2020年後半に観た映画の記録

映画46本、ドラマ5シーズンを観たらしい。

毎晩、家族みんなで30分〜1時間くらい映画やドラマを観る習慣ができたのは大きい。その時間で、最初はMCU作品、次にスター・ウォーズ・サーガ(マンダロリアン含む)、最後にハリー・ポッター・シリーズを観た。こうして連続で観ていくと、MCUシリーズの出来の良さが抜きん出ていることがわかる。

スター・ウォーズ』のエピソード1と6も観たし、『ラッシュアワー』の1と2も観たが、あまり熱心に観なかったので、感想は省いた。

久々に沢山観たが、映画館で観た本数は激減していた。そりゃそうなんだけど、残念だ。

この期間に観た作品で特に印象に残ったのは、『THE BOYS』シーズン2と、『マンダロリアン』シーズン2と、『ブックスマート』。こいつら、最高。

以下、ネタバレしながら感想を記録している。


12/30

『ファンスタティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

1作目の最後に感じたガッカリ感は持続してしまっていて、グリンデルバルドの振る舞いが意味不明に感じることが多かった。これは、ミスリードや意外な展開を多用したために、キャラクターの行動や心理状態に齟齬が生じている状態なのでは、と感じた。少なくとも、クリーデンスの出生の秘密はひねり過ぎてて、観客を驚かせたいだけに思えた。その結論にしてしまうと、1作目ではなんで気づかなかったのか?後から気づいたのだとしたら、グリンデルバルドはその程度の能力なのか、という観点で残念だ。ユセフやリタというキャラクターも観客の裏をかくためだけに作られた感じがした。最後にティナのリアクションの映像はあっただろうか。絶対に必要だろうが...。要するに、ご都合主義的な脚本だ。

レストレンジ、ダンブルドアなどの名前を登場させることで、ハリー・ポッターシリーズをへの目配せもバッチリだけど...。

グリンデルバルドはジョニー・デップのビジュアルと演技のおかげで、強烈なカリスマ性を持つことに成功していた。

ニュートのキャラクターも完全にエディ・レッドメインに馴染んだ。地面を舐めるシーンには度肝を抜かれた。

物語は前作よりも途中っぽさが増した。

と、なんだかんだ言っても次作が楽しみではある。


12/28

『ファンスタティック・ビーストと魔法の旅』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

ハリー・ポッターシリーズの殆どの作品よりも面白かった。勝因はJ・K・ローリングが原作ではなくて脚本である点ではないだろうか。原作小説があった前シリーズでは、膨大な情報量の処理や取捨選択によって、説明不足や作品全体にとってアンバランスな展開が生じたりしたが、今回は本人脚本ということでアイディアを無理無く圧縮して映像化できていた。

まず、主役のニュートのキャラクターが魅力的だ。魔法使いというだけではこれまでのキャラと差別化しづらいので、魔法動物との交流を能力や特性として付加していたのだろう。さらに、そこから肉付けしたのであろう『人間とのコミュニケーションが苦手』という性格も新鮮だった。人と目を合わせないエディ・レッドメインの演技が良かった。

その上で、彼をシャーロック・ホームズにして、ジェイコブをワトソンにしていた。

また、とにかく底抜けに人が良いジェイコブや、心が読めてしまうという難儀な能力を持ちながら(あるいは、それゆえに)魅惑的なクイニーなど、面白いキャラクター達が脇を固めていた。そして、何よりも魔法動物が良かった。ニフラー、ピケットというニュートにやたらと親密な小型動物達は愛らしく生き生きと動き回っていたし、その他の大型動物達もダイナミックに躍動していた。メイキングを見ると、J・K・ローリングの素晴らしいアイディアを損なわないように、制作チームの総力を上げて具現化しているのが素晴らしかった。

トランクの中でいろんな動物が入り乱れる映像は圧巻だった。一方で、ラストシーンでのグリンデルバルドの登場は余計だったように感じた。思ったより有能な敵じゃないんだな、と少しガッカリした部分もあった。

 


12/22

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

結構、簡単に人が死ぬ。

まず、ゴイルの焼死に驚いた。ゴイルは本当に愚かで、マルフォイが躊躇する死の呪文もガンガン使ってたので、死んでも仕方ないのかもしれない。しかし、マルフォイでさえ悼む気配すら無い。なかなか登場人物の気持ちが読み取れない。極めつけはロンの母によるベラトリックスの爆砕。本当に驚いた。全体的に、命がどんどん軽くなっていくのは、『戦争状態だから』という説明だけで良いのだろうか。

他にも、スリザリン寮生がスリザリン寮生であるというだけで地下牢に入れられてしまうシーンに驚いた。偏見強過ぎないかな?その経緯を省き過ぎててそう見えるだけかな?しかも、ラストシーンで成長したハリーはスリザリン寮を肯定的に話す。このシーンの思考の流れも不思議だった。

ハリーと戦ったヴォルデモートが吹っ飛んだ理由は?ヴォルデモート迂闊じゃない?死の秘宝をちゃんと集める話でもないのか?ハリーとヴォルデモートの魂は繋がっちゃてたんじゃなかったけ...???と万事がこんな感じで説明不足で雑な印象だったが、映像で説明しづらい内容と多過ぎる情報量の処理に困った結果なのかもしれない。そもそも、原作通りの可能性もあるけれど(読んだけど覚えていない)。

1作目からの積み重ねになっている演出も多くて、続けて観た甲斐はあったのかもしれない。何度も比較してしまったが、この作品群はMCUに影響を与えたりしたのだろうか?

特に、グッときたのはネビルだった。彼の成長と、へっぴり腰になりながら剣を振る姿には感動した。彼の勇気はカッコよく描かれていた。

前作のムードは引きずっていて、全体的にかなり暗い。死や戦争のイメージを強く打ち出しているからだろう。

 


12/21

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

ずっと暗い!希望が微か過ぎる。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』よりも絶望が大きい。原作通りだろうけど。

『姿現しの魔法』を多用するために、ロケ地がかなり増えていて、映像としては新鮮だった。森ばっかりだったけど。

それにしても、よく知らない人が急にストーリーに関連してきて混乱する。ビル・ウィーズリー?フラーと結婚?グリンデルバルド?ルーナのお父さん?っていう感じ。アイテムもそうで、死の秘宝?ニワトコの杖?『吟遊詩人ビードル』?灯消しライター?(これは1作目で少し見たが)という感じ。しかし、本だとそんなに混乱もしなかったような...。映像で説明しづらい内容が多過ぎるのかもしれない。

ロンドンでの西部劇みたいな魔法バトルはカッコよかった。

魔法省に潜入するシーンは、ティーンエイジャーによるおバカ『ミッション・インポッシブル』という感じで楽しかった。

 


11/4〜12/18

『マンダロリアン』(シーズン2)を観た。

最高だった。もう本当にありがとう。奇跡のような8週間で、毎週めちゃくちゃ楽しみにしていた。毎話ちゃんと面白くて、本当に驚いた。

やっぱりデイブ•フィローニとジョン・ファブローがすげえのかな。昔からのファンへの目配せは最小限にして上手くバランスを取って、観たことない映像なのにスター・ウォーズで観たかった映像になっている、という超難易度の高い偉業を成し遂げていた。

シーズン2は1よりも全編通した大きなストーリーを進める性質が強くなっていて、1話完結的な傾向は弱まった。それを沢山の監督が作っているのに、一貫してちゃんと観られるクオリティなのが本当にヤバい(有名監督がガンガン参加してることにも驚愕)。

第1話は冒頭の酒場からヤバイ。西部劇かましてくる感じ!

第2話はとにかくキャラクター達の追い詰め方が異常。え?またトラブル?みたいな。淀みなくピンチを作る脚本もすごいけど、それを無理無くテンポよく映像にした監督もすごい。

第3話も怒涛の展開とアクションに手に汗握った。初登場とは思えないくらい生き生きとマンダロリアンの3人を描いていた。

第4話は怒涛のカーアクション。それもできるのか!

第5話はアソーカ・タノ初登場。西部劇と時代劇を同時に描く演出がヤバ過ぎた。このシーズンでこの話が一番好きかも。

第6話は戦争映画。もしくは西部劇における集団戦。観たかったボバの活躍がここにあり。

第7話には「マンダロリアンはアーマー無しでも強いのか?」というテーマを感じた。『ハン・ソロ』でダメだった強奪劇をとてもうまく描いていたし、元帝国軍だったメイフェルドを上手く使ってとてもアツイやり取りを入れ込んでくれた(高橋ヨシキ氏が言ってた通り、フィンでやれたはずなのが悔やまれる)。

第8話はもう集大成だった。アッセンブルした仲間の大活躍とあの人の登場。そして、涙を誘うラスト。

シーズン3はあるのだろうか。無くても良い。本当に素晴らしい時間を過ごせた。

 


12/16

ハリー・ポッターと謎のプリンス』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

冒頭は前作よりも『アベンジャーズ』感を増した映像で、スケールのデカさをかましてきてワクワクしたが、観終わってみると、それ以降は地味だったな、と少し拍子抜けした。原作を思い出すと、確かにこの回は地味で印象が薄かった。妻は全体的によくわからなくて辛そうだった。「いつハリーがジニーに好意を持ったのか」は映画を観てても確かにわからなかったし、唐突に思える展開も多かったし、行動の説明が不足気味に思えるシーンも多かった。謎のプリンスの正体がわかったから何なのだ。ウィーズリー宅は燃やされたが、それだけで済んだのはなぜだ。と改めて考えると、疑問に思う点も多かった。

ハーマイオニーがロンを想う気持ちの切なさがガンガン伝わってくるのは、エマ・ワトソンがうま過ぎるからだ!そこにだけティーン・ムービーっぽさがある。

 


12/10

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(デヴィッド・イェーツ監督)を観た。

今までで一番無理なくスマートに映像化していた。疑問に思うシーンも殆ど無かった。Wikipediaを見て知ったが、かなりサブストーリーを削って研ぎ澄ました脚本だったようで、納得した。新聞を使った説明の省略を連発するのは笑ったけど。映像の色味やセットのデザインなどは3作目が一番ダークだったけど、物語の内容自体も回を追うにつれてどんどん暗くなっていく。

魔法界のマグル(非魔法使い)界への干渉から始まる辺り、世界観がスケールアップしている面もある。神秘部の映像などは、予算が上がってるのかな、と思うような凄みがあった。初めて描かれた大人の魔法使い同士の決闘のスタイリッシュさにも驚いた。不死鳥の騎士団集結のシーンは『アベンジャーズ』を彷彿とさせた。ハリーがヴォルデモートと繋がって混乱する描写からは、『ファイトクラブ』を思い出した。

魔法大臣やアンブリッジが頑なにヴォルデモートの復活を信じない姿勢は、2020年に観ると新型コロナウィルスの被害を否定していたトランプに重なった。自分に都合が悪い事実や、自分が不快な事実を無かったことにしようとする姿勢のクソな普遍性を感じた。

それにしても、アンブリッジは名演だった。本当に嫌な感じ!

 


12/5

ハリー・ポッターと炎のゴブレット』(マイク・ニューウェル監督)を観た。

大変に展開が多い原作を、監督が職人的にうまくまとめている印象だった。

マッドアイ・ムーディの姿やエラ昆布の効能など、想像しづらかったビジュアルをちゃんと映像化していたのが凄かった。これまでの3作より監督のはっきりとした作家性がわからなかったけど、思春期にさしかかった人物の揺れる心情描写も良かった。ハリーとロンとハーマイニオニーにとって、ダンスパーティが非常に重要なものとして描かれていて、特にハーマイオニーがロンに感情をぶつけるシーンにはドキドキした。相変わらず、エマ・ワトソンすげえ、という話だが。

ハリーとハーマイオニーの関係性の描き方はとても健全で、グッときた。2020年にロバート・パティンソンを確認すると、感慨深い。

ある人物の死をはっきりとあっさりと描くのは、原作通りではあるが、ディズニーとの違いを感じた。その上で、喪に服さずに、旅立ちや成長を予感させるようなラストには、心情的についていけなかった。エンドロールの歌は何だろう。

 


11/19

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(アルフォンソ・キュアロン監督)を観た。

圧倒的に前2作より良かった。世間の評価を知らないが、全体に漂うちょっとダークな雰囲気とクリーチャーの不気味さが抜群に良かった。そこには監督の作家性を感じた。前2作では本の内容を不足無く映像化することに注力し過ぎていて、映画的な楽しさが少なかったのだ、と今作を観て気づいた。ディメンターのビジュアルと恐怖を煽る演出、学校生活を楽しむハリー達の談笑シーン、ヒッポグリフの背に乗って飛翔を楽しむハリー、ホグワーツの地理関係を明らかにするショットなど、映像としての豊かさがあった。

その代償として、説明不足というところがあるだろう。忍びの地図を作った経緯や、リーマスシリウスとハリーの父親の関係性の説明などを一気に端折っていたので、原作を読んでなければちょっとわかりづらい部分もあっただろう。しかし、原作全てを入れ込むのはやはり無理なので、英断だったのでは、とも思う。ラストの種明かしに向かうシーンも、わかりやすくテンポよく説明していて、とても巧かった。

急に気づいたけど、ハリー・ポッターは気絶するシーンが多い。

エマ・ワトソンはどんどん美しくなる。

 


11/19

ハリー・ポッターと秘密の部屋』(クリス・コロンバス監督)を久々に観た。

1作目に似た感想持った。長過ぎる原作を不足が無いように映像化して詰め込んでいた。そのために、ところどころ説明が足りないところもあった。日記を見つける流れは、原作通りに唐突だったが。ハリーとロンは変声期が来ていて、なかなか演技が難しそうだった。ハーマイオニーは引き続き上手い。ドラコの嫌なヤツ度は自然に増していて面白かった。ギルデロイがケネス・ブラナーだったと知った。その溶け込み具合を観て、とても演技が上手いのだな、と感心した。息子がドビーをけなしているのを見て、彼が相当愛せないビジュアルだと気づいた。冒頭からしばらく続くドビーの妨害行為はハリーへの嫌がらせにしか見えなくてイライラしたが、自傷行為には児童虐待の形跡が見て取れた。

それと、1作目でもそうだったが、ダドリー家がハリーを放置しない(突き放さない)理由がよくわからない。本当に邪魔だったら、閉じ込めたりもしないのでは?映像化されてその疑問が強くなった。「魔法を認めない」→「頑なに魔法界に行かせない」という思考は少し不自然に思えた。

 


10/17〜11/18

コブラ会』(シーズン1)を観た。

観終わって、胸を掻きむしりたくなるような切なさが残った。

始まりは単純な話だった。『ベスト・キッド』のラストで敗れて以来やさぐれてしまったジョニーが再起を図る話。この逆転を目指すストーリーは王道とも言えるし、普通に盛り上がる。しかし、このドラマはそれだけでは終わらせない。初期はジョニーの再起の話で、彼が先生(センセイ)となり、ミゲルという一番弟子を得て、徐々に人生を回復していく話となっている。

一方で、最初から必要以上にメンタルに攻撃性を求めるコブラ会式の空手には、ずっとハラハラしてしまう。いじめられっ子達がコブラ会の空手によって自信をつける過程は良いけど、他者への執拗な攻撃にまで発展すると、問題が起き始める。同時に、ジョニーの息子のロビーが宿敵・ダニエルの一番弟子になる流れも、とてもよく練られた展開だった。

シーズン1の最終話でのダニエルとロビーの最終対決に集約されるのだけど、ジョニーが教えてきたことは写し鏡のようにミゲルに反映されてしまい、ジョニーは初めて戸惑う。相手が大事な相手でも「情け無用(No mercy)」でいるべきなのか?という問いが生まれて初めて、他者への思いやりが生まれるのは、流石に2018年のドラマだな、という感じがした。結果的に『ベスト・キッド』での結果を覆しているのに得られたのが空虚な勝利だけ、という演出もすごく良かった。ジョニーの深い意味での謝罪と、それをしっかり受けるロビーの赦しもめちゃくちゃ感動的だった。この最終話で、このドラマは『父と子』や『先生と教え子』をテーマにしていた、とはっきりわかった。これを機にジョニーは人間的な成長へ向かうんだろう、というところでラストにあの男の登場。

うおー、どうなるんだ、ってわけでシーズン2も早く観よう。全編通して演出もしっかりしている印象で、ジョニー側とダニエル側で、明らかに音楽や映像の雰囲気を変えている点や、空手のアクションをしっかりとカッコよく描いてる点も素晴らしい。始まりから観ていくと、ジョニーとミゲルを応援したくなるが、空手大会の勝利がただの勝利ではなくなってしまった以上、この物語に上手い着地点を作るのは相当難しいだろう。きちんと最後まで見届けたい。

 


11/18

ハリー・ポッターと賢者の石』(クリス・コロンバス監督)を久々に観た。

とにかく時間が足りない印象を受けた。カットの終わり際がブツッと切れて繋がっていることが多かった。昔観た時も同じような印象を受けた、と思い出した。原作が分厚過ぎる上に、違う巻に続く(伏線になる)話もあるからあんまり削れなかったんだな、と今になって理解できた。

それでも、やはりベテランの監督だけあって、とてもうまく原作を映像化していると感じた。クィディッチや9と3/4番線や組分け帽子など、自分では想像しきれていなかったディテールがこの映像化で決定されていた。監督の過去作『ホーム・アローン』っぽいところも多くて、クリスマスの多幸感溢れる雰囲気作りと、全体的な音楽の使い方にそれを感じた。両方ともジョン・ウィリアムズだから、ということもあるだろう。

今見ると、ハリー・ポッターの『選ばれし者感』がむず痒いくらい伝わって来る。子供達の辛い現実からの逃避を促すための作品かもしれない。パラレルワールド的に、冴えない自分でも活躍出来る世界があるかもしれない、という希望を与えてくれたのかもしれない。

ドラコ・マルフォイはこの作品ではそんなに悪いことをしていないのに、貶められ過ぎている感じがした。ハリー・ポッターとグリフィンドール贔屓過ぎるというか。それは、コブラ会を観ていたために、敗者の人生をより強く想ったからかもしれないが。

そして、エマ・ワトソンの愛くるしさがヤバイ。3人の成長が楽しみになった。

 


11/4

鬼滅の刃 無限列車編』(外崎春雄監督)を観た。

超動いて、超エモーショナル!

まず、ファーストカットからめちゃくちゃ美しくてびっくりした。緑色の淡さや光の当たり方から、坂口恭平パステル画を想起した。あの木漏れ日の動かし方はCGで足しているのだろうか。ラストカットの朝焼けの光も同様に美しかったのだが、それらの技術には日本のアニメの新しい可能性を感じた。アクションシーンも言うまでもなく凄くて、3Dアニメ的なCG空間でキャラクターをうまく魅せながら、決め絵がばっちりカッコいいというのは、TVシリーズの特長のままだが、物語の展開的にも格段にスケールアップしたものが観られた。『スパイダーバース』に肉薄するのはこういう表現手法ではないだろうか。

漫画では全く感じなかったのだけど、この夢をモチーフにした話は『インセプション』にも少し似ていた。動いてくれて初めて気づいた。

それにしても、原作通りとはいえ、本当に途中の話だった。途中から始まって、途中で終わる。長過ぎる気もするし、途中から新たな敵が乱入する展開は、漫画での印象通りに唐突で意味不明なままだった。

この映画がこれだけメガヒットするというのはどういう現象なのだろうか。

 


11/3

スター・ウォーズ エピソード9/スカイウォーカーの夜明け』(J・J・エイブラムス監督)をまた観た。

自業自得の面も多分にあるが、敗戦処理したJJは大変だったのだろう。問題は色々あるけど、やっぱりエピソード8でスノークが死んだことが痛かったのでは?カイロ・レンは悩んで迷う人だから最後の敵にもできなかったし。だから、死者(パルパティーン)は蘇らねばならなかったのか?それに、エピソード8で言ってたけど、パルパティーンの子どもは名も無き人と言えるのか?レイとフィンとポーの間に絆があるの?3人での活動初めてじゃない?カイロ・レンはなんでまたヘルメットを直したの?そして、また脱ぐの?フォースって死者も使えるの?フォースは命を渡せるの?パルパティーンを殺したらダークサイドに堕ちるんじゃないの?などと疑問点を笑っているうちに終わった。

 


10/30

スター・ウォーズ エピソード8/最後のジェダイ』(ライアン・ジョンソン監督)を久々に観た。

息子の反応を見ていて気付いたが、映像の中で常に何か刺激的なことが起きていて、飽きさせないように工夫していた。しかし、それは、先を読ませないためのどんでん返し的な要素が強く、その展開のためにこの作品単体でも一貫性が無い行動を取るキャラクターが生まれたし、エピソード7からの流れを分断したりした。そこにはスター・ウォーズの中で新しいことをやりたいという野心もあったのかもしれないが、この手法じゃない方が良かっただろう。

いくつも疑問点があった。フィンとローズの珍道中は、少しも戦況に寄与していないのでは?ストーリーに連動しな過ぎでは?活躍させないの?裏切るにしても、DJはもう少し思い入れさせる必要があったのでは?エピソード7であんなに重要視されていたルークの能力はあんなもんでいいのか?そもそも、ルークに恐れられていたのに、カイロ・レンはルークを恐れ過ぎでは?最後のフィンの特攻を否定するためだけだろうが、こんなに特攻を肯定するような描写が連続していいのだろうか?と展開やキャラクターに起きている歪みに首を傾げ続けた。

塩の惑星の塩が接触で赤くなる描写は良くて、そこでジェットスキーの大群で走るビジュアルは新しかった。

 


10/25

スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒』(J・J・エイブラムス監督)を久々に観た。

エピソード4〜6から続けて観ると、大半の部分がそこからの引用で出来ていることがわかって、白々しい気分になった。ハン・ソロの「I  know」や「I have a bad feeling about this」みたいなセリフが無理矢理組み込まれてることに気づくと、チェック項目を淡々と満たしてファンに文句を言わせないようにしているようだった。脚本もエピソード4〜6にあった展開を思い切りなぞっていくだけなので、ご都合主義的に感じる場面も相当多かった。「あそこにミレニアム・ファルコンが捨てられてるのは都合良過ぎじゃない?」「フィンは逃げようとしてたのになんで戻ってきたの?戻ってくる動機が足りなくない?エピソード4で一回ルークの期待を裏切っておいて戻ってきたハン・ソロの真似じゃない?」「R2のスリープモード切れるタイミングちょうど良過ぎじゃない?」などという疑問を見ないようにしても、殆どがサンプリングでできたような作品で、本当に新規性を感じづらい作品だった。

それでも、新しかったところを挙げるなら、キャラクターと一部のビジュアルだった。ナウシカのように登場したレイはビジュアルに説得力があって、新しいストーリーを紡ぐに足る存在感だった。フィンというキャラクターも、騒々しさ・出自・レイとの親密さ・ライトセイバーを構えた姿などには新しさがあった。そして、弱さも含めて迷いを表現する悪役としてのカイロ・レンの繊細さが新しかった。映像としては、雪が降る夜の森での戦闘にはフレッシュなカッコよさがあった。それらがもっと緊密に連動すれば良かったのだが、むしろ枷になったエピソード4〜6によって分断されていたのが残念だった。

 


