レストランを出て、下に降りるエレベーターに皆で乗った。しばらくすると、窓から入っていた日光が壁に遮られた。暗くなったその瞬間、3歳の息子が言った。
「やみにおちるよ…」
息子は順調に育っているようだ。
『闇』という言葉は、ウルトラマンで覚えたのだろうか?いや、仮面ライダーか?あ、戦隊シリーズ?
『室内が暗いエレベーターが下降する=闇に堕ちる』という連想はそんなに悪くない。大袈裟過ぎる表現に伴う中二病っぽさが面白いわけだが、3歳で中二病ってむしろ成長し過ぎなくらいでは。
息子の語彙力と理解力が上がっていて、面白い発言は増えている。「まいにちまいにち、あさよるあさよるあさよる、いやだ!」と叫んだのも良かった。息子曰く「朝夜交互に来なくてもいいじゃん」ということらしい。言われてみればわからんでもない。
一方で、妻は順調にジャニーズオタクに育っている。
以前から大晦日のジャニーズカウントダウンコンサートの放送を熱心に見たりしていたので、素養はあった。自分も聞きかじったグループを面白半分でオススメしたりしていたが、こんなに本格的にハマるとは思っていなかった。気づくと、あるグループのファンクラブに入って、地方のコンサートチケットの抽選に応募して、当たる前からホテルを確保していた。その本気度に驚いた。
堕ちるのは一瞬だ。
こちらは闇より沼という表現が合いそうだが。ちなみにチケットの抽選にも一瞬で落ちた。
ここで、俺は自分の感情を確かめてみた。妻がジャニオタになることについて、自分はどう思っているのだろうか、と。
最初、何かモヤっとする感じがしたので、そのアイドルへの嫉妬に近い感情が起きているのか?と推測した。アイドルを追いかける感情が疑似恋愛に近いイメージがあるのかもしれない。究極的には、ファンはアイドルを性的対象として見ているのでは?などと考えた。
しかし、それは男性が女性アイドルのファンになるパターンで多い例なのかもしれない。女性アイドルが恋愛禁止を謳う例は、ファンにアイドルとの疑似恋愛を推奨しているためだろう。勿論、これらの推測自体も偏見に満ちている。
と、一般論について悶々と考えたところで意味が無い。結局のところ、「彼女がどのようにアイドルを愛でているか」が重要なので、彼女の行動を見守ってみた。
なるほど。どうやら母親のような視点で楽しむ要素も強いようだ。美しい少年達がスターになっていくのが嬉しい、らしい。
それにしても、見ているうちに可哀想になってきた。好きなアイドルが出ているという理由だけで、こんなつまらないバラエティ番組やドラマを見なければならないのか。修行か、苦行だ。あ、つまらなくないのかな。いや、彼女もつまらなそうだ。iPhoneをいじりながら流し見している。
しかし、彼女はまだジャニオタであることに照れているので全てポーズの可能性もある。仮に、本当に彼女がつまらないと思っている上で見てているならば、なんでこんな苦行に耐えられるのかがわからない。
しかし、それは自分がアイドルに本気でハマったことが無いからかもしれない。
とも思って対抗して異性のアイドルを好きになれるか検討してみたが、やはりノれなかった。昔、ももクロならイケそうな気もしたのだが。思い返してみれば、特定の人物のオタクになって、この人の作品を全部買おう!となったことが無い気がする。
ああ、きっと他者の目を気にしているんだな、俺は。オタクへの偏見を持っていて、カッコつけてるのね。我を忘れてのめり込むのカッコ悪いと思ってんのかな。ダサいじゃん。落ち込むよ。
何はともあれ、『わからないからと言って、他者の好きなものを否定してはいけない(犯罪行為は除く)』という信条を持っているので、堕ちていく妻を温かい目で見守るしかない。
堕ちる、と言えば、先日、喫茶店で不思議な集団を見かけた。
その日は、久々に時間があったので、都内の喫茶店で読書をすることにした。
案内された席は2人席で、窓に向かって座った。
隣のテーブルが近いのは気になった。そこには男性が3人いて、窓を背にする男が先輩面して対面の二人に熱心に語っていた。その先輩風の人は 20代前半くらいに見えた。髪型は側面を刈り上げた短髪で、上半身は白シャツの上に茶のベストを着て、下半身はベストとセットアップのスラックスを履いていた。対面の二人は彼より幼い感じで、カジュアルな格好だったので大学生くらいに見えた。そのテーブルを見て読み取った情報から、【大学生の後輩がサークルの先輩(社会人?)に就活の相談をしてる】と推理した。『名探偵コナン』を読んで培った観察眼が役立った。
先輩風の男がノートに色々と書いて見せながら、偉そうに喋っている。
「死ぬまでにどれくらいお金がかかると思う?」
「結婚はしたい?子どもは欲しい?そっか。2人ね。そうなると、こんなにかかるんだよ!」
聞く気が無くても耳に入ってくる。読書に集中できない。それにしても、この『スラムダンク』の赤木みたいな髪型の先輩、偉そうに語ってるなあ。そんなに偉いのかな?
