2018年後半に観た映画の記録

総じて昨年より観た本数は減った。

代わりに、何をしていたのか。

時々料理を作ったりした。

アニメも結構見たかもしれない。

まあ、仕方ない。

 

『ヘレディタリー/継承』を映画館で観られたのは幸運だった。

 

以下、遡る形で振り返る。

きっとネタバレはしている。

 

12/5~12/17

『フリント・タウン』(ザカリー・カネパリ&ドレア・クーパー&ジェシカ・ディモック監督)シーズン1をNetflixで観た。

初めて全部スマートフォンで観た。

第1話の冒頭の映像から『劇映画じゃない』という事実を何度も疑った。ドキュメンタリーとして、こんな映像が撮れるのか?

計算ずくでカッコ良過ぎる構図、全然カメラを意識してるように見えない出演者、ここぞというシーンが生々しくよく撮れている映像。これらの要素がこの作品全体をフィクショナルにしてしまっている。それはいわゆるヤラセっぽさに繋がっている気がする。

ちゃんとドキュメンタリーであるとして、パトカーにカメラが入り込んでるのも、現場に一緒に急行しているのも凄い。犯人、被害者、血。これらが現実のものだと思うと、カメラマン大丈夫かな、という緊張感があった。

事件が解決するわけではないというのが不思議なくらい、ドラマ的だった。

また、かなりストーリーが整理されていて、それもフィクション性が高く見えた原因だろう。

ドキュメンタリータッチのドラマが増えたせいもあるのかもしれないが、ドキュメンタリーもドラマに接近しているのだろうか。ドラマみたいなドキュメンタリーというのは少し微妙だな。その手法は、実際にそこで苦しんでいる人の気持ちをちゃんと汲み取れるのだろうか。

思っていたより、警察主体のドキュメンタリーだった。水質汚染の問題は日本の現在に直結しているので、もっと詳しく見たかった。

www.netflix.com

 

12/15

『ヘレディタリー/継承』(アリ・アスター監督)を観た。

観終わってまず、太ももの裏にべっとり冷や汗をかいていることに気づいた。そのせいで寒気が止まらなかった。観ている間ずっと手に汗握っていたことは気づいていた。まだ映画館にいるのに、家までの帰り道にある暗闇を想定して、嫌で嫌でたまらなかった。想像力が刺激され過ぎてバカになっていた。観ている間も、無いはずの風を感じたりした。

ラジオで三宅隆太氏と宇多丸氏が言ってた通り、既にクラシックと思える大傑作だった。

序盤は批評家気取りの少しひいた目線で観始めた。とにかく構図やカメラワークがカッコよくて、家の中や外観の映像は、ニューカラー的なアメリカの写真集を見てるような美しさだった。友人の言っていた『ウェス・アンダーソン的』という指摘も凄くわかる。ミニチュアみたいに家を撮り、横位置で撮り続けたり、カメラのスムーズなドリーなどがその連想を促す。

しかし、徐々に映像に違和感を覚えていく。そして、少しずつ不穏さが入り込んでくる。

まず、最初に小さな違和感が起きたのは、葬式のシーンに詰め込まれた情報量の多さだった。母・アニーのスピーチ、祖母の遺体、胸にあるネックレス、それに気づくチャーリー、それを見て笑う男、そして、誰かが口で鳴らす音。この音はチャーリーが鳴らしていたのだろうが、誰もリアクションしないから観客は疑問に思いながら見続けなければいけない。短いシーンなのに疑問がいっぱい浮かぶようにできていて、その答えを下品に提示したりはしない。

全編通して、答え合わせ的な演出を抑制している。疑問は興味へと変わり、観客はどんどん振り回されていく。

カメラが向く方向に何があるのか?と常に不安になる。

何も無くても、あるように思えてくる。暗闇に何かが映ったような気がしてくる。本当に映っていたのかどうかは、最後までわからなかった。

スリードも多い。チャーリーの存在感は、彼女自身が大暴れする映画になると予想してしまう。ピーターが活躍するとは思えない。少しずつ、観客は予想を裏切られて、あの結末へ向かう。その裏切りの殆どに反則を感じないのと、ちゃんとした展開があるこの脚本は奇跡的だと思う。

