リード・オンリー・メモリーズ

2017年 2月

『会話が溶けて混ざる』


妹が結婚するというので帰省した時に、父、母、妹、妹の婚約者、妻、息子の6人で集まって、チェーンの安い居酒屋で食事をした。

実家の近所にあるその居酒屋には、子供を自由に遊ばせるだだっ広いキッズルームがあった。我々が案内された座敷のすぐ横にその部屋があって、刑事ドラマでよく見る取調室のように、あるいは、水族館か動物園のように、大きなガラスの窓越しに中を確認できるようになっていた。

キッズルームの端っこに無造作に置いてある玩具は見るからにボロボロで、全体的にみすぼらしく見えたけど、一歳半の息子はその部屋を見つけた途端、居ても立っても居られなくて、目を輝かせながら、キッズルームに行きたいと暴れた。

仕方なく連れて行き、最初は俺や奥さんが付き添っていたが、刑事の取調みたいに部屋を見ていれば大丈夫そうだと思ったので、時々一人で遊ばせたりした。その後も、彼は玩具を両手に掴みつつ、その部屋と我々のいる座敷を行ったり来たりした。


注文をまとめる人がいなかった。

それで、ダラダラと各々が好きなものを注文して仕方なく俺が適当なことを言って乾杯した。父親は既にビールを1/3杯くらい飲んでいた。


しばらく一人で遊んでいた息子が座敷に帰ってきて遊び始めた。

妻が「上手だね」とブロックを積む息子を褒めた。

その直後に妹が自分勝手に「あ、この唐揚げ美味しい」と言い放った。

その隣にいた母が「ね。上手に揚げてるね」と2人の発言を混ぜた。あるいは、会話として繋げた。

その不恰好な会話が可笑しくて皆で笑ったが、父親だけはそれを見逃していた。


その後、父親は生まれてから今まで一度も食べたことない豚しゃぶを急に注文したが、保守的な舌の持ち主なのでやっぱり食べられなくて、残りを鍋ごと妹の婚約者にあげていた。

彼は嫌な顔一つせずに食べていた。

ああ、妹は優しい人を選んだらしいな、と思った。

 

 

 

おそらく1996~2002年の間のいつか。

『Kind Family Case』


父母俺妹の家族四人でケンタッキーフライドチキンを食べていたら、当時小学生だった妹がパッケージを見ながら母に「『KFC』って何?」と聞いた。母が「Kentucky Fried Chickenのことだよ」と答えたら、会話に加わらないでテレビを見ていたはずの父親が「…そんな答えでいいのか?」とちょっと大きな声で遮った。

父以外の3人とも、え?それでいいんじゃないの?なぜ少し本気のトーンなの?と不思議に思っていたと思う。

父は更に「そんな、いいかげんな、答えでいいのか!?」と追い討ちをかけた。

後でわかったのだけど、父は『KFC』を『経営不振』と聞き間違えていた。

普段は浅学を自称していいかげんなところも多い父だが、「娘の問いに本気で答えねば」と声を荒げたと思うと、味わい深い時間だった。

 

 

 

2018年7月と2000〜2009年頃。

『ひきだし』

 

朝、起きたら妻がリビングのテーブルで何かの書類を書いていた。会社に提出する書類らしい。シャープペンシルを使っていた。

「ふーん。シャーペンでいいんだ?」

「そう。変だよね」

あんまり提出物の書類がシャーペンでよかったことってねーなー、とか思いながらトイレ行ったり息子の保育園の準備をしてる最中も、頭の中に何かが引っかかっていた。

しばらくウロウロして、わかった。

「そのシャーペン、誰の?」

「え?私のだよ?私が使ってる引き出しにあったし」

あれ?そうか?

俺のだと思った。

ドクターグリップのシャーペン。

振ると芯が出てくる仕組が中学生の頃から好きで、分解してパーツを入れ替えたりして遊んでたんだよな。妻の使っていたシャーペンは、浪人時代に気合入れて勉強するために買って、大学時代もそのまま使ってたヤツに似てるんだけど、違うのか。

とか思っていたら妻が吹き出しながら「あれ、でも私、ドクターグリップとか買うかな?」と言うので「そうだろ!俺のだろ!」と二人で笑った。

蒸し暑い朝だった。一日が始まった。

 

Twi Twi Tweet(ついつい追意図)

‪記録を残すために非日常的な行為をすること。‬
‪作品を批評するために鑑賞すること。‬

SNSが得意なこれらの罠に陥った時、自身の心の貧しさに気づくことがあるかもしれない。‬

‪あなたはその行為自体を『現在』十分に楽しめているだろうか?‬

 

‪アナ・W・ホール‬

ツイッターを弄っていたら、下書きの欄に未投稿の文章が溜まっていることに気づいた。‬
‪読み返すとなぜ投稿しなかったのかわからないものもあった。推敲した上での投稿を試みたが、不思議なことにそれはできそうになかった。‬
‪その現象がなんだか面白かった。‬


ツイッターが即時性を重視するからできないのだろうか?

投稿できない内容に一貫性は無さそう。書いてる時の勢いで投稿できないと溜まってしまう。書いていた時の気分との乖離が起きると、それが気持ち悪くて投稿できない、ような気もする。‬


‪でも、ブログでならその下書きも投稿できると思った。‬
‪検証も兼ねていくつか載せていく。‬

 

ある日、エスカレーター上ってたら、前にいた女性の首の後ろ側から背中にかけて蜘蛛のタトゥーが見えて、『げ、幻影旅…』と瞳が赤くなりかけましたが、脚が12本じゃなくて8本でした。お互い命拾いしたな…と思いました。

このタトゥーの女性は存在した。
エスカレーターに乗ったら目の前にいた。
しかし、「げ、幻影旅〜」から先の『HUNTER×HUNTER』ネタの部分は、実際はその時には思わなかった。いざツイートしようと思った時に、思いついてデコレイトした。
その時は何となくツイートしなかったが、今見直すと、そのデコった部分のドヤ顔っぷりが気持ち悪かったのだろう。

 

なんだかんだと聞かれたら‬
答えてあげるが世の情け
世界の破壊を防ぐため
世界の平和を守るため
愛と真実の悪を貫く
ラブリーチャーミーなカタキ役
ムサシ!コジロウ!
銀河を駆けるロケット団の二人には
ホワイトホール 白い明日が待ってるぜ
にゃーんてな

何これ…。なんで当時はスルーしてたん…?

息子は最近、昔のアニメ『ポケットモンスター』をよく見ている。一緒に見ていたら、一応の悪役のロケット団がこの決め台詞を言っていた。
「リアルタイムで見ていて何も思わなかったけど、改めて考えると何言ってんだコレ?」ということが言いたかっただけ。
そのまんま。
投稿しなかった理由は、多分、全然面白くないツイートだと気づいたから。

 

以前、喫茶店で本を読んでたら、隣に座ってた紳士然とした小綺麗なおじさんが、病院で尻に座薬を入れられた話を上品かつ滑らかに話してた。本への集中力を根こそぎ奪われるほど面白く感じたが、どう思い返しても『病院で尻に座薬を入れられた話』でしかない。面白かったのは語り方か。勉強になった。‬

これは何度も推敲したが、投稿を断念した。
なぜならば、この出来事が起きた時に面白いと思った気持ちを、そのまま面白く表現することができなかったから。力不足。

 

君の名は。』がハリウッド映画化ということで、『前前前世』も英語でやったりして、と思ったら本当にもう出してるのね。Zenzenzense。

実は『君の名は。』をまだ見ていないので、ただ茶化してるような気分になって、どうしても投稿できなかった。単純に諸々の事実に驚いただけだったんだけど。
せめて見てからじゃないと、茶化すようなことは言っちゃいけない気がしてる。
ちなみに、曲はこんな感じ。

Amazon CAPTCHA

あ、『ラ・ラ・ランド』も見れてないんだよな。『前前前世』で思い出したけど。

 

ポストペットアメーバピグセカンドライフ…。‬

こういうアバター系のヤツ、一過性の流行だったなあ、ってふと思ったことがあった。
思いついたものの、あまりに意味が無くて投稿するタイミングが無かった。

サマーウォーズ』や『レディ・プレイヤー1』みたいな未来はあり得るのか?

 

‪大学受験の時、勉強の仕方が間違っていたのではないか、と最近よく思う。仕事をするようになって、自分で‬

書きかけの文章。自分が書こうとしている内容が長くなるのを予感してやめたっぽい。
ちなみに、書きたかったのは「勉強は長時間一つの教科に取り組まない方が良いのでは?」というようなこと。
高校生くらいの頃の自分は、自主学習時、やると決めた課題を、長時間かけてやり切っていたことが多かった気がする。
何かをやり遂げることが大事だと思っていた。負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと、駄目になりそうな時、それが一番大事だと思っていた。
精神論で勉強していたのだ。
仕事をしている現在の自分の実感としては、いろんな作業を小まめに少しずつ進める方が得られる効果は大きい(現在の業務がそれをできる環境で良かった)。少なくとも自分にはその方が合っていた。

ということが言いたかった。
安易な一般化は危険だが、きっと脳科学的にもそうだろう。茂木健一郎氏はわからないが、池谷裕二氏なら賛同してくれるのでは!
あ、やっぱり長い。


以上のように、世に出なかったツイート達を追悼していてわかったのは、現在、ツイートを見られている意識が過剰に強いということだった。
それは、『140字で手軽に書けて、簡単に読める』というツイッター空間の特性のうち、『簡単に読める』(読みやすい、アクセスしやすい)方を、かなりネガティブな意識で捉えているということらしい。だから、虚栄心たっぷりに話を盛ろうとして自己嫌悪になったり、クオリティが低い投稿を断念したりしていた。

昔はもう少しどうでもいいことを投稿してたはずだが、ユーザーが増え過ぎてそんな事態に陥っている。
その意識をポジティブな緊張感に変えられるのが理想だろうけど、なかなか至難の技だ。

 

最後に、冒頭で引用していたアナ・W・ホール氏についても言及しておく。
彼女は、2016年に弱冠14歳でスイスの科学技術系雑誌『ヌーベル・テクニーク』に、宇宙線Wifiの相補作用が大麻文化の世界的拡散に与える影響の考察」という論文を発表して、科学業界や自然保護団体の注目を集めた後、現在はライプツィヒにあるヴォルベルグ大学で文化人類工学を学びながら、糸電話を使ってSNS使用の抑制を呼びかけるアート活動にも取り組んでいるという才媛で、引用したのは、未来志向型SNS開発ハッカソンと同時開催だった上海のシンポジウムでの発言である、というのは嘘で、この発言も彼女も存在しない。

バレバレかもしれないけど、彼女の名前はブログタイトルを文字っただけだ。

 

昔からツイッター上で誰かの引用のフリをしてみたかったので、下書き欄にあった文面を加工して引用風にしてみた。
引用ってだけで権威を感じちゃいません?
ちなみに、この嘘のつき方は村上龍の『69 sixty nine』へのオマージュである。この本をギリギリ10代で読んだ際には、先が気になるのにこのめんどくさい話法が頻発するのでイライラさせられたもんだ。それでも、あの青春感たっぷりの瑞々しさはグッときた。懐かしい。久々に読み返してみようかな。

 

と、長々と下らない冗談みたいな文章を書きたい時に、ブログというものがあって私は嬉しい。

そして、このブログの下書き欄にも文章は溜まっている。

New Documentary Town

10年くらい前からホンマタカシの写真が好きになって、古本屋で写真集を見かけては買おうか迷う。いや、大抵高いので買わないことの方が多い。

クール過ぎてドライにも感じる彼の作品は、いつも思いがけない視点を教えてくれるし、その視線はいつも少し意地が悪い。
ニュータウンの漂白されたように清潔で整理された街並みはクールに不気味だし、笑っている子供は可愛いから撮りがちだけど子供はいつも笑っているわけではないし、写真は常に嘘をつく、というのをホンマタカシの写真が楽しく教えてくれた。大好きだ。

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でも、最初に気になったきっかけは『ノスタルジー』だったのかもしれない。
好きになってから数年後、高くて買えない『東京郊外』の写真を眺めている時に、唐突に懐かしさを感じて気づいた。

 

俺は地方都市の出身だ。
そこは田舎らしい豊かな自然に恵まれてるわけではなかった。

豊かだったのは工場と道路と車とパチンコ屋だった。

そんな地域の新興住宅地で育った。
家の前の道は急ピッチで砂利道から道路に舗装されたし、空き地だらけだった家の周りには凄い勢いで家が建った。基礎しかない状態の建物もたくさんあって、毎日のようにそこで遊んだ。自分の家と全く同じ形の家も近所にあって、うさぎを横から見た姿に似ているその形を見ては不思議がっていたが、ありゃ建売住宅だからだ。

いつからかマンションもニョキニョキ生え始めて、転校生も多かった。

ブラジルからの転校生もクラスに一人ぐらいはいた。
だから、その地域には移住してきた新たな住人も多かった。お祭りとか地域に根差した古き良き伝統みたいなものも多少はあったけど、できたてホヤホヤみたいな地域行事も多くて、歴史の重みや威厳は感じなかった。たまに古い風習に触れると、どこか自分がよそ者である気もしていた。

当時はその居心地の悪さがよくわからなかったが、今思えば、だ。

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ホンマタカシの撮った多摩ニュータウンの写真を見て、そんな気持ちを思い出した。

そこにあった人工的で寒々しい風景には、自分が育った街の雰囲気があった。
だから、見るたびに少し当時の気持ちが蘇る。愛憎入り混じる気持ちが。


そういえば、この前、久々に『アド街ック天国』を見て、ああ、俺はこの番組嫌いだったな、と思い出した。
なぜなら東京の情報ばかりだったから。「地方にいる俺に関係無い東京の情報はそんなにありがたいもんかよ?」と勝手に上から目線を感じてムカついてた。
東京に住んでいても興味が湧かない地域は多いんだけど。
いや、イノッチは良いよ!