「じゃあ、社会では何が大事だと思う?三つあるよ。まず、『課題解決能力』。じゃあ、それはどうやったら身につくと思う?次に、『カリスマ性』。じゃあ、それはどうやって?最後に、『コミュニケーション力』。じゃあ、それは?」
って感じで延々と諭すような口調で話していて、徐々に違和感を覚えた。
俺の推理が…間違っている…?
先輩風の男が、『お金』と『課題解決能力』と『コミュニケーション力』と『カリスマ性』を得るための方法を教えてあげよう、と言って、一呼吸置いた。
「NBって知ってる?」
…ん?何だろ?わからない。後輩風の2人の男も知らなそうだった。「ニューバランスじゃないよ!ははは」と先輩風が軽口を叩いてから言った。
「ネットワークビジネス!」
胸の奥がざわつき始めた。店の入り口にあった『サークル・マルチの方はご遠慮いただきます』の看板を思い出した。NBはマルチだろ!遠慮せずにいるじゃん!
先輩風は2人に話し続けた。
「ネットワークビジネスはマルチ商法じゃないよ。完全に合法だから。ちなみに、マルチ商法ってどういうイメージがある?」
後輩風の1人がおずおずと答えた。
「アムウェイみたいな…。」
先輩風は「あー、『マル』ウェイさんね!はっはっは」と笑い飛ばした後、「全然アムウェイの肩を持つわけじゃないけど、売ってる商品はイイものなんだよね」とまた諭すように話した。先輩風は、何やら「価値」とかそういう単語を混ぜながらひとしきり話した後、ちょっと電話してくる、と外に出て行った。俺は少しホッとした。
しばらくして、隣り合って座っている後輩風2人が話し始めた。
「そのシャツ、カッコいいですね…」
「あ、そうですか?ありがとうございます…」
え?あれ?ここも初対面!?NBの人はどうやって勧誘する相手を連れてくるんだろう。しばらくの間、2人は服の話をしていた。「友達には馬鹿にされるけど、自分は結構アヴェイル好きです」アヴェイルはファッションセンターしまむらの別名義ブランドだ。しまむらは地方都市にあるイメージなので、関東の地方都市に住む若者なのかな?っていうか、その言い回し、グッとくるな…。『2人とも職場には40代や50代のおじさんしかいなくて、飲みに行ったりとかしない』という話をした後、「この話、どうします…?」みたいな相談が始まった。あ、やっぱりちょっと疑問は感じてるのね、がんばれ、騙されるなよ!「やっぱりいきなりは決められないので、資料とかもらいましょう」という結論を2人で出してて、俺は隣で、うんうん、と頷いた。
先輩風が席に戻って来た。第一声は「なんか聞きたいことある?」だった。2人が勇気を出して「資料とかってありますか?」というと、先輩風が「資料か〜、資料ね〜」とか散々勿体ぶった後、「何が聞きたいの?」とまた尋ねた。それを聞いて、耐えられなくなった俺は店を出た。
この勧誘にはマニュアルがありそうだ。
- 将来の不安を煽る
- とにかく質問して、自発的に答えさせる(もしくは、そのように錯覚させる)
- 資料を渡さない
というテクニックが垣間見えた。
この先輩風も似たような勧誘を受けたのかもしれない。先輩風も単なる加害者とは言いづらい。負の連鎖。後輩風2人に「騙されない方がいいですよ!」とか言った方が良かったのだろうか?いや、赤の他人にそんなことはできないだろう。
NBの闇に堕ちそうな人を見て見ぬフリしてしまって、気持ちが闇に堕ちていくのを感じた。