演出も見事で、観客を不安にさせるカメラワーク、ピーターの表情だけで時間を持たせるあの悲劇のシーン、位置をくっきり感じさせる鉛筆の描く音や蠅の羽音。

母・アニーは恐怖に怯える顔も相手を恐怖させる顔もやっていて、文句なしの名演。

あまりに多くの情報量だったので、おそらく見逃していることもあるだろう。チャーリーという男っぽい名前、家族と人種が違い過ぎるように見えるピーター、最後の三角形。これらも意図があったように思うのは深読みなのだろうか。

疑問と恐怖を今もずっと反芻している。

hereditary-movie.jp 

 

11/23

ドッグ・イート・ドッグ』(ポール・シュレイダー監督)を観た。

ニコラス・ケイジ主演でウィレム・デフォーとの競演、そして、監督が『タクシー・ドライバー』の脚本のポール・シュレイダー。そりゃ見たい!ってことでようやく見て、なるほど…この布陣なら確かにこんな作品になるよな…でも、俺が観たかったのはこんなんだっけ?えーと…?と微妙な気持ちになった。

ニコラス・ケイジがドラッグ漬けなのを観たのは『バッド・ルーテナント』以来か。相変わらず面白い顔。ぶっ飛んでるウィレム・デフォーもよく見るような…。いや、気持ち悪くて怖くて好きだけど。っていうか、二人はマトモじゃない役ばっかりだな!ああ、この組み合わせ、『ワイルド・アット・ハート』で観たのか。既視感あると思った。

アメリカの貧困層の白人には、儲けている黒人や黒人文化に対して強い憎悪がある。そう描かれていた。かなり白人至上主義が見え隠れしていた、というか。結果的に主人公達は破れるので、そういう思想を馬鹿にしているのかもしれないし、物語的装置として導入しただけなのかもしれないが。

残念ながら、映像にも物語にも新しさは感じなかった。

思慮の浅い男達が、露悪的なまでに強烈な暴力を振るいながら、惨めに情けなく負けていく映画だった。

負け犬達の挽歌。

ドッグ・イート・ドッグ [DVD]

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11/1

アメリカン・スリープオーバー』(デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督)を観た。

子供から大人に変わっていく少年少女の感情の揺れ動く様子が、静かに繊細に描かれていた。

視線のやり取りだけで物語が進められるシーンが多々ある。映画の醍醐味だ。

手や顔や身体のパーツのズームインを、細かいショットで滑らかに挟み込んでいるのに、映像自体が忙しない感じにはなってなくて、とてもうまく抑制して静けさを保っていた。

女の子がかわいく撮れている。最初かわいく見えなかった女の子が、次第にかわいく見えてくるのは、監督の手腕なのだろう。

いくつかの話が同時に展開していく中で、違う話の登場人物を一つのシーンの中で微妙に交錯させる。その映像とその効果が面白い。観客は少しずつ登場人物の人間関係を把握できるようになっていく。

双子の女の子にその同級生の兄が会いに行く話は、なかなか変わった展開をしていて、先が読めなかった。最初は兄の挙動の痛々しさにヒヤヒヤしっぱなしだったが、最終的には気持ちを不器用に確認し合うやり取りに美しさを感じた。

彼氏と同級生の浮気を知った女の子が同級生に仕返しする話では、最後の彼氏との大人っぽいやり取りに、子ども時代の終わりを感じて切なかった。

誰でもいいから性的な体験をしたいように見えたロブは、最後には相手を大事にする気持ちを得ていた。マギーも同様の成長をしていたが、その成長に切なさを感じた。大人になってしまった。

子供は大人になりたがるけど、大人は子供が大人になることを、切なく感じてしまう。

戻れない時間が詰まっていた。

www.americansleepover-jp.com

 