 

そんな俺は、今、成り行きで東京に住んでいる。
ニュータウンではなく、もっとごちゃごちゃした街に。

今となっては、どちらの方が好きというのも無い。
とりあえず、息子はホンマタカシの『東京郊外』の写真にノスタルジーは感じないだろう。

じゃあ、この街は息子をどんな奴に成長させるのだろうか。

 

最近、ある鼎談を読んで、『文化資本』という言葉を知った。

鼎談の内容は、欧米を中心とした音楽の現状と今後について、Superorganismという音楽グループを起点にして話し合う感じで、刺激的で面白いのだが、その中で「結局、文化資本に恵まれてると勝ち抜きやすい」というような話があった。
Wikipediaで調べたら『文化資本』は社会学の学術用語(文化資本 - Wikipedia)らしい。
『金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。』だそうだ。

ああ、これだ、俺はこの『文化資本』ってヤツを息子にあげたい!
その結果、自立心を持ち、自分で生活できて、犯罪を起こさない人になってくれりゃあいい。
優しかったら、尚良いか。

そのためには何をあげればいいんだろ。全然わからない。

自分が親からもらったものを思い出しながら、息子に用意したいものや環境を、よく考える。用意した上でスルーされるのは仕方ないだろうな。

 

ホンマタカシの写真集なら、少し持ってるよ。

2017年に観た映画類の記録

改めて見返すと、2017年に観た映画の殆どがラジオ番組『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』でレビュー済みのものか、その関連作のような気がする。

それ以外に観たのも、誰かが紹介したものが殆どだ。

実際、そうやって見た映画は見る価値のあるものばかりだが、それでいいのかな、と少し思う。事前情報無く、事故のように作品に出会えたらいいのに、とよく考える。

例えば、昔はレンタルビデオの冒頭に入ってた知らない映画の予告編を見て、面白そうだな、と借りた記憶がある。

思い出せるだけでも2本ある。

1本目は『ナッシング・トゥ・ルーズ』。

Nothing To Lose - YouTube

今見ても本編が見たくなる予告編だ。

観終わってみたら、想像してたより軽く感じた記憶がある。

この映画を見て以来、ティム・ロビンスは好きだ。『ショーシャンクの空に』の後に見たのか前に見たのかは思い出せないが、コメディでも抜群という点がとても好ましかった。

 

2本目は『セシル・B・ザ・シネマウォーズ』

セシルB予告 - YouTube

ああ、この予告編は本編より面白いパターンだな。

こちらは当時の自分には想像より意味不明な内容だった。もっと明るくカッコよく体制側と戦うような映画を想像していたんだと思う。

映画の筋やシーンは殆ど思い出せないが、主人公の着ていたジャケットだけは今でも時々思い出して欲しくなる。

 

この2作は特に賞を取ったりもしていないようだし、好きな人に会ったことも無い。

でも、俺は何だか面白かったと思ってる。

自分の今の生活圏内では、この2作のような変に印象に残る作品に出会えないだろう。その点に少し不満がある。

しかし、俺自身がDVDの予告編をマトモに見なくなったし、誰も評価していない作品を見る勇気が無くなったのかもしれない。失敗が怖いようだ。時間が有限だと実感したのも要因と言えるだろう。

2018年は失敗してもいいから事故に遭おうと決意している。

以下、例年通り、遡る形での記録となる。ネタバレという罪を犯している可能性は高いので、危険を感じた際には流し見をお勧めする。

  

12/30
スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を観た。
過去作を踏まえたオマージュや引用を多用して丁寧にマナーに則った上で、サーガをぶっ壊して新たな神話を始めた。既存のスター・ウォーズ的装置が壊れるのも象徴的だった。

そのため、『予想』を裏切る要素が多くあり、それを『期待』の裏切りと感じた人もいたので、賛否両論になったのではないか。今までのスターウォーズらしからぬ点がいくつもある。

例えば、一つの戦闘状態の時間のみを描いた点は脚本的にはスッキリしているが、各惑星の人々の生活を描いていたゆとり部分が省かれたようにも見える。世界観の説明はもう必要無いという判断とも理解し得る。今までのスター・ウォーズに比べると、善悪の境界を曖昧にする描写(ルークの葛藤、カイロ・レンの葛藤らしきもの、DJという存在)が増えている点も、物語としての深みを与えている。脚本もジョージ・ルーカスやJJならすんなり気持ちよく終わらせる展開を、少しずつツイストさせて予想外の方向に行くのが面白かった。何より血統主義からの脱却は素晴らしい(評価が分かれる点だろうが、個人的にジャンプ漫画などに多用される能力の説明としての血統主義にはうんざりしてる)。

しかし、納得できない描写も多くて、なぜルークは実体で向かわなかったのか、ホルド提督の特攻はもっと早いタイミングでやれば良かったのではないか、というのはその最たる例で、脚本のためにキャラクターが動いてしまった場面があったように見えた。

いや、そもそも、そんな特攻可能なの?フォース便利過ぎでは?あれ、あの時、宇宙空間に重力存在してなかった?などという疑問は後からいっぱい出てきたが。

 

  

12/17
『葛城事件』を観た。
めちゃくちゃ細かくて凄みのある演技が連続する映像で、一瞬も目が離せなかった。

クソ屁理屈を堂々とのたまうクソ親父を演じ切る三浦友和、今までの役と雰囲気の違う抑えた演技の新井浩文、静かに確実に壊れていく南果歩、徐々に殺人を犯せる人間になっていく若葉竜也。全員が常に複雑な感情を表現していて凄かった。実は田中麗奈も素晴らしくて、物語ごと陳腐にしかねないキャラクターを、ギリギリのラインで演じている。

説明していたらキリがないけど、繊細な視線・動作・言動のやり取りによる描き方は、いちいち気になる。父は常に問題の解決が図れず、必ず原因の根本とはズレた相手を攻撃する。悲しいことに、その習性がそのまま次男にも受け継がれていて、最悪の事態を招いていた。常に『家族』という観念への問いかけは、とてつもなく鋭い。『最期の晩餐』について会話する束の間の擬似ホームドラマが父親にぶっ壊される描写も強烈だった。わかっていたけど、やはり取り返しはつかなかった。

途中で回想された家の新築直後の家族描写が忘れられない。あそこではっきりと残酷に年月が経ったことを突きつけていた。

全編で多用していたが、役者と観客の間に遮蔽物が置かれる映像は強く印象に残った。父親が店で30年見続けていた風景の狭さを知らせる映像にも、ゾッとした。

通り魔のシーンは強烈で、そういう場面を想像したことなかったと気づいたし、想像するならあんな地獄なのかと知って恐ろしかった。

 

 

11/27
『技術者たち』を観た。
隙の無い脚本をテンポの良い編集が軽やかに進めて、爽快なラストまで一直線に走る超一級のエンターテインメント作品。観て損しない。

主人公の能力値がどの程度なのかをギリギリまで明かさなかった点と、主人公の格闘能力が高くないという点が、ラストまで緊張感を保てた秘訣だと思う。

時々流れる少し前の韓国ドラマ風な音楽はちょっと不要に思えた。

  

 

11/12
スプリング・ブレイカーズ』を観た。

思っていた内容と全然違った。水着ギャルが楽しくマシンガンを撃ちまくるというワンアイディアの映画じゃなかった。始まって数分してすぐに何かの終わりが感じられるのは、『青春』の特性をよく表していた。冒頭の映像のノリがずっと続くバカ映画を想像していたので、陰鬱な内容に面喰らった。音楽もダンスミュージック多めだが、暗いことが多い。色味も殆どの場面で暗いブルー。影も多め。

じゃあ、若者たちの葛藤を描くのかな、と思ったら、そうでもなくて、彼女達の思考や気持ちはどんどん見えなくなっていき、徐々に西海岸のギャングが主役になっていき、最終的に残った女の子達は人間を超越した精霊や妖精のような存在感になって終わる。思い返してみれば彼女達はずっとそんな存在で、廊下で逆立ちしてるシーンの浮世離れした切なさは素晴らしかった。

『現実逃避』や『別世界への憧れ』が、あれほどの重犯罪への強い動機になり得るだろうか?という疑問は感じたが、そういえば、現実に起こる犯罪だって、全ての動機に納得できるわけでもなかった。

また、意図的なのかもしれないが、あまりに痛みを感じさせない暴力シーンは気味が悪かった。パーティのシーンだけが本物っぽかった。

 

 

11/6
『悪の法則』を観た。
運命は全てを決定してしまっていて、機械のように淡々と事態は最悪の結末へと流れていく。主人公達の行動の裏で多くの出来事が起きてしまい、主人公が全く物語の中心に関われないという構造もすごい。南米の麻薬カルテル周辺の残酷さの徹底ぶりには驚愕するのだけど、その凄惨な映像も淡々と流れる。その映像にはいろんなアイディアが詰まっているが、それが日常かのように淡々と描かれるのが怖い。

また、あまりに淡々としていたので、映画は直線的な時間しか表さないのか?いや、表せないのか?という疑問も生じた。

主人公とその恋人以外は超越者じみたことばかりを言うので、言葉が頭に入って来ないところがあって、少し寝てしまった。そのシーンを後から見返してみても、やはり頭に入って来なかった。ハビエル・バルデムの怪演やブラッド・ピットの渋いカッコよさも良かったが、妖艶かつクレイジーキャメロン・ディアスがこの映画の見どころを食い尽くしていた。それにしても、いつの間にこんなに迫力のある女優になったのだろう。これまで多く演じていた陽気でカルい女みたいなイメージは完全に一掃された。

 

 

11/6
Netflixで『ストレンジャー・シングス』(シーズン2)を観始めた。

 

 

10/18
アウトレイジ 最終章』を観た。
顔の映画。西田敏行塩見三省岸部一徳、金田時男らの顔の説得力が凄い。ピエール瀧が思ったより細かい演技をしていたのも良かった。強面かと思いきや、憎めない小物感があるという意味で名高達男と同じ枠にいた。池内博之も良い味出してた。

2作目が1作目の清算にあたる映画だったから、この最終章には2作目の清算を期待したが、そこまで爽快には終わらず、『ソナチネ』の頃のような憂鬱さが残った。後味の悪さと言ってもいい。それは観た後もずっと残っている。殺し方も今までほど派手さが無く、全体的に地味に感じた。『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』でインタビューや映画評を聴いてから観たので、拳銃の音には感心してしまったし、登場人物は上司論として見てしまったし、物語自体に会社的なものを凄く感じた。

 

 

10/15
Netflixで『マインドハンター』を観始めた。

 

 

10/11
スイス・アーミー・マン』を観た。
映画界のキング・オブ・コント。事前情報を全く入れずに観た方が爆発的に笑える。MV出身の監督というのがよくわかる映像の連続だった。スローモーションや綺麗な光を駆使して感動的な雰囲気を作り、音楽も感情に呼びかけるようなものを使った上で、とてつもなく馬鹿げた映像が流れる、という歪なバランスが凄まじい。観ている側はやり場に困る複雑な気持ちで笑うしかない。