10/18

スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(アーヴィン・カーシュナー監督)をまた観た。

明らかにエピソード4に比べてSF表現の幅が広がっていて、予算のアップと技術の進歩を感じた。続けて観ると、エピソード4から5の間に確かな時間の経過があって、ハン・ソロとレイアやハン・ソロとルークの関係性が明らかに変わっていて面白かった。ジェダイとフォースの本質的な部分はエピソード5で定義づけられたのか、と気づいた。

 


10/17

『メイキング・オブ・モータウン』(ベンジャミン・ターナー&ゲイブ・ターナー監督)を観た。

名曲生産工場モータウンが創業して発展していく姿を、大御所となった関係者達の証言と、貴重な当時の映像や音源を交えながら描く。

中心となるのは、創業者ベリー・ゴーディーの時系列に沿った語りだ。モータウンの創業〜圧倒的な発展〜育った者達の離散(衰退)の流れは、そのまま彼の青春一代記として面白かった。特に、自動車工場のようにシステマティックに音楽の才能を世に送り出すというコンセプトで始めたが、乱れ咲いた才能達がシステムからの逸脱を図った結果、モータウンが役目を終えていくという構図はとても切なかった。途中からは、モータウンの中心的メンバーになったスモーキー・ウィルソンとの語りになっていくのだが、二人の掛け合いは本当に仲が良さそうで笑えた。本当にファミリーだったのだろう。

モータウンに詳しくなかった自分にとっては、非常に興味が湧く内容だったし、勉強になった。スティーヴィー・ワンダーがいたのは何となく知っていた。しかし、こんなにビックリ人間みたいな形で登場したのは知らなかったし、その才能の豊かさには驚いた。マイケル・ジャクソンもマジで恐るべき子どもだった。幼い頃の歌とダンスは衝撃映像だった。マーヴィン・ゲイがいたのは知らなくても『What’s going on?』という曲は知っていた。しかし、その曲が生まれた社会背景と、モータウンの行く末を決める象徴的な曲になったという事実は全く知らなかった。

全編通して、情報量もとんでもなくて、一つの画面に載っている文字数が膨大だった。見終わった後、音楽史の中でのモータウンが少し具体的にマッピング出来るようになった。プロデューサーの一人がジャズミュージシャンをかき集めたエピソードを知って、ジャズからモータウンへの接続を微かに感じたし、ドクター・ドレが話してる内容でモータウンからヒップホップへの接続を感じた。これから聴く音楽の聞こえ方は変わるだろう。

 


9/9〜10/14

『THE BOYS』(シーズン2)を観た。

毎週配信が楽しみで仕方が無かった。最終的には、広げた大風呂敷も綺麗に畳んでちゃんと終わらせてくれて、とても満足できた。

基本的には、アメコミのDCっぽいヒーローをパロディにした連続ドラマで、社会問題や風刺をうまく取り込みつつ、エログロありブラックジョークありの刺激的な内容にした上で、見事にエンターテインメントにしていた。シーズン2は、その方向性をよりはっきりと発展させていて凄まじかった。

キーパーソンとなるのはストームフロントという新キャラで、彼女が人種差別問題やSNSの持つ問題性をごっそり投入していて、社会(特にアメリカ)の持つ問題を露わにしていた。彼女の徹底的なレイシズムは悪夢のようだけど、同時にアメリカの現状を顕著に表現していて、『アメリカ人はみんな人種差別好き。ナチスが嫌いなだけ』という主張は、BLMの運動などを見ていると、痛烈過ぎるパンチラインだった。そして、彼女がとある人物達からタコ殴りにされるのも、人種差別者への軽蔑が十分に表現されていた。

もう一人の新キャラであるヴォート社長のエドガーも資本主義に飲み込まれているアメリカをよく表している。資本主義はポリティカルコレクトネスもフェミニズムダイバーシティも利用しようとする。

このシーズンでは、出演者やスタッフへのインタビュー番組も同時公開された。そこで彼らが言っていた「アメリカの企業がナチスの技術力を使って繁栄してきた」という話は、真偽はわからないが、全く知らなくて衝撃的だった。このシーズン2は明らかにその説を前提にヴォートという企業を描いていた。更に、その番組でホームランダー役の俳優が明確に「トランプを参考にしている」と言っていたのは、驚くと同時に納得だった。スーパーヴィランとしてアメリカ人以外の人間を徹底的に排除しようとする様子は、大統領が移民を排除しようとする姿に重なった。

人体損壊のようなゴア描写や性的表現の激しさもパワーアップしていたが、その印象だけで終わらないのは、謎や課題とその解決をきちんと描いている脚本がしっかりしていたからだろう。各主要キャラクターの背景を掘り下げるエピソードも充実していて、ドラマ性により深みが出ていた。

ホームランダーの情けない姿が際立つラストカットは、有害な男性性を象徴的に表していて、強烈に印象に残った。

と満足していたが、え?シーズン3あるの?無くてもいいような...。

 


10/12

スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』を久々に観た。

色々観た後に改めて観ると、ああ、スター・ウォーズの始まりなんだなあ、と感慨深い。若さが迸っているルーク、とにかく口が悪いレイア、アウトローぶってるけどいざと言うときに頼れるハン・ソロ、とにかくかわいいR2-D2、ずっとうるさいC-3PO、デカくてかわいいチューバッカ、斬られて消えるオビ=ワン、黒くて怖いダース・ベイダー、リアルに汚れたストーム・トルーパー、まだまだ力の範囲が探り探りのフォース、手作り感がある宇宙世界、特撮とわかる宇宙船の可愛らしさと実在感。まさに不朽の名作だった。この1作で終わっても全く問題無い作りになっているのも、爽快さを増す要因だった。

しかし、これまでの鑑賞歴が新たな感慨をフィードバックしていて、おかしな鑑賞体験になった。「なるほど、これはエピソード1(〜ローグ・ワンまでの全作品)であんなことがあったもんな」とか思うけど、エピソード4を踏まえて他の作品ができているのだから、物語的な因果の逆転に何度も混乱した。

 


10/9

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(ギャレス・エドワーズ監督)を久々に観た。

やっぱりちゃんと重厚感がある。スター・ウォーズの世界で、戦争映画らしい命の重みがちゃんとあるのはこの作品くらいでは(重過ぎる?)。個性的なキャラクター達が、花火のように一瞬で散っていく。短い時間で、魅力的に現れて、魅力的に死んでいく。観客の思い入れが足りているかどうかはともかくとして、とにかくエモーショナルだった。『ハン・ソロ』の後に見ると、宇宙船の飛ぶシーンはちゃんとカッコいい構図でスピード感が表現されているし、実在感のある音がした。

それにしても、ドニー・イェンのチアルートが最高。スター・ウォーズにカンフーアクションを持ち込んだのは、馬鹿げてるけど斬新だった。一人だけ動きがキレ過ぎている。ジェダイじみたセリフと存在感で一番目立っていた。

改めてみると、キャシアンを通して反乱軍の暗部を詳細に描いているのも画期的だった。ちゃんとリアルなSW世界を拡張できている。

ジンとキャシアンがキスしないで終わってホッとした。

 


10/6

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(ロン・ハワード監督)を観た。

とにかく軽かった。キャラクターの明るさやコミカルなタッチでの演出がそう思わせるのは仕方ないが、宇宙での話に見えないことが一番問題だった。違う惑星に思えるロケーションが無かった。ハン・ソロが参加していた戦場は第二次世界大戦のようだった。スター・ウォーズシリーズで観たことない映像ではあったが、必要だったのだろうか、という疑問は湧いた。列車の車両強奪のシーンは『キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』で観たものに似ていた。

そして、何より宇宙船に実在感が無かった。空気の揺れや宇宙船の微動などが足りないのだろうか。あの独特の音も無かったのかもしれない。

L3がドロイドに見えなかったのは、動き方のせいだろうか。ぎこちなさが必要なのかもしれない。フィービー・ウォーラー=ブリッジ過ぎる喋り方には笑った。動きにもその雰囲気を感じ取れたのは先入観のせいかもしれない。

ドナルド・グローヴァーはメチャクチャ良い味出していた。『アトランタ』のイメージが強いから感情的な演技のイメージが無くて、その巧さに驚いた。昔のランドがこんなに遊び人風なのは意外だったが。

L3とランドの関係性がそんなに描かれてなくてよくわからないので、L3の喪失をランドが必要以上に悲しんでいるように見えたのは、脚本のせいだろうか。

一方で、ベケットはカッコいいんだが、仲間や恋人らしき人間の喪失を全く悼まない。

この辺りの関係性の描き方のチグハグさにもモヤモヤする映画だった。

 


10/1

スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(ジョージ・ルーカス監督)を観た。

大変楽しめた。エピソード2で挫折していたのは勿体無かった。絶望的なラストへ向かうのが分かっているので、ストーリーも追いやすかった。今回もカッコいいデザインのメカや宇宙船がたくさん出て来て、大変盛り上がった。グリーバス将軍のビジュアルも性格も最高で、もっと活躍してほしかった。オビ=ワンの乗る謎の龍みたいな生き物と、グリーバスの乗る車輪状の乗り物とのカーチェイスのパートもとても良くて、非現実的でありながら説得力のある映像にしていてカッコ良かった。陰影を効果的に使ってアナキンが半分闇に飲まれようとしている映像なども、演出としてケレン味が強過ぎて笑ってしまうほどだが、カッコ良かった。アナキンの大虐殺は衝撃的だった。エピソード4以降よりも断然恐ろしいことをしていたことに驚いたし、そのアナキンの表情とビジュアルは完璧だった。ヘイデン・クリステンセンはエピソード2よりは演技が上手になったような気もしたが、相変わらず激しい感情の表現がイマイチで、肝心のダークサイドに堕ちるかどうかの葛藤が弱くて説得力不足という弱点はあった。

 


9/30

『テネット』(クリストファー・ノーラン監督)をIMAXで観た。

な、何が何だか!途中、情報を処理し切れずに眠くなる現象が起きた。受験勉強かよ...。

「時間の流れが一定方向である」という事象を物理学的観点から疑える、という点までは飲み込めた。しかし、それらの説明は「逆再生を使った映像で面白いものを作ろう」という目的のための後付けの理論武装だったのではないだろうか。

今回、スパイ映画っぽい内容だったからか、『インセプション』に似た雰囲気のシーンも多かったのだが、『テネット』の方が映画内のルールが理解しづらかった。逆行する弾丸があるとして、それを撃つ人間まで逆行するのはどういうことなのか、という初期段階で引っかかってしまって辛かった。運命決定論的な時間のありように納得しづらかったせいだろう。それらのルールは映画内にだけ適用されるもので、現実には応用できる原理じゃない、と納得しておけば良かった。納得できないまま映像に翻弄され続けた。ノーランがCG嫌いだというイメージがあるので、うーん、これもCG使ってないのかな?単なる逆再生だけでできる映像なのか?と疑いながら観続けた。

時間の順行者と逆行者がめちゃくちゃに入り乱れることが、一番凄いアイディアだし、映像としても壮絶だった。映像に、構図・色彩・陰影で見せる写真的な美しさや、編集やカメラワークで見せる映画特有のダイナミズムなどはないのかもしれないが、やはりこれはこの監督でしか思いつけないし、他の誰も作れないだろう。この実験的な作品に莫大な予算が投入されていることに驚く。音楽は常に緊張感が張り詰めているソリッドな音楽で、ずっとカッコ良かった。鳴り過ぎててだんだんと麻痺してくる感じもあったけど。

エリザベス・デビッキの美しさを初めて知った。あの身長であのバランスは凄い...。

観終わってから頻繁に思い出してしまうし、答えみたいなものを探してしまう。『メメント』からそうなのだが、映画が直線的に進む時間しか描けないことに、強く反発している気がしてきた。

 


9/27

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(ジョージ・ルーカス監督)を久々に観た。

昔観た時よりも楽しめた。以前は政治劇になっている部分に難解さを感じたようなのだが、物語の概要を掴んだ今見直すと、そんなに難しくもなかった。当時はパルパティーンの思惑がわかっておらず、ドゥークー伯爵の立ち位置などが全く飲み込めなかったがために、混乱していたように思う。「ダース・ベイダーが誕生するまで」と同時に「パルパティーンが皇帝になるまで」という認識があると、独裁制が生まれる過程を丹念に描く深みを感じられた。

偶然にも『スターウォーズ 禁断の真実(ダークサイド)』を読んでいるタイミングでの観賞だったので、それが大いに役立った。その本にも書いてあった通り、全体的に子どもも楽しめるように工夫されていると感じた。カッコいい宇宙船が沢山出て来るし、集中力を持続させるためのアクションシーンが何度も配置されている。前半はかなり刑事ドラマっぽくて面白かった。オビ=ワンとアナキンのバディムービー風に始まったが、途中からはオビ=ワン一人で犯人を捜査するタイプの刑事ドラマになっていく。空飛ぶ車や、夜のシーンのイメージから、何となく『ブレードランナー』を想起した。

しかし、アナキン役のヘイデン・クリステンセンの演技がイマイチだった。繊細な感情の表現が無く、喜怒哀楽の表現も拙く見えた。一番問題なのは笑顔で、普通に笑っているだけらしいのに邪悪に見えた。ラジー賞を取っているという先入観も原因かもしれないが、他の俳優の演技とかなりのギャップを感じた。ひょっとしたら、表情の受け取り方については文化の違いもあるかもしれない。

一点気になったのは、場面転換が多くてかなり多くのシーンが細切れの印象な上に、ワイプの種類も多かったような気がする。

 


9/3〜9/19

『マンダロリアン』(シーズン1)を観た。

開始数分でめちゃくちゃ西部劇が始まってて笑った。殆ど観たことないジャンルなのに、『西部劇』だとわかったということは、皆がイメージする『西部劇』として作ったということなのだろう。酒場、賞金稼ぎ、銃撃戦みたいな要素と、マンダロリアンクリント・イーストウッドばりの無表情・無口っぷりがそのイメージを喚起するらしい。同時に『子連れ狼』や『七人の侍』っぽくて、時代劇を想起するシーンもあったが、西部劇と時代劇はお互いに影響し合っていそうなので、どちらの引用なのかをはっきりさせるのは難しいかもしれない。

それにしても、よく出来ている。ちゃんと『スター・ウォーズ』の世界の範疇にありながら、見たことの無い映像を作っている。着陸時に微細な振動が見えるCGの宇宙船、一眼っぽい深度の映像、現代的でリアルな格闘シーン。演出面で細かく現代的なアップデートが為されていた。あれは僕らが見たかったSWだったのでは、と思う。

ドキュメンタリーも少し見たのだが、この成功はデイブ・フィローニとジョン・ファブローの献身が大きいと感じた。SWに関する膨大な知識を持っていて、ジョージ・ルーカスや他の監督からの信頼も厚いデイブ・フィローニは、見るからに温厚な性格で、彼らのムードメーカーになっていた。そして、ジョン・ファブローは、各話の監督達と一定の世界観を共有しつつ、彼らの個性を活かせるような場を作っていたようだった。そこにはMCUシリーズでの経験が活きているのだろう、と感じた。

 


9/2

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(ジョン・ワッツ監督)をまた観た。

相変わらず良かった。世界の危機ほどの規模じゃない話で、プライベートな恋愛に翻弄されたりするのが、やっぱりスパイダーマンらしい。何度見ても、ピーター・パーカーの成長の描き方が上手い。1作目より好き。精神的な成長が、戦闘面での成長に繋がるのも良い感じ。MCUに沿って言えば、「アイアンマンの喪失」と「彼の後継者は誰だ?」という視点をずっと与えられる。アイアンマンの傲慢さが遺した負の遺産としてのベックと、彼が遺した良い影響を受けたスパイダーマンの対立として観ても、かなりアツい。

そして、トム・ホランドもかわいいが、やはりMJがとてもかわいい。1作目の時に封印してた魅力が全開。恋愛映画として見ても、二人の仲はずっと微笑ましい。

 


9/2

『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(オリヴィア・ワイルド監督)を観た。

超最高!学園青春コメディの最新版で決定版。これ以降、このジャンルの映画のハードルが上がってしまった。

まず、主人公二人のキャラクターが、斬新かつ瑞々しくて素晴らしい。この二人だけでお互いの格好を褒め合うシーンは、この映画の新しさを決定づけている。ブルーレイ買って、このシーンの台詞はちゃんと読み返したい。パンフレットでも散々触れられているが、登場人物に多様性があるのが当然という前提での描き方は、「多様性を重んじるべき」という問題設定を軽やかに飛び越えていて、観てて爽快だった。この状態がどれくらい現実に近いのかは別の話で、理想は必要だろう。

最初はスピード感に圧倒された。しかし、高校生はこれくらいの情報量をこのスピードで処理してたような気もした。本当に多くの登場人物を魅力的に描き切っている。好きなシーンはいっぱいある。タナーがスケボーに乗りながら消化器を噴射するシーンは、その若さゆえの無謀さがカッコよくて好き。車の中でトリプルAとモリーが少しだけわかり合うシーンに漂う、真っ当さと気恥ずかしさのバランスも好き。ジャレッドのパーティを出た主人公二人が笑い合うシーンの切り取り方も自然でグッときた。その後に、リフトで呼んだ車に乗って最悪の下ネタが炸裂するのも爆笑したし、オチも最高。そして、一番好きなのは、パーティで主人公二人が同時に成功のような何かを掴んだ無敵の瞬間。直後に、エイミーだけが奈落に急直下する瞬間も美しく撮られていて、これも思わず声を漏らしそうになるくらい切なかった。過去にあったはずが無いのに、どちらの瞬間も自分にもあったような気がして、懐かしさや苦さを感じた。この瞬間から、いつも一緒だった二人が別々の道を歩き始めていて、本当の意味での卒業と成長を描いていく。彼女達の変化を描いた上で、友情は続いていく。そのバランスが最高な脚本だったし、ラストの友情が続くことの表現も最高だった。人生の中で大切な時間があることと、それがこの瞬間であることを深く理解した上で作られた作品だった。

 


8/28

アベンジャーズ:エンド・ゲーム』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

1作目からきちんと積み重ねた結果、『インフィニティ・ウォー』以上に楽しめた。これだけ膨大な量の過去作のネタを入れ込んだマーベル映画は、今後無いのではないか。ルッソ兄弟のまとめ力が素晴らしい。複雑なプロットを出来る限りわかりやすく描いている。戦争さながらの大戦闘シーンも、各キャラクターの特性を生かしつつ上手く描いていた。 それでいて、アクションの新しさや迫力を失っていない。YouTubeのとある動画(https://youtu.be/1_Y3TfzLJS4 ネタバレしているので、注意)でも答え合わせをしてみたけど、かなり拾えていた。各キャラクターへの愛着が強くなっているためだろう。何度観ても、ピーター・パーカーとトニー・スタークの擬似父子関係は泣ける。キャプテン・アメリカがムジョルニアを使えるとわかるシーンと「アッセンブル」の瞬間はアガる。マイティ・ソーがこれまでのどの作品よりも人間的であることに気づいた。PTSDだ、という意見も見かけたことがあるが、確かにそういう風にも見えた。キャプテン・アメリカの最後のタイム・パラドクスはやっぱり気になるけど、些細なことだろう。フェイズ3を見事に清算する大団円だった。

 


8/23

キャプテン・マーベル』(アンナ・ボーデン&ライアン・フレック監督)を観た。

世界的な潮流となったmetoo運動などを汲んで、女性をエンパワーメントする目的が強く出ている映画だった。その目的意識が強過ぎたのかもしれないが、あまりに「社会的な抑圧を受け続けた女性が力を解放する」という結論ありきで作られている感じが腑に落ちなかった。特に回想シーンで挿入される「女だから」と男から馬鹿にされたり抑圧されたりする映像は、意味としてはよくわかるのだけど、現在のキャプテン・マーベルの人格とはズレがあるように見えたし、ストーリー的にも唐突な気がした。もっと自然に見せる方法は無かったのだろうか。人間じゃなくなったことへの葛藤や、抑圧されていたことへの抵抗は、もっと丁寧に描いても良かったのではないだろうか。悩まないヒーロー像というのが新たに描きたかったのかもしれないが。

唯一、自然とマウントを取ってくるジュード・ロウが、『男の世界』みたいな価値観を提示した上で、問答無用にやられてすごすごと帰るシーンには、今までの映画に無い斬新さを感じたし、現代的な価値観の提示を感じた。

しかし、キャプテン・マーベルが無敵過ぎる設定のせいもあるかもしれないが、後半は本当に雑な感じがした。前半の狭い電車の中でのアクションなどはお婆さんに成り済ましたスクラルが超飛び回ったり、騙された乗客達がキャプテン・マーベルの邪魔をしたりする工夫もあって面白かったが、後半はアクションもただただ殴り合ったり撃ち合ったりするような感じで、『マイティ・ソー』(1作目)を思い出した。ジュード・ロウの容姿やスクラルの容貌を利用した展開のミスリードなども面白かったが、後半の展開には活かせていなかった。総じて『見た目で判断してはいけない』というmetoo運動にも繋がるような、重要なテーマも感じただけに惜しかった。

それと、全体的に音楽が合ってない気がした。音楽で90年代を表現してもいいが、かけ方と選曲がしっくりこなかった。

 


8/21

アントマン&ワスプ』(ペイトン・リード監督)を観た。

前作より緊張感が後退していた。絶対的に邪悪なヴィランを設定していない点が原因だろう。一方で、一応のヴィランのゴーストが悪事を働く理由が切実な分、人間ドラマの部分に深みが増した気もする。しかし、全体を通して感じるのは楽しいB級感で、『エンドゲーム』前の小品にふさわしい作品だった(この小規模な小競り合いをしているアントマンが、エンドゲームで世界を救う鍵になるというのも粋な話だと気づいた)。

縮小と巨大化が普通の能力になったので、そこからどう新しいアクションを見せるのか、に注目したが、縮小のタイミングと対象のバリエーションを工夫することで斬新な戦闘シーンが作れていた。さらに、自由に空を飛べるワスプのアクションが新しさに拍車をかけていた。また、アントマンのスーツがポンコツであるということはマイナス要因のはずなのに、そのトラブル要素が脚本も振り回していて先が読めない楽しさがあった。

監督はスコットの悪友3人のキャラがかなり好きなのだろう。彼らがギャグっぽいパートのまま、シームレスにシリアスな展開を作っていくシーンはどれも最高だった。

 


8/20

『新感染ファイナル・エクスプレス』(ヨン・サンホ監督)を観た。

マ・ドンソクの剛腕っぷりを観たくて観た。一発で大好きになった。(アトロク放課後ポッドキャストで聴いた通り)腕にガムテープを巻いただけでゾンビに立ち向かっていて爆笑した。そのマッチョなカッコ良さと言ったらない。マ・ドンソクは弱い者もちゃんと助ける!しかも、見た目通り通り機械に疎かったりして、かわいい。奥さんにもしっかりと優しくて、チャーミング。本当にマ・ドンソクが素晴らしい映画だった!

