。はっきりとしない何かが存在する世界を、詳細な描写の積み重ねで築いていた。作中で起こる事件の因果関係や正体は明示されないが、確かに何かがあった。

インスタレーションを鑑賞した時、気持ちが動くことがある。動く理由は様々だろうけど、記憶を刺激されていて、記憶の同調やズレが感情に波を起こす作品がある。表題作の『オブジェクタム』には、幼い頃の原風景や気持ちを想起する柔らかな刺激があった。

しかし、インスタレーション的体験には、頑張ってわかろうと思って、無理に心を動かそうとしてしまう場合もある。読み終わって少しそんな気分にもなった。

オブジェクタム

オブジェクタム

 

 

8/31~9/25

『芝生の復讐』(作:リチャード・ブローディガン/訳:藤本和子)、読了。

アメリカンドリームなんて言葉はそっちのけで、思い出の中だけに夢と希望があった。潰えた夢を思い返しながら、彼らはうらぶれた日々を過ごしている。それもいかにもアメリカ的だと感じる。アメリカは大きい。

読むまで短編集だと知らなかった。本当に短い短編が多くて、短編の断片ような文章もある。量が多くて全ての短編を覚えておくのは難しいが、短いので読み返しやすいし、心に残る短編もいくつかあった。『裏切られた王国』というビートニクの享楽と退廃に身を委ねた様子を描く作品は、その時代特有のジョークのようで面白かった。

岸本佐知子のあとがきを読むと、名訳らしい。しかし、少し文体が古過ぎて入り込むのに時間がかかった。唐突に飛躍して超現実的に変わる表現などは原文が気になった。良い意味で原文が気になるということは、名訳の条件を満たしているのだろう。

芝生の復讐 (新潮文庫)

芝生の復讐 (新潮文庫)

 

 

9/19

『さよなら未来』(若林恵)を読み始めた。

 

9/9~9/16

『長い猫と不思議な家族』(依布サラサ)、読了。

和田誠の装丁に惹かれて手に取った。

だから、依布サラサのことは『井上陽水の娘』で、『音楽活動をしている人』ぐらいの認識だった。

全体的に率直で平易な文章で書かれたエッセイで、ストレス無く読めた。大抵のアーティストの文章は詩的な言葉が難解なイメージもあったので、それは意外だった。

読んでいると、やはり良いエピソードの多くには井上陽水が絡んできてしまう。陽水とのエピソードや、陽水から学んだ人生訓のようなものを読んでいると、公私問わず全身アーティストなのだけど、部分的にそこからはみ出した井上陽水を知れて、それが面白かった。

一方で、母親の石川セリについての知識が自分には全く無かったのだけど、陽水とは違う方向でアーティスティックでエキセントリックな面があって、この人が絡むエピソードも面白いことが多い。

そんな二人の娘であることは、かなりプレッシャーになっているようだけど、一人の人間として両親と違う道に進んでいくことで、それを受容したようだった。その上で書いている文章なので、思考や気持ちが整理されていて、読みやすい。井上陽水の好きな歌の解説などは、その結果の産物で、かなり俯瞰して見ているようだった。

著者がシングルマザーだったりする事実からすると、あっさりし過ぎている印象もあったけど、この本はcryよりjoyが多めの良いものに仕上げたかったのだろう。

長い猫と不思議な家族

長い猫と不思議な家族

 

 
9/4

またしても本が繋がったと実感している。『芝生の復讐』が超短編を集めた本だと知らなかったのだけど、それを読んでいると『菊地成孔の粋な夜電波』にあるテキストリーディングを思い出す。多分、出来事の省略の仕方や超現実的な事象の語り方が似てるんじゃないだろうか。

 
8/23~9/1

菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5 大震災と歌舞伎町篇』(菊地成孔)、読了。

番組の音楽以外の部分をそのまま書籍化することに成功している。読むと菊池成孔の声で再生できる。

文字で読むとラジオと結構違う受け取り方になる。『声』という情報を削ぎ落としていることで、話してる内容の異様さが際立つ、という感じか。

また、改めてこの番組がバラエティ豊かな内容だと確認できる。小説のようにも読めるテキストリーディング、戯曲のようにも読めるコント、エッセイのようでもあるフリースタイルのトーク、というように書籍ならではの感じ方にもなる。そして、しつこいくらいに繰り返される前口上。若干多過ぎる気もしていたが、読んでいるうちにクセになってくる面白さがある。