9/30

エウレカセブン ハイエボリューション1』(京田知己総監督)を観た。

このインタビュー

https://www.cinra.net/interview/201802-eurekaseven

を読んだことと、2の副題がANEMONEだから見てみた。

テレビシリーズを見たのは10年以上前で、当時と感じ方が変わった。当時はエヴァの強い影響下にあるフォロワーか、もしくはパクリに見えるけどなんか気になる…って感じだったが、このインタビューを読んだことで、エヴァだけの話ではないし、あれほど露骨に真似しているのは、音楽用語の『サンプリング』に確かに似ていると気づいた。キャラクターの名前は丸ごといろんなところから持ってきていると気づいていたが、キャラクターの境遇や作品の世界観まで、いろんな要素をわかりやすくハメ込んでいた。

戦闘やメカのワクワクする動きとキャラクターデザインが良くて、そこでオリジナリティを作り出している。またインタビューの表現に沿っているが、この映画自体はテレビシリーズのリミックスというのがしっくりくる。テレビシリーズでの色んな要素をうまく繋いで良いとこ取りできるようにしている。

しかし、いくらなんでも時間軸イジり過ぎじゃない?今まで見ていた人は内容の相違に混乱するし、初めて見る人も追い切れないだろう。

物語としては導入でしかなかった。トレインスポッティングの要素を強く感じた。2作目でどこまでテレビシリーズからアレンジしていくのかは気になる。

 

9/19

ミッション:インポッシブル/フォールアウト』(クリストファー・マッカリー監督)を観た。

映画の原初の機能と言える気がするが、この鑑賞は、ただ観る体験では無く、アトラクション的な体験だった。

ド派手なアクションをやるためにストーリーがあるような場面が多くて、全体的にはハチャメチャな印象だったけど、映画館で見るならこれでいい。特にヘイロージャンプについては、「この作戦要る…?」という疑問を強く感じたけど、いや、これでいいんだ。見ててハラハラしたから。高速で走るバイクでのチェイスも、前代未聞のヘリでヘリを追うヘリチェイスも、手に汗握りながら爆笑し続けた。

でも、これが臨界点かもな…。次はどう見せるんだろう。宇宙空間とか、海底とか…?楽しみではある。

イーサン・ハントのアイデンティティに迫る部分の話はなかなか面白かった。確かに、彼が世界を救う動機は意外と描かれてなかっただけに、見直す良い機会だったかもしれない。

それにしても、最高級のドラッグバカムービーだった。 

paramount.nbcuni.co.jp 

 

9/5

寝ても覚めても』(濱口竜介監督)を観た。

映画館を出た直後のカップルがいたのだが、男が「はぁ〜!?」と言って、女が笑ってた。とても率直な感想で良いと思った。話の展開だけを追えば、こういう感想で然るべきだと思う。

俺も原作小説を読んだ時には、あのシーンで「えー!?」と叫んだ気がする。しかし、小説と映画で感じ方は大きく異なる。小説では朝子主観で心の動きを見た上で驚いたし、その驚きに不思議な感動があったが、映画ではその心の動きを外側から推し量るしかなくて、それが難しいので唐突に行動したように見えた。そのわからなさは恐怖映像のようでもあった。

そんな風に、全体的にホラーのような演出が多々あった。ビルの上から朝子を見た亮平が朝子に見返されるシーン、麦が唐突に家に来るシーン、朝子が亮平を追いかけるシーン。これらはホラー演出のようだった。家に来た時は幽霊のようだった麦が、実体化したように唐突にレストランに来るシーンは鮮烈で、とにかく怖くてカッコよかった。原作との相違の中では、そこが一番面白かった。怖く見えるのは、恋というもの全般の怖さを表しているのかもしれなかった。

全体的に誰かが誰かを追うシーンが多かったような気もする。車に追いすがるようなシーンも面白くて、外と中の断絶がはっきりしているのがコミュニケーションの機能不全を表しているようだった。

マッサージのシーンの丁寧過ぎて何か含みを感じてしまう描写も良かった。どうしても性行為っぽく見えるんだな。

皿を洗いながらプロポーズするシーンの、生活感の混じる恋愛表現も面白かった。

パンフレットを読むと震災の話を盛り込むのは必然に思えたが、観ている間は違和感があった。

渡辺大知の普通のお調子者感がすごく上手かった。朝子は亮平と話す時だけ棒読みっぽいというか演技っぽい喋り方になるのだけど、全体的に感情が読み取りづらくて、それがまたホラー要素を強化しているようだ。