リアリティラインのぶっ壊れた、もしくは、ぶっ壊した世界観の中で成立させている脚本も凄い。ダレそうになってくると、メニーの新機能を披露して爆笑と興味を持続させる。

思い返せば、オープニングからブッとんでてツカミはバッチリだった。メニーのズレた発言や、赤ん坊のような状態を表す発言も良くできていて、異様だった。

ラストシーンの、『登場人物が概ね唖然としているけど、そこに乗っている感情が不統一』という映像は何だか忘れられない。人間の感情が常に論理的な因果関係で動くとは限らない、というのが魅力的に描かれていた。メニーのブッとび方には、不気味な爽快感があった。

 

 

10/8
『バッド・チューニング』を観た。
始まる瞬間から終わることがわかっているから、青春は切ない。そんな瞬間が捉えてある映画だから、酷すぎる馬鹿騒ぎが本当にくだらなくて、ゲラゲラ笑って見ていたって、どこかずっと切ない気持ちが奥底にあった。

映画としても、俳優達の記録としても、青春の一瞬が見事に映像に収まっていた。今やトップスターになった、ミラ・ジョボビッチベン・アフレックマシュー・マコノヒー…といった面々の下積みっぽい若かりし頃を見るだけでも面白い。調べると、主役の俳優の活躍はこの映画にしか残らなかったみたいで、その刹那性がまた切ないのだが、彼の気高い美しさが素晴らしい。ずっと『桐島、部活やめるってよ』の東出昌大を思い出していた。

70年代を表す音楽がとにかくぶち込まれている感じはバカっぽくて良かった。日本の体育会系の部活にありそうな慣習がアメリカにもあることに驚いた。公開当時にしても、20年くらい前を描いているので、やっぱりみんな笑って見ていたのだろうか。

そう言えば、この邦題、全然原題と違うのに良い英題。

パーティは終わる。選択は成長。成長は切ない。

 

 

9/20
『コップ・カー』を観た。
素晴らしかった!冒頭、アメリカの広大で野生的な大地に太陽の光が降り注ぎ、ずっと見ていられるような美しい風景が映し出される。そこに、少し反抗期に入った未完成な少年達の姿が、瑞々しく描かれる。その美しい映像に、ノイズのように混じり始める死体や拳銃のような物騒なもののミスマッチさには強烈な印象を受ける。そして、徐々に日が暮れていって、美しい景色が見えなくなっていく中で、イタズラは壮絶な事件を呼び、物騒なものに違和感が無くなっていく。

途中から全く展開は予想できず、常に緊張状態になる。人物の細かい位置関係や間が重要なこの脚本はメチャクチャ巧い。それに、もっと単純な『ホーム・アローン』のような『子ども対怖い大人』を想像していたから、かなり驚いた。終わってみれば、悪いことをした子供が罰を受ける通過儀礼のような話になっているのも面白い。

ケビン・ベーコンの演じる怖くて悪い大人は流石だった。ランニング姿で汗だくで走ってる姿には笑ってしまう。

二人の無垢な少年が成長していく様子もすごく良い。 そして、ラストシーンで暗闇を照らす赤青の光に感動してしまう。

  

 

9/17
建築学概論』を観た。
日本で昔やってたメロドラマって感じだった。寝ているヒロインにキスする主人公や酔っ払った女の家に押し入る男は単純に気持ち悪いし、どう考えても犯罪なのに劇中であまり責められていなかったのが不思議だった。最大の見せ場であるらしいキスシーンも、全然納得できなかった。なぜあのキスの後に何も無かったように話が進むのか。二人は落ち込んでいるようだが、過去と折り合いがついたという区切りとしての描写なのだろうか。話の流れとして二人は初恋の相手とようやく結ばれたとしか思えず、もし一緒にならないのだとしたら、何らかの葛藤が必要なのではないか。説明過多を防ぐべく敢えてそういう描写を省いたとしたら、それは上手くいってるようには思えず、現実的な妥協を選択したとしか思えない。あっさりと現実に負ける脚本も演出も嫌いだ、怠慢だ。

主人公の友人の過剰過ぎるコミカルさはストーリーの地味さを少し救っていた。

マジで家をリノベーションしてるのは面白かった。後で知った建築学概論と恋愛のリンクについては巧いとは思うが、見ている時には気づかない、というか、気づいても何とも思わない。どうでもいい。

 

 

9/14
Netflixで『LOVE』を見始めた。

  

 

9/14
スパイダーマン:ホームカミング』を観た。
概ね楽しく観たのだが、何かスカッとしなかった。原因はヒーロー映画にスカッとする事態を期待し過ぎたから、かもしれなかった。アイアンマンさえいればこの映画で起きている現象全てを解決できる点がずっと気になったし、アイアンマンに認められるための展開としてはスパイダーマンの見せ場の少なさも気になった。ストーリー展開として、アイアンマンのピンチを救うか、アイアンマンの想定を大きく超える敵を倒さなければ父親超えにならず、ヒーローへの成長も感じられないように思えた。そのためには、今回のコソ泥のような敵は小物過ぎた。マイケル・キートンのオヤジ全開演技は良かったけど。

それと、主人公が公益としての正義とプライベートの恋愛で迷って正義を選んだ理由もよくわからなかった。葛藤として成立しているのだろうか。それに、「弱い人間じゃダメだ」→「あきらめない」という簡単過ぎる思考の変遷で、成長を描けているように思えなかった。

それらを除けば、今までのスパイダーマンと違って全体的に明るい雰囲気で仕上げているのと、ティーンムービーとしての軽やかな青春感は、非常に新しくて良かった。そのために「大いなる力は大いなる責任を伴う」のくだりや、家庭環境の暗さを思い切って省いてるのがすごい。アクションもアイディアが多彩で面白かった。

 

 

9/12
ベイビー・ドライバー』を観た。
最高だった!映画館で観てよかった!観たその日にサントラを買ったのは久しぶりだった(1度目は『パプリカ』)。一曲ずつ聞き直していくと、殆どの曲で場面が思い出せて、追体験できるのがすげえ。音楽が鳴りっぱなしでMVのようでもあったが、どちらかと言えば、前評判通りに車が踊っていた。いや、主人公も銃撃も音楽に身を任せていた。音楽が少しでも好きなら、イヤホンで聴きながら少しノッて体を揺らす経験はあると思うが、それを最大限拡大するとこういう映画になる。冒頭のカーチェイスからオープニング長回しが、その内容の紹介になっていて、いきなりアガッた。

また、全く予測できない展開も面白い。 ところどころ、これまでのエドガー・ライト的なバカなテイストは感じるが、総じてクールでロマンチックな雰囲気で、こんな作品作れるんだな、と驚いた。引用してるっぽい映像も沢山あって、見どころは尽きない。

 

 

6/29〜8/29
Netflix『13の理由』シーズン1を見終わった。
海外ドラマは元々その傾向が強かったと思うが、Netflix作品は更に物語のヒキが強くなった気がする。とにかく先が気になるようにできている。俯瞰して引いて見てしまうと、物語として面白いのかよくわからない。例えば、これが2時間の映画にまとまってたら、退屈なんじゃないか。しかし、ストーリー構成がめちゃくちゃよく出来ているので、ついつい見てしまった。

結果的に、『13の理由』の全てが直接自殺を促したようには思えないが、ティーンは悩むし、悩みの積み重ねが自殺を促した、と感じられる構成も上手い。時間軸を複雑に入れ替えているので混乱しそうな部分は、髪型や傷の変化で描き分けていて、それもまた上手かった。総じて、人種差別や性差別があまり無いように見えるリベラルな人々を描いているのに、それでも誰かが誰かを傷つける事態には、人の世の生きづらさを感じずにはいられない。キャラクターは皆かなり誇張された性格で、個性豊か。いろんな行動を取るが、はっきりと好き嫌いを感じられることが多かった。

ラストは全ての事態の結末までは描いていなくて、自殺と自殺が引き起こす社会的な影響について考えさせる作りになっていたと思う。考えてみれば、並行して、主人公のクレイの成長物語にもなっていた。

 

 

8/13
それいけ!アンパンマン ブルブルの宝探し大冒険!』を観た。
昨年の映画もテレビで見たが、プロットはあまり変わらないようだった。アンパンマン達の生活圏の外部から来た未熟な来訪者が、アンパンマンファミリーとの触れ合いと冒険を通して成長する話。

昨年はクリームパンダやカバオが活躍していたが、今年はカレーパンマンが活躍していた。映像としては、昨年同様、若干テレビより動く。ばいきんまんはテレビより凶悪度が少し高い。全体通して毒が無い。子ども向けにはいいのだろう。 

 

 

8/13
ドント・ブリーズ』を観た。
90分間ずっと緊張と興奮で満たされていて、幸福だった。映画館で体験したかった。

事前情報通り、序盤は狂った盲目ジジイ版『ホームアローン』的サスペンスホラーだが、後半に進むにつれて、善悪も全然無くなって、展開の予想がつかなくなる。まず、とにかく脚本が素晴らしい。『強盗3人』と『一つの建物』という制限で飽きずに展開できるのかよ、と半信半疑で見始めたが、空間・小道具・アクションをめちゃくちゃ上手く使いつつ、ずっと先が気になるように作っていた。その点で『パニック・ルーム』を思い出した。

そして、その洗練された脚本を、長回しなどを多用しつつバッチリ映してる。テンポ良過ぎるくらいにスムーズに移り変わる状況を不足無く捉えていた。

老人怖過ぎ。モンスターとしての演出がバッチリはまっていた。

 

 

8/6
『シング・ストリート』を観た。
しっかりと、少年が青年に成長する時間を捉えていた。ボーイミーツガールの瞬間には、さえない主人公の男の子と派手なファッションを着こなす美しいヒロインは明らかに違う世界の住人に見えたのに、映画が終わる頃には主人公は女性と並び立てるほど立派な男になっていた。ヒロインが少しだけ普通の人間側に下りてきたという面もあるけど、そのほろ苦さも悪くない。

その成長の過程に、音楽の喜びや作品制作の楽しさが存分に伝わってくる映像満載で、見てるだけでとてもワクワクした。MVも、歌も、音楽も徐々に質が向上する。そのバランスが無理が無くてかなりいい感じだった。

  

 

7/23
となりのトトロ』を久々に観た。
何回目だろう。大人になってちゃんと見直したのは初めてだ。子供の頃に死ぬほど見ていたので、若干侮って流し見した部分もある。

一番はじめに気づいたのは、背景と手前にいるキャラクターが、全く違う作画になっていたという点だった。背景はいわゆる風景画で、キャラクターは輪郭線を持ったイラストっぽさがあった。また、アニメーションの動く喜びと言えると思うが、キャラクターの一つの動作の中に沢山の無駄な動きが足されていることに驚いた。そういう動作の一つに、最初にいなくなったメイを見つけたサツキの表情がある。彼女は、ホッとして微笑んでから、メイを叱って起こす。サツキは母親代わりになろうとしていたし、そういう表情をしていた。

また、小学校にサツキを追いかけてくるメイの表情には、昔から何か感じるところがあったが、それは極めて個人的な妹との記憶なのかも、と初めて思った。

脚本の中で最後にメイとサツキがうまくすれ違っていくのが、よくできていた。両親は大した出来事だと思っておらず、村の人たちともギャップがある。この情報量の差は面白いし、リアルだと思った。

おそらく、ラストの話は映画だから作った見せ場で、本当はずっとメイとサツキがトトロと触れ合うアニメにしたかったのだろう。

 

 

5/27
ワイルド・アット・ハート』を観た。
字幕の杜撰さ、許せねえ…フォントは読みづらいし、訳はダサい。なんだ、このDVD!