映画自体はあんまり面白くなかった。主人公があまりにイヤな奴に初期設定されているので、ゾンビが出たくらいで他人を慮れる人間に変わるのは違和感があった。お婆さんが死を選ぶ展開も空気読んだ感じがして、ご都合主義的に感じた。悪い意味でアニメやマンガっぽいキャラクターと展開が多いと思ったら、監督はアニメーション主体で活躍しているらしくて、すごく納得した。大量のゾンビが走り回って暴れる映像や、大量のゾンビが電車に引きずられる映像などの規模には感心したが、「実写でよく撮ったな」という労力に感心してしまって、映像にはあまり魅力は感じなかった。

しかし、電車の破壊っぷりなどを見ると、本当に大予算が感じられた。極限状態でやっと人との絆を思い出すという構造から、『海猿』みたいなゾンビ映画だと思った。

 


8/18

アベンジャーズ:インフィニティ・ウォー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

MCU1作目の『アイアンマン』から積み重ねて観ていくと、絶望の重みが違った。

全部観ていると、あいつもこいつもモブじゃなかったじゃん!と後から意味が増えたようなおかしな鑑賞体験になった。それぞれのヒーロー単体の映画では2〜3番手にいるキャラクターが、オールスター戦での2時間半に圧縮されると、モブキャラに近い薄い扱いになる。そういう現象が起きていたことを知った。

しかし、同時に、サブキャラの扱い方から、ルッソ兄弟のバランス感覚の絶妙さもわかった。全作品を網羅している人には、各作品のキャラクターを大事にしていろんな目配せをしていることがわかるし、観てない作品がある人にはモブキャラの一人であるかのように見せてストーリーを邪魔しないようにする、というギリギリの塩梅で調整していた。さらに、監督が本当に各作品と各キャラクターを知り尽くしていて、ちゃんと彼らが単体の最新作から繋がって現れている感じがするのが凄い。特にガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々の楽しげな姿にそれを感じた。プロデューサーのケビン・ファイギの手腕でもあるのだろうが、相当綿密に打ち合わせているとわかる。また、タイタンでのやり取りに顕著なのだが、そのキャラクターを生かした演出はちゃんとアクションにも生きていた。我が強いキャラクター達のうまくいかないやり取りの後に、どうにかこうにかちゃんと作戦を立てて、お互いを生かしながら独創的なアクションを魅せるシーンはとても良かった。

そして、やはりサノスの狂信っぷりと哀愁の出し方が凄い。唯一無二のキャラクターであることを実感した。やっぱり、エンドゲームが早く観たくなった。逆転が観たい。

 


8/13

『ブラック・パンサー』(ライアン・クーグラー監督)を観た。

キルモンガーの映画。マイケル・B・ジョーダンってこんなに華があるのか!『クリード』はやっぱり観なければ。

観ている途中で、宇多丸氏がティ・チャラをキング牧師に見立て、キルモンガーをマルコムXに見立てて映画評をしていたような...?とぼんやりと思い出した。

ワカンダの技術力の全貌はこの映画で明かされたわけだが、様々なガジェットのアイディアが超魅力的でワクワクした!リモート運転・操縦機器、ブラックパンサーのスーツの機能、マントでシールドを作る機械。どのガジェットにもアフリカンな民族的意匠を合わせていて、それは見たことも無いアフロ・フューチャーを提示していて、凄くカッコ良かった!ワカンダがアフリカの伝統とヴィブラニウムで生み出した最新技術をどちらも大事にしていて、そこに矛盾を起こしていない文化として自然に描いているのは、巧い描写だと思った。地域によって音楽を明確に分ける魅せ方も面白かった(どこまでがケンドリック・ラマーなのだろう)。観ていて気付けなかったが、アフリカ音楽とアメリカのヒップホップミュージックが溶け合う瞬間もあったのだろうか。

キルモンガーがいろんな感情を魅力的に表現していて目立っていたが、シュリもオコエも表情豊かにカッコよく描かれていて良かった。主人公のティ・チャラは常にオシャレだったが、それだけだったような...。いや、品はあったのだけど…!

 


8/11

マイティ・ソー:バトルロイヤル」(タイカ・ワイティティ監督)を観た。

マイティ・ソー・シリーズの中では屈指の出来!今までの悲劇めいたファンタジー神話調をだいぶ減らして、ちょっと古めのディスコ調の電子音楽鳴らしまくりながらカラフルに進めていて、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのSF世界に近接していた。コメディ要素もめちゃくちゃ足しまくってて、とにかく楽しい感じ。ソーの小ボケも多いし、ロキとの共闘にも楽しさがあって、今までで1番キャラクターが魅力的に見えた。ケイト・ブランシェットのヘラも超ハマり役で、あの喋り方と佇まいはマジでカッコ良かった。ハルクは緑の時のキャラクターが幼児そのものになっていて驚いた。哀愁も感じるが、魅力は増したように感じた。全体的にアクションの魅せ方もだいぶ変わっていて、惑星サカールでのアクションはどれもド派手で最高だった。

 


7/24〜8/11

『アップロード』(シーズン1)をAmazonプライムビデオで観た。

「現代のデジタル化と強く結びついた資本主義社会が発展していくとどうなるか」というテーマで、精緻なシミュレーションをしていく近未来SFブラックコメディ。

『アップロード』は、デジタルデータ化した生前の意識を死後もサーバー上の天国で生かし続けるアプリケーションで、このドラマの核となっている。ネットゲームのようにアバターを使ってプレイする文化に慣れ親しんでいれば、このアイディアは意外と飲み込みやすいし、ドラマの中で現実にすんなり溶け込んでいる様子を見ても違和感が無かった。彼らの様子を見ていると、「デジタル化というものは、数値化やモノ化とほぼ同義らしい」と思えてくる。アップロードされたデジタル幽霊の人権がたやすく矮小化されて誰かに所有されていく様子からもそれを感じけど、最もそれを感じたのはセックスを目的としたマッチングアプリの『ナイトリー』だった。このアプリによって、現実の若者達は性的な所作を互いに評価し合い、性行為自体をモノ化しているのだが、このアプリはあまりに現実と地続きだったのでかなりゾッとした。

こんな風に、そのうち現実に生まれそうなほどリアルなアイディアの数々や、アップロード世界の表現などは創造性に満ちていて、見ていて飽きない。そして、そのままそれらの描写が更に広がった格差社会を映し出すのもよく出来ている。3Dプリンタの延長線上にある技術で出来た料理が貧困層のベーシックになっている、という描写もエゲツない。

そんな風に、映像的には面白い部分も多いのだが、ストーリーにはちょっと疑問点もあって、「あれ?1話飛ばしたかな?」と思うことがちょくちょくあった。特に主人公とジェイミーのやり取りがそうで、音信不通だったはずなのに、急に進展したりするのがよくわからなかった。大きな謎でストーリーを引っ張っておきながら、シーズン1の中で終わらせない脚本もどうかと思った。更に、ラストで主要な登場人物について後先考えてなさそうな展開も一個あって、驚かされた。人気が無かったら打ち切りだろうから、視聴者は悶々とさせられてしまうだろう(シーズン2は決まったらしいが)。とはいえ、全体的には、目まぐるしく登場する近未来のガジェットやアイディアを存分楽しんだし、ノラもキュートだったので、シーズン2にも期待したい。

 


8/7

スパイダーマン:ホームカミング』(ジョン・ワッツ監督)をまた観た。

トム・ホランドがかわいい。『シビル・ウォー』から順番に見ると、彼が子どもであることがより強調されて見える。怖い大人達と出会って、彼が成長していく物語であり、そのために逆算して最初はものすごく子どもになっていた。しかし、成長物語だと決めつけて観れば成立してるのだろうが、やはりどうして成長できたのかが、よくわからなかった。なぜ窮地になってトニー・スタークの言葉を思い出したのか、しかも、なぜそれだけで力が湧いたのか、という疑問は残ったままだった。私生活より社会のため正義を優先する点も、持って生まれた性格と捉えるべきなのだろうか。それでも、ピーターをはじめとして、どのキャラクターも生き生きとしていて魅力的だから見ていられる。逆に言えば、かなりキャラクターとして説得力があるのに、ストーリーのために動いているように見えるシーンがあったので、気になったのだろう。

改めて観ると、マイケル・キートンのドスの効いた演技は本当に恐ろしくて素晴らしい。また、塔も船も飛行機も、アクションシーンが実はかなり派手で革新的だったと改めて気づいた。そして、ゼンデイヤ演じるMJは、意識的にしかめっ面や皮肉屋な表情をすることで、美しさを封印していたことに気づいた。続編への布石だったのかもしれない。

 


8/2

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』(ジェームズ・ガン監督)を観た。

相変わらず最高のノリで、終始ゴキゲンだった。オープニングからやっぱり最高で、あのMr.Blue Skyの使い方は曲にも新たなイメージをつけた。ベビー・グルートはこのOPから最後までずーっとかわいかった。今回のメインテーマは家族で、エゴとピーターとの父子関係で始まる問題を軸にしながら、ヨンドゥーとピーターとの擬似父子関係や、ガモーラとネビュラの擬似姉妹関係にある愛憎入り混じった絆を描きつつ、ガーディアンズが家族同然の仲間関係になっているのを楽しく魅せてくれた。

前作に比べて、各キャラクターの掘り下げもより深まった。ドラックスは、前作で主要な感情だった怒りの矛先が無くなって、とにかくよく笑うおじさんになった。根底に悲しみを秘めているのも良い。ロケットの『素直になれなさ』は、ロケットというキャラクターをより魅力的にしつつ、今回の映画のかなり重要なファクターになっている。ロケットがヨンドゥーと写し鏡のようになるシーンにはかなり動揺した。ピーターが覚醒するシーンで挿入される家族の絆を強調する回想シーンにもしっかりとやられた。ヨンドゥーが良過ぎた...。全体的にガーディアンズの仲の良さがめちゃくちゃパワーアップしていて、観ていて本当に楽しかった。アベンジャーズの中では、こういうチーム感を出してる唯一の存在だと気づいた。妻が指摘していて面白かったのは、この映画全体がスターウォーズサーガの否定になっているのでは、ということだった。主人公による血縁関係ではない関係性の選択と、強大な力の遺伝の拒絶は、確かに明確にスターウォーズの裏返しになっているかもしれない。

 


7/31

ドクター・ストレンジ』(スコット・デリクソン監督)を観た。

まず、凄まじい映像体験だった。ドラッグムービーとかトリップムービーというジャンルじゃないだろうか。ぐるんぐるん動く映像で、久々に映像で酔いそうになった。特にミラージュワールドでビルが徐々に現実離れした動きをしていく映像は、『インセプション』を想起させつつ、それをもっと過激にして現実のルールを壊していた。あの映像をどうやってイメージして、どうやって映像にうまく落とし込んだのかは気になる。

主人公のキャスティングは絶妙で、『シャーロック』の高慢・皮肉屋・頭脳明晰というイメージを借用したベネディクト・カンバーバッチに見えた。しかし、主人公が世界を救おうとする心の動きはよくわからなかった。表現として不足している気がした。「元々、医者で、人を救うことを目標としていた」とか「誰かを大切に思う気持ちを思い出した」くらいの感じなのだろうか。魔法を学んでいる序盤で敵との戦いが始まってしまう、というのは、急展開過ぎてなかなか飲み込めない部分もあったが、未熟でも工夫して戦うという魅せ方はとても巧かった。敵との最終決戦の終わらせ方も、見たことない解決策を取っていてかなり斬新だった。マントの空飛ぶ絨毯っぽさはかわいかった。

 


7/28

キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を久々に観た。

いつ見ても壮大な内輪揉め。復讐の連鎖が争いを起こして戦争や内戦が生まれる社会の構図を、そのままトレースしている。アントマンの戦い方がアベンジャーズに通用するのは、やはり嬉しい。ただのおじさんに見える点も含めて。スパイダーマンの幼さは、やはりとてもかわいらしい。ソーとハルクを入れなかったのは脚本が巧い。前作に続いて、カーアクションも引き続き凄まじい。どうやって撮っているのか、どうCG入れているのかわからないシーンが多い。世紀の大乱戦は何度観ても楽しいし、まとめる魅せ方がめちゃくちゃ巧い。その上で、アクションがどれもちゃんとカッコいいのが凄い。改めて1作目から見て行ったおかげで、キャプテン・アメリカとウィンター・ソルジャーは本当に親友なのね、と初めて感慨深かった。ファルコンのメカの性能アップっぷりも良くて、かなりカッコよくなっていた。ファルコンとウィンター・ソルジャーが良いコンビになっているのも今後の展開への布石になっていた。

 


7/25

アントマン』(ペイトン・リード監督)を久々に観た。

『小さくなれる』という一見地味な能力を生かして、クリエイティビティ溢れる多彩なアクションを描いている点が、やはり最大の魅力だった。なるほど、『小さくなれる』とこんな戦い方が可能なのか、という驚きに満ちている。アントマンと蟻との連携を見ているうちに、『ミクロキッズ』を参照しているのでは、と初めて気づいた。軍事利用のためにテクノロジーが使われる、というのは、MCU作品全体を通じて一貫したテーマになっている。ルイスはいかにも抜けたキャラクターなのだけど、最初の方で息巻いてた自慢してた腕っぷしの強さが本当だったことに気づいた。ちゃんと前フリしてたのか、と。主人公の冴えないおじさんっぷりはやっぱり面白い。

 


7/22

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(ジョス・ウェドン監督)を久々に観た。

やはり拭い去れない自業自得感はある。トニー・スタークが悪いじゃん。クイックシルバーの可愛さに初めて気づいたので、あのラストは悲しかった。トニー・スタークとウルトロンの写し鏡的・親子的な関係の強調には初めて気づいた。ウルトロンの思想はかなりトニーをトレースしていたのか。ラストバトルのグルグル回るカメラワークの中でのチームプレイは、『アベンジャーズ』で成功した映像をパワーアップさせて魅せていた。ワンカットの中で、スムーズにそれぞれの特性を活かしたアクション映像で繋ぐ手腕はさすがだった。

 


7/20

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(ジェームズ・ガン監督)を久々に観た。

やっぱりどうしてもアガってしまうシーンが確かにあった。オープニングのダンスシーン、音楽に合わせて皆が集結する何かのオマージュらしき映像、グルートの献身、ラストのダンスシーン、ピーター・クイルがお母さんとガモーラを重ねて人との繋がりを感じるシーン、ロケットの邪悪なのに可愛らしい笑顔。

久々に見ると、「どうやってこのメンバーが仲間になったんだっけ...」という感じで、展開を全く覚えていなかったのだけど、それも仕方ないだろう。ジェットコースターのように目まぐるしい展開が、異様にテンポ良く進んでいくので、振り落とされないようにするので必死だった。覚えている暇なんてなかった。それでいて、見やすい映像になっているのは、うまくメリハリをつけた監督の手腕なのだろう。

グルートの能力の全貌を明かさないことで若干ご都合主義的な展開もあったが、そんなのどうでもよくなるほどキャラクターが魅力的だった。ヨンドゥの父性やかわいさには初めて気づいた。彼は、どんな形でもスター・ロードとの関係性が続くのが嬉しそうだ。スター・ロードのアクションやオールディーズな音楽に合わせる煌びやかなSF感など、多くの新鮮さを持った映画だった、と改めて思った。

 


7/13

キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(アンソニー・ルッソ&トニー・ルッソ監督)を観た。

想像していたよりも骨太なスパイアクション映画だった。会話も含みのあるものが多くて、一聴して何を言ってるのかわからないことがあった。『ミッション・インポッシブル』を参照しているのかもしれないが、カーアクションのド派手さと斬新さは、それ以上だった。特にウィンター・ソルジャーが爆破して飛んできた車をギリギリで避けるシーンは、最高過ぎてめちゃくちゃ笑った。普通の戦闘アクションも相当洗練されていて、『ボーン・アイデンティティー』や『アウトロー』以降のアクションの歴史を踏まえた上で、アップデートしている。ブラック・ウィドウが関節技を極めながら投げたり殴ったりする動作は、何度見ても楽しい。

それにしても、ニック・フューリーの見せ場があんなにあるとは思いもよらなかった。こんな事態なのにアベンジャーズの他の面々はどうしてるのかな...って時々気になったけど、息もつかせぬ展開の連続で、あまり深く考える隙が無かった。

一方で、キャプテン・アメリカの功績を讃える博物館を上手く使って、彼の苦悩を描きつつ、バッキーが現れる準備をしていたりして、随所で演出の丁寧さも感じられた。これ以降の作品も少し観ているけど、ブラック・ウィドウがキャプテン・アメリカに好意を寄せているっぽい描写はこの作品にしか無かったような。どうなったんだろう。

 


7/11

マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(アラン・テイラー監督)を観た。

描く世界(惑星)の数が前作を超える多さで破茶滅茶になりそうな内容だが、全体的な色味を落ち着いたトーンで合わせたりして、うまくまとめていた。違う世界を描き始める度に、ゆっくり遠景を見せるのもそのための工夫だったかもしれない。

単純なCG技術の向上もあるのだろうが、アスガルドは以前とは比べ物にならないくらい説得力のある世界になっていた。全体的に前作より丁寧だった。更に、今回は北欧神話的ファンタジー世界からスターウォーズ的宇宙SF世界へ、なめらかに表現スライドさせていて、その奇妙さもとても面白かった。こんな風に世界観を同居させた作品は、これまでにあったのだろうか。

ラストの瞬間移動バトルの目まぐるしさは見応えがあったが、何か既視感を覚えた。その原因は『マルコヴィッチの穴』か、『エターナル・サンシャイン』か、あるいは、チラ見した『ジャンパー』だったか。何か明確な参照元はあるのだろうか。ジェーンが最後に急に科学的な実力を発揮するのも、少し唐突な気がした。世界規模の災害が起こりそうなのに、アベンジャーズの面々が全く出ないのもおかしい気がした。時系列だけを『アベンジャーズ』後として扱うのは、MCUという世界観との矛盾が大きそうだった。

 


7/8

アイアンマン3』(シェーン・ブラック監督)を観た。

MCUシリーズではトップレベルの面白さではないだろうか。『リーサルウェポン』『ナイスガイズ!』の監督だけあって、バディムービーとしても最高の出来だった。トニーとローディがわかりやすいバディ感だったけど、トニーと少年・ハーレーのバディ感も良かった。アクションの多彩さやド派手さと、そのアクションが転がす超展開は、監督の持ち味を最大限生かす内容だった。

今回は明確にトニー・スタークの人間性を掘り下げる内容だった。『アベンジャーズ』で負った精神的ダメージに、真正面から立ち向かっている人間くさいトニーは新鮮だったし、アイアンマンスーツ無しでの身体性のあるアクションも増えていて見応えがあった。

一転して、ラストバトルのスーツ取っ替え引っ替えでの目まぐるしいアクションも素晴らしかった。そして、メイキングも見て感動を増幅させたのだが、飛行機から落下する人々をアイアンマンが順番に助けていくアクションが最高だった。ダイナミックな映像にするためにスカイダイビングで撮るというアイディアを実現させる行動力・労力・製作費と、さらに、そこにうまくCGを当て込む技術を惜しみなく注ぎ込んで映画を作っている。その姿勢を知れただけでも感動できた。また、そのシーンは、「人は人を助けるために、命の危険があっても手を伸ばして繋げられる」という描写でもあって、人間の善性を信じる製作者の信念も感じられて、胸を打たれた。

 


7/2

アベンジャーズ』(ジョス・ウェドン監督)を久々に観た。

ここまでの作品をほぼ公開順に観てきたのに、登場人物達の会話からはまだ俺が知らない映画があるように感じられた。皆がお互いのことを知ってる前提で出会っているから起きた違和感らしい。お互いに『学習済み』もしくは『噂で知っている』というような状態は、なかなかうまいやり方だと感心したが、観客は彼らのお互いの理解度がわからないので、自然と話を補完しながら観ることになった。それはこの映画の欠点のようでもあるし、映画の残した余白にも見えた。

とりあえず、ロキの行動はよくわからなかった。明確な行動をするわけでもないのに、アベンジャーズに敢えて捕まった理由がわからなかった。我々をバラバラにするためだろう、我々を脅威に思っているのだろう、というアベンジャーズ側の解釈も変じゃないか。このロキの行動原理の不可解さのために展開を全く覚えていなかったし、今後も覚えられない。

しかし、監督はこの破茶滅茶な要素が多い構成をうまくまとめ上げてた。それにしても、アベンジャーズは最初からこんなに空気悪いシーン多かったのか。それも忘れていたが、しっかりとこの後の展開の予兆になっていた。

周りをぐるーっとカメラがドリーする中で皆が見得を切るシーンや、ワンカット風に皆のチームワーク感あるアクションを魅せるシーンは、やっぱり超アガる!これぞアベンジャーズ!そして、ハルクは役者だけじゃなくてキャラが変わり過ぎてた。今回、ホークアイのいぶし銀なカッコよさに気づいた。

2020年後半に読んだ本の記録

2020年後半に読んだ本を、いろんな視点で大まかに分類してみる。

 

小説6冊(作品批評等が入っている1冊含む)、エッセイ2冊、ノンフィクション系2冊、新書2冊。

 

日本人作家10冊(柴崎友香が2冊、アンソロジー的な本2冊含む)、イギリス人作家1冊、アメリカ人作家1冊。

 

男性作家5冊、女性作家6冊(柴崎友香が2冊)。

 

2000年以降出版(発表)の本11冊、1999年以前出版(発表)の本1冊。

 

計12冊。

何冊読んだかが問題でもないが、実感として読書時間が少なくなった気はしていた。これまでの習慣では、圧倒的に通勤中に読む時間が多かったらしい。ステイホーム推奨になってその時間はどこへ消えてしまったのだろうか。というわけで、最近は意識的に夜寝る前などに読むようになった。

少しずつ自分の興味を広げていきたい。専門書なども読んでみたい。

以下、ネタバレしながら感想を書き散らしている。

 

11/13〜12/23

『公園へ行かないか、火曜日に』(柴崎友香)、読了。

日本とそれ以外の国(特にアメリカ)の間にある価値観や言語の違いに触れた結果だと思うけど、言葉と構成に揺れを感じた。その揺れは不安や失敗を想起させるものでは無くて、何かが起きる期待を感じさせた。

この感触で真っ先に連想したのは、保坂和志の『未明の闘争』だった。あの小説の意図的な脱臼みたいな文章とはさすがに違うけれど、小説の定義を拡張するような挑戦的な姿勢が似ていた。記憶に合わせて時間軸を行き来する構成や、エッセイみたいな小説である点もそうだ。

この作品は筆者がIWP(インターナショナル・ライター・プログラム)に日本の作家として参加してアメリカで過ごした3ヶ月を、いろんな視点から描いた短編小説集だ。アメリカから見た日本、アメリカ以外の国から見た日本、アメリカ以外の国から見たアメリカ、という多様な視点に触れて、著者の感覚やアイデンティティが揺さぶられているのがわかる。読んでいくうちに、著者と一緒に新鮮さに触れる歓びを感じる。読みながら、それは旅で経験したことがある歓びだと気づいた。コロナ禍の渦中にある2020年に読むと、旅というものへの郷愁や憧れを感じずにはいられなかった。

また、この小説が描いてるのが、トランプがアメリカ大統領になった2016年であることも、2020年に読むと感慨深い。当時、トランプが大統領になるなんて思いもしなかった。アメリカという国に起きている分断が自分には全く見えていなかった。格差と差別が作る分断をまざまざと見せつけられた4年間だった。そして、トランプが大統領じゃなくなっても、より強くなった分断は残り続けるんだろうな、と改めて感じている。

IWPに参加していた各国の作家達の交流を見ていると、お互いを尊重しながら理解する姿勢は共通していた。人によって得手不得手もあるけれど、そうやって少しずつ歩み寄れるはずで、それが多様性を認めるということだろう。