震災の直後に始まったために、あの時の非日常感も最初の方には封じ込められている。ようやくラジオが普通に聴ける日常になった、という歓びと、それが失われる不安を思い出した。

菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5 大震災と歌舞伎町篇

菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5 大震災と歌舞伎町篇

 

  

8/17~8/23

動物農場』(作:ジョージ・オーウェル/訳:高畠文夫)、読了。

表題作の寓話性は非常に高度に成功していて、2018年での各国の政府にも当てはまる部分がある強い普遍性を持っていた。支配者の意に合わせて後から法律を変えたり、仮想敵を想定して市民の不満を誘導したり、「最悪だった昔より良くなっている」という論理を持ち出して人気を得るやり方は、今でも使われている気がする。市民は、俺たちは、騙されてはいないか。

読んでいる間、動物たちは古いディズニーのアニメ経由で脳内再生された。

動物たちが持つ能力でどこまでの行為が可能なのかわからないのが面白い。最終的に豚があんな風に動物を逸脱するとは思っていなかったので、え?そこまでいけるんだ?と驚いた。ブラックユーモア溢れるラストにはイギリスらしさを感じた。

動物農場』以外の小説には、この文字通りの意味に受け取っていいのかな、と思える文章が混ざっていた。最初は皮肉なのかなと思っていたけれど、解説を読むと筆者は率直に感想を書いていたようだった。『象を射つ』の緊張感溢れる心理描写にはグッと引き込まれた。

開高健のあとがきや解説を読むと、ジョージ・オーウェル自体に大いに興味が湧く。『動物農場』が終戦と共に売れたというのは知らなかったし、心底納得した。支配者の圧政に鋭敏な感覚には感心しきりだったが、それに振り回された人生は辛そうだった。

 

8/13~8/16

『ハレルヤ』(保坂和志)、読了。

世界を肯定する力が一番強くて一番好きな『生きる歓び』が最後にも入っているけれど、この短編集自体が『生きる歓び』の発展形であり、より強い意思で世界を祝福している。

3歳の息子と一緒にいるとわがままとしか思えない要求がたくさんあって、それに応えていくのはだんだん苦痛になっていくのだけど、これを読んでいる時期に一緒に散歩していたら、何にも苦痛じゃないどころか、心に妙な余裕もできて、一緒にいるだけで楽しくて仕方なくて、目が開いたような、世界が変わったような気持ちになって、とても幸せになった。

夕暮れ時、一緒に歩道橋に登って、同じ高さを横切る電車を指差したり、歩道橋をくぐっていく車の色や種類を「白、白、黒、白、青白バス白白…」と挙げて笑っていたあの時間は、家にある『ハレルヤ』を見かける度に思い出す気がする。

死ぬこと、生きること、過去、現在がぐいーっとひとかたまりになっていくような文章だった。

『生きる歓び』以外の文章は、『未明の闘争』以降のわざと間違った文法でつっかえさせる方法をとっていて、「が」「の」などの変な繋ぎ方に最初はまた戸惑ったが、どんどんどうでもよく感じ始めたのは面白かった。

2016年に初めて『生きる歓び』を読んだ時に凄い好きだったフレーズがあったんだけど、2018年の俺はそれをスルーしてしまった。何回か読み返してやっと見つけたけど、自分のモードも変わっているらしくて、もっと全体の雰囲気で楽しめた。

世界を祝福する鳴き声は「キャウ!」。人間なら「ハレルヤ」と鳴くのだろう。

ハレルヤ

ハレルヤ

 

 

8/13

全く予想外だったが、『謎の独立国家ソマリランド』と『コンヴィヴィアリティのための道具』も繋がっていた。ソマリランドの上(政府・大統領)からではなく下(民衆)から始まる民主主義というケースには、イヴァン・イリイチも満足するのではないか。

  

8/1~8/13

『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(高野秀行)、読了。

相変わらず高野秀行は最高!極厚のノンフィクションだったが、もの凄い勢いで読み終わった。

今回も高野秀行の体験をベースにした構成になっていて、ソマリランドプントランド~南部ソマリアというソマリ人がいる地域を渡り歩いて、それぞれの地域とソマリ人について学んだ内容とその過程での体験談が描かれている。

思い返してみれば、今回、読み始めた当初、俺はソマリアについて全く知識が無かった。『アフリカっぽい』ぐらいしか印象が無かった。それはあまりに無知過ぎるだろうが、高野秀行がこうやって書いてくれるまで詳細な情報は日本に無かったのだと思う(きっと他国でもおそらくそんなに無いだろう)。それだけでも偉業ではないか!