それでも、俺の大好きなロードムービーだった。思ったより全編音楽が鳴りっ放しだったけど、タランティーノと違うのは不穏さ。ニコラス・ケイジの動きのキレもカッコいい。クールだ。そして、寺山修司とかも想起する見世物小屋みたいに変な登場人物達。特にウィレム・デフォーはやばい。目つきと歯が恐ろし過ぎる。爆笑。

この監督は恐怖を突発的な驚きとかでは無く、気持ち悪さや不気味さや嫌な気分で表現するのが凄い。そして、妄想なのか幻覚なのかわからないが、そういうオカルトっぽい現象が物語と登場人物を動かすという馬鹿らしさが素晴らしかった。飛び抜けて馬鹿らしかったラストが最高。

 

 

5/5
ズートピア』を観た。
まず、脚本がとにかくよく出来ている。残酷描写皆無で、アクションもサスペンスも謎解きもあるクライムエンターテイメント映画に仕上げていることに驚嘆した。話の展開だけ追えば、エルロイ的なフィルムノワールと何ら遜色無い。次々に物語が展開するスピード感も凄い。

また、『48時間』を彷彿とさせるバディムービーでもあって、それも気が利いてる。

その『子供が視聴可能である』という土台を作った上で、誰もが(主人公でさえも)抱きかねない差別や偏見を批判する教訓的なテーマを盛り込んでいるのが凄い。

そして、舞台となるズートピアを表現するCGの美しさ。ディズニーが空想する夢の国がここにあった。キャラクターの表情も動物の動きも今はCGでここまで生々しく表現できるのか、と驚いた。

 

 

5/2
『T2 トレインスポッティング』を観た。
前作のオマージュやそのまま前作の映像で回想する懐古的な映像の連発で、俺がどれだけ『トレインスポッティング』を好きだったかというのを思い知らされて、身悶えした。これはインディ・ジョーンズスター・ウォーズの続編に感じたファンへの接待感にも似ていた。俺は小説も買っていた。きっと10代の将来を悩む気持ちに、あのノーフューチャーな姿勢がカッコよく見えたんだ。

今思えば、前作で思い出すシーンの殆どに音楽もついてくる。やっぱりかなりMV的だった。今回もその傾向は健在だ。監督はだいぶ大御所になって演出する力も色々と洗練されたはずだが、斜めになり続ける画面などにトレインスポッティングらしい荒削りな感じが出ていた。

映画における音楽は無理矢理気持ちを高揚させてしまうドラッグみたいに感じているので、使い過ぎることに肯定的ではなくなったけど、トレインスポッティングに関してはこれが正解だろう。前作よりストーリーがちゃんとあって、過去との付き合い方、過去との戦いを描いていた。レントンとシックボーイの狂騒に男子校ノリを見た気がしたのは、新しい視点だった。現実を見る女性陣との対比で余計にそう感じたのだろう。前作を改めて観たような気分にもなるし、観直したくもなる映画だった。

 

 

3/21
『その男ヴァン・ダム』を観た。
落ち目になってしまったヴァン・ダムの現在を皮肉ったパロディ映画なのだが、彼が主戦場としてきたハリウッド的大衆映画ではないことに驚いた。ベルギー・フランス製作の映画なので、ヨーロッパ的アート映画っぽい雰囲気で、いろんな皮肉へのアプローチの仕方も落ち着いたブラックユーモアに満ちている。

展開も一筋縄じゃない。映画の彼岸を超えて現実のヴァン・ダム本人に接続したかのような、あの映像が撮りたくて撮った映画のように思える。反則気味だったけど、今までのヴァン・ダム映画の中で一番面白かった。ヴァン・ダムのリアルな肉体的強さもリアルなスター性も面白かったが、ヴァン・ダムをああいう風にイジっていたのが最高だった。イジリ解禁か。

 

 

3/15
ヒメアノ〜ル』を観た。
何と言っても森田剛

空気として纏っている弱い心ゆえの暴力性、包丁持って突き刺すあの動作の体重の乗り方。全てがヤバイ。

演出も素晴らしい。森田のシーンは彩度が無く、岡田のシーンと執拗に対比させる。映画の真ん中でラブコメからバイオレンス映画に反転するアバンタイトルも見事だった。ムロツヨシの演じる安藤は見た目も気持ち悪くて、ストーカー気質だけど、犯罪までには踏み込まない。物語的にはミスリードとして機能していたが、現実に本当にヤバイものを描くための対比なんだと思う。人畜無害を佇まいで表す濱田岳や、クラスにいそうなちょうど良いかわいさのヒロインも影の功労者。このギャグと暴力が入り乱れる古谷実節をここまで映画に落とし込んでるのは凄い。ラストシーンの救いの無さが、観客を安心させなくて重たい余韻が残った。

やっぱり何と言っても森田剛

 

 

2/24
スクール・オブ・ロック』を観た。

子ども達の愛らしさはズル過ぎるくらいだけど、ラストのこれ以上無いくらいの大団円っぷりは見てて笑いが止まらない。

ジャック・ブラックはイロモノ俳優としてしか見てなかったし、今もそう思ってるけど、この一作があるだけで、だいぶ印象が違う。ド派手で情けない負け犬っぷりや、メチャクチャ過ぎる顔と行動を、笑える表現に昇華するこの役は彼にしかできない。

なんか見たことあるストーリーだと思ったら、『天使にラブソングを』だ。でも、今作を観て救われる人の方が多いだろう。

 

 

2/13
Netflixで『火花』を観始めた。
どんなショット一つ取っても映画の佇まいで、美術も含めて画の作り込みが凄いクオリティだった。ロングショットの多用と説明の少なさが映画っぽさを作るのだろうか。漫才と会話のシームレスな感じや、逆に普通の人の会話が漫才に聞こえるのは、かなり意識的な魅せ方だと思う。

 

 

1/28
この世界の片隅に』を観た。
途中まで楽しく力強く小さな幸せと共に描かれていた日常が、戦争という暴力による断絶によって大きく反転する。どれだけ辛さに侵されても、どれだけ全てが疲弊しても、生活する力で立ち向かっていくのがすごい。生きるしかない、とわかる。戦時中に生きていた人のリアリティを初めて感じられた。

また、戦争と日常が地続きで感じられる説得力も凄い。終戦の次の日も生きるしかないんだ。ある暴力(による喪失)の描写は火垂るの墓以来のトラウマ級だった。

最初嫌な人に見える義姉や、最初トロく見える主人公のキャラクター設計は綿密に逆算して作られていた。アニメならではの実験的な映像も素晴らしくて、この原作に対してアニメという手段の選択が正しかったのだと思った。

そして、久々に思い出した『ライフ・イズ・ビューティフル』。あのトラウマ体験となった物語構造を。

 

 

1/15
ONCE ダブリンの街角で』を観た。

全編通して音楽が鳴り止まない。ある種ミュージカルのように、俳優達が歌う(奏でる)曲が心情を表現していた。

貧困や移民問題などの社会的背景が描かれるし、ダブリンの本物っぽい街並みにもそれが映り込んでもいる。

女性の若干のエキセントリックさは、脚本の都合のためのキャラクターに少し見える。低予算の自主映画っぽさが瑞々しさを作る。海のシーンにある幸福感には、終わりを感じさせる切なさが伴う。ドキュメンタリータッチにも感じられる。

大人になってしまった人たちの最後の青春音楽映画として、最終的な結果には納得。

 

 

1/9
最後の追跡』を観た。
Netflixオリジナル、ここまでやるか(後で調べたら日本において配信が独占なだけだった)。映像も脚本も隙の無さが凄い。アメリカ南部の社会状況が色濃く焼きついていて、貧困・銃社会・人種差別が根深く見えた。その土壌を強く意識させた上で、強盗する側の気持ちも状況も丁寧に描くから、単純に犯罪行為を悪いと思わせてくれない厳しさがあった。強盗が一般市民(自警団)から乱射されるシーンなんて見たことなかった。

ラストシーンは、撃ち合っていないのに張り詰めた緊張感があって、現代での西部劇を成立させていた。一方で全体的に登場人物と展開に独特の脱力感もあって、『ファーゴ』や『ノー・カントリー』みたいなコーウェン兄弟っぽさがあった。犯人達の兄弟愛も、ジェフ・ブリッジスの孤独を抱えた渋さも、大変魅力的だった。

 

 

1/4
『ローグ・ワン スターウォーズストーリー』を観た。
どうしても結末がわかる状態から進んでいくことになるので、悲哀が滲み出ている。これまでのスターウォーズより感情的な演出が多くてアツかった。機械の設定などはエピソード4に持ち越されなければならないために、一見チープに見えるデザインや、非効率的な構造をしているのが目立った。ラストのタワーのシーンは急にミッションインポッシブル風で驚いた。

座頭市風のドニー・イェンが強過ぎて、かっこ良すぎる。それに尽きる。

 

 

2016/12/23〜2017/1/4
ストレンジャー・シングス』(シーズン1)を観終わった。
かすかにシーズン2への引きを保ったまま終わってはいたが、このまま終わりでも成り立つ。

展開としてサスペンスとSFとアドベンチャーの間で綱引きしていたけど、結果的に殆どの登場人物の成長物語になっているという、ドラマ性の上手さが決め手だったように思う。そのドラマの軸がしっかりしていたから、バランスを崩さずに物語的な緊張感を保っていられた。登場人物がいろんな班に分かれていて、それぞれが受け持つジャンルが違うドラマを最終回で怒涛の勢いで交錯させ、見事に集約していた。やはりキャラクターの分け方と魅せ方が上手かったことも勝因だった。

 

2016/12/29
ストレンジャー・シングス』(シーズン1)の4話を観た。進んでいるのに全然終わりにたどり着ける感じがせず、なおかつ面白いという奇跡のような状態を保っている。

 

2016/12/23
ストレンジャー・シングス』(シーズン1)を観始めた。
とにかく先が気になるようにできている。キャラクターもそれぞれ際立っていて面白い。往年の浦沢直樹作品を読んでる感触に近いかもしれない。舞台となる80年代は名作揃いで、それらを直接の引用にしているのかはわからないが、それらの面白い要素をガンガン入れ込んでいて、今のところ作品になるようにバランスよくコントロールできている。影響や引用だと少しでも感じたものを挙げるなら、『AKIRA』『ツイン・ピークス』『E.T.』(スピルバーグっぽさ)『スタンド・バイ・ミー』『ビバリーヒルズ高校白書』などだろうか。現代では映像演出にもDJ的な素養が求められているのかもしれない。

2017年に読んだ本の記録

2017年には電車での通勤時間という貴重な読書タイムを多く奪った戦犯がいた。

ドラゴンクエストXI』である。

気づけば70時間以上も冒険していた。

その結果、読書量は削られたかもしれないが、勇者になっちまったんだから仕方のないことか。

しかし、前年より全体の読書量は増えた気がする。小説以外を手に取る機会も増えた。特に映画に関する本は多く読んだ。他にも、エッセイやノンフィクションも好きになってきたし、地理・歴史・世界情勢・政治経済という苦手意識があったジャンルにも少しずつ興味が湧いている。加齢に伴う興味の変化とも言えよう。

ラジオで本の情報を得る機会も多かったような気がする。

そして、一つ今後の指針を立てた。

いろんな国の小説(文学)を読んでみよう。

菊地成孔がいろんな国の音楽を聴いているように。まだ『やし酒飲み』でしか実践できていないが、2018年には何冊読めるだろうか。

以下、例年通り、遡る形での記録となる。ネタバレという罪を犯している可能性は高いので、危険を感じた際には流し見をお勧めする。

 

 

12/6
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子)を読み始めた。

 

11/24
『「いい写真」はどうすれば撮れるのか? プロが機材やテクニック以前に考えること』(中西祐介)を読み始めた。

 

 

11/14〜12/5
『やし酒のみ』(作:エイモス・チュツオーラ/訳:土屋哲)、読了。
なぜこんなに『神話』だと感じるのだろうか?展開や登場人物が突拍子も無いから?一人の男の冒険譚だから?そして、全体的にジャングル特有のグロテスクさはあるが、起きていることが日本の古事記とかの雰囲気に似ているのが不思議だった。

しかし、主人公の態度は違う。いろんな脅威に対して、現実的な判断をして逃げることが多い。その点は解説にも書いてあったが、風土の影響もあるのだろうか。

読み始めてすぐに、和訳の文章が少し変で、ところどころ、英語を無理矢理に漢字の熟語に訳したような堅苦しさや野暮ったさがある、と気づいた。読んでいて妙につまづいた。「アフリカの言語の英訳を和訳したせい?」「言葉が古びてしまった?」「訳が悪いのかな?」と適当に納得していたが、解説を読んで、これは意図的に違和感を与えるための訳らしいと知って、かなり驚いた。どうやら原文は英語らしい。その前提で思い出しても、あの奇妙な文体の意図はよくわからず、ただ変なものを読んだ、という思いだけが残った。あれが意図的な和訳だと知った上で読み直せば、また違う読書体験になるかもしれない。