ラストシーンに含まれる、雲と光が動く中で川沿いを走るロングショットは最高。ラストショットの不気味さも良かった。

本当に変な映画で面白かった。

netemosametemo.jp

 

8/25

『カンタ!ティモール』(広田奈津子監督)を観た。

例によって、俺は東ティモールのことを殆ど知らなかった、と観始めて気づいた。相変わらず俺は無知。

冒頭は楽しげな歌と子供たちの笑顔の映像が溢れていて、とても幸福な時間だった。

でも、やはりその幸せの裏には、独立戦争による悲惨で壮絶過ぎる辛い経験が横たわっていて、大人達は皆その過去を噛み締めた上で未来を見ようとしていた。飽くまで忘れてはいない。東ティモールどころか、世界平和を願うような純粋な振る舞いには胸打たれる。

という映像にはなっていた。

しかし、主役級の男のアレックスの怒りや悲しみがわかる映像はほぼ無いし、独立のために戦っていたゲリラ軍が本当に残虐な行為をしなかったのかはわからない。皆があまりに聖人に見えて、その疑念は微かに感じたが、どうなんだろう。あまりに穿った見方かもしれない。

それでも、この映像を見て、日本が経済的なメリットを理由にインドネシアを援助していた、といういかにも日本的な活動には、憤りを覚えた。

自分たちの周りを良くすることが世界平和に繋がる。それは間違いないだろう。

また、余談になるが、今まで見てきた作品がたくさん想起された。

インドネシア側の暴虐ぶりからは『アクト・オブ・キリング』。あれに出てたような人達がやったんだろうなあ。『オンリー・ゴッド』も思い出したが、あれはタイだった。それでも、残酷性で結びついたんだろう。ティモールの皆が信じるルリックという自然信仰からは諸星大二郎の『マッドメン』。あれはパプアニューギニアだけど、見えないものへの信じ方が似ていた。独立戦争の経緯を見ているうちに、高野秀行の『謎の独立国家ソマリランド』も思い出した。国連はただの会員制の高級クラブで、無条件に正しいわけじゃない。日本の経済援助が悪影響を及ぼすこともある。それは肝に銘じる。インドネシア東ティモールの女性に強力な避妊薬を投与しようとしたという話は、『地下鉄道』で白人が黒人女性に不妊手術を促すシーンを思い出させた。どちらも出生率のコントロールを意図している。どこの国でも人を虐げる方法は似ている。

こんな風に頭の中でぐるぐると思考を巡らせながら観終えた。見た後も、やっと目に入った非常にシリアスな問題について、心を痛め続けているし、出来ることを探しながら悩んでいる。

www.canta-timor.com

 

8/23

悪魔のいけにえ 40周年記念版』(トビー・フーパー監督)を観た。

想像より何倍も凄かった。40年経っても耐え得るクオリティってすげえ。

かなり細かくカットを割っているのだけど、固定の映像に自然に手持ちが混ざっていて、その瞬間が来るたびにそのドキュメンタリーっぽさにドキドキした。

カメラの動かし方も面白かった。ローアングルから上方に向けたカメラで後ろから人をゆっくり追うシーンが二回ほどあったが、サリーが館に入る時に、館が異様なほど大きく見える映像は超現実的で感心した。また、サリーがトラックで連れ去られるシーンでは、カメラが前に行ってから後ろに下がってまた前に行くという不思議な動きをしていて、「何かが起こるのか…?」ととても警戒してしまった。恐怖の表情もよく捉えている。サリーの表情は演技に見えない。

音響に関して言えば、金属を引っ掻くような生理的に嫌な音が恐怖心を掻き立てた。

脚本も素晴らしい完成度だった。ホラーやスプラッターは夜の暗闇が舞台というのがセオリーだと思っていたので、真夏の真っ昼間からレザーフェイスが出てきてめちゃくちゃ驚いた。明るい時間でも怖い演出はできるんだな。沈む夕日も怖い。途中で家族らしい振る舞いを始めるシーンの不気味な可笑しさも良かった。レザーフェイスの一家があくまで人間であることが、恐怖を増大させる。追ってくるチェーンソーがうるさいのも面白い。