そんな未知の国家への潜入取材はまたも抱腹絶倒ものなのだけど、それは魅力的な登場人物によるところが大きい。人の話を聞かない・超速・傲慢などソマリ人の特性をわかりやすく体現するワイアッブが最後には大好きになるし、ホーン・ケーブルテレビ支局長のクールな女性・ハムディにはその剛腕っぷりをいつも期待してしまう。著者の現地の方との深い付き合い方と、それを面白おかしく描ける素晴らしい筆致の賜物だ。

そして、ソマリランドとソマリ人の話はいろんな考え方を教えてくれる。国連の功罪については漠然と知っていたのに、それでも俺は国連を『良い』団体だとしか思っていなかった。外側から国家にお金と意見を持って介入することの難しさ・傲慢さ・有害性を俺は意識できていなかった。それは新たな争いを生む可能性あるんだ。民主主義は、ソマリランドのように自主的に獲得するのが最善なのだろう。

そして、『氏族』のシステムには本当に驚く。最初、血縁主義的なものか、と古くさい伝統として侮っていたが、著者の調査が進んでいくうちに、そのシステムの高い機能性が明らかになり、氏族に入るための条件のどんでん返し的な話にはとても感心した。政治家だけで政治をやってるシステムがおかしいよな。そりゃそうだ。

ちなみに、氏族を日本の武将に例えたのは、最初はトリッキー過ぎるように思えたが、最終的には著者のファインプレーだとわかった。

そんな民主主義が根付いたソマリランドで、意見が対立しているのに同じ空間を共有できる人々が集うカフェの場面は、ソクラテスとかが対話で政治をしていたのを思い出すくらいに神話的だった。また、政治的な信条などが全く異なるソマリ人が一堂に会するテレビ局の場面も、多幸感に溢れていて、楽園的だった。著者の目を通して感動が伝わってくる。

ソマリランドは本当に面白い。自分の目で確認しに行くのが良いのだけど、俺には無理そうだから、俺はまた高野秀行が書いてくれた続編的な本も読んで、思いを馳せるのだろう。

高野秀行を信頼している。

 
7/8~8/4

『地下鉄道』(作:コルソン・ホワイトヘッド/訳:谷崎由依)、読了。

アメリカの歴史は人種差別の歴史だ。この話はアメリカが始まった頃を描いているけど、その当時の差別問題は間違いなく今に繋がっている。

ヒヤリングした体験談も交えていたからか、と解説を読んで納得したが、黒人が強いられてきた過酷な状況描写が、とにかくめちゃくちゃ生々しい。差別なんて言葉じゃ済まない。奴隷は人間として扱われない、ということを初めて実感した。

でも、この小説はそんな勉強のためだけの本じゃない。

単純に凄く面白い。

主人公は逃げられるのか、というスペクタクルなメインストーリーを推進しつつ、ロードムービー的に沢山の人と出会い、いくつかの州を通り、いろんな事件に遭遇していく。

人種差別というシリアスでセンシティブな問題を取り上げながら、エンターテインメント性も高めていて、単純な娯楽作品にもなりかねないが、ギリギリのバランスで簡単には消費させない巧さがある。解説でも似たことが書かれていたが、全くその通りだと思っていた。

地下鉄道という空想の産物の入れ方も巧い。謎にしてある部分も多く、解説し過ぎないことで、リアリティを失わない。

主人公のコーラは女性で、性的に貶められる描写も多々ある。その部分には人種は関係無い。白人からは間接的に出産の自由まで奪われそうになる。ああ、そうか。あらゆる差別は自由に生きる権利を奪うんだ。そんなこと許されるわけがない。

黒人で女性で二重に苦しいコーラだけど、差別から解き放たれるために、自由を得るために動き続ける。逃げ続ける。戦い続ける。自由を得るために戦う物語として捉えると、この小説はいかにもアメリカの小説だ。アメリカは今も人種差別と戦い続けている。

地下鉄道

地下鉄道

 

 