 

 

10/14〜11/13
菊地成孔の欧米休憩タイム』(菊地成孔)、読了。
自分が率先して見ることの無さそうな映画の映画評が多いが、どれも読んでいるうちに気になってくる。『面白そう』とはっきりと思えるわけではなくて、とにかく気になってくる。それはいかにも菊池成孔の仕事であり、アクロバティックな装置を仕込んだ文章や、飄々として物凄くドライブ感のある独特な語り口が為せる技だった。毎回、作品を語るために選ぶ武器が意外で面白い。都市論の部分は切り離してもっと膨らませた文章でも読んでみたい。どの文章も、目の付け所(視点と視線の置き場)にいつも驚く。誤植の多さには目をつぶろう。 

 

 

10/11〜10/13
『往復書簡 初恋と不倫』(坂元裕二)、読了。
本にしてくれたことに感謝した。本来は朗読劇だったらしいが、電子メール(一部は手紙)のやり取りのみを作品にしているという点を考えれば、音声ではなくテキストで読むという体験が、一番この作品にふさわしいと思う。もちろん、俳優達による発声がもたらす効果も気にはなるが。

「行間を読む」という言葉があるが、メールのやり取りの間に何かが起きる以上、その間を物凄く想像することになり、小説などよりも「行間を読む」行為の純度が高い。この往復書簡という形で物語を書いた人を他に知らないのだが、素晴らしい発明だ。

物語自体は著者のドラマ脚本でも慣れ親しんだ、固有名詞や小道具の巧みな使い方が印象的なものになっていた。メールを打つという時間差が生む特殊性もうまく利用して、驚くような展開も作っていた。また、後で思い至ったのだが、メールのやり取りという閉鎖性から、第三者が読んで恥ずかしくなるという現象が起きるのも当然だった。

交流する瞬間だけが見せ場ではなくて、すれ違う瞬間に生まれる豊かな感情も見せ場になっている。それも著者の作品の突出した特徴だろう。そして、それらには、一般的な日本のドラマとは一味違うドラマ性がある。

 

 

10/4〜10/10
『東一局五十二本場』(阿佐田哲也)、読了。
こんな風にテキストの中に麻雀牌が普通に入り込んでくる小説は初めて読んだ。麻雀小説というジャンルなのだろうか(『麻雀放浪記』とかもこの形式なのか?)。

麻雀について専門的な知識があまり無くて細かいやり取りの妙がわかっていないのが悔しいが、それでも、博徒の『今だけを生きる生き様』はもの凄い迫力なので、素人でも読み応えがある。どの短編からも、賭け事にのめり込むことの恐ろしさと楽しさが、興奮と共に伝わってくる。みんな勝負に忘我の瞬間を求めている。大抵の賭け事は身を滅ぼすが、みんなそうしたがってるようにも見えた。漫画『坊や哲』に出てたダンチの登場は嬉しかった。

長谷川和彦の解説も、著者の怪人ぶりや生き様を軽妙に描いてて楽しかった。っていうか、この二人繋がりあるんだな。麻雀小説ではない色川武大の小説にも興味が出てくる、入門的な一冊だった。

 

 

9/23〜10/3
『それでも、読書をやめない理由』(作:デヴィッド・L・ユーリン/訳:井上里)、読了。
読書をしている時の感情や思考は、ぐるぐるとしたり悶々としたりしていて、単純にそれが楽しいわけでもない。

それでも、なぜ読書をしたいのだろうか、とよく思っていたが、その答えの一つは本書に書いてあった「価値観を揺さぶられるため」かもしれない。初めて納得できる答えを得て嬉しい。読書からは、映像よりも漫画よりも音楽よりも、価値観を揺さぶる可能性(あるいは危険性)を感じる、ような気がしてきた。著者は息子との文学についてのやり取りをきっかけにして、いろんな文献や記事から読書に対するいろんな見解などを引用しつつ、読書体験について考えていく。その過程では、現状に即した読書のあり方や電子書籍についての見解も経由する。そこに、本が中身に集中するしかない点に魅力があるという言及があり、それもとても納得した。読書という行為自体の歓びも書いてあって、それがまた読んでいて楽しい。

そして、いろんな本が読みたくなる。中でも、読んだことあるのに『グレート・ギャッツビー』は特に読みたくなった。

 

 

9/20〜9/22
『星の子』(今村夏子)、読了。
両親が入信していたために幼い頃から新興宗教に入信している二世信者の主人公は、その宗教がどっぷり入り込んだ状態で生活するしかない。もうそこには、『信じる・信じない』という選択肢は無い。その微妙なスタンスで描き切っているので、読んでいる方もどういう心構えで読めばいいかわからなくて戸惑う。新興宗教への肯定も否定も簡単には許してくれない感じ。その不安定な気持ちの時間が楽しかった。

更に言えば、この作品の主人公の両親は真っ先に入信してしまうが、きっかけは病気がちだった主人公の健康を願う気持ちだった。この入信までの流れは、シミュレートしてみると、わからないでもない。この辺りは読者を惹き込むテクニックとしても、意地が悪い。主人公の両親は新興宗教に盲信に近い状態で、それがあのラストの行動を引き起こしている。ように見えるのだが、ハッピーでもバッドでもあるエンドにはひどく動揺した。

主人公は少し変なところもあるようだが、概ね普通の女の子のように描かれており、新興宗教は狂気へ導かないし、その逆で狂気が新興宗教へ導いたりもせず、不穏さだけをほのめかすバランスがずっと居心地の悪さを生む。

また、中三の主人公という年齢も絶妙で、安易に同級生の中でイジメが起きたりせず、大人からの眼差しの方が歪んでいるというのも、ドキッとさせられた。新興宗教に入信するのも、新興宗教を過剰に敵視するのも、子どもじゃなくなった人たち。盲信と思考停止は、大人がセットでハマってしまう甘くて怖い罠。

 

 

9/11〜9/20
『映画評論・入門!』(モルモット吉田)、読了。
映画評論を書くための入門書というよりは、(その要素もあるがそれだけではなく)映画評論史を通して映画評論という文化全体を楽しむための入門書だった。

昔の映画評論争のなんとスリリングなことか。映画も映画評論も、確かに社会に影響を与えていた時代があったんだ。元々、北野映画の評価の変遷などに興味があって買ったのだが、公開当時の他の映画の評価などもわかる。特に『リアルタイム映画評論REMIX』は最高。名作としてしか知らない映画の当時の評論を読むと、改めてフラットな視点でその映画を確認できるし、映画評論が世相や世論に左右されてしまうという事実もよくわかる。

評価が高いとされるものばっかり見てるんじゃねえや、俺!そして、評価が高くても感想を臆するなよ、俺!

そして、裏テーマとなっている増田貴光氏の話は映画で見てみたいくらいに強烈。映画は人を狂わせるのか、人生を狂わせるのか。それにしても、著者の丹念な取材とそれをまとめ上げる構成力が感動的。

素晴らしい映画評論を書くのは本当に大変そうで、俺にはできる気がしなかった。

 

 

9/7〜9/10
『ボラード病』(吉村萬壱)、読了。
震災直後に色濃く存在した不穏な空気は、実は今もずっとあり続けている、というのを突きつけてくる。そのことをいつの間にか忘れていた自分が気持ち悪い。

表面的に今は噴出していないが、現代の日本ではその不穏さをベースとして、その上にみんな生活している。不安な現実を直視したくない気持ちはわかるが、その現状は不気味だ。自分も含めて。

作中で徐々に語り手の情報がわかってくるやり方が面白かった。母と同居している大人の女性→小学生の女の子→大人の女性の回想録、という風に、語り手は変わらないのに、その語り手の情報は移り変わっていて、その謎が展開を作っていた。主人公と周囲とのズレにある居心地の悪さは、震災以後感じる不穏さを無視している読み手にも、そのまま居心地が悪い。現実を直視しないための方法は考えないことだ。作中では綺麗な言葉で現実を覆い隠して、それを他の人にも強要して、思考停止を促す。このやり方の暴露は、まっすぐに今の日本を糾弾している。作家の勇気を感じる。

自分もみんなも気味が悪い。

 

 

9/1〜9/6
『パルプ』(作:チャールズ・ブコウスキー/訳:柴田元幸)、読了。
『L.A.ヴァイス(インヒアレント・ヴァイス)』や『ビッグ・リボウスキ』みたいな、探偵小説モノを下敷きにして面白おかしく再解釈した作品群を思い浮かべながら読んだが、最終的にそれらとは違った。

小説自体がジョークのような代物だった!

物語は酒場で進展する。主人公の探偵は奮闘しているが、大抵は展開と無関係にお酒を飲んだくれているだけだ。ワケあり美女と、頭の悪い大男が頻出するが、それが探偵小説の定番なのだろう。そんなハードボイルド風の物語に宇宙人や死神が滑らかに物語に入ってくるのが、めちゃくちゃ面白い。

また、事件が動きそうでも、主人公がすぐに動かないのが可笑しい。その休憩のような時間が、まるで作者の休憩のようなリズムで頻発する。柴田元幸のあとがきを読むと、この小説に畏敬の念も抱いてしまうが、まあ、この馬鹿馬鹿しい話は馬鹿馬鹿しい話として受け止めておくのが一番楽しめるし、ふさわしそうだ。

  

 

7/21〜8/31
『ゲンロン0 観光客の哲学』(東浩紀)、読了。
世界の状況を確認して絶望しつつも、可能性が見える新たな希望を作り上げていた。全編にわたるその姿勢が感動的。

気づけば、著者の本は小説も含めて結構読んでいるが、本書でも書いてあるように、この本はそれらに連なる続編のようだった。著者の思想が一貫していることがわかる。

また、何かのインタビューでも読んだ表現だが、『要約力』が凄い。単語見ただけで難解に思えて辛くなる概念を、勇気を持って要約して説明し、読者の理解度を押し上げて著者の伝えたい内容に到達させてくれる。ネット上では今日もウヨクとサヨクが戦っている。その争いは醜く、彼らの多くが魅力的ではないし、彼らのどちらにも100%は賛成できない。そんな現状を傍観して悲観するしかない自分は最悪。

そんな悲惨な状況にある世界と自分を、少しでも変えるための最初の一歩になりそうな、新たな視点を得るためのカッコいい本だった。

 

 

7/20〜7/21
コンビニ人間』(村田沙耶香)、読了。
感情や心は、人間の中にあるのか?あるかどうかわからないそんな曖昧なものではなく、身体外部にあるコンビニの情報に動かされている人間の話。

読みながら、誰もが少なからずそういう部分があるはずだと気づいた。コンビニほどマニュアル化してある職場は一般的ではないかもしれないが、その職場で働きやすい役割もルールもあるので、それに合わせると生きやすくなる。その前提も踏まえた上で、人間が周囲からの影響を受けるものだというのは、全くその通りだと思う。人間が生きるために周囲の状況や人から情報を獲得して対応する様子に、感情とか心という名付けがあるのかもしれない。

主人公はそういった外部情報とそれから受ける影響に、過度に意識的なために『普通』からズレているように見えた。無理に『普通』に合わせようとするのがまた可笑しくて、会話から伝染したという『!』の使い方には笑った。ズレた会話の作り方がめちゃくちゃ上手い。いわゆる普通の人ではない人(むしろブッとんだ人)主観で語り切っているのも凄い。読み手もメディアも、作者と主人公を混同しやすいだろう。

地元にいる奴らがあまりにステレオタイプである点は少し気になった。 

 

 

7/16〜8/1
『マイ・リトル・世田谷』(しまおまほ)、読了。
過去だろうが現在だろうが、記憶が風景の見え方を大きく変える。たくさんの何気ない会話・言葉・気持ちが積み重なって、現実が出来ていく感じがする。しまおまほの周りはそうなっていて、いや、きっとみんなそうなってるはずなんだ、と想像すると何だか楽しくなる。

嘘っぽくなく、世界を肯定していた。

 

 

7/5〜7/19
『自生の夢』(飛浩隆)、読了。
毎度のことながら、機械や無機物などに生命力(もしくは魂)を漲らせて蠢かせる描写にとても動揺する。そして、名作『グラン・ヴァカンス』を彷彿とさせる、人間のいない世界による人間のエミュレート描写は、その虚構の構造自体も含めて面白くて、この小説群が実は人間ではないもの(もしくは人間+機械)による作品なのでは、と一瞬でも疑えるメタ性が面白かった。