10/7〜12/10

ジョコビッチはなぜサーブに時間をかけるのか』(鈴木貴男)、読了。

自分の価値観や世界観が狭まるのを感じているので、あまり興味の無い分野の本を読んでみた。興味ゼロではそもそも手にも取れないが、興味が薄いと読み進めるのに時間がかかると知った。

タイトルが新書らしいキャッチーさだったので、そこに惹かれた部分はある。何度読み返しても、ジョコビッチがなぜサーブに時間をかけるのか、はよくわからなかったのだけど。『打球前の長い予備動作の後に唐突に素早い動きでサーブを打つと打ち返しづらいから』というのが答えなのだろうが、明確な答えとはしていない。

内容をちゃんと説明するタイトルをつけるなら、『テニスの見方入門』くらいの感じだろうか。テニスに全く詳しくない自分にもわかりやすく説明してあって、単純に知見が増えるのを楽しめた。セットごとの点の取り方の意図、フォアハンドとバックハンドの攻防の意味、コートの表面の質、ボールの個体差、などなど…読めば読むほどテニスの駆け引きの多さに驚く。他のスポーツと比べても特に駆け引きが多いのだろうか?こんな風に駆け引きを説明している入門書を読めば、どのスポーツも楽しめるようになるのかもしれない。

そして、この本の中で最も面白いと思ったのは、「テニスは一人で考えて一人で闘うスポーツである」というような記述だった。この表現は何度か見かけた。言われてみればその通りだろうけど、明文化されるまでは気づかなかった。何度も書いていたので、ここにテニスの大きな魅力があるのだろうと感じた。トイレに行く時もコーチなどからアドバイスを受けたりしないように誰かが付き添って見張る、という徹底っぷりも面白く感じた。単なる頭脳戦でもないのに、アドバイスを受けることを禁じる、ということには、何かテニスの歴史や哲学を感じずにはいられなかった。

今度テニスの試合を見かけたら、見え方が違うかもしれなくて、少しワクワクする。


11/9〜11/13

『ステイホームの密室殺人2 コロナ時代のミステリーアンソロジー』、読了。

『ステイホーム(コロナ禍)』と『密室殺人』と『ミステリー』の三題噺で話を作るアンソロジー集の2作目。2作目を買ったのは、こっちの方が興味がある作家が多かったから。ミステリー小説というのは知的遊戯的に感じることが多いのだけど、この三題噺のルールが持ち込まれると、より一層競技性が高まったように感じた。読み始めて、フィギュアスケートを連想した。普通の小説がフリープログラムなら、こちらは規定演技をするショートプログラムみたいだった。

乙一氏の短編は、他の作家の作品と比べると、キャラクターを作り込むのではなくて、ストーリーやトリックを練り上げた印象だった。その王道ミステリーに、著者の初期作を彷彿とさせる青春っぽさと切なさを混ぜ込んでいるのは流石だった。

佐藤友哉氏の短編は講談社ノベルスゼロ年代を思い出させる内容(そこまで詳しくないけど)で、極端な人格の漫画・アニメっぽい探偵キャラクターと突飛な設定を持ち込んで、このお題に応えていた。シリーズ化できそうな出来栄えだった。

柴田勝家氏は「SF作家らしい」くらいの認識で興味津々で読んだので、SF設定が全く出て来なかったのは少し残念だった。佐藤友哉氏に近いが、かなり漫画・アニメっぽいキャラクターが大活躍する作品だった。今度はSF作品を読んでみよう。

法月綸太郎氏の作品は三題噺の制限から少しはみ出していて、実質的には密室殺人が起きていなくて、破格と言える作品だった。2020年の現代社会への問題意識は強く感じた。一番純文学に近づいている作品だった。

日向夏氏の作品は、突飛な設定の謎にインパクトがあった。その衝撃を中心として、ちょっと変わった語り手と、わかりやすく造形されたキャラクターの刑事たちを使って巧みに種明かししいて、とても楽しめた。情報の出し入れが上手かった。後から解説者キャラが唐突に現れる点だけは引っかかった。それでも、コロナ禍の社会的影響をうまく取り込んだ点も凄く巧かった。もう一度読むと、とても巧妙な表現で謎を隠していることがよくわかる。

渡辺浩弐氏の作品は、他の作品とリアリティラインが違うかのように見せる瞬間があって、そこから戻ってきて安心させる流れが面白かった。展開も多くて、グイグイ読ませる作品だった。

全体を通して読むと、実際の『2020年の現実』がいかにもフィクショナルに思えてくるという不思議な現象が、メチャクチャ面白かった。


10/27〜11/5

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(若林正恭)、読了。

不要な嘘をつきたくない人が、すごく自制して誠実に書いた本だった。自分はオードリーを熱心に追っていたわけでもない。ラジオも時々聴いている程度だ。でも、『あちこちオードリー』という番組は第1回から見ている。テレビやお笑いの裏側っぽい話(ラジオでやりそうな話)をテレビでしちゃうのが楽しい。その番組を見たり、その番組プロデューサーの佐久間Pのラジオを聴いたりしているうちに、この本への関心が強くなっていった。その矢先に加筆した文庫版が出たので買った。

ラジオでの佐久間Pとバカリズムとの会話で『若林くんは自分の変わってきたことも話す』と評していたのが印象的だったのだけど、この本でも彼は自分の変化を包み隠さずに曝け出そうとしていた。

本の内容としては、キューバ・モンゴル・アイスランドへの一人旅の紀行文がメインになっていて、そこでの出来事と、その出来事がきっかけでふと思い出した内容を行ったり来たりするような本になっている。あとがきに近いスタンスで『コロナ後の東京』という章もある。お笑い芸人としての実力もちゃんと発揮していて笑えるエピソードも多いし、それぞれの場所が魅力的に紹介されていて単純に行きたくなるが(今読むことで「いつ行けるんだろうか」という憧憬の念も感じる)、やはり白眉は父への惜別の思いを忍び込ませたキューバ編だろう。初見だと不意に入ってくるから驚く。この構成には、いかにも筆者らしいシャイネスを感じた。

どの章でも共通しているのだけど、生きづらさの原因を真摯に考えている姿が良くて、はっきりと『新自由主義』を仮想敵として旅を始めたのに、キューバ社会主義に触れて考え方に思い悩むところは、その断言しない点も含めて本当に信用できる書き手だと思った。

著者はまだまだ変わり続けるし、悩み続けるだろう。その姿をずっと追っていきたい。


8/31〜10/27

『幕間』(作:ヴァージニア・ウルフ/訳:片山亜紀)、読了。

スラスラ読めなかったのは、現代から遠い時代の話だったからか。書かれた時代背景を注意深く理解しながら読み進めた。台詞にも風景描写にも、古典から引用している部分が多数あって苦戦した。現時点では、それが当時のイギリス小説の技法として一般的だったのだろうと推測しているが、実際どうなのかは気になっている。

たくさんの注釈も細かく時代背景と舞台設定を説明していた。第二次世界大戦に参戦しかけている頃のイギリスの田舎町で、とあるお屋敷を舞台にして町の住人達が披露する野外演劇の様子と、その演劇を観る人々が織り成す人間模様を描く。この小説の構造自体は、現代に置き換えても問題なく楽しめる普遍性を持っていた。Netflixオリジナルの映画になりそうなくらいだった。

タイトルの原題は『Between the Acts』だそうで、二つの世界大戦の間の時間も示唆している、と解説にあったので、作品への不穏さの入り込み方に納得した。また、人々の日常的な所作自体を演劇的に見る視点も踏まえたタイトルかな、とも考えた。

作中で披露される劇は、最後の方の演出がやたらと前衛的で面白かった。

全体的に際立っているのは、詩的で美しい情景描写や、繊細に心理状態を表現する細かい動作や台詞だった。自然環境が舞台を演出して演劇に混じる瞬間は超カッコよかった。同性愛者に関する描写も、この時代では先進的だったのだろう。

作者への勝手なイメージで『女性の自立』を鼓舞する内容があると思っていたが、それは無くて少し肩透かしを食らった気分になった。女性が社会によって抑圧されている苦痛は伝わってくるので、それだけでも先進的だったのかもしれないけれど。次回はもう少し直接的にフェミニズム運動に影響を与えた作品を読みたい。


9/16〜10/7

スターウォーズ 禁断の真実(ダークサイド)』(高橋ヨシキ)、読了。

実はスター・ウォーズ関連の本はあまり読んだことが無かった、と読み始めて気づいた。物語的な時系列に沿ってスターウォーズ作品を紹介しつつ、作品についてのいろんな視点や考え方を教えてくれる本だった。あとがきで著者本人も弁明しているように、『禁断の真実』的な陰謀論めいた話やゴシップ的要素は無くて、殆どがファンがアクセスできる(かつてアクセスできた)情報の紹介とその情報への考察でできている本なので、そこまでマニアックでも無くて、読者に優しい本だった。

まず、第1章の最初の一文がすごく良くて、何度も読み返した。

子供のための映画とは何か?

大人になってなお、子供の視点を持ち続けることは至難の技だ。

成長するにつれて、人は多くのことを真に理解しようと努力することを諦め、大雑把な概念あるいはクリシェとして把握するようになる。その方が効率は良いし、個人のキャパシティには限界があるからだ。時間も常に足りない。だが子供は違う。キャパシティや能力は大人より不足しているかもしれないが、彼らには見かけ上、無限に思える時間があり、また概念として物事をとらえる作業に慣れていないため、「驚異に満ちた目」で世界を見ることができる。

子どもという存在に対しての優しさと敬意の溢れる眼差しに感動した。その普遍的なメッセージは、あらゆる作品に通じるのではないか。『驚異に満ちた目』を思い出しながら作品に接していきたい。

ラジオ番組でも時々聴いていた、著者のスターウォーズへの愛憎入り混じった強い思いは全編通して感じ取れるが、感情はかなり抑えて冷静に作品を分析した内容になっている。

知らないことも多く、今回、スターウォーズをエピソード1から見直す際の大きな手助けとなった。特に、プリクエルでの共和国から帝国が生まれる部分は、この本を読んでいるおかげで理解しやすかった。

 


9/2〜9/12

『女と仕事 「仕事文脈」セレクション』(仕事文脈編集部)、読了。

執筆陣に好きな人が多い(トミヤマユキコ氏、雨宮まみ氏、真魚八重子氏、haru.氏、惣田紗希氏など)ので買ったのだが、知らなかった人たちの知らない仕事に関わる話も、めちゃくちゃ面白かった。林さやか氏、いのまたせいこ氏、綿野かおり氏、太田明日香氏、中島とう子氏、丹野未雪氏、ゴロゥ氏など、この本で知った面白い人も多かった。

途中で、ああ、クリエイターっぽい人の文章が多めなんだな、と気づいたけど、文章を書く人はクリエイターっぽい人が多くなりやすいのか。でも、クリエイターっぽい人がクリエイターっぽくない仕事をしている文章もちゃんと載っていて、それも良かった。

『仕事文脈』は読んだこと無いけれど、仕事は生活にも人生にも関わる、という点でとても多くの範囲をカバーできると気づいた。読み終わると、赤の他人の人生を覗き見して下世話な欲望を満たしてしまったような気分になって、少し罪悪感もあった。

女性という括りは必要だったのだろうか?男性のこういう文章も読みたい。しかし、男性優位な社会であるがために、男性ではこういう文章にはならないのかもしれない。その状況自体は、誰にとっても、社会にとっても、決して良くないけれど。

真魚八重子氏の文章は、文章自体は面白いけど、この本のコンセプトには合ってるのかな、と少し疑問に思った。

 


8/22〜8/29

『本屋、はじめました 増補版』(辻山良雄)、読了。

大好きな本屋Titleの店主が「本屋を開業するまで」と、文庫版の増補として「本屋をはじめた結果、どうなったか」を語っていた。

まず、本屋を開業するまでの人生の簡単な説明に、心を掴まれた。著者が学生時代までの本との関わり方の話も面白いのだけど、リブロ書店員時代の簡単な通史は、会社員として刺激を受ける部分があった。その結果、自分は会社で成し遂げたことをこんな風に纏められるだろうか、と少し考え込んでしまった。どうだろう、と首を傾げつつ年表を作り始めたが、やはり大した内容は無い。俺の働き方は間違っているのだろうか。

その後も、本屋開業までの思考の流れや、試行錯誤の過程がとても丁寧に書かれていた。あとがき以外はですます調で、徹底的に後進の人へのアドバイスの書として作っていて、著者の本気が伝わってくる内容だった。

読んでいく中で、『個人経営のお店を作る』ということは、『自分にしかできない価値を作る』ということなのか、と気づいて、静かに衝撃を受けた。これは自分の考える会社員のあり方と真逆だった。自分は誰でも自分の仕事を代替できるように心がけていた。自分にしかできない仕事を作らないようにしていた。交代でうまく休みを取ったりするためには必要な考え方だが、別にこれは社会のスタンダードでは無かった。いつの間にこんなに内面化していたのだろう。

仕事の価値と自分の価値を、初めて考え始めている。

 


8/18〜8/21

『スーベニア』(しまおまほ)、読了。

読みやすくて面白いので、一気に読んだ。ラジオを聴いていて、しまおまほのことをある程度知っているので、主人公のシオがだいぶしまおまほに重ねて見えたのも読みやすかった要因だろう。しまおまほらしく、ダメな人やちゃんとしていないことを否定しない点も良かった。

意外だったけど、物語の展開自体もちゃんと気になる。震災の使い方がしっかりと一般市民の目線で生々しかった。

一番の魅力は、実在感の強いキャラクター達のリアルな登場人物達の会話・やり取りだろう。文雄と意味不明な会話をして変な空気になる時間をわざわざ小説に入れてるのも面白かったけど、角田という人物のズレたイヤな感じが巧くて凄かった。途中から、角田から目が離せなくなって、彼が次に何を言うか、彼が何をするかを楽しみにしていた。書いていくうちに、自然とあの文体になったのだろうか。最後にさくらももこのような一言が入っている文章や、家族への書き置きメモみたいな簡潔で親しみが湧く文章や、間延びした「〜」が似合う文章には鮮烈な印象を受けた。新しい言葉を小説に持ち込んだのだと感じた。急に純文学っぽい描写が紛れ込んでいるのもドキッとする。

一挙手一投足に記憶が呼び起こされながら生きる感じは、とても共感できた。自分にもこういう思考の流れはある。しかし、その描写が極端に多い。こういう思考の流れがあるから、ラジオでも爆発的な脱線ができるんだろうな。

 


7/31〜8/18

『ポリフォニック・イリュージョン』(飛浩隆)、読了。

少し変わった構成の本で、冒頭には著者の初期短編を入れて、それ以降には著者がいろんな場で発表した創作論やSF観を紐解く内容がまとめてある。『自生の夢』までの著作について、著者本人による解題や種明かしも多く含まれている。その各作品のバラし方の度合いが凄くて、著作が偉大な先人達の名作から影響を受けてることがしっかりと語られている。やはりオリジナリティというのは過去作を消化して生み出せるものなのだ。そんな気持ちになるのは、序文にもあったように、後進の若者達を勇気づけるという狙い通りだろう。食事のシーンに関する創作上の技術的な話や、読者が悲劇の進展に確実に加担しているという話は、とても印象残っていて、何かを作ることになれば思い出すかもしれない。

また、SF好きのサークルで過ごした青春の日々、伊藤計劃氏とのやり取り、『トイ・ストーリー2』に関する感想などを読んでいくと、著者本人の人間味が少しずつ肉付けされていくような面白さもあった。

そして、『グラン・ヴァカンス』を読み返したくなった。

 


7/6〜7/31

『真実の終わり』(作:ミチコ・カクタニ/訳;岡崎玲子)、読了。

トランプの放言を中心として、ポスト・トゥルースオルタナティブ・ファクトという言葉と共に、嘘・不信感が世界に拡散された。その惨状は意識していたが、その現象が及ぼす作用や、生まれた経緯の考察は初めて読んだので、大変興味深かった。

思想系の言葉としてのポストモダン主義が、政治経済に流入して事実を無効化するために悪用されている。この現象を考えたこともなかったが、順を追って説明されていくと確かに思い当たった。

更に、嘘や誤報みたいなゴミ情報の集積が、事実を知ろうとする気力を疲弊させる戦法になっている、という記述には強く納得できた。その現状をGoogleなどが採用しているアルゴリズムが助長しているという分析も、改めて言われると、その通りだった。意識していたはずなのに、いつの間にか自分の周りにあるフィルターバブルに無自覚になっていたと気づいて、ぞっとした。意図的にも自分の好きなものを集めてしまうし、アルゴリズムも知らないうちに自分の好きなものばかりを集めてしまう。そうなると、扇情的な言葉や自分にとって耳障りの良い言葉ばかりが取り上げられて、真実は負けてしまう。これが人の思考を固定化し、先鋭化させてしまうメカニズムなのだろう。とても恐ろしい。

同時に、『それでは、この本の内容が真実である』というのはどうやって確認すれば良いのだろうか、と読みながら時折考えた。調べて考えるしかないんだろう。地味で地道で面倒だ。意図的な嘘に抗うのは相当大変だ、と痛感した。

 


7/26

『宇宙の日』(柴崎友香)、読了。

昔、HPに公開してあったのを読んだ記憶があった。日比谷野外音楽堂でのROVOのライブ体験を記録した、小説でもエッセイでもある短編。

柴崎友香らしく、身体が音を味わう様子を丹念に描いている。ライブで音を浴びる経験があれば直感的にわかる文章だった。

身体で浴びる音楽は、見える景色を変える。見えるものがミュージックビデオのようになるような、あるいは、その音楽のために自分と世界があるような、そんな感覚を得てしまう特別な時間。あの感じを自然に文章で表しているのが凄い。

 

GO TO BED

夜中にトイレに行きたくなって、寝室を出た。ぼーっとしながら用を足していると、トイレの外で物音がした。家族が寝てる寝室からじゃないっぽい。家のどこかに誰かがいる?ちゃんと確認すべきか?もう一度聞き耳を立てて、しばらく待ってみた。何も聞こえない。怖くなってきた。

とりあえず、もう一度布団に戻った。時計を見ると3時半。布団の中でも、見に行くかどうか迷い続けた。ゴトッ、とまた音が聞こえた、ような気がした。人がいるとしたら強盗だろうか。拳銃を持ってたり?いや、そりゃ無い。日本だし。でも、刃物くらいは持ってるかも。そうであれば、出くわした時には距離を取りたい。

そこまで考えて、寝室を出てすぐの場所に、物干し竿が放置されてることを思い出した。風の強い日に、家の中に入れたんだった。あれは武器になるか?いきなりで使えるか?いけるか?なぎなた?槍?やったことないな。

寝る前に『ラッシュアワー』観たせいで、こんな発想になったのかも。ジャッキー・チェン主演の映画。あのアクションはいつ見ても笑っちゃう。手近なものを全部使うんだよな。息子はNGシーンが流れるエンディング見て大笑いしてたなー。

しかし、物干し竿振り回したら、壁に穴とか開けそうで、それも不安。あー、木刀とか常備しとけばよかったか。使いやすそうだし、少しは安心だったかも。

それにしても、本当に強盗に出くわしたら俺は動けるのか。自信無い。声くらいは出せるか。大声出したら驚いて逃げてくれるかな。家族起きちゃうな。それは仕方無いか。緊張で大声を出せない可能性も考えよう。それなら警察に通報すればいいか。こっそり見に行って、誰かいたら、そそくさと帰ってきて通報。これがいいな!

でも、捕まえていいのかな。何年くらい投獄されるのかわかんないけど、逆恨みされたら怖い。刑務所出てきた途端に復讐されたりして。

ってこの思考は昔親父が俺に話したヤツ。実家にいた頃、お風呂の覗きが2回出た。確か運が良くて実害は無かったはずだけど。2回とも、親父が外で煙草を吸ってる時に見つけた。窓から風呂を覗こうとしている男がいたらしい。親父は「おらー」とか叫びながら追いかけた。1回目の時、小学生だった俺は自分の部屋で何らかの勉強をしていて、その声を聞いた。最初はどこかの酔っ払いが叫んでいると思ったが、途中で父だと気づいた。「身内の酔っ払いじゃん...」とその時は暗い気持ちになったが、正当な理由があった、と後で知って少し反省した。その時に、父は「本気で追いかけなかった」と言うので、理由を聞くと「捕まえて逆恨みとかされたら嫌だろ」と答えた。酔っ払いながら話してたと思う。目が据わっていたか、上機嫌だったかは覚えていない。悪を野放しにするのは社会のためには良くないけど、父の言葉には実感が伴ったリアリティがあった。ストリートを生きるための知恵、みたいな。

という出来事を久々に思い出した。今、俺はあの時の父と同じ立場なのか。いけるのか、俺。親父はよく追えたな。普段は酒ばっかり飲んでてどうしようもない人だけど、あの出来事に関しては尊敬できる。あの時の父を思い出して、奮い立たせよう。こっそり見に行くだけだ。

おらー!

 

朝になった。

あの後、寝室を出て見に行ったのだけど、誰も、何も、見つからなかった。少し雨が降っていて強い風も吹いてたから、その音が原因だったのかな、とか考えながら寝た。

と朝食を作りながら妻に話してる時に、天井からガサゴソ音がした。カラスが屋根の上を歩く音だった。あ、この音かな?そういう可能性もあるな?真実はわからない。ま、みんなが無事ならいいんだよな、親父。寝不足だけど。

 

2020年前半に観た映画類の記録

2020年前半に観た映像作品を大まかに分類していく。

 

映画館で観た新作映画4本、旧作映画12本、配信サービスで観た海外ドラマ6シーズン。

 

アメリカ制作の映画10本、オーストラリアとアメリカの合作映画2本、アメリカとスウェーデンの合作映画1本、イギリス制作の映画1本、韓国制作の映画1本、日本制作の映画1本、アメリカ制作のドラマ1シーズン、イギリス制作のドラマ4シーズン、ベルギー制作のドラマ1シーズン。

 

この半年は、多様な作品を見られたかもしれない。

海外ドラマも沢山観ることができたのだが、『セックス・エデュケーション』と『フリーバッグ』は衝撃的だった。どちらもイギリスの制作だが、マジであの国は進んでる。

新型コロナウィルスの感染拡大の影響はあって、映画館での鑑賞は殆どできなかった。映画館が無くなっては困る、と最近痛感している。

家族全員でMCU作品を1作目の『アイアンマン』から見て行くことにしたので、鑑賞した作品数は増えた。また、MCU作品に限って、途中で止めて次の日に観ることも許容したので、本数が増えた。一応、フェイズ3までの全作品観たのでランキングでも作ってみたい。

 

以下、遡る形で記録してある。ネタバレもしている。


6/30

インクレディブル・ハルク』(ルイ・ルテリエ監督)を観た。

アクション映画としては割と楽しめた。

ハルクが凶暴でコントロールできない存在なのがかなり特殊な設定で、追い詰められていたブルースがハルクに変身した瞬間、追う側が追われる側に入れ変わってパニックムービーになる仕掛けはとても面白かった。

一方で、理性的でないキャラクター同士の戦闘は、ムシキングを観てるような気持ちになった。

映像へのこだわりはあって、ベースカラーをハルクの緑にしていた。とにかくしょっちゅう画面に緑色入れていた。

『ジキルとハイド』的な設定だとは思っていたが、途中からはかなり『キングコング』を参照していると感じた。いろんな国でのロケーションも観てて飽きなかった。

これまでのあらすじを消化するオープニングからしてビックリしたけど(誕生の瞬間はリブート前の『ハルク』で語ったからいいでしょ、って感じなのか)、ディテールが急に雑な時があるのが可笑しかった。恋人に見つかりそうになって隠れてたハルクが、見つかった瞬間、躊躇いもせずに抱きしめに走るシーンとか心の動きが全くわからなかったし、変身できるかわからない状態のハルクがヘリから生身で落ちて地上に向かうシーンも意味不明だった。見せ場を作るために繊細な心理描写を無視していて、それは演出の怠慢に思えた。

逃亡し続けるブルースに漂い続ける哀愁にはエドワード・ノートンのビジュアルの力を感じた。彼はなんでやめちゃったんだろ。イメージつき過ぎるの嫌だったのかな。

改めてMCU全体を振り返ると、かなり観なくても良い一本だった。

インクレディブル・ハルク(字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 


6/25

キャプテン・アメリカ/ファースト・アベンジャー』(ジョー・ジョンストン監督)を観た。

インディ・ジョーンズ』や『スター・ウォーズ』のようなジョージ・ルーカス的(スピルバーグ的でもある?)冒険活劇を参照していて、映像にはずっと楽しめるスペクタクルがあった。ナチスを徹底的に悪者とする作風にもそれを感じた。ドクター•ゾラがレンズをのぞきこむ姿は『ミクロ・キッズ』のセルフパロディのように見えた。破茶滅茶過ぎる展開があっても、破綻しないバランスで落ち着きを保つのはベテラン監督の手腕かもしれない。細くて小さいスティーブ・ロジャースはCGを使って作り出したのだろうが、作り方が気になるくらいよくできていた。


6/15

マイティ・ソー』(ケネス・ブラナー監督)を観た。

なんだか雑!アクションも大味!