4/18~8/1

『コンヴィヴィアリティのための道具』(作:イヴァン・イリイチ/訳:渡辺京二 渡辺梨佐)、読了。

とにかくどうにか読み終われた。普段読み慣れない内容だから、とても時間がかかったし、理解度に自信が無い。

全体を通して理想主義的で、現実と乖離し過ぎた提案をし続けているように見えた。

主な意見としては「この産業主義社会が破滅に向かうのを防ぐには、道具(人間が使うもの。制度も含む)に限界を設定して、人間の自立を促すべきだ。そして、人間の自立性を信じるべきだ」ということになるだろう。この主張は『このままでは産業主義社会は破滅に向かう』という前提で始まっていて、「なぜ破滅するのか」という問い自体もそれに対する答えも記述が無いように見えた。それは火を見るより明らかだから、って感じだった。その前提は感覚的にはわかるのだが、やはりこういう文章には論拠が無いとバランスが悪い気がした。

そして、肝心の『道具への限界設定』という提言が、俺には正しくは見えるけど、社会に浸透させる方法がわからない。その実践的な部分への言及も無いので、途方に暮れる。

しかし、産業主義を支える社会の仕組への鋭い指摘には、とても感心した。『医療も教育も成長を前提とした産業主義を助長している』というのは考えたこともなかった。これらの指摘が全面的に正しいとは言わないが、社会を支えるシステムの側面としてこの考え方を持っていると、だいぶ世界の見え方は違ってくる。

皆でより良い世界を目指すために、知っておくと役に立つ日がくるかもしれない。

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫)

 

 

7/6

本は繋がる。いや、繋がってしまうのは俺の読書だからだ。なるべく偏らないように意識はするが、読む本を選んでいるのが自分だからそれは起きる。イヴァン・イリイチの言ってることと、小沢健二の生きる姿勢が妙にリンクしてしまう。世界で俺だけがその相似にドキドキしているのかもしれない。二人とも社会の既存のシステムに疑問とNOをちゃんとぶつけていく。人間の自主性を信じている。

 

7/2~7/6

小沢健二の帰還』(宇野維正)、読了。

著者が相当なファンなのは知っているし、読んでいてもそれは伝わってくるのだけど、抑制を効かせて一定の距離を保ち、小沢健二という人間を伝えることに徹しているのが上品だし、成功している。この内容でこのバランスを保つのはかなり大変なのではないだろうか。

著者が探偵となって小沢健二の活動を調査した報告書のようだった。その調査内容は小沢健二の考え方や気持ちを追うような部分も多く、読めば読むほど小沢健二の魅力が多層化していくのが面白い。柔軟な知性、チャーミングな意地悪さ、世界を信じている気持ちの強さ、全てが同居しつつも矛盾したりしながら、それらが音楽と歌詞と文章に表れているのがわかる。

『自分が触れたことのない視点の文章は難解』という話は腑に落ちるものがあったし、それに続く『周囲を変えて行くことで難解さが和らいで世界が変わっていく』という話に描かれている希望の眩しさには、居ても立っても居られない気持ちになった。

この本は、多岐にわたる活動を理解するのが難しい小沢健二のガイドブックでもある。描かれているのは希望。

小沢健二の帰還

小沢健二の帰還

 

 

あたらしい過去、なつかしい未来

おい、あんた、今は西暦何年だ?

とタイムトラベラーみたいなセリフを言いたくなる2018年だった。

11月頃、小学館系の漫画解説本シリーズの『あだち充本』を読んだ。

あだち充があの『軽さ』を出すために、編集者とかなり微妙でアツイやり取りをしていたというのが特に面白かった。雑談しかしない編集者との打ち合わせ、なかなか編集者の言う通りに描かないあだち充。この偏屈さとシャイネスに、俺は無意識に惹かれていたのかもしれない。その象徴たる『あだち去り』という姿勢の取り上げ方も素晴らしかった。

というわけで、あだち充作品を読み返したくなった。一番好きな『ラフ』を読み直そうと思ったのに、持っていなくて驚いた。思い返してみれば、古本屋で一度立ち読みしただけなのに、何度も読んだ気分になっていたようだ。それほどに脳裏に焼きついていたのだろう。それで、わざわざ買って、いざ改めて読み返してみると、ブスの扱いが酷いと感じた。具体的に言えば、男子寮と女子寮の代表者がデートする話で、男子皆がブスとデートしたがらないという部分だった。その女性は徹頭徹尾ブスとして扱われ、報われることも無い。ここが気になるのは、2018年の俺に芽生えているポリコレ的視点なのだろう。

いや、待てよ、主人公はどんな時もブスをブスとして扱っていないんじゃないか?それがモテる要因かもしれない。

一方で、二ノ宮亜美は見た目も性格も相変わらず超かわいい。このボーイッシュな可愛さへの憧れが、後にショートカットの広末~長澤まさみに偏執的に惹かれた原因だったのだろう。

『美少女とつきあう=正義』とする童貞観あだち充によって培われたのでは、と気づいた。これを良いとも悪いとも言わない。自分の成分についての分析に過ぎない。

 


え?西暦何年だって?