また、あとがきを読むまでどの作品から書かれたのか全然わからなかった。アリス・ウォンの作品群は凄い。文字の暴走という表現にはもの凄く脳が刺激を受ける。このシリーズはまだまだ書けそうだし、この先も気になる。

 

 

6/7〜6/23
団地のはなし〜彼女と団地の8つの物語』、読了。
団地いいな、と思ってしまった。それは東京R不動産の思うツボ。この本は『団地』という概念自体の広告としても機能させる特殊な本だった。団地そのものを本の形に落とし込んだ装丁も良く出来ていて、小説、漫画、写真、対談、エッセイという内容の多様性も、団地の懐の大きさを表現していた。
アプローチの方法は色々だが、どの作品も、自分の得意な分野に上手に『団地』を持ち込んで、古き良き団地の素晴らしさと、現代の社会生活にフィットさせた団地の新たな価値の見直しに繋げていた。唯一、冒頭の山内マリコの短編には「書きたい」という意欲が感じられなかった。「依頼のあったテーマで書いた」。それ以上でもそれ以下でも無いように見えた。別に悪いことではないが、もう書きたいこと無いのかな。

エントランスの屋根が低いというのは、団地に通底する共通のイメージらしい。

 

 

5/29〜7/3
『時間のかかる読書』(宮沢章夫)、読了。
慌てて読み進めないことと、時間をかけて読むことは大変難しい、と初めて思い当たる。もっと脱線したり、日記のようになったりするのを想像していたので、ゆっくりでもちゃんと読み解こうとしている姿勢に少し驚いた。このやり方で最後までやれるのか、とずっと疑問を抱いたまま読み終わった。やり切っていた。

『小説』として読めるが、『壮大な冗談』として読める点が素晴らしい。意図的な勇気ある誤読には笑った。最後に横光利一の『機械』が入ってることに、また驚いた。宮沢氏による時間のかかった『機械』論を読んだ後に本編を読むことになるのだが、自分で読むと宮沢氏の読み方の可笑しさがよくわかる。

そして、宮沢氏の『機械』論を読んだ後に『機械』を読んでしまったことで、真っさらな気持ちで『機械』を読んだらどんな心地がしたのだろう、と作品享受の不可逆性を強く感じた。

 

 

2/12〜6/7
『ダメをみがく "女子"の呪いを解く方法』(津村記久子 深澤真紀)、読了。
トイレで少しずつ読み進めた。ダメな人の肯定をテーマにしてて、実際にこの本はそれを実践できているのだが、深澤真紀の発言が若干過剰な気もして、納得しづらい部分もあった。どうやら、ダメであることの過度な肯定に自分は不安を感じるみたいだ。

しかし、ダメであることを受け入れつつ社会適応するためのテクニックはどれも面白くて、特にポモドーロ・テクニックはぜひ試したいと思った。ダメであることは言わば個性の一部なので、どうにかして付き合っていくしかない、という姿勢がこのテクニックによく表れている。

また、子どもの有無によるステージの変化については、最近よく考えることだったので、腑に落ちるものがあった。子育てが趣味や交友関係を制限するのは一時的なものだと思う、多分。

そして、転職はできればたくさんした方がいいのかもしれない。いきなり失職したらどうすればよいのだろう。

などと新たな悩みは尽きない、というか、増やしかねない本でもあった。 

 

 

5/26〜5/28
VTJ前夜の中井祐樹』(増田俊也)、読了。
なるほど、確かに『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』『七帝柔道記』というサーガの中に属する本で、その二冊を読んでいた方がより楽しめるのは間違いない。『木村政彦は〜』が未読だったので、少し読んでしまったネタバレを、今必死に忘れようとしている。

表題作『VTJ前夜の中井祐樹』は『七帝柔道記』に比べると、筆者が当事者ではない上に、ノンフィクションにより近い形式内での記録者・報告者である分、熱量が低いようには見えるが、伝えようとする静かな気迫をしっかりと感じる。『七帝柔道記』の登場人物も多数出てくるので、やはり『七帝柔道記』を読んでから読んだ方が感慨も深まるだろう。もちろん、『七帝柔道記』を読んでなくても、中井祐樹の魅力で存分に楽しめる内容ではある。

次の『超二流と呼ばれた柔道家』は、他の短編集で以前読んだ内容だったけど、中井祐樹の物語の後に読むと、同じテーマの通底が感じられて読み味が違った。最期の和泉唯信氏との対談は、『木村政彦は〜』と『七帝柔道記』を著者と和泉氏が俯瞰した視点で捉えつつ、『七帝柔道記』以上に和泉氏自身の魅力を伝える内容になっていた。和泉氏の発言の真摯さには感動した。

中井祐樹、堀越英範、和泉唯信。こう並べると、この三人は人生において相手との勝ち負けではなくて、目の前の自分との戦いを大事にしているのが確信できる。それが武道なのかもしれない。 

 

 

4/27〜5/15
『ゴッドタン完全読本』、読了。
やっぱり最高に最低!膨大な量のインタビューと文章が、ゴッドタンが如何に特別な番組であるかを教えてくれる。

考えてみれば、俺は前番組の『大人のコンソメ』から見ていた。『ブルードラゴン』という口論だけで相手に罰ゲームをさせる企画があったのだが、それで小木ドラゴンが『自分を人質にして相手を脅迫する』という荒業のために、ライターで手を炙ったのを今でも鮮明に覚えている。受験勉強を放ったらかして俺は大爆笑していた。だから、あの頃からずっと特別な番組だった。そんな風に色々思い出してしまう内容だった。

その中で、特に面白く感じたのは、多くの人が劇団ひとりの天才性に言及している点であり、ゴッドタンが劇団ひとりの番組であるという点だ。言われてみれば、あの人天才で、そのためにある番組かもしれない。そうか、下品なことやブッとんだことにも天才はいるんだ、と改めて気づいた。

 

 

4/18〜5/25
アメリカ』(作:フランツ・カフカ/訳:中井正文)、読了。
カフカの本が世の中に沢山あって嬉しい。冒頭から最高じゃないか。その瞬間を懸命に生きているだけなのに滑稽に見える。これは全ての生き物に当てはまるとも言えるかもしれず、目新しくないけれど、それを小説で読める歓びは、そう簡単には経験できない。

俺の大好きなロードムービーである点も最高だった。訳の分からない奴らがどんどん現れて、いつの間にやら主人公が予想外過ぎる展開に巻き込まれるのが滅茶苦茶面白い。その展開の分からなさによって、不思議と先が気になる。それに、この小説の基礎と言えるコミュニケーション不全っぷりが、笑えて仕方ない。

それにしても、訳が古い。一人称が『拙者』はあり得ない。忍者かよ。

 

 

4/11〜4/18
『観なかった映画』(長嶋有)、読了。
観なかった映画も、観ていない映画も、観ない映画も、いっぱいある、と改めて思った。

でも、やっぱり観たい映画がいっぱい増えた。映画を映画の外から語るようなこのやり方は、長嶋有の小説などから感じる創作のスタンスに近い。いつの間にか見たことない視点に連れて行かれていて、大変楽しかった。 

 

 

4/10
『柿の種』(寺田寅彦)を読み始めた。落ち着いて読んだ方が良い。忙しない電車の中とかでは読めない。

 

 

3/29〜4/6
『七帝柔道記』(増田俊也)、読了。

読んでいる間ずっと苦しいし、読み終わったからと言って、その苦しさから簡単には解放されない。練習風景の描写は地獄のように苦しいし、物語自体も極限に苦しい。夢中で読み通しても結局安易なカタルシスは得られない。ずっとこの小説に首を締められているようだった。それでも、その苦しさと同時に強烈な面白さを感じて、胸を打たれる。
癖のある魅力的な登場人物、極限状態の心身、微妙な人間関係、青春を感じさせる会話や行動、北海道の景色や気候。それら全ての描写がリアルで、熱を帯びている。
こんな青春があり得たのか。いや、殆どの人が経験し得ない。絶対経験したくないのに、その経験が羨ましいという不思議な感情を覚えた。とにかくずっとのめり込んで読んだ。柔道のことがわからなくても全然問題無い。どっちみち、この七帝柔道を知ってる人はきっと少ない。
知ってよかった。努力は報われるのか?報われるに決まってる。どんな形かは問わない。

続編が刊行されたら読みたい。

 

 

3/21〜3/29
『ヒットの崩壊』(柴那典)、読了。

答えが欲しくて急いで読んでしまった。『音楽がヒットする』という現象に注目して、今までとこれからを論じていた。それは、「どのように音楽にお金を払うか」という形態の変容と密接に関わっている。音楽が「所有する」対象から「アクセスする」対象に変わったというのは、感覚的に気づいていたが、明文化されてとんでもないパラダイムシフトだったと気づいた。

著者が他の業界の先行指標にしてほしいと発言していたが、全くその通りだ。

 

 

2/25〜3/17
『誰が音楽をタダにした?巨大産業をぶっ潰した男たち』(作:スティーブン・ウィット/訳:関美和)、読了。

MP3開発者、MP3を使って違法行為にのめり込む海賊、MP3に次第に翻弄される音楽業界の人間、という三者三様の立場から、音楽の在り方を塗り替えたMP3の興亡史を描いていた。

膨大な調査による肉付けによって魅力的に描かれる三者が出会うことは無く、それぞれが自分達の世界でやるべき事をただやっていただけで影響し合っている点がまず面白い。インターネット社会がその要素に拍車をかけている点もある。それに加えて、男が成功するまでを描く伝記的な要素や、捕まえたい側と逃げる側との攻防を描いたスリリングな犯罪小説的な要素など、エンターテインメント要素をたっぷり詰め込んだ上で、音楽の在り方と時代の移り変わりを描き切っているのがすごい。

  

 

2/17〜2/24
ガケ書房の頃』(山下賢二)、読了。

「何がどうなってもなんとかなる」と思わせられる超ローリングストーンな人生の記録。読むと元気になる。人が人生で必ず一冊は書けるという種類の一冊。

ガケ書房を経営してる部分がハイライトというわけでもなく、人生全てにドラマがあるから、全てにハイライトを照らしている。本当に本が好きで、読書という文化を未来に継承するためのことを考えている姿が嬉しい。俺もそうありたい。

書店経営の考え方や、スマートフォンについての思索など、エッセー的な部分も感心する文章が多い。

  

 

1/20〜2/16
車輪の下で』(作:ヘッセ/訳:松永美穂)、読了。
超俯瞰で物語世界を掌握する神(作者)視点の小説は久しぶりに読んだ。その点はいかにも古典で、人物の心情まで説明してくれる余白の無さには、なかなか慣れなかった。

それでも、光り輝くような瑞々しい情景描写や、若者特有の悩みをしつこく丹念に描く心情描写には、嫌でも心動かされる。また、鬱病みたいな症状も凄くリアリティを感じる描き方だった。青春は始まった時から失われる予感を含んでいることに気づいた。

 

1/23
車輪の下で』を読んでいる。冒頭から独特の読ませる力を感じる。老成した若者が懐かしむ青春時代の瑞々しさが、読んでてかなり面白い。風景の美しさは読んでて楽しくなる。

しかし、この通底している切なさは何だ。青春が失われたという事実、あるいはハンスから青春が失われる予感に寂しさを感じているのでは、と推測した。

 

 

1/5〜1/18
『観ずに死ねるか!傑作音楽シネマ88』、読了。
知っていて観てない映画や、観て面白くなかった映画も載っているけど、わざわざ紹介されてると面白くみえる。極めて私的に見える映画の感想なんかでも、やはり面白そうに見える。その度合いにはバラつきがあるけれど、映画を介して評者との親密さが増すような錯覚を覚える。

青春シネマより評者は冷静に見える。

 

 

2016/12/16〜2017/1/5
『地鳴き、小鳥みたいな』(保坂和志)、読了。
どの作品も、脱線だろうがなんだろうが、ひたすら思考の変遷を書いていくというスタイルで、それが徐々に実験的に更新されていく感じだった。

表題作の「あなた」に語りかけて始まる実験性も面白かったけど、最後の『彫られた文字』が保坂和志の最新の小説観なのだと思う。この作品では、人称と脈絡の撹乱が最高潮に達しており、論理性などを度外視している部分がある。この『撹乱』という言葉は本文からの引用だった。自分の語彙に無い。

今回、著者は一貫して〈感じ〉や〈雰囲気〉みたいな漠然としたものを、言葉で限定していき、読者との共有を図ろうとしていた気がする。だから、読んでいる間、何かを共有している感覚がずっと面白かった。

 

2016/12/29
『地鳴き、小鳥みたいな』(保坂和志)に書かれていることを思い出す。周到に読者の誤解を避けようとしている。読む行為には必ず誤解が生じるというのは大前提だ。そして、一言で伝わることなら小説を書く必要も無い。

 

2016/12/22
『地鳴き、小鳥みたいな』(保坂和志)に書かれている思考の跳躍・飛躍は、酔っ払いのようだ。DOMMUNEに出た保坂和志の映像を見た人の感想に「保坂和志がただの酔っ払いみたいだ」と言っていたのがしっくりきたからそう思った。『記憶』と『記憶を語ること』の間に生じるズレにはいろんな原因があって、彼はそのズレを創作の中で試行錯誤しながら楽しんでいる。

 

2016/12/15
『地鳴き、小鳥みたいな』(保坂和志)を読み始めた。
読点の使い方が日本語のネクストステージ、あるいは、別世界に向かっている。『夏、訃報、純愛』は『未明の闘争』の時よりも思考の変遷を追体験するような小説になっていた。遠藤と近藤は実在したのだろうか?こんな用意されたような名字の2人が近くに存在し得るのか?