神話的世界と現代のアメリカ南部をシームレスに繋ぐのは難しかったのだろうが、その不自然さはケレン味として面白おかしく楽しめるのかもしれない。ソーが地球のアメリカ南部的価値観に翻弄されるコメディー部分だけは、めちゃくちゃ笑える。

それにしても、2011年ってこんなにマッチョで男性優位な意識で映画作れる雰囲気だったっけ?MARVELもだいぶ意識変わったんだな、と感慨深かった。 

マイティ・ソー (字幕版)

マイティ・ソー (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 
6/15

『デッド・ドント・ダイ』(ジム・ジャームッシュ監督)を観た。

変な映画!ゾンビ映画のフォーマットを使って、皆でワイワイ楽しんでる感じなのに、アンバランスなくらい映像がカッコ良い!ずーっとニューカラーの写真みたいに美しい色彩と構図で進む。

WiFiゾンビには笑った。過去作や名作へのオマージュもしくはパロディ的な小ネタにも何度も笑った。奇人過ぎたティルダ・スウィントンや、無表情過ぎるアダム・ドライバーにも笑うしかない。とにかく笑えるけど、いちいち映像がカッコいいのがとても変で最高だった。

それにしても、ジム・ジャームッシュがメタ視点を入れたのは初めてじゃないか(アダム・ドライバービル・マーレイの二人には限定されるけど)。

緊急事態宣言が解除されたとはいえ、映画館にはまだまだ人が少ないし、みんなが一人で来ていた。上映後、皆が無言で映画館を去ったのがゾンビのようで笑った。

俺は映画ゾンビだったのか。

longride.jp


6/14

アイアンマン2』(ジョン・ファブロー監督)を観た。

全体的にアベンジャーズが始まる予感に満ちていた。音楽は昔ながらの雰囲気のロック中心で隔世の感があった。

ストーリーとしては、冷戦時代の社会情勢も盛り込んで創作した敵・イワンをトニー・スタークの合わせ鏡のように配置しつつ、アベンジャーズでも引き続き論争となる「スーパーヒーローを政府の管理下に置くべきか」という問題や、トニーの健康問題などに向き合っていく、というのが大まかな流れだった。

その後のアベンジャーズシリーズを観た後だと、社会問題の組み込み方や敵との戦いを盛り上げるための演出も物足りなく感じた。

イワンはその奇天烈な風貌(プロレスラー・中邑真輔に似ていた)とはギャップのあるスーパーハッカーっぷりが大変魅力的だが、敵としては1からスケールアップした印象も無く、展開も尻すぼみ気味だった。


5/30

ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ』(ニック・パーク監督)を観た。

有名なクレイアニメシリーズの短編。観始めてから、観たことがあったと気づいた。改めて観ると、その映像の豊かさに驚く。

実写をアニメ化していることが実感できる光と陰影の入り方が美しかった。そのリアリティを持った世界の中で自由に動くキャラクター達には、強烈なイマジネーションの力を感じる。

『ミッションインポッシブル』みたいなシーンが多かったのは、たまたまなんだろうか。列車のカーチェイスのシーンでの、驚くべきアイディアにも爆笑。表情豊かなグルミットのかわいさと、無表情なペンギンの不気味さの強いコントラストも印象的だった。

吹き替えで観たが、欽ちゃんの声優はなかなかに斬新だった。

メイキングもチラッと観たが、1秒作るのにあんなに時間がかかるのか、ととんでもない労力のかけ方に驚愕した。そして、それを全く苦に思わずに楽しむ監督達の映像にも。

 
5/14〜5/18

『イントゥ・ザ・ナイト』を観た。

まずは1話だけ見るつもりで、気づけば3話見ていた。凄まじい情報量とそれを引きずり回す展開がテンポ良く40分に詰まっていて、ずっと先が気になる。

ベルギーの作品っていう先入観を持っていたので、アメリカ制作ドラマ顔負けの展開とスケール感には感心した。

また、そのベルギーという土地柄が持つ人種の多様性を、飛行機という舞台にうまく落とし込んで縮図にしている点に、オリジナリティを感じた。その前提の上で、密室で繰り広げられる心理描写が本当にスリリングで面白い。荒唐無稽に思える設定を、科学的根拠などを少しずつ交えながら徐々に説得力を増していくのも見事。専門家の殆どが死んでいて、色々な情報の真偽を確かめられない、という設定のうまさも良い。

シーズン1は6エピソードしかなくてあっという間に終わったが、残っている謎もまだまだ気になる。今後もうまく展開できるのだろうか。

www.netflix.com

 
5/3

アトランタ』シーズン2を観始めた。


5/3

『アイアンマン』(ジョン・ファブロー監督)を観た。

断片的には観ていた箇所もあったが、初めて通して観た。

アイアンマンのスーツを開発するシーンをやたらと丁寧に描いていたのが印象的だった。大きく分けて2回にわたって描いていて、このシーンが見せ場なのか、と途中で納得した。何しろメカのギミックの動きが面白く出来ていて観てて飽きない。一番作り込んでいた。

エンドゲームを観た後に観ると、また違った感慨深さがある。この後、いろんなことが起きるんだな、そして、ああ、このころのMCU世界はまだ単純で、牧歌的だったんだな、とか。

そんなはずはないと思うけど、現実世界もそうだったっけ?

www.amazon.co.jp


5/1

『ナイスガイズ!』(シェーン・ブラック監督)を観た。

ひょっとしたら映画史上最高のバディムービー!もうマジで最高!ゴールデン洋画劇場とか金曜ロードショーで観ていたヤツが、2010年代に洗練されて帰ってきた!

とにかく、ライアン・ゴズリングの甲高い声を織り混ぜるとぼけた演技に笑いまくった。ダメなヤツ、として観客に嫌悪感を抱かせかねないギリギリの人物設定で、あの魅力は彼の名演ありきだと思う。不意打ちのように展開をクラッシュさせて動かすあの役が、得てしてご都合主義的になり過ぎそうな展開を中和していた。それも含めて、脚本がとても良くできていた!『リーサルウェポン』や『48時間』みたいな最高のバディムービーっぽい脚本に、さりげなくてスマートな形にした伏線の仕掛けを載せた上で、先が読めない展開を作り続けいて圧倒的だった(もっとB級映画っぽいチープさを加えれば『ビッグ・リボウスキ』にも近い)。

その脚本を隙なく映像化しているのも脅威的だった。何気ないシーンだと思っていたら、画面の背景から別の展開が迫ってくる、というような演出が多かった点は特徴的だった。

そのために、コメディパートでも意外と気が抜けなかった。美術やルックから受けた印象で思い出した映画には、『インヒアレント・ヴァイス』『ロング・グッドバイ』『ビバリーヒルズ・コップ』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』などがあった。あの空撮から始まる感じや、豪邸やパーティのシーンがそれを想起したのだろう。

アンゴーリー・ライスの聖人っぽいキャラクターはこの映画には少し浮くような珍しさで、それもスパイスとして良かった。父を尊敬する瞬間の眼差しが良かった。

ラッセル・クロウはいつの間に、あんなにいかつくなったんだ!意外とハリウッドにいないビジュアルになってて迫力があった。続編は超作って欲しい。


4/26

アナと雪の女王』(ジェニファー・リー&クリスバック監督)を観た。

やっぱり「ありの〜ままの〜」のミュージカルシーンが圧巻だった。ドラァグクイーン然としたエルサが、伸び伸びと自分の居場所を作ってる映像が本作で最も魅力的だったし、あのシーンのために作られた映画なのだろう。彼女につけてある演技と氷の幻想的な美しさが良かった。

製作者のステイトメントもあるのかもしれないが、この映画はウーマンリブフェミニズム運動の流れをしっかりと汲んだ上で、はっきりと既存のディズニープリンセス的ストーリーやコンセプトの否定をテーマにしている。

その既存のプリンセス像の象徴がアナで、かなりストーリーのために都合良く動いてしまうキャラクターになっていた。それは対になる王子的キャラクターにも言えることで、この二人はストーリーのために設定された人物という感じが強かった。それにしても、彼女が表象する、昔ながらのプリンセスの悪いところを煮詰めたような性格には結構うんざりした。何か努力するでもなく、『運命の恋』というのを信じて生きる恋愛至上主義的な考えは、2020年に観ると相当に古い。その考え自体をあまり変えずに最後まで行くのもどうかな、と思う。

ミュージカルシーンでは、歌でエルサとアナのディスコミュニケーションを表現するシーンが面白かった。互いに戦うように掛け合う姿はその映像の凄まじさも含めて、思わず笑ってしまった。

オラフのコメディリリーフ的な役回りはアラジンのジーニーなどにも通じる上手さで感心した。子どものリアクションから察するに、集中力を切らさずに観てられるのは彼の功績が大きい(前提として、ストーリー自体に無駄が無く、テンポ良く進むから、ということもある)。

肌の質感の表現は繊細かつリアルだった。CGの技術の日進月歩っぷりは作品ごとに思い知る。2作目で理由が明かされるらしいが、エルサが魔法を使える理由が描かれないのは、結構思い切った省略だと思った。

そして、saebou氏の映画評を読んでいたせいもあるだろうが、確かにエルサが急に社交的に振る舞うのは違和感があった。

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4/11

『ベイブ 都会へ行く』(ジョージ・ミラー監督)を久々に観た。

超マッドマックス!めちゃくちゃ笑った。

個性の強過ぎるキャラクター達のおかし過ぎる行動、ハチャメチャに展開のある逃走劇、出産、横転した車の回る車輪、などからジョージ・ミラーを強く感じた。

そして、極め付けのパーティクラッシャーなラストシーンは、物語の展開を破綻させてでも撮りたい映像だったんだろうと感じた。混沌とも恐慌状態とも言える有り得ない映像からは、映画らしい強さを感じた。

1作目と比べるのも面白くて、1作目ではベイブは人間の期待する規範の中で最高のパフォーマンスをして観衆を驚かせたわけだが、2作目では明らかに人間への反抗を踏まえた行動を取っていて思想としてのスケールアップを感じる。

そもそも、1作目で目立っていなかったエズメを主役級に引き上げる脚本も凄まじい。1作目に比べてベイブは使命感みたいなものが強くなっているが、この2作目はベイブでなくても良かったような気もする。監督交代の影響は顕著だった。


4/5

ミクロキッズ』(ジョー・ジョンストン監督)を久々に観た。

25年ぶりくらいに見たが、ワンダーに溢れたこの映画が大好きだったことを、はっきりと思い出した。庭がジャングルになる驚きは今でも新鮮だったし、巨大なクッキーにかじりつくシーンに子どもの夢が詰まっていたし、大きなアリに乗って進むシーンには冒険心をくすぐられた。

あの庭のジャングルはセットなのだろうが、どういう規模で作ったのだろうか。撮り方の上手さもあるだろうが、本当に広大に見えて凄い。

脚本は、一つの大きな出来事(事件)を経て、登場人物達の抱えていた様々な問題が解決していく、という王道のストーリーだった。

しかし、その解決する量が多い。①ご近所トラブル直前のサリンスキー一家とトンプソン一家の不仲、②サリンスキー夫婦間の微妙な心のすれ違い、③サリンスキー父が仕事を優先して子ども(特にニック)を邪険に扱ってしまう件、④トンプソン父がラスに与える重圧による不和、⑤ラスがエミーに抱いたほのかな恋心。これらが全部良い方向に解決しつつ、少年少女の微かな成長も描いていく。その盛り沢山な脚本の巧みさにも驚く。

エミーに対して「女のくせにやるじゃん」みたいな視点が存在するのは制作された時代を考えれば仕方ないか(吹き替えで観たので、勝手な日本語をつけてる可能性もあるが)。

調べてたら、後の『ジュマンジ』の監督だと知ってとても納得した。まず、脚本が似ている。こういう作品が好きなのだろう。そして、一見ワンダーな世界に潜む怖さの描き方も共通している。俺はどちらの作品にも、楽しくて怖いというトラウマに近い記憶を持っている。


3/27

『ベイブ』(クリス・ヌーナン監督)を久々に観た。

思いのほか、楽しめた!「出自や種族などの生まれつきの属性は人生を縛らない」という普遍的かつ世界を良くするメッセージが、嫌味なくわかりやすく込められていた。古典的とも言えそうだった。SDGsにもフェミニズムにも適応できるような、2020年にも響く映画だった。羊と牧羊犬のやり取りは、黒人と白人でも男女でも置き換えられる優秀なメタファーとして受け取れそうだった。そう考えると、羊と牧羊犬が対話をしているということ自体が、とても感動的に響くし、それらを繋いだベイブのような存在尊く感じられた。

そして、吹き替えで見た効果もあるのかもしれないけど、ベイブがかわい過ぎた...。田中真弓すごい。豚肉食べられなくなるよ。クリスマスが動物にとって恐ろしい日である、というブラックジョークには笑った。あんな不穏にアレンジされたクリスマスソングは初めて聞いた。改めて見ても、本物の動物とアニマトロニクスの区別がつかない。CGもあったのだろうか?よく出来ている。

レックスによる説教シーンを見た時に、自分が『動物農場』を読んで思い浮かべてた映像はこれだったのか、と納得した。

また、やはり強烈な印象で覚えていたのが、ラストの牧羊犬大会でのベイブの活躍シーン。それまで騒いでいた聴衆がピタッと静かになる、あの演出!当時、静寂が見せ場の映画を見たことが無くて、子ども心にめちゃくちゃ感動したのを思い出した。


3/10〜3/17

『セックス・エデュケーション』(シーズン2)を観た。

うおー!面白かった!一気に観てしまった。やっぱりハイクオリティでエデュケーショナルな少女漫画!

総じて、無駄なシーンが無い。無さすぎるくらいかもしれない。誰かの行動が、誰かや何かに必ず影響を与えている。どのシーンも心情の変化や関係の変化に繋がる。前シーズン以上に登場人物が複雑に絡み合う脚本なのだけど、テンポよくスッキリ描ける編集力も前シーズン以上だった。

観ている間、ずっとティーンエイジャー特有の傷つく予感がして、緊張感があった。

エピソード1の冒頭から、オーティスとエリックが自信をつけて社交的になったことがちゃんとわかる。その成長っぷりに驚くけど、シーズン1を思い出すと納得がいく。その成果に安心する。

エピソード5での人間関係の動き方はエグい。とにかくそれぞれの行動が連動してしまう。群像劇の描き方として凄まじい。

エピソード6のオーティスは、自分の大学生くらいの頃の失敗の記憶を刺激されるような、見てられない痛々しさだった。あそこまでじゃなかったけど。

エピソード7の女子だけの時間は、ブレックファストクラブの引用だった。そこで生まれたあの連帯感とその後の展開が、めちゃくちゃ感動的。

そして、あのラストエピソード。俺の望む結末を迎えるには、時間が足りないように感じていたが、やはり足りなかった。『ロミオとジュリエット』をラストのメインに据えたのは、あの結末を暗に示していたのだろう。演劇自体も、作品のテーマとよく連動していて、音楽を含めてとても面白かった。アダムの行動は、シーズン1のエピソード1を反復していた。第2の成長を見た。

やはり、自己肯定から問題が解決に向かう。自己肯定の後に、他者を尊重できるし、理解できる。

それにしても、みんな、個人情報をバラされることに甘いような気がした。この作品内の設定なのか、イギリスの特性なのか、という点は疑問を覚えた。

まだまだシーズン3も楽しみにしてる。またまた問題が山積み。どんどん彼らへの思い入れは強くなっているし、応援したい。


2/29

『ミッドサマー』(アリ・アスター監督)を観た。

どうしても前作『ヘレディタリー/継承』と比べてしまうが、今作はかなり展開がストレートでわかりやすい脚本になっていて、ホラー演出は減っていた。代わりに観てて嫌悪感を覚える表現は増えていた。性交を見守られる・補助されるという体験から想像する嫌な感じに笑ってしまったように、ギャグと紙一重に感じる描写も多かった。

うまく死ねなかった老人の壮絶な末路に顕著だが、暴力描写は前作より残酷かつしつこくなっていた。劇中で頻出する不気味な絵からはヘンリー・ダーガーを連想したが、引用しているのだろうか。鏡やガラスなどの反射ごしに登場人物を映す手法の多用にも不安を煽られた。

一方で、確固とした作家性の発露とも言えるが、前作との共通点も多い。呪術的記号(今回はルーン文字)を伏線的に忍ばせるやり方、三角形の建物、不安を煽るようなカメラワーク、観たくない方向にぬるぬる動くカメラワーク、対称性を多く用いる画面のグラフィカルな美しさ、性的に描かない女性の裸体、祝祭、新たな王の誕生。

Twitterでも似た意見を多く見かけたように、『現代社会から切り離された村落での不可思議な風習に巻き込まれる』というプロットは、仲間由紀恵主演のドラマ『TRICK』や、諸星大二郎の作品に近い。この映画が日本でヒットしていることに驚いているのだけど、そういう前提があったので、日本人に馴染みやすかったのかもしれない。

この村落の打ち出すビジュアルがざっくりと北欧系なのは斬新だった。ひと昔前なら、アフリカ系やアマゾン奥地の未開な野蛮人みたいなイメージを使ったと思う。物語として意外だったのは、主人公の女性とその恋人以外の登場人物が物語の核心に関わることだった。序盤の彼らはモブ感が強くて、そういう受け止め方をしていたので、裏切られて驚いた。特に、ペレが主人公と長時間話す場面は、不意を突いて彼の表情がヤバさを醸し出しててドキドキした。

また、薬物という要素が現実と幻覚の境界を曖昧にするのが効果的だった。よく見ると気持ち悪いことになってる、みたいな場面として、呼吸する花や歪む空気が強く印象に残った。

やはり今作もずっと油断ならない映画だった。次回作も楽しみ。

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2/10〜2/27

『セックス・エデュケーション』(シーズン1)を観た。

胸に迫る回が多かった。近年のフェミニズム的な流れを上手く取り込んだ上で、少年少女の成長と恋愛の物語に落とし込んでるのがめちゃくちゃ上手い。展開には少女漫画っぽさも感じる。主人公のオーティスとメイヴが上手くすれ違うように配置された伏線が、ハイレベルにちゃんと機能している点もそうだ。マイルドにやれば、似たものは作れるだろうが、日本ではうまくやれない気もする。

エピソード5のラストは感動して泣きそうになった。友情の問題をベースにしながら、女性が自分達の性を解放するように見えるシーンの新しさと清々しさに本当にスッキリした。また、誰かの問題を解決している裏側で崩れる友情というバランスも切なかった。犯人探し的なエンターテインメント性を混ぜてるのも上手い。そして、そこで生じた問題が解決に向かうエピソード7も素晴らしい。オーティスの性交へのトラウマ、メイヴの生育環境への劣等感、エリックの性自認、アダムの家族との不和。繊細なやり取りを余すことなく描いている。

考えていくと、まず、どの問題解決にも自己肯定が前提としてあって、セラピーを踏まえたドラマになっている。また、イギリスに人種差別が無いとは言わないが、多様性がある前提で進むのは羨ましく見えた。

性的なシーンが連発なので、その点には驚いた。Netflixはモザイクとか無くて、忘れてると驚く。

オーティスの走り方は少しミスター・ビーンに似ている。シーズン2も観る。

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2/9

『騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー』(渡辺勝也監督)&『魔進戦隊キラメイジャー エピソードZERO』(山口恭平監督)を観た。

テレビシリーズありきの映画ではある。DVDでも良かったな…とは思うが、息子にせがまれて買ったパンフの撮影日誌などを読むと、作り手のアツイ気持ちは受け取ってしまう。

ノエルの素の演技に混ぜるアクロバットには感嘆した。テレビシリーズを踏まえたギャグには笑ってしまう。子供たちも誰かが吹っ飛ぶようなコミカルな演出には大笑いしていた。

一方で、キラメイジャーのぶっ飛んだコンセプトには笑った。キメポーズのバレリーナ感やフィギュアスケート感には、テレビシリーズも期待してしまう。 

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1/26〜2/4

『フリーバッグ』シーズン2を観終わった。

第1話からトバしてて最高。緻密に構成された会話とやり取り。その後もガンガンいくのだけど、シーズン2は1と違って、とても良い話に落ち着いていて、最後は驚くほど感動した。露悪的なセックスシーンもかなり減っていたが、ファックという言葉が飛び交う数は増えていたかもしれない。

明確に『愛』についての物語になっていた。途中から、「主人公は視聴者ではなくてブーに向かって話してるのでは?」「ジェイクは父とクレアを別れさせたいから奇行を繰り返したのでは?」などと深読みしたが、それらはその問いのまま終わった。シーズン1で起きた問いもそのまま。俺が深読みし過ぎただけだったのだろう。

シーズン1と比べればわかるけど、やはり仕事が上手くいくと人生のトラブルは減る。シーズン1では本人が混乱していて『信用できない語り手』に見えたが、シーズン2では大事な本音を言わないことで、人間らしさを取り戻しているように見えた。

主人公が視聴者に話してくる演出は、SNSの裏アカウントの可視化みたいだった、と思い返して気づいた。時代を映していたのか。 

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1/29

『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督)を観た。

クソ素晴らしい。超ド級エンターテインメントで、コメディでもあるし、サスペンスでもあるし、ホラーでもあるのに、世界的な問題を鋭く扱う社会派ドラマにもなっている。そのバランス感が凄い。逆に言えばどのジャンルでもなくて、ジャンルを決められるのを周到に避けようとしているかのようだった。

ここまではっきりと『経済格差』を糾弾している作品はあったのだろうか。カンヌのパルムドールには最近似た傾向の作品が選ばれているようで、『わたしは、ダニエル・ブレイク』はイギリスの貧困を描きながら政府のやり方を糾弾していたし、『万引き家族』は家族のあり方を問いつつ日本に存在する貧困を世界に暴露したけど、本作は韓国にも存在する貧困を暴露しながら『経済格差』という世界全体にはびこる構造の悪を糾弾している点で、とても射程の長い作品になっていた。

ここにエンタメ性を取り入れるのは不真面目さとも捉えられそうだが、この問題意識をより多くの観客に植え付ける戦略としては、正しいのではないだろうか。

その経済格差を見せつけるための演出が凄い。映像の中でも徹底的に金持ちは上で貧乏人は下という配置を強調する。それは、あの命がけのかくれんぼから、激甚災害になだれ込むあのシークエンスでもはっきりとわかる。あのシーンで初めて金持ちの家との高低差がわかる演出には息を呑んだ。それまでは、貧乏の描写でも富豪の描写でも笑っていたが、あのシーンを境にそれまでの笑いが不謹慎なものになってしまうような決定的な描写だった。その後の金持ちの奥さんの発言を見ていても、貧乏人の境遇を想像する余地は無い。金があることも無いことも罪では無いはずだが、無関心は罪深い。

演技も悉く良い。特にギジョンに感じるスレた魅力は、あまり見たことない種類のものだった。金持ちの奥さんの無邪気で馴染んでない英語も印象深い。途中までソン・ガンホは小狡いけど気の良いおじさん、って感じだったけど、途中からいつも通りの恐ろしい眼光の男だった。あれ以来、高い商品を見かける機会があると、彼の視線を感じて緊張する。


1/10〜1/22

『フリーバッグ』シーズン1(フィービー・ウォーラー・ブリッジ製作/脚本/主演)をAmazon prime videoで観終わった。

とにかく主人公のキャラクターが一筋縄ではいかない複雑さを持っていて、性欲強め(というよりセックスに付随する欲求が高め?)、皮肉屋(相手に嫌なことばかり言う)、嘘つき、自分勝手、という強烈で嫌われそうなキャラクターなのに、不思議と魅力的に見える。

好きなように生きてるように見えるからだろうか?自由さが魅力?