演出も細部まで行き届いていて凄い。最初に出てくる狂人の演技がうまくて、何をやるかわからない不穏さにドキドキした。鉤爪に生きた人間を引っ掛けるシーンは見るからに痛く感じた。口にボロ雑巾を突っ込まれる行為の生理的な嫌悪感も半端なかった。美術もぬかりがなく、骨と毛皮と羽が気持ち悪い。動かないと思っていたジイ様の醜悪過ぎる動きもヤバかった。ラストのサリーの笑顔と笑い声は目と耳に焼き付いて離れない。狂人が増えてしまった。

どれも真似できないオリジナリティで、一部分でも真似すればすぐにパクリに見えるアイディアばかりだった。

ひっくり返ったアルマジロは不気味だけどかわいかった。叙情的に暑さを感じさせる映画でもあった。

衝撃が反響し続けててまとまらず、ぶつぶつと箇条書きでしか書けない。

 

8/12

『劇場版仮面ライダービルド Be The One』(上堀内佳寿也監督)『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャーen film』(杉原輝昭監督)を観た。

『劇場版仮面ライダー~』は、予算も潤沢そうで、ゲスト俳優も豪華だし、投入されているエキストラの人数も多いし、ショッピングモールをフィールドとして贅沢に使っていた。

エスカレーターで仮面ライダーが戦うのは見たことも無い映像だったし、ゾンビ映画じみたホラー演出も面白かった。

しかし、テレビの本編同様つまらないシーンも多い。ずーっと暗いテイストの映像とやり取りが続く。それだと見づらいとわかっているようで、時折、照れ隠しのような悪ふざけのようなギャグを挟み込むが、それがあまり笑えない。

それと空から俯瞰する映像も多用しまくっていたが、不要じゃないか。単純に飽きる。

とにかく主人公は一人で悩む。それも見るのに堪えない。

何より戦闘が単調で面白くない。力に対して新たな力で対抗するのを、敵味方で交互にやってインフレしていくというストーリーのせいだろう。CGを多用しているせいでアクション的な限界も感じられず、どうでもよくなってくる。制約は大事なのだと改めて思う。ラストシーンでは敵と味方のビジュアルが似過ぎていて、結末に全く興味が持てなかった。

『快盗戦隊ルパンレンジャー~』の映画は予想外に良くて、アイディアに満ちているアクションが映画の出来を端的に表していた。

このアクションの面白さにはテレビ本編でも時々驚くのだけど、今回はいつもにも増して『アベンジャーズ』以後の作品だというのがよくわかった。アクションがそのまま快盗と警察の関係性を示している冒頭のシーンだけでも、映画館で観る価値があった。

アクションパートは大きく分けて3部あり、どれも面白いのだけど、最初と最後を比べるとアクションが大きく変わっていて、その関係性の変化も示している。いかにも映画的で良い。

同時に、全体的にポップな色彩設計(敵の世界のおどろおどろしい表現でさえもその設計に準じていた)とテンションは、子供向けとしてもちゃんと見やすかったように思う。 

www.build-lupin-vs-pato.jp


8/8

カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督)を観た。

この大ヒットの理由は「ネタバレを知らずに見た方がいい」という気になるクチコミが拡散したのと、もう一度見たくなる内容なのでリピーターが多いから、と推測した。

観終わって、いたく感心した。前評判通り脚本がとても良くできている。三谷幸喜を思い浮かべる人が多いと聞いてたけど、俺が思い浮かべたのは宮藤官九郎だった(内田けんじという人も思い浮かんだけど、クドカンの方が近い)。特に『木更津キャッツアイ』だった。こっちの方が資質は近い気がするが、どうだろう。

しかし、脚本が良く出来てるだけでなく、その演出に、映像の現場での叩き上げ感があって、それがとても泥臭い感じがして良かった。全ての映像制作の大変さと楽しさを高らかに宣言している内容で、感心だけでは終われず、感動せずにはいられなかった。

まず、何もわからずに最初のAパートを見ていると、変な間や微妙なカットが連発で頭の中にたくさん疑問符がつく。しかし、その悪手が謎解き編のBパートでいつの間にか見事な好手に変わっている(『ヒカルの碁』みたいな表現にしてみた)。それが、とてもスッキリする快感。それはAパートとBパートでギャップがあればあるほど気持ちよくて、演技している役者とその役者の素顔の落差や、意図していた演出と事故との差異など、観るべきところはたくさんある。