他にも2018年を疑う案件がいくつもあった。

テレビアニメでは『ジョジョ第5部』や『バキ』や『からくりサーカス』がやっていた。読んでた当時、「これはアニメ化できないよね~」って俺は一人で謎の優越感を覚えてたよ。そうだな、ダサいな、わかってるよ。ちなみに全部良くできてたよ(特にジョジョ第5部)。

サブスクリプションサービスってのもこの時空の混乱を助長してる。上記のアニメは全部配信してるもんな。

Spotifyを使えば、『ラフ』読んでショートカットの美少女を回想した瞬間に、広末の『MajiでKoiする5秒前』を、即座に聴けちゃう。

元ネタのMK5とかみんな覚えてるか?ホワイトキックは?

チョベリグ?チョベリバ?

 

 

2018年の大晦日、俺は一人で大掃除を少しやることにした。大掃除を少し。いい感じに変な言葉。

家の窓を拭いた。拭ける範囲で、中からも外からも拭いた。

もっと早くやれば良かったのに、いろんな理由をつけてるうちに、大晦日になってしまった。

雑巾が見つからなかったので、古くなったハンカチやら肌着やらで拭いた。普段家事をやる時と同じように、最近買ったBluetoothイヤホンでラジオを聴きながら拭いた。

色々聴いたが、最後にradikoのタイムフリーで『菊地成孔の粋な夜電波』最終回を聴いた。

この番組を聴き始めたのは、2012年だったか、2013年だったか。終わるとは思ってもみなかった。

菊地成孔がかけるなら、その音楽はクール。

菊地成孔が話すなら、その馬鹿話は喜劇で悲劇。

好きな回はいっぱいあった。

順不同で挙げれば、パニック障害になった時の話、映画『ベイビー・ドライバー』を賞賛する回、昔住んでた高円寺を歩く回、クリスマスの思い出の回、数々のグロテスクなエロスを含むコント、筒井康隆の降臨した回、ジョビンの『三月の水』、前口上にある「力道山刺されたる街・赤坂~」の言い回し。

これからも記憶の奥底にはあるけど、徐々に思い出しづらくなるんだろう。思い出すための装置として、書籍は買っておこう。

時刻は夕暮れ時。少しずつ窓の汚れが見えづらくなってきた。風は無かったが、気温が低くて指先は冷たかった。

幼い頃、大掃除の時に窓を拭くのは父親の仕事だった。何でも面倒くさがる父親が黙々とやっていた。

親に甘えていた俺は、殆ど掃除をしなかった気がする。

家の中から窓を拭く父親を見ていた。

その父親の姿に、いつの間にか現在の自分が重なっていた。父親は2018年の年末も窓を拭いたんだろうか?

この時、俺の息子は寝ていた。そのうち、俺は息子に大掃除をするように促すのだろうか?素知らぬ顔で言えるだろうか?

怠けていた過去のツケがまわってきた、と感じた。

 


え?今日?2019年だよ。平成も終わるよ。

当たり前だろ。

 

GoGo Penguin

赤いペンギンがいました。

いつもニコニコ笑っています。

 

「あおもいる」

 

青いペンギンもいました。

いつも楽しそうに笑っています。

 

「くろもいる」

 

黒いペンギンもいました。

いつもえーんえーんと泣いています。

 

ある日、3人は電車に乗ってアイスクリームを食べに行きました。

 

「あいすくむりたべたーい」

 


GoGo Penguin - Raven (Live at Low Four Studio)

 

その場で思いついた、いいかげんな物語を息子に語ると、息子が物語に要望を足してきた。その要望に応えながら話しているうちにノッてきたが、息子が騒ぐので終わった。

 

ペンギンが昔から好きだ。

水族館で、魚雷のように、水を切り裂いて泳ぐのを見た時からかな?

いや、『バットマンリターンズ』を観た時からかな?爆弾を背負ったあのペンギンのダークな可愛らしさにやられたんだっけ?

というわけで、何の考えも無しに登場させたが、赤と青のペンギンがよく笑うキャラで被ってしまったので、慌てて黒いペンギンはよく泣くキャラにした。

電車もアイスクリームも、とりあえず息子が好きなものを登場させただけだな。

 

この三羽のペンギンはどこに行くのだろう?

何が起きれば面白いのだろう?