そして、このキャラクターが『デッドプール』や『アニー・ホール』のウディ・アレン以上に視聴者に話しかけてくる。しかも、その内容が、最初は彼女の本心らしく見えるのだが、次第に信用できなくなる。彼女自身が本心すらコントロールできない混乱状態で、『信用できない語り手』に見え始める。カフェを共同経営していた親友に何が起きて、主人公がどう傷ついているのか、が物語を引っ張る大きな謎となる。

そこに、家族との関係が複雑に絡んでいき、主人公の周囲は問題だらけになる。特に、アーティストの代母の強烈さと嫌らしさは、主人公を更に超えていて、見応えがある。

最後まで見ても、主人公が抱えている心の傷は癒されていない。主人公は父親から性的虐待があったのでは?と疑っている。シーズン2で少しは解決するのだろうか。

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2019/3/13〜2020/1/12

アトランタ』シーズン1を観終わった。

鳴り続けるビートに乗らねばならない業界を舞台にしたオフビートコメディ(と言って良いのだろうか?正直に言って、オフビートの定義に自信が無い)。

アトランタの黒人ラッパーの生活を淡々と面白おかしく描いているが、貧困や人種問題や薬物の話はリアルでもある。黒人が抱える社会的な問題を笑いに包んで見やすくしてくれている、という構成はコメディとしてはオーソドックス。しかし、日本に住む黄色人種の自分が見ても、本当に笑える話が多い。昔話や神話みたいな寓話的エピソードも多いのでわかりやすいのだろう。おそらく黒人をステレオタイプから解き放つ意義がある作品なのでは無いだろうか。いつもパーティーでノリノリの黒人ばかりのわけがない、という呆れ気味のメッセージは感じた。

ラストショットで主人公が見せるリアリティと満足感はカッコ良かった。ドナルド・グローヴァーの常に静かな目はずっと良かった。

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1/6

『パターソン』(ジム・ジャームッシュ監督)を観た。

日常生活の豊かさを静かに讃えている映画だった。

毎日真面目に仕事をしているだけの日々でも、単純で退屈な反復になるとは限らない。毎朝のベッドでの二人の状態はいつも少し違う。日々の繰り返しに見える動作も、違う角度からのショットだと、毎日少しずつ違う表情に見える。

そして、まなざし一つで人生が豊かになる、とパターソンを演じるアダム・ドライバーも教えてくれる。丁寧かつチャーミングな名演だった。あの不意に見せる屈託の無い笑顔。

同時に、いつも不満ばかり言っている人も、実は人生を楽しんでいる、と描いているような気もした。

創作が日常生活に与える歓びも取り上げていた。ぽつんぽつんと、生活を区切るように反復して挿入される詩には、静かな感動を覚えた。俳優っぽい動作をする黒人が出て来るシーンは、いかにもジム・ジャームッシュらしいオフビートな笑いを作っていて、何度も噴いてしまった。永瀬正敏もそんな感じの扱いだった。

それと、ジム・ジャームッシュは人の歩く映像が好きな気がする。否定するものを殆ど描かないで生活の多くを美しく肯定していく映像は、ずっと続いたら良いのにな、と思える気持ち良さだった。

 

パターソン(字幕版)

パターソン(字幕版)

  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: Prime Video
 

 



2020年前半に読んだ本の記録

2020年前半に読んだ本を、いろんな視点で大まかに分類してみる。

 

小説4冊、エッセイ3冊、ノンフィクション系1冊、新書1冊、ラジオ本1冊。

 

日本人作家8冊(ラジオのリスナー投稿本1冊を含む)、アメリカ人作家2冊。

 

男性作家5冊、女性作家4冊、男女混合1冊(ラジオ本)。

 

2010年以降出版(発表)の本12冊、2000〜2010年出版(発表)の本2冊、1999年以前出版(発表)の本4冊。

 

他の年の半年間と比べてみても、かなり少ないようだ。新型コロナウィルスの感染拡大の影響はある。通勤が減って読書の時間が減ったのだ。読書の時間が確保しづらくなるのは予想外だった。それに加えて、『虚人たち』は大層読みづらかったし、『「思春期を考える」ことについて』は専門的で難しかったし、『黄金州の殺人鬼』は分厚かった。

 

以下、ネタバレはしている。


6/27〜6/30

『どこにでもあるどこかになる前に。』(藤井聡子)、読了。

痛いところを突かれた。買った時点で、自分から突かれにいってるわけだが。

とても大切な話をしていた。自分の話のように感じる部分が多くて、どうしても冷静には読めなかった。他人事には出来なかった。

『富山から上京して数年働いて富山に戻った女性が、富山と自分を見つめ直してどうなっていくのか』というエッセイ。著者は無理矢理にでも富山の良さを発見していく中で、「富山ではなく自分自身に問題があった」という事実に気づき、自分と向き合いながら成長していく。

著者が、一歩ずつ勇気を出して、外界に踏み出していく姿に胸打たれる。自分も地方から何者かになりたくて東京に出てきた身であるし、筆者が好きなカルチャーにも馴染みがあったので、想定以上に共感しながら読んでしまった。俺が生まれ育った街は、田舎にもなれない地方都市の『どこにでもあるどこか』かもしれない。既になっていたように思う。そのことに気づいたのは、埼玉のロードサイドの風景に既視感を覚えた時だった。そうか、俺の地元は全国にたくさんあるのか、とクラッときた。

それでも、俺の地元にしかない魅力的な何かがあるはずなのだ。俺はそのことに気付けないまま、退屈なのを地元のせいにして上京した。問題があったのは、自分自身かもしれないのに。まだその事実を認められないけど、きっとそうなのだ。

実際、この本で描かれていた富山市もとても魅力的に描かれていて(自分の祖父母の家が近いので言葉にも親近感が湧きやすかった)、行ってみたい場所がいくつもあった。ガイドブックとしても優秀だ。

一方で、地方都市がどうやって魅力を残すのか、というマクロな視点で読んでも面白い。地元の人達が自分達で守るしかない。自治体は残すことを優先してほしい。何かと多様性が叫ばれているが、街も多様であるべきだ。

それと、装丁もとても凝っていて、家に置いておきたい可愛らしさだった。

どこにでもあるどこかになる前に。〜富山見聞逡巡記〜
 


6/25〜6/26

『鈴狐騒動変化城』(田中哲弥)、読了。

落語のような語り口と設定を使いながら、物語を面白おかしく展開していく。児童書だけど、大人も気楽に楽しめる巧さと軽さだった。その目まぐるしさと可愛らしい挿絵で、きっと子どもも飽きずに読めるんじゃないだろうか。

買った理由を覚えていないが、ブックデザインが祖父江慎氏だったからかもしれない。賑やかな絵の整理された配置、手触りが心地良くめくりやすい紙、丸背で手に馴染みやすい重さと大きさの製本。本という物質としても、とても魅力的だった。

鈴狐騒動変化城 (福音館創作童話シリーズ)

鈴狐騒動変化城 (福音館創作童話シリーズ)

  • 作者:田中 哲弥
  • 発売日: 2014/10/09
  • メディア: 単行本
 


6/12〜6/19

『拝啓 元トモ様』、読了。

ラジオのワンコーナーをまとめた本。

ラジオで聞いてた頃から思ってたけど、元トモはかなり普遍的な事象だと思う。誰もが元トモだらけ。サラッと読めてしまったのは、実体験から想像しやすかったからだろう。オチが無いことも多く、突然物語が終わることもあるこの投稿達に、寂しさや懐かしさや後悔や反省みたいな、漠然とした切ない気持ちをズンっと呼び起こされる。

巻末に、リスナーとは別に、池澤春菜氏、しまおまほ氏、宇垣美里氏、矢部太郎氏の執筆した元トモ話が載っていて、元トモとの距離感も切れ味の鋭さも様々なのだけど、やっぱりどうしようもなく切なくなった。

拝啓 元トモ様 (単行本)

拝啓 元トモ様 (単行本)

  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 


6/3〜6/11

『まどろむ夜のUFO 』(角田光代)、読了。

角田光代の本は初めて読んだけど、めちゃくちゃ純文学っぽい小説の短編集で、面食らった。

「純文学っぽい」と感じた点を考えていくと、抽象度が高くて映像化を拒むような描写が多い点と、非論理的に感じるくらい物語の展開に関わる説明が少ない点だろうか。これらの条件を満たしていった結果、展開はかなり突拍子無く感じた。

登場人物は、みんないろんな形で現実に実感を持たずに生きているように見えた。その様子が、逃避行動でも無く、自然に描かれていたのが不気味だった。

解説にも『アパート文学』という言葉があったが、居住空間についての描写はかなり執拗で、著者は『ある空間に人が住む』という事象に、強くワンダーを感じている気がした。

このずっと後にエンタメ系の直木賞(ざっくりした評価だが)を取るという事実を知っているので、作家としての変遷を追ってみたくなった。

まどろむ夜のUFO (講談社文庫)

まどろむ夜のUFO (講談社文庫)

  • 作者:角田 光代
  • 発売日: 2004/01/16
  • メディア: 文庫
 


4/20〜6/2

『黄金州の殺人鬼』(作:ミシェル・マクナマラ/訳:村井理子)、読了。

読んでいる間、ずっとじんわりと恐怖を感じ続けた。夜中、読む前に玄関ドアのロックを入念に確認するようになった。

しつこ過ぎるくらいの細かい描写の反復で、犯人のあまりの不気味さに精神的ダメージを負った。そして、それに対抗するように描かれる犯人を追う著者の執念深さが凄まじい。ありとあらゆる手段や視点を使って、犯人を追いかけ続けていた。

本書は、著者の不慮の死によって途絶したものを、夫が雇ったライター達によって書き上げた本なのだが、これは、著者が生きていても書き上げられなかったのでは、と感じた。とても膨大な情報量で、全くまとめられる気がしない。完成した本もよくわからない章立てになっていて、はっきり言って読みにくい。それでも、最初から最後まで「絶対に悪を追い詰める」という強く気高い意志が伝わってくる。

最終的に、著者の捜査は犯人逮捕に直接結びついていないのかもしれないが、この献身には何らかの成果が残ったはずだ。また、著者の捜査方法を見ると、世界中の誰もが探偵になれる可能性が感じられる。

インターネットは悪用も簡単だけど、ひとまず、希望の書として読みたい。

 
3/10

『USムービー・ホットサンド 2010年代アメリカ映画ガイド』(グッチーズ・フリースクール編)を読み始めた。


2/19

『Jazz The New Chapter 6』を読み始めた。

Jazz The New Chapter 6 (シンコー・ミュージックMOOK)

Jazz The New Chapter 6 (シンコー・ミュージックMOOK)

  • 発売日: 2020/02/17
  • メディア: ムック
 

 
2/26〜4/8

中井久夫コレクション3 「思春期を考える」ことについて』(中井久夫)、読了。

専門的な内容が多くて、読むのにとても長い時間がかかった。

柴崎友香が勧めていたので読んだ。保坂和志もこの人の別の本を勧めていた。

精神科医が、後に続くであろう者達に指導しているような内容が多く、精神科医という仕事の難しさが十分に感じられた。精神科医がいかに手探りで仕事をしているか、あるいは、仕事をすべきか、という真摯な姿勢には静かな感動を覚える。

冒頭の『Ⅰ』の章は主に思春期について書いているが、『Ⅱ』は思春期のその後(労働や熟年)と妄想障害やうつ病を中心とした雑多な話、『Ⅲ』は病跡学という学問について、『Ⅳ』はサリヴァンロールシャッハという先人たちの功績について、書かれていた。

すべる目を何度も往復させながら読み進めると、時々啓かれるような気持ちになる文章に出くわす。特に印象に残ったのは、うつ病からの快復についての言及にあった「治るとは元の生き方に戻ることではない」という言葉だった。強い実感の伴った重みを感じる。漫画『Shrnik』(原作:七海 仁/漫画:月子)にも似た表現があったので、この考え方は定説なのだろう。

他にも全く知らない考え方に何度もぶち当たって驚いた。大学が失業者を市中に放り出さないようにプールする機能を備えているという話、日本の交番が世界的に見ても特異な犯罪予防の機能を担っているという話、歴史上の人物を心理学的観点や精神医学的観点から分析する病跡学、社会的に成果が評価されやすい『昇華』という状態が実は本人の精神状態にとっては良くないという話、統合失調症が対人関係から発生するという話(正直、病跡学の部分は普通に伝記でも読んでるような面白さで、学問として成立しているのかどうかは微妙だと思った)。

ラッセル、サリバンという二人の話も初めて知ったが、精神医学の分野での彼らの活躍ぶりは大変面白く読んだ。


2/14〜2/25

『IQ2』(作:ジョー・イデ/訳:熊谷千寿)、読了。

かなり夢中で読んだ。ハリウッド映画的なド派手展開に引っ張られた感があった。

主人公アイゼイアの探偵としての活躍が、一作目より少なくなったのを感じて残念だった。彼の探偵としての資質は減退しているように感じた。それは彼が恋愛や友情などの感情に惑わされたから、という面もあるので何とも言いがたいが、彼のホームズばりの冷静な立ち振る舞いがもっと見たかった。

しかし、やはり彼を探偵として読んではいけないのだろう。前作も少し感じたが、今回は特に推理というにはあまりに証拠が無い『想像』や『推測』で事件を解決していた。

一方で、ドットソンはより魅力的になっており、2人のバディ感もより強くなっていて、その点は読みどころ抜群になっていた。

この2人の関係性とアイゼイア自身の変化も面白くなってきてはいるので、続編が翻訳されれば読んでしまうかもしれない。 

IQ2 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

IQ2 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 


1/30〜2/13

『かなわない』(植本一子)、読了。

ここまで正直に晒し出すのか…という驚愕の文章の連続だった。

2011〜2014年のブログに載せていた文章の転載がベースになっているのだけど、この内容を世界に発信していた、という事実に驚異と恐怖を感じる。自分にはできない。しかし、その文章が本という完結したメディアになると、はっきりと文学作品のパッケージとして感じられるのは面白い。この赤裸々な吐露は、個人的な領域を突破した、立派な『作品』だと感じた。ここまで晒したから成立している。

2011年の文章を読んで、震災がもたらした不安を思い出した。原発問題って解決してないよな、解決してないことも発表しないのかな、とか考え始めると苦しい。

同時に描かれていく育児のストレスと混乱に塗れている文章は壮絶だった。子どもがいる私にとって、その姿は全く他人事ではなかった。子どもに対する「かわいい」「一緒にいよう」「大好き」と「もう嫌だ」「関わりたくない」「辛い」という感情は矛盾せずに存在し得る。子どもに手をあげてしまった描写まで正直に書いていて、読めば読むほど辛い気持ちになる。その一方で、私自身の子どもとの接し方を客観視する感覚も生じた。自分の子育てだって、不安だらけだ。世の中に正しい子育ては無いだろう。

後半では、筆者は結婚しているのに彼氏ができる。読む前から内容を少し知っていて、このスキャンダラスに見える部分がメインだと思っていたが、そうでは無かった。そこから筆者のアイデンティティと精神に抱えている問題に焦点が移っていく怒涛の展開で、夢中で読んだ。

最後に書き下ろしで挿入されている彼氏との辛いやり取りの生々しさも凄まじかった。この後、筆者は変われたのだろうか。読み終わってから、この後の彼らがずっと気になっている。私はECDのその後も少し知っているので、この後、どうなっていくのかも想像してしまう。ECD側からの視点も読みたくなった。私は続編も買うのだろう。


2019/12/20〜2020/1/30

虚人たち』(筒井康隆)、読了。

読み通すのが大変な本だった。あとがきの解説まで読んで、どうにか自分の読んだものの意味が少しわかった。

小説という形式自体を疑って問い直すようなメタフィクションで、この小説自体が小説の形式内で暗黙の了解になっている省略や前提などを露わにしていく。「小説にこの手法は本当に必要なのか?」という大事な問題提起も見えたが、この創作の動機には著者特有の悪戯心や悪趣味のような意思も感じた。

ずっと読み方がわからなかった。主人公の持つ意識をどう捉えればいいのかが難しかった。

最初、映画『トゥルーマン・ショー』のような読み方をしかけたが、そんなレベルのメタではなかった。

筒井康隆らしい実験作だった。

 
1/14〜1/16

『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(塙宣之)、読了。

漫才の技術論を徹底的に解説してて、とても読み応えがあった。読めば読むほど、M-1を見返したくなった(実際に、2007年のオードリーの漫才は見返した)。

佐久間Pの推薦コメント「明快な漫才論なのに、青春期みたいに熱い」はまさにその通りで、ナイツ・塙が漫才に賭けた青春もうっすらと記録されている。タイトルの由来からしてそうだった。

最初はQ&A方式に戸惑ったが、読んでいくうちに慣れた。真剣に観ていない年もあるが、殆どのM-1を見ていたので、スムーズに読めた。

「漫才とはしゃべくり漫才である」の大前提から始めて、しゃべくり漫才コント漫才の違い、関西と関東の漫才の違い、と大まかに体系的に話を広げた上で、漫才を最大限に盛り上げるM-1という競技と、参加者達の漫才についても語っていく。

競技としてのM-1の話では、競技性を批判する意見は見かけたことがあるが、その競技性ゆえに盛り上がる大会になったという話は考えたこともなかったので、感心した。

他にも、M-1は吉本主催の大会なのに吉本以外も優勝させる懐の大きさがあるという話、観客や視聴者が求めるドラマ性が初出場や敗者復活からの活躍を望むという話、キャラ漫才の評価の難しさ、ツッコミに必要な愛の話…。どの話にも深い考察があって驚いた。漫才をやる当事者にしかわからない話があるのは勿論のこと、漫才という笑いを俯瞰で考え抜く視点にも驚いた。そののめり込めなさが枷になっている可能性もあるが…。

とにかく2019年のM-1の考察もぜひ聞きたい。

2019年後半に観た映画類の記録

前半に比べて観た本数は減ってしまった。家で皆で映画を観る習慣が潰えたからだ。また復活する日は来るのだろうか。

 

2019年後半に観た映像作品を大まかに分類していく。

映画館で観た新作5本、映画館で観た旧作1本、Netflixオリジナルの映画1本、配信サービスで観た旧作1本、配信サービスで観た海外ドラマ2シーズン。

アメリカ制作の映画8本、アメリカ制作のドラマ2本。

 

あまりに偏っている。

アメリカ制作以外の映像作品を見ていない。女性監督の映画だって見ていない。残念だ。

2020年はもう少しバラエティ豊かに鑑賞していきたい。

 

以下、遡る形で記録していく。

ネタバレはしているので、注意。

 

 

12/31

スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(J・J・エイブラムス監督)を観た。

観終わって、新しさが感じられなかったことが衝撃的だったし、悲しい気持ちになった。ファンが作ったファンを喜ばせるためだけの映画に見えた。エピソード7にもその傾向はあった(ラジオ番組の『タマフル』で『過剰接待』というワードが飛び交っていて納得した)が、こんなにクリエイティビティが感じられないのか、と落胆した。

「ファンサービス総決算!」とばかりにエピソード4〜6の人気キャラ総出演だったが、それだけでファンは嬉しいんだろうか。そして、エピソード8が遺した荒地のせいなのかもしれないけれど、脚本が破茶滅茶でご都合主義的だった。フォースの能力設定は万能化とインフレが進んでいて便利過ぎるので、どんな展開になっても驚かなくなり、緊張感が保てない。レイの出自は再び血縁主義に捉われていて、前作の数少ない革新性の否定だと感じた。レイがダークサイドに陥るか否かの葛藤も、ある人物を殺すか否かという問いで作られていたはずなのに、最終的には有耶無耶になって終わって消化不良だった。カイロ・レンはどこまでも中途半端で、仮面を直したり被ったり脱いだりする意味がよくわからないし、レイに比べて大して強さも感じられないし、常に迷い続けている。その様子は、おそらく制作者の演出意図を超えて愛らしい。そこは、アダム・ドライバーの良さが功を奏しているのかもしれない。演出がうまくないと思うけど、彼の迷いにはアナキンのような切実さは無い。フィンは女性キャラクターみんなに思わせぶりで愛せない人物に成り下がっていた(観る前にsaebou氏が『オタサーの姫』と言っていたので、余計に意識してしまった)。スピーダーはまた細い道でチェイスしていたし、見たことが無い気候や文明の星も無かった。荒れる海での戦闘シーンは迫力があったが、他は必然性の無い動きもあって疑問に思うことが多かった。

そういえば、あのフラッシュみたいな映像はJ・J印だったのか。パンフレットを読むと、劇中で語られていない、もしくは、表現が足りていない設定やサイドストーリーがたくさん描いてあって、だから違和感があったのか、と納得した。

一つのコンテンツが役目を終えた。 

 

12/14

ゲーム・オブ・スローンズ』シーズン1を観始めた。

 https://www.amazon.co.jp/dp/B017S14BBW


10/12

ブルーサンダー』(ジョン・バダム監督)を観た。

スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』(三宅隆太)で著者の個人的な思い出と共に取り上げて解説していたので、ずっと気になっていた。本で読んだ際のディテールは覚えていなかったが、脚本はしっかりしてそう、という印象を持っていた。

息子にヘリコプターのすげえアクション見せてやろう、と一緒に見ていたら、思ったよりお色気シーンがあって焦った。大人が見る分には他愛もないレベルだったけど。

留守番電話を聞くシーンや録画されたテープのやりとりは、公開当時の観客なら初見でも直感的にわかったのだろうか。ギミックとして2019年の技術と乖離し過ぎていたせいか、自分にはなかなか理解しづらかった。