NIKKI(4/13〜4/14)

4/13 木曜日

朝、一人で息子を保育園に連れて行った。少し焦ってしまって、繋いだ手を引っ張り過ぎたかもしれない。息子は転んで泣いてしまった。彼の握っていたレゴブロックが道路にぶつかって散らばった。ごめん。

駅に着いたら先に行ったはずの妻がいた。電車が遅れていて、結局同じ電車に乗った。
乗換駅で別れてから『観なかった映画』を読んだ。毎回、本当にいろんなやり方で映画を論じていて、同じやり方をしないことに感心した。

 

昼ごはんはチキンバジルサンドとアップルシナモン入りのクロワッサンとカフェラテ。『観なかった映画』を読む。「〜を観ていない」と堂々と乱発するのが、また長嶋有らしい文章だ。

 

帰りの電車では『名探偵コナン』92巻を読みつつ、結婚式二次会の乾杯の音頭で言う言葉を考えた。うーん。もう気負わずにいい加減に終えたくなってきた。

 

帰るのがまた遅くなった。
着いてすぐに息子を風呂に入れることになったが、風呂の準備ができるまで『仮面ライダー電王』を見た。戦闘シーンを待っていたが、戦闘シーン前に風呂に入るタイミングになった。

 

風呂の後、妻と二人で寝かしつけようとしたのだが、遊び足りないらしい息子の怒りはものすごかった。息子が妻を殴ると、猛然と妻が叱っていた。寝かしつけている途中で、妻が晩ご飯の説明を始めた。一緒に寝てしまうのを懸念していた。そして、懸念通り寝てしまった。

仕方なく一人で晩ご飯を食べた。焼いたさわら、ひじき、味噌汁、ごはん。美味しかった。
食べながら『やすらぎの郷』を見た。加賀まりことの対峙。この人もある種怖い。まだ存在しない脚本をめぐって女たちが脚本家を恋愛のように取り合うこの状況、何なんだ…。


その後、『アメトーーク』を見ながら洗濯物をたたんだ。俺は有吉の意地悪なボケに甘い。漏れなく笑ってしまう。カズレーザーはどこ行っても異端で面白い。

 

ラジオクラウドで『安住紳一郎の日曜天国』を聴きながら皿を洗った。オーバーブッキングについて語った回。ユナイテッド航空の件を受けて話題になってたらしい。なるほど、確かに落語のようなグルーヴ感。笑った。よくもまあ、変なもんに注目するなあ。
次に、radikoで『ライムスター宇多丸のマイゲームマイライフ』を聴いた。ゲストは三浦大知。ゲームにのめり込む理由って何だろう。確かに、そういう時期もあったんだけど。

 

4/14 金曜日

朝は妻と二人で息子を保育園に送り、電車に乗った。

乗換駅で別れてからは『観なかった映画』を読んだ。

 

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ここで、記録は途絶した。
とにかく記録してやろうと一月以上やっていたが、この辺りでの友人の結婚式で疲れ果てて書けなかった。

それに、ブログに追われてる感が出始めたので仕方ない。これを感じたら終わりだと思っていた。
今後は記録するにしてももう少しやり方を考えた方が良い。

よって、定点観測はここで一時終了。

NIKKI(4/6〜4/12)

4/6 木曜日

朝から鼻水が滝のように出る。これは花粉症だろう。去年はここまでじゃなかったのに。
 
息子は保育園に引き渡す時にまた泣いた。
それでも、バイバイとハイタッチはしてくれた。
 
妻と二人で駅に向かい、電車に乗った。馬鹿な話をした。
乗換駅で別れてからは、また『七帝柔道記』を読んだ。終わってしまう。嘘だろ。俺をこんな気持ちにして、終わるのか。
 
昼食の時間に、花粉症の薬を処方してもらいに病院に行って、大量の薬をもらった。これで鼻水止まるんだっけな。
昼ごはんはまぐろの刺身定食。
『七帝柔道記』を読破してしまった。大森望の解説はまだあるが、本編は終わってしまった。脱力。辛い。感動もしているけれど、辛い。
 
帰りはいつもより少し遅くなった。
電車で、意を決して『七帝柔道記』を解説まで読み切った。読み終わってわかったのは、まだ全然終わりじゃないということ。『続・七帝柔道記』もあるし、『VTJ前夜の中井祐樹』という繋がりのある本もあるらしい。中井祐樹増田俊成氏編集の『肉体の鎮魂歌』の中の一編でしか知らないが、増田俊成氏の後輩だったのか!
その後も周辺情報を調べていたら、こんなDVDも発見した。『小が大に勝つための柔道【究極の亀取り! 】~必ず一本を取る秘訣~ 』( https://www.amazon.co.jp/dp/B01KTFN8NQ/ref=cm_sw_r_cp_api_kYM5ybCQY49WK )。
何だ、このニッチさは。しかし、読んだ直後のせいか、欲しい
その後も『七帝柔道記』読後の味をずっと反芻し続けながら帰った。
 
リクエストがあったので、スーパーで牛乳を買ってから、帰宅。
息子がちょうど風呂から出るところで、裸で走り回っていた。大まかに拭いて服を着せた。その後、最近何でも真似をするので、思いついてヒーローっぽいポーズをやってみたら、下手に真似た。短い腕の動きがかわいかった。
 
息子を寝かしつけてから、妻が晩ご飯を作った。鯛をしそやスダチ胡椒と一緒に蒸したもの、味噌汁、ポトフ、納豆ご飯を食べた。
ご飯を作ってもらってる間と食べた後に『フリースタイルダンジョン』を見た。呂布カルマつええ。ロジカルディスこええ。
その後、『やすらぎの郷4話。施設の説明長くて細かくてリアルで、笑った。石坂浩二は天国にいるんじゃないかな。
 
早く寝たくて音楽を聴きながら皿を洗うことにして、Spotifyを使うことを思いついた。無料で好きなアーティストの曲をシャッフルで聴ける。
サンダーキャットとダーティー・プロジェクターズの新譜が気になってたから、聴くことにした。
全然ピンとこなかった。しかし、事前にイヤホンで視聴した時はどっちもすげえ欲しいと思ったはずだった。おかしいな~イヤホンで聴かないと良くないのかな~と不思議に思いながら、皿を洗い終わって携帯を見たら全然知らない歌手の名前が表示されていた。はあ?と疑問に思っていて思い出したが、Spotifyは前にも勝手にオススメの曲を再生したことがあった。
くっそー、と悔しく思いつつ寝た。


4/7 金曜日

息子の慣らし保育5日目。遂に息子は泣かずに保育園に入って行った。
 
妻と駅に行き、電車に乗り、乗換駅で別れた。
 
昼過ぎに仕事を切り上げて、家の最寄り駅で生パスタを食べて、息子を迎えに行った。
息子はなぜか憮然としていた。あごもしゃくれていた。公園に少し寄ってから家に帰ったが、足りなかったようで、妻が帰って来てから大暴れだった。
仕方が無く、息子を公園で遊ばせることにした。外はだいぶ暗くなりかけていた。滅多に行かない公園に行ったら、中心に大きな滑り台があって、息子はそれをメインにして遊びまくって過ごした。
 
帰り道、イチゴを買って帰ったら、家に着いてリビングに戻る時に息子に奪われた。
前にあげた時は全然食べなかったのに、美味しそうに頬張ってた。また成長したのか。
 
晩ご飯はタンドリーチキン、切り干し大根、納豆ご飯。
美味しかった。
 
妻と一緒に息子を風呂に入れて寝かしつけた。
それから『やすらぎの郷5話を見た。
浅丘ルリ子石坂浩二の抱擁にいろんな意味があるというのは、『あさイチ』を見て知った。お化けよりその話をする浅丘ルリ子が怖かった。
次に『勇者ああああ』第1回を見た。アルコ&ピースの地上波初冠番組かな?くだらないのに全力注がないとダメな企画をよく考えたなあ。酒井がラジオっぽい鋭さの言葉を出してて面白かった。
 
その後、何を聴くか迷った末に『星野源オールナイトニッポン』を途中まで聴きながら皿を洗い、ゴミ出しの準備をして、寝た。
 
 

4/8 土曜日

妻が仕事に行くので息子と二人っきりの日。朝から息子の相手をしつつ洗濯して、外に出たら霧雨がパラついていた。公園で遊ぶのは難しくなった。
 
どうしようか迷いつつ新宿に来たら(そんなに近くもないのに)、息子は寝ていた。
よって、昼飯は起きてから。
というわけで、タワレコに行ってみた。
CDを買うべきかどうかは未だに迷っている。『ヒットの崩壊』を読んだ俺としては、CDなるメディアの終焉を感じずにはいられず、ものによっては音楽をデータで購入する段階までにはなったが、ストリーミング配信で好きな時にだけ聴くというのは、どうしても難しい。まだ音楽を所有せずにアクセスするという考え方に満足できない。所有が好きなんだろう。月額で払えば世界のありとあらゆる音楽が聴ける、という方式は一見聞こえがいいが、世界のありとあらゆる音楽にお金を払っているという事実もうまく飲み込めない。
そんなことを考えながら、CDを見た。サンダーキャットとダーティー・プロジェクターズの新譜を買うか迷っていたのだが、CDで買うべきメリットは無さそうで結局ライナーノーツに1000円多めに払うことにも納得できなかったので、買うのはやめてしまった。データ配信で購入しよう。
Wisely Brothersの『HEMMING EP』は買った。配信してなさそうだったし、CDケースも歌詞カードも買いたくなるパッケージ感だったからだ。
 
店を出たところで息子が起きた。
それで、ビームスを少し冷やかしてから、昼ごはんを食べるために伊勢丹に向かった。
イセタンダイニングというレストランに行った。入るまでにかなり並んだ。海外の方も結構いて意外だった。
半円状にぐるっと回り込む椅子は、その端に子どもの椅子を配置して大人が隣に座るとごはんをあげやすい。そんな風に子どもの来客を想定した作りが好ましかった。そこで息子には子ども用のカレーをあげて、自分はオムライスのハッシュドビーフがけにした。息子にも少しあげてみた。
価格は少し高めだったが、仕方ないだろう。
 
その後、伊勢丹の屋上で息子を遊ばせようと思ったら、まだ細かい雨が降っていた。
そんなの気にせず遊んでいる親子はいっぱいいた。どうしようか、と検討している間、叩く姿は見えないのに太鼓の音がしていた。そういうイベントをやっているのだろう。雨の中、大変そうだ。と想像しているうちに雨の中に出たくなくなって、伊勢丹を出た。
 