そして、その演出は細部にまで行き届いていて、何度も観たくなる。あの一発撮り・生中継というルール設定は、この映像に事件が起きるために相当考えられていて上手い。プロデューサーがプロジェクトTシャツを着ないで部外者っぽいという設定は、最後に皆が力を合わせるシーンへの布石になっている。という具合に、終始とにかく細かい伏線が張り巡らされている。

そして、この映画は『映画に起きる魔法』を信じている。当初の意図とは変わっていても、不運や事故があったとしても、結果良いものができるということは、きっと多々ある。映画はカメラが捉えたものが全てだけど、その舞台裏にはいつもこんな汗と涙が滲んでいるんだと思うと、全ての映画が愛おしくなる。そう思わせてくれる。

予算が増えたらどんな映画を作るのだろうか。次回作は気になる。

後から聞いたライムスター宇多丸氏の映画評にあった「フィクションとメイキングがシームレスに折り重なっている」という表現にはとても納得した。メイキングにも作品と言えるほど面白いものはある。その面白さまでぶっ込んでいたのか。 

kametome.net

 

8/8

Netflixで『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』(ジェンジ・コーハン監督)シーズン1を観始めた。

www.netflix.com

 

7/25

万引き家族』(是枝裕和監督)を観た。

真面目。観終わってから言葉が出てこなくてなんだかモヤモヤしていたんだけど、やっとこの言葉が思いついた。監督は敬意に値するほど超真面目。真摯に日本の現代社会に向き合ってこの映画を撮っていた。

社会への問題提起を孕んだ枠組みだけ作り込んで、その中で役者がバチバチと演技に見えないレベルの演技をして、それを映像に捉えた結果、映画になっていた。という作り方もそうだし、一貫している切実さも『誰も知らない』に似ていて、精神的な兄弟みたいな作品だと思った。この社会性の映し方が、最近のカンヌ映画祭で好まれる傾向なのだろう。

一つ一つのショットは、込められた意図を受け取りやすいと思う。難しく考えなくてもよい、というか。全体的には猥雑で美しい生命力に満ちている。それを充分に体現していた『家』が主役と言ってもいいのかもしれない。

安藤サクラが魅せる濃厚過ぎる人間味にはドキドキするし、樹木希林の妖怪じみた異形っぽさはゾッとする。松岡茉優の育ちが良さそうな雰囲気は上手い。城桧吏は美しい。

また、チョイ役で出る人達も上手くて豪華。所謂世間で言われる正論を背負う高良健吾池脇千鶴の非人間的な感じも巧かった。

gaga.ne.jp

 

7/15

『ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション』(クリストファー・マッカリー監督)を観た。

冒頭のシーンからワクワクしまくるバカ映像!ここだけでも映画館で見たかった。トム・クルーズがプロデューサーなだけあって、そのスター的サービス精神が強く反映されている。

見せ場がほぼ間断なく詰め込まれていて飽きない上に、話の流れをちゃんと思い出せるほどおかしな展開が無い。

それは、「この窮地をどう脱するんだ?」「コイツは裏切り者なのか?」「これも敵の作戦のうちなのでは?」等の様々なスペクタクル要素を上手く使って、必ず予想外の展開を魅せながらも、なるべく物語に矛盾を持ち込まないようにしてるからだろう。よくあるダメな映画のように、裏の裏の裏の裏の…と予想を裏切ろうとした結果生まれる矛盾を作らないようにしている。それは、映像的に「見たことのないもの」を作る場面を作ることで回避できているのかもしれない。

『正義は勝つ』というお約束の期待は裏切らず、勝ち方では予想を裏切る。気持ちの良い最高のエンターテインメントだった。

前作『ゴースト・プロトコル』に比べると急激に話がスケールダウンした気もするが、これはこれで大人も楽しめるリアリティを作ったということかもしれない。また、対007も意識しているのではないだろうか。

そして、イーサンがベンジーを好き過ぎだろ。