キャラクターの心情の変化はわかりやすくて、目まぐるしい展開にもあまり無理を感じなかった。ライマングッドの健気さは泣ける。

何はともあれ、最後のビル街でのヘリコプターの戦闘を盛り上げるために、それまでの演出はあった。大都市でビルの間を縫うようにして、ヘリコプターが飛び回る!ヘリVS飛行機とか初めて観た!ヘリコプターをカッコ良く見せるための映像と編集も良かった。スピード感が見事に表現されていた。コクラン大佐の捨て台詞「あとでな!」を使ったやり取りも、ベタだけど面白かった。その台詞や宙返りの伏線回収も含めて、1980年代のハリウッド映画らしい作品だった。

 
10/6

『ジョーカー』(トッド・フィリップス監督)を観た。

重い余韻が身体にずっと残っている。IMAXで観てよかった。

バットマンの宿敵であるジョーカーの誕生譚、というわかりやすい前提があるから、目も当てられないような痛々しさや怖さに意識を奪われても、物語が追える。

前評判で『タクシー・ドライバー』を参照していると聞いてしまっていたが、観ながら脳裏に強く浮かんでいたのは『キング・オブ・コメディ』だった。パンフレットに両方の記述があったので、納得した。映像のルックは前者に近いのだけど、物語構成は後者に近い感じがしていて、うわ、それはやめてくれ…という痛々しい行為を主人公がしてしまうところや、妄想が炸裂するシーンで、特にそう感じていた。

不穏な音楽が鳴り響く世界で、ホアキン・フェニックスが不安と怒りを溜め込んでいく。それにしても、彼のあの身体はただ痩せただけなのだろうか。革靴を柔らかくしているだけらしい所作で、あんなに恐ろしい背中を撮れるものなのか。

発端となる電車内のやり取りの演出も凄まじい。時々暗転する車内が煽る不安と、意識を攻撃へ転じた途端に相手を徹底的に追い詰めるアーサーの恐ろしさ。アーサーが疾走するシーンは繰り返し描かれるが、いつも焦燥感ばかりを煽られる。こんなに見てて不安になるダッシュも珍しい。

アーサーが階段にいるシーンも象徴的に繰り返されるが、ジョーカーが誕生した瞬間の階段のシーンは、後世に語り継がれそうなカッコよさだった。その感想は不謹慎にも思えるし、同時に、不謹慎という感想が起きること自体が作品の完成度を物語っている。

その後、警察から逃げるアーサーは群衆を利用していて、その振る舞いは俺のイメージしていたジョーカーそのものになっていた。群衆に抱き上げられる映像は、さながらキリスト復活の宗教画のようだった。

全編を通して、最悪のネットスラングの『無敵の人』という言葉が思い浮かんでしまう。この言葉はカッコよく聞こえるので、本当に良くない。ジョーカーがカッコよく見え過ぎるのも大丈夫なんだろうか。ラストショットもめちゃくちゃカッコいい。「クローズアップで観ると悲劇で、ロングショットで観ると喜劇」というチャップリンの言葉を端的に表現していると思った。

ホアキン・フェニックスは決して美しい役ではないのに、カメラがクローズアップで捉えると、虚ろなのに透き通った目も髭がうっすら生えてる頬も美しく見えて、それがまた恐ろしかった。彼の精神状態は大丈夫だったのだろうか。ジョーカーを演じることのハードルはどんどん上がっていく。その後、ライムスター宇多丸氏の映画評(宇多丸、『ジョーカー』を語る!【映画評書き起こし2019.10.18放送】)を聴いた。なるほど、そのレベルまで虚実を疑えるのか、といたく感心した。映画の魅力を増やす映画評だった。


9/11

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(クエンティン・タランティーノ監督)を観た。

やっぱり映画って最高、と思える最高の映画。

最近のタランティーノ作品にある、ハイスピードズームのインとアウトを連発するようなハイテンション過ぎるぶっ飛んだ映像は、最後のお楽しみ。

それにしても、ラストのあの徹底っした突き抜けっぷりは凄まじい。歴史を覆すには相当な力が必要ということであり、監督があの悲劇への激しい怒りを表しているということだろう。これに近い手ごたえとして、藤田和日郎のかわいそうな物語(『赤ずきん』など)への怒りとその物語の救済・改変を描こうとする姿勢を思い出した。

事前に知った『シャロン・テート殺人事件に関連がある』という情報は、この映画の見方にかなり影響を与えた。シャロン周辺の展開があるたびに、不穏さを感じ取り、心配になり、緊張状態が持続した。

それと、対比するように、ディカプリオとブラピが仲良くしているだけのシーンは、平和で、穏やかで、素晴らしかった。楽しそうに車で過ごす二人、泣くリック(ディカプリオ)を慰めるクリフ(ブラピ)、クリフに仕事をあげようとするリック。これはずっと観てられる。

強く印象に残ったシーンも多々ある。『ロング・グッドバイ』を彷彿とさせるような、クリフの犬へのエサやり。アンテナを半裸で直すムキムキのクリフの、「漢!」って感じのカッコよさ。プッシーキャットのあどけないかわいさと、大胆な脇毛。車を運転するシーンの多さと、乗りたくなってくる気持ち良さ。落ち込んで情けなく泣きじゃくるリック。うまく演技ができなくてヘコみつつ自分を鼓舞するリック。見事に名演技をやり切れた時のリックのあの表情。面白過ぎるブルース・リーのモノマネ。なぜかブルース・リーと戦うクリフ。映画づくりの楽しさへの愛がある監督の眼差し。劇中劇となるドラマや映画の異様な作り込み。スパーン牧場に丁寧に漂わせる不穏な空気。重さがちゃんと伝わってくるクリフのカッコ良いパンチ。クリフの黄色いアロハ欲しい!幸せそうに過ごすシャロン。いろんなifが頭をよぎるパロディ映像。ヒッピー達も普通の人間として描いていて、途中までは好意的に感じられる。

パンフレットで挙げていたように、タランティーノにとっての『ROMA』になっていて、映像から感傷を感じたし、今まで以上に個人的な映画だと思えた。

観てからずっと思い出し続けている。

 
8/12

『ブラック・クランズマン』(スパイク・リー監督)を観た。

観客を煽り、覚醒を促すような攻撃的な映画だった。スパイク・リーの真骨頂。

その日は、観るまでに疲れていたのと、説明の情報量が多かったせいで、序盤でウトウトしてしまった。主題の説明シーンが終わってしまえば、スパイ映画っぽい「潜入がバレるかも」という緊張感と、人種差別をネタにしたギャグの連発で、眠くなる時間は無かった。もっと英語力や英語圏の文化がわかれば、より楽しめただろう。

差別主義者達が差別をする理由には論理性が感じられず、愚鈍あるいは醜悪に描かれていた。ギャグのようにすら見えるのが悪夢だった。

全てが終わって、差別主義者をみんなでやり込めるシーンのリラックスした多幸感が忘れられない。あの瞬間、差別が無くなるような理想の世界が夢見られる。しかし、すぐにそれは脆くも崩れ去る。

実話ベースゆえに、ラストに突きつけられる悲惨な現在の状況が辛い。 

 
8/10

ライオン・キング』(ジョン・ファブロー監督)を観た。

途中から「あのアニメを実写っぽいCGでやり直すという企画自体に無理があったのでは…」という気持ちで観続けた。

まず、動物達の喜怒哀楽の表情が読み取りづらい。怒り以外の表情はかなり同じに見えた。リアル路線での動物擬人化には必ず生じる問題だろう。

次に、キャラクターの描き分けの難しさも感じた。リアル路線ではアニメ的デフォルメも無いので、ライオンは似たり寄ったりに見えた。特に、ナラとシンバの母の違いはよくわからなかったし、暗いシーンではみんな区別がつかなかった。更に言うと、戦いのバリエーションの無さが辛かった。四つ足の動物は前足で抱え合うしかないのだろうか。あれは監督の魅せ方の問題もあったかもしれない。

物語自体について言っても、ハクナ・マタタのシーンが、後にシンバの成長にあまり関わってないような無駄な時間という扱いを受けていて、その物語的な繋がりの無さには違和感を覚えた。

また、草食動物と肉食動物がどのように共存しているのかも謎だった。アニメでは気にならなかったのに、リアル路線ゆえに違和感が強調されたようだ。国家が存在するならば、なおさら狩りの様子が知りたかったが、ディズニーアニメでは無理だろう。もしそれを描くのであれば、『動物農場』みたいになりそうだ。


8/2〜8/8

Amazon Primeオリジナル『ザ・ボーイズ』(シーズン1)を観終わった。

とにかく先が気になって一気に見てしまった。『ダークナイト』『アベンジャーズ』を経て、「ヒーローがいるからヴィランがいる」「ヒーローも人間的な一面がある」という流れを産む「ヒーローとは何か」という問いを突き詰めていった強烈な傑作。

普通の人間が超人に立ち向かう姿は定番だけれど、やっぱりめちゃくちゃアガる。『AKIRA』における金田や、ジョジョ4部の川尻早人の戦いを思い出す。

ヒーロー達は超人的な力を持っているが、あくまで力を持っていするだけの人間に過ぎない。その力に人間性を狂わされている様子は多少誇張されているかもしれないが、容易に想像できる。

「現実にヒーローが存在するなら本当はこんなクソ野郎だろう」から第1話が始まるが、そこに徐々に企業や政治の思惑が絡んできて、作品として社会の映し鏡となっていくのは、マーベルシリーズに近い(ヒーロー達のキャラクター造形は『ジャスティス・リーグ』に近いが)。

その過程を飽きさせないような見事な展開の連続でテンポ良く描く。基本的なトーンはコメディ寄りだが、思い切った性描写やゴア描写を効果的に使っていて、あっと驚く展開も多い。漫画のページをめくったら衝撃的な見開きが待っていた、という感じの映像も多い。主人公側の人間よりヒーロー側の方が掘り下げて描かれている場面が多くて、そのバランスも面白い。

主人公は至って普通の人間で、そのチームのメンバーはただのアウトローという感じで、彼ら自身より、彼らの冗談を交えたやり取りが魅力的に描かれている。

その結果、一番気になるキャラクターはホームランダーとなった。まんまとこの先が気になる状態になっていて、次のシーズンが楽しみ。

 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07VBJYC24/ref=atv_dp_b07_det_c_Z0r2A3_1_1


7/16

Netflixオリジナル『FYRE:夢に終わった史上最高のパーティー』(クリス・クロス監督)を観た。

史上空前の大失敗に終わったフェスを始まりから顛末まで描くドキュメンタリー。

邦題にもわざわざ説明を入れているので、おそらく『失敗したフェスの話』という事前情報無しに観る人はほぼいない。その前提の上で見ていくと、ほぼ時系列通りに描かれていくので、開催日までのカウントダウンが怖くて仕方ない。最初からおかしい感じはあるのだけど、小さな違和感が徐々にとてつもないカタストロフィーに向かう様子が、もはやホラーだった。

フェスの主催者の現実無視っぷりはサイコパスの域だった。スマートフォンの画面しか見ていないのだろうか。観ながら、うわー、という声が何度も漏れた。そして、フェイクニュースなどもそうだが、結局、言ったもん勝ちになる仕組が問題だった。『誰とでも繋がれる』技術の進歩の結果、とにかく多くの数にアクセスできるので、数打ちゃ当たるの詐欺が成功しやすいようだ。

また、参加者達がSNSでフェスの情報を得て、SNSに載せるためにフェスに行くという様子の奇妙さが描かれていた。ディストピア的なSNS奴隷のように見えるが、実際に多数の来場者が来てしまったのだから、このSNSマーケティングの有効性は間違い無い。

ITは世界を変えたが、良く変えた部分と悪く変えた部分のどちらが多いのだろうか?

このドキュメンタリーは、ITが虚業の爆発的成長をもたらしてしまうという一例を告発している。『この情報がどう見えるのか』と『この情報をどう受け取るのか』が争う変な時代だ。

このフェスが炎上を意味してそうなFYREというタイトルだったことも含めて、全てがフェイクドキュメンタリーである可能性を、完全には否定できない。

全ての情報に半信半疑な状態でしかいられないのは、健全とも思えないが、果たして。

https://www.netflix.com/jp/title/81035279


2017/11/6〜2019/7/11

Netflixオリジナル『ストレンジャー・シングス』(ダファー兄弟製作総指揮/シーズン2)を観終わった。

途中、間が空いてしまったが、どうにか最後まで見られた。まだまだ最高。

シーズン1も多くの名作映画を参照している感じがあったけど、シーズン2は特定の作品というよりはより広範囲のジャンル映画を参照している気がした。話数が進むにつれて、全体の基礎的なテイストが、『スタンド・バイ・ミー』や『E.T.』っぽいギャング集団的な少年期の映画から、登場人物達の成長に合わせて『アメリカン・グラフィティ』や『フットルース』的な、恋愛要素も交えた青春映画にシフトチェンジしていくのが面白かった。シーズン2では、そのベースの上に『エイリアン』的なホラー演出やパニック演出を足していく場面が多かった気がする。

そして、相変わらず脚本が素晴らしい。ちょっと伏線が読める展開もあったが、わかっていてもグッとくる演出が多かった。最も素晴らしいと感じたのは、各キャラクターに主演映画がありそうなくらいに物語を感じさせる演出だった。いろんな映画がユニバースで繋がって、このドラマで合流した、と見える瞬間があった。スティーブを応援したくなる日が来るとは思いもよらなかった。話のスケールが大きくなり過ぎそうで心配だけど、シーズン3も観ると思う。

https://www.netflix.com/jp/title/80057281


7/7

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(ジョン・ワッツ監督)を観た。

スパイダーマンの実写化の中で一番良かった。

しかし、それはスパイダーマンの物語がMCUの中にガッチリ組み込まれて、ドラマ性がメチャクチャ増幅されていたからでは、とも思う。『アベンジャーズ/エンドゲーム』以後のアイアンマンの喪失とどう向き合うのか、という主題は、これまでのアイアンマンの出ていた作品を知っていれば、より感情的に鑑賞できるという仕組になっている。

アイアンマンへの感傷を抜きにすると、今作ははっきりとスパイダーマンことピーター・パーカーの成長物語として描いていて、その巧さと感動を呼び起こす強さは前作『スパイダーマン:ホームカミング』の比じゃない。

恋愛にオクテで、スパイダーマンじゃなければ、普通の傷つきやすいティーンエイジャーのピーター・パーカー。それをトム・ホランドは甲高い声で、チャーミングにコミカルに、時にシリアスに演じ切っていて最高だった。特に、シリアスな場面の表情に現れる苦みのある哀愁は、大人への成長を予感させる。脚本自体がピーター・パーカーの様々な表情を多面的に引き出すように作られていた。

一方で、MJも前作に比べて格段に魅力的に描かれていた。前作ではリズというキャラクターを引き立たせるために、暗いことばかり言う陰気なキャラクターの部分だけを見せていたが、今回はそのキャラクターの本質的な部分は変わっていないのに、周りからの評価が上がって魅力的に見える、という不思議な描き方になっていた。また、前作から仄めかしていたピーター・パーカーを想う様子が大胆になっていたので、より可愛らしく見えたのかもしれない。それは、ゼンデイヤが本来の魅力を少し開放したのかもしれない。

その上で、ピーターとMJの恋愛模様もちゃんと描いていたのが良かった。

エンドゲーム以降の作品で、悪役をどう設定するのだろう、と言う問題は感じていたのだが、スパイダーマンらしいところに落とし込んで、スケールアップさせ過ぎずに楽しめるアクション盛りだくさんに出来たのは、ジョン・ワッツ監督の手腕なのだろう。

観たことがないほど立体的に躍動するスパイダーマンには驚愕した。

途中の幻想地獄のシーンも衝撃的だった。日本のマンガや『パプリカ』などでしか見たことがなかったような、超先鋭的な映像表現で、現実と仮想現実の区別がつかないという恐ろしさを存分に実感できて、凄かった。

そして、嘘が現実を歪めるという構図は、ポストトゥルースフェイクニュースのような現実の問題をエミュレートしているのが、脚本的にもやはり素晴らしかった。監督特有の『怖い大人』表現も健在だった。

 

2019年後半に読んだ本の記録

2019年後半に読んだ本を、いろんな視点で大まかに分類してみる。

小説8冊、エッセイ2冊、ノンフィクション系4冊、戯曲集1冊、勉強系3冊。

日本人作家15冊、アメリカ人作家2冊、イギリス人作家1冊。

男性作家13冊、女性作家5冊。

2010年以降出版(発表)の本12冊、2000〜2010年出版(発表)の本2冊、1999年以前出版(発表)の本4冊。

ノンフィクション系の本を多く読んだ印象があったが、そうでもなかった。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』『黙示録』『つけびの村』『異なり記念日』には、強烈な印象を持っている(エッセイや日記に近い本もあったが、実話に基づくという大きな意味ではノンフィクション系と言っても良いのだろうか)。このジャンルに傑作と言える本が多く感じた。最近増えているのかもしれない。

もう少し、小説以外の本、海外作家の本、女性作家の本、古い本を読みたい。

 

『多様性』について考えることが多かった。

おそらく、2020年もそのモードは変わらない。

 

以下、例によって遡る形で読んだ本を記録していく。

ネタバレはしているだろう。気をつけてほしい。


12/20

虚人たち』(筒井康隆)を読み始めた。

虚人たち (中公文庫)

虚人たち (中公文庫)

 

 

12/11〜12/19

『黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』(春日太一)、読了。

圧倒的な熱量で、読みながらクラクラする。がむしゃらに読み終わった。

とにかく奥山和由の映画への入れ込み方が凄くて、久々に「自分はこのままでいいのか?」と問われた。焦燥感が心の奥底から湧き上がった。最近じゃこんなことは滅多に無いけど、映画プロデューサーの「才能に奉仕する」仕事に憧れた。誰かの才能にあそこまで心酔してみたい…!

特に初期のエピソードに顕著だけど、一つの映画ができるまでのドタバタがめちゃくちゃあって、そのスリリングなやり取りや調整だけでも死ぬほど読み応えがある。そこには、命がけの熱狂があった。奥山プロデュースの映画は裏側も映画みたいだった。

奥山和由の出来事のディテールをしっかり捉える記憶力と、細かく描写する力にもいたく感心する。それもプロデューサーに必要な資質なのかもしれない。

観てない映画も多いのだけど、こんな風に語られると、当然観てみたくなる。特に『海燕ジョーの奇跡』とショーケンの映画が見てみたくなった。色んな監督の描写も最高だけど、ショーケンの野放図な魅力が一際頭に残った。

春日太一氏の丹念な仕事っぷりは、いつも尊敬に値する。

黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄

黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄

 


12/5〜12/11

『ニューカルマ』(新庄耕)、読了。

茶店で勧誘に出くわしてからネットワークビジネスのことが気になって仕方なかった(闇に堕ちる - ほうる、ほうる、ほうるの最後の話を参照)ので、読んでみた。

そして、読み始めてすぐに、自分はネットワークビジネスの体験ルポやノンフィクションを読みたかったのか、と気づいたが、調べてみてもそんなものは見つからなかった。ということは、現状、読める本の中では、これが俺の欲望を一番満たしてくれるらしい、と再確認してから読み進めた。

結果的には、ネットワークビジネスの手口の一端も知れたし、物語的に予想がつかない展開もあって、かなり満足できた。読むまでは、ネットワークビジネスマルチ商法が食い物にするのは、人の不安や虚栄心だと安易に考えていたが、この小説が途中で提示する『善意』や『社会への接続欲求』を食い物にする仕組が、衝撃的で恐ろしかった。その仕組に、取材した元ネタがあるのかフィクションなのかはわからなかったけど、その衝撃がそのまま予想外の物語を展開させる原動力になる。その構成が、また面白かった。

途中にある勧誘の細かい描写はリアルで、喫茶店で見たものに似ていて感心した。勧誘する側が窓側に座るのは意味があったし、やっぱりスケッチブックみたいなの使うんだ。

また、一方で、想像していたよりも繊細な風景描写などが多くて、文学的な、というか、美しい言葉での表現が頻出していて内容とギャップがあって、かなり印象深かった。著者は光の入り方や当たり方に関心が強いような気がした。

解説を読んで、そういや、SNSを使った勧誘の描写は無かったな、と気づいた。自分が見かけた時に勧誘されていた二人組は互いに面識が無さそうだったので、「SNSで集められたのでは?」と思い始めた。書かれた時期には、手口として浸透していなかったのだろうか?小説に落とし込むのが難しかったのだろうか?