代々木方面に歩いて、南新宿駅周辺にあった児童館に来た。
携帯で検索して出て来た場所だ。ここなら雨でも関係無い。
いろんな子どもが好き勝手に遊んでいるプレイルームで、息子は俺がいる場所を基地のようにして、電車の玩具をかき集めては持って来た。その行為の中で、同じように電車好きな男の子と何度か取り合いになった。おそらく年齢は向こうが少し上に見えたが、大きさは同じくらいだった。その男の子は息子が俺の足元に持って来たものまで奪っていった。正直一瞬カチンときた。それは息子の努力や労力を馬鹿にする行為だったからだろう。それでも、好きなようにさせておいた。彼の親は他の母親と話してた。ほとんどその子を見てなかった。それも一瞬カチンときたが、もうその理由はよくわからなかったので無視した。
電車の玩具を持ってくる息子の行為は愛玩犬とあまり変わらないが、そのけなげな姿は犬とは全く違ってとても愛おしく思えた。
 
その後、そこを出て電車に乗り、家の最寄り駅で妻と合流した。好きな珈琲屋でカプチーノを買い、好きなお菓子屋でお菓子を買い、餃子屋で餃子を買って、家に帰った。
晩ご飯はその餃子と、タンドリーチキン、切り干し大根、ごはん。
 
それから息子を風呂に入れて寝かしつけた後、録ってあった『SR サイタマノラッパー ~マイクの細道~」第1話を見た。映画っぽく作り込んだショットが多くて嬉しかった。冬の青森の極寒っぷりがヤバそうだった。いや~、映画見直そうかな。
 
それから、久々にradikoを使ってリアルタイムで『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』を聴きながら皿を洗った。後番組オーディション。普通に他の時間の枠に転用できそうな番組がいっぱいあった。もしくは、ここから膨らませられそうな。しまおまほの指摘はゆるいのに的確で良かった。
 
 

4/9 日曜日

日曜日なのに早起きして、新幹線に乗って地元に近い駅に向かい、妹が結婚するための両家顔合わせに行かねばならなかった。
最近は早起きが難しく、大変辛い思いをしつつ、遅刻しそうになりながら新幹線に何とか乗ると、息子は大暴れで、仕方なく携帯でNetflixの『きかんしゃトーマス』を見せたりしたが、最後の30分くらいは妻が抱っこひもで抱っこし続けるという相当な重労働の末に、何とか着いた。ベビーカーでの新幹線移動の場合、座席はやはり一番後ろがいい
 
駅で両親と妹と待ち合わせて、駅直結のホテルの料亭っぽい店に行った。妹は結婚式を挙げないらしいので、これがその代わりになる。
息子は待ち合わせの時から寝ていて、店に入ってもしばらくは寝ていた。
起きてからしばらくは持ってきたご飯を食べたり玩具で大人しく遊んでいたが、しばらくするとまたも大暴れで、踊り狂ったりいろんなところを歩き回ったりした。
 
それ以外は、つつがなく食事会は終わり、解散して、駅前の商業施設のテラスで息子を遊ばせた。楽しそうに遊ぶ息子を見つめる母を、父が感慨深げに見つめていた。みんな歳をとった。
 
その後、別の施設で息子用のパンや大人用のコーヒーを買って新幹線に乗り込むと、またも息子が大暴れで、妻が1時間くらい抱っこひもで抱っこしていて、大変だった。
 
家に帰る途中で俺はカツ丼を買って妻はトンカツ弁当を買って帰った。
息子に適当にご飯をあげて、風呂に入れて、寝かしつけた。妻も一緒に寝てしまった。風呂に入る前に気づいたのだが、息子は恋ダンスの映像に合わせて踊ることがわかった。
 
洗濯物を畳みながら、録ってあった『僕らの時代』を少し見たが、あまり興味の持てる3人では無かったのですぐ消した。
次に録ってあったNHKスペシャル『マネーワールド 資本主義の未来  “トランプ経済”は世界を変えるのか!?』を見た。トランプの政策が共和党っぽい政策と民主党っぽい政策を組み合わせていて、その組み合わせが経済学的に良くないらしい。トランプの政策は直感的に見えるが、果たしてうまくいくのだろうか?アメリカの保護貿易世界的な保護貿易国家の困窮世界大戦という流れは、非常にわかりやすくかなりリアルに見えた。世界恐慌が世界大戦の遠因になっている、というのは確かに高校の世界史で学んでいた気がする。
もっと勉強しておけばよかった。経済と政治と国際情勢が密接だというのは『愛と幻想のファシズム』(村上龍)を読んで知ったと思い出した。この本で初めて政治経済や国際情勢に興味を持てたが、そこからあまり興味は深まっていないかもしれない。
 
radikoのタイムフリーで『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』の聞き逃していた前半を聴きながら、少しだけある皿を洗った。10周年。もう少し早く聴き始めてたら、俺の人生も変わっていたのか。いや、そう簡単に人生は変わるまい。
大学時代、ピーター・ジャクソン版『キングコング』を大好きなヤツがいて、延々見せられたことがある。とにかく長い印象で、内容よりも覚えているのは、その友人をヒロインと結ばれないキングコングに見立てた上で、その悲哀を肴にしてゲラゲラ笑いながら酒を飲んだということだった。その友人とはもう全く会っていない。今後も会えなそうだが、仕方ない。
 
 

4/10 月曜日

 
息子を保育園に送った。保育士さんに預ける時、息子は何だか嬉しそうにバイバイしてた。うん。もう慣れてるな。
 
妻と一緒に電車に乗って、乗換駅までは一緒だった。
そこからは一人で『柿の種』(寺田寅彦)を読んだ。すぐ気づいたが、『日々思ったことをさらっと綴った』という雰囲気の内容が、通勤電車に全く合わない。1Pの文字量も少なくて、忙しない気持ちで読むとサーっと流れて行って、何にも感じない。『七帝柔道記』とのギャップも大き過ぎたかもしれない。家でゆっくり読むべきだ。
そういえば、俺が本を読む順番は、その前に読んでたのと全く違うのを読むことが多い。純文学、推理小説SF小説、新書、エッセイ、映画評などを読むことが多く、更にそれらを海外と国内で分けて考えて、最近読んでないものを選んでいく。
 
昼、書店でまた本を買ってしまった。Netflixのマイリストにも見たい作品が増える一方だ。
昼ごはんはカツカレー。相変わらず濃厚で重い美味さだった。歳をとればいつか食べられなくなりそう。前の晩もカツ丼だったことには途中で気づいた。
 
帰りの電車でも『柿の種』を読んだ。面白いのかよくわからない。ゆっくり読んでみたい。
 
家に帰ってしばらくして、息子と妻が妻の実家から帰って来た。
風呂に入れて寝かしつけたら、一緒に寝てしまっていた。妻は起きそうになかった。
目が覚めて携帯を確認したら0:45
LINEにメッセージが来ていた。今週土曜の結婚式二次会で乾杯の音頭を取ってほしいという依頼だった。経験上、これは断り切れないので、憂鬱になった。何を話そうか。結構ずっと悩んでしまうのがわかってるので嫌だった。
 
晩ご飯を自分で作ることにした。久々だった。使って良さそうなものがよくわからなかったし、調理もめんどくさかったので、お茶漬けの素でパスタを作った。まあまあの味。もっと工夫は出来そうだった。レトルトのオニオンスープも飲んだ。
食べながら録ってあった『やすらぎの郷』を見た。 喫煙推奨の描写しつこいな!わかったよ!野際陽子って実年齢いくつなんだっけなあ
次に、『ドキュメント72時間』の【チョンキンマンションへようこそ】の回を見た。名作回。ディープ香港。犯罪と隣り合わせのクレイジージャーニー感。マラソンで稼ぐエチオピア人とか、普通にそんな発想が無くて衝撃を受けた。こんな人いるのか。ここで助け合いながら生きるいろんな人種の人々。皆が気にかけてすくすくと育つネパール人の子ども。こういうのが素晴らしい。見たことないものを見た!
 
radikoでリアルタイムで『伊集院光深夜の馬鹿力』を途中から聴きながら皿を洗った。何回かチャレンジしていたが、ちゃんと聴いたのは初めてだった。カルタ大喜利っぽい企画とか、空耳と替え歌の中間みたいな企画とか、メール職人の実力がものすごいことになっているのに、それをちゃんと受け止める伊集院光の力も凄かった
芸人のトーク主体のラジオ番組はここが最終地点じゃないだろうか。


4/11 火曜日

独りで息子を保育園に送った。やはりニコニコしながらバイバイして別れた。
 
妻は先に駅に向かっていたので、一人で電車に乗った。
『観なかった映画』(長嶋有)を読み始めた。雑誌の連載だったこともあって、一つの映画について書いてる文章自体は短くて読みやすい。
結婚式二次会の乾杯のスピーチを考えねばならない、というのが頭から離れず、何だか疲れた。
 
昼ごはんはタコライス
引き続き『観なかった映画』を読み続けた。毎回、いろんな視点を提供してくれる。見なくても面白いが、見たい映画のメモはどんどん増えていく。
 
夜は会合だった。家に帰ると2230分。結構酔っ払っていた。
 
洗濯物をたたみながら『やすらぎの郷』を見た。あ、石坂浩二五月みどりの会話だけで終わった。しかも、五月みどりが超スピリチュアル。何だよこれは。すげえな。
引き続き洗濯物をたたみながらNetflixで『コードギアス R2』を2話分見た。んー、このイケメン中国人は三国志で言えば関羽みたいな奴かな。ふむ。
 
それから、『アルコ&ピースD.C.GARAGE』を聴きながら皿を洗った。酔っ払ってたせいもあって、あんまり内容を覚えてないが、笑った気はする。ファンモン馬鹿にし始めてたのは良い感じ。二人が楽しそうだった。
 
 

4/12 水曜日

仕事が休みの妻が息子を保育園に送った。
それで、一人で電車に乗った。『観なかった映画』も読んでいたが、途中から土曜の結婚式二次会での乾杯の挨拶が気になってダメだった。短くて面白くてお祝いになる話なんて、やっぱり都合が良すぎる。どれか要素を削らねばなるまい。この悩む時間が嫌いだ。しかも話そうと思ってるのはくだらない内容だ
途中からWisely Brothersの『HEMMING EP』をずっと聴いていた。声の良さで最初わかりにくかったが、聴けば聴くほど変な曲が多いことに気づく。そして、一曲目『サウザンド・ビネガー』は他と違う。良い意味でも悪い意味でも浮いている。むず痒いくらい可愛い。
 
昼ごはんはBLTサンド。
少年マガジンを読んだ。
 
帰り道はめちゃくちゃ眠かった。
『観なかった映画』をかろうじて読んでいたが、だいぶ記憶が曖昧だ。
 
家に帰ると息子が踊っていた。
床に敷いてあるラグにはわかめご飯が茶碗で置いてあった。息子に促されて手を繋ぐと、妻とも手を繋がされた。輪になって手を振り回しながらグルグル回った。最近教えてもらった遊びらしい。息子はきゃっきゃっと興奮していた。
 
風呂を沸かしている間に晩御飯を食べた。
肉団子とキャベツのトマト煮。美味しかった。
 
息子を風呂に入れて、妻と一緒に息子を寝かしつけてたらいつの間にか寝てて、目が覚めたら0:15何回目だこのパターン
妻はまだ寝ていた。
 
部屋に散らばったレゴブロックを集めながら『やすらぎの郷』を見た。浅岡ルリ子こえ~。ホラーだろ、これ。何なんだ、このドラマは。なんか見ちゃう。
見終わって適当にテレビ見てたら『もろもろのハナシ』という番組がやってた。あ、これ毎週録っておくつもりだったやつだ。録りそこねてた。おぎやはぎバナナマン、オードリーの3組のトーク番組。今後どれくらい企画を入れていくつもりなのかわからないが、フリートークっぽい雰囲気だった。関東芸人っぽい気負いの無さが良かった。おぎやはぎバナナマンの大学への憧れの話と、小木が高校時代モテた話がバカすぎて笑った。
 
その後、radikoのタイムフリーで『光のメロディー』を聴きながら皿を洗った。いやー満島ひかりの声、最高。『モテキ』って発声しただけでドキッとさせる雰囲気があった。なんか思うところがありそうだった。ザ・ウィークエンドってマイケルフォロワーだったのか。名前はよく見てたけど、初めて聴いた。カッコよかった。
まだ皿があったので『前野健太のラジオ100年後』も聴いた。歌詞のソムリエのコーナーに真心ブラザーズの極のリクエスト。うーむ。くるり、出そうかな。
 
歯を磨きながらWisely Brothersの『サウザンド・ビネガー』を聴いていて、あ、このタイトル『千酢』『センス(sense)』のダジャレじゃねえか!と気づいた。
ダサくて、かわいいな!