Twi Twi Tweet(ついつい追意図)

‪記録を残すために非日常的な行為をすること。‬
‪作品を批評するために鑑賞すること。‬

SNSが得意なこれらの罠に陥った時、自身の心の貧しさに気づくことがあるかもしれない。‬

‪あなたはその行為自体を『現在』十分に楽しめているだろうか?‬

 

‪アナ・W・ホール‬

ツイッターを弄っていたら、下書きの欄に未投稿の文章が溜まっていることに気づいた。‬
‪読み返すとなぜ投稿しなかったのかわからないものもあった。推敲した上での投稿を試みたが、不思議なことにそれはできそうになかった。‬
‪その現象がなんだか面白かった。‬


ツイッターが即時性を重視するからできないのだろうか?

投稿できない内容に一貫性は無さそう。書いてる時の勢いで投稿できないと溜まってしまう。書いていた時の気分との乖離が起きると、それが気持ち悪くて投稿できない、ような気もする。‬


‪でも、ブログでならその下書きも投稿できると思った。‬
‪検証も兼ねていくつか載せていく。‬

 

ある日、エスカレーター上ってたら、前にいた女性の首の後ろ側から背中にかけて蜘蛛のタトゥーが見えて、『げ、幻影旅…』と瞳が赤くなりかけましたが、脚が12本じゃなくて8本でした。お互い命拾いしたな…と思いました。

このタトゥーの女性は存在した。
エスカレーターに乗ったら目の前にいた。
しかし、「げ、幻影旅〜」から先の『HUNTER×HUNTER』ネタの部分は、実際はその時には思わなかった。いざツイートしようと思った時に、思いついてデコレイトした。
その時は何となくツイートしなかったが、今見直すと、そのデコった部分のドヤ顔っぷりが気持ち悪かったのだろう。

 

なんだかんだと聞かれたら‬
答えてあげるが世の情け
世界の破壊を防ぐため
世界の平和を守るため
愛と真実の悪を貫く
ラブリーチャーミーなカタキ役
ムサシ!コジロウ!
銀河を駆けるロケット団の二人には
ホワイトホール 白い明日が待ってるぜ
にゃーんてな

何これ…。なんで当時はスルーしてたん…?

息子は最近、昔のアニメ『ポケットモンスター』をよく見ている。一緒に見ていたら、一応の悪役のロケット団がこの決め台詞を言っていた。
「リアルタイムで見ていて何も思わなかったけど、改めて考えると何言ってんだコレ?」ということが言いたかっただけ。
そのまんま。
投稿しなかった理由は、多分、全然面白くないツイートだと気づいたから。

 

以前、喫茶店で本を読んでたら、隣に座ってた紳士然とした小綺麗なおじさんが、病院で尻に座薬を入れられた話を上品かつ滑らかに話してた。本への集中力を根こそぎ奪われるほど面白く感じたが、どう思い返しても『病院で尻に座薬を入れられた話』でしかない。面白かったのは語り方か。勉強になった。‬

これは何度も推敲したが、投稿を断念した。
なぜならば、この出来事が起きた時に面白いと思った気持ちを、そのまま面白く表現することができなかったから。力不足。

 

君の名は。』がハリウッド映画化ということで、『前前前世』も英語でやったりして、と思ったら本当にもう出してるのね。Zenzenzense。

実は『君の名は。』をまだ見ていないので、ただ茶化してるような気分になって、どうしても投稿できなかった。単純に諸々の事実に驚いただけだったんだけど。
せめて見てからじゃないと、茶化すようなことは言っちゃいけない気がしてる。
ちなみに、曲はこんな感じ。

Amazon CAPTCHA

あ、『ラ・ラ・ランド』も見れてないんだよな。『前前前世』で思い出したけど。

 

ポストペットアメーバピグセカンドライフ…。‬

こういうアバター系のヤツ、一過性の流行だったなあ、ってふと思ったことがあった。
思いついたものの、あまりに意味が無くて投稿するタイミングが無かった。

サマーウォーズ』や『レディ・プレイヤー1』みたいな未来はあり得るのか?

 

‪大学受験の時、勉強の仕方が間違っていたのではないか、と最近よく思う。仕事をするようになって、自分で‬

書きかけの文章。自分が書こうとしている内容が長くなるのを予感してやめたっぽい。
ちなみに、書きたかったのは「勉強は長時間一つの教科に取り組まない方が良いのでは?」というようなこと。
高校生くらいの頃の自分は、自主学習時、やると決めた課題を、長時間かけてやり切っていたことが多かった気がする。
何かをやり遂げることが大事だと思っていた。負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと、駄目になりそうな時、それが一番大事だと思っていた。
精神論で勉強していたのだ。
仕事をしている現在の自分の実感としては、いろんな作業を小まめに少しずつ進める方が得られる効果は大きい(現在の業務がそれをできる環境で良かった)。少なくとも自分にはその方が合っていた。

ということが言いたかった。
安易な一般化は危険だが、きっと脳科学的にもそうだろう。茂木健一郎氏はわからないが、池谷裕二氏なら賛同してくれるのでは!
あ、やっぱり長い。


以上のように、世に出なかったツイート達を追悼していてわかったのは、現在、ツイートを見られている意識が過剰に強いということだった。
それは、『140字で手軽に書けて、簡単に読める』というツイッター空間の特性のうち、『簡単に読める』(読みやすい、アクセスしやすい)方を、かなりネガティブな意識で捉えているということらしい。だから、虚栄心たっぷりに話を盛ろうとして自己嫌悪になったり、クオリティが低い投稿を断念したりしていた。

昔はもう少しどうでもいいことを投稿してたはずだが、ユーザーが増え過ぎてそんな事態に陥っている。
その意識をポジティブな緊張感に変えられるのが理想だろうけど、なかなか至難の技だ。

 

最後に、冒頭で引用していたアナ・W・ホール氏についても言及しておく。
彼女は、2016年に弱冠14歳でスイスの科学技術系雑誌『ヌーベル・テクニーク』に、宇宙線Wifiの相補作用が大麻文化の世界的拡散に与える影響の考察」という論文を発表して、科学業界や自然保護団体の注目を集めた後、現在はライプツィヒにあるヴォルベルグ大学で文化人類工学を学びながら、糸電話を使ってSNS使用の抑制を呼びかけるアート活動にも取り組んでいるという才媛で、引用したのは、未来志向型SNS開発ハッカソンと同時開催だった上海のシンポジウムでの発言である、というのは嘘で、この発言も彼女も存在しない。

バレバレかもしれないけど、彼女の名前はブログタイトルを文字っただけだ。

 

昔からツイッター上で誰かの引用のフリをしてみたかったので、下書き欄にあった文面を加工して引用風にしてみた。
引用ってだけで権威を感じちゃいません?
ちなみに、この嘘のつき方は村上龍の『69 sixty nine』へのオマージュである。この本をギリギリ10代で読んだ際には、先が気になるのにこのめんどくさい話法が頻発するのでイライラさせられたもんだ。それでも、あの青春感たっぷりの瑞々しさはグッときた。懐かしい。久々に読み返してみようかな。

 

と、長々と下らない冗談みたいな文章を書きたい時に、ブログというものがあって私は嬉しい。

そして、このブログの下書き欄にも文章は溜まっている。