ネットワークビジネスについては、また調べたくなる気がする。

ニューカルマ (集英社文庫)

ニューカルマ (集英社文庫)

  • 作者:新庄 耕
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2019/01/18
  • メディア: 文庫
 


12/2〜12/5

きょうのできごと、十年後』(柴崎友香)、読了。

前作から、ちゃんと十年経っている。時間が経過したこと自体が負の感情を喚起するはずはないのに、なぜか寂しさや切なさを感じる。彼らの変化がそう思わせるのかと思ったが、彼らが不変であってもこの感情は滲み出てくるようで、不思議だ。そして、その十年の経過は俺にも起きていて、心情が大まかに登場人物にフィットするせいか、寂しさは増すばかりだ。

けいとは大騒ぎばかりしていられなくなっていたし、真紀と中沢も微妙になってしまった関係に引きづられていたし、みんな仕事とか結婚とか恋愛に振り回されるのもめんどくさくなっている。その心情には強く共感した。でも、相変わらず西山はうるさくてガサツだし、かわちは男前なのに抜けてるし、正道は引いた立ち位置から皆を気遣って眺めてしまっていて、変わっていない部分もあった、のがまた切ない。

登場人物は前作に出てきた人ばかりだが、殆ど全員が映画のキャストで脳内再現された(新キャストの西山の奥さんは高橋メアリージュンで)ので、とても読みやすかった。それほど映画のキャストがそれぞれの役に合っていたということもあるだろうし、あの映画がイメージを喚起しやすい強さを持っていたということでもあるけど、この小説自体があの映画も受け止めた作品だから、ということもあるんじゃないか。直接そんな言及は無いけれど、映画と小説の往復書簡みたいなものに見える。小説のあとがきを行定監督が書いているのも、その直感を確信に変えてくれる。

相変わらず、なぜそんなことやそんな気持ちが書けるのだ…とハッとさせられる言葉も多い。その度に、言いようのなかった気持ちに名前がつけられたように感じて悶える。一番気になったのは、かわちの「ああそうか。今日は、休みの日だった。しかも連休の始まり。ということを、家を出て地下鉄に乗ったときにも思ったのに、気づいたこと自体を忘れてまた同じ経過を辿ってしまった。」という何気ない文章だった。読んだ瞬間に、このかわちの思考を自分も辿ったことがあることに気づき、些末な感覚だと思ってスルーしていた自分の思考が、他人でも経験ある『あるある』だったことに気づかされて動揺した。こういう視界が啓くような体験があるから柴崎友香の小説を読みたくなる。

そして、読み終えて、映画も含めて『きょうのできごと』が自分にとって大事な作品になっていた、と知った、もしくは、思い出した。

きょうのできごと、十年後 (河出文庫)

きょうのできごと、十年後 (河出文庫)

 


11/26〜12/2

ハロルド・ピンターⅠ 温室/背信/家族の声』(作:ハロルド・ピンター/訳:喜志哲雄)、読了。

以前、機会があってピンターの戯曲を使った演劇を見た。その舞台で起きる違和感だらけのやり取りが気になって買った本。6〜7年寝かしていた。

全編、不可解さが漂い続ける。

1本目の戯曲の『温室』は一番不可解だった。舞台設定もよくわからないし、登場人物の言動の殆どが理解できない。姿を見せている人は存在しているということなのだろうが、それ以外の人はその存在すら疑わしい。信用できない語り手達が、お互いを信用せずに、延々と不穏なやり取りし続ける。かろうじてオチはあるが、何も終わった感じがしない。

背信』は妻と夫の友人に起きる不倫関係を題材にしていて、展開は一番わかりやすい作品かもしれないが、ここで彼らに起こっている心情の変化を知るのは容易くない。時系列を操作して遡っていく構成は、解説にもあったように、読者が得る情報量と登場人物が持つ情報量の乖離を意識すると、不思議な感じがした。

『家族の声』も信用できない語り手だらけで、謎の多い作品だった。家出したらしい息子が母と往復書簡をやり取りするかのような形式を取っているが、お互いの手紙は相手に出されている様子は無く、お互いに言いたいことを言い合うだけ。そのすれ違うやり取りの中に、どうやら死んでいるらしい父も自分勝手に言葉を投げかけてくる。

と自分で書いててもよくわからなくなる戯曲だが、この形式はふとTwitterに似ていると気づいた。そう考えれば、現代社会では見慣れた景色かもしれない。息子が訴える現状がまた微妙に不可解な状況だが、それも信用しづらいのはこの戯曲の形式が持つ特性だろう。このわからなさによって、思案することを強制される感じもある。

解説を読むと、筆者は『人物の行動の動機や理由を、当人も含めて誰も理解できないのが現実である』として、意図的にわからないまま表現していて、当時はそこに革新性があったらしい。そう知ってから思い出すと、納得しやすい。実際に存在してしまっている役者がこの色々と不確定な戯曲を演じると、彼らの存在感はどうなるのだろう。直接的な表現もせずに、じわじわと実存を揺らがせる作品群だった。


11/20〜11/25

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)、読了。

多様性と分断が混沌を作るこの時代に必読の、希望溢れる学びの書。

日本とアイルランドをルーツに持つ少年が、イギリスのブライトンにある中学校で成長する姿を、ちょっとパンクな母である著者が軽やかに描いていく。

著者と息子との受け答えが特に素晴らしい。「人種差別する人間は馬鹿ではない。無知なだけ」「多様性は楽ではないけど、無知を減らすからいいこと」という言葉が飛び出すやり取りに、胸のすくような痛快さを感じた。自分のぼんやりとした不安が晴れるような、嬉しいやり取りだった。

更に、息子はこの学びを即座に実践していく。その姿には、未来が明るく感じるような、深い感動があった。ブライトンでは、多様性を重んじる情操教育も日本よりしっかりしているようだった。子ども達にエンパシーという概念をきちんと教えているという話は素晴らしかった。シンパシーとエンパシーは『同情』系の意味で自分は混同していたが、全く異なる。シンパシーは『かわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情』のことで、エンパシーは『自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだと思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力』のことだそうだ。現代社会で大切なのは、圧倒的に後者だろう。世界の多様性とうまく関わっていくために、自分も覚えておきたい概念だし、子供にも伝えていきたい。

多様性の尊重とSNSの跋扈がアイデンティティに与える影響で、世界は複雑さを増していくが、少年達は常に大人の想像を超えて立派に成長していく。

引き続き連載中とのことなので、続編が出るならぜひ読みたい。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 


11/15〜11/20

『全ての装備を知恵に置き換えること』(石川直樹)、読了。

素直でまっすぐな実感をそのまま保存したようなエッセイ集で、読んでて気持ちが良かった。著者は世界各国の最高峰や極地を渡り歩いてきた冒険家・探検家・写真家で、エッセイの内容も、世界各地で出会った風景や人との関わりを描いていた。

まず、タイトルが良い。どういうことだろう、と気になるキラータイトルだった。まえがきにある通り、この言葉はアウトドアメーカー『パタゴニア創始者の発言から引用していて、自然と身体一つで向き合いたいという理想を表明している。この理想は本全体に通底している。

短いエッセイが地理的なテーマごとに分けて集めてあるのだけど、その場所の違いがざっくりと内容にも違いを与えているようで面白い。

『海』は人類と海との関わり方の歴史を多く扱っていて、割と開放的な印象の文章が多い。

『山』は著者の個人史も含めるような、内省的な印象が強かった。

『極地』は見られる人が限られている景色について教えてくれていて、そこには心地よい孤独感があった。

『都市』は世界各国での様々な人々との繋がりが描かれていた。

『大地』は我々でもどうにか行けそうな場所での記録で、エッセイらしい文章が多かった。

『空』には人間が挑戦する姿が描かれていた。

途中、唐突に入っているトイレの話がとても好きだった。考えたことがなかったけど、極地だろうと美しい場所だろうと、どんな場所に行くにも、人が行く限り、排泄行為からは免れられない。その当たり前の現実を改めて提示されて、著者を等身大の人間として見せてもらった。

元々、著者の撮る写真が好きだった。特に山の写真にある静けさや孤独がカッコよいと思っていた。この本を読んで、このまっすぐに生きている彼が人との繋がりを撮った写真も見たくなった。

全ての装備を知恵に置き換えること (集英社文庫)

全ての装備を知恵に置き換えること (集英社文庫)

 


10/15〜11/15

草枕』(夏目漱石)、読了。

柴崎友香が写経するほど好きだというのを知って以来、ずっと読みたかった。

『坊ちゃん』『こころ』『彼岸過迄』くらいしか読んだことが無いが、一番読みづらかった。

第一の原因は言葉の難しさだった。簡単に意味が取れない熟語が多かった。『◯然』系の熟語が特に多く、その都度、注を読まなければならなかった。

第二の原因は言葉遣いの古さだった。他の作品に比べても、おそらく文章の現代的な改訂も殆どされていないのではないだろうか。というより、言葉遣いを改めると、魅力が薄れる部分が大きそうで、改訂が非常に難しそうだった。

第三の原因は、物語的な展開が停滞したまま続く執拗な情景描写の多さだった。その執拗さと描写の美しさ自体は面白いのだけど、第一・第二の原因と組み合わさると、本当に何が書いてあるかわからなかったりした。

そして、この読みづらさの第三の原因である『執拗で美しい情景描写』が、同時に、この小説の重要な要素となっており、最大の魅力と言える。柴崎友香も挙げていた羊羹を延々と描写し続ける場面は、馬鹿らしくなってくるほどの執拗さが笑える。他にも、椿の花が池にぽとりと落ち続ける描写も印象的だった。多くの場面が、詩や俳句に近い原理の描写で描かれていた。

これらのことからもわかるが、おそらく、この小説は漱石の作品でよく言われる大衆文学というジャンルからは逸脱している。画家の主人公が、山里にある宿で浮世離れした生活をしながら、詩や絵画の芸術論を考えたり、人の様子や情景を見つめていく、というストーリーには、大衆性は感じられない。『則天去私』を思わせる芸術論はそのまま文学論にもなりそうな内容だし、描かれる生活には『高等遊民』特有のゆとりと気取りが色濃く現れていて少し飽きるくらいだった。大衆性を帯びている数少ない要素としては、この小説の中心にいる那美という女性を巡る、スキャンダラスな噂や周囲の人間の反応だろう。それと対比するように、主人公の周りに現れる彼女自体は常に超越者的・怪異的に描かれているのも、アンバランスで面白い。

また、お茶の席で水墨の道具について皆で品評する場面には、他の漱石作品に通じる滑稽さと世俗性を感じた。

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

  • 作者:夏目 漱石
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/09
  • メディア: 文庫
 


10/8〜10/14

『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(高橋ユキ)、読了。

noteの記事が話題になった時、少しだけ読んで衝撃を受けて、書籍化したら買おうと決めていた(その時点で敬意を込めて課金しておくべきだった、と後に反省した)。

まず、2013年に山口県の12人しかいない限界集落で5人の村人が殺された事件の真相に迫る、というわかりやすいストーリーラインで始まる。その「連続殺人事件の裏に報道内容と異なる真実が隠れていそう」という導入が強くて良い。それはまさしくミステリーのイントロであり、気にならないわけが無い。そこに、山奥の村ならではの風習も関係しているかもしれない、という民俗学的スパイスまで放り込まれる。ここまで読むと、金田一耕助でも出て来そうな話だが(著者のインタビューを読んで、諸星大二郎妖怪ハンターシリーズ的だと言うのも納得できた)、これはノンフィクションなので、やはり名探偵は現れない。読み進めてすぐに、調査は想像と全く違う展開にツイストしていく。

犯人と事件の背景に迫るべくアプローチしていく中で著者が気になったのは、この限界集落に異様に溢れている『噂』。人は噂話が好きだ。自分だって好きだけど、人間が噂話をこんなに好きだとは考えたことも無かった。『つけびの村』と違って、自分達にはインターネットがあって、噂話の消費の仕方が違った。それだけだ。今では、いろんなSNSにつけびの村がある。この本を買う際、自分も『この事件の裏に隠された真実』というゴシップに釣られた部分はあるが、はっきり言って、この本ではそんなものはわからない。

でも、そのわからなさが凄く面白い。黒澤明の映画『羅生門』のように、加害者も被害者も、様々な証言によって印象が変わり続ける。証言者の印象でさえ、他の証言者の印象で変わる。この見え方が変わる鮮烈さに頭がクラクラする。不確かなものしかない不安が凄い。この本に登場する人物の中では、魔女の宅急便の人に一番生々しいヤバさを感じた。この当時、この事件に興味を持っていれば、「殺人事件」「限界集落」「村八分」というワードだけで自分の好きなようにゴシップを作っていたことだろう。この本は、そうやってわかった気になってゴシップを消費する姿勢への問題提起にもなっている。

当然だけど、一次情報を得るために現場に行くというのは大変だ。お金も時間もかかる。この本では、その著者の経験した大変さも、ドキュメンタリーのごとく克明に描いていく。山の奥深さの描写は想像を超えていた。いろんな証言を得るための会話で、お互いを探り合っている様子も面白い。その調査の過程では、村の過疎化が進んでいった歴史も描かれている。別に珍しい話でも無さそうだった。

つけびの村は増えていくのかもしれない。

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

 


9/27〜10/12

『僕の人生には事件が起きない』(岩井勇気)、読了。

面白かった。一気に読み終えることもできそうだったが、ゆっくり読み進めた。嘘とわかる嘘や妄想と、独自の強固な理論をフルパワーで使って、タイトル通りの事件とは言えないほど些細な出来事を、面白おかしく語り切るエッセイ。ラジオで話していたエピソードトークも多く入っているので、知っている話もあるのに、文章で読むとやはり印象が違う。オチや展開が変わっているような気さえしたけど、改めて調べてみてもそんな事は無さそうだった。著者曰く「全く本を読まない」とのことだったけれど、喋り言葉にも近い文章はとても読みやすくい。エッセイらしい締め方をしていることも多くて、エッセイという形式が文章を縛ってしまう制約もあるのかもしれない、などとも考えた。

PR誌・『波』の中で、能町みね子氏とテレビ東京の佐久間宣行氏と話していた内容も納得できるので、家ではさくらももこの『もものかんづめ』の隣に並べておきたい。

僕の人生には事件が起きない

僕の人生には事件が起きない

  • 作者:岩井 勇気
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/09/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 


9/23〜10/8

『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(作:ルシア・ベルリン/訳:岸本佐知子)、読了。

どの文をどこから読んでもカッコよくて、ため息が出る。これは本当に不思議なことで、どの短編もそれなりに展開があるのに、途中から読んでも、その後に最初に戻っても、小説になっているような気がする作品ばかりだった。

それは、まず、一文のフレーズの強さに要因がありそうだった。とにかくカラフルに五感を伴ったイメージを喚起する。経験したことの無い情景が、読んだことの無い言葉で作られていて、読んだ瞬間にめちゃくちゃドキドキする。

次に、前後の文との繋がり方が驚きに満ちていることにも要因がありそうだった。一文で情景が変わるような瞬間が多くあった。それぞれの具体的な例は巻末のリディア・デイヴィスの文章や、訳者あとがきで存分に語られていて、納得の内容だった。確かに、トム・ジョーンズとは少し似ているかもしれない。

読んでいくうちに、著者の現実に起きたらしい出来事が散りばめてあるのはわかる。しかし、それらは、全てが過去のことであり、振り返る対象でしかない。いろんな短編で何度も同じモチーフについて語ることがあるが、どんな出来事も振り返る時の視点によって全く印象が違う。同じ出来事を語っているはずなのに、違う物語に当て嵌めて話すと全く別の話になる。映画『ビッグ・フィッシュ』はファンタジー過ぎるが、手法は近い気もする。

人生の、過酷な時期も、幸せな時期も、ルシア・ベルリンは極彩色に塗りたくりながら語っていた。

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集

 


9/8〜9/23

『ライムスター宇多丸のラップ史入門』(宇多丸高橋芳朗、DJ YANATAKE、渡辺志保)、読了。

NHK-FMで放送された『今日は一日“RAP”三昧』の内容をベースにして、ラップの歴史を振り返っていく本。

1970年代から10年単位で日本とアメリカのラップミュージックを並行して見ていく試みが非常に面白くて、他の分野でもこういう本があればいいと思った。また、この本を読む際にはスマートフォンが手放せない。紹介される音楽をSpotifyで流しながら読み進めていくと、ラップ(ヒップホップ)ミュージックの進歩がよくわかる。80年代と90年代のヒップホップの流れを全く知らなかったが、トレンドの移り変わりの早さにも驚愕した。通して聴きながら読んでいくと、ここ最近の日本のラップがアメリカのラップにかなり似ていることは感慨深い。これは、YouTubeSpotifyのような情報技術の進歩の影響もあるだろうが、いとうせいこう達から始まる先人達の研究と研鑽の結果なのだと実感できる。

固有名詞を追うだけでも大変な情報量になる。その膨大な情報を整理して伝えてくれたMCの面々にも頭が下がる。

ラップの今後も気になる。昔はマッチョな世界観が主流だったラップが、女性の社会進出や性的マイノリティーをテーマとして扱えるようになったという転換は、音楽としての懐の深さを表しているのだろう。

時代に合わせて、常にマイノリティーを救える音楽であり続けるなら、ラップの繁栄は止まらない。

ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門

ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門

 


8/20〜9/7

『零號琴』(飛浩隆)、読了。

難しい用語や漢字を大量に投入しながら、なぜこのリーダビリティを確保できるのだろうか。ガンガン読み進めてしまった。全く観たことがないし、存在しない世界のはずなのに、想像できる。唐突に現代日本でしか理解できなそうな言い回しがギャグみたいに出て来るのは笑った。でも、この世界ではその言い回しが通じる世界なんだよな、と納得もした。SF小説は読者の想像力をどの程度信頼しながら書き進めるのだろうか?見たことも無いものを描くにしても、既存の言葉を使って創っていくんだな。その想像力と創造力の積み重ねを想像して溜息が出る。

そして、飛浩隆って他者の作品をマッシュアップした感じのSFを書くんだ…?というのが率直な驚きだった。作品名は敢えて書かないが、美少女アニメのコンセプトや手塚治虫を感じさせる漫画のアイディアを使った上で、飛浩隆らしいSF世界を拡張している。あとがきにあったように、軽いSFを志向したから、このような手法を導入したのだろうか。キャラクターは大胆にデフォルメされた人物が多くて、これも漫画的だと感じた。

それにしても、この小説の構造が凄まじい。世界観と密接に絡んでいる主人公達の物語、小説の舞台が内包する神話的サーガ、小説世界に流布しているコンテンツという3種の物語を絶え間なく各視点から語り続け、独創的なアイディアがうまく連動するように組み上げて一つの小説としていることに驚嘆する。明かされていない謎もたくさんあるが、話が進むにつれて、うまく情報が開示されていって、次の展開への興味が刺激され続けていく。この情報を出すタイミングと量が絶妙だった。

トロムボノクとシェリュバンの異能っぷりと、その異能とちゃんと繋がっているキャラクターはとても魅力的だった。続編が書かれるなら、このバディは続いていてほしい。

零號琴

零號琴

 


2018/9/19〜2019/9/6

『さよなら未来』(若林恵)、読了。

じっくり読み進めた結果、読み終わるまでに約1年かかっていた。『WIRED』という最先端テクノロジーを紹介する雑誌の編集長だった著者が、その雑誌を中心に書いてきた文章を集めた本。

話題はテクノロジー関連を中心にしながらも、多岐に渡っている。今まで自分があまり読んで来なかった内容なので、海外の最先端テクノロジーは紹介されてるだけでも新鮮な気持ちで読めた。

個人的なブログからの転載だというディスクレビューも含めて、著者の一貫した思想は感じられる。著者は人間の持つ自立心を信じている。実は、彼はテクノロジーや技術全般が好きじゃなくて、使う人間の方に興味があるようだ。人間は技術という道具に振り回されるべきではなく、技術を適切に扱うべきだし、扱えるはずだと彼は信じている。勿論、全人類にそれが可能だと思ってるわけではないし、物事に批判的なスタンスを取ることも多いが。

そんな著者が放つ文章は切れ味鋭く、カッコいい。一番シビれた文章は『「ニーズ」に死を』だった。心の底から納得できるところも多く、webで見つけたテキストはブックマークして、時々読み返している( https://wired.jp/2017/01/03/needs-dont-matter/ )。読むたびに何か意欲のカケラみたいなものが得られる。特に、「(ちなみに言っておくと「イノヴェイションは勇気から生まれる」というのがぼくらの見解だ)」と括弧付きで書かれている控えめな一文が、僕は一番好きだ。著者の活動は今後も追っていきたい。

さよなら未来――エディターズ・クロニクル 2010-2017

さよなら未来――エディターズ・クロニクル 2010-2017

 


8/5〜8/14

『異なり記念日』(斎藤陽道)、読了。

聴覚の有無を、ただ単に『扱う言葉が違う』『情報の受け取り方が違う』として、ちゃんと認めて生きていく。その理念を、生活の中で実践して積み重ねた記録。

聴こえない生活を殆ど想像したことが無かった。例えば、iPhoneFaceTimeがろう者にもたらした幸福をわかっていなかった、というように、自分のろう者への無知・無理解が一つ一つ解きほぐされていくような優しい本だった。手話に種類があるのは知っていたが、日本手話を母語とする人のことを、自分はよくわかっていなかった。生まれた時から皆が日本手話で話す家があるというのは、全く想像の外だった。言葉が身について記憶が生まれた、という著者の実感の伴った話にも静かな感動を覚えたけど、保坂和志も似たようなことを言っていた気がした。

映画、音楽、漫画、小説、会話…というあらゆる情報の受け取り方が聴者とは違うんだろうな。だけど、別に聴者同士だって、それは全然違う。当たり前じゃないか。自分と他者の当たり前の『異なり』を、また一つ肯定的に受け入れられて、少しホッとしたような気分になった。多様性を認める社会を作るための大事な一冊だった。

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

異なり記念日 (シリーズ ケアをひらく)

 


7/21〜8/2

『スウィングしなけりゃ意味がない』(佐藤亜紀)、読了。

自由より大切なものは無い、と信じさせてくれる小説だった。

解説にも書いてあったが、全くわからない単語があってもスラスラ読めてしまう。その体験はSFやファンタジーでも読んでいるかのようだが、ちゃんと史実に準拠しているらしいのだろう。相当な取材と資料収集があったのは想像に難くないけど、その労力を割くだけでは作品にはならない。

この凄まじいリアリティの世界観を描き切った創造力に驚く。一番その力を感じたのは、ナチスに属する奴ら自身も自分達の行為を馬鹿げたものとして扱うという描写だった。だから、戦争は怖い。馬鹿げてるとわかってるのにやる。やるしかなくなる。自由と尊厳が踏みにじられても。

そして、強制労働は効率も悪い。嬉々として働く奴なんているわけなくて、サボり方ばかりが上手くなる。やっぱり差別も人権侵害も全然世界を良くしない。 主人公のエディはクールだ。どんな困難も軽やかに超えて楽しんで生きて欲しいが、戦争はそれを簡単には許さない。自由を得るために生きねばならず、周りの皆も生かさねばならず、ナチスに迎合する、という耐えがたい不自由に苛まれる描写は、読むのが辛かった。

ハンブルク爆撃で、人が人じゃなくなってく様子も悲惨だ。これはどの戦争でも共通だろう。戦争はクソ。

世界中の人が読めばいい。ドイツ語訳はされているのだろうか?ドイツ人にはどう読まれるのだろうか?

マックスもクーもデュークも最高。戦後、みんながどうなったのかはわからないし、青春時代と戦争が重なるのはとてつもなく不幸だけど、あの時の彼らの輝きは永遠に戦争に負けない。

スウィングしなけりゃ意味がない (角川文庫)

スウィングしなけりゃ意味がない (角川文庫)

 


7/5〜19

『知の編集術』(松岡正剛)、読了。

世の中は情報で出来ていて、意識的にも無意識的にも、それを編集しながら人間は生きている。その編集術に意識的に生きるススメの本。

自分は何を期待して読み始めたのだろうか?情報を整理する力の向上?そういう実用性を求めていたのだろうか?

あれもこれもどれもこれも『編集』という言葉で説明できるのはわかった。練習すれば編集術は身につくのだろうか。『編集稽古』という練習のページをもっと熱心に読み込んでみればよかったかな。一つの事象について、視点を変える方法のヒントは少し得た、ような、気がしないでもない。

要約法と連想法という編集の分け方はわかりやすくて感心したが、どうも実用書っぽい本が苦手で、やはり著者のエッセイっぽい箇所や蘊蓄ばかりが気になった。次は普通にエッセイ読んでみようかな。

知の編集術 (講談社現代新書)

知の編集術 (講談社現代新書)

 


6/29〜7/4

『IQ』(作:ジョー・イデ/訳:熊谷千寿)、読了。

主人公の冷静さがカッコイイ!まさにクール。久々に実写化が見えるエンタメ小説を読んだ。解説を読むと、著者は脚本家だったみたいなので、映像的に感じやすい表現が多かったのかもしれない。

キャラクター描写がいちいち気が利いていて、シャーロック・ホームズを彷彿とさせる主人公アイゼイアの、鋭い観察眼と冷静に事実だけを追って真相を推理する姿勢は、ヒーローに相応しい。小説の構成として、同時に彼が探偵になるまでのオリジンも追うので、彼の未熟だった頃の描写と合わせて見ると成長が見て取れて面白い。

そして、そんなアイゼイアの魅力を最も引き立てるのがドッドソン!彼がワトソンのような立場でありながら、全く異なる動き方をするのも最高に面白い。アイゼイアに愛憎入り乱れた感情を抱いて隣にいて、粗を探そうとすることで結果的にアイゼイアを助ける、という構図は独創的だった。

2000年代後半〜2010年代という時代を黒人文化多めできっちり描いていく。実在する固有名詞を混ぜながらストーリーを進める手法は、まるでラップのようだった。

主人公の魅力でガンガン突き進む展開はずっと先が気になる感じなので、勢い2作目も買ってしまった。

IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)