New Documentary Town

10年くらい前からホンマタカシの写真が好きになって、古本屋で写真集を見かけては買おうか迷う。いや、大抵高いので買わないことの方が多い。

クール過ぎてドライにも感じる彼の作品は、いつも思いがけない視点を教えてくれるし、その視線はいつも少し意地が悪い。
ニュータウンの漂白されたように清潔で整理された街並みはクールに不気味だし、笑っている子供は可愛いから撮りがちだけど子供はいつも笑っているわけではないし、写真は常に嘘をつく、というのをホンマタカシの写真が楽しく教えてくれた。大好きだ。

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でも、最初に気になったきっかけは『ノスタルジー』だったのかもしれない。
好きになってから数年後、高くて買えない『東京郊外』の写真を眺めている時に、唐突に懐かしさを感じて気づいた。

 

俺は地方都市の出身だ。
そこは田舎らしい豊かな自然に恵まれてるわけではなかった。

豊かだったのは工場と道路と車とパチンコ屋だった。

そんな地域の新興住宅地で育った。
家の前の道は急ピッチで砂利道から道路に舗装されたし、空き地だらけだった家の周りには凄い勢いで家が建った。基礎しかない状態の建物もたくさんあって、毎日のようにそこで遊んだ。自分の家と全く同じ形の家も近所にあって、うさぎを横から見た姿に似ているその形を見ては不思議がっていたが、ありゃ建売住宅だからだ。

いつからかマンションもニョキニョキ生え始めて、転校生も多かった。

ブラジルからの転校生もクラスに一人ぐらいはいた。
だから、その地域には移住してきた新たな住人も多かった。お祭りとか地域に根差した古き良き伝統みたいなものも多少はあったけど、できたてホヤホヤみたいな地域行事も多くて、歴史の重みや威厳は感じなかった。たまに古い風習に触れると、どこか自分がよそ者である気もしていた。

当時はその居心地の悪さがよくわからなかったが、今思えば、だ。

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ホンマタカシの撮った多摩ニュータウンの写真を見て、そんな気持ちを思い出した。

そこにあった人工的で寒々しい風景には、自分が育った街の雰囲気があった。
だから、見るたびに少し当時の気持ちが蘇る。愛憎入り混じる気持ちが。


そういえば、この前、久々に『アド街ック天国』を見て、ああ、俺はこの番組嫌いだったな、と思い出した。
なぜなら東京の情報ばかりだったから。「地方にいる俺に関係無い東京の情報はそんなにありがたいもんかよ?」と勝手に上から目線を感じてムカついてた。
東京に住んでいても興味が湧かない地域は多いんだけど。
いや、イノッチは良いよ!

 

そんな俺は、今、成り行きで東京に住んでいる。
ニュータウンではなく、もっとごちゃごちゃした街に。

今となっては、どちらの方が好きというのも無い。
とりあえず、息子はホンマタカシの『東京郊外』の写真にノスタルジーは感じないだろう。

じゃあ、この街は息子をどんな奴に成長させるのだろうか。

 

最近、ある鼎談を読んで、『文化資本』という言葉を知った。

鼎談の内容は、欧米を中心とした音楽の現状と今後について、Superorganismという音楽グループを起点にして話し合う感じで、刺激的で面白いのだが、その中で「結局、文化資本に恵まれてると勝ち抜きやすい」というような話があった。
Wikipediaで調べたら『文化資本』は社会学の学術用語(文化資本 - Wikipedia)らしい。
『金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。』だそうだ。

ああ、これだ、俺はこの『文化資本』ってヤツを息子にあげたい!
その結果、自立心を持ち、自分で生活できて、犯罪を起こさない人になってくれりゃあいい。
優しかったら、尚良いか。

そのためには何をあげればいいんだろ。全然わからない。

自分が親からもらったものを思い出しながら、息子に用意したいものや環境を、よく考える。用意した上でスルーされるのは仕方ないだろうな。

 

ホンマタカシの写真集なら、少し持ってるよ。